「カルマの浄化」を完璧に終了させるために

2011年07月22日 09:35


★ 地球もわたしたちと同じ ★



台風が去りました。
あなたのお住まいの地域は大丈夫でしたか?

「最近の地球は何を考えているのだろう?」
そう思うことはありませんか?

「地球さん」のことを「愛の惑星(ほし)」と呼び、とても愛深く、意識の高い存在のように思い込んでいる人たちがいますが、はっきり言って、地球の意識は「喜怒哀楽」がある皆さんと、さほど変わりませんよと言っておきます。

なぜって、現に3次元から5次元に上昇しようとしている惑星だからです。
5次元に上昇するために、まだ浄化がしきれていない段階なのです。
だったら、皆さんと同じでしょう?
5次元の次は6次元、7次元、8次元……と、根源への旅は限りなくつづきます。

★最近、読者の皆さんや「気づきの教室」ならびに「気づきのコース」の受講生さんたちから、「カルマの浄化法」を試みているというお知らせを聞くことが多くなりました。

カルマの浄化法」は2010年9月26日の記事「アセンションするには『カルマの浄化』が必要」に書いている内容です。
自分が生まれてから今日までの人生を5年ごとに区切って反省や感謝をしていくわけですが、ここでもっとも大切なのは、「そのときの自分と他者に赦しを与える」という作業です。

ここで、「赦し」をしっかりと与えられれば、そのときのカルマはきれいに消え去ります。
その効果をさらに増すための「お祈り」があるので、皆さんにお伝えしておきたいと思います。
これは、光の仕事人から「カルマの浄化法」を真剣に実践している人へのプレゼントです。


☆ 「赦す祈り」 ☆



つぎに記す「赦す祈り」の公開は、最近まで長い間禁じられていました。
しかし、真面目に取り組む方々が多くなった今こそ、ぜひ使っていただきたいと考え、再度ハイアーセルフに尋ねたところ、ようやくOKが出たのです。

どうか真剣にこの祈りを唱え、自分をはじめとするすべてのものを赦していただきたいと思います。
これは、スーザン・シュムスキーの著書に記されていた祈りのひとつですが、
イエス・キリストを信じていない人もおられると思うので、「イエス・キリスト」という箇所は省いています。



《 赦す祈り 》


聖霊の力のおかげで
わたしは理解し、宣言します
わたしに害を与え、
わたしをつかまえていたものすべてを
赦し解放することを
内にあるものも外にあるものも
わたしは赦し解放します

過去のこと現在のこと、未来のこと
そのすべてをわたしは赦し解放します
赦しと解放を必要としているかもしれない
すべての物、すべての人、すべての場所を
赦し解放します

救世主の力を通してわたし自身も赦します
すべての人、すべてのこと
過去、現在、そして未来を完全に赦し解放します

そして過去、現在、未来に出会い
わたしを赦す必要のある
わたし自身も含めたすべてのこと、すべての人は
今わたしを赦します

これは今、わたしのなかの救世主
わたしたち全員のなかの救世主の力によって
おこなわれます

わたしは自由で、関わっている人や物も今すべて自由です
だからわたしたちのなかでは
すべてのことが完全にすっきりしています
今もこれから先もずっと

それは今もこれから先もずっと
神さまの独自の智恵と完璧な方法による
恩寵にあるからです

神さまに感謝を
心からの感謝を




★ 今あなたが変われば過去は変わる ★



過去記事「人の『意識』が過去を変えるお話」で、今のあなたの意識を変えれば、それが「過去や過去生にまで影響を与える」ということ、そして、「過去や過去生を変容させることも可能となる」ということをお伝えしました。

それはどういうことなのか、卑近な例でお話ししましょう。

★「意識が変われば、過去が変わる」というその実態を、最近長女はわたしの一言で気づいたようです。

わたしは長女や次女が作ってくれるスパゲッティがとても美味しいので、最近「また作ってほしい」と言ったのです。
すると、「お母さんは、昔はスパゲッティが嫌いなはずだったのに」という言葉が返ってきました。
ふたりの娘たちからそれを聞いて、わたしは驚きました。
娘たちに言わせると、過去わたしはスパゲッティが嫌いだったのだそうです。
でも、わたしにはその記憶が一切ないのです。現にスパゲッティが好きで、「作ってほしい」と言っているわけですから。

そこでわたしは「え? そうだったの? お母さんは昔から好きだったんだけどね」と言ったのです。
その瞬間、何かひらめきが来たらしく、長女はニヤリと笑って言ったのです。
「言葉ではすごく言い表しにくいけど、お母さんの過去が変わった瞬間が、わかったよ」と。

長女はとてもすばらしい体験をしたようですね。
過去に嫌いだったはずのスパゲッティは、今現在好きだと言ったことで、「過去も好きだった」ということに変えられてしまったということです。
当の本人(わたし)はといえば、ほんとうに過去からスパゲッティが好きだったことしか記憶にはないのですが。(笑)

過去、自分にとってものすごく有害で、嫌悪していたはずの人に対して、不思議なことに今現在は害を感じることがなくなっただけでなく、むしろ好きになっていて、その人のことを思い出しても全くイヤな感じがしないということがあります。
それは、わたしの過去が、新たな記憶に塗り替えられてしまったからです。
おそらく、その人を完璧に許せたのでしょう。確かに「赦しの祈り」をたくさん唱えた覚えがありますから。(笑)

カルマが消えると、そのときのことをいくら思い出しても、何ひとつ引っかからなくなります。
まだ何か引っかかりがあるときは、完璧に消去されていないということです。
「引っかかり」があるかどうか、それが「カルマが消えたかどうかの証拠」のひとつとなるでしょう。


★ 引っかかりを見つけること ★



わたしは時々娘たちと、日本をはじめ世界の歴史の裏話をすることがあります。
そんなとき、長女にとっては非常に「引っかかり」を覚える内容があって、それがどんどん出てくると、ネガティブな思いが押し寄せてきて、とても不快な気分になることがあるようです。
その「引っかかり」のあるキーワードをつなげていくと、彼女の過去生が芋づる式に出てくるのです。

「イヤなもの」、「聞きたくないもの」、「避けたいもの」など、自分にとって、それを思い出すことに大きな困難と嫌悪を覚えることがあるものは、「過去生から持ち越してきた悪いカルマ」というべきもので、今生で解消しなければいけないものです。
とにかくそこに「引っかかり」を感じるのは、必ず自分に問題があるということなのです。
「避けてはならないものがそこにあるよ」というお知らせなのです。

たとえば、ただ「虫がものすごく嫌い」だとか、「○○を見るとムシズが走る」などということでさえも、過去生と関わりがあるのです。
そこまで嫌いな理由は、必ず過去生に隠されているからです。


それなのに、本人はそれと遭遇することを恐れ、「臭いものにはふたをしろ」式で、ずっと今日まで抑圧してきたのです。
あまりにもひどいカルマがあると、それに直面する勇気が持てないのです。
でも、そんなことを言っている場合ではありません。
今解消しないで、いつ解消するというのでしょうか。
気づいたときが、チャンスです!

現在思い出したくない過去生を思い出すこと。
カルマの解消に取り組むこと。
過去生の総決算をすること。
それが今生の課題なので、長女に逃げる選択の余地などはありません。(笑)

皆さんも、世界の歴史などで、どうしても何か「引っかかる」時代や国や人物などがあるときは、そこに自分との関わりがあると思って、究明を試みてください。
きっと、何か気づかれることがあるでしょう。

最近は、「気づきの教室」や「気づきのコース」に参加した人たちのなかで、アトランティスの時代や他の星に生きていた頃のことを思い出したという人が現れてきています。
今生でのカルマの浄化が進むと、さらに記憶が遡(さかのぼ)っていく場合があるんですね。
今現在わたしたちは、今生のおこないだけでなく、はるかな遠い過去生にまで遡り、その時々に作っては持ち越してきたカルマを、すべて解消する時期に来ていることを知らなければなりません。

今生だけでも大変なのに、そんな過去生の膨大なカルマを解消するなんて、とても無理だと思われるかもしれません。
そこで効果を発揮するのが、先ほど述べた方法なのです。
つまり、「今現在のあなたの意識を変える」ということです。

過去のカルマの積み重ねが、今のあなたの人生に影響を与え、そして、今のあなたの意識が未来をつくっていくわけですから、「今、ここ」であなたが意識を変えれば、過去も未来も変わるというわけです。

過去記事にも書きましたが、「人の意識が過去を変える」ことは、量子力学ですでに証明されていることなのです。
今、ここ」の意識や決断が、いかに大切であるかがこれでわかりますね。

あなたの信念が現実をつくる」ということ、
あなたの意識が過去を変える」ということ、
あなたの決心が願望を実現する」ということ。


これらのことは「心の量子力学」として過去記事でお話ししてきましたから、もうよくおわかりのはずです。
どうか、皆さん、最後まで希望を捨てないで「自己の魂の進化と成長」のために前進してください。


★今とても気分が落ち込んでいて、「意識を変えたい」と思ったら、自分が見たことがない分野の映画を見ることも方法の一つです。
まったく自分とは違うタイプの主人公の気持ちになってみたりするのです。

長女は、わたしが推薦した「男はつらいよ」の「寅さんシリーズ」を見て、「意識が変わった」と言い、病みつきになりました。(笑)
たまには肩の力を抜いて、「フーテンの寅さん」の自由奔放な人生を味わってみるのもよいのではないでしょうか?

作品のすべてに笑いがあり、悲しみがあり、ほのぼのした暖かさがあります。
寅さんが馬鹿げたことを言っていても、共感できる部分や癒される部分が必ずあるのです。
「寅さん」の「悲喜こもごもの人生」のなかに、ひとつの「悟りの境地」ともいうべきものが見え隠れするのを、あなたはきっと発見することでしょう。

「寅さん」は、もしかしたら「パイオニア・インディゴ」だったのかもしれません。(笑)


危機のなかでも希望を忘れないこと

2011年07月23日 13:53


☆ 緊急報告 ☆


今朝、「渡邊延朗 宇宙の法則研究会」の「フォトン・ベルト レポート」より
下記のようなメールが送られてきました。(全文を掲載させていただきます)




≪7月24日―25日にかけて東北沖合で M9.5の巨大地震≫

情報については、真偽の程は良くわかりません。

宇宙存在からの情報だそうです。地震の規模はM9.5(史上最大規模)ということで信じられない規模の地震が起こると伝えてきたそうです。さらに、100m以上もの巨大津波が襲います。

メッセージを受けたボイラン博士は、UFO研究の専門家として経歴もきちんとした人物です。

リチャード・ボイラン(1941~ )
米国カリフォルニア州サクラメント市 カリフォルニア州立大学博士
カリフォルニア州立大学教授 カリフォルニア大学教授  チャップマン大学教授  心理学博士 行動科学
臨床心理学 UFO政治学 UFO政策学 Abduction学 ETI科学 ETI種族学 UFO情報公開学
1989年以降 オリオン種族の宇宙人に遭遇し UFO宇宙船に拉致誘拐された患者さんの調査・研究に着手。
この研究成果はマサチューセッツ工科大学で、1992年に開催された「国際アブダクション研究会議」で発表された。


警告としては、木造住宅の場合は戸外で寝るようにとのこと。ただ津波が100mを超えるとなると、極めて危険です。
日本のほとんどが壊滅状態になるのは間違いありません。

24日は地上派テレビ終了の日でもあり。一部では日本終了の日とも言われています。


This is the latest report about the upcoming 9.5 Mega-Quake to strike Japan on the July 23-24-25 weekend, the energy reading at this time indicatng mostly likely during the night between Sunday and Monday,
7/24-25 (Japan time).

これは7月23日~24日-25週末に日本を打つ今度の9.5Mega-揺れに関する最新のレポートです、
エネルギーリーデイングでは、日曜日と月曜日の夜から朝にかけての確率が高いと読んでいます。
7/24-25 (Japan time).

Since the upcoming July 23 Quake will be 6 times as strong, even larger waves may be expected, and may travel farther inland.

今度の7月23日の地震は6倍強くなるので、さらに大きい波は、予想されて、内陸をより遠くに伝わるかもしれません。

Thus, in addition to staying out of places subject to failure in the earthquake, north Honshu residents would do well to stay away from low-lying coastal areas that weekend.

したがって、地震における失敗を条件として場所の外にいることに加えて、北の本州の居住者は、その週末に低い沿岸地域から離れることがよいでしょう。 以上

                                  宇宙の法則研究会
                                      渡邊延朗
                                  ◎フォトン・ベルト レポートより



☆わたしのハイアーセルフ並びに守護の神霊たちは、このボイラン博士の情報は正しくないと伝えております。
壊滅的な地震と大津波が起こると予想される時期は、7月ではありません。
ですから、明日明後日は大丈夫だと思いますが、皆さんにはとりあえずこのような情報があったことを、お伝えしておきます。



☆ 予言は変わり得るもの ☆



天変地変や終末の予言が当たらないことが多いのは、それが起こる時期の解釈が正しくない場合があることと、公表するとそれが変わってしまう場合があるからです。
なぜだかわかりませんが、そういう仕組みがあるようです。
次女は予知夢などにおいて、その体験をしており、その夢の内容を人に言ったことは実際に起こらなかったけれども、言わなかったことは必ず実現していると言っています。

ですから、悪い予言の場合は、なるだけ多くの人に話しておくほうがよいのです。そうすると、それは起こらなくなる可能性が大になるからです。



☆ アセンション後のようすは誰にもわからない ☆



アセンションへのプロセスは、人によって異なります。
感じ方も皆ちがうし、時期も同じであるとは限りません。
アセンション後、すべてが光かがやいて見えるかもしれませんし、あまり以前と変わらないように見えるかもしれません。

アセンション後について、いろんな人がいろんなことを本に書いていますが、あまり気に留めないことです。
ほんとうのところは、誰にもわからないことなのですから。
(書いてある通りにならなかったからと言って、落ち込まないように!)

そして、たとえわかっていても、今伝えることは、禁じられています。
それが正しいかどうかは、その人の意識レベルやその人の真実によって異なるからです。

わたしがこのブログを立ち上げたのは、すべての「思いの制限をひらく」ためでした。
ですから、これまでの記事を参考にしていただき、けっして「制限されない自由な発想」をもって生きていっていただきたいと思います。
それが、わたしの切なる「願い」です。

このブログにも、コメントや質問や感想などで多くの人が参加してくださいました。
質問のお答えなどでは、満足がいかない人たちもおられたかもしれませんが、
その点は「赦しの祈り」によって、どうかお赦しいただければ幸いです。

これから、もっと皆さんの質問にお答えしていきたいと思っていたのですが、どうやらこのブログも最終のときが近づいてきたように思います。
でも、それを、けっして悲観的にとらえないようにしてくださいね。
とりあえず、「人生の指南書 第一巻」(初級から中級までくらい?)は終了ということです。
これが早く終了しないことには、「第二巻」へと進めませんから。(笑)
(過去記事 「夢の世界」からの卒業 を再度お読みください )

ですから、この「思いの制限をひらく」というタイトルのブログが終了しても、また「光の仕事人」の別のタイトルのブログが生まれる可能性があるということです。
わたしとしては、記事の内容を一段進めたいのですが、それを読んでいただくには、皆さんがこのブログに書かれた内容をすべて把握し、吸収され、卒業されることが必要です。
そうでなければ、きっとそのブログを見つけることは難しいでしょう。
あなたの波動(周波数)が、自分の意識レベルに必要かつふさわしい記事へと導くからです。


☆ 危機のなかでも希望を忘れないこと ☆



★「たとえ明日、世界が滅亡しようとも今日私はリンゴの木を植える」という言葉がありますね。
(マルチン・ルターの言葉という説もありますが、ほんとうは誰が言ったのかわかりません)

死は、人生の終末ではない、
生涯の完成である。

希望は、強い勇気であり、
新たな意志である。

たとえ世界が明日終わりであっても、
私はリンゴの樹を植える。



皆さん、
土を耕しましょう。
豊かな土壌をつくりましょう。


たとえ明日地球が滅びようとも、
今日、大いなる希望を託し、
心を尽くして、
よき種を播きましょう。


生を深刻にとらないこと

2011年07月26日 20:18


★ 超大型地震がいつ起こっても不思議ではない ★



昨日の「7月24日―25日にかけて東北沖合で M9.5の巨大地震が起こる」という緊急報告は、その月日には「起こらない」とわかった上で、あえてお知らせしました。

先日の記事に書いた「予言は変わり得るものである」ということのほかに、つぎのふたつの理由があったからです。

まずひとつ目は「このような超大型地震がいつ起こっても不思議ではない」ということを肝に銘じていただきたかったということ。
(このままいくと、日本列島は遅かれ早かれ沈没することになるでしょう)

そして、ふたつ目は「宇宙からの声にご用心ください」ということをお伝えしておきたかったからです。

メールによりますと、ボイラン博士は「宇宙存在からのメッセージを受けた」ということでした。
宇宙存在」って、いったい何でしょうか?
Star Visitors (恒星訪問者)」のことでしょうか?

(皆さん、「宇宙存在」にも、個人意識から集合意識までピンからキリまであるのです。「異星人」と言っても、善良なる異星人もいれば、悪質な異星人もいるし、どこの星に行っても、ポジティブとネガティブ、意識の高低があるということです)

ボイラン博士がメッセージを受けたと言うStar Visitorsについて追究するつもりはありませんが、地震が起こる期日が指定されている場合の予言が当たる確率は低いと言ってよいかもしれません。
(予測やビジョンを地球の時間と一致させるのは難しい)


★ 「見えない存在」からのメッセージを
          信じやすいあなたへ ★



昔から「見えない存在」からのメッセージはたくさんありましたが、特に最近は異星人からの内容が多いように思います。

これは、わたしの体験から感じていることですが、異星人というのはたいてい最初から自分の身元をきちんと明かそうとはしないようです。
(異星人を名乗る地球人の死霊だったりする場合もあります)

その存在がポジティブであるか、ネガティブであるかは、波動でわかりますが、波動がポジティブだからと言って、その存在が伝えようとしている内容が信頼できるものであるかどうかということはまったく別です。

ですから、皆さんがもしチャネリングなどで異星人からのメッセージを受けとられた場合は、鵜呑みをせずに疑ってかかることが大切です。
まちがっても、「自分は異星人とコンタクトしている。すごい!」と、優越感を覚えたり、自身を過大評価したりしないようにしてくださいね。
まんまと騙されていると感じられるチャネラーの著書がたくさん出回っていますが、ホント内容がお粗末です。「真実の書」が「不実の書」になっていたりします。(笑)

多くの霊能者やチャネラーは、ある意味気の毒です。

★まず霊能者の多くは、自分の見たことしか信じない傾向にあります。
実際に自分の目にはビジョン(幻影)が見えているので、それを過信してしまうのです。ですから、他の諸々の勉強を怠りがちとなります。
霊能者が驚くほど物事を知らなかったり、真のスピリチュアルを知らなかったりするのは、自己過信が主な理由です。

何かしらわけのわからない存在がいろいろと教えてくれたりするため、それを鵜呑みにし、それで事足りてしまうのです。
そのため、自己練磨の必要性を感じなくなるので、魂が向上することはありません。
悟りがベースにない霊能は非常に低いレベルにあり、見えたり聞こえたりするのは、すべて低級霊からのコンタクトです。それは、むしろ有害であるだけです。
そして、霊能者の特徴のひとつとして、他人の表面的なことはわかっても、深いところまではわからないし、第一自分のこととなるとさっぱりわからないということです。(そりゃ、そうでしょう。自己探究なんて、する気がないんですから)
これは、カウンセラーにも言えることですが。

★「チャネラー」の場合は、自分のなかに「何かの存在」が入って話をするわけですが、当の本人は「何をしゃべったのか、さっぱりわからない」というのがほとんどです。
傍でそのメッセージを聞いた人から聞く、あるいはテープに録音して、後から聞くしか手がありません。

たとえば、世界的に有名な「シルバーバーチ」の霊言というのがあります。(以前に話したかもしれません)
膨大なメッセージが残っていますが、わたしが読んだ限りでは、「これ、ほんとうにシルバーバーチのことば?」と思われる内容が多々あったように記憶しています。
「なんか変だな」と思った時は、ペンジュラムをその文面にかざしてみますが、たいていその箇所は左に回り、「ちがうよ」と教えてくれます。

何しろ「見えない存在」であるため、途中で入れ替わっていても、一般の人間にはわからないという危険性があります。
いつも「品格のあることば」を使っている存在が、急に「品性のないことば」で「魂に響かない奥のない内容」を話すようになったら、要注意ということです。
長年同じ存在をチャネリングしている人なら、文章化されたものを見たらわかりそうなものですが、残念なことにそれさえ気づかないのです。

以前にも語ったことがありますが、メッセージの内容は、受け取った人や翻訳者の意識レベルによってもかなり左右されます。
霊言シリーズなどは、たいてい同じ訳者が担当しているので、訳す人も最初と比べて、途中でちがってきている(劣化してきている)ことはわかるはずなのですが…。

また、チャネラー自体の意識レベルが低下すれば、やってくる者も異なってきて当然ですね。
しかし、そういうことは検証されないままで、つぎつぎと出版されています。
ですから、読む側は感性を研ぎ澄ませて、そのちがいをしっかりと見極めるよう努めることが肝要です。

とにかく「宇宙の存在」にしても、次元の異なった「霊人」にしても、彼らの言うことを信じるのは、「ほどほどにしておきましょう」ということです。
以前にも書きましたが、参考程度にしておくことですね。


★ あるがままを受容する ★



★わたしは、その人の意識レベルが高くなればなるほど、目に見えない存在に頼ろうとはしなくなるし、霊能力なども必要としなくなるというのが、ほんとうだと思っています。

通常わたしたちの目に「見えないもの」や耳に「聞こえないもの」が見えたり聞こえたりしたとしても、それらは今わたしたちが見たり聞いたりしているものと同様、すべて幻影なのです。
そして、地球の人たちに「ああだ、こうだ」といろんなメッセージを送ってくる地球外の存在たちも、やはり幻影のなかで生きている者たちなのです。

意識が個人から普遍的意識へと変容していくにつれ、そんな幻影のことなど、どうでもよくなってくるのです。
無関心になっていくというか、あまり気にならなくなるんですね。
世界はあなたがたが望むとおりになるだけよ。皆さん、ご随意に」という感じです。(笑)
まさに「あるがまま」を受容した状態です。

★この「あるがまま」は、けっしてネガティブな志向なのではなく、とてもポジティブな志向です。
このポジティブさは、「何であろうと起こることは正しいことなのだ」というすべての真実に対する大いなる理解と、すべてのものを祝福に変える受容なのです。

つまり、「あるがまま」とは、あなたがその状態を気に入ろうと気に入るまいと、「それは起こるべくして起こっているのだ」ということを理解し、それとともに人生を歩んでいくということなのです。

「恐れ」があれば、エネルギーは滞ります。
エネルギーは滞ることなく、川の流れのようにつねに流れていなければなりません。
自己を制限するあらゆる古い恐れを燃やし尽くし、何であれ「起こることと一緒にエネルギー的に流れていく〈動いていく〉」ことです。
それが「あるがままに」、「流れとともに動いていく」ということなのです。


ネガティブなこともポジティブなことも、両極体験しなければ、真ん中というものはわからないし、天国も地獄も、どちらも知っておくことは大切です。片方ばかり体験していても、悟ることはできません。
悟りとは、全体であるからです。
また、いちいちこれから起こってくることを心配したところでどうにもならないし、すべて体験学習なのだから、何でも恐れないでたくさん体験してくださいよということです。
宇宙の源である〈大いなる意識&意志エネルギー〉は、たくさんの体験をして帰ってくる魂を待っているのです。

「私は生涯同じ場所に座って静かに瞑想していました」というのでは、全然面白くありませんね。
わたしが創造主なら、「山あり谷あり、一瞬一瞬が冒険だらけで、もう無我夢中で生きてきました」という人の話のほうを断然聞きたいです。(笑)

創造主は今までにない面白い土産話を待ち望んでいるのです。
創造主はそのために生きつづけて(存在しつづけて)いるのですから。


生はひとつの〈夢〉、
ひとつの〈遊び〉です。

生を深刻にとらないこと
生を楽しむこと。

まさしく世界は神の遊戯場。
リーラ…。



リーラ
           リーラ  撮影 長女

わたしが〈リーラ〉と名づけた黒猫のベイビーは、とてもその名が気に入っているとのこと。
その名の通り、遊ぶことが大好きなリーラちゃんです。



出会えた奇跡に感謝

2011年07月29日 09:12



最近、眠くないですか?
わたしはというと、うちの猫たち同様、時間さえあれば眠っています。
どうもあちらの世界のほうがいいみたいですね~。(笑)

わたしは本来一般人よりも睡眠時間が多いほうだったのですが、朝早く(たいてい4時くらいですが、3時のときも))幾度もニャンコに起こされ、なかなか睡眠がとれない状態がここ3年間余り続いていて、一度ゆっくりと眠らせてほしいと思っておりました。
最近はそれを取り戻すかのように、昼間でもよく眠っております。(笑)

だんだんこちらの世界でやることがなくなってきたせいでしょうか?
まだいろんなことをしたい気持ちは残っているのですが、どちらかというとあちらの世界のほうが好きなようで、つい睡眠のほうを選択してしまう今日この頃です。(笑)

猫は一日の4分の3くらいは眠っています。
こちらの世界よりあちらの世界の方が圧倒的に多い生き物です。
いったいどこに行っているのかと、とても興味が湧きますね。
もしかしたら、もうアセンション後の地球に行っているのかもしれませんね。


       ねんね
         ねんねするミッチェル 撮影 光の仕事人



★ 迷える羊さんのために ★



人の子(イエスのこと)は、滅びる者を救うためにきたのである
イエスはそう言いました。
そして、つぎのように語っています。

あなたがたはどう思うか。
ある人に百匹の羊があり、その中の一匹が迷い出たとすれば、
九十九匹を山に残しておいて、
その迷い出ている羊を捜しに出かけないであろうか。

もしそれを見つけたなら、よく聞きなさい、
迷わないでいる九十九匹のためよりも、
むしろその一匹のために喜ぶであろう。

そのように、これらの小さい者のひとりが滅びることは、
天にいますあなたがたの父のみこころではない。
                 マタイによる福音書 第18章より



今現在このブログの読者さんで、気になっている人たちがおられます。
上記に登場する「迷える羊」さんのような人たちです。

皆さんには、このブログが終了真近であることをお伝えしており、現に7月末で終える予定でした。
つぎの段階のための準備をしたかったからです。
けれども、気になっている人たちがまだ残っていて、まだ伝えたいことがたくさんある気がするのに、ほんとうにこれで終了してもいいのか? という問いが、このところ繰り返し出てきておりました。

前回書いていた「人生の指南書 第二巻」のアイデアは、「第一巻」を卒業した人に読んでもらいたいと思っている内容です。
しかし、それは、もしかしたら、アセンションしたあとのブログになってしまう可能性も大なのです。
もし皆さんが地球とともに次元上昇する選択をされなければ、もうお目にかかることはありません。

そこで、昨夜自分に納得いくまで問うてみました。
そうしたら、わたしの魂が「もう少し、このブログをつづけたい」と切望していることがわかったのです。

わたしの記事で、さらに今まで気づかなかったことに気づいてもらえたら…。
これまでその人を縛っていた「思いの制限」を真に解き放ってもらえたら…。
そのためにくり返しメッセージを伝えていくことが、今のわたしには一番満足のいく「この世での仕事」であると、再確認したのです。

今も迷っている羊さんたち。
もしくは、「迷っている」ことに気づいて、羊飼いのところへ戻りたいと思ってはいるけれど、どこかに迷い込んで帰れなくなってしまっている羊さんを救出したい。
とりあえずは、光の扉の入口までは誘(いざな)いたい。
イエスが語った「羊飼い」さながらの心境です。
さしでがましいことかもしれませんが。

それで、「ブログをもう少しつづけていくこと」について、ハイアーセルフや守護の神霊に確認をとりました。
果たして、いずれもOKでした。
たとえ万が一反対されても、やる気でいましたが。(笑)
ハイアーセルフがNOを言うはずがありません。
その内容が、人々の魂の救済にあるのであれば、なおさらです。

というよりも、本気でやりたいと思っていることを阻止するなんてことは、誰にもできません。
神さまはいつでも「あなたの好きなようにしなさい」、「あなたの本心に従いなさい」、「ご随意に」と言うはずです。

阻止するのは、当の本人のみです。
誰かに言われて変えるのではありません。
したいことの優先順位を変えるのは、自分自身です。

「こうあるべきだ」という思い込みから自由になって、ただ自分の意志と情熱に従えばいいのです。

あなたは、「私はもっと情熱を感じなければいけない」とか、「もっと思いの制限をひらかなければならない」と思ってはいませんか?
それこそ、自分を制限している証拠ですよ。
「~せねばならない」はすべて取り外しましょう。
そして、「~したいからする」に切り替えましょう。

ブログを書きたいから書く。つづけたいからつづける。
(もう十分だと思えば、やめます)

それは自分自身の学びです。
過去記事にも書きました。
「教えることは学ぶこと」と。
自分が知り得たこと、伝えたいことを、書きつづけていくこと。
皆さんが気づいていかれる中で、自分自身もさらに気づいていく。
それを心から楽しみたいと思います。



★ 出会えた奇跡に感謝 ★



平原綾香さんの歌「Jupiter」を聴くと、わたしはいつも胸が熱くなります。

今日は、迷える羊さんへ、
そして、ブログを通して出会えた多くの皆さんに、
下記の歌をお贈りしたいと思います。

この歌を聞きたいときはCD、もしくは You Tube 「Jupiter-平原綾香」を検索して聞いてくださいね。

目を閉じて、
ハートをひらいて、
全身で、
この歌を聞いてみてください。
魂がふるえるのを感じてみてください。

   

  Every day I listen to my heart
     ひとりじゃない
  深い胸の奥で つながってる
  果てしない時を越えて 輝く星が
  出会えた奇跡 教えてくれる

  (中略)
  夢を失うよりも 悲しいことは
  自分を信じて あげられないこと

  (中略)  
  愛を学ぶために 孤独があるなら
  意味のないことなど 起こりはしない

  (中略)  
  私を呼んだなら どこへでも行くわ
  あなたのその涙 私のものに

  
  平原綾香 / Jupiter より一部抜粋
  (作詞: 吉元由美  作曲: G.Holst )




  あなたがたに出会えた奇跡に感謝します。
         ありがとう。

  あなたがたに、たくさんの愛と感謝、
      そして光を贈ります。



責任転嫁をするのはもうやめよう!

2011年07月31日 12:41


前回このブログを続けていくことを表明しましたところ、たくさんの方が喜びの声を届けてくださいました。ありがとうございました。
(「羊飼いの元へ戻りたい迷える羊より」と称してメールをくださった方もいらっしゃいました)
更新を楽しみに待つ人がひとりでも存在するなら、ネットでつながっていられる限り、書きつづけたいと思います。

来月からは、これまでに皆さんから寄せられたアンケートを読み返し、「取り上げてほしい内容」や「質問」など、皆さんにも参考になって有益となるテーマがあれば、記事にしていくつもりでおります。
この時期、どうしても知っておきたいと思われる内容がありましたら、ぜひアンケートに記入してお送りください。

今日は7月最後の新月です。
何か真剣に祈れば、願い事がかなうかもしれませんよ。



あさがお
    7月の花 朝顔  撮影 光の仕事人



さて、今日のテーマは原発に関連したお話です。
放射能汚染牛の賠償責任を、東電に求める声が日ごとに増えていっていますね。
下記は最近の新聞記事です。
内容はすでにご存じだとは思いますが、再度お読みください。


★ 「悪いのは東電」 謝罪する牛肥育農家に仲間が声 ★

 「消費者にも近隣にも、みんなに迷惑をかけてしまった。コメもダメ、野菜もダメ。今度は牛もダメって一体どうすればいいんだ。ここにいる牛、みんなダメなんか」。
 出荷した肉用牛から暫定規制値を超える放射性セシウムが検出された、福島県南相馬市原町区の肥育農家の男性(69)はそう言って、丸まると太った150頭の牛を見渡した。男性の妻は涙を浮かべて謝罪の言葉を繰り返した。
 男性によると、牛に与えていた餌には、昨年10月に収穫し乾燥させた稲わらのほか、輸入した乾燥わら、配合飼料などを利用。屋根付きの牛舎は、牛が雨にぬれにくく、体表を調べた出荷前のスクリーニング検査では、どの牛からも放射性物質は検出されなかった。牛に飲ませている地下8~10メートルの井戸水が問題なのか。でも、「この辺の住民はみんな飲んでいる。どうすればいいんだ」。
 放射性セシウムが検出されたことを知り、近所の肥育農家約10人が朝から男性宅に集まった。「申し訳ない」と頭を下げる男性に仲間が声をかけた。「あんたが悪いんじゃない。悪いのは東京電力だ
(2011年7月10日13時32分 読売新聞)


★ 「費用は東電に賠償請求」の記事より ★
 
 
 農林水産省は26日、高濃度の放射性セシウムを含む稲わらを食べた牛の問題で、既に流通しており国の暫定規制値(1キロ当たり500ベクレル)を超える肉は民間の食肉流通団体が買い取り、超えていないが出荷制限などで停滞している肉は各業者が冷凍保管する緊急対応策を発表した。買い取りや保管にかかる費用は団体が立て替え、まとめて東京電力に損害賠償請求する。

 農水省は当初、汚染牛肉を国として買い取ることも検討していたが、東電の責任を明確化させるため、国が直接関与しないことにした。対応策には10億~20億円程度が必要とみており、費用は団体が金融機関から融資を受けて業者に支給。利子は独立行政法人農畜産業振興機構(ALIC)が補給する。

 冷凍保管は半年程度を想定し、その時点で肉が売れないと判断された場合は処分し、代金を東電に請求する。食肉処理段階で規制値を超えたことが分かった肉は市場に出回らないとして、買い取り対象にはしない方針。
 また、出荷制限や牛の値下がりで資金繰りが悪化している肉牛農家には、業界団体が3カ月分の飼料代として1頭当たり5万円を支給。団体がその原資を金融機関から借りる際は、利子分をALICが助成する。

 既存の補助金も交付回数を増やすなど、経営支援を強化。汚染の影響で不足している稲わらや牧草は農協などが費用を肩代わりして調達し、農家に供給。その費用も東電に賠償請求する。 【佐藤浩】
(2011年7月26日 20時25分 毎日新聞 )


★ 悪いのは、ほんとうに東電なのか? ★



上記のふたつの記事を読まれて、あなたはどのようにお感じになったでしょうか?
その責任の根源が東電保有の原発事故に由来することは、まちがいないでしょう。
しかし、何もかもが東電の責任なのでしょうか?

原発事故発生によって、放射性物質は海にも畑にも、あらゆるところに飛散しました。
農作物の次は牛。
牛肉の放射性セシウム汚染は福島県につづいて宮城県にも広がり、28日には出荷停止指示が出されました。

畜産農家に言わせると、出荷前の肉牛は、ぎりぎりまで太らせていて、「人間でいえば、生活習慣病の一歩手前」なのだそうです。
肉牛は栄養価の高い配合飼料を与えて脂を蓄えさせ、出荷直前はうま味を高める最終段階なので、出荷の機を逃すと牛が体調を崩して病気になり、死んでしまうリスクがあるというのです。
(お肉大好きの消費者に対して、そこまでしているとは…。可哀そうな牛たち)

今回は農家が牛に与えた藁(わら)が問題でしたが、放射能汚染は静岡県の茶葉にまで影響を与えていたことは、すでに周知のことだったはずです。
静岡県にまで影響があるのですから、福島原発の周辺地域で汚染があるのは当然でしょう。
それなのに、農家はエサとして汚染された藁を食べさせ、その牛は流通前検査をすり抜けて市場に流通していたのです。

農家の人たちは、藁が汚染されているかもしれないという疑問をまったく持たなかったのでしょうか? 

何の疑問も感じていなかったのなら、あまりにも愚かです。
また、うすうす知っていて、与えていたのなら、ひどい悪人です。
その責任を東電になすりつけようとしているわけですから。

そして、政府(関係省庁)は、畜産農家の藁に対しても当然汚染が発生しているということを推測できなかったのでしょうか?

推測さえできなかったのだとしたら、あまりにも愚かです。
また、知っていて、藁に対しての制限を農家に指示せず、出荷制限もおこなっていなかったのなら、ひどい悪人です。
自分たちの責任を東電になすりつけようとしているわけですから。


★ わたしたちに責任はないのか? ★



放射性物質飛散の元々の原因は、東京電力保有の原発が震災に遭ったからです。
それに追い打ちを加え、大打撃を与えたのは、大津波でした。

しかし、その後に生じたさまざまな問題は、東電だけのせいではないはずです。
原発を推進してきた政府、原発を受け容れてきた地域住民、何も知らずに電気を使っている日本国民、わたしたちそれぞれに責任はあるのです。

何でもかんでも、東電のせいにして、賠償金を求めるのはまちがっているのではありませんか?
こんなことになったのは原発のせいだと思うのであれば、「原発反対!」、「原発を早く止めて!」と請求するほうが先でしょう。

7月26日の段階では、汚染された疑いのある稲わらを食べ、出荷された肉牛は計2906頭。買い取りの対象になるのは、市場に流通後、放射性物質を検査した274頭のうち、規制値を超える同セシウムが検出された23頭で、焼却処分されるということでした。

可哀そうなのは、人間の食べ物として、病気になる寸前まで太らされている牛たちです。
畜産農家は、ここまでして肉牛を売りたいのでしょうか?
人間は、ここまでしてもらって美味しい牛肉を食べたいのでしょうか? 
(過去記事「小食は地球を救うーその3 肉食を半減させよう!」「小食は地球を救うーその5 少しでも地球に貢献するために」参照)

この一連の流れを、あなたはどう思いますか?


★ なぜその地域ばかりに災難がふりかかるのか? ★



気象庁によりますと、新潟県と福島県では湿った空気と上空の寒気の影響で29日から30日の朝にかけて大気の状態が非常に不安定になり、断続的に1時間に80ミリ以上の猛烈な雨が降りました。
今月27日の降り始めからの雨量は多いところで1000ミリを超え、7年前、平成16年7月の「新潟・福島豪雨」を上回る、記録的な豪雨となったようです。
そして、31日午前4時前、福島県沖で地震があり、福島県楢葉町と川内村で震度5強の揺れを観測しています。(この地震による津波はありませんでした)

新潟も過去から地震、豪雪、豪雨など、いろいろと災害が多い地域ですね。
皆さんは、なぜ同じ場所に集中して災害が起こるのだろうと疑問に思われたことはありませんか?

もちろん、原因がそれなりにあって結果があるわけですが、集中して災難が降り注いでいるのは、「それだけ問題が蓄積されていますよ。気づいてくださいよ」というメッセージなのです。
それなのに、何も気づくこともなく、同じ過ちを何度も何度も繰り返しているため、「これでもか、これでもか」と気づきのための鉄拳が振り下ろされているわけです。
これは、ただの自然災害なのではなく、人間に対するメッセージなのです。

今回の原発事故の一連の経過と、その周辺で起こっている人間たちの言動を見ていますと、いつまで経っても解決ができない(終わりが見えない)のは当然だと思います。
自分たちの目先の生活のことばかりで、何にもわかってはいないのですから。
人間の愚かさをつくづくと感じさせられます。


★ 地球(ガイア)のことを思い出そう! ★



地球をひとつの身体だと考えてみてください。
この地球上に存在しているすべてのものは、「ガイア」という名の地球意識の一部なのです。

ガイアには、第1密度のレベル(鉱物界)、第2密度のレベル(植物界)、第3密度のレベル(動物界・人間界)があります。
現在は第4波動レベルの意識にめざめ、人類とともにその意識レベルへと移行しようとしています。
(つまり、巷で言うところの5次元にアセンションするということです)

しかし、ガイアと人類が一緒に変革をしていくことは、今や困難となっています。

もしわたしたち人間が、エゴがつくり出す各々の問題を克服しようと努力し、前向きに自己変革の道に進んでいたのであれば……
そして、ガイアがさまざまな障害を経験することなく、この変革を乗り越えようとしたのであれば、両者は調和し、一体となることができ、変革は容易なものとなっていたでしょう。

しかし、人間たちは自分たちが住んでいる地球のことを顧みることはなく、ガイアの気持ちなど考えようともしませんでした。
自分とガイアを完全に切り離してしまっていたのです。
ガイアからすれば、人間から見放されてしまったと、感情的にとても悲しくなったことでしょう。
もはや癒すことが困難な状態が生じてしまったわけです。

人間たちによって壊され、汚された大地。それは、ガイアの身体なのです。
もはや悪性のガン細胞で冒された身体をもつガイアは最悪状態です。
自分で癒し、浄化しなければ、つぎの波動レベルにいけないのです。

そうしたガイアの気持ちがわかりますか?
ガイアは何らかのかたちで、わたしたちにメッセージを伝えようとします。
そして、バランスを取り戻すために、何らかのエネルギーを放出するのです。
それが異常気象、天変地異というかたちで起こってくるわけです。

人類が自然を大切にし、自然とともに生きていれば、天変地異など起こる必要はないのです。
わたしたちの社会がガイアをどんどん隔絶してしまうとき、つまり自然を破壊し、地球を汚染してしまう生活を営んでいるときは、天変地異が必要となるということです。

今回の変革が完璧におこなわれるためには、わたしたちがガイアと結びつき、一体となることが肝要です。
わたしたちが地球を思い出し、ガイアとともに生きていることに気づけば、ガイアも人類から見放されたという感覚を払うことができるはずです。

今、わたしたちとガイアとのあいだに生じているとてつもなく大きなギャップ。
それを、どうしたら縮めることができるのでしょうか?

もう手遅れだと思われるかもしれませんが、まだできることはあるのです。

それはまず「あなた自身が自分の感情を癒すということ」です。

そして、自分のエゴに直面すること。
ネガティブな考え、態度(生き方)を見直すこと。
自分自身の心の平安を達成すること。
自分に対して罪悪感をもたないこと。
ガイアとつながること。
ガイアに対する新しい視点をもって生きること。

そして、最後にわたしたちができること。
それは、「ガイアに向かって、わたしたちのほうから手をさしのべるということ」です。
自然のなかを散歩しながら、ガイアを全身で感じることです。

天変地異はわたしたちへのメッセージ。
責任はすべてわたしたちにあります。



ごめんなさい、ガイア。
ゆるしてください、ガイア。
ありがとう、ガイア。
愛してる、ガイア。

わたしはあなたとともに
この大きな変革を果たしたい。

あなたを思い出してくれる人、
あなたを愛してくれている人は
きっとたくさんいますよ。

自分の感情を癒す試みをする人が
これからも増えていきますように。




豊かさを得るために―意識のスペースを広げよう!

2011年08月04日 11:55


★あなたの「意識のスペース」は十分にありますか?★



これまでの記事をお読みくださっている人は、何度も繰り返してお伝えしてきていることなので、耳にタコができている(笑)ことと思いますが、わたしたちの意識というのは、社会(親や教師やおとなたち)から条件付けをされた状態で、いろいろな恐れや観念でがんじがらめになっています。

他者よりも、少しは意識が広いと思っているかもしれない、あなた。
でも、そこに何か要らない物がいっぱい詰まってはいませんか?
必要としていないものばかりが、ぎっしりと詰まっているのなら、たとえ意識が広いと思っていても、それは何の意味もないのです。堪忍袋と同じですね。
(過去記事 カルマの「断捨離」を実行しよう!―「堪忍袋を殻にする」参照)

あなたは、何か新しいものを創ろうとするとき、あるいは、新しいことをするとき、疲れてしまったりしませんか?
まず新しいものを取り入れるということは、これまでよりも意識のスペースを広げなければならないし、(周囲の批判と言ったような)新たな障害を乗り越えていかなければなりません。

自分の意識を狭めてしまって(思いを制限してしまって)、どこにも移動ができない状態となっている人、四方八方厚い壁で覆われた狭い部屋に閉じこもっているような状態の人もいるでしょう。
この壁は、さまざまな観念や恐れによって作られていて、それがあるために自由に動くことができないでいるわけです。

★このスペースというのは、「拡大した意識の状態」を言っています。
理想的な状態というのは、その人の周りに、何も入っていないたくさんのスペース(空間)があることです。
スペースがたくさんあると、新しい経験があなたのところにたくさんやってくることができます。
しかし、不必要なものがごちゃごちゃに詰まっている場合は、新しい経験を自分のところに持ってきて、自分のものとすることは難しいのです。


★では、どうしたら、スペースを広げていくことができるのでしょうか?

賢明なあなたなら、もうおわかりですよね。

あなたのなかにある不必要なゴミを取り除くこと。
精神の断捨離を実行するということです。
 

皆さんは、一時的にスペースを広げることはできるでしょう。
でも、結局自分の観念や恐れを変えないので、またすぐにそのスペースは狭くなり、縮小されてしまうのです。
ゴミを捨て去って、一旦スペースを作り出せたなら、そのスペースにまた何か不必要な物を溜め込まないことが肝要です。
そのスペースは、常に空いた状態にしておくことが必要なのです。


スペースを創り出す能力は、豊かさを創る能力と比例する」ということを覚えておいてください。


★あなたが今どのような状態にあるのか、どこにブロックがあるか、自分で確かめることができる瞑想があるので、今回はそれをお伝えしようと思います。
これは、リサ・ロイヤル氏が1994年に東京でおこなわれたセミナーの際に使用された瞑想のひとつで、わたしはときどき思い出してはこのエクササイズをやっています。(楽しいですよ)
すばらしいエクササイズだと思いますので、ぜひお試しください。

では、瞑想に入りましょう。


★ 意識のスペースを広げるための瞑想 ★



☆リラックスして、何回か深呼吸をし、目を閉じます。
金色にかがやく白い光で、あなたの身体がつつまれているのをイメージしてください。
(さらに深呼吸をつづけます)
身体がどんどんリラックスしていくのを感じてください。

☆あなたをとり囲んでいる白い光が、四角い箱のかたちになっていくのを感じてください。
あなたのまわりに4つの壁と天井と床があるのを感じます。
(この4つの壁と天井と床が、あなたにとって、自然なかたちで形成されていきます)
あなたは、この箱のなかにいて、宇宙空間のなかを漂い始めます。

☆この箱のなかで、まず左側の壁を見てください。
そこに手を当ててください。
あなたのハートから、グリーンの光線(ハートのチャクラの色)が出てきます。
その光線が左の壁に当たります。
光線とともに、左側の壁を手で押すと、その壁が宇宙空間に向かって広がっていきます。

その壁が広がっていくにつれて、あなたは安らぎと広がりを感じていきます。

☆今度は右側にある壁を見てください。
その壁に手を触れて、ハートからグリーンの光線を送ってください。
その壁を思いっきり宇宙空間に押し広げてください。

その壁が広がっていくにつれて、あなたは安らぎと広がりを感じていきます。

☆今度は後ろ側にある壁に向かってください。
その壁に手を当てて、ハートから出るグリーンの光線を同時に放射してください。
宇宙空間に向けて、思いっきり押し広げてください。
そして、宇宙空間を漂ってください。

壁が広がるにつれて、あなたは解放感に満たされ、広がりを感じます。

☆では、今度は目の前にある壁に向かってください。
その壁に手を当てて、ハートから出るグリーンの光線を同時に放射してください。
宇宙空間に向けて、思いっきり押し広げてください。
そして、宇宙空間を漂ってください。

壁が広がっていくにつれて、あなたは心の解放と広がりを感じます。

☆今度は頭の上にある壁に手を当ててください。
あなたの頭の上から紫色の光線を出して、その壁に放射してください。
この光線と両手を使って、それを宇宙空間に思いっきり押し広げてください。
それが遠くまで飛んでいくのを感じてください。

あなたは心の解放と広がりを感じます。

では、最後の壁です。それはあなたの足の下にあります。
1から3まで数を数えながら、足の筋肉を使って、この床を下に押し広げます。
(まだ数えませんよ)
足の裏から白い光線を出して、床に向かって放射します。
宇宙があなたをサポートしてくれると信じておこないます。
では、数えます。1、2、3!  
思いっきり床をけとばします。
(もし、壁が抵抗して動かないようであれば、さらに何度も試みます)

やがて、床も遠くへと飛んでいきます。
あなたは宇宙にサポートされた状態で、この時間と空間のスペースのなかに漂っています。
どこかにあなたを囲んでいた壁や天井があるのですが、今それは遠くに行ってしまい、見ることはできません。
あなたは安心感を得ることができるでしょう。


☆あなたのハートからたくさんのグリーンの光線が出るのを感じてください。
これは、あなたのハートから出て、まるでさなぎを囲むマユのようにあなたの身体をとり囲んでいきます。
このグリーンのさなぎがどんどん大きくなっていきます。
さらにそれが拡大されていくと、もうその境界線を見ることはできなくなります。
このグリーンの光は、電磁気を帯びた可能性のエネルギーです。
これが、今あなたの空間を満たしています。

これは可能性のエネルギーなのです。
これを使って、あなたは何でも創り出すことができます。

あなたが何でも創り出すことができる状態。それが豊かさです。
これが、あなたの存在のもっとも自然な、自由で制限のない状態です。
そして、完全に宇宙と結びついた状態です。


この感覚を楽しんでください。
この感覚を、あなたは自分の物理的な日常生活のなかに導入していくことができます。
そして、一旦この感覚を習得すると物理次元の生活のなかでそれを創り出すことがとても簡単になります。


☆さあ、あなたの意識をゆっくりと自分の部屋に戻しましょう。
この感覚をもったままで、意識を戻してください。
意識を戻していくとき、この物理次元のこの部屋も、グリーンのエネルギーで満たされていると感じてください。
エネルギーを自分から放射しているのを、感じてください。
まるで、そのなかに泳ぐことができる液体のような感じがします。

では、十分に意識を部屋に戻してください。
準備ができたら、目を開けてください。

★    ★    ★    ★    ★    ★    ★    ★    ★    ★ 
 

どうでしたか?
左の壁、右の壁、前後の壁、上下の壁、どの壁も簡単に押し広げることができたでしょうか?
それとも、どこかの壁が動きにくかったでしょうか?

左、右、前、後ろ、上、下、それぞれに意味が隠されています。
どの壁が広がらなかったか、動かなかったかで、あなたのブロックがどこにあるのか、それが何であるかを知ることができます。
潜在意識は今自分に何が起こっているかという情報やあなたのなかにどういうブロックがあるのかということを教えてくれるのです。

さて、あなたが押し広げられなかった壁はどれでしょうか?

瞑想を試みられた人は、よろしければ「アンケート」か「コメント」にて、ご自分の状態をご報告ください。
参考例として、取り上げたいと思いますので、ぜひ感想をお寄せください。
それぞれの方向に隠された意味については、まとめて次回にお答えをしたいと思います。
お楽しみに。


豊かさを得るために―自分の問題点を分析しよう!

2011年08月06日 08:35


皆さん、前回の「意識のスペースを広げるための瞑想」を実行されましたでしょうか?

更新した日に、早くも3名の方から結果報告が届きました。
大変貴重な報告なので、ここに掲載させていただくことに致しました。

まず、この方の報告です。

一回目は、一度では床が動かず2~3回挑戦しました。…帰りの電車を待っている時にブログを読みながらイメージをしてみました。リラックスというよりも、何も考えず(笑)、読みながらやったのですが、帰りの電車の中では「楽しい」気持ちになりました。
自宅に戻り、もう一度やってみました。二回目では、床がチョット重たい感じはありましたが一度で動きました。
終わった後は、心も身体も軽くなった気がします。…はたして、床は何のブロックなのでしょう?と、次に更新されるブログが待ち遠しいです♪


電車の中での瞑想は、時間をフル活用されていて、very goodですね。
手軽にできるのが、この瞑想のよいところです。

★この「床は何のブロックなのでしょう?」ということから、お答えしたいと思います。

床は足元にありますから、「大地」を表します。つまり、「地球」という意味ですね。
そして、「物理的(物質的)な現実」を表します。
この壁を遠く下方にけとばしてしまったら、足が床(地)につかなくなるのですから、とても恐いと感じる人がいるかもしれません。
下へ落ちていくかもしれないと感じた人は、おられなかったでしょうか?
「物理的な現実」がなくなってしまったら、自分をサポートしてくれるものが何もなくなってしまうと思い、恐怖を感じるわけですね。

床があまり動かなかった人は、何かを手放せないでいる、手放すのがむずかしいということ
まだまだ物質次元に執着があるということです。
大津波が来たら、何かにつかまって、助かりたいと思う人ですね。(笑)
宇宙に自分を明け渡すことができないでいる」状態が考えられます。
宇宙を信頼して、宇宙に自分を明け渡すことができないでいる人、大地、地球をけとばすことができないでいる人は、ジャンプ(5次元へのアセンション)はむずかしいでしょう。

★ジャーメイン(宇宙の集合意識)は、
『「豊かさ」ということには「信頼する」ということが深く結びついています。
ですから、豊かさを創り出すためには、何か執着していることがあったら、それを手放すということです。
そして、それを解放していくことがとても重要になってきます

と述べています。

このジャーメインの言葉は、わたしがこれまでに繰り返しお伝えしてきたことと全て重なっていますね。
ですから、あなたはもう十分に理解できていることと思います。


★つぎの方の報告です。

こういう瞑想は初めてです。少し練習が必要かもしれないと感じています。
前の壁、上の壁が動きにくいと感じました。下の壁は、2度トライしました。楽しかったです


まず、「前の壁」について、お話ししましょう。
自分の前にあるものと言えば、「未来」ですね。
前の壁」は「未来」、「将来」を表します。
この壁が動きにくいということは、将来起こることに対しての不安があるということです。
恐れもあるでしょう。
また、未来に行動を起こすということに対してプレッシャーがあり、気持ちの上でこだわりがあるということです。
「前の壁」が動きにくかった人、その点に心当たりはあるでしょうか?


★では、「上の壁・天井の壁」は、何でしょうか?

上にあるものと言えば、天上界ですね。
ですから、「上の壁」は「霊的な領域」を表します。
この「上の壁」を動かすのがむずかしい場合に考えられることは、「自分のスピリチュアル(霊的)な部分を受け容れることができない」ということ。
または、「自分のハイアーセルフ(高次の自己)をブロックしている」のではないかということです。
何度やっても、「天井の壁」が動かないときは、ハイアーセルフに対して抵抗していないかどうかを考えてみてください。


★ここで、「床の壁」、「天井の壁」、「前の壁」が出たので、「後ろの壁」についてお話ししましょう。

さて「後ろの壁」は、もう何かわかりますね。
あなたの後ろにあるもの。それは「過去」ですね。
あるいは「過去世」であるかもしれません。
この壁が動かしにくいということは、「過去を手放すことができていない」ということです。
「過去生」からの宿題(カルマ)をたくさん今生に持ち越してきて、まだ解消できていない人は、この「後ろの壁」が動かしにくいはずです。
長女は「後ろの壁」が動きにくいと言っておりましたが、この説明で非常に納得がいったようです。

これを克服することは重要で、「過去を手放すことができない」人にとっては、大きな課題となります。
「自分の意識のスペース」を広げて、「豊かさのスペース」を創り出すためには、自分の過去を手放す必要があるのです。



★残りの「左の壁」と「右の壁」についてですが、左は陰・女性性・女性エネルギーで、右は陽・男性性・男性エネルギーを表します。

女性エネルギーは「直観、受容、感情、愛、育み」などを表します。
男性エネルギーは「自信、表現、行動力、力強さ」などを表します。
これらについては、過去記事のさまざまな箇所で取り上げ、説明していますので、詳細は記事を再度お読みください。
(過去記事 「男性エネルギー」と「女性エネルギー」をバランスよく使おう! 参照)

「左側」がむずかしかった人は、女性エネルギーに対して、何か抵抗している部分があるということです。
同様に「右側」は男性エネルギーに対して何か抵抗している部分があるということです。
現実の中で、表現したり、行動したりするのが難しいということです。
男性エネルギーは実際に行動をして何かをもたらすということに直接結びついています。
豊かさを創り出すことに何らかの問題を感じている人は、「男性エネルギーの使い方に問題があるのではないか」と考えてみてください。


★瞑想の感想を送ってくださった方で、つぎのような状態だったという方がおられました。

さて、瞑想を試みてみましたところ、私の場合は次のようになりました。
なぜか、四方の壁が、ゴム状といいますか、ゲル状といいますか、
手で押すと凹むのですが、引くと元にもどるのです。
それでも、方向により、抵抗に差があって、前、右、左は、同じ位。
後ろは、それよりも軽い感じで、上下は重く感じました


このゴム状ゲル状の壁は、わたしの感覚では「つかみどころがない」といった感じです。
つまり、問題が何であるのか、固まっていないということです。
問題点が漠然としていて、見出せない状態なのかもしれません。

その点はいかがでしょうか?
これらの壁はどれくらい押し広げることができたのでしょうか?
もう少し、詳しく書いてくださるとよかったですね。


★他はとてもスムーズに飛ばせたのだけれど、「後ろの壁」だけに違和感があったという方もおられました。

ずっと遠い後方にあったはずの壁がいつの間にか近づいてきて、背中のすぐ後ろにあるような感じがするのです。手で押してみても光を放ってみても、一瞬は遠くまで押し広げられるのですが、ゴムでもついているかのようにまた戻ってきてしまいます。しょうがないからそのゴムを断ち切り、力づくで背後の壁を彼方へ投げ飛ばしました。かなりスッキリしましたよ」とありました。

ゴムでもついているかのようにまた戻ってきてしまいます」というのは、わたしもそのような感覚を味わったことがあるので、とてもよくわかります。
それが「後ろの壁」の場合は、「過去」にまだ何か解消されていないものがありますよというメッセージでしょう。カルマがまだ残っているということですね。
ですから、力づくで断ち切っても、過去のカルマが完全に浄化、消去されないと、またそういう感覚は繰り返されるのではないかと思います。


★次女にこの瞑想の実験をしてもらった結果ですが、「壁はすべて飛んだのだけれども、何かまだ壁があるような気がする」というものでした。
「壁はないはずなのに、あるような気がする」というのは、そのまま解釈するとわかります。
本当はないのに、あると思い込んでいるだけなんじゃない?」と言ったら、次女は「そうだ! それだ」と非常に腑に落ちたようでした。
つまり、「自分で勝手に問題があると思い込んでいるだけ」ということです。とても面白いですね。


★最後に、すばらしい体験をした方がおられました。

ひとつひとつの壁ではなく、なぜか全部の壁が一気にバーンッと遠くまで(見えないとこまで)飛んでいってしまいました!!!(汗)
空間に浮かぶ私を残して、なーんにもなくなったのですが、これは、一体・・・?!


その通り、その人の周りには、限りなくスペースがあるということです。
問題なしですね。すばらしい! おめでとうございます。
あなたの意識のスペースは限りなくありますよ」という潜在意識からのメッセージです。お祝いしましょう!

ということで、瞑想の実験結果を教えてくださった方々、ご協力ありがとうございました。

もし、今後この瞑想をして、どこかの壁が動かしにくいことが起こったときは、何度もこの瞑想をして、壁を押し広げることを繰り返してみてください。
あなた自身の新しい発想と創造的な方法で、その壁を押し広げる試みをしてください。

この瞑想法を教えてくれたジャーメインは「やればやるほど、潜在意識に対するメッセージになり、古いパターンを打開したいというメッセージになるということ。これをつづけてやっていくと、実際に壁を押し広げることに成功して、感情のレベルで解放感、安心感を得られる」と語っていました。

今自分の内側でどんなことが起こっているのか、それを自分自身で知るための瞑想。
真剣にやれば、あなたの潜在意識がいろんなことを伝えてくれていることに気づくでしょう。


Love

心は問いをもち上げる
だが問いばかりで
けっして答えない
そして、それは絶対に答えられないのだ
回答はマインドの手にあまる
マインドはそのようにできていない
それはマインドの機能ではないのだ
しかし、マインドは答えようとがんばる
そして、その結果が哲学というごたごたなのだ!

瞑想はけっして問いを問わない
しかし、それは答えてくれる
瞑想が答えなのだ
なぜなら、それは生だから
なぜなら、それは存在だから

           by OSHO



ハート 瞑想を試みましょう。



変化するのはペルソナではなくあなたの意識 

2011年08月08日 18:20


やる気のない地球人の集合意識を変えるために



前回の分析の結果はいかがでしたでしょうか?
「非常に納得できた」とすぐにメールで答えてくださった方は、今のところ2名です。
毎回感じていることですが、「打てば響く人」というのは、ほんとうに快いですね。
実験好きな人は前向きで、いつも冒険心と向上心にあふれています。
人生をポジティブな姿勢で臨む人にとっては、すべてが実験であり、体験学習であって、必ず有益な結果が得られています。

それがどんな結果であろうとも、自分が気に入ろうと気に入るまいと、起こることはすべて起こるべくして起こっていて、しかもそれは自分にとって正しく有益なことなのだと思えること。
失敗は成功の元。
ピンチをチャンスと捉え、発想の転換をすること。
これが、ポジティブな思考(意識)です。


しかし、世の中には、そんなポジティブな人ばかりが存在しているわけではありません。
ひっこみ思案なネガティブな人たちのほうが圧倒的に多いのです。
つまり、これは、未だに「地球人の集合意識」が、そちら(ネガティブ)のほうに傾いているという証拠です。
自己のアセンションに対する意識が薄く、真剣さがまるで足りません。

このブログを読み、「気づきのコース」まで申し込みながら、中途挫折というよりも、端から自己探究への気力が見られない人は、そんな「地球人の集合意識」のもっとも底辺に巣くっている魂といえるでしょう。

やる気のない地球人の集合意識を変えるためには、ひとりひとりがもっと自分自身に対して責任を持ち、真剣になる必要があります。

個々に古い自分が死んで新しい自分が生まれること。
ひとりひとりの意識が新生して、はじめて人類の集合意識も変化するのです。
始めるのはいつも自分からです。
それ以外にいったい誰から始めるというのでしょうか。
そのことに、ひとりでも多くの人が気づいてほしい。
そういう願いがあるからこそ、このブログの更新をつづけているのです。



★あなたは今、真剣に生きていますか?

残された時間というものの感覚は、人によってまちまちでしょう。
時間が以前より短くなったという感覚を持っている人は、意識が前進している証拠です。
あなたの意識が向上すればするほど、一日の時間が早く過ぎていくのが感じられるはずです。
人はみな自分の意識に応じた時間をもっているのです。
意識が広がれば広がるほど、時間は減少し、最終的には時間も空間もないゼロの状態になっていきます。
それが「永遠の今」という感覚なのです。


ハイビスカス1
8月の花 ハイビスカス アムール  撮影 光の仕事人



★ 「意識のジャンプ」とは? ★



これまでにアンケートフォームから送信された「取り上げてほしい内容」として、「アセンションについて」がもっとも多かったので、今回は「アセンションについて」の考察をさらに深めたいと思います。

2011年5月10日「アセンションとは内なる自己の大爆発」という記事を書きました。
そこに「自己探究の準備とは?」と「浄化とアセンション」について述べていたことを思い出してください。
(詳細は「アセンションとは内なる自己の大爆発」全文を参照)

以下は「浄化とアセンション」の箇所の抜粋です。

新しいものがやってくるためには、古い自分は死ななければならないのです。
芽という新しい生命が大地から生まれ出るためには、種は死ななくてはならないのです。
種の姿がすっかり消え去ったとき、突然それは芽に変容し、そして花ひらくのです。

古い自分を死なせる勇気のない人は、いつまで経ってもつぎの段階に進むことはできません。
「大きな変容は、徹底的に壊し、消滅しないと訪れない」ということを知ってください。


爆発とは、こっぱみじんになることです。
心(マインド)が炸裂することです。

過去との完全な決別です。
古いものが死に絶えて、新しいものが生まれるということです。

このふたつのあいだには何のつながりもありません。
もしそこにつながりがあったなら、それは爆発ではないのです。
過去がまだ少しでも残っていたら、それは爆発ではないのです。
爆発は一瞬のうちに全く過去とは別のものへと変身することなのですから。


自分の内側で爆発が起こり、まるでちがう次元になってしまったとき、
ものの見方がすっかり変わってしまったとき、
意識のジャンプが起こったとき、
「アセンションした」ということが言えるでしょう。
それは「成就」したのです。
 

★あなたは、この文の意味をほんとうに理解されているでしょうか?
今日は「意識のジャンプ」という意味を、ちがった角度から説明してみたいと思います。



★ 「意識のジャンプ」とは新しい自分を選ぶこと ★



わたしたちは皆、劇場で演じる役者さながらです。
「地球」という名の舞台で、仮面(ペルソナ)をかぶって定められた役を演じているのです。
ユングは人間の外的側面を「ペルソナ」と呼びましたが、元来は古典の劇(ギリシア劇)において、役者が用いた仮面(マスク)のことを指します。

日本では「能楽」というすばらしい演劇があります。
能では、必ずシテ(主人公)はお面をかぶります。


能面には、若い女性を表す「小面(こおもて)」や中年の女性を表す「深井(ふかい)」をはじめ、老女を表す「(うば)」や地獄に堕ちて苦しむ女性を表す「痩女(やせおんな)」、女神を表す「(ぞう)」、鬼女を表す「般若(はんにゃ)」など、女性の面だけでもたくさんの種類があります。
その他、武将、翁 、鬼、天狗、天神を表す面にも各種あり、全てを併せると、相当の数になります。

★たとえば、今あなたは「鬼女を表すお面」をかぶっているとします。

過去記事の「鉄輪(かなわ)の女」を思い出してください。
「嫉妬と恨みつらみで、がんじがらめになった女性」のお話でしたね。
「鉄輪の女」の場合は、般若になりきらない中途半端な表情をした「生成(なまなり)」と呼ばれる面を使うのです。それがまた何とも不気味で恐ろしいのですが。(笑)

たとえ本意でないにしても、あなたは今回のお芝居ではこのお面をつけることになり、とりあえずシナリオ通りに演じることになったわけです。
あなたは、最初のうちはその気になって、うまく演じていたのですが、そのうちしだいにこの役がひどく嫌になり、「もうたくさんだ!」と思うようになります。
「わたしにはこんな陰険な役は似合わない。これ以上つづけるのは心苦しすぎる。もうまっぴらごめんだ!」と気づいたとき、あなたはどうしますか?

そう、かぶっていたそのお面を外しますね。
外したままだと、つぎに進めないので、あなたがこれから演じたいお面を探します。
「やっぱり、元気溌剌とした無邪気で純真な若い女性がいいわ!」
そう決心したあなたは、早速「若い女を表す小面」を手に取り、かぶります。

そのとき、「ジャンプ!」が起こるのです。

小面をかぶった瞬間、あなたは「若い女」になっています。
あなたはずっと前から「若い女」の役を演じていました。
過去に「中年の女性だった」ことはありませんし、「嫉妬と恨みでがんじがらめになった女性」でもありませんでした。
そんな過去はまったく存在していないのです。
あなたには、純真無垢な少女の記憶しかありません。

★ところで、以前の「生成(なまなり)」のお面をつけたあなたはどこに行ってしまったのでしょうか?
爆発したから、こっぱみじんになって、すっかり消えてしまったのでしょうか? 

じつはあなたが取り外した「生成(なまなり)」のお面は、そのまま存在しているのです。
新しいお面につけ替えた後も、古いお面はまだ存在していて、そのまま一切何も変わってはいないのです。昔のままです。そして、これからもずっと存在しつづけます。


驚きましたか? 
ちょっとゾッとしたかもしれませんね。(笑)
「それって、どうなっているの?」と思われたでしょうか?

つまり、あなたが新しく「若い女」のお面をつけたとしても、古いお面はそこにそのままの状態で残っているということです。
生成(なまなり)」のお面が、若い女を表す「小面(こおもて)」に突然変異したわけではないのです。わかりますか?



★ 変化するのはペルソナではなくあなたの意識 ★



面が変化したのではなく、あなたが変化したのです。
あなたの意識は、かつては古いお面、つまり「生成(なまなり)」というお面を通して世の中を見ていました。
そのペルソナ(人格)を装って生きていたのです。

けれども、面の中身であるあなたの意識が変わり、あなたの波動が変わったとき、ようやく「煮ても焼いても食えない憐れな自分」に気づくのです。

「気づいたとき」というのは、もう「波動が変わっているとき」なのです。
周波数が変わったからこそ、今までかぶっていたお面を外すことができるのです。
周波数が変わらなければ、真の「気づき」は生まれません。


皆さんの「気づき」というのは、どちらかというと、「気づきもどき?」(笑)のようなものが多いのです。
なぜなら、あとでまた同じ問いを繰り返しているからです。
「あれっ? それって、もうとっくに気づいていたことじゃないの?」ということがけっこうあるんですね。
ほんとうに気づいた人というのは、けっして同じ過ちを繰り返すことはありません。
何か事が起こったとき、前と同じ反応を繰り返してしまう人は、ほかにもまだ気づくことがあるのではないかと思ってみることですね。 

★さて、「小面(こおもて)」をつけたとき、あなたの意識は新たに「若い女を表すお面」を通して世界を見ることになったということです。
生成(なまなり)」から「小面(こおもて)」へ、「古いあなた」から「新しいあなた」へとジャンプしたわけですね。

このふたつのあいだには何のつながりもありません。 
もしそこにつながりがあったなら、それは爆発ではないのです。
過去がまだ少しでも残っていたら、それは爆発ではないのです。
爆発は一瞬のうちに全く過去とは別のものへと変身することなのですから
」 
という過去記事の文面は、上記のような状態のことを言っているのです。


あなたが、お面をつけ替えただけなのです。
ですから、「生成(なまなり)」のお面は依然としてそこに存在するし、「小面(こおもて)」も、以前からそこに存在していたということなのです。

両方のお面が、同時に存在しているということですね。
「古い面をかぶったあなた」は「古い世界」で生きています。
「新しい面をかぶったあなた」は、「新しい世界」で生きています。
そこにいるあなたは、意識の異なる別人のあなたなのです。
パラレル・ワールドとは、そういうところです。

じつは、もっともっとたくさんのお面(次元)があって、あなたのお面の選択によって、演じるシナリオや劇場が異なってくるのです。
高次の意識になればなるほど、数多くのお面を通して、世界を見ることができるようになります。
恨みつらみの塊のような女性だったときのあなたも、純真無垢な乙女の心をもって生きているときのあなたも、数々の役者を演じている無数のあなたを同時に把握することができるのです。
それぞれの世界では、「別々に存在しているあなた」を、ひとつにまとめて「同じあなた」として見ることができるのです。


過去も未来もすべて同時に存在している」ということや、「全ての次元に自分自身が同時存在している」ということ、そして「変化するのはペルソナではなくあなたの意識」であるということが、この譬え話で少しはご理解いただけたでしょうか?


ハイビスカス2
ハイビスカス ゴールデンウィンドウ 撮影 光の仕事人


★ あなたの選ぶ世界とは? ★



アセンションというのは、これまで物理次元でつけていたお面を外すということです。
そして、新しい別の次元の光輝く透明なお面をつけるということです。

このまま壊滅状態に進んでいく地球に残ることを選択すれば、
あなたはその世界のお面をつけたままで、壊滅状態を味わうでしょう。

バランスのとれた平和に満ちた地球に進むことを選択すれば、
あなたはその世界のお面をつけて、その世界へと移行するでしょう。

地下の空洞地球へと避難したい人は、
空洞地球行きのお面をつけて、出発するでしょう。



ハート 未来に対してハートをひらき、いつもポジティブなイメージを抱いている人は、
けっしてネガティブな体験をすることはないでしょう。
あなたが希望と喜びに満ちたすがすがしい光のお面を手に取られることが、
あなたのアセンションなのです。



偽りを偽りと見抜き、真実を真実と見定めるために

2011年08月12日 06:11


★ ものごとの表面だけを見て判断しないこと ★



前回の記事「変化するのはペルソナではなくあなたの意識」のなかの「やる気のない地球人の集合意識を変えるために」に対して、下記のコメントを送ってこられた人がいました。

やる気なくないですよ。良い力を持っていらしてなぜそれがわからないかがぎゃくにふしぎです

この「やる気なくないですよ」というのは、いったい「だれ」のことを指しているのでしょうか? 
もしかして、「あなた」自身のことでしょうか?

やる気のない地球人の集合意識」というのは、当然のことながら「やる気がない地球人たち」の意識の集合を指しているのであって、その集合意識のなかには、「やる気がある地球人たち」は含まれていないと考えてください。
わたしが言っているのは、あくまでも「地球と調和し、ともにシフトしようとする気のない地球人」に対してです。

「やる気なくないですよ」とは「やる気がありますよ」ということですよね?

もし「あなた」の言うように、地球人が皆「やる気」を持って、自分自身を深く探究し、日夜自己の浄化に勤(いそ)しんでいるのなら、地球は今現在のような状態には決してなっていないでしょう。そう断言できます。
でも、あなたもご存じのとおり、現状は非常にお粗末で情けないことになっていますね。

★未だに日本の原発は止まらず、その原発を海外(ヨルダン、ベトナム、リトアニア、トルコ)にまで輸出しています。
「菅政府は8月5日、当面は海外への原発輸出を継続するとともに、すでに合意文書に署名しているヨルダン、ベトナムなど4カ国との原子力協力協定に向けた国会承認を求める方針を閣議決定した」ということは、すでにご存じのことでしょう。

福島の原発事故の惨事を知っていながらも、原発を続けたい国は、続けたくない国よりも多いのです。
ガイアがもっとも嫌っている原発に対しての意識が、この時期になってもまだこの程度なのです。
「原発を止める」ことについてだけを取り上げても、地球人の真の「やる気」を感じることなど、わたしにはできません。

自分自身の探究すらできない人間たちが…
自分が一体「だれ」なのか、「どこ」からやってきたのか、そしてこれから「どこ」へ行こうとしているのか、そんなことさえわからない人間たちが、山ほどいるということ。
地球上にいる大部分の人は、自分自身のことがわかっていません。

わたしたちは究極的には自分自身の思考の結果であり、わたしたちが考えた通りのものとなっています。
しかし、そのわたしたちそれぞれが「創造主」であるということに、どれほどの人が気づいているでしょうか?

良いことばかりするのが「創造主」なのではなく、悪いことをするのも「創造主」です。
この宇宙では、日夜、良いことも悪いことも創造され続けているのです。
この世界は、そんな地球人の集合意識が創り上げている世界なのです。 

地球に住む者たちは、長きにわたって自分たちの利益ばかりを考え、地球の豊かな資源を搾取し、大地や海を汚染し、ガイアの心を散々痛めつけてきました。
(詳細は過去記事に幾度となく書いておりますので、忘れている方は再度お読みください)


★まず「自分自身を深く見つめてみてください
このコメントを書いたあなたは、どれだけガイアの気持ちになって考え、ガイアのために日々貢献されているのでしょうか?

やる気なくないですよ。良い力を持っていらしてなぜそれがわからないかがぎゃくにふしぎです

ガイアのことを考えると、わたしはこの人に同じ言葉をお返ししたいと思います。
やる気あるとはとても思えませんよ。なぜそれがわからないのですか?」と。

もちろん、ガイアに感謝し、ガイアと調和し、ガイアに貢献している人も、なかにはいるでしょう。
日々、心と身体の浄化に努め、過去生からのカルマを解消している人もいるでしょう。
しかし、ガイアに対して行なってきた過去生からのカルマは、膨大にあるのです。
その浄化と赦しと解放が完璧にできている人など、無に等しいのではないでしょうか?
完璧にできているのなら、ここに生きている必要はありません。
即座にアセンションできるでしょう。



★ 偽りを偽りと見抜くこと ★



このブログを最初からお読みになっている人は、わたしが執拗に「ご用心ください」と申し上げてきたことを、覚えていらっしゃると思いますが、もう一度思い起こしてみていただきたいと思います。

それは、いかに世の中には「嘘偽りが多いか」ということです。
偽りのチャネラー、偽りの霊能者、偽りの記事を書くブロガ―にご注意ください」ということです。

当然のことながら、真実はその人の意識レベルによって異なります。
相手の「意識レベル」によって「見解の相違」というものは、いつも頻繁に発生しています。
ある事象について、低次元での意識で解釈された場合と、高次元での意識で解釈された場合とでは、月とスッポンくらいの違いがあるということです。
そこには「カン違いがある」ということも含まれます。(以前にお話ししましたね)

天変地異」ということに対しても、「原発事故」ということに対しても、「アセンション」ということに対しても、それをどう捉えて解釈するかは、全てその人の意識レベルによるということです。
同じひとつの言葉に対して「何通りにも読める」し、「解釈できる」わけですね。
同じ人であっても、日によって、気分によって、受け取り方がちがってくるということは、多くの人が認めていることです。
ですから、人によって、さまざまな見解があってもしかたがないということです。

しかし、明らかに事実(真実)ではないことを、さも事実であるかのようにすり替えて、故意に民衆に伝えるというのは、それとは全く別の話です。
大昔から今日まで、この地球上には、そのようにして人々を大いに騙してきた者たちが数多く存在します。
民衆は真実を知らされることなく、常に上手にコントロールされてきたのです。
また、「偽りのメッセージ」を「真実のメッセージ」だと思い込んで、地球人に伝えている多くのチャネラーたちは犠牲者ですが、同時に加害者でもあります。
そのことをしっかりと知っておいていただきたいのです。


映画「ゼイリブ」を観てください。三流映画と言われていますが、そこには真実のメッセージがあります。まだ観ていない人はぜひご覧ください



★ 空洞地球・地底都市とは? ★



先日の記事の「あなたの選ぶ世界とは?」の箇所で、「地下の空洞地球へと避難したい人は…」ということを書いたら、「地下の空洞地球について興味があるので、機会があったら触れてほしい」というコメントをいただきました。

今までわたしが「空洞地球」について一度も記事を書かなかった理由は、そこにさほど興味がなく、フォーカスする気持ちがまるでなかったからです。

地球の真中は空洞となっていて、そこに人が住んでいるという話は随分昔からありました。
特に「シャンバラ」の存在は、わたしも以前から知っていました。
京都の鞍馬山の社殿前に記されたある印の下がシャンバラとつながっているのだと聞き、よくその印の上に足を置いて立っていたことがありました。足にジンジンと感じるものは確かにあったように思います。
「シャンバラ」という領域が存在していることは、まちがいないでしょう。

しかし、多くの傑出したマスターを地上へと送り出していると伝えられている「宇宙聖白色同胞団」なる団体の目的自体に腑に落ちないものを感じていたこともあり、その「シャンバラ」が存在している「アガルタ」という領域にも疑問点が多く、記事にするには至りませんでした。

わたし自身がその領域に赴いた記憶が全くないということも、大きな理由の一つです。
行きたいと思ったこともありません。
また、次女のように身近な存在が体験したことを検証して書くことはできても、見知らぬ人が書いた本を手掛かりにして想像して書くことなどはできないからです。

クラリオンからの伝言」を伝えているマオリッツオ・カヴァーロ氏はつぎのように言っています。

地下には、シャンバーラとアガルタという2つの国があります。
シャンバーラは「神の地」と言われていて、アガルタのほうは、悪魔チックな、地獄のようなところ、ネガティブなマイナスの極です。
この2つをごちゃごちゃにする人がいるので、それは気をつけなきゃいけない。2つは、違うものです。 
(徳間書店「クラリオンからの伝言 超次元スターピープルの叡智」より抜粋)


アガルタ」という領域は、物理次元の世界のようです。「シャンバラ」とは次元がちがいます。(シャンバラは空洞地球の首都と言われているようですが、アガルタとは次元が異なっていて、別世界だと次女は言っています)

どちらにしても、洞窟のなかでの世界です。
出版されている本の多くは、とてもすばらしい天国のような楽園だと書いていますが、果たして真にそうであるのかどうかの保証はありません。
逆に「ダークな世界」だと言っている人も少なからずいますが、それが正しいという保証もありません。
とにかくその領域の全てが、すばらしいわけではない…ということを知っておいてください。

真実は、あなたが体験することだけです。
物質的な現実は、体験に基づいていない限り、真実ではありません。

あなたが食べてみなければ、その料理の味はわかりませんね。
甘いか、辛いか、美味しいか、まずいか、それはあなたが口に入れて味わうという体験をしない限りわからないものです。

唯一の真実は、ただ体験のみです。
そして、その体験は今ここにしかないのです。


仏陀はつぎのように語っています。


わたしたちはみずからが思うところのもの
すべてのものごとは
みずからの思いによってたちあらわれる
わたしたちはみずからの思いによって
世界をかたちづくる



偽りを真実とみなし
真実を偽りと思いあやまるならば
人は真心を見落として
みずからを欲望でみたす

偽りを偽りと見抜き
真実を真実と見定めよ
胸(ハート)のなかをのぞきこみ
みずからの本性にしたがえ

        ダンマパダより




ハート 仏陀は言っています。
「みずからの本性にしたがうべし」と。

人や経典に従うのではなく、自分自身の本性に従うのです。
みずからの内なる本性が経典であり、ブッダであり、神なのです。

みずからの本性とは「意識」です。
偽りを偽りと見抜き、真実を真実と見定めることのできる高次の意識です。

本や教え込まれた知識は、あなた自らが気づき、知ったことではありません。
あなたはその目撃者ではないからです。
だから、いつも「体験しましょう!」、「実験しましょう!」と言っているのです。
真の目撃者となるために。
真にあなたの知となるために。




幸せの条件づけを外そう!

2011年08月15日 10:51


★ お盆の「送り火」の悲劇 ★



はじめに、最近のニュースで感じたことをお伝えしたいと思います。

京都市で16日に行われる伝統行事「五山送り火」の一つ「大文字」の護摩木として、東日本大震災の津波で流された岩手県陸前高田市の景勝地「高田松原」の松を使うことを大文字保存会が計画したところ、放射能汚染を不安視する声が京都市などに寄せられたため、急遽(きゅうきょ)中止となったというニュースがありました。

送り火」というのは、盆に迎えた精霊(亡くなった人の霊)を送り出す宗教行事です。
京都で生まれ育って、幼少の頃から毎年欠かさず「大文字」をはじめとする「五山の送り火」を見届けてきたわたしにとって、今現在京都から遠く離れた土地にいて、懐かしく思い出される行事のひとつでもあります。
それだけに、今回のこのニュースにはがっかりさせられました。

7月下旬、当時集まっていた約300本(陸前高田市の鈴木繁治さんが中心となって集めた護摩木)を京都市と保存会がすべて検査したところ、放射性物質は検出されませんでした。
それにもかかわらず、「子供に後遺症が出たらどうなるのか」「琵琶湖の水が飲めなくなる」といった声が京都市などに寄せられたため、保存会は8月に入って中止を決めたというのです。

新聞によりますと、この企画が報道されると、「放射性物質は大丈夫か」「灰が飛んで琵琶湖の水が汚染される」などと不安がる声が、保存会や京都市に電話やメールで数十件寄せられたということです。
それで、市と保存会はすべての薪を検査し、放射性物質が検出されないことを確かめたのです。
これで大丈夫」という意見が出る一方、牛肉などの放射能汚染が問題になる中で、「放射能への不安を完全に取り除くことは、世論をみると難しい」という慎重論が消えず、保存会では苦渋の決断をしたといいます。

この「世論をみて難しいと判断した」ということについてですが、放射性物質が検出されてもいないのに、なぜ、そういう判断をするのか、あるいはそういう判断しかできないのか、わたしには理解ができないところです。

被曝医療に詳しい鈴木元・国際医療福祉大教授(放射線疫学)は「放射能を怖がるレベルが極端になりすぎている。護摩木から放射性物質が検出されていないのに、中止を求めたりしたことは過剰反応に間違いない」と話していたということです。

案の定、その後その中止について、抗議の電話やメールが京都府と京都市に殺到しました。
風評被害に加担するのは日本人として恥ずかしい」「五山の送り火なんて見たくない」などという抗議が全国から相次ぎ、その数は千件を超えたといいます。
当然でしょうね。
 
中止された松はというと、8日の夜、陸前高田市で「迎え火」として燃やされました。
鎮魂と復興への思いを込められた護摩木が、被災地から遠い京都ではなく、当の被災地で「迎え火」として燃やされたことについては、それはそれでよかったのではないかとわたしは思います。

その後、京都市は考えを改め、被災松の割木を500本調達することにしました。
もちろん、理由は被災松を使う計画の中止に対して批判が殺到したためでしょう。
五山の各保存会でつくる京都五山送り火連合会に受け入れを打診したところ、大文字保存会が一転して受け入れを決め、五山全ての送り火で燃やされることになったらしいのです。

ところが、12日になって、新たに陸前高田より届いた松から放射性セシウムが検出されるという事態が起こります。
薪の表皮を削って検査したところ、セシウムを検出したため、取り寄せた500本全てについて、送り火での使用を取りやめることにしたというのです。
結局京都市は「五山送り火」での使用を断念することになってしまったわけですね。

この問題をめぐっては、大文字保存会の理事長が「多くの方に心配と迷惑をかけ、われわれの都合で被災者を振り回したことを心よりおわびしたい」と謝罪し、決定が遅れた理由については「いろんな意見を集約できなかった」と釈明していたということです。

この一連の問題は、京都市民の放射性物質を懸念する声を受け、大文字保存会(京都市)が薪の受け入れを取りやめたことにありました。
京都市民と言っても、一部の人なのでしょうが、心の狭さ、過剰反応の異常さを感じますね。
せっかく被災地で亡くなった霊たちをなぐさめ、お送りしようという試みについて、ケチがついてしまいました。

頭をかしげたくなるのは、なぜ京都市は最初から、陸前高田市の鈴木繁治さんが中心となって集めた護摩木について、当地で検査をしてほしいと依頼しなかったのかということです。
そして、陸前高田市のほうでも、京都市に出荷する前に、なぜその護摩木を検査しなかったのかということです。
まるで牛のときと同じですね。
出荷する前にしっかりと放射線物質の有無の検査をしておけば、問題発生はくい止められたはずなのですが、そのもっとも重要な点をいつも押さえられていないのです。
繰り返し、同じ過ちをすること。これは、どう考えても、おつむが悪いとしか思えません。だから、このような情けない結果になったのです。

京都は昔から霊的に護られている土地であり、地震なども今のところ起こっていません。
誰かが起きないように霊的な力で止めてきたのでしょうが、災難も小出しに出さないと、危ないなと思います。
問題をいつも封じ込めていると、噴出したときに恐ろしい大災難となるからです。

実母が亡くなって以来、この数年間、京都に足が向かないままでおり、すでに過去の地となっていますが、それでも故郷の良きイメージが壊れていくのはとても残念です。


白カノコユリ
         白カノコユリ  撮影 光の仕事人



★ 自分の幸せを決めることができるのは、自分のみ ★
      ―幸せの条件づけを外そう!― 



最近よく思うことは、自分の幸せに条件をつけている人がいかに多いかということです。
わたし自身も、昔はたくさんの条件をつけていました。

わたしが日々生きていくなかで幸せを感じられないのは「騒音のせいだ」「この地域のせいだ」「理解力のない頭の悪い数多の人間たちのせいだ」、等々、全て環境と人のせいにしていたのです。
都会では、深夜から夜明けまで暴走族が発するバイクの音で眠れなかったし、田舎では朝早くからの地域の頻繁な放送で目が覚め、睡眠を妨害されたし、どこへ行ってもわたしが求める静寂さがなく、結局離れ小島か、山奥くに独りで住むしかないと思うに至りました。未だにその望みは適っていませんが。(笑)

「周りに家がなくて、人工的な騒音が一切なくて、自然のなかで、自然に咲く可憐な花々を愛(め)で、美しい星空を眺めながら静かに暮らせたら、きっと毎日が幸せだろうな」なんて思うことはよくあります。
でも、独りで山奥に住んでいたら、良いことばかりがあるとは限りません。困ることだって生じてくるはずです。何かあった時、独りでできないこともあり、やっぱり人に助けてもらわなければならないことはあるだろうと思います。

せっかく自然のなかで暮らせても、イヤな虫や動物に悩まされるかもしれないし、欲しい物があってもすぐに買いに行くことができず、とても不便で難儀をするかもしれません。
それで、不幸せを感じることだってあるわけです。
どこへ行っても一長一短があるということですね。

ここで、わたしは考えたのです。
幸せか不幸せかどうかを決定するのは、ほんとうに外側の何かのせいなのだろうか?
わたしたちは自分自身の「幸せ」に対して、「○○だったら、幸せ」「○○さえなかったら幸せ」「○○が○○してくれたら、幸せ」というふうにいろんな条件をつけているだけなのではないだろうか?
だから、外側の人たちとの関係では、自分を幸せにしてくれなくなっているのではないだろうか? 
わたしを幸せにしてくれるのは、いったい誰なのだろうか?と。

そう考えたとき、もちろん、わたしを幸せにしてくれるのはほかの誰でもない、わたし自身だということに気づきます。
外の世界(他者)がわたしを幸せにしてくれるわけではないということです。
すべてのものは、わたしの幸せのために存在しているわけではないのだ、ということを肝に銘じること。
わたしがわたし自身を幸せにすることで、それが外の世界に反映されていくのだ、ということを知ることです。


「わたしの幸せ」を決めるのは、「わたし」です。
「わたしの幸せ」を決めること、選択できるのは、「わたし」だけなのです。
わたし自身を無条件に幸せにするには、いつも何があろうと、起ころうと、外側がどうであれ、幸せでいることなのです。

すべて外側のせいにしたいけれど、しないことなのです。
責任は外側のせいにしている自分にあるのです。
すべては自分の心の持ち方によるということですね。
ですから、「○○だったら、わたしは幸せにちがいない」ということは考えず、たとえ「○○ではなくても、わたしは幸せだ」と思うことですね。

何事もポジティブに捉え、ハッピーでいること。
たとえ逆境にいても、ハッピーでいること。
今この瞬間瞬間をハッピーにすること。
これしか、ないんです!

だから、今現在定められた枠内で、もっとも自らの心が求めること、ワクワクすることを選んでいくことです。
選んだひとつがだめなら、もうひとつのほうを選ぶことです。それがだめなら、また別の何かを選ぶのです。
そうすれば、ほんとうに幸せな自分が常に存在していることに気づくでしょう。



ハート
いつも「幸福」のお面(お多福?)をつけていることです。
そして、自分が毛嫌いしている人や物の何もかもを愛することです。

自分自身の魂に喜びと平安をもたらすシンプルなことばがあります。
それは、Ⅰlove me.
そして、森羅万象すべてに向けたⅠlove you!です。



自然な人生の流れに従っていけば地球のエネルギーを自然に援助できる

2011年08月19日 06:30


今回は、地球の身体のチャクラに当たる部分について考察し、今わたしが知っている限りのことをお伝えしたいと思います。


★ 地球のチャクラがあるところ ★



わたしたちの身体にチャクラがあるように、地球にもチャクラがあり、エネルギーセンターがあります。
地球のチャクラのセンターがある場所は、地球の進化のプロセスに応じて、また、常に地球のエネルギーのバランスを保つためにつぎつぎと変化しているようです。
地球のどの場所が、どのチャクラに当たるかということについては、あまり語っている人はいないようで、ブログなどに書いている人も、なぜその場所だと言えるのか、その根拠は何なのか、説明もなく、信憑性がありません。
よって、「真実かどうかは神のみぞ知る」ということで、わたしが「なるほど」と思えた存在の見解を参考のために載せておきたいと思います。
(あくまでも参考であり、検証は自分の直観でご判断くださいね)


今からおよそ20年前のことですが、リサ・ロイヤル氏がチャネリングしたジャーメインはつぎのように語っていました。

★第1チャクラは人間の身体で言うと尾てい骨のところに当たり、それは「シナイ山」と結びついていて、この場所から地球のもっとも根源的なエネルギーが出ているのだと。

根源的なエネルギー」というのは、「生存本能と関わるエネルギー」のことです。
この第1チャクラの場所は、人類が誕生した頃からシナイ山にあったとされ、かなりの長きにわたって存続してきたようです。

ジャーメインは、地球のようにまだ統合が起こっていない惑星においては、このベースチャクラがある場所というのは、たくさんの恐怖が存在するところであり、そこにはたくさんの葛藤や争いがあるのだと語っていたのです。

シナイ山というのはシナイ半島にあり、ホレブ山とも呼ばれていて、モーゼが神から十戒を授かったとされる場所で有名な山ですが、聖書に記されているシナイ山がどこなのかという真の明確な位置はわかっていません。
その付近は、人類が誕生して以来、ずっと葛藤状態が続いているところです。シナイ半島のまわりにはイスラエル、エジプト、サウジアラビアなどがあり、確かに紛争が頻繁に生じている地域であることがわかります。

中近東で起こっている紛争が決着したら、地球における争いは最終的な決着を迎えたと言えるとジャーメインは言っています。
未だに紛争が治まらないということは、第1チャクラはまだここに存在しているということなのでしょう。


★第2チャクラはおへその下(生殖器)にあるチャクラです。
それはブラジル、アマゾンの近くにある
とだけジャーメインは言っており、チャネラーの地理の能力がなかったために、はっきりとした地名を聞くことはできませんでした。
また、今現在そのままその近辺にあるのかどうかも定かではありません。
なぜなら、そこは違うとハイアーセルフが言っているからです。
では、どこなのかということですが、今のところ明確な答えは得られていないため、保留にさせていただきたいと思います。

第2チャクラは、「女性エネルギーと男性エネルギーの統合」と「原始的な感情」とに関係があります。(性的なエネルギーを統合するという意味もある)
ブラジルという地は、わたしたち人類が内奥深くに持っている影の部分を浄化し、処理することをエネルギー的に援助しているのだということでした。


★第3チャクラは太陽神係叢のチャクラです。
アフリカ大陸のキリマンジャロ山
に当たるようです。
太陽神係叢は、何かをするときの意図、動機と結びついていて、力強さ、勇気にも関係しています。
異星人によって遺伝子工学的に創造された人種が最初に定着した地域のひとつがアフリカ大陸のキリマンジャロ山辺りだったといわれます。
初期の人類は、異星人たちに監視され、所有されている存在でした。
その最初の支配から自分たちを解放しようと努力した人たちが、この地域に住んでいたのだそうです。
ですから、その地域というのは意図、動機、力強さ、勇気を表しており、生きることに対する動機が発揮されている場所だということでした。


★第4チャクラはハートのチャクラです。

当時ジャーメインは、ハワイのマウイ島にあるハレヤカラ山と結びついていると言っていました。ハワイ諸島全体がハートチャクラのエネルギーを出しており、そのなかでハレヤカラ山が中心なのだということです。
今現在はキラウエア山(活火山)に移動したと、ハイアーセルフは言っていますが、どうなのでしょうね?

ともかくハワイ諸島全体から無条件の愛が人間の集合意識に対して発せられており、その場所を訪れると、ハートチャクラが非常に大きく広がっていくということです。
ハワイ近辺にはイルカがたくさん住んでいますが、ハートのエネルギーを得るためにその近くにいるのだそうです。
彼らはハートのエネルギーを感じることができる自己意識をもった哺乳類(魂はシリウスから来ています)で、わたしたち人間よりも最初に自覚できる優れた存在なのです。
イルカは人類にハートを得る援助をしてくれているんですね。


★第5チャクラは喉のチャクラです。
北カリフォルニアにあるシャスタ山
といわれます。
喉のチャクラの特徴は、コミュニケーション、表現です。
シャスタ山がもっているエネルギーは、高い意識でのコミュニケーションをおこなう上でのエネルギー的な通路だといえます。
霊的なことに関する基本的な考え方は、シャスタ山を通じてアメリカにもたらされたとジャーメインは語っていますが、そう言われれば確かにそうだなと思います。
シャスタ山は、古来よりこの地方に住むアメリカ先住民(インディアン)の聖なる山とされてきました。現在の山の名前はその部族のひとつシャスタ族に由来しています。
シャスタ山の役割は、世界に対して、そうしたコミュニケーションのエネルギーを流すための通路だということです。


★第6チャクラは第3の目(眉間)のチャクラです。
それは、ヒマラヤ山脈のなか
にあるといいます。
大昔から多少のずれはあっても、ほぼこの地域にあったようです。
第3の目の特徴は、内面のビジョン、直観ですね。
ヒマラヤ山脈の一帯というのは、何千年もの間、秘境的な叡智の中心でした。
非常に平和的な哲学や考え方の多くがこの地域からもたらされたのです。
そこは地球の未来のヴィジョンが込められているところだということです。


★第7チャクラはクラウンチャクラです。
それは日本の富士山
で、これには特別な理由があるのだと、ジャーメインは言っています。
日本がもっているエネルギーは、「東洋と西洋のかけ橋」だということです。
これまで西洋は知性ばかりに意識を集中して、霊的なことを無視してきました。
東洋は霊的なことに関心をもっていたけれども、知性的なことにはさほどフォーカスしてきませんでした。
西洋の思考と東洋の思考は、けっしてお互いに融合し合うことはなく、両者のあいだには統合できるような合意というものがなかったのです。

このふたつのエネルギーを合体することができるのは、霊的なものに基盤をおいた東洋の文化であり、またその心構えや心の準備ができている文化をもった日本だと、ジャーメインは言うのです。
この日本という国が、世界における両極のエネルギーが象徴的なかたちで統合される(霊的なものと物質が最終的に統合される)場所であるというわけです。

これらの話を20年ほど前にジャーメインは語っていたのですが、20年経った今、ほんとうに日本という国が両極のエネルギーを統合する中心的な国となっているのか、準備ができた国といえるのかというと、それは正直言って?です。
確かに日本は西洋の技術と東洋の霊的な伝統を併せ持っています。
しかし、真のスピリチュアリズムが今の日本人にあるかというと、それも?です。
ただ、そうなってほしいという願いはもち続けたいですが。


ひまわり
         8月の花 撮影 光の仕事人



★ パワースポットに行く理由 ★



人間のチャクラのバランスが欠けてしまうことがあるように、地球上のチャクラのバランスも欠けてしまうときがあります。
そういうときに人々はそのエネルギースポット(パワースポット)に向けて旅をし、そのエネルギーを是正(補充)して、均衡状態にしようとするのだと、ジャーメインは言っています。


二次的なチャクラポイントに旅行することもあります。
二次的なチャクラは、中心的なチャクラのバランスをとる援助をするのです。
パワースポットに行くことで、自分自身を活性化するだけではなく、地球のチャクラのエネルギーバランスをとる援助をすることもできるんですね。
エネルギーセンターに人が集まって気づきのプロセスを経験すると、そのなかに閉じ込められていたエネルギーを解放することができるのです。

この7つのエネルギーを表している場所が、地球に存在するといわれます。
そうした中心的な場所のひとつが、セドナというところなのです。
そこには、7種類のチャクラのエネルギーの特質をもった場所が全部そろっているのだそうです。
地球のチャクラのある場所に全部行きたいけど、とても行けそうにないと思う人は、セドナに行かれるとすべて用が足りるというわけですね。



       白バラ
           8月のバラ 撮影 光の仕事人




★自然な人生の流れに従っていけば
   地球のエネルギーを自然に援助できる★
 


★さて、今回なぜこのような地球のチャクラやパワースポットのお話をしようと思ったかということですが、
わたしたちは自然な人生の流れに従っていれば、必要なときに必要な場所に導かれていくのだということを言いたかったからなのです。
(自然な人生の流れに従うということには、とても深い意味があります)

そして、わたしたちは地球の上に存在しているのではなく、地球のエネルギーのなかに存在しているのだということ

だから、わたしたちが自然な人生の流れに従っていけば、地球のエネルギーを自然に援助していくことができるのだということ

20年前にジャーメインが伝えていた内容を、今この時期に、まだこのことを知らない読者さんたちにお伝えし、知っていただきたかったからです。


ジャーメインはつぎのように語っていました。

もし「地球に奉仕したいな」と思っていても、いろんなところに旅行できなくて、「自分は奉仕できないな」と思っても、心配する必要はありません。
自分にとってふさわしいときに自然の流れに従っていけば、地球にとって必要なところにあなたは導かれていくからです。
ですから、あなたはこうした場所に必ず行かなくてはいけないということはないんです。
やがて、最終的には、自分の意識のなかで、こうしたさまざまなエネルギーと結びつくことができるからです。



ハートパワースポットに足を運ばなくても、
究極的には自分の意識のなかで地球と交流ができるようになるということです。

意識はどこへだって飛んでいくことができるのです。
それは、すばらしい能力です。
あなたもこの能力を思い出し、発揮することができます。
そして、地球のどこかにアンバランスなエネルギーを感じたなら、
そこに意識を向けてあげることができるのです。



劇的な変化と変容を受け入れよう! 喜びも悲しみも、心を一か所にとどめないこと

2011年09月07日 18:00


★ 台風12号がもたらしたもの ★



台風12号は大きな爪痕を残し、去って行きました。
最初は日本列島を縦断すると予想されていましたが、急に進路が変わり、四国と中国地方に向かいました。
日本でもっとも浄化しなければならない地域がほかにあるのに、なぜ西に向かっているのだろうという疑問があったのですが、できるだけお手柔らかに浄化をしてくださるよう、雨の神さまと風の神さまにお願いしていたのです。(確かにわたしが住む地域はさほどの影響はありませんでした)
風よりも、雨の浄化が必要だと感じており、雨はしかたがないと思っていたのですが、予想以上にものすごい雨量でした。
結果的に四国や中国地方、近畿地方に大雨をもたらし、特に奈良県や和歌山県の土砂崩れによる被害が大きく、今回は紀伊半島の浄化であったことを知りました。

那智勝浦町の熊野那智大社が、大きな被害を受けましたね。
熊野那智大社によりますと、境内にある6つある社殿のうち、「第五殿」と「八社殿」の間にある裏山が崩れて土砂が流入し、高い部分では約1・5メートルまで土砂が積み上がり、流入はすべての社殿に及んだということです。

また、大社の別宮の飛瀧(ひろう)神社でも、ご神体の那智の滝(落差133メートル)の上部に張られているしめ縄(長さ26メートル、重さ4キロ)が切れてなくなり、滝の手前にある大岩(おかみしろ)も流失しました。
平安時代、文覚(もんがく)上人が修行したといわれる「文覚の滝」も、岩が流され、少なくとも5本の大木が倒れたと伝えられました。

奈良県では、吉野町の金峯山寺(きんぷせんじ)蔵王堂(国宝)で、入母屋造(いりもやづくり)の檜皮葺屋根の頂上東側付近が破損したようです。

熊野那智大社は、わたしがもっとも好きな場所でしたし、吉野の金峯山寺も懐かしい場所でした。
那智の滝の清浄なる姿は、いつまで経っても見あきることがなく、爽快かつ清涼な水しぶきに心が洗われ、滝と一体となった歓喜を覚えながら、長い時間そこに立っていたことを思い出します。
そのすばらしい光景が脳裡に焼きついているだけに、ニュースで見た無残な有様に、自然界の容赦ない破壊力と物質界の空しさ儚さを、しみじみと感じました。


★ 劇的な変化と変容を受け入れよう! ★



すべて形あるものは滅びます。
崩壊していく世界遺産の建物などは、「破壊されていく古い形」を表しています。
大きな変容の前には、古いものは必ず崩壊するのです。

これは、人間にも当てはまることです。
繰り返し申し上げていることですが、古い状況、古い思考パターン、人格の構造や古い条件付けのパターンなどが、今の状況になじまなくなったとき、つぎの新しいものがやってくるために壊される必要があるということです。
外側だけではなく、内側の保証がなくなってしまったとき、あるいは、これまでの世界に対する見方がふさわしくなくなってしまったとき、それは個々に体験されるものです。

外側のものであろうと内側のものであろうと、壊れていくものは、もはや時代遅れで不必要なものなのだということにはっきりと気づくことです。
ここで、外側の所有物を手放すことが必要です。
いつまでもそれにしがみついていないことです。
それを手放すほど、よりリアルで真正なものへと近づくことができるからです。


★ 世界遺産の悲劇 ★



最近は、「世界遺産」などと言って、やたら建物やその地域一帯が重宝されるようになりました。
そこへ数多の人間がわんさと押し寄せ、清らかだった聖地が、かえって汚(けが)れてしまっています。ほんとうに嘆かわしい限りです。

世界遺産」となった地域は、あるいは「世界遺産」に登録しようとやっきになっている地域は、「地域の活性化」などと言って人々をそこへ呼び寄せたがっています。その裏には、必ずお金儲けがからんでいるのです。
世界遺産」は、もはや人間の欲望のための登録になり下がっているような気がします。

熊野古道をはじめ、その近辺は、昔から参詣で有名な場所ではありましたが、それでも信仰心の篤い人たちの聖なる地として守られていたと思うのです。

昔の人たちは、現在の人たちのように「パワースポット」だとか、そこで「パワーに満たされたい」とか、物見遊山の態度で神社仏閣を訪れていたのではありませんでした。
一大決心をして、遠い所からはるばる歩いて行ったのですから、神々に対する感謝の念と真剣さがつよくあったのだと思います。

現在人はとにかく欲に駆られ、軽い気持ちでの「お願い事」ばかりです。
「お金が入りますように」をはじめ、「いい仕事にありつけますように」、「いい伴侶が見つかりますように」、最近では「アセンションできますように」とか、「みなぎるパワーをください」とか、少ないお賽銭を放り投げて祈っているのではないでしょうか。(苦笑)

神さまはわたしたち人間の先祖であるわけですから、ただただ「感謝」をするのみです。
自分の欲望をかなえるためのお参りは、しないことです。
たとえ、それらを祈っても、かなえられることはないでしょう。
高次元の存在になればなるほど、物質や名声などの欲望には無関心だからです。
もし万が一物質的な願いがかなったとしたら、それは物質を与えて益々自分を尊び、賞賛してもらいたがっている、たいそう意識の低い輩の仕業であると思ったほうが賢明です。
不純な動機で訪れたなら、その代償は払わなければなりません。

神の恩寵は、人が心から神に感謝し、神の繁栄を祈った結果として与えられるものです。
恩寵を得るために祈るのではありません。
その清らかな感謝の気持ちが神に届いた結果、愛の光が注がれるのです。
与えるものが受け取るものです。
くれぐれも目的をはき違えないことですね。


神社仏閣が「世界遺産」となると、猫も杓子も足を踏み入れ、波動が粗くなることは否めません。
汚された場所は浄化されて当然でしょう。
世界遺産登録をしたばっかりに、案の定と言った感じです。

世界遺産」であろうがなかろうが、素晴らしいものは素晴らしいのです。
しかし、いくら素晴らしいものであっても、自然の摂理が働いて、しだいに壊れていきます。
それはそれで消えていってよいのではないでしょうか。
建物(不動産)という物質に執着すればするほど、最終的には浄化が必要となり、結局崩壊してしまうのです。

また、聖地というのは、できるだけ人目につかないところにあるほうがよいのです。
聖なる山に足を踏み入れるときは、その山の神に許可を得るものです。
そして、やたらに騒いだり、汚さないようにするべきだし、何よりもその山の波動を粗くしないことです。
これ以上欲望を内包した「世界遺産」の登録はやめてほしいし、自己の欲望のために再三聖地を訪れることはやめてほしいと願う次第です。


地震や台風などで聖地が破壊されるという事象を、人々は「悪いことが起こった」というふうにとらえがちですが、そうとは限らないことをお伝えしておきましょう。
人間にとっては災難である地震も、神々にとっては喜ばしい表現である場合があるからです。
どういうことか、一例をあげてみましょう。


ひまわり


今から16年前(1995年1月17日)に「阪神淡路大震災」が起こりましたね。
淡路島北部、地下16キロの地点を震源とするマグニチュード7.3の地震が発生しました。
淡路島、神戸市、西宮市、芦屋市などで震度7の非常に激しい揺れを観測し、この地震による被害は、兵庫県内を中心に死者6434人、負傷者約4万4千人にのぼりました。
この地震の震源地である(旧)津名郡一宮町のすぐ傍に「淡路の一宮」として知られる「伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)」があります。
ご祭神は、日本神話の国産み・神産みに登場するイザナギ、イザナミです。

震災の後しばらくしてから「伊弉諾神宮」に赴いたことがあります。
雨模様だったのですが、境内で下手な笛を吹いたときには陽光が射してきて、気持ちの良い時間を過ごした覚えがあります。

震災のときには、鳥居が倒壊するなど大きな被害を受けましたが、じつはそこに鎮座していたイザナギ、イザナミ神が、その地震の際にアセンションして、別の星に行かれたという話を、当時ある神道家から聞いたことがあります。
地震や噴火は、いわば神々の喜びの表現であるというのです。
それに伴って亡くなった人々も、一緒に連れていかれたらしく、悲観する必要はないということでした。
悲しみと喜び。人間と神とのあいだの認識の大きな違いがわかりますね。


★ 地球の変革は地球人がするべきこと ★



台風」の話から「世界遺産」の話になり、「神々のアセンション」の話になりましたが、最後にお伝えしておきたいことがあります。

この地球を変革するのは、神ではなく、わたしたち人類です。
神というのは、人間の手助けがなければ、実のところ何もできない存在なのです。
そうでなければ、「日月神示の神」のように、わざわざ人間を通して「ああせよ、こうせよ」と神の意向を伝えたりする必要はありません。すでに、さっさと自分の好きな世界に手直ししているはずですね。
でも、未だに地上は天国にはなっていません。人間に協力してもらって初めて事が成し遂げられるのです。

これからは、「神頼み」はやめて、神がさらなる進化を遂げられるように祈ってあげることですね。
そして、地球がよりよい場所となる変革を、わたしたちの力で成し遂げましょう。
東北大震災にしても、今回の台風にしても、災難に見舞われた人は多いでしょう。
でも、それは、変化と変容のために必要なことであったと知ることです。
悲観的にとらえていては、前進ができません。
思いを制限しないことです。

前回ご紹介した山本常朝がこんなことを言っています。

不慮の災難に遭って気を落としている人に、
「お気の毒」などといえば、ますます気が滅入り、筋道を立てて考えることもできなくなってしまう。
そういうとき、あっさりと、「かえってよかった」などといってハッとさせるのだ。
それがきっかけになって、思わぬ活路が開けてくるものだ。
うつろいやすい人の世にあって、悲しみにせよ喜びにせよ、心を一カ所に固定させてはならないのである。                              (「葉隠」聞書第二)




ねんねする
         よく眠るミッチェル  撮影 光の仕事人


ハート
山本常朝さんの言葉は感慨深く、
前回も、けっこう皆さん彼の思想に賛同されたのではないでしょうか?
眠りたいときには眠れるのは、この世の最高の贅沢ですね。
あの世では眠る必要がないのですから、睡眠を楽しんでおくことです。
ニャン子のように。(笑)

サムライには「覚悟」があるけど「悟り」がないとか、学者さん方は言っておられますが、
常朝さんは「覚悟」もあるし、「悟り」もあるサムライだと、わたしは思っています。

あの世はこの世の延長です。
この世でつらいことばかりなら、あの世でもつらいことばかりです。
だから、つらいことでも悲しいことでも、深刻にとらえずに、
おおいに楽しみながら体験することです。
この世で、死んだ気になったら、なんだってできますね。
すべては楽しい体験学習なのです。



花と蝶


人生を楽しみたい人、この指と~まれ! 




未来は決定していない―未来は変えられる!

2011年09月19日 19:40


先週の火曜日に、入院していた父が退院し、自宅療養をすることになったため、京都の実家へ手伝いに戻っており、昨夜自宅に戻ってきました。
今回父の様子を見て感じたことがあるのですが、もしかしたら病気などで死を前にして生きている方々の参考になるかもしれないと思ったので、今回は「臨床にある人の心の持ち方」について考察してみたいと思います。


★ 父の決意 ★



★父は高齢者に多く見られる脳腫瘍でした。
突然意識不明となり、本人が気づいたときには病院のなかで、すでに数日が経っていたといいます。
父はこれまでに胃ガンや心臓病といった重い病気を体験してきた人であり、また、どの病気もみごとに克服してきた人でした。
しかし、今回はこの病気が最後の病気となるだろうとハイアーセルフから知らされていました。
よって、わざわざ頭を切り開くというような手術をしたりしないで、そのまま自然に亡くなってもいいのではないかと思っていたのです。
それは父自身が生まれる前に決めてきていることであり、手術をしてたとえ成功したとしても、そんなに長くは生きられないというメッセージがあったからでした。

しかし、わたしには何の相談もなく、すでに手術をすることは決まっていたのです。
父と共に生活を共にしている弟(長男)としては、「もう数週間くらいの生命だ」と医者から言われたら、手術に同意するしかなかったと後で言っておりました。

手術前に家族全員で見舞いに行ったのですが、父は耳がかなり遠くなっており、大きな声で話さないと、聞こえないようでした。
また、言いたいことがほとんどうまく伝えられない障害もありました。

担当医を呼んで病状を尋ね、手術についての話を聞いたのですが、わたしが弟とは全く異なった見解を述べたために、その若い医師は動揺し、混乱してしまったようでした。
とにかく家族の意向を統一してほしいということや実際に手術をすることになる担当主任の話もぜひ聞いてもらいたいと懇願されるので、「では聞きましょう」と言ったのですが、結局その主任の時間がどうしても空かなかったため、聞く機会は得られませんでした。

ともかく大切なのは、父本人がどうしたいかという意思(意志)のみだと思っていましたので、わたしにとっては主任のお話を聞いてもさほど意味はなく、ちょうど時間が取れなくて幸いだったのですが。(笑)
そのとき、若い担当医は手術後に起こりうるありったけの症状について一生懸命述べているのが印象的でした。

何か問題が生じたら、突っ込まれるとでも思ったのでしょう。
一緒に聞いていた長女は、あまりにも自己保身のための言い訳をしている医師を見て、心の中で笑っていたといいます。
正直なお医者さんだと、わたしはかえって好感が持てましたが。(笑)

ともかく手術をするかしないかは、家族が決めるのではなく、本人が決めることなので、本人にしっかりと確認をとりたいとお願いし、その後別室で父と話をしました。
案の定、父は医師や弟から大切なことは何も聞かされていませんでした。
ただ、「手術をしなければいけない」ということで、同意をしていただけです。

わたしは父に、老齢の上、心臓病を患ったことがあるため、心臓に負担がかかり、手術中に亡くなる可能性があることや、手術後にいろんな障害が出る(言語障害・手足のマヒなど)可能性などについて話し、それでも手術を受けたいかどうかを尋ねました。

父の返答は、あくまでも「手術をしたい」ということでした。
たとえ車椅子の生活になったとしても、それでもよいと言うのです。
「生きたい」という気持ちがつよく感じられました。
その父の意向を、わたしは担当医に伝えました。予後の放射線治療や化学療法は絶対にしないようにという希望だけを付加して。

帰り際に父の手を取り、握手をしながら、「がんばってね」と言ったら、涙目で「うん」と頷いておりました。


わたしは父が必ず家に戻ってくるということをハイアーセルフから聞いて知っていましたので、さほど心配することもなく、その日に家族とともに自宅に帰りました。
そして、手術前後の数日間、父の第7チャクラのプラーナの補充に努めたのです。

★脳腫瘍があると、実際に頭頂にある第7チャクラのプラーナの量が不足しているのがよくわかります。
父の場合、最初は0%に近かったのですが、毎日100%になるまで補充をしているうちに安定するようになり、手術の前日には100%を保持できるようになりました。
この目には見えないプラーナの補充の効果は、かなり大きかったのではないかと思っています。


★ 波動が堕ちると、守護霊は離れる ★



★ここで、守護霊と病気についての関わりをお話ししておきましょう。
父の場合もそうでしたが、患者の容態が大変悪いときには、たいていその人には守護霊がいない状態です。
つまり、守護が必要な時に限って守護されていないということなのです。
その人の波動が堕ちているために、ついていられなくなるのでしょう。

わたしの知人がガンの手術を受けようとしていたときも、彼女の守護霊は交代してしまっており、結果的に役立たずの守護霊になっていることを知ったことがありました。
以前の守護霊は本人同様に、なかなかの「がんばりやさん」だったのですが、交代したために彼女自身もがんばる力、生きる力が失せてしまったようで、結局ひどく意識が低下した状態で亡くなってしまいました。

その人の意識状態に見合った守護霊がつく」というのは、まちがいありませんから、皆さんもすばらしい守護霊に見放されないように日夜意識を高めることが大切ですね。
参考過去記事 本人の意識レベルに応じて交代する守護の神霊

父の守護霊が離れていることを知ったわたしは、その守護霊を呼び戻し、再度守護するようお願いをしました。
その後はずっといてくれているようですが。

★手術後20日目に、ハイアーセルフが伝えていた通り、父は退院しました。
しかも、絶好調の状態で家に戻ってきたのです。
放射線治療は、行なうとたいてい痴呆症になるので、行なわないということでした。痴呆症になって寝たきりになって長生きするよりも、短くとも余生を楽しんだほうがよいという判断を、弟も医師もしたのだと思われます。

退院後わたしが実家に滞在中の期間、少々耳は遠いですが、父は以前と同じように話をし、とても元気でした。
少し足に力がないようでしたが、二階の自分の部屋でちゃんと寝ており、階段の上り下りもさほどの苦労もなくでき、大好きな犬の散歩にまで出かけられるようになっていました。
あまりにも状態が良好なので、弟も驚いていました。

医師の話では、再発する恐れがあり、予断を許さないということだったようですが、本人は生きる気満々です。
愛犬が死ぬまでは「絶対に死なない」と言うのです。
ちなみに愛犬は今7歳です。
犬は一般的には15年くらい生きると言われているので、まだまだ死ねないということになりますね。
これからどこまで生きるのか、それは本人しだいです。
たとえ生まれる前にいつ死ぬかを決めてきていたとしても、今の本人意識が未来を変えるのです。
父の「生きる力」に応援し、どこまで生き延びていかれるか、楽しみです。


★本人の意識しだいで、アガスティアの葉も変容する★



アガスティアの葉」というのをご存じでしょうか?

アガスティア」というのは太古に生きていた聖者の名前で、「アガスティアの葉」というのは南インドに伝わる葉っぱのことです。

太古の昔、聖者アガスティアがこの世の人々の未来を予言し、それをパルメーラの葉に書き取ったものだそうで、一人一人の葉は指紋で識別できるようになっており、葉にはその人の一生について細かく書かれていると伝えられています。

アガスティアの予言に対して、不信感を抱く人たちも多いようです。
実際にいろんな内情を知った人たち、たとえば「アガスティアの葉」の検索代行サービスをしていた人が、自分たちがサービスを提供していた葉がニセモノではないかとして、現在はサービスを止めているとか…怪しさ満点の葉っぱです。(笑)

この「アガスティアの葉」ですが、怪しいか怪しくないかは別として、その葉っぱが与える情報に対して、人がどのような反応を示すかということに大きな意義があるのです。
これは、他のさまざまな占いも同様です。

たとえば、あなたがインドに行って、あなたの名前が書かれた「アガスティアの葉」を見つけてもらったとします。
そして、そこに「1年後に死ぬ」ということが書かれていたとします。
その情報に対して、あなたがどんな反応を示すか、それがあなたにとっての霊的な学びとなるのです。

あなたが「1年後に死ぬ」という情報を知って動揺し、もし恐ろしくなったり、無気力になったりして、何も手につかない状態になったとします。
そうしたら、そのメッセージ通り、あなたは1年後に死んでしまうでしょう。


★でも、あなたはその状況を変えることができるのです。
では、どうするのか…。

たとえば、あなたは動揺しながらも自分を深く見つめ、どうすればよいかの答えを見いだそうとします。
そして、自分が不安で心配しているときには、自分は「今の瞬間を生きていないのだ」という自覚に至ります。
そして、「そうだ!今の瞬間瞬間を楽しく生きてみよう!」という決断を下すとします。
そうすると、劇的な変化が起こってくるのです。
あなたは突如生き生きとして、幸せを見い出すようになります。

あなたはインドに再度行き、アガスティアの葉っぱをもう一度読み返します。
そうすると、アガスティアの葉っぱに書かれていた情報は、一体どうなっていると思いますか?
そうです。内容が変わってしまっているのです。


★覚えておいてください。
あなたが自分の意識を変えることで、時間と空間にこのような影響を与えることができるのだということを。

もし、あなたが「精いっぱい今を生きるんだ!」という決断を下さなければ、未来に起こり得る可能性、つまり「1年後に死ぬ」ということがそのまま実現してしまうのです。
でも、あなたが意識を変えるという行動を起こせば、未来を変えることができるのです。

今の自分を今の瞬間に変えることは、だれにでもできます。
あなたの意志さえあれば!!


参考過去記事 変化するのはペルソナではなくあなたの意識


ですから、「アガスティアの葉」に限らず、さまざま占いというものは、その情報をどのように生かして使うかということが大切なのです。
それがネガティブな情報だったからと言って、気落ちして無気力になってしまったら、それはそのままネガティブな情報となってしまいます。
だから、どんな情報であっても、自分の人生をよりよくするために、また、自分をよりパワフルにポジティブな方向に向かわせるために使うことです。
そうすれば、その情報は自分自身の傾向や可能性を教えてくれる素晴らしい「道しるべ」となるのです。

わたしがおこなっていた「数秘リーディング」は、その人の受け取り方、使い方によっては、非常に有益な情報となるということですね。
特に自己探究には最適な情報源となります。

とにかく情報というのは、それに対してどんな反応をとるかによって、その価値が決まってくるということですね。
すべては、あなたしだいです!



ハート
地球の終焉を迎える情報が現在飛びかっています。
いろんな情報があなたを不安にさせ、恐怖感を抱かせているかもしれません。

しかし、未来は決定してはいないのです。
あなたの意識しだいでいくらでも変わります。

自分はけっして最悪の状況を選ばない。
最高の状況のみ選ぶのだと、決断することです。
そうすれば、他の人々がたとえ最悪の状況に置かれたとしても、
あなたの未来は明るく、ポジティブな状況が得られるでしょう。

未来は変えられます。
アガスティアの葉が変わり得るように。




「闘う心」を忘れた日本人―自尊心のために闘う精神を持とう!

2011年09月22日 19:35



最近、報道陣に対して「放射性物質がうつった」などという趣旨の発言をした大臣が辞任されましたね。
皆さんは「船橋に避難してきた福島の被災児童が『放射能がうつる』と言っていじめられた」というニュースがあったのを覚えておられるでしょうか? 
同じような内容が、また今月になってから新聞記事に掲載されていました。
大きな問題として取り上げられているにも関わらず、同じことが繰り返されているのは、根本的なところがまったく変わっていないからですね。
下記は、4月15日の「時事通信社」による記事です。


「放射能うつる」といじめ=福島から避難の小学生に―千葉 

 福島第1原発事故を受け、福島県から千葉県船橋市に避難した小学生の兄弟が「放射線がうつる」といじめられたという訴えが市教育委員会にあったことが15日、分かった。
 市教委は同日までに、避難者の不安な気持ちを考え言動に注意し、思いやりを持って被災者の児童生徒に接するよう指導を求める通達を市立小中学校に出した。
 市教委によると、福島県南相馬市から避難し、3月中旬に船橋市の公園で遊んでいた小学生の兄弟が、地元の子どもに「どこから来たの」と話しかけられた。兄弟が「福島」と答えると地元の子どもは「放射線がうつる」と言い、数人が一斉に逃げ出したという。
 兄弟の親は今月予定していた同市の小学校への転入学を諦め、家族で福島市へ避難した。 


わたしは、これがいわゆる「いじめ」に当たるのかどうか、少々疑問が残るのです。
なぜかと言いますと、この福島から来た兄弟は「いじめられた」と思っているかもしれませんが、「放射線がうつる」と言って逃げた子どもたちは、その兄弟を「いじめた」とは思っていないんじゃないかと思うからです。

結果的に大変「思いやりのない行為」となったことは確かです。
しかし、最初から「いじめよう」と思って言った言葉や行動というよりも、とっさに出た自衛としての言動であったのではないかと感じるのです。
千葉県船橋市の子どもたちも、「放射線」の恐ろしさをマスコミや大人から聞いていて、不安な毎日を過ごしていたわけで、放射線が真に恐かったのではないかと思うのです。

彼らは自己を守ることだけに集中しています。相手を「思いやる言葉」などはきっと親から教えられていなかったのでしょう。
いつ自分たちも被爆するかわからない状況にあるとき、逃げるという行為は自然に生まれた方法であったと考えることもできるということです。
もちろん、「放射線について無知であった」ことは否めませんが。

そのあと、「船橋市民は恥を知れ」とか、「最低な親」とかいう批難コメントがあったようなのですが、そんなふうに船橋市民を批難している人たちも「同じ穴のむじな」であることに気づいてほしいと思います。
自分自身をはじめ、日本のだれもが、いまや放射線の被害者になっているんだ」ということを念頭に置く必要があると思うからです。

今、福島物産、お土産など、進んで買おうという試みが流行っているようですが、逆に福島産のコメや野菜を食べることを避けている人たちも多いのではないでしょうか。
放射線の心配がないものであっても、買うのなら別の産地のものを選びたい。そんな気持ちは、正直言ってだれにでもあるのではないでしょうか。それを風評被害だと言って、福島の人たちは怒っています。

しかし、これまでに検査もろくにせずにいい加減なことをして肉牛を市場に出したりしていたから、「国民の信用を失った」という部分もあるのです。
福島の人たちも、「より安全な商品を消費者の皆さまにお届けしたい」という愛の精神とそれに向けての努力が欠けていたのだと感じますね。
(頭の中は消費者のことよりも、経済の問題があり、自己保身の気持ちがなかったとは言えません)

さて、あなたはどのように感じられるでしょうか?

ここでわたしが感じたことは、「いじめた」とされたほうも、「いじめられた」とされたほうも、同じ被害者なのだということです。
みんな自分の命が大切なのです。それが今わたしたちが特に優先していることなんですね。
原発事故を起こした東電への非難も相当あるようですが、東電の人たちだって被曝して亡くなっているのです。彼らだって、被害者なのです。

福島から移転してきた兄弟の話に戻りますが、正しい知識をきちんと持っていれば、「放射線がうつる」と言って逃げた子どもたちに対して、「うつらないよ!」と断固として反論することもできただろうと思うのです。
ですから、正確な情報や知識は不可欠なのです。
(しかし、国民は正確な情報を政府から聞かされてはいないのが実情です。真相はうやむやにされていますね)

結局その兄弟は家族で福島に戻ってしまったわけですが、逃げずにもっと闘ってほしかったと思います。そして、お互いに理解しあってほしかったですね。福島原発事故による同じ被害者として。
そうすれば、今何をすることが最も必要なのかどこに矛先を向けるべきなのかが、もっと明確なかたちとなって見えてきたのではないかと思います。



★これは蛇足ですが、
今朝「国際環境NGOグリーンピース」 より、オンライン署名「2012年、すべての原発を停止してください」を行っていますというメールが届いておりました。

皆さんの願いとはうらはらに、野田首相は本日9月22日にニューヨークで開催される国連の『原子力安全と核の安全保障に関するハイレベル会合』で『安全でより信頼性の高い原子力エネルギーの確保は引き続き必要だ』と直ちに『脱原発依存』へ移行しない立場を明確にする演説を行うと報道されています
と記されていました。
せっかく菅首相のときに「脱原発」に向かっていたのに、がっかりです。

「署名締め切りまであと1週間。たくさんの方の声としてこのシナリオを政府に届けるため、1人でも多くの方のご参加をお願いいたします」ということですので、参加したい方のためにURLを載せておきたいと思います。

http://www.greenpeace.org/japan/2012/?gv20110922


★ いじめられないためにはどうすればよいのか? ★



自分とは相いれない異質のものを嫌って執拗に攻撃するといった深刻な「いじめ」は、昔からどこの国にもありました。
だいたい神代の昔からいじめはあったのです。
神自体が自分とは異質の神をいじめていたのですから、人間同士にいじめが生じても当たり前のことではないかと思うのです。

この「いじめ」に関しての見解は千差万別です。
「いじめられるほうに問題がある」と言う人、「どうであれ、いじめるほうが断然悪い」と言う人、「いじめられるほうにも問題はあるが、いじめるのは悪い」という人、さまざまです。

「いじめ」に関する書籍もたくさん出版されています。
わたしの場合は、次女が小学生から中学生のときにいじめに遭い、不登校を決め込んだときに購入して読んだ本が多数あります。
「いじめ」に関してのそれぞれの著者の見解を知りたかったからであり、同じように「いじめ」で悩んでいる子どもたちのために役立つようにと、いろんな人の本を買いそろえていたのです。
いろんな人の著書を読むことは、自分の思考を広めるのに役立つのではないかと思います。
(「いじめ関係」の本は、今後オークションにも数冊出品しますので、関心のある方はぜひご覧になってください)


★霊的な観点からすれば、「いじめ」はどっちもどっち、おあいこだと言えるでしょう。
原因があって結果が生まれる。過去生からの因縁も多々あるのです。
ひとりを大勢でいじめるような場合は、あまりにも相手のオーラが強すぎて、ひとりでは太刀打ちできないから集団でいじめるということもあるようです。(次女の場合はそうでした)

イエス・キリストが磔になったのは、同じユダヤ人から妬(ねた)まれたからです。
いじめを受けている人は、「もしかして、わたしあの人に妬まれている?」と思ってみることですね。
嫉妬や羨望は「いじめ」の大きな要因のひとつとなっています。 

★「原因と結果の法則」からすると、何の文句のつけようもないのです。
お互いに生まれてくる前に約束してやっていることもあるのだから、それはそれで「尊い学び」なんじゃないの? と思います。
個人的ないじめの場合は、ほんとうは第三者が立ち入ることなんて、できないのかもしれません。
どんな事象も深い意味があって起こっていることなのですから。

しかし、だからと言って、暴力や暴言に黙って耐えなければならないかということですが、そんな必要はありません。
理不尽ないじめに対しては、断固として抵抗すればよいのです。
いじめられて自殺していった子どもたちは多数います。
自殺をする勇気があるのなら、なぜ死ぬつもりで抵抗しなかったのでしょうか? 
死ぬつもりでケンカをすることもできたはずです。

ケンカをするには、「自分は悪くない」、「私は正しい」という自覚が必要です。
そして、相手にたいして「こんちくしょう!」、「もう我慢ならない!」、「おまえの思い通りになんかなるもんか!」と思わなければできません。
つまり、自分自身に対して罪悪感がなく、誇り(自尊心)がないと、ケンカにはならないのです。


現代の日本人は「平和主義者」が多いですね。
「怒る」、「ケンカをする」、あるいは「闘う」ということに対して、何かしら抵抗を感じているような気がするのです。
非常に消極的なんですね。「怒る」のはよくない。「ケンカ」はよくない。「闘い」はよくない。
それで、自分さえ我慢したらすむことだと思っているようです。
右の頬を殴られたら左の頬を、上着を盗られたら下着を差し出せ」という教えを忠実に守るクリスチャンみたいな人たちです。
だけど、それに耐えられなくなると、死を選ぶわけですね。

しかし、世界中に存在する真に熱心なクリスチャンですら、そのような平和主義の精神を実践するようなことはしていないのです。
自分たちを脅かす異教徒と戦った十字軍や大王などは、クリスチャンたちから称賛されてきました。
そして、当のイエス自体が「闘う」ことをけっして否定してはいないのです。

イエスは言っています。

人々は、私が世界に平和をもたらすためにやってきたと思っているかもしれない。
彼らは、私が地上に分裂を、火を、剣を、戦いをもたらすために来たことは知らない。

(「トマスによる福音書」16より  マタイ10-34~ ルカ12-51~参照)
 

(参考過去記事 自分自身を征服すること―天国に入るための必要条件


★ 自尊心のために闘う精神を持とう! ★



★この世の中には、大きくわけて2つのタイプが存在します。
まずどのようないじめ、迫害があっても抵抗しない、闘わないという「平和至上主義」の人たちです。
そして、もうひとつは「闘うことは尊いこと」だとして、闘いながら自らの生命や主義を守ろうとする人たちです。

このうち、いじめで自殺した人たちは「平和至上主義」の人たちと言えるでしょう。
もちろん、この平和は外側だけの見せかけの平和であるわけです。
迫害者に対して何の抵抗もしないので、相手を増長させるだけですね。

わたしから見ると、こういう「平和主義者」は善人と言うよりも、「偽善者」という感じがします。
たとえ迫害を受けた側に何の非がなかったとしても、その迫害者に抵抗もせず、言いなりになっていること自体が罪です。悪を止めることができないだけでなく、悪の片棒を担がされることにもなりかねません。
相手に好き放題やらせっぱなしでは、その人は一生奴隷となって生きるしかないのです。

正しい者はやはり強くなければならないと思いますね。
どちらを選ぼうと選択の自由はありますが、わたしなら、まちがったことに対しては断固として抵抗するほうを選びます。
妥協などはしたくありません。自分の信念を貫きます。
それで負けたとしても本望ですね。わたし自身の尊厳は守られたままですから。

★日本の「武士道」には「自尊心のために闘う」という精神が宿っていました。
相手に「おくれをとらない」ということ、いつも行動の上において優位に立つということです。
他者に勝つ」ということは、「自分自身に勝つ」ことによってはじめて可能であるということが前提にあります。
自己に克つこと」が「おくれをとらないこと」の必要条件だということです。
つまり、「生命に執着し、臆病なふるまいをすることを最大の恥」だというのが、当時のサムライの根底にあったわけです。
ですから、「金を出せ」とか、「金を盗んで持ってこい」などという強迫に恐れをなして、その通りにすることなどは最大の恥だということです。それなら、死にもの狂いで抵抗せよということですね。



ベンジャミン・ディズレリーというイギリスの政治家がいました。
保守党指導者として1867年第二次選挙法改正を実現し、68年と74年に首相となり、ビクトリア朝の帝国主義的外交を推進したという人です。
この人はユダヤ人であったのですが、自分がいじめにあったときに親に頼んでボクシングを習い、十分自信がついたときにいじめっ子の大将とケンカをして打ちのめしたのだそうです。それでいじめられなくなりました。
この「いじめられてなるものか!」という気概が、保守的な時代のイギリスにおいて、彼を首相まで前進させたのです。


追記: だからと言って、けっして暴力をススメているわけではないことぐらい皆さんおわかりですよね?
むやみにコントロールされたり、殺されたりしないために正当な防衛は必要だということです。
世界の情勢を観てください。現在あまりにも無防備で死んでいく人たちが多いのがわかりますね。
地上で自由に生きる権利を守るためには、自らが立ちあがる必要があると言っているのです。
この辺りをカン違いしないでくださいね。



ハート
「闘う心」を忘れた現代の日本人。
どうか「いじめを許さない」、「いじめられない精神」を培っていただきたいと願います。

「みんな仲良く調和してやりましょう。ノ―サイドで」なんて言う総理大臣となって、
政党でも「闘うこと」を尊ばなくなってしまいましたね。

政党内でもめているのは確かに見苦しいけれども、妥協だけはしないでもらいたいと願います。
お互いに相手とは異なる見解を理解し、反対勢力との調和を目指していくことと、
自分の真実に背いて妥協することとは、まったく別のことですから。



自分を観るということ

2011年11月04日 01:00


皆さん、お元気でしょうか?
眠かったり、体調が優れなかったりの人が多いのではないかと思います。

わたしも一時期はとても眠くて、本を読んでいると、つい目が閉じてしまい、そのまま眠ってしまうことが何度もありました。
最近は調べものが多く、毎日ずっとパソコンに向かいつづけているので、健康にはあまりよくないかな? と思っています。

秋も深まりつつあり、紅葉も始まり、そろそろ動きだしたくなってきました。そういうときはきっと皆さんも動きたくなるのでしょうね。
どこへ行ってもやたら人が多いため、また疲れが出そうな気がしますが。(笑)

どこかまだ知らない土地へ旅にでかけたい、
ひとりで静かに自分を見つめ直す時間を持ちたい、
そんなふうに、わたしの魂が騒ぎはじめている今日この頃です。



★ 自分を観るということ ★



この目まぐるしい毎日の中で、あなたは自分自身を見つめていますか?

わたしは皆さんに繰り返し「自己探究のススメ」をお伝えしてきましたが、自己の探究は進んでいるでしょうか?

自分を観る」ということは、まず自分の言葉で自分のことを語り、そして他者にそれを正直に伝えることから始まります。

自称オリオンの天使「アーリオ―ン」は「自分を観ること」を勧めています。
自我の確立には、まず自分を知ること」が必要不可欠だからです。

自分を知る」というのは「言うは易し行うは難し」の代表選手みたいなものだと彼は言います。
自分で思い込んだ世界での自分を知るというのではなく、自分と呼ぶ個体の生きている環境の中の雑多な反映物をも通して知ることも必要だ」というわけです。


アーリオ―ンは、こんなふうにわたしたちに語ってくれています。


こんなときに自分はこう思った。でも、友人は別のことを思った。
この違いは何なのだろう? 
自分はこうであるのに、友人はこうではない。
自分と友人の違いは何だろう? 
と考え、お互いの持つ違いや差を認識して、その差をお互いに超えてゆくことを目指すためには、自らの性格をまず見つけること。
そして、いろいろな基準に基づく評価を与えないことから始める。
これを、「自分を観る」と私は名づけているんだよ。


他者の反応は自らのものとは異なるはずだ。
どこがどう異なるのか?
異なる点について自分は、どう感じるのか?
そうした事がらを誠実に会話する努力なしで、
一般論を持ち出していては、
自分を観ることから遠ざかることになる。


コスモス


何を観るのか?
まず「ああなりたい、こうなりたい」という思いを外した部分で、
自分はいったい何のために自分の生命を投げ出すことができるのか?
ということを考える。
そうしたときにこそ、自分が何であるか、何がしたいのかが見えてくる。
この状態のときに、もっとも人は謙虚に自分の生命を見つめることができる。
そうした裸の状態の自分を観ることができた時に、
初めて自分の周囲が観えてくる。


「見たい自分」とは、すでに知っている自分。
「見たくない自分」とは、知っていても故意に見ようともしない、
あるいは全く気づかない場所に、忘却のかなたに追いやってしまった自分。
これらを等価値に見る練習をすることから始める。


自分を見るときに、人は自分にとって気持ちのよい自分を見ようとする傾向がある。
だが、あえてそれをしないで、見えてくるままを見るということだ。
そもそも気持ちがよいと信じ込んでいることであっても、
流行り廃りがあり、一昔の日本人にとって心地よい状況も、
現代の日本人にとっては心地よくないということも多々あるのだ。
そういった流行り廃りのない、ほんとうの自分の姿だけ見ようとするということは、真実の宇宙の姿につながる方法のひとつでもあるんだよ。



うさぎ形の観葉植物
  うさぎの観葉植物  撮影 光の仕事人



ほんとうの自分を見ること。
それがたとえ『こうありたい自分』から遠く離れていても、それを認めること。
認めることは嫌いにならないことだ。好きになれとは言わない。
認めるということは、嫌いにならないこと。
そして、好きになることでもない。
ただ、ありのままに『それを、そこにあると知る』ことなのだ。

この行為を通して、あなたがたは多くのことを見つけるだろう。
それは『自分とはこういうものだ』という枠を壊すことにつながってゆくだろう。
つまり、自分を何にも規定したりしないこと。
自分を自分として見つけることができるようになる道へつながる行為になるからだ。




     コーヒー1
        一杯のコーヒー  撮影 光の仕事人



ハート

日々忘れることなく、「自分を観ること」を実践しましょう。

まず「思いの制限」を取り払い、
肩にかついでいるものや、
背中に背負っているものをすべて下ろして、
軽くなりましょう。

一杯の熱いコーヒーをじっくりと味わいながら、
あるいは、香りのよい紅茶を楽しみながら、
または、たっぷりとミルクを入れたココアをすすりながら、
「自分とは何ぞや?」 
と静かに問いかけてみましょう。

それを実践することで、いつも人に依存しないで自分で考えられる自分、
ゆるぎない自己確立ができた自分となっていくことでしょう。




自立するということ

2011年11月07日 00:00



前回は「自分を観ること」について、また「自分とは何ぞや?」と、だれに頼ることなく自らが追及していくことの大切さをお伝えしました。

つまり、他者への依存や、片時も離したくなかった大好きな「くまのぬいぐるみ」を手放し、自分自身を確立しましょうということです。


★ 一方的なパラサイト人間 ★



依存」というもの全てがよくないわけではありません。
当然のことながら、わたしたち人間はさまざまなものに頼って生きています。
第一に空気や水や食べ物がなければ、生きることはできません。
多くのものを地球が与えてくれているからこそ、人類は生き続けてこられたのです。
人類がその恩恵に深く感謝して、地球と調和した生き方をするのであれば、何も問題はありません。
地球も豊かな資源を惜しみなく与えてくれるでしょう。

しかし、地球に対して何の貢献をすることもなく、地球の資源を一方的にむさぼり、使い果たす人間たちがいます。おまけにネガティブな悪想念をまき散らし、清らかな大地と空気を汚し続けているのです。
悪想念だけでは事足らず、生命を死滅させる放射線物質までまき散らし、今もなお懲りずに原子力発電を稼働し、維持し続けています。
こういう人間たちを悪性の「パラサイト」と呼びます。
(過去記事 悪性のパラサイトとなっている人類への警告―地球に寄生する人類のあり方 参照)


それは、地球に対してだけではありません。
子どもがおとなになっても依然として親に依存し続けたり、誰かにやたら依存し続けたりする人たちも「パラサイト」です。相互に依存するのではなく、一方的に依存し、エネルギーを吸い取るバンパイアみたいな存在です。

そういう人間が地球上に文明を創り、社会を作り、そして人間関係をつくってきたのです。
東北で大震災が起こったあと、被災地の人たちが、ある放送会社のインタビューに答えていました。
ある若い女性はこう言いました。「早く復興させてほしいです」と。

復興させてほしい」とは、どういうことなのでしょうか?
一体だれに対しての希望なのでしょうか? そう、政府です。

当時、政府に対して、対応が遅いだの、早く支援物資を送れだの、仮住まいを建てろだの、早く復興させろだのと注文をつけていたのです。
自分たちは被害者で、被害者に対して責任を持てというわけです。
すべて受け身の姿勢です。全面的な国に対する依存状態です。

なぜ、自分たちの手で復興させようと立ち上がらないのか?
自分の生きてきた土地を自分たちの手で甦らせるのが自立した人間の姿ではないのか? 
そんな疑問が残りました。


★ 政府に支えられるひとは政府を支えている ★



現在は、政府の対応のまずさも加わって、ようやく自らの手で町を甦らそうという動きが出てきました。
「そうでなければね」と思います。

政府があまりてきぱきやってしまったり、支援しすぎると、人々はそれに甘んじて、自ら何の行動を起こさなくなってしまうのです。
人はますます政府に依存し、弱者となっていきます。
政府はできるだけ多くの人を支援したいと考え、被災者が喜ぶように、借金をしてまで膨大なお金を使おうとします。
何のためにですか? 政府のためにです。
大勢の国民を助ければ、大勢の国民が政府を助けなければならなくなるのです。

政府に支えられるひとは政府を支えている
これは、二―ル・ドナルド・ウォルシュ著「神との対話」のなかに出てきた言葉ですが、じつに的を得ていると思いますね。

そんな弱者を惑わす援助などに頼らず、自ら立ち上がるべきなのです。
自分にふりかかった火の粉は自分ではらわねばなりません。人にはらってもらおうと待っていたら、そのうち焼け死んでしまうかもしれません。

過去記事「支援する人、される人―その2 相手の力を弱めてしまわない支援を考える」にも詳細は書きましたが、アーリオ―ンも同様のことを言ってます。


自ら立ち上がり歩もうとしない者に、
手を差し伸べ、歩ませようとする努力は、
見ようによっては美しく見えるが、
これはお節介だと知りなさい。

自ら立ち上がる努力を放棄し、他者に依存して立たせてもらいたい者は、
自らの手で得るものは何もないのだから、
何も得ないという結果を持つことが、学びとなる。

自ら立ちたいが能力的に立てない者、
最善の努力を払ったが立てない者には手を差し伸べよ。
自ら立つことが歩みの第一歩だ。 



いわゆる「可哀そうな人たち」に手を差し伸べればいいというものではない、それが必ずしも立派な行為であるとは限らないということを、再度知っていただきたいと願うしだいです。




  赤いコスモス   撮影 光の仕事人



☆ アーリーオ―ンからのメッセージ ☆



人よ、人としての誇りを失うな。
己を高めるためには己の足で立ち、
己の目で見、
己の手足で触るしかないのだ。

それが物理的に可能であるにも関わらず、
己の足ですら立とうとしない者たちよ、
あなたがたが依存し続けている人間関係、
そして基盤にある社会は
すでに壊れはじめている。

それらを壊したのは、
依存し甘えの相互享受を望み続ける
あなたがたの心だ。




コスモス2
 ピンク色のコスモス  撮影 光の仕事人



つぎに記載する言葉は、わたしがこのブログを通して、これまで皆さんに伝えてきたことを端的に表現してくれている内容です。
ここで、わたしに代わってアーリーオ―ンが、未だ扉をひらくことができず、扉の前で昏迷し、茫然とたたずんでいる人たちに送る『とどめのメッセージ』です。


愚かなる者たちよ、
扉の前でたたずむか。
扉の材質について、形状について語り、
それで扉を知ったつもりになるか。


扉を知って、それで終わりか?
扉は、何のためにあるのか。
こちら側と向こう側に出入りするためのものだろう。


扉の向こう側には、どんな世界があるか。
わからないから、扉を開けるのは怖いと言う。


わからないなら、なぜ、怖いのか?
真実は、分からないから怖いのではなくて、
自分が「わからないもの」に対応したくないだけのことだ。
対応しても、立派にこなせるかどうかわからないから、怖いのだ。


立派に対応できなかったら厭だ、
そんな自分を想像しただけで傷つく。
ならば、わからないものには立ち向かわないほうが良い、と考える。
愚かなことだ。


わからないものに勇気をもって対応しようとする者に、
惜しみない賛辞を与えながら、
心の奥底には嫉妬の炎が燃える。
そして、頭の片隅で一生懸命に自分が対応しない理由を、
だれに話しても納得してもらえるような、
美しい正当な理由を考える。
愚かなことだ。


長年、これを繰り返すと、
自己暗示によって、
わからないものに傷つきながら対応することを
嘲るようになる。
さらには、そうした行為をしようとする者を説得しようと試みる。
最後には、相手の可能性を潰してまで阻止しようとする。
愚かな…。


自立しなさい。
自立とは、わからないことの連続だ。
一瞬一瞬の行為を自らの決断で選び取り、
その結果起きるであろう全てのことに責任を持ちなさい。
だからといって、排他的になる必要はない。
だれの意見であれ、自らの意志で選んでいるんだという自覚がなければ、
自らの能力を試す結果である責任も自分の手には入らない。
自立とは、そういうことだ。 
                    
                         「アーリオ―ンメッセージ」より




ハート
悟り」とは、「自分を知る」ということです。

自分を知らないことを「無知」といいます。(笑)
わたしたちがここにいる最大の目的は、「真の自分を知る」ためです。

自分を知らないでは、何も始まりません。
死んでも「ここはどこ?」「わたしはだれ?」状態になります。

「わたし」とは、だれか?

宇宙と自己との関係を知り得た者こそが、
真に「悟りに到達した人」なのです。 
己を知り、立ちあがりましょう。



自らの鏡を清めなさい

2011年11月21日 01:00


★ 常に意識して自己を省みること ★



このところ、「数秘リーディング希望」のアンケートばかりが来ており、その内容に著しい記入漏れがあったり、同じ人から繰り返し送信があったり、正直言って、ちょっと嫌気がさしてきておりました。
光の仕事人がキレるということはかなり珍しいことですが、下記のアンケートを読んで、とうとうキレました。(苦笑)


【 お便り・感想 】:
こんにちは。はじめまして。
こちらでは、必要に感じたこと、気になったタイトルのものを読んでいる為、全てを読んだわけではないのですが、興味深い内容をボリュームたっぷりの量で読ませていただいていることに感謝しております。

それに加えて、数秘リーディングまで無料でしていただけるなんて…*すごくお得な気分です。
実は数秘は自分でも読めるのですが、光の仕事人様が、その数のエネルギーに対して、どういう言葉を使うのか、言葉が違うとまた違った視点で自分を眺められると思っていますのでお願いさせていただきました。どうぞよろしくお願いいたします。

この方は、ご自分の住所、氏名、生年月日などの必要事項をまったく書いておられませんでした


★まず、わたしは「数秘リーディングを無料でやります」と言った覚えはありません。
今までも、きちんとそれに見合った金額をいただいた上でおこなってきました。
料金をいただく理由も、ちゃんと記事に書いていますね。

数秘を自分で解読できる人は、どうかご自分で気がすむまでお調べになってください。
すでに自己の探究はできているはずです。
また、数秘を知りたいだけであれば、わたしでなくても、数秘リーディングを生業にしている人たちは数多おられるので、そちらのほうでお願いします。
わたしは数秘をきっかけとして、「真剣に自己探究をしたい人」のみを募っているのです。

光の仕事人の「気づきの教室」や「気づきのコース」のカテゴリにある全記事を読んでおられたなら、このような甚だしい思い違いは決して生じなかったことと思います。


★ 参照 過去記事 ★


*「自分の魂の純粋な質」と「人生の目的」を知ること
*「気づきのコース」へのいざない 
*アセンションとは内なる自己の大爆発  
*光の仕事人からのメッセージ ―「気づきのコース」終了のお知らせ  
*出会えた奇跡に感謝   など 



この方は、「全てを読んだわけではない」と書いておられますが、「数秘リーディング」を希望するのであれば、せめてそのカテゴリぐらいは読んでいただきたいものだと思いました。

7月で「気づきのコース」を終了したのも、現在わたし自身の為すべき仕事があり、毎日忙しくなるからというのが理由の一つにありました。
ほんとうはこのブログも7月末で終了する予定でした。そのことは、ずっとお読みくださっていた読者さんはご存じのことと思います。

リーディングする時間がなかなかとれなくなった」ということで終了したわけですが、それでもなおかつどうしても「自己探究をしたい」という切実な思いがあって、数秘リーディングを望まれる人がおられるなら、その意欲と情熱に免じて、「わたしのハイア―セルフがOKなら、いいですよ」とお伝えしたのです。ですから、以前のように、門戸を大きく開いているわけではないのです。

好奇心のみで門戸を叩いてほしくありませんし、『「気づきのコース」へのいざない』に書いたチェック項目を全てクリアする気がない方は希望されませんよう、どうかくれぐれもお願い致します。
(今のところOKが出たのは、8名中1名のみですが、それだけ準備ができていない人が多いということです)
 
最近訪問した読者さんのなかには、早とちりがあったり、記事を読んでも十分に理解しておられないことがわかります。記事やメールでお願いしたことさえも、実行していただけない状態です。
こちらのニーズを全く理解しようとはしていない、自己中心的であり、相手のことまで考える余裕がないことがわかります。
準備ができているかどうかという以前に、人間としての基本的なマナーが欠けていると言えるでしょう。
どうか常に意識して自己を省みることを忘れないでください。 



光4



★今後はOKサインが出た人にだけメールを送ります★



★すべては過去のブログ上で十分に説明しておりますので、新たに説明を加えるのは、今回限りです。

★今後「数秘リーディング」は、このブログをすべて読破した方に限らせていただきます。(自己申告してください)
そして、ハイアーセルフのOKサインが出た人のみメールでお知らせすることに致します。
よって、2日以内に返事がこない場合は、「準備ができていなかった」ものとして、悪しからずご了承いただきたく思います。

大変厳しくなって申し訳ないのですが、あまりにご理解がいただけていないために多くの手間がかかるので、このような方法をとることにしました。
ご了承くださいますようお願い致します。



★ 前回の記事でお伝えしたコトノハさんへ ★

その後、あなたの携帯電話や別のメールアドレス、ご主人のアドレスなどをお知らせくださいましたが、とりあえず20日の早朝、ご主人のアドレスのほうにお返事を送信しておきました。
その後応答がないため、やはり届かなかったのだと残念に思っております。
それで、他の読者さんにも参考になるように、あなたにお送りしたメールの内容を少し変えて、大切なことをお伝えしておきたいと思います。


★ まず必要なことは自分を浄化すること ★



あなたの今現在の必死の思いはよくわかります。
大変なご心労かとお察し致します。
しかし、わたしのハイアーセルフのOKサインは出ておりません。
たとえ数秘リーディングをしたとしても、おそらく今のあなたの役には立たないでしょう。

あなたがまずしなければならないことは、ご自身の浄化です。
あなたが今生に生まれたのは、あなた自身のカルマを清め、解放するためです。
ご先祖や知人などのカルマを背負うためではありません。
彼らがつくったカルマは彼らに任せておけばよいのです。
自業自得とはそういうことです。
自分のつくった悪業を他人に浄化してもらって、それが何の役に立つでしょうか? 
もしそれを求める先祖がいたなら、厳しく問いただすことも必要です。

声に出して、先祖に言い聞かせてください。
あなたのしたことはあなたが償いなさい。人を頼らず、自分で解決しなさい。それが、己の魂を進化させ、高みへと運ぶ唯一の道です」と。

あなたは他者のことをあれこれと心配せず、毎日自らが楽しく生きることだけを考えてください。

あなたは霊媒体質なので、心身ともにとてもつらいであろうと思います。
一切の霊的な縁を絶ち切り、今はただご自分の浄化にだけに焦点を当てるよう努めてください。
浄化法や霊的な縁の断ち切り方はブログに記載しております。
毎日何度も繰り返し、自分を悩ませる霊的な存在との縁を断ち切ってください。
ご自分の守護霊を呼び、一緒に協力してくれるよう、真剣にお願いすることです。
これは、相当の覚悟が必要ですよ。


あなたが長年関わってこられた人物に対しては、わたしがコメントすることではありません。ですから、ご自分の目でしっかりと見極め、判断されることです。
自分の直観でおかしいと思えば、縁を切り、関わらなければよいのです。 
その自分の直観自体が信じられない場合は、その人物についての意見や感想を、ほかの信者さんなどに尋ねてみられるのも参考になるでしょう。
とにかく正しい判断ができる自分となれるよう、日々の浄化を怠らないようにしてください。


★ 自分こそ自分の寄る辺 ★



他者に全面的に依存することは、自分の力を弱めることにつながります。
特に霊能者に依存するのは危険です。その理由は何度も繰り返し、過去記事で伝えていますね。

霊能者が見えたり聞こえたりした内容を鵜呑みにしないこと。
霊能者の多くが、怪しい存在に操られているということを覚えておいてください。
耳元で声が聞こえたりするのは、たいてい悪霊か、意識の低い霊の仕業です。

直観」というのは、ことばで理解するのではなく、「あっ!」と一瞬で全体(事のしだい)が把握できる能力です。
頭で、ことばとして理解するのではなく、ハートで感受するのです。


そして、頼れるのは、唯一自分のみですよ。
だからこそ、「頼れる自分」になる日々の努力が必要なのです。

ゴータマ・ブッダは言っていますね。
自分こそ自分の寄る辺(拠り所)であると。

自分以外の他人が、どうして自分の寄る辺となることができるでしょうか。
心身ともによく整った自分こそ、ほんとうに得難い寄る辺となることができるのです。 
だからこそ、日々の浄化が欠かせないんですね。




★話は変わりますが、
「コメント蘭」からの投稿で、「私のは、なぜか反映されていないのです」とありましたが、コメントを出すか出さないかはわたしの判断及び、ハイアーセルフの判断です。
全てが反映されていないのは、それなりに理由があるからです。
コトノハさんは「正しい正しくない、こうすべき、こうすべきではない…
という自分勝手な制限をもうける傾向にありませんか?
全てを解放して、楽になってください。
そして、静かにひとりになって自分自身をみつめてみましょう。



光2



以前にも記事に一部載せたことがありますが、
再度ブッダの言葉を味わってみてください。


偽りを真実とみなし 真実を偽りと思いあやまるならば
人は真実を見落として みずからを欲望でみたす

偽りを偽りと見抜き 真実を真実と見定めよ
胸のなかをのぞきこみ みずからの本性にしたがえ

省みることのない心は 粗葺きの屋根のようだ
激情が、降る雨のように 家屋を水にひたす
よく葺かれた屋根のもとは よき避難所となる

不純な思考にしたがう者は この世でもつぎの世でも苦しむ
どちらの世でも苦しむ 
みずからの犯したあやまちを見て このうえもなく苦しむ

だが、だれであれ法にしたがう者は
この世でも喜びに満ち かの世でも喜びに満ちる
どちらの世界でもかれは喜ぶ
みずからの為した善きことを見て このうえもなく喜ぶ

つぎの収穫がすばらしいので つぎの世の収穫はいっそうすばらしい

聖なることばをあまた読み習おうと あまた語ろうと
それを実行しないならば なんのたしになろう?


相手の羊をかぞえるばかりで 道を分かち合おうとしないような
あなたはそんな羊飼いだろうか?

わずかしか読まず 語ることばさらに少なく
されども法にしたがって為す

激情、敵意、愚かさ―
古いやりかたを手放せ
真理を知り、やすらぎを見つけよ
道を分かち合え
          
ゴータマ・ブッダ 「ダンマパダ」より




光


OSHOは言います。

あなたがたは成就するためにこの世界にやってきて、
手ぶらのまま、満たされぬまま去らねばならない。
また再びやってこなければならないのはそのためだ。

そのレッスンを学ぶまでは、
あなたはどこかの子宮に何度も何度も投げ返されねばならない。
もう一度生まれてこなければならない。
もう一度学校に戻らなければならない。
あなたは何百万回も戻って来たのだが、注意を怠るなら、
またこの生でも列車に乗り遅れることになる。

気をつけなさい!
映し出すことができるように、
自らの鏡を清めなさい



ハート
もうこんな3次元の物質世界に戻ってきたくない人は、
今生で悟り、自己を確立してください。

あなたの心ひとつで、すべてを創るということを
お忘れなく。



真実は事実よりさらに高い

2011年11月27日 17:00


★ 日本史の信憑性 ★



日本の歴史を顧みて、最近つくづく感じることは、書き残された日本史をどこまで信じられるかということです。
日本の正史と言われる古事記や日本書紀。それは事実を内包した物語であり、編纂者が自分の都合のよいように改ざんしたフィクションではなかったかということです。
そこに表現された内容がすべてその通りであるとは限らないし、伝えたくないことは一切記されず、真実は隠蔽されていて、読む者を昏迷の淵に追いやります。

そこで唯一気づかされたことは、それらの作者たちがそこに記した内容を正史として後世にぜひとも残したかったという強烈な意志表示と、いかに自分の正当性を知らせ、美化したかったかという欲の深さです。
表があれば、必ず裏があります。表が光り輝いて見えるほど、裏は闇に満ちているということをいつも忘れないことです。光と闇は絶妙なバランスで存在しているんですね。
「記紀」に残されたものは、ただ首謀者の「もくろみ」のみです。

正史は「天皇」によって編纂されました。当時の「天皇」によって、黒いカラスも白いカラスにすり替わってしまうのです。神話を創り、「天皇=神」としたのも、その権威をゆるぎないものにする大きな「もくろみ」であったのだと思います。

改ざんに改ざんを重ねたものが、真剣に読むに値するものであるかどうか、だれにもわかりそうなものですが、未だに「記紀」を基本にして論争している学者たちが減少しないという不思議な事実があります。
また、記紀以外の古史古伝竹内文献、宮下文書、秀真伝、上記、九鬼文書、東日流外三郡誌、物部文書、先代旧事本紀大成経)などは偽書として取り扱われています。
もちろんこのような古史古伝がすべて事実を書き表しているとは思いませんが、それらを偽書と言うのであれば、「記紀」だって偽書の部類に入るんじゃないかと思うわけです。

実際に起きた出来事を、事実と言います。
事実はただ一つしかないという人がいますが、ほんとうにそうでしょうか?

千人いれば、千通りの真実があるように、この世の中に「絶対的な事実」というものも存在しないということです。
事実といっても、結局は主観で判断しているのです。だから、事実も主観によって変わり得るものだということです。目の前で実際に起こっていることをそのまま記録したとしても、見る角度によって、まったく隣の人とは違う記録となるということなのです。



★ 勝てば官軍 ★



勝てば官軍 負ければ賊軍」ということばがあります。
「戦いに勝ったほうが正義となり、負けたほうが不義となる。道理はどうあれ強い者が正義者となる」という譬えですね。

皆さんは日本史で「大化の改新」について学ばれたことがあったでしょう。
その前夜に起こった「乙巳の変」で、暗殺された蘇我入鹿(そがのいるか)は悪人で、入鹿を滅ぼした中大兄皇子と中臣鎌足は善人であり、ヒーローということになっています。
暗殺の理由は、入鹿が聖徳太子の息子であった山背大兄王ら上宮王家の人々を自殺に追い込んだためだということになっています。しかし、「藤氏家伝」では、皇極天皇即位に関して山背大兄王が謀反を起こす恐れがあるため他の皇族と謀って暗殺したという『日本書紀』とは矛盾する記載があるとされています。つまり、犯行は入鹿の独断ではなかったということなのです。

中大兄皇子側にとって、自分たちの行為を正当化するには、入鹿を極悪非道の人間に仕立て上げなければならなかったということです。
蘇我氏をすばらしい人物だったと讃える研究者たちもいますし、しだいにその裏側が暴かれてきていて、最近の歴史はおもしろいなと感じている次第です。


★ 膨大な資料が焚書されて消えた ★



都合の悪い文書は燃やして始末するというやり方は、古代から頻繁に行われてきました。
それについて、ちょっと現在風のたとえ話をしてみましょう。

「原子力発電」について、賛成の立場から書いた本と反対の立場から書いた本があるとします。その視点と見解が違うことはわかりますね。
それで、あるとき政権を取った側が「原子力発電」の崇拝者だったとしましょう。政府は自分たちの都合のよい文献だけを残し、その他の都合の悪い文献のすべてを焼却し、生きていると都合の悪い著者も抹殺し、二度とその本が出版されないようにしたとします。
都合の悪い事実は消せばよいので、2011年に実際に起こった「原子力発電所の事故」さえも、なかったものとします。
1000年後に日本の歴史書を読んだ人は、その事実を全く知らないままとなりますね。そして、原子力発電は1000年前からずっと安全で、すばらしい発電方法だったのだという偽りの結果だけが残っていくのです。

これが、古来日本の政治で頻繁に行われてきたことなのです。
この世に存在しない人物をいかにも当時生きていて、活躍したかのように書くことなどは朝飯前です。
また、自分にとって邪魔な人物はつぎつぎと抹殺し、その祟りを恐れるがゆえに、殺した相手を丁重に神社に祀るという行為をしてきたのです。

罪無くして殺された桓武天皇の弟、早良(さわら)親王は死後「崇道(すどう)天皇」という名をつけられました。
」の字は、「尊い」という意味ですが、「」の字が「祟り」と言う字に似ているのも関係があるかもしれません。
崇徳(すとく)上皇聖徳(しょうとく)太子も同様です。祟りがあったからこそ、その人を讃えるようなすばらしい諡号(しごう)を贈られたのです。
崇徳や聖徳太子以外にも、死後「徳」という文字がつけられた人たちがたくさんいますね。
孝徳、称徳、文徳、安徳、順徳などの「徳」の字がつく天皇は、不幸な死に方をした天皇だとされているのは、なるほどと頷けます。
天皇に贈られた諡号を調べるだけでも、その当時の状況(真相)がわかるということもあるのです。


真実はその人の意識レベルによってそれぞれ異なる」ということ。
よって、日本の歴史に関しても、学者や研究者の数だけ見解が生まれ、言っていることがみんなまちまちで異なっていることについては、どうしようもありません。
もし学説には一切頼らず、自分で検証し、判断しようとするなら、それこそ脳内沸騰状態になるような(笑)大変な作業となることでしょう。

真実」と「事実」と「もくろみ」。
このじつにややこしい関係について考えていたとき、古い「和尚タイムズ」のなかにつぎのような文面を見つけました。
それは、とても興味深い内容でした。
真実は事実よりも高い」というOSHOの見解を、皆さんに抜粋してお伝えしたいと思います。



光


★ 真実は事実よりさらに高い ★



真実がかならずしも事実であるということはない。
事実はより低い現象であり、真実はより高い現象だ。
ときには真実が事実であるかもしれないし、ときにはそうでないかもしれない。
事実がその決定要因にはならない。
生には、事実が内に含むことのできない、より高い経験が存在する。

西洋のマインドはあまりにも事実に中毒してしまっている。
事実であることはすべてほんとうのことのように思われ、
事実でないことはすべて当然のごとく真実ではないことのように思われている。
これは西洋人の強迫観念だ。

真実はときに事実的であり、ときにそうではない―。
真実はかならずしも事実ではないと私が言うのはそのためだ。
このために、西洋の科学的精神は人間に魂があることを容認することができない―。

なぜなら、それは事実とは関係がないからだ。
肉体は事実にもとづいているが、魂は真実ではあっても事実ではない。
それに、事実を知る方法によって真実を知ることはできない。
その接近の仕方は全面的に異なったものでなければならない。

たとえば、あなたがバラを見るとする。
その美しさは真実であるが事実ではない。
あなたはそれを証明することができない。
バラの美しさを証明する方法はない。
その色については証明できる。
その重さも、その科学成分も明らかにできるが、
その美の感覚を証明することはできない。

だが、美よりもさらに高いものが存在する。
テニソンがつぎのように言ったと伝えられている。
一輪の花、根その他すべてを理解することができれば、
全存在を理解することができる

なぜなら、その花は事実以上の何かを含んでいるからだ…。
秘められた真実、本来備わっている真実性を。

しかし、そのような真実性に
科学的な実験で使われる粗雑な測定器具をもって近づくことはできない。
真理には別の方法よって近づかなければならない。
瞑想によって、愛によって…。

もくろみは真実でもなければ嘘でもない。
もくろみはたんに創造的な方策だ。
信頼するなら、それは役に立つ。
信頼しないなら、それは役に立たない。
それはあなた次第だ。

もくろみは事実よりも高い。
それは真実よりは低いが、事実よりは高い。
それはあなたを事実から真実へと導く。
それはその二つのあいだの橋だ。
それは事実でもなければ、真実でもない…
それは手がかりだ。



一輪のバラ
      一輪のバラ  撮影 光の仕事人



こんな話がある。

ババリヤ地方のある農夫が、自分の豚をもっと高値で売ろうと隣国のスイスに行くことにした。
税関をごまかすために、豚に黒のスーツを着せて、サングラスをかけさせ、
帽子をかぶせて自分のメルセデスの後部座席に座らせた。

国境で車のなかをのぞいた税関の役人は、行ってもよいと合図した。
彼はもうひとりの方を振り向くと、どっと笑い出した。
「どうしたんだね」と同僚の役人はたずねた。
「なかにへんてこなやつが座っていたのさ」
彼はおかしくて涙をこぼしながら言った。
「そいつがね、ちょうど豚そっくりだったんだよ」

これがもくろみだ。それはうまくいった!
肝心なのは、それがうまくいったということだ。
それが嘘であるか、真実であるかは問題ではない。
それが事実ではないというのは本当だ……
それは真実ではない、というのもまたそのとおりだ。
それはちょうど中間にある。

OSHO  The People of the Path より




ハート
英国の詩人、バイロンは言いました。
事実は小説よりも奇なり」と。
世の中に生じている出来事というのは、
虚構である小説よりもかえって不思議であるという意味です。
何だかそんな気がしてきませんか?
全て幻想の世界のなかでの出来事は、やはり幻想ってことなんです。

「記紀」の追及もほどほどにしておきたいと、つくづく思ったしだいです。(笑)



弥勒の世はいつ来るのか?

2011年12月05日 00:00


★ 読者の皆さまへ ★



このところ、なかなかブログを更新できないまま、2011年の12月を迎えました。
長らくこのブログをお読みくださっている皆さまは、光の仕事人は何かと忙しいのだろうとお察しくださっているかと思います。

近況報告のメールやご質問のコメントなども多々読ませていただいておりますが、お返事のしようがない場合(内容)は返信しておりませんので、どうか悪しからずご了承ください。
一日があまりにも速く過ぎ去るので、その日やりたいことが完璧にできずじまいとなっているのは、きっとわたしだけではないと思います。

これから地球はどうなっていくのだろうという思いは常にありますが、どうなっていこうと、現実での日々の暮らしは続けられる限り、続けていかなければなりません。

もうすぐ世界が終わるという終末論は、今現在どうなっているのでしょうか?
本当の幸せはその先の世界にあるのだよ」と説く各々の宗教の裏には、「現実の世界から逃避させてしまう」ある種のもくろみが隠されているようにも思えます。

人々がその思想を信じ、つぎの世界に希望を抱くあまり、今の社会の状況や生活苦をつい辛抱・我慢してしまう、という傾向が生じているのではないでしょうか?
あるいは、生活がままならず、やけくそになって、早く世界が滅んでしまえばいいのにと思っている人もいるかもしれません。
それって、民をコントロールする側にとっては、非常に都合がよいことだと思いませんか?
そんなもくろみに乗ってしまうのは、どうかな? とわたしは思うのですが。

とにかく、明日のことを思いわずらわず、欲を出さず、今日一日を無事に生きられたことを感謝するのみですね。


★ 日本人のルーツ ★



今日まで残されてきた地球の歴史というものは、あくまでも統治した権力者たちの歴史でした。当時の一般の民の生活の記録はないので、まるでわかりませんね。
統治者から見れば、そこに暮らしている民などは、まるで地を這う「蟻」のような存在だったのではないかと思います。そういう扱いをしていたとしか感じられないんですよね。

「記紀」も、天皇家の歴史そのものであり、天皇が神と崇められるために創意工夫された物語にすぎません。
天皇が神の子孫であることはたいそう強調されていますが、同じ国に暮らしていた天皇家以外の多くの民人たちは一体どこから生まれたというのでしょうか?
そのあたりのことを学者さん方が不思議に思わないところが、とても不思議です。

日本神話には、神が神を産んだことは書かれていますが、一般人がどこで、誰から産み出されたのかは、まるで書かれていないのです。
民人だって、元を糺せば神(異星人)の子孫なのですが、そういう都合の悪いことは一切書かれていないんですね。
また、古代天皇の出自を調べれば、みなまちがいなく渡来人であって、中国や朝鮮半島からやって来た人種であったことは定かです。

国譲り」という物語なども、考えてみればみるほどおかしな内容です。
元々日本列島は誰の土地でもなかったはずです。国津神と呼ばれたスサノオ系の種族にしても、元々日本列島に存在していたわけではありません。やはり、大陸から来た人たちです。
日本列島に早くから住んでいた「縄文人」と呼ばれてきた人たちは、あとからつぎつぎと大陸から渡って来た集団(弥生人)に、列島の東北へと追いやられ、当時豊かに栄えていた土地を奪い取られてしまったということなのです。

初代天皇が九州から大和(やまと)へと軍を進め、勝利して大和を平定した「神武の東征」などは有名な出来事となっていますが、単に自分たちの権力増大という野望のために多くの人命を奪い、その人たちの土地を奪い取っただけのことです。功績を讃えて記録しておくほどの内容ではないし、むしろ恥ずべき行為だと思いますね。
そこで平和に暮らしていた民人たちの無念さを思うと、記紀を読めば読むほど腹立たしくなってきます。

よく考えてみてください。神の子孫と名乗る者たちが、そういう自己本位の残酷な行為を行ってきたのです。そんな神の子孫を褒めたたえる気には、とてもなれませんね。

★現在、「ミトコンドリア遺伝子の分析」によって、日本人のルーツが解明されています。
日本人の血の中には、現代の中国人と現代の韓国人の血が混じっていることが明らかになったのです。
縄文人」は縄文時代に日本列島が大陸と地続きの時に移動してきた人たちで、「弥生人」は、中国本土と朝鮮半島から移住してきた人たちのことです。

現代の日本人は、「縄文人」と韓国か中国からの移入民である「弥生人」との混血の結果できあがった種だということです。
日本人はアジア系民族の雑種であり、最初から日本民族というものは存在しなかったわけですね。



★ 「記紀」にも危機が到来 ★



このところ、ブログで幾度か「記紀」に触れておりますが、それは理由があってのことでした。
来年の2012年は「古事記編纂1300年紀」ということで、「記紀」がクローズアップされることが予想できます。よって、1300年も受け継がれてきた日本史(天皇史)を、今こそしっかりと見直し、ウソ(創作)の部分はウソ(創作)なのだと知り、認めていかなければいけない時期に来たということを知っていただきたいと思ったからです。

但し、ウソと言っても、時としてそのウソのなかには、ある意味の真実が内包されているという場合もあり、自分の思いを想像上の人物に託して記されていると捉えることが必要なこともあります。
要するに記紀を読み解くには、洞察力の鋭さが問われるということです。

2012年を迎えるにあたり、日本に生まれたわたしたちは、今までさほど気に留めていなかったわが国の歴史に関心を持ち、自分のルーツを振り返ってみることが必要だということ。その時期が到来したのではないかと感じているわけなのです。

今もなお血統が受け継がれている天皇家は、もうそろそろ自分たちの秘密を明かしてもよいのではないでしょうか。
天皇はこの世の人民の幸を祈るのが真の役目だと思うのですが、自分たちの秘密の儀式にかける莫大な金額を考えますと、「それって必要なの?」と首をかしげてしまいます。
宮内庁の人件費や事務費などを賄う宮内庁費(ちなみに2007年度予算では109億4203万円)とは別に、天皇家の生活や活動の費用として皇室費というものがあるようですが、それらがわたしたちの税金から賄われていることを忘れてはなりません。国民あっての天皇家なのです。
真の歴史を探るための古墳の発掘調査など、宮内庁は未だに頑強に拒んでいるようですが、もう情報公開してもよい時期なのでは?…と思いますね。


★ 終末思想と弥勒菩薩 ★



いつの世も、どこの国でも「終末思想」というものはあったように思います。
それは巷で予言されている2012年終末論に限ったことではないでしょう。
過去のどの時代にも多くの人々の生活は貧しく、苦しく、悩みは尽きず、天変地異や疫病の流行なども生じ、人間が死に絶えるという終末論があったのです。

さて、巷でよく耳にするのが「ミロクの世」とか、「弥勒の世の到来」という言葉ですが、皆さまはそれについてどのように考えておられるのでしょうか? 
ぜひ見解をおうかがいしたいと思います。

ミロクの世」を頻繁に語る人たちが「弥勒の信仰者」であるかどうかは知りませんが、どう考えても、近いうちに弥勒が人々を救うために下生するとは思えません。
大本教では、艮の金神さんがこの世を立て替えると言っていますが、それは一体いつのことなのでしょうか?

なにしろ弥勒菩薩は、釈迦如来が入滅した56億7000万年後にこの世に生まれ変わり、龍華樹(りゅうげじゅ)という木の下で悟りを開くのだそうですから。とてつもない時間がかかるんですね。
今こそ出てきてほしいのに、と思うのですが…。



       弥勒菩薩
         弥勒菩薩半跏思惟像 



★ 弥勒とは? ★



では、弥勒菩薩(みろくぼさつ)さんを、ごく簡単に紹介しておきましょう。

★「弥勒」はサンスクリット語では「マイトレーヤ」と言いますね。
慈しみから生まれた者」という意味があり、「慈氏菩薩(じしぼさつ)」とも称されています。
皆さまもご存じのように、菩薩というのは、まだ悟っていない修行中の状態を表しています。よって、弥勒は今度生まれ変わる時には仏になる、と約束されている存在だということなのです。
お釈迦さまの後継者となる「未来仏」なんですね。
ということは、それまでのあいだ、仏となる存在は現れないということになりますね。

彼はインドに生まれた実在の人物だったようです。
慈悲深く、理解力に優れていたマイトレーヤの死に臨んで、釈迦は仏教の真髄を彼に伝え、「これから兜率天(とそつてん)に行って修行をし、それを終えたら下界に戻ってきて私の救済からもれた人々を救って欲しい」と話したといわれています。
(兜率天とは、欲界における六欲天の第4の天部のことであるようです)

★「マイトレーヤ」とは、じつは「ミトラ=ミスラ」の別名、またはその名から転用された神名であることがわかっています。つまり、「マイトレーヤ」は、「ミトラ=ミスラ」の名前と語源を同じくするということなのです。

mitra/miθra」は、本来「契約」という意味らしいのですが、転じて契約によって結ばれた親密な関係にある「盟友」をも意味するようになったということです。
(よって、マイトレーヤは「友好的な、友情に厚い、慈悲深い(者)」の意味となったのです)
要するに、弥勒菩薩は仏教におけるメシアの存在だったのです。


ハート
もうすぐ訪れる冬至の頃、
12月25日というのはミトラの誕生日であって、
イエス・キリストの誕生日ではありませんね。

最近は多くの人がこの真実を知っているので、説明は不要かと思いますが、
ユダヤ教やキリスト教、仏教、ゾロアスター教などは、
もっとも古くから存在したミトラ教が基盤となっています。
弥勒信仰も同様です。

では、ミトラ神とは何者なのでしょうか? 
キリスト教や仏教とミトラ教についての詳しい内容は、
次回にまたお話しすることにしましょう。



慰めか、葛藤か、あなたはどちらを選びますか?

2011年12月10日 01:00


★ 広き門から狭き門へ ★



2010年の6月に立ち上げた「思いの制限をひらく」は、心残りであった迷える子羊さんたちのために、その後延長させていただいておりましたが、そろそろ大きな門は閉じさせていただく予定をしております。
これからも訪問されるであろう熱心な探究者さんのためにこれまでの主な記事は残し、つなぎとなる小さな門のみ開けておきたいと考えております。


★読者さんのご質問やコメントなどに対する記事内容は、わたしの本意ではない場合が多かったのですが、このブログ自体が「気づきを提供する場」であったので、度々ご希望に応じさせていただきました。
相手が不快になるようなことを記事にして「ネガティブな因縁を作るのはよくない」というような考え方もありますが、そんなことをいちいち気にしていたら、気づきのチャンスをつくることはできません。わたしのハイアーセルフはそれを承認しております。(これまで、OKサインが出なかった内容は、一切記事として出してはおりません)

悪い因縁を生じるかどうかは、やってみないとわからないのです。
まったく同じことを指摘しても、そこで「悟る人」と「反発する人」は必ず生まれてくるものです。
また、たとえ当の本人に気づきが訪れなくても、他の人がそれを読んで悟るということもあります。

善いことも悪いことも、快も不快も、すべてが気づき(学び)の材料なのです。


★ すべて自業自得 ★



悪い想念でも善い想念でも、相手にそれと共鳴するものがなければ、必ず自分に戻ってくるということを、過去記事でお話ししたことがあります。

たとえば、相手に悪い想念を送ったとき、その想念と共鳴するものが相手のオーラ(アストラル体やメンタル体)のなかにあれば、相手に影響を及ぼすことができますが、共鳴するものが全くなければ、影響を及ぼすことはできないということです。

要するに、有害な意図をもって相手に悪想念を投射した場合、その相手が送り手と同じような資質を持った粗悪なオーラの持ち主であれば攻撃を受けるけれども、そうでない上質のオーラの持ち主であれば、攻撃を受けることはないということです。

清浄なオーラにぶつかった場合、その敵意をもった攻撃的なエネルギーは、応じられずにそのままブーメランのように逆戻りしてしまいます。それどころか、ぶつけたエネルギーと同等のパワーを伴ってはね返り、その悪想念を発した当事者に打撃を与えるというわけです。
また、守護霊や守護神の守りが固い相手には、害を与えることはできないということもお伝えしましたね。

ですから、その法則さえ知っていれば、別に恐れることはないということです。
すべて自業自得なのです。
その結果は瞬時に自分に戻ってきますから、だれに言われなくても、自分でわかるのです。
もしネガティブなものに打たれたならば、自分自身を変えなければいけないことに気づかされているということです。それが、学びです。


 
クリスマスツリー



★ 魂の成長は、葛藤を通して達せられる ★



かつて聖者と呼ばれた人たちでも、全ての人に崇められて信仰されていたわけではありませんでした。同じ教団の中にあっても聖者に反発し、大いに批判する輩は必ず存在しました。
ゴータマ・ブッダ然り、イエス・キリスト然り、OSHO然りです。皆、猛烈に敵対してくる人たちと彼らなりの方法で戦ってきたのです。結果として、仏教はインドでは受け入れられず、イエスは十字架にかけられ、OSHOはもられた毒が元で亡くなりました。いつの世も、どこの国でも同様です。異なった考え方の人のほうが断然多いのですから。

会社や学校や家庭、夫婦や親子ですら、意見の相違や対立で日夜葛藤しているわけでしょう? 
本当に自分の胸の内を理解してくれる人というのはそう多くはいません。もしくは皆無であるはずです。
わたしたち凡人であってもそうなのですから、聖者はさらに孤独であったことと思います。

★イエスはまちがったことをしている人たちに対して激しい怒りをぶちまけ、罵りさえしました。ここでこんなことをしたら、悪い因縁がつくられるからやめておこうなんて、思うはずもありませんね。むしろ、彼は平和をつくりだすためではなく、葛藤をもたらすために地上にやってきたのですから。

イエスは言っています。

人々は、私が世界に平和をもたらすために
やってきたと思っているかもしれない。
彼らは、私が地上に分裂を、火を、剣を、
闘いをもたらすために来たことは知らない
と。

イエスのような人、ゴータマ・ブッダのような人、OSHOのような人が現われると、人々は必ず分裂を起こします。

彼を受け容れる者と受け容れない者。
彼を肯定する者と否定する者。
彼を愛する者と憎む者。

これは過去記事でも取り上げましたが、上記の言葉でイエスはいったい何を伝えようとしていたのかを思い出してみてください。

心の中の光と闇、愛と憎しみ、善と悪。他者との相克…。
そういう苦しい闘いを通してこそ、内面での統合が起こるのだということ。
魂の成長は、葛藤を通して達せられるのだということ。


彼はそのことを伝えたかったのだと思います。

これは、過去記事「自分自身を征服すること―天国に入るための必要条件」に書いておりますので、詳細を思い出したい人は、再度お読みになってください。

(過去記事 自分自身を征服すること―天国に入るための必要条件 参照)



★ 正直であること 真正であること ★ 



人はだれも、わざわざ自分から嫌われようとはしないものです。
できれば、大勢の人に好かれたい。そうですよね?
相手とのあいだに悪い因縁関係をつくらないように気をつけているかどうかまではわかりませんが、常に「天使のようないい子ちゃん」でいたい、「善いことしか言わない人」でいたい、「人を批判するのはよくないことだ」、「怒るのはよくないことだ」と思い込み、そういう人間にはなるまいと努力している人たちも多くいらっしゃるであろうと思うのです。

このような善悪を説いてきたのは主に宗教です。(聖なる個人と宗教は別ものです)
地球人はその策略にまんまとひっかかりました。宗教が説く善悪の考え方を長年のあいだに条件づけられてきたからです。宗教の教えがすべて正しいことだと思い込まされてきたんですね。この危険性は、繰り返し記事で伝えてきました。残されてきたものが、ほんとうにその聖者が説いた教えかどうかなどわからないのです。
日本の正史と同様で、それらは皆改ざんされ、真正(ほんもの)ではなくなっています。

肝心なのは、自分の心に偽りがなく正直であるかどうか、真正であるかどうか、相手に誠実さをもって本音を伝えているかどうかということなのです。


ウソはあの世に行ったらバレますよと、過去記事でお伝えしていますね。
善いことのみを語る人は偽善者です。全体が何で構成されているのかをわかっている人であれば、片方だけが優れていると思わせるような主張は決してしないはずです。

神と悪魔は一個のコインの裏表」です。
両方の極を見ない限り、この世界の真実の姿を見極めることはできないのです。



ブルーベルの咲く森
         ブルーベルの咲く森



★ わたしがブログを続けてきた理由 ★



★わたしが今日までこのブログを続けてきたのは、記事中にある言葉や文面に「気づき」という光を見いだして、感動してくださった方々がたくさんいらっしゃるからなのです。
その素直な喜びのメッセージが届くと、「よかったね」とわたしもうれしくなるからです。
ほんとうに魂が喜びで打ち震え、涙が出てくるんですよね。
ですから、そういう人たちへの返事はできなくても、その時々に「ありがとう」と口に出して感謝しているのです。

共に喜び合える「気づき」という恩寵は、とても神聖なところからやってきているのです。
拍手は気づきが生じたときにこそ、してください」というわたしの願いは、そこにあるのです。


(過去記事 わたしがブログを書く理由 3 ★気づきの拍手は「自分のなかの神」に対して★ 参照)


★ 慰めか? 葛藤か? ★



OSHO曰く。

偽りのマスターはあなたの慰めとなり、今あるあなたに平和をもたらす。
彼はあなたを変えようとなどしない。
彼は一種の鎮静剤としてある。
偽りのマスターは睡眠薬のようなものだ。
彼のもとに行けば慰めが得られる。

真のマスターは、より大きな混乱を、より大きな葛藤をつくりだす。
彼はあなたを慰めなどしない。
なぜなら、彼はあなたの敵ではないからだ。
慰めはすべて毒だ。

真のマスターはあなたの成長を助ける。
成長することは困難なことだ。
あなたは多くの試練を経ていかなければならない。
幾度となくあなたはこの師から逃げ出したくなる。
だが、できない。
彼はあなたにつきまとって悩ます。
  
         

★慰めを多く必要とする人には、このブログはきつすぎるかもしれません。
もしかしたら、あなたを不快にし、立腹させ、葛藤させ、ネガティブな疑惑のとりこにさせることがあるかもしれないからです。もちろん、それはそのように受け止めたその人自身の問題ではあるのですが。

しかし、長年の間に思い込んでしまった条件付けを外し、自分のもっともイヤなところに直面しなければ、この修羅場を通過しなければ、扉の向こう側には行けないのです。
これまで確立してきた真正ではない虚偽の自分を、たとえ現在どんなにすばらしい自己像を抱いている人であっても、それをこっぱみじんにしてしまえる勇気のない人は、いつまで経っても自己の誤った虚像に満足(陶酔?)しているだけで、魂の成長はありえません。

慰めか? 葛藤か? 
あなたはどちらを選びますか?


自分にいつでも火を投じられる人、意識の上昇へとつながる自己変容を望む訪問者は、どうぞ閲覧してください。

それらをお望みでない方、自己を一切変えるつもりのない方は、コメントなどをされる前に、どうか速やかに立ち去ってください。
管理者にだって、読者を選ぶ権利はあるのです。



まつぼっくり



★ 光の仕事人は「気づきの材料を提供」する者 ★



光の仕事人はあくまでも「気づきの材料を提供」する者であり、それ以外の何者でもありません。
それが今回地球に生まれてきたひとつの使命でもあるので、実施させていただいているのです。
わたしがどのような人間であるかなどの詮索は不必要なのではないでしょうか?
大切なのは、ブログに記された情報が、あなたにとって気づきをもたらすものであるかどうかだけです。
それが、自分の意識を高めるために役立ったか、思いの制限をひらくのに役立ったかどうか…。
そこがもっとも重要な点なのではないかと思います。ですから、そこにだけ焦点を合わせてください。

もし何か気づきが得られたなら、
あなたの心にきれいな音色で鳴り響くものがあったなら、
喜んでそれを受け容れてください。
そして、自分の中にいます神に感謝して、
その聖なるおみやげをもって帰ってください。

もし心に響くことなく、ネガティブなものが残ったなら、
すぐに手放してください。

但し、それがいつか(数日後、数週間後、数か月後、数年後)、
よみがえってきて、あなたの心を響かせたのなら、
そのときは受け容れ、感謝して、しっかりと抱きしめてください。
それは、あなたにとって、どうしても必要な気づきだったからです。



わたしたちが二元の世界に生まれたのは、両方の性質をよく知るためです。
だから、ポジティブなものだけに偏るのではなく、ネガティブなものも知る必要があるのです。

プレアデスの例を思い出してください。
プレアデスの人たちに起こったあのできごとは、ネガティブを嫌い、避けているだけでは統合はできませんよという教訓なのです。
ふたつのあいだの葛藤は、統合するためになくてはならない材料なのだということを、決して忘れないでください。
このブログの内容を総合してみてください。すべてが繋がっていることに気づかれることでしょう。


「信」を生きることが「不二」への道

2011年12月14日 19:20


★ 哲学者とは? ★



神秘家OSHOが、「信心銘」のなかで、こんなことを語っていたのを思い出しました。

ある女性が哲学者カントに求婚したことがあったそうです。
カントは「わかりました。それについて考えてみましょう」と女性に言い、愛に反対する人、賛成する人、結婚に反対する人、賛成する人の論拠を集めました。
結婚についての賛否両論のデータを300も集めたと言うからすごいですね。
そして、どうすべきか。どう決めるべきか。考えて考え抜いたあげく、混乱状態に陥ります。

そして、カントはついに結婚についての賛成意見をひとつだけ余計に発見したのでした。
その意見とは、「もし、どちらも可能で、ふたつの選択が同等に見えるようなら、そのときはより多くの経験を与えてくれるほうを選ぶべきだ」というものでした。

結婚すべきかすべきでないか、同じだけの議論があるのなら、カントは独身で、そちらのほうは知っているわけだから、「結婚したほうがいい」と考えたのです。
「よし、一歩を踏み出し、経験によって結婚を知ろう!」

そこでカントはその女性の元を訪ね、扉を叩きます。
扉を開けた父親に、カントは言いました。
「私は決めました。お嬢さまはいらっしゃいますか?」
父親は言いました。
「遅すぎましたな。娘は三人の子供の母親になっていますよ」

OSHOは言います。

女は常に男より賢い。本能的に賢い。
女性に偉大な哲学者が現われないのはそのためだ。
女性はより本能的、より直感的であり、より自然に近く、議論よりは生きることに関心がある。
男にとって、女が常に大きな問題ではなく、ちっぽけなこと、ドレスとか、装飾品といった極めて些細なことに関心を持っているように見えるのはそのためだ。

だが、いいかね、女性が小さいことにこだわるのは、〈生〉が小さなことで成り立っているからだ。
偉大な問題は観念(マインド)の中にしかない。〈生〉の中にはない。神は存在すると決めようが、存在しないと決めようが、そんなことでは何も変わらない。一日に二回は食べなければならないし、寒ければ厚着をしなければならないし、暑過ぎれば日陰に入らなければならない。

神は存在すると決めようが、存在しないと決めようが、何も変わりはない。
〈生〉は、小さなことでできている。そして、もし〈生〉が小さなことでできているとしたら、小さなことは、小さくはない。なぜなら、〈生〉はそれから成っており、それに生命が宿っているのだから。




hikari



★ 「信」を生きることが「不二」への道 ★



僧璨(そうさん)は言います。

疑いと、議論に時を浪費してはならない。
そんなことは、この真実とは何の関係もない。
一即一切の世界を歩み、
識別することなく融解し去れ。

この覚醒に生きることが、
不完了を思い煩わずに生きることだ。
この「信」を生きることが「不二」への道
「不二」こそ「信」と同じものだからだ。 



OSHOは「僧璨は、議論というものはすべて見当違いだと言う。有神論者も無神論者も、賛成も反対も、両者ともだ。それは馬鹿げたことをしているのだ。なぜなら、実在はそこにあり、それはどんな証明も必要としていないからだ。それはすでにそこにある。それはいつもそこにあったし、いつまでもそこにあるだろう。真理とは、現に在るもののことだ」と言っています。


議論に時を費やしてはいけない。
哲学者は愚か者だ。
それも普通の馬鹿よりずっと危険だ。
というのは、普通の馬鹿はただ馬鹿なだけだが、
哲学者は、自分を賢いと思っているからだ。
そしてこの人たちは議論を続ける。

ヘーゲルやカントを見なさい。
全生涯を議論し続け、しかも決してどこにも至ることはない。(OSHO)



僧璨は言いました。
一即一切の世界を歩み、識別することなく融解し去れ。
この覚醒に生きることが、不完了を思い煩わずに生きることだ。
この「信」を生きることが「不二」への道
「不二」こそ「信」と同じものだからだ。

と。 


僧璨のことばを受けてOSHOは言います。

それなら、どうして完成について思い煩う必要があろう。
それもまた利己的な目標だ。
これは本当に理解されるべきことだ。
なぜなら、宗教的な人々でさえ完全であろうとするからだ。
だが、完全であろうというあなたとは誰か。
全体しか完全ではあり得ない。
あなたは決して完全ではあり得ない。
どうして完全であり得よう。

覚者でさえ、病気にならなければならない。
覚者も死ななければならない。
人は完全ではあり得ない。
完全という目標そのものが自己陶酔(エゴ・トリップ)だ。
全体はすでに完全だ。それについて心配する必要はない。
その全体の中にあって、あなたもまた完全なのだ。

完全主義者はすべて気が狂う。
それが完全主義者の最期、終点だ。
というのも、ひとつの個体としては、人は不完全なままだからだ。
完全ではあり得ない。
どうやって完全であり得よう。
あなたのエネルギーは、全体からやってきて、全体に帰るもの、
あなたなどいないのだから。

波はあくまでも波だ、海にはなり得ない。
だから、あまり頑張れば、狂うより仕方がない。

宗教の世界に最も利己的な人々を見かけるのはそのためだ。
それは、彼らがあらゆることについて完全であろうとし、
完全性を主張するからだ。
彼らはくつろげない。いつでも緊張している。
そして、いつも何かがうまく行かず、それを正さなければならないから、
こういう人たちはいつも不安でいることになる。




★ 理解の人は悩まない ★



完全主義者は決して信頼しない。たとえ、一輪のバラを贈られても、たちまち不完全なところを見つける」とOSHOは言います。
完全主義者はいつも過ちを探しているので、いつも疑い、だれ一人として信頼できなくなっているのです。
なぜって? 彼は当の本人である自分自身が信頼できないのですから。


理解の人は悩まない。
不完全を苦にしない。
彼は完全という観点からはまったく考えない。
理解の人は、その瞬間を可能なかぎり全面的に生きるだけだ。
すると、全面的に生きれば生きるほど、それだけ生きる能力が高くなる。

一日が来る。
彼はそれをただ生きる。
どんな理想も押しつけず、
どんな観念も抱かず、
自分の〈生〉にどんな規則も、統制も設けず、ただ生きる。
彼はただ生き、楽しみ、悦ぶだけだ。

この「信」を生きることが「不二」への道
そして、これこそが信だ―。
「不二」こそ「信心」と同じものだからだ。

そして、胸の内深く、信頼する心があれば、
「不二」はあなたの眼の前にある。
内側深くに疑いがあれば、
そこに生まれるのは理論や、思考や、言葉や、哲学や、教義だろう。
そして、眼前のことには、まったく盲目になるだろう。
あなたは近くを見ることができず、
遠くを考えることしかできないだろう。

内なる信頼と外なる実在。
内なる信頼と外なる真理。
信頼と真理が出会う。
他の出会いはない。
『不二』こそ『信心』と同じものだからだ。 

                  「信心銘」より




あかり



★わたしたちは、愛すれば自分が堕落するかのように思い、愛さなければ、愛したいという深い衝動を感じることがあります。それは飢えや渇きと同様に、ごく自然なものです。
もし、あなたが、飢えも渇きも愛もなく、悲しみさえ感じないプラスチック人間に、ロボットになりたいのなら、完全主義者を目指し、常に完璧でいるよう努力されればよいでしょう。

しかし、理解の人でありたいと思われるなら、自分の限界を受け容れ、可能であることの、その可能性を受け容れ、それを楽しんでください。
理解の人は、自分がしていることを何でも楽しむ」とOSHOは言っています。

それが不完全なままだということ、それが決して完璧なものにはならないこと、完全にはなり得ないのだということを知りつつ、それが自然の本性なのだということをよく知っていながら楽しむのです。
楽しめば楽しむほど、それだけ多くの完全性が自らの生に訪れるのです。
そこには心配や恐れはなく、ただ優美さが満ちあふれていることでしょう。



★ ピンチをチャンスと捉えるとき ★



かつて、わたしは思いもよらない冤罪(ぬれぎぬ)で、強度の不安と恐れに陥りかけたことがありました。
誤解であることを知らせる資料作成に追われていたとき、わたしの夫は相手に腹立たしさを覚えながらも、こう言ってくれたのです。
楽しんですることだよ」と。

わたしの人生にとって、それは最大のピンチの時期でした。
この最大のピンチのときをどう切り抜けるか、このピンチを、自分を高みに昇華させるチャンスと受け容れ、相手にとっても自分にとっても最高の方法で対応しようと心に決めたとき、おおいなる勇気が湧きあがってくるのを感じたのです。

そして、決して深刻にならないこと。そのハードルを高くしたのは自分なのだということ。恐れることなど何もないのだと気づいたとき、それは喜びへと変容したのです。

頑なに誤解している人に対し、どうやってその誤解に気づいてもらうかという作業は、延々とつづきました。
眼に視えない世界を信じない人は、当然のことながら霊的な内容などはまるで受け容れず、聴く耳を持ちません。
こういう頑なに閉ざされた心を開くことこそが、わたしの人生のワークなのですから、それに圧倒されていてはなりませんでした。愛と光を送りつつ、その心を開く作業を何年も続けました。

その間、わたしはとてつもなく多くの視えない世界(存在)からの援助と守護を得ました。
オラクル(神託)カードを通して、驚くほどさまざまなマスターや天使たちが助言をくれたのです。
そうして初めて、心底から自分自身と自分の内に宿る神聖な自己への『信』を確立することができたのです。


ハート
これは、体験から得られる宇宙からの贈りものです。
完璧を目指さず、深刻にならないで、ただ楽しむこと。信を生きること。

この覚醒に生きること」が、
不完了を思い煩わずに生きること」なのです。 




分離から統合へ

2011年12月24日 04:00


☆ 太陽は再びよみがえる ☆



今日はクリスマス・イヴですね。
さっきから、ボーンボーンと、降り積もった雪が地に落ちる音がしきりにしています。
どうやら今年は、ホワイト・クリスマスになりそうです。


   ツリー


12月22日は冬至でしたね。一年で昼の長さがもっとも短い日、つまり夜の長さがもっとも長くなる日です。
昔の人は、冬至の日は「死に一番近い日」とか「生命の終わる時期」とか考えて、その厄(やく)を払うために身体を温めたり、無病息災を祈ったりしました。
栄養を補給するために太陽の恵みを受けたカボチャを食べたり、香りに邪を祓う霊力があると信じられている柚子を湯船に浮かべて、お風呂に入る慣わしなどは現在も続いていますね。

ローマ帝国時代におけるミトラス教では、大々的に冬至を祝う習慣があったようです。これは、短くなり続けていた昼の時間が冬至を境に長くなっていくことから、太陽神ミトラ(ミトラス)冬至再び生まれるという信仰によるものでした。
この習慣を、後にキリスト教が吸収して、イエス・キリストの誕生を冬至に祝うようになったのです。

*昔は「月齢28日間で1ヶ月」という「陰暦」を採用していたので、昔の冬至の日は12月25日頃となっていました。現在は「太陽暦」を採用しているので、「約30日間で1ヶ月」となり、現代の冬至の日は12月22日頃となっています。

☆このように、ミトラの誕生日は冬至の日の12月25日で、これはイエス・キリストの誕生日に置き換えられましたが、「ミトラ=ミトラス」教と「キリスト」教との類似点は数多あります。いくつか抜き出しますと、つぎのようになります。

☆キリスト教の「復活祭」は、「ミトラの勝利を春分の日に祝う」ということがもとになっているといわれています。

☆ミトラ教では、水に身体を浸す洗礼という儀式がありますが、これはキリスト教の儀式そのままのようです。

☆「復活の日」と「最後の審判」は、ミトラ教におけるこの世界の終末に先立つ「死者の復活とその最後の審判」のことであるそうです。

イエスはメシアだとされていますが、ミトラも救世主だとされていました。イエスは自らを「世の光」と言い、「義の太陽」と称されましたが、ミトラは「光明神」で、「太陽神」と伝えられています。(十字もミトラ信仰起源です)

ほかにもたくさんの類似点がありますので、興味ある人はご自分でお調べくださればと思います。
ミトラの正体は、ここでは明かさないでおきましょう。明かしたところで、何も変わらないからです。
(ちなみにエジプトのホルスの誕生日は12月25日で、神に反逆した者とされるニムロドの誕生日も12月25日です。また「太陽神」はみな12月25日となっています)



    花回廊1



☆ 神は神を、仏は仏を救えない ☆



キリスト教では「イエスは人類を救うために自分の命を投げ捨てた」と言っています。わたしたちの罪を贖(あがな)うために十字架につけられたのだと。
ほんとうにそうなのでしょうか?

OSHOが、ある本のなかでこんなことを語っていました。

OSHOが、ご自分のごく親しいキリスト教の伝道師の説教を聴きに行かれた時のお話です。
その伝道師があまりに「イエスはただひとりの救世主です」と繰り返したため、彼は立ち上がってつぎのように言ったそうです。

余計な口をはさむようですが―それに私はキリスト教徒ではないし、会衆にも属していませんから、教会のなかではいかなる邪魔もすべきではないのですが―あなたがあまりにも何度も意味のないことを言われるものですから、私も一言申し上げたくなったのです。あなたは『イエスが十字架上で自らの命を投げ捨てたので人類は救われた』とおっしゃっています。でも、その救われた人類はどこにいるのでしょう。彼は自分自身を救うことすらできなかったのですよ

わたしはOSHOの言いたかったことがよくわかります。
イエスがこの世界にやってきた真の目的については、そのときOSHOは何も語られてはいませんでした。
しかし、よい機会だと思いますので、ここで少しわたしの見解をお話ししておきたいと思います。

イエスがこの世界に誕生した大きな理由のひとつ。
それは、自分のDNAを子孫に受け継がせるためです。意識レベルが低くなった人類に対して、イエスのような優秀なDNAを受け継ぐ人間が必要とされたからです。それが、天空から来た異星人が意図した目的でした。

聖杯」が、「マグダラのマリアの子宮」を表していることは、「ダヴィンチ・コード」の作品などが示唆しています。
イエスが独身であり続けたことなどは考えられません。彼はこの世で、できるだけ多くの子孫をつくることが目的だったのですから。だからこそ、彼が残した子孫を守り抜く秘密の団体が存在していたのです。
ナグ・ハマディ文書を読めば、イエスとマグダラのマリアの関係がわかります。

イエス(イェシュア・ベン・ヨセフ)が人類に伝えたかったこと。
それは、「わたしたちはみな神である」ということです。
「自分一人が神の子である」などとは思ってもいなかったのです。
それは、あとでイエスを利用した人間たちの作り話です。

考えてみてください。
かつて「救世主」と呼ばれた存在が、世界人類を救ったことがあったでしょうか?
あるいは、神は、神々は人間を救ってきたでしょうか?
「仏」となったゴータマ・シッダールタは、人類を救ったでしょうか?
また、ほんとうに未来仏とされている弥勒菩薩は「救世主」としてやってくるのでしょうか?

ヘブライ人が信じていた「エホバ」あるいは「ヤーウェ」は、彼らを守護したでしょうか?

自称「選民」と言っていたヘブライ人たちが散り散りバラバラになってしまったことは歴史上有名ですね。
古代イスラエル王国はソロモン王の死後、(紀元前930年頃)北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂しました。
北のイスラエル王国は紀元前721年にアッシリアによって滅ぼされ(失われた十支族と呼ばれています)、さらに南のユダ王国は紀元前586年に新バビロニアの侵攻により滅亡し、多くの人民が奴隷としてバビロンに囚われました。
イスラエルの人たちが崇め奉っていた「エホバ」という神は、その信奉者たちでさえ救ってはおらず、救うどころか滅亡させているのです。

OSHOは伝道師に言っています。

あなたは『イエスが十字架上で自らの命を投げ捨てたので人類は救われた』とおっしゃっています。
でも、その救われた人類はどこにいるのでしょう。
彼は自分自身を救うことすらできなかったのですよ。



★イエスやブッダ、唯一神をはじめ、多くの神々は、これまでに人類を救ったでしょうか?

だれも、救っていません。
わたしたちは、だれかに救ってもらうことなどはできないのです。
救えるのは、自分自身のみです。

わたしたちは本来皆神なのです。
皆仏なのです。
神が神を、仏が仏を救うでしょうか?

できるのは、目覚めた人が、未だ目覚めていない人、
つまり自分が元々は神だったと気づいていない人に対して、
目覚める手伝いをしてあげることくらいのことなのです。


プリンセチア



☆ 分離から統合へ ☆



分離から統合へ」は、わたしの20年近い研究のテーマでもありました。

精神の男女両性具有」となることが、人類の理想であるということを、イエスのことばなどからお伝えしたことがありましたが、それらは「分離から統合へ―原初のアダムに出会う旅」というテーマで書き記したわたし自身の論文から抜粋したものです。

このブログでは、異星人が創成した人類最初のアダムなどではなく、もっと以前に存在した「真の原初のアダムに出会う旅」にまで、皆さんをお連れすることができませんでした。

また、いつか別のサイトで、もしお会いできた暁には、そういう内容をお伝えすることができるかもしれません。(予定は変わり得るものですから、確定ではありません)

過去記事「慰めか、葛藤か、あなたはどちらを選びますか?」で、「魂の成長は、葛藤を通して達せられる」という内容を書きました。
それで、「葛藤」することについての罪悪感というものは、かなりなくなったのではないかと思います。
但し、「葛藤することはよいことなんだ」と、単純に思い込まないでほしいのです。
わたしは「葛藤状態」になっていることを、けっしてススメているわけではないからです。
それは、オリオンの気が遠くなりそうな長い年月の激しい闘いとオリオン人たちの葛藤のドラマを思い出せばわかることですね。
(★過去記事 わたしたちの生の目的は両極を学び、体験し、統合すること 参照)


宇宙の万物は、陰陽から成り立っています。
陰陽は、万物を形成するふたつの相反する性質のものを表すことばです。
宇宙の「」は陽性の「時間」を表し、「」は陰性の「空間」を表します。
「宇宙」という文字にも、陰陽は内包されているんですね。


男性なるもの」と「女性なるもの」を探究し、理解することは、宇宙創造の意図を知るということです。
真に陰陽を理解することができれば、両極の調和と統合は困難ではなくなります。

まずこの二元の世界に生まれたわたしたちは、陰と陽の性質をしっかりと見極めることから始まります。
そうすると、その陰陽のなかで、しだいに葛藤が生まれてきます。
ネガティブとポジティブ、精神と肉体(物質)、光と闇など、わたしたちは、これまで長きにわたって二極性の原理に翻弄されて悩みつづけてきました。
でも、あるとき、ふと気づくはずです。
これは同じ線上にあるものであって、けっして分裂してはいないのだということを。
陰陽の太極図がそれを的確に表していますね。


     innyouzu
        陰陽太極図


陰極まれば陽となり、陽極まれば陰となるのです。
究極までいったとき、それはくるりと反転します。
「なーんだ。どっちを究めても、同じことだったんだ」と気づけば、もう葛藤は終了です。

陰と陽の二極があってこそ、新しいものが生まれるんですね。
新しいものをたくさん生みだしたいがために、ひとつだった宇宙は、陰陽という相反するふたつのものを創ったのです。
どちらも絶対に必要不可欠なものなんですね。
それに気づけば、おのずから葛藤は消え失せていることでしょう。

よく「葛藤はいけないから解放しなさい」とか「葛藤を手放しなさい」という人がいますが、それは未だ「分離」の次元にいる人にとっては困難なことではないかと思うのです。
どちらの立場も理解していないうちから解放しろと言われても、どうしていいかわかりませんよね。
結局自分の嫌いなほうを捨て去り、好きな方を選ぶという結果になるだけです。それでは、いつまで経っても分離を繰り返してしているだけで、統合は起こりません。
以前にマインドの機能は分割することだとお伝えしましたね。

二元性のなかで、マインドはいつもどちらかを選ぼうとするのです。
好きか嫌いか。損か得か。
善か悪か。光か闇か。
ポジティブかネガティブか。愛か憎しみか。
正義のための戦争は、正しいか否か…。

マインドにとっては、「ふたつが同時に正しいこと」などはありえません。
「これが正しい」か、「その反対が正しいか」、「あれかこれか」のどちらかです。
マインドはひとつのものをふたつに分離し、対極の現実に分けるだけです。


思い出されましたか?
(詳細は、過去記事 マインドで考えることVSハートで感じること 参照)


陰と陽を理解し、その相反するふたつが元々ひとつのものから生まれたことに気づき、それを再び統合しようという試みは、最初から混沌として陰陽が未分化な低次の意識とは違いますね。月とスッポンほどの違いがあります。

「葛藤」が必要なときもあるのです。それも、ひとつの学びだからです。
但し、「ずっとその状態では分裂したままですよ」ということを、今回はしっかりとお伝えしておきたいと思います。
もしアセンションするのなら、「統合というさらなる段階に進む必要がありますよ」ということなのです。



ポインセチア2


ハート
心=マインドには、突破(ブレイクスルー)と崩壊(ブレイクダウン)の両方が起こります。

崩壊はわたしたちをマインド以下の状態にまで落としますが、
突破は思いの制限をひらき、大いなる気づきのもとで、
心(マインド)を見守ることによって起こります。
深い深い静寂のなかで…。

そのとき、わたしたちは心を超えるのです。
突破するのです。

OSHOは言っています。
心を超えることは、真正な正気を達成することだ」と。

葛藤突破すること。
統合という悟りに辿り着いたとき、
あなたはつぎなるステップへと上昇したのです。



風のように去りぬ

2011年12月30日 01:25


☆ 風のような人に ☆




かぜふく
きえし かがやきを
ふきそよがして ひかりゆく
のはらいちめん かがやかに
てりかがやかし
わすれゆく




風のように去りぬ



これは北原白秋の詩です。
彼の詩は若い頃に読んだことがありますが、記憶にはあまり残っていないのです。
ただ、これだけは20代の頃からずっと覚えていて、今も好きな詩です。


風が吹いてきた。
その風が、消えてしまっていたかがやきを
吹きそよがして、もう一度光らせた。
そうしたら、野原一面が光かがやいてきた。
野原一面を照りかがやかせて
風は行ってしまった
光かがやかせたことなどはすっかり忘れて
どこかへ吹きすぎていってしまった。


そんな内容ですね。

白秋がどんなことをイメージしてこの詩を創られたかわかりませんが、この「野原」というのは、わたしたちひとりひとりの「こころの野原」であるととらえることができます。
この「きえしかがやき(消えてしまった輝き)」というのは、何のことでしょうか?

あのときはよかった、昔は幸せだった、希望に満ちていた。
でも、今はそうじゃない。
そんなふうな、とても悲観的になった人生を感じさせられますね。

ある日、大きな津波が来て、家や家族を波ごとさらって行ってしまった。
自殺を考えるほど気が沈み、生きた心地がしない毎日。
明日の糧を得るためには働かなければならない。でも、仕事がない。
お金を稼がなきゃ、どうにもならないじゃないか。
お金が無ければ、どうにもならないじゃないか。
世の中はやっぱりお金じゃないか。

だれも愛してくれない。
人間なんて信じられるものか。
こんな世の中で生きていたってしょうがないじゃないか。
いったい何がおもしろいのか。
なぜ、自分はこんなに苦しみながら生きてゆかねばならないのか。
いっそのこと、日本なんて沈没してしまったほうがいい。
世界が壊滅してしまったほうがいい。
人類なんて滅亡してしまえばいいんだ。
こんなくだらない世の中を創ったやつはだれだ。
こんな世界でいつまでも生きていたくなんかない。
バカやろう!


枯れすすきの原.



そんなふうに希望や歓びをすっかりなくし、世間への恨みつらみで自暴自棄となり、萎れ、枯れてしまった人のところに風がスーッと吹いてくるのです。

いろんなネガティブなことを考えて、頭の中で堂々巡りをしてはいても、深いハートの奥では、やっぱり愛がなければ寂しいよ、愛がなければ生きてはいけないよ、やっぱり人と調和したいよ、人を大切にしたいよ、人を愛したいよ、生きたいよ…と思っているのです。

そんなあたたかい気持ちが自分の中にまだ残っていることを、吹いてきた風がじんわりと思い出させてくれるわけですね。
今にも消えそうな心の火種にポッと火をつけて、明るく光かがやくように燃え上がらせてくれるのです。



輝く野原



★ 風とは何か? ★



ディズニー映画で、「ラマになった王様」という長編アニメーション作品があるのをご存じでしょうか?
ラマになった王様2 クロンクのノリノリ大作戦」とともに、わたしはそれらの作品が大好きで、見るたびに子どものように笑い、感動の涙を流しています。

そこに登場する富と権力と美貌を持ったクスコという若い王様は、傲慢で、わがままで、気まぐれで、気に入らないとすぐに家来をクビにする無慈悲な性格でした。それで、自分がクビにしたイズマという相談役の老婆から恨まれ、毒殺されそうになるのですが、イズマの手下だったクロンクが毒の瓶をまちがえたため、ラマになってしまいます。

しかし、優しくて気のいい農民パチャといっしょに旅をすることで、しだいにクスコは目覚めていくのです。

もし風が、クスコのような「自己奉仕型人間」のところに吹いてくれば、「やっぱり自己中心的ではいけないな」とか、「やっぱり人には思いやりをもち、やさしくしないといけないな」とか、考えるようになるのです。

もし風が「自殺願望者」のところに吹いてくれば、「やっぱりもう一度生まれ変わったつもりで生きてみよう」とか、「やっぱり希望は失ってはいけないんだ」とか、「人生は思いようによっては、悪くないかも…」とか、考え直すようになるのです。

「ラマになった王様」に登場するパチャやクロンクは、多分に風のような性質をもっているキャラクターだとわたしは感じています。
(子どももおとなも楽しめる作品です。ぜひご覧ください)


日本の詩人は「愛情」のことを「」で表現するのだそうですが、風は「如来如去」そのものだと思うのです。

真如から来て、真如へと去っていくもの
それが、「如来」です。
如来」とつく仏さまは、みな風のような存在だと言えるでしょう。

あなたもそんな「如来」になっていただきたいし、わたしもそうありたいと願っています。




風と光




★ 「思いの制限をひらく」に
          ご参加くださった皆さまへ ★



さて、このブログも、今回でとりあえず終了させていただくことに致しました。
来年のことは来年にならなければわからないので、今は何とも言えませんが、
もしどうしても皆さんにお知らせしたい情報が生じれば、そのときは更新するつもりです。
(別ブログのご案内をすることがあるかもしれません)
ですから、もしかしたら、知らないうちに新しい記事が載っている可能性があるかもしれませんので、たまに訪問してみてくだされば幸いに思います。

また、「気づきのコース」の「数秘リーディング」につきましては、真剣に自己を知りたい人(気づきの準備ができた人)のために継続していきたいと思っております。
(新しい訪問者さんは、カン違いされることがとても多いので、全記事を読んでいただくことを前提としております)

この「気づきのコース」における「数秘リーディング」は、ただ単に数秘の結果をお知らせするだけではなく、結果後も、質疑応答などのメール交換を通して、さまざまなことに気づいていってもらうためのものです。
最初にかかる数秘リーディングの料金(5000円)は、光の仕事人が希望者に対して、リーディングをした結果をまとめる労力と時間に対していただいているもので、その後の質疑に対するお答えやレポートに対するコメントなどはすべて無料奉仕で行なっておりますので、その旨ご理解くださいますようお願いいたします。
(詳細は、カテゴリ 光の仕事人の「気づきのコース」をご覧ください)

来年も、アンケートは引き続き掲示しておきますので、ご利用ください。



光



☆ 気づきの拍手に祝福を! ☆



現在(2011.12.30.00:30)において、述べ人数167418人の訪問者のなかで、「気づきの拍手」をされた数が8211となっております。
この中には、何十回も拍手をしてこられた方々がいらっしゃると思われますが、その多くの気づきに対して、光の仕事人も、その方々の内なる神とともに歓喜し、祝福の拍手をさせていただきたいと思います。

また、さまざまなコメントや拍手コメント、アンケートを送ってくださった方々にも、お互いの学びの機会を与えていただき、心から感謝いたします。ありがとうございました。
また、皆さまから発せられたネガティブな思いもポジティブな思いも、全て統合し、「赦しの祈り」で清め、消し去りたいと思います。

どうか皆さまも、過去記事に書きました「赦しの祈り」を唱え、今年あった出来事をきれいにリセットしてください。


ハート

  明日のことを思わない
  この瞬間に生きている
  純真無垢な
  花のように
  今ここを生きよう

  野を吹きわたる
  風のように さわやかに
  人の心に きよらかな火をつけて
  光かがやかせ

  すべてを忘れて
  吹きすぎよう

  如来のように


       はす
           意識(周波数)の最も高い白蓮  
                        撮影 光の仕事人





      2012年があなたにとって飛躍の年となりますよう
      お祈りいたしております。

      合掌
  
      愛と感謝  光の仕事人 





春の訪れを待つ

2012年01月15日 00:00


★ 2012年を迎えて ★




富士山


新しい年を迎え、皆さま、いかがお過ごしでしょうか?

早々と年賀のご挨拶を《拍手コメント》からくださった方、ありがとうございました。
《拍手コメント》からいただいた方には返信ができなかったため、
この場を借り、下記の記事にてお返事とさせていただきます。

感謝の気持ちをこめて、
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。




門松(正月)は 冥土の旅の一里塚 
めでたくもあり めでたくもなし



これは、一休禅師の有名な詩ですね。

一休禅師は元旦早々に人間の頭蓋骨を振りかざし、
「ご用心! ご用心!」と大声を出して、街中を歩きました。
そのときに、上記の詩をうたったと伝えられています。

お正月が来くるたびに、わたしたちは「おめでとう!」と言葉を交わし、
ご馳走を食べ、酒を飲み、新年を祝いますが、
果たしてほんとうにおめでたいのかどうかはハテナです。

一休さんから見れば、正月が来るたびに歳を取り、死に近づくというのに、
夢に酔いしれて浮かれている人々はひどく愚かに見えたのでしょう。

人生はすべて夢まぼろしの連続なのだということを、
骸骨になる前に早く気づけよ!
いつまで酔いしれておるのか!
眼を覚ませよ!
と警告したわけですね。

お正月が来ると、この詩が思い起こされるのですが、
特に今年はこの感がつよかったように思います。
2012年人類滅亡説がまことしやかにささやかれるまでもなく、
人類にとっておそらく大変な年が来ると予想されるのに、
おめでたくもないでしょうと。

何十年も続けた年賀状も、いつの頃からか送らなくなりました。
定形で印刷されてくる年賀状などはまるで胸がときめかず、
「わたしはわたし自身にしか表現できない内容を書いて送ろう」と、
一枚一枚心をこめて書いていた若き時代がなつかしくもあります。



★ 天変地異とは? ★



天変地異」という言葉があります。
この言葉の意味はだれもが知っておられるでしょうが、実際はあまりご存じないのでは? と思います。

天変地異」は天災ではありません。
いわゆる天が起こす災難ではないということです。

天が変わるので、地が異なってくる。
つまり、「天の意志(エネルギー)が変わることによって、地上もそれに従って変化しますよ」ということなのです。
ですから、それに伴って生じてくるものは、災害ではなく、現象と考えたほうが自然です。

天変地異」とは、天と地の表現なのです。



水仙



★ 真の「禊はらい」とは? ★



神道には(みそぎ)という言葉がありますね。
(みそぎ)とは、穢(けが)れを祓(はら)うことです。

新しい種を播く前には、地面を掘り返し、しっかりと耕す必要がありますね。
一度大地を大きく混ぜて、きれいに整えなければならないということです。
創造は、破壊の後におこなわれるのです。

同様に、「わたしたちのつくってきた数多の穢れは、禊はらいをする必要がありますよ」ということです。

「禊はらいって、どうしたらいいの?」とあなたは思うかもしれません。
ただ、単に冷たい水を頭から何度もかぶったり、海や川の中に入って「禊の言葉」を唱えたりすることではありません。そんなことで容易にはらえるのなら、皆さん、遠の昔に清浄になっていますよね。

真の禊はらい」とは何か?
それは、「人間の欲望を捨てる」ということなのです。

日本神話に登場するイザナギは、妻のイザナミに先立たれ、恋しくて黄泉まで追いかけていきますが、そこで朽ち果てた妻の姿を見て、恐ろしさのあまりに逃げ帰ります。
そして、イザナギは「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」で禊はらいをおこなうのです。
彼は禊をする前に、着ていた衣を脱ぎ、身に着けていたものをすべてとり外します。
その行為ですが、それはいったい何を表しているのでしょうか?

禊(みそぎ)とは、身(み)を削(そ)ぐということ。
彫刻さながらに、無用のものを削り落とすということです。
そして、身をすすぎ、汚れを洗い流し、宇宙の大生命の流れに身を任せるということです。

自分自身のプライドというもの、人間としての価値観、名誉欲、金銭欲などの欲望の数々…。
死後の世界までも追いかけていく「愛情」という名の感情的な執着。
愛着も欲望のひとつなんですね。
そういったものをすべて捨て去ること。
自分が生まれてから身につけた一切のものを投げ捨てることを意味するのです。
そして、裸の身ひとつになることで、生まれたときから宿っていた「天性の才能=自分の全能力」のみを残すのです。

欲望のすべてを解き放ち、本質的なものに立ち返ること。
それがほんとうの意味の「禊はらい」です。




梅



★ 春がいつ訪れるかは、わたしたちの心しだい ★


  
災厄は、禊とともに人を磨く術なのです。
ですから、恐れてはいけません。


眼を覚ます者の道は、必ずひらかれます。
天地は、自ら光をとりもどした人をたすけるのです。

どうか、これからの時代をけっして恐れず、
欲望を削ぎ落して、
み霊(たま)を磨き、
清らかに生きていってください。

春を喜びに満ちて迎えられるかどうかは、
わたしたちしだいなのです。




★ 新ブログのお知らせ ★



「思いの制限をひらく」に代わって、来月新しいブログが生まれます。
管理者は「光の仕事人」ではなく、新しくそのタイトルにふさわしい名前で登場します。
それはご訪問の際のお楽しみです。

タイトルは 光の花束〈不滅の詩〉
すべての束縛から解き放たれ、自由の境地を楽しむために、
珠玉の詩の数々をあなたに贈ります。





      1月の花
 
   

     
        ~今までたくさんの愛をくださったあなたへ~

        ありがとうございました。
        あなたと再会できますことを楽しみにしています。
        2月4日 立春の日に        
        
        合掌

                 2012年1月15日  光の仕事人




「心の天気図」に注意しよう!

2012年02月03日 00:00


★ 強力な太陽フレアが発生 ★



   1月下旬に太陽フレアが連続して発生しました。
   地上の通信障害が懸念される活動期に入ったと見られています。


 
   太陽フレア2
      太陽フレア、8年ぶり巨大太陽嵐 
      写真提供 ナショナルジオグラフィック ニュースより
 


  

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  オーロラ2
この写真は、北ノルウェーのトロムスに近いグロトフォードで撮影されたもの。
数年の静穏期を経て、太陽が活動を開始した。
1月下旬には太陽フレアが連続して発生し、放射線が地球に到達。
これにより北半球各地の裏庭から見事なオーロラを観測できる夜が続いた。




~連続する太陽フレアとオーロラ~
2012.1.30 15:00 [宇宙] 産経ニュース 

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 1月19日(米国時間)、比較的強力なフレアが発生し、放射された荷電粒子が22日に地球に到達した。だが、この太陽フレアは23日に爆発した大規模なフレアとは比較にならないものだった。23日には過去6年間で最大の太陽フレアが発生し、巨大で動きの速い太陽嵐が24日に地球に到達したのだ。

 そして27日にはフレアの等級において最大である「X」クラスの太陽フレアが発生した。この太陽フレアは地球の方角に噴射されなかったものの、こうした太陽放射は衛星に被害を与えたり、電波通信に障害をもたらす可能性がある。

 太陽嵐にはこうした問題もあるが、一方で美しいオーロラが見える機会も増える。太陽嵐から降り注ぐ荷電粒子は地球の磁場の影響で極付近へと導かれ、地球の大気と反応することで、北極光あるいはオーロラとよばれる美しい色彩の流線模様が発生するのだ。 (産経ニュースより)



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          太陽フレア1


このところ、大規模な*太陽フレア(表面の爆発現象)が発生していますね。
頭痛や心臓の動悸、不眠、胃痛などの肉体的な症状だけでなく、心配、不安、イライラ、怒りっぽくなる、物忘れがひどくなる、あるいは瞬間的に無意識になったりと、あらゆる面で調子が悪くなった人もおられるのではないかと思います。
わたしも1月の22日以降は、あまり状態がよくないと感じていました。

(*太陽フレアは、黒点群上空のコロナ中に蓄えられた磁場のエネルギーが爆発的に放出される現象。最大級のフレアでは、大型の火力発電所が数10億年分の発電量に相当する莫大なエネルギーを、数時間という短い時間で放出する)

米海洋大気局(NOAA)の宇宙天気予報センターは、1月22日に衛星や電波通信などに影響を与える可能性があるとして、注意を呼び掛けていました。
放射線や粒子を放出、プラズマを出す「コロナ質量放出(CME)」も地球の方角に噴出したということで、今回の太陽フレアはこの数年間で最大規模だったそうです。

地球に美しいオーロラをもたらす太陽の磁気嵐、その強力な発生源となっているのが「太陽フレア」です。
この太陽フレアが荒れ狂うと、地球上にさまざまな現象を引き起こします。
特に、電力システムに及ぼす影響は多大だと言われています。
この太陽フレアが「2012年にとてつもない規模で荒れ狂う」という予測があり、そのとき地球上の電子機器は*デリンジャー現象によってストップするかもしれないと言うのです。

(*太陽フレア現象によって、強いX線が放出されるので、人工衛星に影響を与えることもある。かつては地球大気の電離層を利用した通信に障害を及ぼし、デリンジャー現象と呼ばれた。このときに放出される荷電粒子は、フレアのあと1日半程度で地球に到達し、地球の磁場を乱して磁気嵐を起こしたり、極地方でオーロラを発生させたりすることがある)




           オーロラの剣、8年ぶり巨大太陽嵐

フィンランド、イバロの雪の森に上空から色とりどりの剣が突き刺さろうとしているようだ。
1月22日撮影。NASAの衛星が19日、太陽表面で活動が活発ないくつかの領域でフレアとコロナ質量放出(CME)の発生を観測した。
これが引き金となり、数日後に地球で一連のオーロラが出現した。
                   写真と文 提供 ナショナルジオグラフィック ニュースより




太陽フレアは人間の感情に影響を与える



太陽がホルモン系統を司り、人間の感情に深い影響を与えることが科学的に知られつつある現在、自分の身体だけでなく、すべてのことが太陽に大きく影響されているということに、わたしたちは意識的に気づいている必要があります。
フレアが出て2~3日以内に太陽風が到来し、磁気嵐が地球に到達します。
そうすると天気が変わるのです。天気が変化すると人間の感情も変化します。
先ほど書いたように、身体の調子が悪くなってくるかもしれませんし、変わった夢を見たり、変わった現象に出会ったりするかもしれません。

最近は自己コントロールを失い、自己管理ができなくなっている人が多くなっていると聞きますが、自分は大丈夫だろうか? と省みてください。
太陽フレアの影響で何が起こるかは個人個人異なり、それにどう対処するかはひとりひとりの課題です。
それは避けようのない事象なので、自分の力ではどうすることもできないと言う人もいます。
そんなとき、どうしたらよいでしょうか?
あなたはどのように対処されますか?



★ 「心の天気図」に注意しよう! ★



太陽フレアは、「宇宙天気情報センター」で調べればわかります。

とにかく太陽の活動が活発化しているときには、ゆっくりと一日を過ごすように心がけることです。
忙しさから意識的に抜けて、瞑想や祈りなどを含めた自分を見つめる時間を設けることです。
そんな時間がとれないと言う人は、自分を見つめることから逃げているだけで、時間は意識的になれば、いつでもつくれるはずです。
娯楽系のテレビ番組を見るのはやめにして、部屋をきれいに整え、自分の心が今どんな状態なのかを静かに見てみることです。

外の天気のようすを心配するよりも、あなたの心の内側の天気の具合を心配し、注意を払うことのほうが断然大切です。

今までこのブログで「自分を愛し、癒すことの必要性」を繰り返し述べてきましたが、これからは今まで以上に自分のことをもっともっとケアすることが必要となってくるでしょう。
そして、意識をシフトしていくことが不可欠となります。




★ 「思いの制限をひらく」の過去記事を編集中です ★



現在、時間があるときに、過去記事の編集をしております。
特に最初の頃は、ただ内容をお伝えすることのみを考えており、あまり文章の読みやすさなどを考えていなかった箇所もあったように思います。
それで、写真を増やしたり、タイトルを増やして見やすくしたり、もう不必要であると感じられた内容は削除し、これからも重要となるであろう内容には、必要があればさらに付加するといった作業をしていきます。

よい機会ですので、ご自分で再度内容を確認するためにも、最初から順にお読みくだされば幸いに思います。
時間とともに、わたしの意識レベルも皆さんの意識レベルも変化していきますので、もうその内容に必要性がなくなれば、卒業していただき、新しい読者さんを招いていただけましたら、うれしいです。


ただ今「ごあいさつ」~『宇宙のあらゆるものに「意識」と「意志」が働いている』まで編集済です。
2010年08月03日『宇宙のあらゆるものに「意識」と「意志」が働いている』に、
新記事「わたしたちが認識する物質世界は実存しない」の記事を付加しています。 
2月3日22時10分更新。



ume
           2月の花 薄紅色の梅


ハート
今日2月3日は「節分」です。
節分」は本来「季節の移り変わるとき」という意味です。
よって、立春・立夏・立秋・立冬の前日を指していました。
特に立春が1年の初めと考えられることから、
節分」といえば「春の節分」を指すものとなりました。

2月4日の「立春」が、新しい年の初めです。
そのため、新ブログ「光の花束〈不滅の詩〉」は明日立春からスタートします。
皆さまのご訪問をお待ちしております。


                    2012年 2月3日  光の仕事人より




2012年―人類の意識の目覚めのとき

2012年03月03日 00:00


★ わたしたちは太陽系とともに宇宙を巡礼している ★



スイス生まれの物理学者、ナシーム・ハラメイン氏はつぎのように語っていました。


子どもたちは学校でこう教えられています。
太陽系は太陽を中心にして惑星が周囲を回っている”と。

私の学校にあった太陽を中心にした小さな模型は、
スイッチを入れると惑星が回りました。
これはまったくのでたらめです。
地球が平らだと考えるのと同じくらい馬鹿げています。


Solar_sys8
       太陽系の図 ウィキペディアより


太陽は秒速何千マイルの速さで移動しています。
他の惑星も太陽と共に移動し、宇宙に巨大ならせんを描いています。
またそれは毎年同じ軌道を通っているわけではありません。
前年の場所から何百マイルも離れた場所にあるのです。
太陽系は平板的構造で定位置から動かないと考えてしまうのは、
一部だけを切り取って分析しようとした結果で、誤ったデータしか出てきません。

太陽系は銀河系のなかにあり、宇宙を移動しているので、
私たちも巡礼をしているのです。
宇宙で進化しながら、前進しているのです。


宇宙の真空のなかで移動し続けている”と考えることができますが、
私たちは宇宙に大きならせんを描きながら、
空間に生命の進化情報を埋め込んでいくのです。

地球に住む私たち一人ひとりが宇宙に自分だけのらせんを描いています。
それをたどっていくと、それぞれの母親の子宮にいた時点につながります。
そこで母親のらせんとつながり、さらに遡っていけます。
宇宙空間で進化の遺伝子情報は継続的につながっているからです。
私たちは進化の仕組みの構造を以前よりも、ずっと正確に理解しています。

(映画 Earth Pilgrims(アースピルグリム)より)



★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜★゜・。。・゜゜・。。゜☆・。。・゜゜・。。。。・゜★



皆さんご存じのように、地球は自転しながら太陽のまわりをまわっています。
J.C.ガブリエル(エハン・デラヴィ)氏は、「現在、太陽系自体が銀河の中心を時速100万キロのスピードで移動している」と言っておられますが、地球が時速100万キロのスピードで、宇宙を移動していることはあまり知られてはいないと思います。
そんな様相をあなたは想像されたことがあるでしょうか?

つまり銀河系において、今日の太陽系のある位置は、昨日の太陽系があった位置とはまったく異なっているということなのです。
太陽系は常に違う場所にいるということ、一度も旅したことがない、体験したことがない新しい場所にいるということなのです。
太陽系が銀河系宇宙をフルスピードで移動している最中に、しかも初めての空間を移動している最中に、その瞬間瞬間に何が起こるかなど、地球に住んでいる人間にわかるでしょうか?

太陽にだって、地球にだって、わからないのです。
天使や神霊たちにもわかりません。
ですから、2012年に何が起こるかということは、だれにもわからないのです。
憶測だけです。
だったら、いろんな人たちの憶測などに時間を費やして不安や恐れを抱いているよりも、今しなければならないことに集中した方が断然賢明ですね。



★ マヤの9段ピラミッドが意味すること ★



マヤの「ククルカン神殿=チチェン・イッツァ」というピラミッドには、9つの段があります。
ガテマラのティカール、パレンケにも9段ピラミッドがあるようです。
この9つの段というのは、いったい何を意味していると思われますか?


chichenitza


数秘学的に解釈すれば、9という数字は「完了」を表します。
10は1となって、また新しく始まることを意味します。
この9段目が2012年に相応しているかどうかということが、現在最大の関心事となっているわけですね。


マヤの人たちは、9段ピラミッドは「生命体の意識の進化の過程」を象徴していて、1段上がるごとにスピードがアップして、「時間」が短くなっていく現象であると理解していたようです。
つまり、時間が速くなるにつれて、進化のスピードもアップしていくということです。
ステップごとに20倍速いスピードで経過するというのですから、9段目の時期に入れば、時間は超短となり、同時に進化も目まぐるしくなるということになりましょうか。



ガブリエル氏曰く、最後の9段目の時期に入ったのは、2011年3月からだそうです。
3月9日から9段目のピラミッドの意識に入ったというのです。
人類は原始的な意識~部族意識~国意識~地球人意識~銀河系意識へと順に変容していき、2011年2月までに「銀河系意識」に達するはずだったそうです。

ところが、未だに世界は自分の国の事ばかりで、「ローカル意識」ばかりが目立ち、「地球人意識」にも至っていない状態です。よって、その変容は、大幅に遅れているというわけなのです。
人類は、9段目の時期に来ていても、相変わらず戦争や紛争、少数の人間に騙されつづけているとガブリエル氏は言います。

確かに…。
人類は、いつになったら「銀河系意識」や「宇宙意識」になるのでしょうか?





starplanet



★ 地球の叫びに耳を傾けよう ★



中学生の頃、わたしは「地球の息吹を直に感じる」という神秘的な体験をしたことがあります。
地球が回っていること」を身体で感じ、「地球が出している音」を聞いたのです。

地球が回っていることを意識した途端に、足元がぐらつき、からだが揺れ、立っていることができなくなっていました。
そのときに、聞いたのです。「ゴォーゴォー」という耳をつんざくようなものすごい音を。
地球は、回っているときにものすごい音を出している!」という驚きと感動の一瞬でした。

もう40年以上も前のその話を、最近初めて長女に話しました。
「なかなかそんな体験はできないね」と長女は言っておりました。

しかし、今現在、地球が出している奇妙な音を聞いている人は、じつはたくさんおられるのではないかと思うのです。
地下や空…いろんなところから聞こえているはずです。
それは、地球の叫びです。

最近の地球について、「フォトンベルトレポート」で確認したことですが、「地軸のがたつき」が激しくなってきていることがわかっています。
この「地軸のがたつき」によって、世界中で地震の発生が激増し、日の出、日の入り、月の出、月の入りの場所が変わってきているということがすでに生じているのです。
これらは、常日頃意識して太陽や月を見ていれば、気づくことができます。
とにかく太陽や月の出る位置がおかしいのです。

カナダの科学者が、「昨年起きた3.11の東日本大震災以降に地球の重力場と引力圏が大きく変わってきている」と公表しました。
これは、数年前のインドネシアで起きた大地震やチリでの起きた大地震で顕著だったのが、東日本大震災でのM9の大地震で一層変化したというのです。
そのために「地軸のがたつき(縦ゆれ)が起こり、地球の自転がスムーズに行われていない」ということなのです。

太陽で起きている異変
地球内部で起きている異変地球内部のマントル層が、メルトダウンを起こし始めている)など、問題点はつぎつぎと現われてきています。

あなたも意識して耳を傾ければ、地球の叫びを直に感じることができるでしょう。



★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜★゜・。。・゜゜・。。゜☆・。。・゜゜・。。。。・゜★



ハート 小
宇宙のすべてが「らせんを描いて進化している」ということは、
このブログの最初の記事《「真実」はその人の「意識レベル」によって異なる その1
でお話ししておりますので、もう皆さんはよくご存じのことですね。
地球も太陽も、わたしたちも、みな進化の旅路にあるのです。

この大切な時期、人類が意識を地球に合わせ、
あるいは銀河系に合わせてみようと思い立ち、
その試みを実行することも必要なのではないでしょうか?

9段ピラミッドの最高段階に来ていると思われる今の時期にこそ!




いつも最善を尽くすこと

2012年03月11日 00:30


★ 震災のあと、日本人の意識は変わったか? ★



東日本大震災から1年が経ちました。
最近はまたテレビなどで、震災当時の映像を流したり、その後の被災地の人々の暮らしや心情を報道されたりしています。
それを見るたびに、正直言ってがっかりします。あの震災での教訓が生かされていないからです。

原子力発電所という働き場がないと、生活に困る」と主張する住民たち。
未だに子どもを失った悲しみに暮れている若い主婦。
やる気を失い、生ける屍(しかばね)となっている老人たち。
仮設住宅では、自殺する人が後を絶たないと聞きます。
執着ですね。自分にとって良かった時代への執着でがんじがらめになり、完全に過去に生きている人たちです。

原子力発電がいかに危険であるのか、放射性物質が日本のみならず、世界の海を汚染し、地球人類に最悪の影響を及ぼすことがわかった今でも、やっぱり給付金がほしいのです。
確実に自分たちを汚染し、死に追いやられていることにも気づかず、自分の地位や目先の生活が豊かであることを望む愚かな県の代表者たち。
お金に狂わされた人たち。お金に目がくらんだ奴隷状態です。
もちろん、そんな人たちばかりとは言いませんが…。

原発神話が完全に崩れた現在でも、日本は自国から完全に原発を廃止しようとはしていません。驚くべき意識の低さです。

わたしは東日本大震災が起こったときに「支援する人、される人―その2 相手の力を弱めてしまわない支援を考える」という記事を書きました。
援助をし過ぎると、かえってよくないことが生じることがわかっていたからです。
この1年の間に膨大な支援金、援助金が被災地に流れて行っていますが、ほんとうにそれだけのお金が必要なのでしょうか? 
本当にそのお金は有効活用されているのでしょうか? 
無駄はないのでしょうか? 
わたしは無駄だらけであると感じますが。

そして、被災地の当の本人たちには、まるで何の原因も問題もなかったかのように、さまざまなものが与えられっぱなしです。
仮設住宅に入った人たちの大半は、そこから出て立ち上がろうともせずに、苦渋の中にただただいるだけです。
自分には何ができるだろうか。ひとりではできないから、みんなで力を合わせて何かしよう! 援助をくれた人たちに感謝のお返しをしたい! それはまず自分たちが元気になることだ! などという発想は、湧いてくることもないのでしょうか?

みんなそれぞれ抱えている困難や問題を手放す準備ができているとは限りません。
いくら国家やボランティアなどが、彼らにエネルギーを注いでも、意識の変化を起こせないことがあるのだということを、今回もつくづくと痛感したしだいです。

結局、彼らはこの教訓に未だに気づかないため、成長ができていないのです。
ですから、当然のことながら、困難な状況に置かれたままです。
自分の現実は自分で作っていることに気づいていない人にとっては、自分はこの震災の犠牲者だとしか思っていないのです。

このレベルの理解しかない人たちに「今の状況は、あなた自身がつくりだしているのですよ」と言っても、気分を害するだけでしょう。
準備ができていない人は準備ができるまで待つしかないのです。

被災地がなかなか復興しないのは、準備ができている人が圧倒的に少ないからです。
また、被災地の人たちをはじめとして、国会議員やその他の日本人の意識も変わっていないからです。
2011年3月11日の大震災の教訓は生かされていません。
あの衝撃的なできごとが、日本人の意識を変えるチャンスであったはずなのに、大きな学びとなるはずだったのに、じつに残念なことです。



    クレオラ

    

★ いつも最善を尽くすこと ★



あなたはこの日本に対して、あるいは世界に対して、さらにはこの地球に対して、何か貢献したい、奉仕者になりたいと思っておられるでしょうか?

原発反対運動、平和運動、環境運動、人々を目覚めさせる啓発運動……。
もし、そうであるなら、まずあなた自身の内なる光をかがやかせ、情熱で燃やしてください。力強いエネルギーで満ち満ちてください。

わたしたちが「犠牲者の役割を演じているような気の毒な人たち」のところに行って、彼らの愚痴を聞いてあげ、彼らに同情し、彼らの気分をよくしてあげても、彼らがまったく成長しないのであれば、彼らに奉仕したことにはなりません。

彼らが高い意識レベルでの気づきや魂の成長を望んでいないのであれば、彼らを潔く手放すことも必要です。
自分の人生の責任をとろうとせず、自らの成長を望まない人たちを非難するよりは、その人をきっぱりと手放し、自由にしてあげるほうが、愛と思いやりがある行為となるでしょう。

ですから、わたしたちがまず思いの制限を取っ払って、自分自身の執着を手放し、自由になることです。
わたしたちは自分自身が成長し、自由になることによって、はじめて他者に奉仕ができるからです。

どんな小さなことでもよいのです。
人に対して、地球に対して、自分なりに最善を尽くしたかどうかということが大切なのです。

自分は最善を尽くしているか?
そのように問うてみることです。


                     ペルシャンブルー

ハート 小
ウィリアム・W・アトキンソンの書籍のなかにつぎのような文面がありました。


コーカサス地方で好まれているこんな格言があります。
英雄とは、限界からさらに一歩踏んばる人である
その踏んばりに、「脱落者」と「最善を尽くした人」のちがいが現われます。
心臓の鼓動が止まるまで、人は死にません。
同じように、もう一歩の闘志が自分の中にあるかぎり、
まだ挫折はしていません。
そして、この「さらに一歩踏んばる」ときこそ、潮の流れが変わるとき
敵が気をゆるめ、打ち負かされて退却するときなのです。

               ウィリアム・W・アトキンソン著「賢者の宝物」より





~追記~

★これまでに編集した記事(下方から古い順です)

打てば響く人&響かない人

意識を変える試み―自分のなかの観念を変える
意識を変える試み―ウツと憑依霊との関わり 
意識を変える試み―ネガティブ霊を引き寄せるのはどんなとき?
意識を変える試み―悪影響を及ぼすネガティブな見えない存在に気づきを与える

自分に悪影響を与えるものとの「霊的な結びつきを断ち切る」方法
アセンションに向けて―浄化と周波数を高める方法
アセンションに向けて―過去生から持ち越してきたカルマを消去する
アセンションするには「カルマの浄化」が必要 
アセンションする地球―アセンションは「宇宙の進化の法則」の一つ
アセンションする地球―その真相と実態Ⅲ(2010年~2011年 3次元~5次元へ)
アセンションする地球―その真相と実態Ⅱ(2009年の様子とネガティブ系異星人に影響されているときの症状と対処法)
アセンションする地球―その真相と実態Ⅰ(2007~2008年の様子)

霊的世界の異変―「移転した霊界」と「消えた階層」
守護霊界の実態と異変
「あの世」の階層のお話


~〈光の仕事人〉のおススメの記事~
 

カテゴリ:「意識を変える試み」のなかの
★意識を変える試み―自分のなかの観念を変える

カテゴリ:「アセンションのお話」のなかの
★自分に悪影響を与えるものとの「霊的な結びつきを断ち切る」方法
★アセンションに向けて―浄化と周波数を高める方法
★アセンションに向けて―過去生から持ち越してきたカルマを消去する
★アセンションするには「カルマの浄化」が必要 
★打てば響く人&響かない人

よろしければ、お読みください。


 

光のキャッチボールをしませんか?

2012年03月25日 17:50


★ 人を助けることで霊的に成長する ★



人に奉仕をしたい」と思うのは、ハートのセンター(第4のアナハタチャクラ)がよく働いている人です。そのエネルギーを外側に放射して、人々を助けるというのが利他行、菩薩行で、愛を表すハートのチャクラがそれを担当しています。
同じようにハートのチャクラが活発な人であっても、外側に向かって非常に攻撃的であるという場合もあります。
その場合は、外側からの影響も受けやすく、ストレスが生じたときに不整脈が起こったり、心臓を悪くしたりしますから、気をつけてください。

外側に向かって行動するには、あまり自分にこだわらず、おおいに楽天的(ポジティブ)にならなければなりません。自分にとってよいことでも悪いことでも、すべて宇宙(神さま)からの贈り物だと思って、素直に受け入れることですね。
我欲があったり、自分にこだわって内側にこもっていたりすると、愛のエネルギーは外に向かって出ていくことができないのです。自分が人からどう思われるかが気になったり、表面だけ、言葉だけ善人であったりしても、真に奉仕することはできません。
また、相手をただ甘やかすだけでは真の奉仕にはならないということを、前回の記事でもお伝えしました。
何が、その人を真に生き生きとさせられるか、ということを考えてあげることが大切だということです。

今回は、この愛のチャクラを目覚めさせるための心得のようなものをお伝えしておきたいと思います。


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最近書庫を整理していて、日本のヨーガ界で著名な本山博氏の講演会テープがたくさん出てきて、久しぶりに聞いてみました。テープの内容は「チャクラの覚醒と解脱」という著書にもなっていて、「なるほどね」と思いながら、本も読み返してみました。
本山氏は「助けるということ」に関して、こんなことを話しておられました。


人を助けるということは、自分をより高いところに霊的に成長させていく助けになると思うのです。
人を助けるときに、自分があったのではやはり助けることはできない。
自分があったのでは、自分のことしか知らないし、自分のことしか考えないけれども、人のためにするという場合は、やはり自分のことを殺して、自分の利益とかそういうものを捨てて人のためにする。
霊的な成長に一番大事なことは、いま在る自分を捨てること、それができないと高いところにはいけない。
そして、自分を捨てていると、そこに神さまからの働きが入ってきて、今の自分を超えたところにいけるわけです。

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ハート 小
わたしたちは自分が救われてもおらず、神さまのところにいるわけでもないのに、他者を救うことなどはできませんね。

救うことができるのは、自分の内側に存在する神のみです。
救いは、真に自助努力をしている者にだけ与えられる神さまからの恩寵であるとわたしは思っています。
自己探究をしようともしない怠け者が、いくら口先だけで熱心に祈ったとしても、神さまは救ってはくれません。そんな甘いものではないのです。

ただ、自分が相手の成長のために心から祈ってあげたり、その人をより高い世界にいけるように知識を与えてあげたりすることはできます。
人のために何かをするとき、自分にとって有益かどうかの考えをまず捨てることから始まります。
人に誉められたいからとか、認められたいとか、神さまに誉められたいとか、愛されたいとか、何か目的があってするのは、真の奉仕ではないということです。



★ 超作とは? 善いことは黙って実行すること ★



本山氏は、一日に何かひとつでもいいから黙って善いことを実践することを勧めておられ、それを「超作」という言葉で表現しておられます。

「お母さんに文句ばかり言わないで、これをちゃんと片付けておいてあげたらお母さんが楽だろうと思ったら、言わないで、ちゃんとしてあげることですね」と。

親のほうも子どもを育てるとき、子どもに「してやっている」というふうな意識なしに、また年とったら、子どもにみてもらおうというような意識は一切なしに、子どものためにだけしてあげられたら、やはりこれも超作。
そして、子どものほうも親が喜んでくれるようなことを、あるいは、喜んでくれるようにということも抜きにして、ただ親のために一生懸命できたら、これも超作だよと、言っておられるのです。
ホント子どもたちに聞かせたいですね。

ともかく「言わないですること」が、ハートのチャクラの「利他行」になるということなのです。しゃべってしまうと、それでおしまいなのです。せっかくいいことをしても、その効果は半減してしまいます。だから「黙ってただ実行すること」が大事なんですね。

☆自分の最善を尽くしてあげる行為をして、しかもその結果にとらわれないようにする
それが、本山氏の主張されている「超作」なのです。
深く肝に銘じたいと思いますね。


わたしたちは皆ひとり残らずカルマによって生まれ、そのカルマを超えて霊的に成長するために今ここに生きています。繰り返しこの地上に生まれているのも、最終的には「カルマを超えた解脱の世界」に達するため、あるいは「宇宙意識の根源」に還っていくためです。

カルマで起きる(生じる)ことは必ず起きる(生じる)ので、自分にとって具合の悪いカルマは嫌だからと言って逃げていては、いつまで経ってもそのカルマから解放されることはありません。
出てきたものは、すべて恐れず、勇気をもって受け容れるということが肝要です。
このカルマを超えていくためにも、「超作」をしていくことが大切だということがわかります。
本山氏はそのことについて、つぎのように話しておられます。


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カルマによって生じたことは何事であっても、それは自分の前生からのカルマによって生じたことであることを自覚して、それを受け入れて、逃げないことです。
つまりカルマを超える必要条件としては、何事も自分に生ずることは自分のカルマによって生じたのだとして、潔くそれを受け入れて自覚することですね。
そうしたら、自分のせいで起きているのだから、それを受け入れられる。そして、受け入れて、そのまま沈むのではなく、行をし、信仰をもっていると、それを超えていけるように成長ができるわけです。

つまり、超作をすればいい。
起きたことに対して、自分の全力を尽くしてそれが解決するようにしながら、その結果にとらわれないで、悪いことが起きても、これでよかった、いいことが起きたら、これはありがたいことだと思って超作ができれば、カルマというのは必ず消えていくわけです。
超作をしなかったり、またカルマのことを知って、カルマによって生じたことをカルマだと思っても、いいカルマだけ受け入れて、都合の悪いカルマは神仏や守護霊がうまく逃れさせてくれないだろうかというような気持ちで、カルマで生じたことに対処する場合は、やはりカルマを持ち続けることになる。
だから、最善を尽くして、どういう結果を得ても、それを受け入れるつもりで超作をすれば、カルマというものは必ず消えていくものなのです。 
            本山博著「チャクラの覚醒と解脱―瞑想行の真義」より




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菜の花


★ 光のキャッチボールをしませんか? ★



光の仕事人=カヴィーシャが今願っていることは、この場を借りて、皆さんともっと光の交流を深めたいということです。そのために「思いの制限をひらく」と「光の花束〈不滅の詩〉」の両ブログにメールフォームを設置しています。
このメールフォームで、「もっと知りたいこと」やご自分の「これからの生への想い」を赤裸々に語っていただきたいと思い立ったからです。
そうすれば、皆さんの真のニーズを知ることができ、さらに記事も奥行きのある内容となっていくのではないかと思ったからです。
ブログの記事内容がさらに高くなっていくか、より深まっていくかどうか、あるいはこれ以上は高めたり深めたりできないか…それは読者さんの意識しだいなのです。

皆さんと光のキャッチボールができること、このブログが真に生かされ、輝くかどうかは、やはり読者の皆さんの意識と意志しだいなのです。

もし、あなたがこのブログを読まれて、何か気づかれたことがあるのなら、これまで知らなかったことをひとつでも知ったのであれば、その自分が気づいたことや知ったことを、また気づいていない人、まだ知らない人に伝えてください。
この世界には、見えない世界や見えない存在について、無知な人たちが数多います。
また、これまでのものの考え方が限界に来ていて、もうその考え方ではアセンションする地球に伴っていくことができないということに、まったく気づいていない人が多すぎるのです。
ほんとうに驚き、あきれるほど、実態を知りません。
ですから、その実態を少しでも知った人たちは、ぜひ光のネットワークにご参加いただき、世界中に「新しいものの考え方」を広げていくのを助けてください。
ぜひあなたも、光のキャッチボールにご参加ください。



ヒヤシンスアイオロスブルー


★ インディゴチルドレンへ―メッセージを再び ★



ときどき「自称インディゴチルドレン」さんが、このブログのメールフォームからアンケートを送ってくださっています。
もしインディゴでないのなら、わたしは何なの?」と思われるかもしれませんが、実はエイリアン(SF用語で異星人、地球外生命体のこと)が断然多いのです。
つまり、地球を初めて訪問した地球外知的生命体であるということです。

こういうビジターは、当然のことながら、すぐに地球や地球人とはなじめないです。人と接するのが苦手で、子どもの頃に登校拒否をしたり、社会にもそぐわず、人と共同で仕事ができにくいというふうになるわけです。そして、この社会の仕組みに大きな疑問を感じます。「どう考えても、オカシイよ。地球人ってヘンだよ」と。
それを「インディゴチルドレン」とカン違いしている人も、多く存在します。
わたしの記事を読んで、「インディゴチルドレン」に条件がぴったり当てはまっていると思った人が多いようですが、もし「インディゴチルドレン」でないとしたら、「地球外知的生命体」であるわけで、「使命がある・ない」に関わらず、とにかく地球人とはちょっと(あるいは、かなり)異質の存在なんだということです。

もう「インディゴの使命は終わった」という記事を読んで、その使命を果たせなかったことに対する後悔の想いや、自分にはとても任務が重かったけれども、終了したと聞いて気が楽になったというご感想などもあったかと思います。
今になって改めて思うのは、インディゴはやはり責任感が強かったのだということです。
(責任感のない人は、インディゴではない可能性が高いかもしれません)

次女に言わせると、最近(平成生まれ)の子どもたちには責任感というものがあまりなく、考えることは自分のことばかりで、相手や周囲の人たちのことを思いやったり、考えたりできない傾向にあるそうです。
クリスタルチルドレンはいったいどうしているんでしょうか? 
どなたかクリスタルを知っている方や最近の子どもたちの現状を目の当たりにしている方がおられましたら、ぜひお知らせください。

インディゴの皆さんについてですが、実際に何もできなかったにせよ、そんな自分に対して、どんなに苦しんできたかということが、ひとりひとりしみじみと伝わってきて、「ほんとうにお疲れさまでしたね」と言ってあげたい気持ちでいっぱいです。
個人的にはお便りをさしあげてはいないのですが、この場をもって、ねぎらいたいと思います。


インディゴチルドレンの皆さん、ほんとうに大変な思いをしてきましたね。
ご苦労さまでした。

これからも、やっぱり苦悩は尽きず、大変かもしれません。
でも、あなたたちは自らを輝かせ、人類の意識を変えるために、
そして、元気をなくした地球を輝かせるために、ここに生まれてきたことを、
これからも忘れないでください。
任務は終わっても、それぞれ個々人でやるべきことは残っていますから、
それをどうか着実に実践していってください。

あなたはあなたの思うがままに、想いを形にしてゆけばよいのです。
音楽、詩、あらゆる芸術を通して、あるいは子育てを通して、
教育を通して、実践してください。

ハートの純粋さを保ち、いつも誠実さをもって行動していれば、
後悔することはありません。
すべてを高みにあげるために、有益なことを思い描き、実行しているときは、
いつだってあなたは幸福なはずです。

光と繋がり、光の源泉となっていかれることを、心より祈っています。



☆参考記事 「光の花束〈不滅の詩〉
地球の奉仕者となるために 
光の源泉となるために


春を呼ぶ声


    光と繋がりたい人、光の源泉となりたい人、
    地球を太古の昔のような、もとの美しい惑星に戻したいと願い、
    実践しようとする人、
    そして、打てば響く心意気のある人は、
    ぜひ「拍手」にご賛同のクリックを!!
    
    
    本物の光の子どもたちよ、集まれ!




~追記~

これまでに編集した記事


神秘の世界を究明する―「空」の正体 その1 (改訂版)

神秘の世界を究明する―「空」の正体 その2 (改訂版)

心の量子力学 その1 現象は波動的エネルギーによって表現される

心の量子力学 その2 「決心」が願望を実現するお話 

心の量子力学 その3 ほんとうに必要なことは成就する

転生の秘密―霊能者が語る過去生の多くはその人の分霊の過去生である

「霊界通信」についての考察―霊界通信はどこまで信じられるか

死後マイヤースが見た世界と「類魂説」について



ハートで感じるとは? ―右脳のお話

2012年04月02日 11:40


★ ハートで感じるとは? ★



ハートで感じてください…。

この言葉が、このブログのさまざまな記事のなかで、くりかえし繰り返し書かれてきたことに気づいている人は多いかと思います。
頭を取る」ことのお話も、昨年末には随分したと思います。
それで、実際にハートで感じられた人が、どれくらいいらっしゃったでしょうか?
頭で考えないで、頭で受け取らないで、ハートで感じ、ハートで受け容れられたと思う人は、手を挙げてください。

と言っても、それは自己申告なので、実際にどれくらいの人がハートで感じられたのか数字では表せませんが。
最近、「自分はハートで感じることができない」という男性からお便りをいただきました。
それで、彼のようにハートで感じられない人が、まだまだ大勢おられると感じましたので、今回は「ハートで感じること」について書きたいと思います。


ハートの線


まず皆さんにお尋ねしたいのですが、ハートというのはどこにありますか?

たいていハートというのは、心臓を指しますね。
心臓にちなんだ言葉が思い浮かびますか?
心臓がドキドキする、心臓にぐさりと突き刺さる、胸が高鳴る、胸が張り裂けそうになる…など、心臓や胸の部分で何かを感じられた体験はあるはずだと思います。

同じ言葉を聞いても、頭にくる人と、心臓にくる人、あるいはお腹にくる人がいますね。
わたしはというと、たいてい心臓のほうに来ます。
見えない存在が来たときも、すぐに心臓がキャッチします。
その鼓動の感じ、たとえば重苦しいか、軽快か、嫌な感じか、いい感じかで、ネガティブエネルギーか、ポジティブエネルギーかを知ることができます。
第4チャクラであるアナハタチャクラは愛を感じ、愛に関係するチャクラですから、そこの働きが強いか弱いかで、感じかたも異なってくるのではないかと思います。


ハートうさぎ



★ 頭からハートへ ★



ハートは、真実へ至る無門の門だ。
頭(ヘッド)からハートへと向きを変えなさい。

誰もが頭にひっかかっていて、首が回らない。
それだけが問題、たったひとつの問題だ。

だから解決策もひとつ、それは頭からハートへ降りることだ。
そうすれば、問題はすべて消える。
問題はすべて頭によって生み出されるからだ。
頭からハートへ転じれば、たちまちすべてが非常にはっきりと透明になるので、
どうして今までこんないろいろな問題をでっち上げてきたのか、驚くだろう。

神秘はそのままだが、問題は消える。
神秘はあふれているが、問題は蒸発する。
そして、神秘は美しい。
それは解決すべきものではなく、生きられるべきものだ。
                     ~OSHO~



ハート
OSHOは、頭人間さんたちに、「首なしになる瞑想」を勧めています。
頭を持っていない自分自身を視覚化し、あたかも首がないかのように動き、感じる実修です。
頭が消えたと感じるとき、即座に中枢はハートに落ちてゆくだろうと、OSHOは言います。
そして、ハートのセンターが機能すれば、自分の全人格、全構造、全様式を変化させることができると。
ぜひお試しください。

「首なし」の実修をしたあと、できるかぎり愛にあふれているような自分になることですね。
愛は頭を通じては機能できません。カントの話を思い出してください。彼は恋愛すら頭で考える人でした。だから、求婚された相手とは結婚できなかったんですね。
恋愛中には、たいていは頭を失い、ハートで感じるはずです。
胸が苦しくなる想い、胸が張り裂けそうな想い、胸が高鳴ったり、胸が躍ったり、ワクワクする感じ…。
それは頭ではありません。ハートで感じることですね。
そんな体験がない人は、ほんとうに愛してはいないということです。
愛にあふれるほど、ハートのセンターはますます機能し、はたらきます。

ハートで感じられない人は、自分に愛が満ちあふれているかどうかを尋ねてみてください。
そして、「わたしは、ほんとうにわたし自身を愛しているか?」と。

マインドは分割し、ハートは統合します。
ハートを通して見れば、宇宙全体がひとつになります。
過去記事にも詳細を書いておりますので、ぜひお読みください。


★ 参考過去記事 ★ 
2011年04月09日マインドで考えることVSハートで感じること 


ハート1



★ 右脳のお話 ★



最近、わたしは「ハートで感じるというのは、右脳で感じる」ということと同じことだと思うようになりました。
ここでは、ハートで感じるということを、「心臓」ではなく、「頭脳」という視点でお話ししてみたいと思います。

人にはふたつの脳があります。左脳と右脳です。
脳の左半球は論理、推理、数学の半球で、非創造的です。
脳の右半球は愛、美、感受性の半球で、創造的です。

子どもの頃は右半球が機能していますが、学校へ行き始めると、無理やり左半球へ移行させられます。
学校教育は右脳を破壊し、左脳の訓練をする場所なのです。
そのためにすばらしい右脳の機能が忘れられていくのです。
不登校の子どもたちは、その危機感を感じる直感力のある子どもたちなのではないでしょうか?


~ 「奇跡の脳」のご紹介 ~



あなたは、脳卒中に倒れたアメリカの女性の脳科学者(神経解剖学者)、ジル・ボルト・テイラーさんをご存じでしょうか?

ハーバード大学で脳神経学の専門家として活躍していた彼女は、37歳で脳卒中に襲われます。
左脳の血管が破裂し、彼女は4時間のあいだに 自分の脳が情報処理能力を失っていくのを経験しました。
彼女は歩くことも話すことも、 読み書きも、自分の生活について思い出すこともできなくなってしまったのです。

命は取りとめられましたが、言語中枢や運動感覚は大きく損なわれました。しかし、8年に及ぶリハビリの結果、見事に復活し、その後、体験の記録を書き、アメリカの権威ある※テド・カンファレンスで発表するまでに至るのです。
(※TEDが主催している講演会の名称をTED Conference(テド・カンファレンス)と言い、学術・エンターテイメント・デザインなど様々な分野の人物がプレゼンテーションを行なう場で、大統領など著名な人物が多く参加している)

脳内で大出血を起こしたその朝、左脳の機能が徐々に失われていく4時間のプロセスをリアルに描いたこの書のタイトルは、日本語では「奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき」です。
この作品の単行本は数年前に出版されていましたが、2012年の4月1日に新潮文庫として新たに発行されました。
わたしはこの文庫本の出版を待って購入し、今読み終わったばかりです。

どんな内容であるか、予想はついていましたが、脳卒中になった人には福音となるでしょう。
そして、病気でない人も、右脳と左脳の機能の違い、右脳の人生と左脳の人生との違いがどんなものなのかをしっかりと学べるのではないかと思います。何しろ、脳の専門家が、自分自身に起きた症状の真実を語っているのですから、信憑性はバッチリです。
彼女は本の中で、左の言語中枢が沈黙してしまったときに起こったすばらしい体験を語ってくれています。
彼女の左脳が判断力を失っているあいだに、彼女は真の喜びと安らぎと静けさを得、宇宙とひとつになっていたのです。
右脳にとっては“現在”がすべてです。
“この場所 この瞬間”がすべてです
」と語るテイラーさん。
彼女はTEDの講演会でつぎのように語っています。

右脳の意識を通して見ると、私という存在は、自分を取り巻くすべてのエネルギーとつながった存在なのです。
右脳の意識を通して見た私たちという存在は、ひとつの家族として互いにつながっている エネルギー的存在です。
今この場所、この瞬間、私たちはこの地球上で 共に世界をより良くしようとしている兄弟姉妹です。
この瞬間に私たちは完璧であり、完全あり、美しいのです。


★下記をクリックすると講演会が見られます。
 
ジル・ボルト・テイラーのパワフルな洞察の発作


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

テイラーさんの口からは、悟りを得た神秘家がいつも言っているような言葉が時折出てきますが、覚醒者たちというのは、左脳から右脳へと移行し、本来の右脳の機能を取り戻した人たちだということが、このテイラーさんの講演や著作から知ることができるでしょう。

★ここに、少しだけ、テイラーさんのメッセージを伝えておきましょう。
関心のある方は、ぜひお読みになってください。


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脳卒中によってひらめいたこと。
それは、右脳の意識の中核には、心の奥深くにある、静かで豊かな感覚と直接結びつく性質が存在しているんだ、という思い。右脳は世界に対して、平和、愛、歓び、そして同情をけなげに表現し続けているのです。
                     「奇跡の脳」―「脳卒中になって、ひらめいたこと」より

右脳マインドには、現在の瞬間以外の時間は存在しません。そしてそれぞれの瞬間が、情感で彩られています。
生や死も、今この瞬間で起きています。歓びの体験も、そしてわたしたちを包む大いなる存在との結びつきを知り、実感することも。右脳マインドにとっての「今」の瞬間は、一瞬にして永遠なのです。
正しい方法も規則も規制も持たない右脳マインドは、なにものにも束縛されず、あるがままに考える自由をもっています。そして新たな一瞬の数々が与えてくれる可能性を、どこまでも自由に求めていくのです。
右脳マインドはあらかじめ、自発的に、気ままに、そして想像的につくられていて、だからこそわたしたちの芸術的な活力が、抑制や思慮分別なんてものに縛りつけられることなく、自由に迸(ほとばし)るのを可能にしてくれるのです。
                             「奇跡の脳」―「脳についての解説」より


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ハート 小
最近また「おススメの本を紹介してください」というご要望がありましたが、今回は「奇跡の脳」のご紹介を致しました。
あとは、過去記事「深まりゆく秋に向けて―第2弾 わたしの好きな著者」でご紹介した本や、わたしがこのブログのなかで紹介している本を参考にしていただければ幸いです。

読まれた方はまた感想などをお寄せくださると、うれしいです。
ぜひ光のキャッチボールを!


前回の記事でご賛同くださった拍手数は、今のところ(4月2日現在で)「57拍手」となっています。
57人の方が、光と繋がりたい、光の源泉となりたい、地球を太古の昔のような、もとの美しい惑星に戻したいと願い、実践しようとする人であり、そして、打てば響く心意気のある人だということですね。ありがとう!


光の子どもたちよ、
今の地球の現状がわかりますか?
ひどく意識の低い人間たちの棲み家となってしまった地球。

世界の人類がしていることを知っていますか?
平気で殺し合う人間たち。

世界で何が起こっているのか知っていますか?
今多くの人間たちがしていることを知ってください。

この先、どうなると思いますか?
アセンションどころではないのですよ。

あなたが真に光の子どもなら、
自分がすべきことはもう十分に知っているでしょう。
それに向かって、羽ばたきましょう。
愛の翼をひらき、飛翔しましょう。




自己を光として認識せよ

2012年04月15日 01:18


★ 心を閉ざし、耳をふさぐ人たち ★



皆さんは、過去記事「光のキャッチボールをしませんか?」を読まれましたか?
そこで、つぎのように書いていたのを、覚えておられるかと思います。

もし、あなたがこのブログを読まれて、何か気づかれたことがあるのなら、これまで知らなかったことをひとつでも知ったのであれば、その自分が気づいたことや知ったことを、また気づいていない人、まだ知らない人に伝えていってください。
この世界には、見えない世界や見えない存在について、無知な人たちが数多います。また、これまでのものの考え方が限界に来ていて、もうその考え方ではアセンションする地球に伴っていくことができないということに、まったく気づいていない人が多すぎるのです。ほんとうに驚き、あきれるほど、実態を知りません。
ですから、その実態を少しでも知った人たちは、ぜひ光のネットワークにご参加いただき、世界中にその「新しいものの考え方」を広げていくのを助けてください。


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これを読まれて、自分もそういう人々に真実を伝えたいと思った方がいらっしゃったことと思います。
しかし、気持ちは十分にあるのだけれども、なかなかそれが実現しなくて、難関だと実感されている人もいらっしゃるでしょう。
たとえば、霊の世界のことなどを伝えるとなると、「何言ってるの? あなた、精神病院にでも行ったらどう?」と言われたり、相手にしてもらえないということもあるのではないかと思うのです。

「バカじゃないの?」と一笑に付してしまう人たち、かたくなに心を閉ざし、聞く耳を持とうとはしない人たち、世の中には真実を知るのが怖くて、真実に直面することから逃げている人たちが大勢います。


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もう随分前のことですが、ある法律家から「あなたはとてもいい人だけど、頭がおかしいんじゃないの? 精神病院に行ったら?」と言われたことがありました。
そして、「おかしなことを書いた本なんて出さないほうがいい」と言ったのです。「思想、信条の自由」、「言論、出版の自由」があるにもかかわらずです。
人権を擁護する側の法律家がそういうことを平気で言われるので、とても驚いたことがありました。これは、まちがいなく言葉の暴力ですね。
人の話を聞こうともせず、人をバカにしたり、おかしいと決めつけたり、人権を無視するような人たちというのは、世の中に数多存在するのです。それで何か罪を犯せば、すぐに法律に照らし合わせて人を罰します。罰するということ自体も、一種の暴力だと思うのですが。

人間が勝手に作った法律で人間を拘束し、裁いて罪人にしているような人たちは、左脳ばかりが発達して、右脳の機能が働かないのです。ハートで感じることができないのです。目に見えない世界が目に見える世界の基盤となっていることなど、考えてみることもできないのです。

病気を繰り返しているその人に、「あなたの意識があなたの現実をつくっているのですよ、だれのせいでもない、自分のせいなのです。他人のことばかりに目を向けて、人を裁いたりするのはやめて、もっと自分自身を見つめてみられてはどうですか?」と言ってあげたいのですが、それを聴く耳は持っておられないでしょう。

貧しい人、恵まれない人のために尽くすような弁護士やボランティアは『復讐者』の象徴であり、犯罪者を告発したり、社会に害を与える企業を訴えることは、社会のために正義感に燃える、地球規模での『復讐者』の見本である」と、キャロライン・メイス(アメリカの直観医療の第一人者・神学博士)は言っています。
実際に弁護士でなくても、人のために主義を守る行動をしたかどうかで、その人が復讐者の元型をもっているか判断できると言い、また、自分自身や家族への不当な行為に復讐したいという人も、その元型をもっていると彼女は言っています。
どんな職業を選ぶかで、その人の元型がわかってしまうとしたら、とても興味深いと思いませんか?


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皆さんは、法律や規則などがたくさんある国ほど、国民の意識が低いのだということは、おわかりになりますよね?
そこに生きている人たちの意識が高ければ、規則なんてまったく必要ないからです。犯罪が多くて、治安が悪く、監獄に入れられている人が多い国ほど、その国の政治が悪く、政治家の意識も低いということがわかります。
天国に規則などあるでしょうか? 

人はカルマによって再生(再誕生)し、さまざまな悪いことが起こるのも、すべて自分のした行ないの結果なのだと気づいていたら、人を裁くことなどしなくなるでしょう。
過去生で人を殺した人は、現生で殺されることを体験するかもしれません。今度は殺される人の身になってみなさいという学びなのですから、それを傍の者がとやかく言う筋合いはないのです。成るべくして成っているということです。人間が作った法律ではなくて、宇宙の法則によってすべてが現われ、廻(めぐ)っているのですよということです。
だから、それを知った人は、その真実を伝えていく必要があると思うのです。


★ 無知な人間が起こしているさまざまな問題 ★




~平気で臓器移植をする医者たち~



とにかく、権威をもっているとされる政治家、法律家、学者、医者などの多くは、左脳マインドでガチガチにコリ固まっているので、スピリチュアルな内容はなかなか浸透していきません。もちろん正常な方々もいらっしゃいますが、霊的世界を理解し、感知できる人は少数だと思います。
たとえば、ペンジュラムで診断し、患部に手を当てるだけで病気を治しているような医者がいたら、きっと西洋医学の医者からは変人扱いされるでしょう。

過日、読者さんから「臓器移植の問題」を取り上げてほしいというご希望があったので、ここで少し触れさせていただきたいと思います。

人間の身体の構造については、過去記事「神秘のボディ」にも書いておりますが、医師の多くがそのようなしくみを知りません。
ですから、脳死したとわかれば、その人の内臓をさっさと切り取って、平気で他の人に移植したりできるのです。脳が死んでいると言っても、心臓はまだ鼓動を打ち、生きているわけですから、その人が真に死亡したわけではないのですが…。

わたしたちのボディは、見えないボディである「生気鞘」と「肉体」が、銀色のコードによって、へその部分でつながっています。
「生気鞘」がまだ肉体とつながっているのに、臓器を切り取ったりすれば、当然のことながらその人はパニックを起こします。
よって、シルバーコードが完全に切れているかどうかを見極めることが大切です。シルバーコードが完全に切れて、本体が肉体から離れてしまえば、肉体はただの物質となりますから、その後に臓器を取ろうが、肉体を焼こうが、大丈夫なのです。ただし、自分の肉体の死をはっきりと知り、肉体の執着から完全に開放された人に限ると思いますが。
そういうことがわかっていないのに、「脳死」を「死亡」とみなしているという恐ろしい事実に、医師たちは気づいていないのです。


シルバーバーチは、つぎのように言っています。

私は臓器の移植には賛成できません。また輸血も賛成できません。
私の考えでは――私はあくまで私の個人的見解を述べるだけですが――
肉体的生命の維持ということが唯一の目的であってはならないと思います。
心に宿す考えが正しければ行為も正しく、したがって肉体も正常となります。
問題の解決は臓器の移植ではありません。
本当の解決は各自が神の意図(摂理)にのっとった生き方をすることです。
                  『シルバーバーチの霊訓(9)』(潮文社)より



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臓器をもらって、生きながらえた人は、臓器提供者に感謝するかもしれません。でも、その臓器がどんな人のものなのかがわからない(知らされない)ということも問題です。
特に心臓などをもらった場合、提供者の意識や記憶が心臓に残っているため、移植後、提供者の想いに大きく影響されることがしばしばあることが、既に多くの事例からわかっているからです。

臓器にも意識があることは、このブログでもお伝えしているので、皆さんはもうよくご存じのことと思います。
他の意識を持った臓器が自分の体内に入ってきたら、拒絶反応を示しても不思議はありませんね。そのあたりのことを考えれば、やたら臓器を移植することはできないのではないでしょうか? 
そこまでして(他者の意識に影響されてまで)生きる必要があるのかどうかということです。
「臓器を移植する」という発想は、「人間の生は一度きり。死んだら終わり。だから、生きられるのなら、他者の臓器をもらって置き換えてもよい」という考えが、根底にあると考えます。
「生きたい」という気持ちはわかりますが、ほとんどの場合、本人のエゴと言うよりは、家族のエゴのような気がします。肉体を去っても、つぎの生があることを知っていたら、こんな世界にいつまでも留まっていたいと思うでしょうか?


~霊魂を信じない僧たち~



わたしがまだ中・高校生の頃だったと思いますが、日本の坊さん(禅僧)の90%以上があの世の存在を信じていないという結果を出したテレビ番組を見たことがあり、驚いたことがありました。
(過去記事「死者に対する意識改革―葬儀のあり方を考える」参照)
では、最近の坊さんはどうなのでしょう? 

先日「曹洞宗総合研究センター設立記念オープンフォーラム」というサイトを見つけました。「現代に問われる葬祭の意義」とタイトルがつけられていたのですが、〈パネリストの発表〉の箇所につぎのように書かれていました。

霊魂を信じているかという質問に対し、40パーセント近くの僧侶が分からないと回答しており、分からないまま死者への葬儀を行っている僧侶の多いことが分かった。また、葬儀に自信を持っているかという質問に対し、42パーセントの僧侶が自信を持てないと回答しており、自信を持てずに葬儀を行っている僧侶の多いことも分かった。
霊魂を信じられない、死後の世界が分からない、このことが葬儀に自信を持てなくしているのではないだろうか。霊魂の問題を如何にクリアーするかが問題である。死後の世界を信じないで、どうして死者に向かって授戒することができようか。私は、檀信徒の方に対し、信仰上の信念として、道元禅師のお言葉を信じて『霊魂はある』『来世はある』と説いている。


発表された僧侶は、「霊魂を信じているかという質問に対し、40パーセント近くの僧侶が分からないと回答しており、分からないまま死者への葬儀を行っている僧侶の多いことが分かった」と言っておられます。
その答えは「信じている」か「信じていない」かのどちらかであるはずです。それなのに、「分からない」というのは、どういうことなのでしょうか?

自分が「霊魂を信じているかどうかわからない」と言う坊さんが経を読み、葬儀で高額のお布施を受け取り、その後も、故人に対して営まれる法要を繰り返しおこない、それに対するお布施をもらい、お盆にも施餓鬼供養をして、またお布施を受け取っているのです。それが日本の坊さんの仕事、職業です。何かヘンだと思いませんか?

霊魂や死後の世界を知らない、あるいは信じてもいない人が、法要を行なう意味がわからないし、それは詐欺行為に近く、罪にならないのだろうか? とさえ思います。
当然のことながら、このような人がいくら経を読んだところで、霊魂は浄化されず、救われることなどありません。日本は、こういう職業がまかり通っている国なのです。

霊魂があるかないかわからない人は、供養のまねごとをするのはやめて、釈迦の説かれた法則などを信者さんに教えてあげればよいと思うのですが、霊の世界がわからないのなら、釈迦が真に伝えたかったこともわからないかもしれません。
自信が持てずに葬儀を行なっているような人は、僧侶という職につくこと自体がまちがっているのでは? と思います。あの世に旅立てない霊が、僧の後ろに数多くっついていることなど、きっと感じたこともないのでしょう。

坊さんも坊さんですが、そういうことを気にもかけず、坊さんならだれでもいいという感じで葬儀や法要をお願いする一般人のほうも問題であるとわたしは思います。
形ばかりの法要などしたくないけれど、義理で仕方なく行なっている人たちや、法要の前後で身体の具合が悪くなる人がとても多いのです。法要が近づいてくるとウツ状態になる人を、何人も知っています。
法要をしたくなければ、やらなければよいのです。行きたくなければ行かなければよいのです。
今までやってきたから、世間体がどうのと、迷いつづけているあなた、意識改革はまずあなたからです。


ちょうちょ



~読者さんのご質問から~



「…こんな話を周りにしてもキチガイと思われる世の中と感じていますが、このことを一人でも多くの人にうまく伝える方法はないものかと考えています
こうした人たちに気づいてもらうために、光を放射する瞑想のほか、どのような日常的な言動や行動でのアプローチがあるかを記事にしていただければ幸いです

このようなお便りをくださった方がいらっしゃって、とてもうれしかったのですが、それについてはわたし自身も同様に悩んでいるわけなのです。(笑)

もっとも正常な人は、精神病院に入っている人だ」と言った学者さんがおられるそうですが、そうかもしれないと思いませんか? (もちろん、それを言ったのは日本人ではなく、海外の人です)
もし「自分は気が違っている」と気づいて、自ら病院に入っているのなら、その人はかなり正常な人でしょう。

悟りを得た人たち(正覚者)は、みんな気が違っています。狂人です。一般人と比べれば、明らかに気(波動・周波数)が異なっているからです。非常に正常波動値が高い(周波数が高い)のです。
だから、一般人には考えつきもしないことをしゃべりますね。

もしあなたが、ある日突然目覚めて宇宙の理を知り、誰も知らない見えない世界のことをしゃべり始めたら、気が狂ったと思われるのではないでしょうか?
でも、それって、何も不思議ではありませんね。当然のことです。
ですから、人に「精神病院に行ったら?」と言われても、腹を立てないで、むしろ喜べばよいのです。
だって、相手と自分とはまちがいなく「気が違う」のですから。
「キチガイ、おおいにけっこう」、「キチガイさん、万歳!」です。

異常な人ほど、自分は正常だと思い込み、自分以外の人がおかしいと思うものです。
要は「キチガイ」と思われてもよいという覚悟があるかどうかです。
人の反応を怖れていては、光のネットワークは広がっていきません。

光と至福に満たされて、いつもニコニコしている「キチガイさん」がどんどん増えていったなら、キチガイでない人たちは、「もしかしたら、自分のほうがおかしいのだろうか?」と考えるようになっていくでしょう。
だから、皆さん、ぜひ自信を持って「キチガイさん」になってください。(笑)

今も昔も、偉大な「キチガイさん」があまりにも少なかったために、日の目を見なかったのです。もう目覚める人がどんどん出てきてもよい時期だと思いますよ。
(関連記事 光の花束〈不滅の詩〉―冬から春へと移り変わる星たちを眺めて 参照)

「キチガイ」という言葉は、放送界では差別用語となっており、一般的にもあまり使うことは好ましくないので、これからは「気高い人」と呼ぶことにしましょう。

気づいてもらうために、光を放射する瞑想のほか、どのような日常的な言動や行動でのアプローチがあるか?」という読者さんのご質問ですが、方法というものはないような気がするのです。
「どうしたら、人にうまく伝えられるか?」ということをあれこれと模索しても、何も思いつかないからです。

それを考えることよりも、「まずあなたが『気高い人』になることですよ」と言うしかありません。
自分自身が気づき、悟って、光に満ち満ちることです。
光に満ちた人は自信に満ちて、堂々としているはずです。
そうすれば、自分のオリジナルが生まれるでしょう。
それはあなた次第だということです。

つぎのOSHOの言葉を参考にしてください。


反逆にはつねに伝染性がある。
それは野火だ。
だが、まずあなたがその炎を手にしなければならない。
そうなればどこに行こうと、
あなたは人々に炎を燃え移らせることになる。
――そうなれば人々は、新しい光、新しいヴィジョン、新しい考え、
人間とその未来についての新しい概念に炎と燃え立つ。

              ~OSHO 「反逆のスピリット」より~




ハート
このOSHOが言っている野火の「炎」のことを、わたしは「光」と言い、
「反逆者」のことを「キチガイさん=気高い人」と言っているだけです。
同じことです。

くれぐれも、ネガティブで、気の低い人にはならないように。
カチカチの氷ではなく、さらさらとながれる水に、
そして、さらに空中に上昇していく気体へと変容してください。

読者の皆さんが、光かがやく「気高い人」になってくださることを、
光の仕事人は心から願っています。



★「光を放射する瞑想」は、
光の花束〈不滅の詩〉」の光を呼んで自分自身を光で満たしましょう
自分自身を光で満たし、光を放射しましょうを参照してください。






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