分離から統合へ

2012年07月26日 09:15


★ バリ島の世界観から ★



日本列島は夏本番の暑さとなりましたが、皆さん、お元気でいらっしゃいますか?

7月に入って、11~14日の4日間、各地に記録的な雨をもたらしたと報道されていました。
北九州地方、特に熊本と大分を中心に「これまでに経験したことのないような豪雨」という気象情報が発表され、被害が出た地域もありましたが、九州にお住まいの読者の皆さんは大丈夫でしたでしょうか?

今年に限らず毎年梅雨が終わる頃に大雨が降り、日本のどこかで洪水を引き起こしていますが、やはり浄化される必要があると感じていた地域に起こっています。日本にはまだ大きな現象が起こる必要があるようなので、遅かれ早かれそれはやってくることと思います。
豪雨の後は気温の上昇ですが、熱中症などにならないよう常に意識して生活していただきたいと思います。



海


さて、わたしは最近『バリ島の世界観』について考えていて、バリは今頃どんな気候なのかと思い、調べてみました。
今は「乾季」に当たり、7~8月ごろは南国らしい眩しい陽射しが降りそそぐけれども、湿度が低いため、過ごしやすいそうです。さわやかな風に吹かれながら、バリの風景を満喫してみたいものですね。

これまでにバリ島のことがときどきTVで放映されていて、見る機会があったのですが、たいていの番組はあまり深い内容には至らなくて、伝統的な舞踏を披露する程度で終わっています。
しかし、スピリチュアルな観点からしますと、バリ島は地球上でも珍しくバランスのとれた文明のひとつとして、非常に興味深い地域であるとわたしは思っています。

今回は、インド洋に浮かぶ小さな島『バリ』に生きる人たちの世界観から、『二極性と統合』についてフォーカスしてみたいと思います。


バリ島の位置

(この地図は「バリ島」よりお借りしました。 http://homepage3.nifty.com/akapon/travel/bali/bali02.htm)



★ 闇を認めることによってバランスをとる文明 ★



インドネシアはイスラム教徒が多いといわれますが、バリ島はヒンズー教徒が大変多い島のようです。およそ90%の人々が、「バリ土着の信仰」と「インド仏教」や「ヒンドゥー教」の習合によって成り立つ「バリ・ヒンドゥー」なのだそうです。バリ島は「神々の島」という印象がありますね。

このバリ島には、『三つの世界』が共存しています。
神々の世界』と『人間が住む世界』と『鬼たちが住む世界』です。
バリ島の人たちが家を建てるときは、その敷地内に「三つの存在」に捧げるために「三つの寺院」を建てるのです。

ひとつは「」に、ひとつは「人間」に、そしてもうひとつは「闇(鬼や魔物)」に対して捧げられる寺院です。
バリ島の文明では、「闇があってこそ調和がとれる」という考え方があると、高次の意識から聞いたことがあります。
ですから、神と人間と、闇に対しても同様に捧げものをするわけです。バリでは、それらに対する供え物がとても重要となっています。
「わたしたちは闇や悪霊、鬼たちのことをけっして忘れてはいませんよ」という想いから、闇の存在と呼ばれるものたちにもお供えを欠かさないわけですね。そうすれば彼らも悪いことをしないからです。

闇を認めることによってバランスをとる」ということは、『バロン』という神話のなかに表現されています。
それは『バロンダンス』と呼ばれていて、皆さんもよくご存じのことと思います。
バロン』は代表的なバリの舞踊で、善の象徴である『聖獣バロン』と悪の象徴である『魔女ランダ』の「終わりなき戦い」が描かれている作品です。
バロンとランダの戦い』は、バリ・ヒンズー教のもつ「生と死」や「善と悪」などの相対する二極性(二元性)の概念を表しているのです。


     聖獣バロン       
       バロンダンスに登場する『聖獣バロン』



★ 決して終わることのない「善と悪の戦い」 ★



オズの魔法使い』という童話には、「善い魔女」と「悪い魔女」が登場しますね。
眠りの森の美女』というおとぎ話にも、やはり相反する質の魔女が登場します。

王さまに待望のお子さま(お姫さま)が誕生した際に、魔女たちが祝いの席に呼ばれます。ところが、ひとりだけ呼ばれなかった魔女がいたのです。彼女はそれを妬んでか恨んでか、呼ばれてもいないのにお城にやってきて、お姫さまに死の呪いをかけます。そして、他の魔女がそれを何とか善い方に修正しようとするのです。
もし最初からそのネガティブな魔女も呼んであげていたら、どうだったでしょうか?
たとえ悪い魔女であっても気をよくして、呪いなどかけなかったかもしれません。

これは人々が闇(悪)を恐れて、あるいは、闇(悪)を嫌がって、闇(悪)を認めないと、こういうことになりますよという教訓かもしれませんね。
善い魔女」と「悪い魔女」、あるいは、「白い魔法使い」と「黒い魔法使い」はファンタジーには必須のキャラクターで、最終的には「白い魔法使い」は「黒い魔法使い」を滅ぼし、善は悪に、光は闇に打ち勝つということで、めでたしめでたしとなります。

ところが、実際はそう簡単に決着がつくものではありません。
この白と黒、光と闇、善と悪との戦いは、尽きることがないのです。一旦滅ぼされたように見えても、また復活するんですね。
善と悪はいつもわたしたちの周り(外側)に、そしてわたしたちの内側に存在しています。
両方の極で成り立っている世界に生きている限り、両極性から生まれる問題は雑草のようにつぎとつぎと表れてきます。
光だけの世界、善だけの世界などありえないのです。もしそれが実現したなら、それはもう光の世界ではないし、善の世界でもありません。それはまた別の現実があるだけです。
光は闇があってこそ光であり、善は悪があってこその善なのですから。(闇がなければ光はなく、悪がなければ善もない)

童話や物語では、勧善懲悪を描きたいばかりに、善が必ず悪を懲らしめて征服するというストーリーを創り上げています。ですから、それを読んだ人たちは、そうなることが理想であると勝手に思い込んでしまうわけですね。あるいは、そうなることを強く待望してしまいます。半面だけの真理なのに、あたかもそれ(光や善)のみが真理であるかのような錯覚を起こしているのです。みんな騙されているのです。

先ほどご紹介したバリ島の『バロン』の物語のなかには、決して終わることのない「善と悪の戦い」が描かれています。
闇を克服することはできるけれど、決して終わることないサイクルのように、それは別のかたちで必ずまた表れてくるということです。

バリでは、「光と闇のバランスをとること」を、子どもの頃から教えられるようですが、彼らは「闇を否定することは、さらに闇を創り出す」ということを知っています。宇宙の陰と陽のバランスを、とてもよく理解している人たちなんですね。

皆さんに覚えておいてほしいのは、闇を認めてあげると、それが自分に対して力(影響)を持たなくなるということです。
逆に、それを認めずに嫌がって逃げようとすると、闇は自分に対して力を持つようになるということなのです。(過去記事のどこかにそんなことを書いたことがあったと思いますが…)


バリ島の人たちのほかに、アボリジニやアメリカインディアンたちも、自分たちの内側にある光と闇のバランスをとるために、手の込んだ儀式や祭りごとをおこなっているということを聞いたことがありますが、その詳細はわかりません。
ただ、そういう意味を知っている人たちは地球上でもごく少数であり、彼らは大変貴重な存在です。
ですから、『バロン』は善悪・陰陽のバランスをとることを教えてくれるすばらしい舞踏なのです。


ハート
真実はいつだって二つ(両方)の極を含んでいるのに、
多くの人々には一つ(片方)の極しか見えないのです。
両方の極を同時に見ない限りは、物事のありようを知ることはできません。
物事の片方だけを見ることは、とても危険なことなのです。

あなたがもし闇や悪を嫌っていて、光や善の世界で生きたいとあこがれているのなら、
それは偽りの世界に生きるということにほかなりません。
なぜなら、宇宙を創造した意識は、両極性をもった存在だからです。

宇宙にはホワイトホールとブラックホールとがあります。
光と創造は宇宙創造主の側面であり、闇と破壊も宇宙創造主の側面なのです。
真理とは全体なのです。
統合する」というのは、この両極性を認め、どちらも同様に受け容れること、
宇宙意識のあらゆる側面を受け容れることなのです。

映画『マトリックス』の最終章を見ればわかりますね。
敵と思い込んでいた存在は、じつは自分のなかにいたということです。
ネオはそれとひとつになったんですね。
二極性と統合』を理解するのに、とてもわかりやすい作品だったとわたしは思っています。

皆さんも、もうそろそろ『マトリックス』から『自由な領域』へと飛びだしませんか?






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