記憶喪失になった神々へ

2013年06月03日 00:00


★ 記憶喪失になった神々へ ★



あなたは誰ですか?


5月のセミナー「光の源泉となるために」の事前準備で、ハイアーセルフの状態となって「①私はだれですか? ②私はどこから来たのですか? ③私はなぜここにいるのですか?」という質問をして、答えを書きとめておいていただくようにお願いしました。そして、皆さん、それぞれの答えを発表されました。

自分とは誰なのか?

この問いに対する答えはたくさんあります。みなそれぞれ違うでしょう。
過去の賢者たちも、いろんな答えを残していますね。
しかし、それは他者の答えであって、あなたのオリジナルの答えではありません。

もし、わたしたちが「」という名の創造者から生みだされたものであるとするなら、わたしたちが神の一部であるとするなら、わたしたちは万能であるはずです。
何かを想像して、それを創造し、コントロールするのは、たやすいはずですね。
でも、それがとても難しいことだと、あなたがたは思っています。
まちがいなくそう思い込んでいますね。

しかし、人間は、自分自身が信じていることを現実化している生命体なのです。まちがいなく。
あなたが日夜体験していることは、自分の固定観念のパターンに対する自分自身の反応です。
あなたが見ている「外側の現実」を体験しているわけではなく、ほんとうは、あなたが信じていることの「内なる現実」を体験しているのです。
あなたが見ているさまざまな出来事に対する価値判断や、観念を通して、あなたは「あなたの見る世界を創造している」ということです。わかりますか?

あなたの身のまわりに起こるあらゆる出来事は、すべてあなたが引き寄せ、あなたが創作しているのだということです。

あなたがそのドラマのシナリオの作者で、あなたが監督で、あなたがそのドラマの主人公です。
自ら怖れに満ちた不幸極まりないドラマを創っておきながら、そのドラマをあまりにもうまく演じているうちに、自分が創作したことをすっかり忘れ、実際に世にも不幸な人になってしまっているだけなのです。

ここに矢を打ってくださいな」と、心臓の部分に「まと」なるものを描いておきながら、希望通りに誰かがそこをめがけて矢を放ったら、「苦しい!」とか「何でわたしをいじめるのよ!」とか、さも相手が悪いかのように非難し、自分の思い違いのために生じた苦痛と苦悩のなかでがんじがらめになっているのです。
せっかく「まと」に命中させてくれたその人に「よく打ってくれました。ありがとう」と感謝することもなく。

ドラマの途中での変更はいくらでも可能なのに、「いいや、変更はだめだ!」「これでいかねばならない!」「こうあらねばならない!」と、監督(あなた)が拒否しているだけなのです。まったく頑固で融通のきかない監督さんであるわけですね。


  天の妖精


★あなたが演じているドラマのテーマは何ですか?★



さて、あなたが演じているドラマのテーマとは、何でしょうか?

もしあなたが世に言う優秀な人、正しい人、善人を演じているのだとしたら、あなたはそれで真に幸福でしょうか?
悟りをひらき、覚醒者となるためには、世間で言うところの正しいことをたくさんしたり、誰よりも正しくあったりしなければならないのでしょうか? それが真に必要でしょうか?

イエス・キリストは覚醒者でしたが、世間は彼を正しい人どころか、悪者、罪人として処刑してしまいました。愛にあふれた人となるよう、ただ民衆に教えていただけなのに、「自分が神である」と言ったために、イエスは罪人となったのです。
真に正しい人が、必ずしもこの世で賞賛され、認められるとは限らないし、幸福であるとは限りません。

自分が神であること」を知った人を赦さず、罪人扱いする人たち、いわゆる世間にはびこる無明の輩(やから)に訊いてみたいものですね。
では、「自分が神であることに全然気づかない人たちは、赦されるのですか?」と。

だからこそ、イエスは彼らのために父に赦しを乞うたのです。
「父よ、彼らをお赦しください。彼らは自分が何をしているのかわからないのです」と。
非常に納得しきれない不可解なイエスの人生は、結局イエスの描いた自作自演のシナリオだったことがわかりますね。

あなたも、自作自演をしていることに気づきましょう。

あなたが今何を体験しているにしても、あなたは大いなる神の臨在のなかに存在しているのです。
ネガティブなもののなかにも、ポジティブなもののなかにも、神はいます。
神は全体だからです。
どちらでも、体験してくださいよと、神は二つの極性を創りました。

あなたは喜びと幸福に満たされた体験をしたいのですか? 
それとも、苦しみと苦痛に満たされた不幸な体験をしたいのですか? 


要は、「あなたがポジティブな体験をしたいのか、ネガティブな体験をしたいのか、どちらですか?」ということなのです。
あなたがどちらのサイドを体験したくて、そのシナリオを描いたのか? ということだけです。

どちらも選択したくなければ、「選択しない」という選択をすればよいのです。
ともかく 問題となるのは「あなたが何を体験したいのか?」ということです。

もしあなたが「自分を愛さない。自分を信じない。すべてのものに感謝をしない」といった否定的な人生ドラマを選んだのであれば、自らネガティブを体験したくて、自ら苦しんでいるだけなのですから、「どうぞご自由に、存分に味わってください」と、あなたの選択の自由と責任を尊重するしかないのです。

しかし、それに気づいて、「そんなドラマはもう演じたくない!」と思うのなら、降板すればよいだけのことです。あるいは、「終わりよければすべてよし」の結末を迎えられるように、途中でポジティブな内容に変更すればよいだけです。
そして、喜びに満ちたなかで最期を遂げるシナリオに書き換えることですね。

あなたが目覚めることなく、記憶喪失のままで肉体の死を迎えてもよいというのであれば、今のあなたのシナリオを全うしてくださればよいと思います。
もちろん、それはそれでOKです。選択は常にあなたに任せられているのですから。



★参考過去記事 変化するのはペルソナではなくあなたの意識   

★「意識のジャンプ」とは新しい自分を選ぶこと




鈴蘭の妖精


「ここはどこ?」
「わたしは誰?」
「なぜここにいるの?」

わたしたちは本来の自分を見失った
記憶喪失になった神々」です。

でも、一度思い出したら、もう何も怖れるものなどありませんね。

今怖れているのは誰なのか?
今悲しんでいるのは誰なのか?
今疑っているのは誰なのか?
今混乱しているのは誰なのか?

あるいは、
今喜びに満ちているのは誰なのか?
「わたしは誰か?」と問うわたしとは誰なのか?
自分の生きざまを静かに見つめ、観察しているのは誰なのか?

わたしたちは自分が求めている感覚をすでに味わい、体験しています。
これを真に実感しましょう。

ただ観察者でありましょう。
ただ観照者でありましょう。


眠りから覚めた神になりましょう






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