「原因と結果の法則」―これあるによりてこれあり

2013年07月05日 00:00


★ 蓮の花セミナーを終えて ★



過去生回帰の個人セッション』と『蓮の花セミナー』が無事終わりました。

今回は『自分自身を最高の友とするために』ということで、『蓮の花』にちなんだわたしのもっとも好きなブッダの言葉をお伝えし、今までのセミナーにはない満足感を得たのですが、瞑想にあてた時間が多くて語り足りないこともあり、もう少し時間がほしかったな~と思いました。
ご参加くださった皆さんは、いかがでしたでしょうか?



あじさい


1日2日と、朝は陽光が射しておりましたが、夕方は両日ともどうやら雨が降ったようです。
地面が濡れていたためそのことを知りましたが、会場を出るときはすっかり上がっており、2日目の砂浜での散策もでき、雲間から時折金色の光を放つ夕陽を見ることもできました。
素足になって、砂浜を歩く心地よさを感じておられたり、浜に落ちている小さな貝を拾ったりされている皆さんの姿が無邪気な子どもさながらで、大変印象に残りました。

弓ヶ浜の散策をせずにそのまま島根県に帰られた方によりますと、帰りの道中は激しい雨だったそうです。
海岸散策の時間までにすっかり雨が上がっていたのは、至極ラッキーであったと言えるでしょう。


sea


さて、今回は『過去生回帰の個人セッション』を行なう数週間前に、その人がもっている「人生の課題」のうちのひとつのテーマを提示させていただきました。

それは「犠牲」であったり、「罪悪感」であったり、「無価値感」であったりしましたが、それについて書いていただいたそれぞれのレポートを読みますと、皆さん、それなりに思い当たることがあったようです。

たとえば、『犠牲』の課題が与えられた人は、つぎのように書き始められていました。

いただいた課題ファイルを開き、『犠牲』という文字が目に入ってきた瞬間、何とも言えない感情が湧き上がってきました。しばらくの間、茫然とパソコンの画面を眺めていました。涙があふれてきました。そして「やっぱりまだ終わっていなかったんだ……」という思いが込み上げてきたのです。

また、『罪悪感』の課題が与えられた人は、つぎのように書いておられました。

『罪悪感』という感情は、時々私の感情の中でじわじわと広がり、心身を蝕んでいくものです。生きる気力を失う、生きることを放棄しようとする方向へ突き進ませる強いエネルギーとして存在しています。この言葉に向き合うとき、血の気が引き、身体の奥深くからえぐられるような深い悲しみがあふれ出し、涙が止まらなくなります。今、こうして文章を綴っている時も、涙が出てきます。私はこの感覚を、様々な場面で、繰り返し体験し、決して忘れることがないよう魂に刻むようにしてきたと思います。今生においても、冷静に物事を判断している自分がいる一方で、外側から何か責めを受けているような感じがして、緊張することがあります。


このように、そのテーマを見た瞬間に「すでに知っている」という感覚をもっておられたわけで、いかにそのテーマがその人の人生に影響を与え、密着してきたかがわかります。

課題のレポート」に対するわたしのコメントや質問に対して、何回かレポートを提出していただき、課題の探究が深まった時点で、『個人セッション』をするという初の試みは、当日の「過去生回帰」を行なう上で大変効果があったと思います。

なぜなら、ご本人もそれを常々自覚されていて、「その悪影響の原因を真に知って、断ち切りたい」と、さらなる決意を抱かれたであろうと思うからです。

セッション中に、ちょうどその課題の原因となっている過去生の人物が実際に登場し、その人物の思いを感じ、その人生に起こった出来事の映像を垣間見たとき、「ああ、この出来事が原因だったのだな~」と真に納得できたことでしょう。

これまで、ときどき脳裏によみがえってきていた断片的な映像。そのとき湧きあがった不思議な感情や感覚。それが呼び起こされていた理由が明白となり、すべてがつながり、そうだったのだと確認できたがゆえに、長い間自分に悪影響を与えていた人物を切り離し、解放することができたのです。

どなたも、ご自分に影響を与えていた人物がふたりずつ登場しましたね。
そのうち、分霊の過去生と本人の過去生がひとつずつ出てきた人もいました。
やはり、本人の過去生がもっともつよい影響を与えているということがお解りいただけたのではないかと思います。
また、悪影響を与えているわけではなく、常に本人を励ましてくれているような良い影響を与えている存在が出てきたケースもありました。それで、その存在は貴重でまだ解放したくなくて、もう少し側にいてもらいたいという人もおられましたね。

なかなか問題の人物が映像に現われてくれないケースもありました。
まだまだ自分の罪を裁いていたくて、暗い場所に留まっていたくて、癒される準備ができていなくて、頑なに出たがらない人もいたのです。けれども、彼(過去生の自分)がそうしている間、今生に生まれて自分自身の人生を歩もうとしている者にまちがいなく悪影響を与えているわけですから、早く登場して気づいてもらわないと困るわけです。
それで、「いつまでもそんな思いのままで、そこにいても意味がないので、出てきなさい」と説得して、ようやく出てきてもらうことができたのです。

なんだかんだと言いわけをして渋っていても、「愛と祝福に包まれた白い光の世界へ行きませんか?」と誘いかけると、結局はみんな「行きたい」と希望するのです。
あれだけ意固地になって出てくるのを嫌がっていた人でも、やはり暗くて狭い所から出て自由になりたいんですね。だから、一旦出てくると、すんなりと明るい世界へ旅立っていくのです。面白いですね。

セミナー時に「人間の内部にある最も深い衝動とは何でしょうか?」という質問をしましたが、この記事を読んでおられるあなたはどうでしょうか?
だれしも切望しているもの。深い魂の衝動とは……?

それは「完全に自由になること」です。「究極的な解放」です。
究極的には、それをみんな望んでおり、「完全に自由になりたい」という深い衝動をもっているということです。

今回『過去生回帰のセッション』を行なった4名の方々は、それぞれ映像として現われた分霊や本体(自分自身)の過去生を完璧に解放することができました。
それまで心臓のあたりが痛いと言っておられた方は、解放されたあと、その痛みが消えたと自覚されていましたね。
それは、解放されたという記念すべき印です。めでたしめでたしです。

但し、それですべてが終ったわけではありません。
一件落着しただけで、その人の過去世は数限りなくあるわけですから、同じようなカルマを背負って何生にも渡って受け継いできて、そのカルマを解消できなかった人たちがまだまだ存在する可能性はあるということです。
その人の「課題」がひとつだけとは限りません。「過去生回帰」は何度も行なう必要があると言われますが、それはそういう意味なのです。
ですから、今後どのようにご自分が変容していくかを、静かに喜びをもって見守っていていただきたいと思います。



青アジサイ


★ これあるによりてこれあり ★



これあるによりてこれあり
これ生ずるによりてこれ生ず。
これなきときにこれなし。
これ滅するによりてこれ滅す。
 


これは、ゴータマ・ブッダが説いた『縁起』の公式とも呼べる言葉で、いわゆる『原因と結果の法則』を述べていると言ってよいでしょう。

縁起』の公式について、こんな卑近な例があります。

ときどき祇園精舎のブッダのところへやってきて、ブッダの教えを聞くことを楽しみにしていたコーサラ国の王、パセーナディは、随分肥満した身体だったようで、いつもフーフーと肩で息をしていて苦しそうであったといいます。
それを見たブッダは、こう説かれたそうです。


人はみずからよく懸念して量を知って食をとるべし。
さすれば、苦しみも少なく、老いること遅く、寿を保つならん。


何があるからそんな苦しい思いをしなければならないのか?」と、まず原因を考えてみなさいということですね。
その原因はというと、「大食するから」です。
なぜ大食するかといえば、それは「その人の無智、考え方が足りないから」だということになります。
したがって、その苦しみを除くためには、「自ら懸念して、量を知って食を摂るのがよいですよ」ということになります。 


この「縁起の公式」にあてはめると、たいてい解決ができますね。
人間はたいてい何かに執着して問題を生じさせて場合が多いので、では「何があるがゆえに執着があるのか?」と追及していくのです。
そうすると、「無知・無智があるから」だということがわかってきます。

仏教では、それを「無明」と言っています。そのことは、過去記事にも書いておりますね。
つまり、「」→「執着」→「無明」という系列がそこにあることがわかります。
その原因たる「無明」をなくせば、「」はなくなるということですね。

では、「無明」という「無智」を克服するにはどうすればよいのでしょうか?

これをそれぞれのケースに合わせて、それぞれ自ら考えてみなさいよということです。
それには、自己というものを深く探究し、そのありようを把握することが必要となってきます。だからこそ、一貫して皆さんに「自己の探究」をおススメしているのです。



ブッダが見つけた法則は、彼が見つけようが見つけまいが、すでにあったものです。
一切の存在は、すべて条件があって生起したものであるということ。
つまり、何ものかに「縁(よ)りて起こる」ということです。「縁起」という訳語はそこから来ているものと思われます。
一切の存在のありようは関係のなかに成り立っているということで、それは『原因と結果』との関係のなかに存在するということです。



これあるによりてこれあり
これ生ずるによりてこれ生ず。
これなきときにこれなし。
これ滅するによりてこれ滅す。



播かぬ種は生えません。
因となる種を宿しているからこそ、あなたは生まれ、死んで、またいずこかに生まれるという輪廻転生を、あきもせず繰り返しているのです。
「苦」から解放されるため、「因縁」を探り、消去してしまいましょう。





テッセン紫


★ お便りからのご質問 ★



【ハンドル名】 シンティラ  55歳  静岡県


はじめまして。
ずっと釘付けになって読んでいます。ありがとうございますとしか言いようがありません。私が知りたかったこと、学びたかったことにやっと出会えたように思います。
そんな中、ここ数カ月の間に身体の不調が続いておりたいへん辛く困っております。
霊的な影響しか考えられません。
読ませていただいた中で、自分波動病なのか?どのようなネガティブナエネルギーを受けて辛い状態であるのか?原因を知ることと、霊的に体を守る方法も学びたいのです。
1週間前も、突然の心臓の動悸と頻脈で救急搬送されました。診断は不整脈の気がある。ということで1週間ほど入院いたしました。
お薬を飲んで落ち着いてはおりますが、軽くなっているだけで根本的な改善や症状は残ります。
どうか何とか回復するようにご指導くださいますようお願い申しあげます。



カヴィーシャ: あなたはわたしのブログにまだ訪問されたばかりでしょうか? 
もし、毎日多々読んでおられるのであれば、『霊的に身を守る方法』など、必要事項は過去記事の至る所に書いてありますので、再度お読みいただきたいと思います。
心臓のトラブルにつきましてはマザーテレサのところでも書きましたが、限界を超えて無理な努力をし、肉体を酷使している人に多いのです。よって、早急に「物事の見方を変える必要」があります。

肉体的な心臓疾患ではなく、波動病かどうかは、きちんとあなたのお写真などを見てお調べしなければ、正しくお伝えすることはできません。
憑依体質であるにせよ、波動病症候群にせよ、そのような状態になっている原因のほとんどは「自分の意識」です。
あなたの意識を変えることが先決ですよということです。

これも『原因と結果の法則』に照らし合わせれば、自ずと明らかになってくるのではないでしょうか?

記事をすべて読まれて理解なさったのなら、ある程度のことはご自分でできるのではないかと思います。
『課題』に取り組まれて、自己探究をなさるのもひとつの方法かもしれません。
書かれていたことすべてを試みても不調が改善されないのなら、再度お便りをください。






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