汝自身を知れ

2010年07月27日 15:00


★ 汝自身を知れ ★



前回の続きです。
(読んでおられない方は、「能楽『鉄輪』の女主人公のお話」を最初からお読みになってください)

あなたは「鉄輪の女主人公」が、前夫のことを真に愛していると思いますか?

残念ながら、愛してはいないようですね。
真に愛しているのなら、夫の幸せを踏みにじるような行為には走らないはずですから。

彼女はただ夫という他者から何かをもらいたいだけなのです。
何かがほしいのに夫から拒絶されたから、ほしいものを得られなかったから、傷ついたのです。
それは愛とは別のもので、欲望ですね。

相手が自分から遠ざかっていくとき、もし心がひどく傷ついたなら、「自分がその人から何を得ようとしていたのか」ということを見てみることです。

相手にいつまでもしがみつき、執着しているということ自体、自分の欲求を満たしたいという「自己中心の思い」が非常に強いということを証明しているのです。

「こんな浮気な男と夫婦になったのは、結局自分の心の至らなさの報いとは思うけれども…」と本気で思うのであれば、夫が浮気者であるとうすうす気づいていながら、軽率に夫婦になった自分自身を素直に反省してみることが必要でしょう。
また、自分は前夫に愛され続けるだけの価値があったかどうかを顧みることも必要でしょう。

自分が後妻よりも人柄がすばらしく、魅力的だったかどうか。
後妻よりも料理が上手だったかどうか。
後妻よりも掃除、洗濯が好きだったかどうか。
後妻よりも裁縫が上手だったかどうか。
そして、後妻よりも前夫を愛していたかどうか……等々です。

それらのすべてにおいて、後妻よりも自分のほうが勝っていると思えるのなら、前夫の目は節穴(ふしあな)にちがいないから、そんな男のことはさっさと忘れて、新しい男を見つければいいのです。
そんなにイイ女なら、きっと前夫よりもステキな男が見つかるでしょう。
自分に大いなる自信を持って生きていけばよいわけです。

「魅力的だったかどうかですって? モチロンよ。でも、後妻はアタシよりもずっと年下なのよ。若いのよ!それに比べてアタシは年々容姿が衰えてきてる…。これには勝てないんだから。くやしいっ!」

逆にどう考えても後妻よりも劣っていて、太刀打ちできないと思えるのなら、潔(いさぎよ)くあきらめることです。


★ 原因は自分の中にある ★



問題がすべて自分の外にある」と思っていたら大マチガイです。
そうなった原因は、「必ず自分の中にある」のです。


すべては起こるべくして起こっている。
そう思ったほうが賢明ですね。


ところが、未練というものが、邪魔をします。
しがみつけばしがみつくほど、男はうんざりして、ますます遠ざかっていくのに、それにも気づかず、カーッとなって怒り狂うわけです。

私がこんな目にあったのはあなたのせいだ。私をこんなに怒らせたのはあなたのせいだ!
と、自分の至らなさなどはすっかり忘れ去るか、押し隠してしまい、自分を被害者に仕立て上げるのです。
そして、自分のみじめな境遇を相手のせいにすることで、感情を爆発させ、自ら相手に罰を下そうとします。

女は自分の憤りを発散させる方法として「丑の刻参り」を実行しました。

丑の刻参り」は、おどろおどろしいイメージがありますが、元々はそのようなものではなかったようです。
丑の刻にお参りをすると、願いをひとつ叶えてもらえるという言い伝えがあったのです。
(★古くは祈願成就のため、丑の刻に神仏に参拝することを言ったのヨ)

鉄輪の女の場合は、自分をみじめにさせた前夫と後妻に罰を与えたいため、「」になりたいと願っていたのかもしれません。
もっていきようのない感情を一身に神に向けて祈ることで、彼女は自分の憤りを徹底的に発散させ、自分自身を救済していたとも考えられます。
これは、ある意味では積極的な行為だといえるでしょう。


★世の中には、自分の感情の処理方法がわからなくて、ただ感情を抑え続けている人たちがたくさんいます。
何も感じないふりをしたり、無関心なふりをしたりしているときは、その人のなかに隠された「恐れ」が存在するのです。
自分がほんとうはどのように感じているのかをじっくりと見つめたり、口に出して言ったり、怒りを顕わにしたりすることを恐れ、自分の感情を素直に表現することから逃げているのです。
こういう人は必ず重い病気になります。



★病気のことを英語で「disease」といいますが、「自分が安心(リラックス)している状態ではない」という意味です。
リラックスができないということは、「本来の自然な状態の自分に抵抗している」ということです。
自分自身に抵抗しているときは、本来の自分とは異なった非常にネガティブで低い波動となっていますから、そこに摩擦が生じます。
その摩擦が病気や災難を引き起こしたりするのです。


鉄輪の女の場合は、神仏に祈るという感情のはけ口を見つけました。
彼女の必死の思い(願い)は、貴船の神様からのご神託が社人に伝えられたことからもわかりますね。
貴船明神は女に「鬼になる方法」を伝えたのですから。

ただ、その願いが他人の不幸を願うところから発していて、すこぶるネガティブなものであったために、被害者から今度は加害者となったわけです。


ハート
ネガティブ思考からポジティブ思考へ、
あなたならどのように意識を変換しますか? 

とにもかくにも自分自身を知ることが肝心です。
すべては、自分自身を知ることから始まるのです。

汝自身を知れ!」
その言葉に尽きると思います。



汝自身を知れ―自分を愛すること

2010年07月28日 19:00


★ 汝自身を知れ―自分を愛すること ★



昨日に続いて「鉄輪の女のお話」です。

あなたは、この女性に圧倒的に足りないものは何だと思いますか?

そう、「」と「赦し」ですね。

今日は「鉄輪の女が幸福になれる道」として「自分を愛すること」について考えたいと思います。


★高い意識の自己愛というものは、低い意識の利己愛とは別のものです。
高次の意識を内に宿した自分を愛する」ということほど大切なものは、
この世界にはないといってもよいでしょう。


★自分を真に愛せない人に、他者を真に愛することはできません。
なぜなら、自分のなかに他者のすべてが含まれているからです。
自分と森羅万象はすべてつながっているからです。



ここで、ゴータマ・ブッダ(釈迦のこと)が生きていた時代にコーサラという国があり、そこの王であったパセーナディと妃であったマッリカーに関して説かれたお経があるので、ご紹介しましょう。


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あるとき、王は王妃に尋ねた。
「マッリカーよ。汝には、自分自身よりも、もっと大事なもの、もっと愛しいものがあるだろうか?」
 
王妃はさらりと答えた。
「大王よ、わたしには、自分よりももっと愛しいと思うようなものは考えられません。大王よ、あなたには、なおご自身よりも愛しいものがおありでございましょうか?」
 
王はよく考えてみたが、自分以外に大切なものや、自分よりもさらに愛しいと思えるものなど、何も考えつかなかった。
王と王妃の考えは同じだったのだ。ふたりは、ほんとうにこのような結論でよいのかどうか不安になり、ブッダに尋ねてみることにした。

二人の質問を聞いたブッダは深くうなずかれ、やがてつぎのようなことばをつけ加えられた。

人の思いは、いずこへも赴くことができる。
されど、いずこに赴こうとも、おのれより更に愛しいものを見出すことはできない。
それとおなじく、他の人々にも自己はこのうえもなく愛しい。
されば、おのれの愛しさを知るものは、他のものを害してはならない
」 

(相応部経典 三、八、「末利」より要約) 


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おのれの愛しさを知るものは、他のものを害してはならない」ということ。
それが、いわゆるアヒムサー(不害・不刹)という意味です。


あなたがあなた自身のことを何ものにも代えがたいほど愛しいと思っているのなら、同じように他の人もその人自身のことを愛しいと思っているはずです。
それなら、他者を害してはならないと、ブッダは教えられたのです。

つまり、他者を害しようと企む者は、たとえきっかけは自分可愛さのためであったとしても、それは真の自己愛にはつながりません。
他者に悪意を向けて害すれば、その報いは自分に戻ってくるわけですから、結局自分自身を愛していないことになるわけですね。
(★過去記事「人を呪わば穴ふたつ―因果応報の法則」をもう一度読んでみてネ)



ハート
出発点は自分です。
ですから、「まず自分を愛すること」です。

愛は自分自身の内側から来るものであって、
人が与えてくれるものではありません。

わたしたちが深く自分を愛するとき、
悩んだり、いらついたり、悲しんだりすることはありません。

自己受容自己愛を決して失わないこと。
そうすれば、平和の波動がわたしたちを包んでくれます。


(次回に続く)


汝自身を知れ―自分を赦すこと

2010年07月29日 14:00


★ 汝自身を知れ―自分を赦すこと ★



前回は「自己受容」と「自己愛」の大切さをお話ししました。
今回は「自分自身を赦(ゆる)すこと」について考えてみたいと思います。


★まず自分自身を完全に赦すことができれば、他者を赦すことができます。


でも、これはそう簡単にできることではないかもしれません。
表面的には赦していると思っていても、内側ではなかなか頑強に赦していない自分があったりします。


★人は自分の内にある「罪悪感」や「裁き」や「恐れ」を手放すことで、癒されます。
真の癒し」は「」と同様、自分自身の内側からやって来ます。
人が与えてくれるものではないのです。

癒しは、「鉄輪の女主人公」のように「怒り狂った自分」、「悲しい自分」、「かわいそうな自分」など、ありのままに見つめ、認めることから始まります。
そして、相手を「憎んでいる自分」、「恨んでいる自分」、「責めている自分」、「裁いている自分」、「執着している自分」、「期待している自分」を赦し、手放すのです。

執着」がなくなれば、本来の自然な波動にもどることができます。
そして、「自分の夢を生きること」、「自分の可能性を信じること」、「自信を持って何かをやってみること」、ボランティア活動のような「人のために役立つ、人に喜ばれることをやってみること」です。



キンバリー・マルーニーは、つぎのように言っています。
希望とは、自分の願いは叶うと信じる気持であり、善なるものを願うこと



とにかく「希望をもつこと」ですね。
鉄輪の女主人公」のような強靭(きょうじん)な意志と信念をもった足腰の丈夫な人なら、何だってやれるはずです。
何しろ、毎晩丑の刻参りをするために、京の都から貴船までのおそろしく長い道のりを歩いて通っていたのですから。
鉄輪の女」にはホントかなわないです。脱帽です。

このような女性は、人を殺すほうではなく、活かすほうに使うことにフォーカスすれば、きっとスゴイことができるはずです。
それこそ、かなわないものなど何もないでしょう。
彼女のこれまでの苦悩も、彼女の魂の変化や成長のために必要であったのだと捉えれば、明るい光が射してきますね。

★「苦悩」は、自分がほんとうに進みたいと望んでいる方向とズレてしまったときに起こります。

もしもーし、あなた、どこか見直すべきことがあるんじゃないですか?
と教えてくれているのです。

そこで自分自身をよく見つめ、探究してみれば、自分が播いた種がどこでどう間違ったのか、おかしな方向に生長してしまったり、枯れかけてしまったりしていることに気づくでしょう。

★選択をまちがえたことに気づいたなら、ほかの選択肢を探せばよいのです。



ハート
この世の中は、
光と闇、男性性と女性性、
愛と憎しみ、喜びと悲しみ、
ポジティブとネガティブなど、
たくさんの対極(二元性)で成り立っています。

突如、愛が憎しみに変わったり、
信頼が不信に変わったり、
幸せが苦悩に変わったりします。
そのたびにそれぞれの方向を体験させられるわけです。

人生の目的はこれらふたつのバランスを学ぶことです。
ですから、どちらを体験することも恐れず、嫌わないことです。

鉄輪の女」は貴船明神に「鬼になりたい」と祈願しましたが、
わたしの心に平安がもたらされる道を示してください」と
お願いするという選択肢もあったはずです。

ただ、気づかなかっただけです。
赦す選択もあるのだということを。






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