光とつながれば、宇宙の生命エネルギーは流れてくる

2011年05月27日 17:30


★ レイキを習得した人へ ★
 


レイキ」あるいは「霊気」という言葉がありますね。
これは「宇宙に充満している普遍的な生命エネルギー」を指しています。
レイキヒーリング」はこの「宇宙の生命エネルギー」を自分のなかに取り入れて、癒しをおこなう方法で、19世紀の終わりから20世紀にかけて、日本人の臼井甕男(うすい みかお 1865年-1926年)氏が始められました。


このブログの読者さんたちの中には、レイキを学んでいる人たちが多いので、ここでは詳しい説明は省きます。
ご存じでない方は、「臼井甕男」、あるいは「霊気」で検索してみてください。

今回、このテーマを取り上げる気になったのは、「気づきの教室」や「気づきのコース」をお申し込みになった人の中にも、「レイキ」のティーチャ―、あるいは学んでいる人たちが多く、そこに共通した問題点を発見したからです。
今までに「レイキ」を習得した人をはじめ、これから学ぼうとしている人にも、これから述べることを参考にしていただけたらと思います。


★ あなたのレイキはホンモノでしょうか? ★



★まず、レイキを習う人は「レイキのチャンネル(回路)」になることが必要とされます。
自分の手から「生命エネルギーを流すことができる」ようにすることですね。
これをおこなうためには「伝授」(アチューメント)というものが必要となります。
「伝授される」というのは、生命エネルギーを受け取るチャンネルがひらき、自分の肉体が「レイキエネルギー」を流すことができるように調節されることなのです。

レイキの伝授をうけた人は、レイキのチャンネルの役割を担っている存在にすぎません。
自分や他人を癒すとき、手を当てますが、自分の身体を通じて「宇宙生命エネルギー」を放射するわけですから、癒すのはその人ではなく、あくまでも「宇宙生命エネルギー」です。
ですから、施術する側の人は、クライアントに対して、謙虚さを失わないことです。

レイキエネルギーをパワーアップするためには、自分自身の魂の成長を目指し、「無条件の愛を実践すること」に尽きるということですね。


ところで、このレイキエネルギーですが、一度伝授をうけたからといって、安心するのは禁物です。
回路が一度開かれたとしても、また閉じてしまう可能性は大だからです。
なぜなら、レイキの先生ですら、レイキエネルギーが出ていない人が、実際に少なからず存在しているからです。
そんな先生からいくら伝授をされても、回路が開かれることはありません。
「レイキ・ティ―チャ―」と称する人が本物であるかどうかを、よくよく吟味することが必要です


★実は、以前おこなった「気づきの教室」の「相談リーディング」をお申し込みになった方(男性)で、「ティ―チャ―・ディグリー」まで習得したという方がいらっしゃったのです。
彼は仕事としてレイキをおこなっていたわけではないのですが、自らの癒しを求めて「レイキの会」に毎回参加しておられるとのことでした。
そこで何かしら気になるものを感じたので、そのあたりのことをお調べしたのですが、その人からはレイキエネルギーが出ていないし、彼の守護霊さんからもそのことで警告があったりしたので、その旨をお伝えしました。

つまり、彼のレイキの先生が、本物ではなかったということがわかったのです。
その先生も、最初の頃は回路が開いていたかもしれませんが、しだいに想念の汚れによって閉じてしまい、その能力が失われていったのでしょう。
失われただけならまだしも、逆にネガティブなエネルギーを放っていたわけですから、百害あって一利なしです。

それを知った彼は、即刻その会から離れることを決意されたようで、
「レイキに依存することなく、自分の心の中で自分磨きをしていこうと思います」と、レイキをすっかり卒業した旨のメールがまもなく届きました。
(その素早い決断に、感心させられたしだいです。その後、その男性は新しい方法で自己探究をされるようになり、喜びに満ちた嬉しいメールも、最近いただいております)

レイキ関係で営業している人は、自分の手からほんとうに「宇宙生命エネルギー」が流れているかの検証を怠らないようにしていただきたいと思います。
この検証ができない人は、この世での資格は持っていても、宇宙からの資格は与えられていないかもしれませんので、要注意です。
レイキの伝授やレイキヒーリングの仕事をしている方々からは、営業妨害だと叱られそうですが、しっかりと光とつながっている人であれば、そんな心配などはいらないでしょう。



★ だれもがその能力を持っている ★



十数年前に、わたしもドイツ人から修得したという知人から「西洋式レイキ」を学んだことがあります。
当時、あくまでも自分を癒すために学びたかったので、「サード・ディグリー」までで終了しました。

「ファースト・ディグリー」の伝授の最中、わたしの目の前に不思議な映像が見えました。
いろんなシンボルマークがつぎつぎと浮かんできたのです。
梵字のようでしたが、美しい色と神秘的な形をしていました。
それはそのときもらった規定のシンボルとは全く別のものでした。

伝授が終了したとき、知人は伝授の途中でつぎのようなメッセージをもらったと言いました。
それは、「すでにあなたは知っている」という言葉だったのです。

つまり、今生では初めての体験でしたが、すでにわたしの魂はそのことを知っていたということですね。
ですから、わたしの手当て法が、そのときの伝授で活性化されたのは真実でしょうが、以前からその能力は秘められていたということです。

それは、皆さんにも言えることです。
痛いときに思わず手のひらでさすりますね。そうすると、随分痛みが減ります。
わたしたちは本能的に治す方法を知っているし、その能力を多かれ少なかれ持っているということなのです。


★ 自分で実験してみよう! ★



たまにケガをしたときに、わたしは自分の自然治癒力を試すことがあります。

まだレイキを習得したばかりの頃だったと思いますが、自転車共々思いっきり転んだことがあり、コンクリートと自転車とに両膝辺りをひどくぶつけてしまったのです。
痛くてたまらない最中(さなか)でしたが、この際、実験をしてみようと思い立ち、片方の膝(右膝)だけ手当(レイキエネルギーを流す)をしてみたのです。
そして、そのまま家に帰り、翌日どうなっているかを見てみることにしました。

すると、左膝の部分は紫色のひどいアザになっていましたが、手当をした右膝の部分はうすく青みがかっていただけでした。
痛みも全然ちがっていて、レイキヒーリングをしたのとしないとでは、雲泥の差があるということが判明したのです。それで、やはり「手当は大切だ」と実感したというわけです。

また、昨年のことですが、調理中に手が滑って、包丁で左の親指を3センチほど深く切ってしまったことがありました。
血の量を見て、次女が「早く病院へ!」と騒いでおりましたが、わたしは自分の方法で、独りで手当てをしました。
まず親指さんに自分のドジでこんなことになったことを「ごめんなさい」と謝り、そして、「自然治癒力で治してね」とお願いしたのです。
あとは、卵の白身を塗りつけて、バンドエイドで包んでおいただけです。
すると、不思議なことに全くうずくこともなく、翌日には傷口が閉じていたのです。
病院に行けば、即刻縫うところだったのでしょうが、そんな必要もなく、痛みもないままで完治してしまいました。

「いつもお母さんは早く治る」と、娘たちに驚かれていますが、自然治癒力と宇宙生命エネルギーの有り難さを感じ、感謝しているしだいです。


★ 霊媒体質の人はご用心 ★



何に対しても鵜呑みにせずに、自分で検証することが大切だということが、ここでもおわかりになったでしょうか?
「レイキの伝授をされたのだから、わたしは大丈夫だ」と、安心しきっていてはいけないということです。
ほんとうに回路が開かれたのかどうか、そして、一度回路が開かれても、閉じるということがあるということを覚えておいていただきたいと思います。

チャクラだって、オーラだって、開いたり、閉じたりしているわけですから、当然のことですね。
ネガティブエネルギーで満杯になれば、回路は汚れて詰まり、光が入る隙などはありませんね。
ひーらいたと思ったら いつのまーにか つ~ぼんだ」という歌のようにならないよう、どうかお気をつけください。


★また、ペンジュラムの記事でもお伝えしましたが、霊媒体質の人、霊の影響を受けやすい人は、ご用心ください。
他人に対しては、レイキヒーリングをおこなわないほうがよいかと思います。
たとえば、施術者に悪霊が憑依したら、どうなると思いますか?

一時的には驚くほど治ったりするのですが(悪霊でもそういうことができます)、またぶり返し、しだいに施術をしないと治らない身体になっていく可能性が大です。
ほんとうは肉体の浄化が促進されて、自己治癒力が活性化されるはずなのですが、施術すればするほど、相手(クライアント)の自然治癒力は低下していくことになるでしょう。

なぜなら、「自然治癒力さん」は、自分自身で治さなくても、だれかが治してくれるのだから、もうそんな治癒力を出さなくてもいいやと思い込み、治癒活動を停止してしまうからです。
これで、その人は、自分の自然治癒力では治せない身体となり、一生だれかのお世話になって生きていくことになるのです。こわいですね。
(アンマやマッサージなども同様で、そのときは痛みが軽減して心地よいですが、根本治療にはならず、自ら治癒しようとしなくなっていくようです)

霊媒体質だと自分でわかっている人は、常に浄化を怠らず、自分の治癒だけにレイキを使うようにしてください。
(自分で自分をレイキヒーリングして癒されない場合は、全くレイキエネルギーが通っていない証拠ですよ)
くれぐれも、他者の自然治癒力まで奪うことのないようにお願いします。




★何に関しても、光とつながっていなければ、意味をなさないのです。
光(自分の内なる神)とつながってさえいれば、たとえ糸で結んだ五円玉であっても、ふつうのペンダントであっても、それを用いて物事の正否は検証できますし、
レイキを習っていなくても、自分のケガや病気を癒すことができます。
自分でどうしても癒せないときには、光の神霊たちが癒しに来てくれます。
神聖なる恩寵の泉は、尽きることなく湧き出してくるのです。
わざわざ高いお金を出して伝授されなくても、「宇宙の生命エネルギー」をいただくことはいくらでもできるのです。

もっと自分自身を信じましょう。
自分の内なる生命エネルギーを信頼しましょう。
自己への深い信頼と愛こそが、あなたを癒すのです。




癒しは自然のなかにこそある 

2011年06月05日 23:00


★ 出雲大社の波動 ★



昨日、娘たちと島根県にある出雲大社に赴きました。
わたしは独身時代から今日に至るまで何回か参詣しておりますが、魂の系統としてはあまりご縁がない神さまであるためか、いつ行っても感動が湧いてこないというのが正直な感想です。
伊勢神宮の内宮から感じられる軽く精妙でやさしい波動とはまるで異なっていることがわかります。
しかし、娘たちには今回ある意味で必要であると感じたので、遠路を車で向かいました。


出雲大社


出雲大社の境内は、つぎつぎと押し寄せてくる観光客で騒々しい空気に包まれていました。
改修工事のせいもあって、空間に全く広がりが見いだせず、落ち着きのない不快な感覚を味わいました。
別殿では婚礼の式典も行なわれており、こんなに大勢の人を見たのは今回が初めてで、非常に疲れました。

霊媒体質の娘たちにとっては、ありがたいパワースポットどころか、人々の願いごとによる欲望や悪想念のエネルギーでめまいが生じ、人が群れているところには立っていることができない場所になっていたのです。

現在、出雲大社は六十年に一度の「平成の大遷宮」で、すべての社殿の屋根を葺き替える作業が行われている最中です。
2008年4月20日から本殿の大規模な改修に伴い、御神体を御神輿に乗せて仮殿に遷したということです。

仮殿の前、つまり、人々がかしわ手を打ってお参りをする場所は、かなり波動が悪かったので、裏に回って、もっとも波動がよいと感じられた場所にしばらく立っていました。
この出雲大社がある「山陰地方」や「日本国」の守護をお祈りするというよりも、ただただ「御心のままに」という言葉しか出てこなくて、早々にその場を立ち去ったしだいです。

このように、有名な神社ほど参詣する人が多いので、実際のところ聖域ではなくなっている可能性が大きいのです。
ですから、サイキックスポンジや霊媒体質の人は、そういう場所に行かないほうが賢明なのです。かえって、ヘンなものをもらって帰ることになるからです。

また、どこでも神社に神さま(ご祭神)はいらっしゃらないとわたしは感じています。
ただ、そのエネルギーが今もなお残留しているだけです。
神社がパワースポットと言われているのは、未だにその神さまのつよいエネルギーが残っているからであり、ほんとうにそこに神さまが存在しているわけではないのです。
もし何千年ものあいだ、その地に実際に鎮座しているのだとしたら、まったくその神々は成長していないということになりますね。
神さまだって、時が経つほどに成長されるはずですから、いつまでもそんなところに留まっているわけはないのです。

また、神さまと言ってもピンからキリまであり、とどのつまりは宇宙からやってきた存在たちであるので、神さま自体にもさまざまな「クセ」というものがあるということを知っておくことが大切です。

その波動(周波数)の違いによって、神さまの性質や意識レベルをある程度感じることができるわけです。
全く気配がない神社もたくさんありますが、もうそのエネルギーも残っていないということになるでしょうか。

よく神社で神さまとお話をしたという人がおられますが、「一体どなたと話しているのかしら?」と思いますね。(きっと神サマになりすましている輩もいっぱいいることでしょう)


★ 神社めぐりの一長一短 ★



★島根県には「出雲大社」のほかに「熊野大社」と呼ばれる一宮があります。
さすがにこの土地にはスサノオ系の神社がたくさんありますが、「熊野大社」はダントツ一位に挙げられる神社であると思います。
ご祭神の名は「伊邪那伎日真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命(いざなぎのひまなご かぶろぎくまのおおかみ くしみけぬのみこと)」とされていて、「素戔嗚尊」の別名です。
「伊邪那伎日真名子(いざなぎのひまなご)」は「イザナギが可愛がる御子」の意で、加夫呂伎(かぶろぎ)」は「神聖な祖神」の意としています。

ここの神社の境内はさほど広くはありませんが、境内に入る手前に川があり、渡された橋の上から川のながれを眺めていると、とてもさわやかな気分になります。
境内でも、とても力強い崇高な波動が感じられましたが、それはわたしだけでなく、感じやすいふたりの娘たちも同様でした。
島根県の神社の中で、「熊野大社」は気持ちがよくて、「また来たいな」と思った場所のひとつですが、今現在はどうなのかわかりません。

このように、神社によって波動が千差万別であることは、感じやすい人であればきっとおわかりになることでしょう。
やわらかい温和な波動を感じる神社もあれば、強烈な波動や、暗くて重い波動を感じる神社もあります。
そして、人間の参拝者が多ければ多いほど、汚れたネガティブなエネルギーがさまよっているため、気分が悪くなることが多いのです。

ですから、皆さまにやたら神社参拝をおススメすることはできません。
行かれるなら、くれぐれも気をつけて行ってください」と言うくらいですね。
光とつながっている人は、逆に「光をお届けする」という気持ちで神社に行かれたほうが正解かもしれません。



★ 癒しは自然のなかにこそある ★



「出雲大社」からの帰りに「宍道湖自然観ゴビウス(水族館)」に立ち寄って、島根県内に生息する水辺の生き物たちを見ました。
娘たちは泳ぐ小さな魚たちを熱心に観察し、彼らに癒されたと言っておりました。
「ゴビウス」周辺の環境がすばらしく、芳しいみどりの香りを乗せた風が吹きわたるやさしい田園風景に、わたしもようやく癒された気がしました。


       水クラゲ
        美しく神秘的な水クラゲ ゴビウスにて撮影



神社よりも、自然や生き物との出会いのほうが、癒しの効果が断然高かったということですね。
神の社(やしろ)に行ったからと言って、光とつながれるわけではないし、体質によってはむしろ悪影響があると言ってもよいでしょう。
人間のもつ波動がいかに汚れているかということを、しっかりと実感することができた日となりました。


     ゴビウス
               ゴビウスの水族館にて撮影


★癒しを求め、光とつながるために、人間の悪想念だらけの神社や、観光客だらけのパワースポットにわざわざ行かなくても、人のいない静かな自然のなかで、木や草花や小鳥たちとともに過ごすほうが断然有益だとわたしは感じています。

目を閉じて、風の音を聞き、その心地よさを全身で感じてください。

周りの生き物たちの息吹を感じてください。

川のせせらぎに耳を傾けてください。

太陽の暖かさ、明るさ、光の恩恵をしみじみと感じてください。

自然と溶け込み、一体となったとき、初めて地球の想いも知ることができるでしょう。

そして、新たな気づきが生まれるでしょう。

わたしたちを生かしてくれている存在は、太古の昔に人間を創成した神々などではなく、
この母なる大地(地球)なのだということを。




与えたものは、こだまのように戻ってくる 

2011年06月06日 11:35


★ ある読者さんの混迷 ★



これは、このブログの読者さんで「気づきのコース」を受けた方からのご質問ですが、皆さんにもご自分のこととして考えていただきたいと思い、彼女の許可を得て、ここに記載させていただくことにしました。

彼女のご主人は「フランス料理」のお店を経営されているのですが、そこで料理として提供している「肉」について、以下のような文面をいただきました。


いつでしたか。。。光の仕事人様の記事の中にもあったと思いますが、「肉食を避ける」といった文面があったと思います。
私の仕事は「フランス料理」のお店での仕事です。どうしても扱うものが顔があり、足がある、追いかけると逃げる生き物を殺生の上調理したもので、お客様に喜んで頂く仕事です。。。果たしていかがなものか。。。夫の家業でもあり、夫もこの仕事に誠心誠意向き合っております。夫の考えは「大切な命を頂くんだから、無駄にしないよう、大切においしく召し上がって頂けるよう、心を込めて調理している」という信念でやっております。ですので、彼の意識には常にさばいているお肉やお魚に対して「ありがとう」の気持ちを持って包丁を握っているといいます。しかし、どうにも、この事は精神社会の理論からすると逆行している現実なので、私としてはどう受け止めたら良いのか、迷っている所であり、今まで書きたくても書けなかった事柄でもあります。



それについて、わたしは下記のお答えを致しました。

★「肉食」の時代はもう終わっております。
肉で何かと事件が起こっているのは、もう食べるのをやめなさいという警告です。

わたしは最初あなたのお店が「自然食」で、肉類をあまり出さない野菜中心のお店かと思っておりました。
中心が肉類でなく、お客の身体にやさしい野菜類で工夫されたらよいのではありませんか?
(たとえば、精進料理なんかで、ウナギのような触感を味わいたいために「ウナギもどき」なんかが作られていますが)肉がなくても、いろいろ工夫はできると思います。それこそ、調理人の腕の見せ所かもしれません。

肉の量を少し減らすだけでも、随分ちがってくると思いますよ。
それはご主人に提案されて、話し合いをされることですね。


結局の所。。。今の所では主人は方針を変えることができずにいます。それはなぜか。。。一番彼が今の厳しい経営状態の中で、こだわって原価を落とさずに提供している所である事、それを楽しみに毎月一度、必ずお昼を食べに来ているお客様(おじいちゃまなんですが、車いすでしかも右片麻痺の障害もありますが。。。介護士さんと来られています)がおられ、本当に心待ちにして下さっている事、みんなが、おいしかった~!と喜んで笑顔でお帰りになる事。。。それを考えるとどうしても解ってても踏み切れないと。。。彼の気持ちも解らないでもないです。。。お肉をブロックで仕入れているのですが、丁寧に処理をしカットし、本当に愛情込めてお出ししている彼の姿勢を横で見ていると、これ以上の事は言えなくなってしまいました。。。彼も貧しかった子供時代に、お肉を食べれる事が夢だった所もあります。そして、この今の不景気にあって、うちを選んで来て下さるお客様は、本当に真剣勝負で来られています。その、満足感を満たしてあげられる彼の料理ならば。。。これも一種大切なお仕事なのではないかと思う自分がいます。スピリチュアルな現実に反している事はよくわかっているつもりですが、今も尚、踏ん切れない 私 がいます。


というお返事が返ってきました。

今も尚、踏ん切れない 私 がいます」という彼女の文面から、わたしが感じたことを正直にお伝えしたいと思います。
彼女のこの思いは、結局のところ「言い訳にしかすぎないのではありませんか?」ということです。

本当に心待ちにして下さっている事、みんなが、おいしかった~!と喜んで笑顔でお帰りになる事…それを考えるとどうしても解ってても踏み切れない」とありましたね。
正直に自問自答をしてみてください。

「お客様が喜ぶから…」それは、ほんとうにお客様のためを思ってのことなのでしょうか?
肉料理でのおもてなしをやめることができないのは、ほんとうにお客様を愛するがゆえなのでしょうか?
それとも、お客様から称賛され、喜ばれることを望んでいる自分自身を愛しているからなのでしょうか?
あなたもご主人も、「ほんとうにお客様を愛しています」と自信をもって宣言することができますか?

わたしには、ただ甘やかしているだけのように感じられます。あなた自身に対しても、お客様に対しても。

肉が血液を汚し、病気の元になるということを真に理解しておられるのであれば、それを客に出すことなどできるはずがありません。

お客様がおいしかったと喜ぶから…。
では、あなたは自分の子どもに、放射線物質に汚染されている食べ物を、子どもが喜ぶからと言って、食べさせるでしょうか?
そんなことは、決してされませんよね?

放射線物質に汚染された食品を恐れるのは、将来ガンになる可能性があるからです。
同様に、肉類を食べるとガンになる可能性が非常に高いことは、わたしのブログを読んでいる人であれば、百も承知のことでしょう。

★参考 過去記事
ガンになる原因―さまざまな見解
高次元存在とのコミュニケーションのチャンネルをきれいにする
小食は地球を救う―その5 少しでも地球に貢献するために
アセンションに向けて―浄化と周波数を高める方法


放射線物質に汚染された食品を食べるのと、肉類を食べるのと、ガンが発生する危険性があるという意味では、何ら変わることはありません。
むしろ、人間たちが今まで大量に食べてきた肉類(主に牛肉)のほうが、ガンの発生率が高いのかもしれません。
それを十分にわかっているのに、なおかつ客に肉類を提供するということ自体、客の身体のことを考えていない、とどのつまりは、「ほんとうにお客様を愛してはいない」ということになるのではないでしょうか? 

「喜んでもらえるから」とか、「おいしければよい」とか、「満足すればよい」とかいう問題ではありませんね。これは、まちがった愛の形です。

考えようによっては、お客様に対して、逆に愛を求めているともいえます。
客が喜ぶと自分も嬉しい。その喜びを味わいたいから、それを続けるということです。

お客に対して、「実はお肉はからだにとても悪いんですよ。だから、お客様のおからだのことを考えて、うちの店では肉を出さないことにしました」と、なぜ、真実を言うことができないのでしょうか?
お客が来なくなることを恐れるからでしょうか?
いったい誰のための「料理店」なのでしょうか?
結局自己満足のためのお仕事だったのでしょうか?

自ら愛を求めている人が、どうして他者に愛を与えることができるでしょうか?

その後「やっぱり今まで通りこのまま続けていく」という内容のメールが送られてきました。
その人なりに一生懸命考えたあとの選択の結果でした。
肉類を出さないお店なら、一度行ってみたかったのですが…。


★宇宙のあらゆるものは変化します。
「変化する」ということ。
それは唯一「変化しない」真理でもあります。


今、古いものの見方、考え方、古いシステム、霊性の成長に何の役にも立たないものが、つぎつぎと壊されていっています。
変化していくものに執着し、変化することに抵抗しても、結局変化は訪れるのです。 
変化の波に乗れないものは、消滅していくしかありません。

変化の荒波に呑まれず、乗り越えていく方法。
それが、アセンションなのです。




★ 与えたものは、こだまのように戻ってくる ★



「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。

「ばか」っていうと
「ばか」っていう。


「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。

そうして、あとで
さみしくなって、

「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。

こだまでしょうか、
いいえ、だれでも。



これは、皆さんもよくご存じの金子みすずさんの詩です。
震災以来、テレビの広告機構のコマーシャルでお馴染みになりましたね。

この世界は、すべて木霊(こだま)の法則で成り立っています。

人を罵倒すれば、罵倒が返ってきます。
憎しみを与えれば、憎しみが、
怒りを与えれば、怒りが、
げんこつを与えれば、げんこつが返ってきます。

そして、愛を与えれば、愛が返ってくるのです。

あなたが与えたものは、すべてあなたに戻るのです。
まるで、木霊(こだま)さながらに。
これは、宇宙の永遠の法則です。

OSHOは言います。

与えたものはすべて、数えきれぬほどの形で自分に返ってくる。
そして愛を分かち合えば、愛は数え切れぬほどの形で自分に返ってくる。

数えきれぬほどの形で愛が戻ってきていないのなら、
自分が愛を与えてこなかったからだと理解しなさい。



人生はシンプルすぎるほどシンプルです。
この法則を真に知った者は、悩んだり、混迷したりすることはありません。
迷いがあるのは、何に対しても頭で理解しただけで、腹にまで落ちていないからです。


あなたは愛を求めている人ですか?
なぜ、愛を乞うのですか?

愛は外側から得るものではありません。
だれもあなたに愛をあげることはできません。
愛を乞うあなたの望みをかなえる義務など、だれにもないのです。

愛を求めるのは、当然のことながら、あなたの内側に愛がないからです。
内側が空っぽの人が、他者に愛をそそぐことなどできるでしょうか?

愛はあなたの内側から生まれ出るものです。
あなたの内側で愛があふれだしているのなら、
この世界のすべての生命に愛を与えることができるでしょう。  
 
牛さん









ボクを食べないでね。
ボクは人間のエサじゃないんだよ。
                   


牧場の牛さん







「夢の世界」からの卒業

2011年06月12日 10:15


★ ブログ記念日に ★



★今日は2011年6月12日です。
このブログを立ち上げ、初めて公開したのが、ちょうど一年前の6月12日でした。
この一年の間に、自分で考えていた以上のたくさんの記事を書くことができ、また今では多くの人に読んでいただくことができるようになり、大変うれしく思っています。

★この記念すべき日に、読者の皆さんに感謝の気持ちを込めて、一年間の総まとめとしての記事をお贈りしたいと思います。

最近、わたしの住んでいる地域で、お亡くなりになる人の数が非常に増えております。
また、今年起きた震災で肉体を去られた人たちは、世界中でどれほどいらっしゃることか、見当もつかないほどです。
彼らのうちの多くは、これまで慣れ親しんできたような物質世界、すなわち3次元の領域(星)に連れて行かれています。また、今後も大勢の人がそこに行くことになるであろうことが予想されます。

よって、今地球に生きておられる人たちに、ぜひ下記の内容をお伝えしておきたいと思います。



「夢の世界」からの卒業 ★



わたしたちの内なる「真の自己」は不滅です。
未だかつて死んだことはありません。

肉体の死は、さなぎから蝶になる輝かしい瞬間であり、より精妙な波動へと移行できる歓喜に満ちた瞬間です。

美しい蝶となって真の自由を得るためには、さなぎの中にいるあいだにしっかりと準備をしておかなければなりません。
どんな準備なのかは、このブログを最初から読んでこられたあなたには、もうおわかりのことでしょう。



アゲハ蝶



量子物理学が「人の意識が現実を創造する」「われわれが認識する物質世界は実存しない」という結論を導き出したことはすでにご承知と思います。

また、皆さんは、『マトリックス』という名の映画をご存じのことでしょう。
わたしたち人類は、誰も気づかないうちに「ニセモノの現実」、つまり「仮想現実」を見せられているということに気づくことができるすばらしい作品です。
わたしたちはそれをすっかり「ホンモノの現実」と思い込んでしまっていて、支配されてしまっているわけですね。

映画『マトリックス』では、個々の人が見る「幻想を生み出すコンピュータ仕掛けの仮想現実空間」を「マトリックス」と表現していますが、「人の意識が現実を創造する」ことを大変うまく伝えている映画であると思います。
何度見ても、新しい気づきが得られる作品です。
まだ見ておられない方は、ぜひご覧になってください。


★この「人の意識が現実を創造する」ということを、すでに仏教では「三界は唯心の所見」と言い、この世で起こっていることは、すべて自分の心が作り出した「仮相の世界」であると教えてきました。

金剛経につぎのような偈(げ)があります。


一切の有為の法は、夢、幻、泡、影の如し
露の如く、また電の如し 
応に是の如きの観を作すべし


夢の世に 夢見る夢は 夢ならで 
夢見ぬ夢を 夢とこそ知れ



さて、この詩の意味がおわかりになりましたでしょうか?
決まった解釈というものはありませんから、自分なりに味わってみてください。


夢の世に 夢見る夢は 夢ならで 
夢見ぬ夢を 夢とこそ知れ


わたしはこの詩が好きで、ときおり思い出しては、口ずさんでいます。

この世界に存在するあなたの人生も、わたしの人生も、妄想という夢であるのなら、自分の思いや意識を変えることで、「この世」という夢の世界はいくらでも変えることができるはずです。
もちろん、過去世だって未来世だって変えることは可能なのです。
思いのままなんですね。

死ねば「一巻の終わり」と思っている人は、死んだらその思いの通りになり、さなぎから出ることができず、けっして蝶にはなれませんから要注意です。
(この世でのお勉強を怠っていた人、学ぶべきことをしっかりと学ばなかった人、カン違いがはなはだしかった人は、死んでも青虫のままだということです)


青虫



蝶になれなかった青虫たちは、まだ「この世」に未練が残っていて、「あの世」と「この世」の中間でうろついたりしています。
彼らは、「この世の青虫」たち、すなわち「この世という仮相現実」で、泣いたり笑ったり、苦しんだり悲しんだり、あるいは喜んだりしている夢子さん夢男さんにとり憑いて、自分が果たせなかった「この世での夢物語」の延長を演じつづけようとするのです。

そんな幽霊青虫にとり憑かれてしまうと、夢子さん夢男さんたちは、彼らに足を引っ張られ、蝶になりたくてもなれません。
怒り、憎悪、被害者意識、ネガティブな思考に陥りやすいなどの自覚症状がある人は、心身を清め、早くカルマの浄化をして、幽霊青虫との縁を断ち切るよう日夜努力を怠らないようにしてください。

真の自分を忘れたままで「この世」から旅立っていったはずの青虫たちが、近年(数年前)集団で「この世」という「夢の世界」へと後戻りしてきて、「蝶になりたい!」と、うるさくせがんできておりました。
彼らもようやく自分の有様(実態)を知って、浄化を手助けしてくれる存在を求めていたのです。
そして、多くの「幽霊青虫たち」がクリアリングされ、自分の魂のふさわしい領域へと上昇していきました。

蝶になるには、「この世が幻想の世界であること」、「実相の世界がほかにあること」、そして、「本来の自分は大いなる宇宙意識の源から来たこと」を思い起こせばよいだけなのですが、「一巻で終り」と信じていた彼らは、そのことになかなか気づくことができないのです。


★人生の指南書は「一巻」だけではありません。
「二巻」、「三巻」、「四巻」と永遠につづきます。



しかし、いつまでこの「夢の巻」のお芝居を、わたしたちはつづけるのでしょうか? 
そろそろ善悪や愛憎や損得という対立する二元の世界から卒業して、本来の自分自身に目覚めるときが来ているのではないでしょうか? 

さあ、早く「夢の巻」を読み終えて、つぎの巻へと進みましょう。
何だかわくわくしてきましたね。


アゲハ蝶
           蜜を求めて飛んできたアゲハ蝶 
                    撮影 光の仕事人





わたしたちが夢から覚めて、
まゆ(虚構という現実にとらわれた世界=マトリックス)を破り、
美しい翅(はね)をひらいて、
光かがやく実相の世界へと飛んでいけることを心から願っています。




存在を信じ、自らをゆだねる勇気を持つこと 

2011年06月19日 15:20


★ 明け渡すとは? ★



★「明け渡す」という言葉がありますね。
英語では、「譲り渡す、降伏する、放棄する」などの意味を持つ「サレンダー(surrender)」がよく使われていますが、受け取り方は、千差万別です。

自分を「明け渡す」というのは、一体どういうことなのでしょうか。
今回はそれについてお話をしたいと思います。



★ 男性は明け渡すことが困難 ★



★男性は、「自分を明け渡すこと」がなかなかできない存在です。
「降参しました、あなたに従います」と、犬さながらにお腹を見せて、相手に服従の意志を見せることなんて、とうていできません。
エゴは、「自分は死んでも明け渡すまい」と固く決意し、最後まで戦います。

敵に降伏するくらいなら、死んだほうがましだと思うわけですね。
そして、負けて、生き残ってしまったときは、自害して果てるほうを選びます。
「自害さえもできずにいる男なんて、男じゃない!」くらいに思っているんですね。
どの国の戦士、武士たちも、そこのところは共通しているのではないかと思います。

男性の場合、相手に自分を明け渡すことは「自尊心が許さない」のです。
つまり、自分の命よりも自尊心のほうが大事なわけですね。
だから、なかなか自分の悩みなども打ち明けようとはしません。
自分の情報を相手に伝えることを躊躇します。
そういう意味で、「気づきのコース」に参加されなかった男性もおられるようですが。

このように、男性にとって、自我(エゴ)を明け渡すことはとても困難です。
相手が敵であろうが、大いなる宇宙意識という存在であろうが、同様です。

しかし明け渡すことはできないけれども、エゴを殺すことはできるのです。
自分のなかにあるエゴを殺し、消滅させて、覚醒することはできます。
ゴータマ仏陀は「我を消滅」させて正覚者となった代表的な人物です。



★ 女性は明け渡すことが容易 ★



★では、女性はどうでしょうか?
日本の歴史をみても、女性は政略結婚などで敵国の支配者の元に送られても、健気(けなげ)に生きつづけました。
また、夫が戦いに敗れた後、夫の敵だった殿様の妻になることも多々ありました。
敵のところに行くくらいなら、死んだほうがましだとは思わなかったわけですね。
男性と女性のこの違いは、いったい何なのでしょうか?

女性には節操がない? 
「それを言っちゃーおしまいよ」(笑)
寅さんの名文句じゃありませんが、それは「ちがう」と言いたいのです。
(なかには自害した女性もいますが、彼女はマインド思考の、男性性の強い女性だったのではないでしょうか?)

女性は「自分を明け渡すこと」ができやすい存在なのです。
あなたに従います」と、全面的に自らをゆだねることができる質を持っているのです。
敵国の王の元に送られた女性たちは、決して自害などをしませんでした。
そして、エゴを殺すこともしませんでした。
エゴを消滅させることもなく、彼女たちはエゴをすっかり明け渡したのです。



★ 明け渡すという意味  ★



明け渡す」ということは、もはや「自分自身はいない」ということです。
自我(エゴ)が落とされているという意味です。
あなたの中心の部分が消え去ったということです。

あなたという人間はまだ存在するけれども、あなたの中心的な存在であったエゴが消え去ったなら、もう守るべきものなどありません。
エゴが落ちたなら、自己防衛などはまったく必要ではなくなりますね。
エゴを殺し、葬り去り、消滅させた男性の境地は、まさに空(くう)、空っぽの状態です。

では、エゴをすっかり明け渡した女性の境地は、どうでしょうか?
彼女の境地は空っぽではありません。
満ち溢れているのです。

なぜって、何も殺さず、何も葬り去らなかったからです。
エゴを明け渡した代わりに、愛と信頼でつつまれたからです。
敵国の王に愛されて、幸せな日々を送ることだってできるのです。
わかりますか?



★上記はひとつのたとえ話ですが、どちらにしても、最高の境地にたどりつくことができるということです。
ただ、男性と女性のたどりつく道筋が違っているだけです。

男性は「自分を明け渡すこと」に苦痛を感じますが、
女性は「自分を明け渡すこと」に抵抗なく、全面的に自分をゆだね、
くつろいでいることができます。

女性は瞑想することよりも、祈ることのほうが得意なのです。
じっと座って自分のエゴを消滅させることを待つよりも、
宇宙に対して全面的にハートをひらき、祈ることのほうが得意です。
存在自体を受け容れ、祈り、そして受け容れたものを育んでいくことができるのです。
女性が男性よりも「明け渡すこと」ができやすいのは、男性にはない子宮を持っているからでしょうね。

子宮」、つまり「母胎」を英語に訳すと「MATRIX (マトリックス)」となりますね。
女性の皆さん、そのすばらしい質をぜひ有効的に使ってくださいね。


      柏葉あじさい
              柏葉あじさい 撮影 光の仕事人



★ 存在を信じ、自らをゆだねる勇気を持つこと ★



これは、自分を完璧に至高の存在に明け渡した老行者のお話です。


私は聞いた……

ある行者が物乞いをしていた。
彼は年老い、視力も衰えていた。
彼はモスクの傍らに立って、
扉に向かって施しを乞うていた。
そこに通りがかった者が言った、
「あんた、どこか他所(よそ)に行った方がいいだろうに。
これはあんたに何か与えられるような人の家ではないよ」

行者は尋ねた、
「誰にも、何も与えないような、家の主なんているものかね?」

通りすがりの者は答えた、
「頭がおかしいのかね、おまえさんはここがモスクなのを知らないのか?
この家の主は、偉大なる父、神ご自身なんだぞ」

行者は顔を上げ、モスクを仰いだ。
彼のハートは焼けつくような渇望でいっぱいになった。
内なる声が話しかける、
「だが、どうしてわしがこの扉の前から、動けるというのじゃろう?
これは究極の戸口じゃ。これ以上の扉など、一体どこにあるというのじゃ?」

強固な決意が彼の内側に育っていった。
動かしえない岩のように、彼のハートはこう宣言した、
「わしは手ぶらのまま、ここから去りはせん。
あとで何を手にしたにせよ、ここから手ぶらで去ることにした連中は、
実は何も得てはおらんのじゃから」

彼はモスクの階段のそばに座り込んだ。
彼は天に向かってその空っぽの両手を差しのべた。
彼は渇いていた―
そして渇きそれ自体が祈りだ。

日々は過ぎ去り、季節がめくられていく……
夏が過ぎ、雨季が過ぎ、冬も終わりを告げていた。
ほとんど丸一年が過ぎ去っていた。
老人の最期も近かった。
が、彼の生涯の最後の日々に、
人々は、彼が踊る姿を見た。

その目は、この世ならぬ輝きをたたえていた。
彼の年老いた身体は、光を放っていた。

死を前にして、彼はある人にこう語った、
「たずねる者は、達成する。
人は自らをゆだねる勇気をもつことだけが必要なのじゃ」


自らをゆだねる勇気―

自分自身を滅する勇気―

空(くう)となる勇気―

自ら消え去る用意のある者が、成就を達成する……
自ら死ぬ用意のある者が、生を獲得する。

             OSHO 「知恵の種子」より




自らをゆだねる勇気」、「心からの明け渡し」は、霊的段階における最高の到達点です。

皆さんの意識レベルによって、このお話から得られた気づきは、それこそ千差万別でしょう。
たった一つの文章であっても、それをどのように感じるか、どのように解するかは、あなたの意識レベルによって異なります。

昨日のあなたと今日のあなた、1カ月前のあなたと1カ月後のあなた、感じ方、とらえ方はどんどん変わっていくことでしょう。
ですから、性急に答えを出さないこと。
答えが得られるまでのプロセスを楽しみましょう。
そして、その答えも、さらなる深遠な答えへと変化し、進化していくのです。


行者は語っています。
たずねる者は、達成する。人は自らをゆだねる勇気をもつことだけが必要なのじゃ」と。

準備ができた人とは?
存在を信じ、自らをゆだねる勇気をもった人」であること。

もしあなたに恐れや不信感があったなら、ゆだねたあとでも、あなたは何かをしようとするでしょう。
何かをするなら、あなたはまだまだ自分(エゴ)を保有しているということです。
そのような不完全で部分的な明け渡しは、まったく明け渡しなどではありません。

半分だけ明け渡すことなどできるでしょうか?
きっともう半分がエゴを主張して、全面的な明け渡しに反対することでしょう。

明け渡しは全面的にすることしかありえません。
トータルに明け渡すこと。 
それが、光につながる道なのです。




恐れを落とすこと

2011年06月24日 15:40


★ 近況報告 ★



21日に、足にひどい傷を負ったノラの幼猫を救出し、癒しや世話に時間を費やしていたため、なかなか更新ができずにおりました。
その2週間ほど前にも、その子の兄妹と思われるメスの幼猫を保護した矢先のことでした。(よって、現在うちには猫が4匹います)

今年に入ってから、3匹の子猫たちとの出会いがありました。
以前に紹介したタマちゃんは、2月末に里親さんが見つかり、もらわれていきました。
それぞれ不思議な縁がある子猫たちですが、近いうちに彼らのことをまとめてブログに書きたいと思っています。(現在、生後1カ月~1カ月半くらいです。可愛い盛りで、猫好きの人はたまりませんよ)


         011.jpg
         元気になった幼猫 ミッチェル  撮影 長女


さて、「気づきのコース」に参加された女性から、つぎのような質問をいただいておりましたので、今回はそのお答えをしたいと思います。



★ ブログ読者さんからのご質問 ★



携帯電話やパソコンから、パワーを送ったり出来るんでしょうか?
光の仕事人様もパワーというか波動を感じたりしているようなのですが、逆に送る事も出来るんでしょうか?

昨日、あるHPが凄いと思うと、知り合いからメールが届きました。
中身が本物かどうかは、私にはわからないんですが、浄化をする時のパワー、花粉症にいいパワーとか、色々なパワーがあるようでした。

恐れからか、そのHPを開けないでいます。
なぜか勇気がもてません。これが学びの第一歩でしょうか?
それが本物なら、すごく活用出来るのにとも思いました。
自分自身で見極める事が学びとも思うんですが、見て頂く事は出来ないでしょうか? 
ヨロシクお願い致します。


★ お答え ★

まず「携帯電話やパソコンから、パワーを送ったり出来るんでしょうか?
というご質問ですが、パワーは電磁的エネルギーですから、携帯電話やパソコンを通して送ることはできます。

わたしも、たまに画面上に手をかざして、相手に光を送ることがありますが、わざわざ手をかざさなくても、その人のことを想うだけで送ることはできます。その感じ方は相手の知覚力によりますが。
わたしのメールを見て、明るい感じがしたり、光を感じたりする方は、きっとストレートにハートで感じておられるのでしょう。

さて、ご質問のホームページを見てほしいということでしたので、早速見てみました。
いくつか試してみましたが、パワーはまったく感じられませんでした。
ちなみに次女にもいくつか見せたのですが、気分が悪くなったと言っておりました。

要するに画面上から「癒しのパワー」は出ていないということです。(ペンジュラムをかざすと、左に回りますから、宇宙の本質と共鳴した内容ではないことがわかります)
そのような類のホームページは他にあるかもしれませんが、できれば、わざわざ検索して見る必要はないのでは?と思います。
かえって、よくない波動が出ている場合もあるからです。

そんな怪しい外側のものに頼るのではなく、「自分の内側から湧きでる真の生命力」を信頼したほうがよいのではないでしょうか。
あなたは、あなた自身の内側(ハイアーセルフ)とつながってください。


★ あなたの内なる権威者とは? ★



よくブログ上でわたしが皆さんに言っている「内なる権威者」というのは、皆さんの「ハイアーセルフ」のことです。
そして、「内なる権威者=ハイアーセルフ」というのは、エゴにまみれた「小我」ではなく、宇宙の源とつながっている大いなる自己、「大我」のことです。

ですから、あなたがさまざまなことを選択し、決定するとき、エゴに満ちた「小我」を信頼するのではなく、「大我」である「内なる権威者=ハイアーセルフ」のほうを信頼してくださいよと言っているわけですね。

「恐れからか、そのHPを開けないでいます。なぜか勇気がもてません。これが学びの第一歩でしょうか?」と、彼女は尋ねています。
わたしはリーディングで「勇気をもって、恐れと直面する体験をする」ということの必要性をお伝えしたのですが、なかなかそれが困難であることがわかります。

★「恐れを持っている自分」というのは、言いかえれば、自分を信頼できない自分に対して責任を持つことができない自分に自信がないということですね。

結局、「内なる自己=ハイアーセルフ」とつながっていない人は、自分自身に責任を持ち、自分自身を信じることができないということです。
「恐れ」が常につきまとうのは、自己信頼ができていないからなのです。

宇宙の根源につながっている「内なる権威者=ハイアーセルフ」を見いだすこと。つながること。それが先決ですよということを、お伝えしておきたいと思います。


これで、お答えになっているでしょうか?


★メールを送信する前に自己の波動のチェックを!★


わたしは、最近ではほとんど携帯電話を使わなくなったのですが、数年前は頻繁に携帯電話でメールのやり取りをしておりました。
その際、携帯電話のメール着信を知らせるライトの点滅を見ただけで、そのメールにネガティブなエネルギーが乗っているかどうかがわかりました。(以前に同じようなことをブログにも書いたような気がするのですが)
なぜなら、心臓が突如バクバクしてくるからです。
それで、ネガティブ度がひどいと感じる場合は、しっかりと意識して開くように心がけていたのです。
(次女や長女も、携帯メールで少なからず影響を受けてしまったという体験をしています)

それは、電話でもパソコンでも同様です。
幽体というのは肉体の電磁気的な複製で、それは電波に乗って移行することができます。
電話を通して、ある領域から領域へと移行できることを伝えていた映画「マトリックス」を思い起こさせます。「仮相現実の世界」から「現実の世界」へと、彼らは電話の受話器を取ることによって移行していましたね。

★このところ、記事で「マトリックス」について触れてきましたが、今晩の「金曜ロードショー」は「マトリックス」ですね。
これは、偶然ではなく、必然かもしれません。
ミラクルです! マトリックスを学びたい人は、お見逃しなく、ぜひご覧になってください。



数年前までは、わたしのところに来た霊たちのほとんどが浄化を望んでいたので、電話を切ってから浄化をしてほしいかどうかを尋ね、望んでいることが分かれば、希望通り浄化のサービスをしておりました。
最近は死霊にお目にかかることは、滅多にありません。たいていエイリアンです。

相手にエイリアンが憑いている場合、やはりその波動がメールに乗ってやってきます。
突然気分は悪くなります。
それを避けるためには、そのエイリアンに憑依されている、あるいは影響を受けている相手との霊的なつながりを切ることしかありません。
ですから、どうしても我慢ができない場合は、わたしと相手とのつながりを切ってしまいます。
そうすると、影響を受けることはなくなります。
(詳細は、『自分に悪影響を与えるものとの「霊的な結びつきを断ち切る」方法』 参照)

ほんとうは、メールをしてきた相手側がしっかりとネガティブな存在とのつながりを切っておかれることが必要なのですが、試みても、なかなか切れていないというのが実情のようです。

憑依体質の人が誰かにメールを送信したり、電話をしたりするときには、相手に何か影響を与える可能性があるということを十分に念頭においた上で実行してください。たとえ相手が霊的にあまり感じないような人であっても、です。
そういう人は、感じないだけであって、影響は受けているのです。ただ、頭が痛くなったのを、ネガティブエネルギーのせいだとは思っていないだけのことなのです。

★最近は皆さん、携帯電話やパソコンからのメールで事足りて、手紙というものを出さなくなっているのではないかと思います。

怒りや悲しみなど、ひどく感情的になっているときの文面や、そういう気持ちをたくさん書いて送信したメールというのは、非常につよく相手に伝わります。
ですから、そういうときはメールより、手紙で送ったほうがよいのです。
たとえ文面では全く当たり障りのないことが書かれていたとしても、「あなたの波動はもろに伝わりますよ」ということです。
うそを書いても、感じる人にはお見通しということになります。
「オーラを見れば、その人の全てがわかる」というのと同じです。
ですから、悲しいことなどを書く場合は、手紙で送るか、あるいはそういうときは送らないのが一番よいのです。

★自分が今あまり芳しくない状況に置かれているとわかっているときは、書いた文章を一晩か二晩そのまま置いておき、再度読み返してみて、気持ちが以前と変化したところは修正して、できるだけよい感情の状態のときにメールを送信されることですね。
怒り狂ってすぐに返信したりなんかすると、相手に対しても、自分に対しても、必ず損失が生じますから、要注意です。
何に関しても、気持ちがとても明るいときに相手にお送りするよう心がけることです。
それが、相手に対する真のマナーです。

それなら「光の仕事人さんのところに相談のメールなんか送れないじゃないの?」と言われそうですね。
わたしはゴミ処理係みたいなものなので、毎度のことで慣れておりますが、できればネガティブ系のエイリアンは送ってほしくないですね。(笑)



自分の心のなかに恐れがあると、チャレンジができなくなってしまいます。
以下、OSHOのことばです。


恐怖に基づいて生きる者は
つねに内側で怯えている
つねに狂気の瀬戸際に立っている
なぜなら生は広大だからだ
そして、あなたがいつも怯えていたら
あらゆる種類の恐怖がそこにある

恐怖の長い一覧をつくってごらん
そうすれば、これだけ多くの恐怖があるのもかかわらず
自分がまだ生きていることに驚くほかはない
伝染病はいたるところにある
病気、危険、誘拐、テロリスト―
そして、こんなにもはかない死が待っている
あなたの一生は真っ暗だ

恐怖を落とすがいい
恐怖とは、あなたが子供のときに無意識に取り上げたものだ
今度は意識的にそれを落として成熟しなさい
そのとき
生は成長によって深まりゆく光になることができる

                        By OSHO



冒険が大好きな人は、恐れを知らない子どもさながらです。
未知のもの、危険を伴うものに挑戦する勇気は、
自己信頼と、大いなる存在への心からの明け渡しによって生まれます。

ゆるぎのない勇気をもって、
恐れへと入っていきましょう。

そこを通り過ぎたなら、自由を獲得した力強い自分を発見することでしょう。


自己変容を望む人たちへ

2011年07月14日 16:10


☆ 「気づきのコース」レポートより ☆



下記は、先日(7月11日)の記事に載せたOSHOの言葉に感銘を受けられた「気づきのコース」受講生からの感想文です。

*   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *


いつも、ありがとうございます。
本日の記事の最後のOSHOのお言葉を心の中で反芻しています。私がこれまで変われなかったのが何故かという答がそこにはありました。
光の仕事人さまが開いてくださった「気づきのコース」の深淵さに、ただひたすらに深く頭をたれるのみです。

自分自身を変容させるには、今の私の方法ではダメなのだと気づきました。太文字で示していただきました「それがどこにあって、何なのかー」、それを突き詰めていくことにより見つけられるある秘密。そこに到達しなくてはいけないのですよね。今まで意識が上がったように感じても、束の間でまたいつもの自分に戻ってしまうという繰返しの現実がありました。ここでまた同じことを繰り返していては、堂々巡りで何も変わらないということを再認識いたしました。わかっているのに、どうしてできないのだろう?という自分への嘆き、恐れもあります。

本日のOSHOのお言葉に、これから進むべき道のヒントが沢山ありました。 そして、過去のブログの中にもです。
さあ、ここからあなたのチャレンジですよと、そんなメッセージを「気づきのコース」の師から頂戴したように感じます。
自己のマインドが一度木っ端微塵に砕けるのは、そうそう容易いことではない。でも、勇気をもってそこに至らなければ道は開けてこない。そう感じています。
気づきというものが何なのか、どれほど深い意味を持つものなのか、少しだけ気づかせていただきました。
今のこの気づきを「気づきのコース」の一受講生としまして、ご報告申し上げます。そして、レポートその3(ブログの感想文続編をその2として)にかえさせていただきます。

私がレポートその3として、受講後一月を目処にお送りしようと考えていましたのは、自分の感情を見つめて不要なものを捨て去ることから得られた気づきということだけでした。本日のブログを拝見し、目が覚めました。残りの感情的なゴミ(カルマ)は早急に捨て去り、次の段階へ進まなければなりません。魂の私として、その家族、兄弟、友人たちと生きる準備を早急に進めなければ、ここで光の仕事人さまに出会えた意味がなくなります。
OSHOの深いお言葉の意味を知らないことを自分自身に許して、奥へ奥へと入っていきたいと思います。真理の深みへジャンプする日が近づいてきたのだと信じたいです。

今後も自己の内側へと深く入っていく中で、より深い気づきがもたらされるものだと感じます。でも、こうして光の仕事人さまにメールをお送りできる時間は、かなり限られている、タイムリミットは逼っているものと最近強く感じます。
私がこれまで手にしたどの一冊より、光の仕事人さまの「思いの制限をひらく」というブログは、輝きに満ちています。神様から与えられた千載一遇のチャンスを無駄にしたくないと私自身願っています。

最近、ある方から、あなたの言葉には何の重みもないとのご指摘を受けました。もしかすると、光の仕事人さまからご覧になってもそうなのだろうかと小さく縮こまる私がいます。その一方で、ブログを拝見し、ビンビンと確かに心に響いてくるものがある、その響きを感じられる私の魂に自信をもつべきだと励ます私がいます。まるで、マインド(心)と魂が綱引きをしているようです。

光の仕事人さまの愛と光に報いるためにも、フレー!フレー! I子と自分で自分を励ます私がいます。恐れを越えて前進あるのみです。


最後までお読みくださり、ありがとうございました。

北京より感謝を込めて。 I.S


hasu
    7月の花 ハス   撮影 光の仕事人


★OSHOのことばを理解できた人は、それだけで無限の彼方へとジャンプできます。
いつだって、彼の言葉は的の中心を射抜いた矢のようです。
珠玉のごとく綴られたひとつひとつの言葉は、「的を得て(射て)」いて、
読む者の心を奮い立たせます。
そこに気づかれたI.Sさんに対して、心から拍手を送りたいと思います。




☆ 自己変容を望む人たちへ ☆



「気づきのコース」のお申し込みの際に記入していただいた「動機」の箇所に、「変わりたいから」、あるいは「変われるものなら、変わってみたい」と書いていた人がおられたように記憶しています。

なかには、「自分自身のリーディングなるものをしてもらったことがないので、信頼のおける確かな方にして欲しいと思ったから」とか、「完全に自己爆発できるよう機会と勇気を与えてください」とか、また、「光の仕事人さんからのメッセージを聞きたいために申込みさせていただきました」というようなものがあり、つぎのような相談内容を書いていた人がおられました。
この人は、れっきとした心理カウンセラーだったのですが。

仕事も含めて、動くことが重荷になっています。
質問1、これから来ると言われる地震におびえているだけなのか?
質問2、自分にとってどういう生き方をしていくのがいいのか?


これらを光の仕事人にぜひ教えてもらいたいというのです。
これは、「自己探究」とは、まるで縁がない発想です。
「そんなの関係ネェ~!」(古い?)
「あなたのお好きなように生きていってください」って、言うしかありませんね。

「あなたは心理カウンセラーなんですから、自分でお考えになったらいかがですか? 他人をカウンセリングして収入を得ている人が、自分自身のカウンセリングをしないなんて、何か変じゃないですか?」ということです。

こういう類の人は、「自己探究をしたい!」という情熱と意欲はありません。ただの「他力本願」ですね。
結局情報量が少なく、返信メールも来なかったので、お受けしませんでしたが、こちらのほうのやる気が失せて、ホント落ち込みそうになりました。(笑)

先週にも、「最近心が落ち着かなくて何となくそわそわしています。答えは、自分で探さないといけないと思いますが、何とも言えないこの思いをどうにかしていただけませんか?」というまだうら若い女学生さんからメールをもらいました。

これは、「最近もう暑くて暑くて、イライラして、頭が破裂しそうです。この暑さどうにかしていただけませんか?」というのと何ら変わりがないように思えます。
わたしは神サマじゃないし、たとえ万が一神サマであったとしても(笑)、「そんなこと、自分で考えて対処しなさい」って言うしかないでしょうね。

暑いのなら、涼しいところへ移動すればいいのです。
そう言えば、かの有名なアルベルト・アインシュタイン先生の秘蔵エピソードを思い出しましたよ。
燃え盛るストーブを前にして、椅子にもたれていた彼は、「熱くて仕方がないから、どうにかしろ」と、召使いに言ったのだそうです。
召使いは、どうしたと思いますか?
ご主人さまが座っている椅子を、ただ少し後ろに引いただけです。
「ほら、ご主人さま、いかがですか? 熱くなくなったでしょう?」と。
とても親切な召使いさんですね。

アインシュタイン先生ほどのお方が、ただ自分の椅子を動かせばいいことに気づかなかったのです。(笑)

★「期待をしないこと」、「自分のことを他人任せにしないこと」に関しては、ブログのここかしこに繰り返し書いてきたのですが、理解されていない人がここまで多くいらっしゃるのだということを知って、驚いたしだいです。

気づきは人から与えられるものではなく、自分の内側から自然に湧き出てくるものです。
それがなければ、「気づき」とは言いません。
いくら「気づいてくださいよ!」と念じてお話ししたところで、相手がそれを腹にまで落とせるかどうかは、その人のこれまでに培われた基盤によるのです。
たとえすばらしい「気づき」を内包した種を播いたとしても、播いた大地が枯れていては種は育たず、死ぬだけです。
だから、「準備をしてください」とお願いしたのです。

まずあなたという土壌を見つめることです。
土は痩せているのか、豊かであるのか…。
雑草がはびこっているのなら、まずは要らない草を抜き、固くなった土を柔らかく耕すことから始めなければなりません。
たとえ播いた種が奇跡的に芽を出したとしても、土に含まれた養分と水の加減で育ち方はさまざまです。
途中で枯れてしまう可能性も大です。
つぼみのつく数や花の大きさ、花の香り、色さえも土しだいです。
アジサイの花の色がその土壌によってさまざまに変容するように。



☆ なぜ、変わりたいのか? ☆



今の自分を「変えたい」、または「変わりたい」と思っている人たちへ、光の仕事人から質問です。

そもそも、あなたはどうして、自分を変えたいのでしょうか?

自分を変えたいということは、今の自分に満足ができていないからですよね。
こんな自分自身を、自分で受け容れることができない、受け容れるのがつらいから…。
ちがいますか?

自分を信頼していて、自分のことが大好きで、いつも安らかな思いで生活ができている人は、自分を変えたいなんて思いもしませんよね。自分というものをしっかりと受け容れているからです。
こういう人を「グランディングできている人」、「地に足が着いた人」と言うのです。
つまり、地球とつながっている人です。

では、「自分を変えたい」願望の人は、なぜ、自分を受け容れられないのでしょうか?

ブログ記事の内容をもまともに理解・把握もできない人が、賢明で知性的で判断力のある自分に変化したいというのですか?
いつも怒りと悲しみと不安に満ちた人ネガティブ指向の人が、怒ることもなく喜びと安心感に満ちたポジティブ指向に変化したいというのですか?

土壌が同じままなのに……あなたの心(マインド)が同じままなのに、あなたをどうやって変えるというのでしょうか? 

第一、あなたが自分でさえ「受け容れられないあなた」を、誰が受け容れて、変えてくれるというのでしょうか?
いったいあなたのどこを、どのように変えれば(どのように改良すれば)、気がすむというのでしょうか?
 

言っている意味がわかりますか?
よく理解してください。

恐れと不安だらけの惨めな自分…。
自分のことを棚に上げて、周りの人たちばかりを非難している愚かな自分…。

あなたがそんな自分自身を受け容れると、奇跡が起こるのです。
あなたが自分を受け容れ、しっかりと抱きしめたとき、あなたが待ち望んでいた「変化」という贈りものがやってくるのです。
だから、理想のあなたを思い描くことなんかやめて、今のあなた自身をまず受け容れることです。


OSHOは言います。

ただ自分自身でいなさい。自分自身でいるだけでいい。
そして、自分が誰なのかをあらかじめ知る術はない。
内側に入り、自分が何者かがわからなければ、
どうやって自分が誰なのかを決められるだろう?



hasu2
    蓮のつぼみ  撮影 光の仕事人



だからまず必要なのは、変えようとする努力ではない。
最初に必要なのは、自分の実存をよく知ろうとする努力だ。
あなたのなかにいるのは誰だろう?

あなたを訪れた、この客に目を向けなさい。
あなたの身体は、客をもてなす主人だ。
その身体には、見知らぬ客が滞在している。
彼方からの客が、身体に降りてきている。
それがあなただ!

ただ目を向け、見守り、瞑想し、それに気づいていなさい。
自分を変えようとする努力をすべて落としなさい。
あなたの全エネルギーを、自分自身を知ることに注ぎなさい。


するとその知ることから成長が生じ、その成長があなたの本来の面目(オリジナル・フェイス)をもたらす。

自分自身でいるだけでいい。
あなたはすでに自分であるものでいればいいだけだ。
       
                             By OSHO




「闘う心」を忘れた日本人―平和ボケからの脱出

2011年09月24日 17:25



前回の記事に対して、つぎのような感想をいただきましたので、ここに掲載させていただきます。
ご自分の子ども時代の「いじめられ体験」を記しておられますが、当時の彼女にはまるでなかったであろう力強さを、今ここに感じました。
「人はほんとうに変わるんだ」ということを実感できたコメントでした。


~ 読者さんからのご感想 ~
 


 いつも深い見識に富む素晴らしい記事を読ませてくださりありがとうございます。
 毎回の記事を読むたび、考えさせられることが山ほどあるのですが、今回はなおいっそう心に響くものがありました。

 今回は『「闘う心」を忘れた日本人―自尊心のために闘う精神を持とう!』のテーマの下、千葉県で起きた福島の被災児童への「いじめ」を巡る問題点を鋭く抉り、根本的なところにある問題が何なのかをきちんと整理して書いてくださったのでとてもわかりやすかったです。
 福島から避難してきた児童に対し、「放射能がうつる」といって逃げ出した子どもたちの行為が「いじめ」に当たるものかどうか、私も疑問に感じていました。確かに思いやりに欠ける行為だったとはいえるでしょうが、放射能に関して無知であるがゆえの、恐怖に駆られた反射的行動だったのではないかと思われたからです。
 もしそうであるならば、私も光の仕事人さまと同じように考えます。いじめられたから逃げるのではなく、子どもも親も社会もきちんと問題に向き合い、話し合いを通してお互いを理解していく方向性を選べば、誰にとっても前向きになれる学びの機会になったのではないかな、と。
 ここで考えますに、今の日本では、この「きちんと問題に向き合う」ことができない人が多くなっているのではないでしょうか。「問題に向き合う」ためには、あいての意見を素直に聞くことはもちろんですが、自分が思うところを率直に語ることも必要です。本音を分かり合えた時点で真の相互理解が生まれるからです。時には話が折り合わず、口論になることだってあるでしょう。でもそれは理解に至る前に超えなければいけない過程に過ぎません。これが議論です。
 しかし、今の日本人の多くはこの議論を好みません。人との摩擦が生じるのを回避したいがために自分の意見を押し殺す人がどれだけいることか。また、そういう「事なかれ主義」が「平和主義」なのだと勘違いしている人がどれだけいることか。そんな世間の風潮が自分の意見すらいえず唯々諾々と「いじめ」を受難している子どもたち、そしてそのまま育ってしまって自己を見失しなった大人を生み出しているのです。
 これは、形だけの平等教育の中で、人に対して怒ったり闘ったりしてはいけないと教え込まれた結果なのかもしれません。
 「いじめる側」と「いじめられる側」。双方の言い分があって起こる「いじめ」の問題については第3者が介入できない魂的理由があるようにも思います。ただ一つだけハッキリといえることは、「いじめられる側」の人々は自分の意見を伝える勇気とスキルに乏しいということ。
 これは、私自身が小学生の頃、二年間に渡って凄まじい「いじめ」にあい、自殺を考えない日はなかった経験があるからこそいえることかもしれません。
 当時の私は心身ともに弱くて何かに立ち向かう勇気もなく、ただただいじめられっぱなしだったと思います。親も教師もそんな私を庇い、慰めてはくれましたが、誰一人として「勇気を持って立ち向かえ」といってくれた人はいなかったのです。「いじめる側」が心を入れ替えてくれれば問題は解決するのだと思い込んでいた私に向かい、誰でもいいから「あなたが変わらないと何も変わらないんだよ」と教えてくれたら、私のあの長く苦しい時間はなかったのではないかと今でもよく思い出します。
 それこそ、「自尊心を守るために闘う精神」が、当時の私にとって何より大切だったのではなかったかと思いますね。そしてまずは弱いと思い込んでいる「自己に克つ」ことが必要だったのではないでしょうか。
 「いじめる側」にとっても、「集団で人をいじめることの恥」を教える人があれば、彼らにとってもいい学びになったと思います。今になって思うと、「いじめる側」にあった彼らは、思えば私にとても大切なことを教えてくれた人たちです。
 今の心境に至れるようになって、彼らに感謝できますし、もっと色んなことを話し合えていたら友人になれたかもしれないな、とも思えてきます。

 まとまりのない文章になってしまいましたが、自尊心のために闘う精神を持つことはこれからの日本人にとって重要なポイントになってくることだと思いました。これからの日本人には、もっと自分の中の正義をきちんと主張していってもらいたいですものね。
 このたびも深く考えさせる記事を書いてくださり、心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。



☆「自尊心のために闘う精神を持つことはこれからの日本人にとって重要なポイントになってくることだと思いました。これからの日本人には、もっと自分の中の正義をきちんと主張していってもらいたいですものね」と書いてくださっていましたね。
現在の日本人の欠点をよく理解されていて、大変うれしく思いました。
記事内容に力強いご賛同をいただき、誠にありがとうございました。


★ 今どきの子どもたち ★



わたしは前回の記事で、福島の兄弟が受けた「いじめ」について取り上げましたが、「いじめ」のもっとも最悪な事件としては、1994年に起きた大河内清輝君の死について語るのが適切ではないかと思います。
随分前の事件ですが、このようないじめは後を絶たないので、再度思い出していただくためにここに記したいと思います。


94/12/02 東京夕刊 社会面

せびられ、せびられ…100万円 いじめ苦の中2が自殺/愛知・西尾
 

 愛知県西尾市、会社員大河内祥晴さん(49)の二男で同市立東部中二年の清輝君(13)が、同級生らからいじめられたうえ、再三、金をせびられていたとの遺書を残して自殺していたことが、二日わかった。清輝君が渡していた金額は百万円を超えるとみられる。西尾署ではいじめた生徒から近く事情を聞くことにしている。同校によると、いじめていたのは同学年の男子十人近くで、同署ではこのうち金を要求したのは同級生四人とみている。

 調べによると、先月二十七日夜、清輝君の姿が見えないため母親(45)が捜したところ、自宅裏庭のカキの木で首をつって死んでいるのを見つけた。
 遺書は一日の葬儀後、自室の机の引き出しの中で見つかった。リポート用紙四枚にびっしり書かれた遺書には、昨秋から金を要求されるようになり、二年になってからは、休み前になると、三―六万円を度々要求され、出せないと殴られたり、けられたりしたと、記されていた。さらに近くの川に顔を突っ込まれるなどのいじめについても現場の図付きで書かれていた。

 遺書は「お金もぜんぜんないのに、たくさん出せといわれます。おばあちゃんからもらった千円も、トコヤ代も全(すべ)てかれらにとられたのです。とてもつらかった。なぜ、もっと早く死ななかったかというと、家族の人が優しく接してくれたからです。御迷惑をかけて、すみません」など、切々とつづられていた。
 家の金を黙ってとるのに気が引けてか、母親あての「借用書」もあった。「平成六年八月」の日付で、金額は「百十四万二百円」。消しゴムで何度も消しては、書き換えた跡があり、金を要求される度に応じていたらしい。また、「このお金は何年かかるか分からないけど必ず返します」と書かれていた。
 同中では、いじめに加わったと思われる生徒から事情を聞き、いじめがあったことを確認しているという。


★下記は清輝君の遺書のほんの一部分です。

小学校6年生ぐらいからすこしだけいじめられ始めて、中1になったらハードになってお金を取られるようになった。中2になったら、もっとはげしくなって、休みの前にはいつも多いときで6万少ないときでも3万~4万、このごろでも4万。そして17日にも4万ようきゅうされました。だから・・・・・。
でも、僕がことわっていればこんなことには、ならなかったんだよね。スミマせん。
もっと生きたかったけど・・・・。 

(関心のある方は清輝君の遺書の全文をお読みください)http://yabusaka.moo.jp/okouchiisyo.htm


真相を知れば知るほどひどい「いじめ」なのですが、清輝君は「僕がことわっていればこんなことには、ならなかったんだよね」と言っています。
では、「金を盗んでこい」という要求に抵抗できなかったのは、なぜなのでしょうか?

かつて日本の精神科医、精神分析家で東京大学名誉教授、聖路加国際病院診療顧問であった(故)土居 健郎(どい たけお)氏が、清輝君に関してつぎのように語っておられる文面がありましたので、つぎに記しておきます。

一つには、「言うことを聞かない」という抵抗、あるいは「盗むという悪事を働かない」と言って戦う選択肢を、清輝君が持っていなかったのではないか、と思われる節があります。
清輝君は善悪の観念は持っていましたが、「悪に抵抗しなくてはいけない」「悪とは戦わなければならない」という強い信念まではなかったのではないでしょうか。多分、誰もそれを教えてくれなかったのでしょう。(中略)
悪いことをしているという意識が、彼には確かにありました。しかし、自分の力でその悪から脱出できず、そういう事態に身を置いたときに、自分の口から「助けてくれ」と誰かに言うことが彼にはできませんでした。抵抗するよりも易しいはずの「助けを求める」ことも、彼はしなかったのです。
そこにはいろいろな問題が絡んでいますが、一つには現代の自立を重んじる教育がもたらす影響が大きいのではないでしょうか。自立を人間の基本と考えていて、自分で解決できないことを人に頼むわけにはいかない、と子どもながらに思っていたのかもしれません。


これに対して、土居氏の対談相手の渡部昇一氏は、
清輝君のことを見ていると戦後の日本の姿がオーバーラップして浮かんできます。平和主義で非武装中立、絶対に抵抗してはいけない。世界からいじめられたら、それでもけっこう、すべて私が悪いんですと言って、謝罪するだけ。それで国民からはいくらでも税金を持ち出すとなると、まったく(清輝君と)同じであるように思います
と語っておられます。

★渡部氏のお話は、的をついていると思いますね。
土居氏も言っておられましたが、清輝君は戦後の日本人の代表的な子どもだと言えます。
戦後の教育と道徳が、彼のような子どもをたくさんつくったのです。
おとなの男性たちもアメリカの3S政策なんかにまんまとひっかかって、情けないくらい骨なし人間にされてしまいましたね。今や精神も肉体も軟弱極まりないです。
要するに日本は「平和ボケ」にするための他国の政策に、自ら乗ったと言えるでしょう。

(*3S政策とは、大衆の関心を政治に向けさせないように取る愚民政策のひとつ。3Sとは、Screen(スクリーン)、Sport(スポーツ)、Sex(セックス)の頭文字を取ったとされる)

尖閣諸島中国漁船衝突事件などを筆頭に、中国にいろんな嫌がらせや苛めを受けても、日本の政治家はそれを阻止することができません。
漁船衝突事件の場合、アメリカのある一言で、中国が日本への嫌がらせを止めたそうですが、やはりアメリカの方が断然「力」があるからですね。
日本は「戦争放棄」をしたと言っても、「寄らば斬るぞ」の強い自衛の構えがなければ、簡単に乗っ取られてしまいます。
スイスは永世中立国ですが、強大な軍事力を保有していますね。それがなければ、どんなにカッコイイことを言っていても、すぐに侵略されてしまいます。

(*永世中立国とは、将来もし他国間で戦争が起こってもその戦争の圏外に立つことを意味するものであり、自国は中立の立場である事を宣言し、他国がその中立を保障・承認している国家のこと)


★ 備えあれば、憂いなし ★



★「備えあれば、憂いなし」ということです。
この地球上で平和を保つためには、ものすごい努力が必要だということなんです。
「ぼくは暴力反対です。平和主義おおいにけっこうです」なんて言っているような男性は、目の前で家族が殺されかかっていても、何もせずに黙って見ているか、あるいは自分だけさっさと逃げるのがオチですね。

清輝君に見られるような一見「平和主義者」であるかのような子どもたちは、結局精神的にも肉体的にも傷つき、地獄のような毎日を送って、ついには死んでいったわけですから、非常に可哀そうです。
まちがった「形ばかりの平和主義」の被害者と言ってもよいでしょう。

だいたい「二元性の世界」で生きているわたしたちに真の「平和」というものはありっこないのです。
二元性の世界」というのは、他の星にもあって、どちらに偏っても失敗するということを、過去記事で繰り返しお話ししていますね。
ポジティブに偏ってもネガティブに偏っても、問題は生じるということ。
バランスが大切なのだということです。

今は人類の意識がネガティブに偏りすぎているので、できるだけポジティブを強調しているわけですが、だからと言って、プレアデスの教訓のように、ポジティブ志向ばかりがよいのではありません。その点をきちんと深く理解してくださいネ。

(参考過去記事 わたしたちの生の目的は両極を学び、体験し、統合すること ―プレアデスの教訓を生かそう)

この地球は、「善も悪も同じコインの裏表であり、ひとつなんだ」ということが理解できていない世界です。
理解ができていたなら、もっと早くにアセンションが完了していますよ。(笑)

わたしたちはこの両極の世界の中で、「支配者(迫害者)側」と「従属者(被害者)側」の役割を演じながら、その体験からいろんなことを学んでいるのです。オリオンのように。



OSHOはつぎのように言っています。

服従は奴隷の世界では最高の価値がある。
どの教育システムも、どの社会、文化も、
服従を価値あることとして主張してきた。

そして、あなたがたに言うが、
全人類を不幸にしてしまったのはこの服従なのだ。
この危機の全体は服従ゆえのものだ。
人々は何に服従し、何に服従しないかを選ぶことができるように、
知性的でいる用意ができているべきだ。




ハート
あなたは両親の言うことを聞き、学校の先生の言うことを聞き、
あるいは信仰する聖職者の言うことを聞くように教えられてきました。

しかし、あなたは一度も「自らのハートに耳を傾けなさい」と
教えられたことがなかったのではないでしょうか?

教育は大切です。
あなたの大切な子どもたちに、まず「自らのハートに耳を傾けること」を
教えてあげてください。
そして、自らの尊厳のために、魂を他に売り渡すことなく、
力強く立ちあがる勇気を、
ぜひ教えてあげてほしいと思います。



真実を隠蔽する人たち―なぜ真実を語らないのか? なぜ真実を語ってはいけないのか?  

2011年09月26日 18:20


★ 福島の子どもたちがかわいそう ★



皆さんは、作家の室井佑月さんが、NHK朝の情報番組『あさイチ』の生放送(5月26日)で、「子供たちに福島の野菜を給食で食べさせるなんてかわいそう」と発言し、世間の論議を引き起こしたという出来事をご存じのことと思います。

記事には、「福島県内の放射能について『政府、東京電力の発表よりも危険な状態のはず』と信じる視聴者は室井さんの発言に賛同し、風評被害に苦しむ県内の農家を案じる人々は、室井発言に真っ向から反発した」ということが書かれています。その室井さんの動画はNHKの著作権侵害の申し立てにより、今や見られなくなってしまいました。
下記は、J-CASTにあった記事です。


~室井佑月、武田邦彦、孫正義の疑問 「福島県産を給食に使うべきでない」~
2011/5/28 14:35

福島県内の小中学校が、地産地消として県産の牛乳などを給食に使い続けていることに対し、著名人から異論が相次いでいる。これに対し、地元自治体では、ごく微量の放射性物質検出のものに留めており、弁当を持参することも認めている、などと理解を求めている。

(*地産地消(ちさん ちしょう)は、費の略語で、地域で生産された様々な生産物や資源(主に農産物や水産物)をその地域で消費すること)

福島の学校ってね、給食で地産地消って福島のものを子どもたちに食べさせるって言っているの

作家の室井佑月さん(41)が、いきなりこう切り出した。NHKで2011年5月26日に生放送された情報番組「あさイチ」での発言だ。室井さんはさらに、周りの様子を伺いながら、「おかしいと思わない?」と強い疑問を投げかけた。

福島県などでは、県産が風評被害を受けているとして、その防止を訴えている。それだけに、この発言は、ネット上でも論議になっている。
室井さんが、どこからの情報を元に発言したのかははっきりしない。とはいえ、ネット上ではこれまで、著名人らから学校給食に福島県産などを使うことへの異論が次々に出ていた。

テレビ出演でも知られる武田邦彦中部大教授は、4月にブログで、福島を中心にした学校が地産地消の食材を使っていることを批判。食品安全などに使われる国の暫定規制値の100分の1の考え方に基づき、福島県産などはそれ以上の食材が多いとして、給食に出すべきではないと主張している。
そして、孫正義ソフトバンク社長は、ツイッターで5月18日、武田教授の発言を元に、「給食か弁当の選択の自由を提供していないとすれば大問題」と断じた。福島県産などに出荷制限要請が出ている食材が多く、放射能に敏感な子どもたちに無害だとは証明できないのではないかというのだ。孫氏は、放射性物質について、体内に入ると内部被曝になるため、数値が低いγ線ばかりでなく、α、β線も測定すべきだともしている。
福島県の小中学校では、どのぐらい地産地消の食材を使っているのか。

放射性物質不検出の食材を優先、弁当も可

いわき市では現在、給食の牛乳に県産の原乳を使っており、2011年6月からは地元の野菜などを使った給食を始めることを明らかにした。
市教委が4月に県産原乳を使うことを父母に説明したとき、一部からかなり強い反対が出た。その後、武田邦彦教授のブログ発言があり、その影響も出たとして、市教委では、対応に苦慮している様子だ。
それでも、県産原乳を使い続ける理由について、保健体育課では、県が週に1回公表しているサンプリング調査の結果で、これまでに放射性物質が「不検出」であったことを挙げる。また、県が製造業者と供給契約をしており、原乳の調達ルートを変えられないことや、出荷停止地域のものは使っていないことも理由にしている。
地元野菜など使用については、放射性物質が不検出のものを調達してほしいと学校給食センターに依頼しているという。ただ、父母には十分説明したうえで、ごく微量検出された野菜なども使いたいとしている。
県産を拒否する父母もいるが、給食の牛乳は飲まずに、家から持参することも認めていると明かした。給食は強制するものではなく、弁当持参についても認めるとしている。
福島県教委の学校生活健康課によると、事故の混乱でまだ調査していないものの、県内のほとんどの給食施設では何らかの形で地場産を使っているのではないかという。牛乳については、ほとんどが県産原乳だとしている。不安を訴える父母がいるのは事実としながらも、「流通している食材は安全だと説明している」と言っている。


★ なぜ真実を語ってはいけないのか? ★



あるブログに「真実を語ってはいけない、美談と笑顔でトモダチ 善人面の悪人が跋扈する」と題した文章が載せられておりました。
(前)経済産業大臣鉢呂氏が辞任に追い込まれたことに対し、ブログ管理人はつぎのように語っています。

 「死のまち」発言の何処が悪いのか、筆者には見当がつかない。住んでいる人が追い出され、野犬化したペットや牛馬すら居なくなった「まち」は正にゴーストタウンさながらだったに違いない。彼は事実を事実のまま言葉にしたに過ぎない。誰がそんな町や村を出現させたかが問題であり、視察の大臣が本当のことを発言して非難されるのは、お門違いと云うことだ。心ない発言と云うのは「もうすぐ帰れますから、頑張ってください」と、あり得ない嘘を笑顔で語る人々の事を指す。

 このような日本のマスメディアの報道姿勢、与野党の政治家を通して言える「美辞麗句」を多用する社会的風潮は、極めて危険なのだ。クリーンだ、透明だ。人に優しい、みんなで分かち合い、みんなで和やか、みんなで助けあい、みんなトモダチ…」。怪しいと思わないところがとても面白い。以前、保育園の花壇に咲くバラの棘を全部抜いて安全だと歓んだ母親らがいたと云う話を聞いたが、それが子供に優しい、と思うところが日本の欺瞞に満ちた隠ぺい体質を現している。
(ブログ「世相を斬る あいば達也」より一部抜粋)


日本の欺瞞に満ちた隠ぺい体質」という彼の言葉に賛同するのはわたしだけでなく、きっと多くいらっしゃるのではないでしょうか?

中国や北朝鮮、中東など、真実を隠ぺいし、国民に真実の情報を与えまいと画策し、真実を述べると逮捕されたり拘束されたりする国々は数多あります。
日本はそれでもまだ自由が認められておりますが、やはり都合の悪い内容は消去するなど、情報操作は行なわれています。
そんな政府の言うことを、真に受けないほうが賢明であるということくらい、皆さんおわかりになっているとは思いますが。

もし「真実を言うとパニックになるから」という理由で言わないのであるとするなら、まちがいなくパニックになるほどの真実が存在するということになります。
それなら、国民は「真実を聞いてもパニックにならない冷静さ」を持たなければいけないということですね。
政府が国民を不安と恐怖のどん底に落としたくない気持ちはわからないでもありませんが、隠せば隠すほど、さらに不安と恐れが強まっていくことには気づいていないようです。


★ 内部被ばくを隠す政府 ★



皆さんは、内部被ばくに詳しいとされる琉球大名誉教授の矢ヶ崎克馬氏が、5月17日福島県郡山市内で講演し、「原発事故の放射能汚染」について、政府が市民の不安を除くために「御用学者を通して安全を強調している」ことに対し、警鐘を鳴らしたという記事を読まれたことがあるでしょうか?
つまり、矢ヶ崎氏が政府の御用学者の安全論を打ち消したということです。

内部被ばくというのは、ご存じのとおり、空気、土壌のほこり、食物、水などから体内に入り込んだ放射性物質が、体内で放射線を出し続けて起きる健康被害のことです。
(広島・長崎の原爆投下やチェルノブイリ原発事故では、数年後以降にガンなどの病気にかかる例が続出している)

詳細は津田敏秀教授の「放射線による内部被ばくについて」をお読みください。
放射線に対する被ばくのうち、内部被ばくについての解りやすい説明が載せてあります。

放射線による内部被ばくについて
http://smc-japan.org/?p=1310

内部被曝とはなんですか? - YouTube

http://www.youtube.com/watch?v=HtItndZ5NBA 



琉球大名誉教授の矢ヶ崎氏は、自らの調査や国の発表データをもとに「県内の広範囲で、チェルノブイリ原発事故の際に日本へやって来た量をはるかに上回る放射性物質が降り注いでいる」と説明し、「県民の健康を守るために、国や県は被ばくの軽減対策を早く取るべき」と述べたと伝えられています。

当時、政府は放射線汚染について「直ちに健康影響はない」として、県内の児童生徒の被ばく許容量を事故前に定めていた一般人レベルから20倍の年間20ミリシーベルト(msv)に引き上げていますが、「直ちに健康影響はない」というだけで、「晩発障害の危険はある」ということはまちがいないでしょう。

矢ヶ崎氏は、「県民自ら可能な限り被ばくから身を守る」ことや、「国や県、事故を起こした東京電力に対して、放射線軽減の徹底を求めて健康被害の補償制度をつくらせる運動を始めること」を促されたようです。
その講演会で、市民からの質問に対して、矢ヶ崎氏が答えた内容を記しておきます。


★ 矢ヶ崎教授のQ&A ★

 

Q 市民が取れる放射線防護は?

A マスクはすべきだが、放射性物質のほこりはスギ花粉の10分の1以下の大きさしかない。野菜は根から放射性物質が吸い上げられてない限り、流水やため水でよく洗い、ゆでると効果的。ただ、こうした対策は完全ではなく「まし」と考えて。

Q 晩発障害は必ず起こる?

A 起こる。特に放射線の感受性が高い子どもや妊婦、若者、感染症患者が心配だ。環境が整っているのであれば避難を勧めたい。一方で、子孫のために土地に残って頑張ろうとしている人も多い。外に出る人を許して、残る人は防護を尽くすことが大切だ。

Q どこまで避難すれば安全?

A できるだけ離れた方がベターだが、計算では放射性物質は原発の上空100メートルから毎秒4メートルの風で1,500キロ以上も飛ぶ。日本中が汚染されたとみた方がいい。

Q ガイガーカウンター(放射線測定器)で内部被ばく計れる?

A 不可能だ。「ホールボディカウンター」で計るが、それでもガンマ線に限られ、実際の10分の1程度しか分からない。

Q 原発50キロ離れた田んぼからプルトニウムが検出されたという民間の調査結果が出たが?

A 3号機の核燃料に含まれており、十分あり得る。恐ろしいことだが、チェルノブイリのように急激な核分裂が起きたとは思えない。量は少ないのでは。

Q 放射性ヨウ素は半減期が8日なのに、なぜ内部被ばくを起こす?

A 毎日体内に入り続けてしまうことが危険。「8日だから安全」とか「ホウレン草を1年分食べても大丈夫」という話は野蛮だ。

Q 学校や保育園の活動の危険性を自治体に訴えても「国が安全と言っている」と聞いてくれない。

A 役人は決められた通りにしか動けない。決めているところにみんなで声を上げていくことが一番だ。

Q 市民の手で汚染土壌の除去作業をしている。子どもをつくる人は参加させない方が良いか?

A 原爆症認定訴訟のように裁判になることも予想される。責任問題になるので、本来その仕事をすべき国、自治体、東京電力に除去させるよう徹底的に求めていくべきだ。

(Asahi.com WEBRONZA 「Bloggers Today 」より引用)



★ある番組の企画で、スタジオに並んだ福島の野菜を前にして元プロ野球選手の長嶋一茂氏が言ったそうです。
俺は食べない。安全かどうかはっきりわからないものをカメラの前で食べて視聴者に安全だというメッセージを送りたくない。これを食べて本当に農家のためになりますか?
そんな発言したという情報が飛び交っていますが、こんなふうに堂々と本音が言える人たちを、わたしは応援します。

★反原発を表明して、文部科学省前に集い、子供たちへの被曝量制限基準値引き上げ撤回を要求するデモを行った俳優の山本太郎さんが降板させられたことも聞きますが、なぜ芸能人が反原発運動をしたらいけないのでしょうね?
憲法で「思想・良心の自由」、「言論の自由」を掲げているはずの日本。
そのあり方に、「?」がたくさんつきませんか?


★前回にもご紹介しましたが、「国際環境NGOグリーンピース」主催の「2012年、すべての原発を停止してください」の署名締め切りが9月30日までです。
よろしければ、下記にアクセスし、動画の下方にある「レポート」をダウンロードして読んでみてください。
http://www.greenpeace.org/japan/2012/?gv20110922

自然エネルギー革命シナリオ -- 2012年、すべての原発停止で日本がよみがえる』は、2012年春までに、日本国内のすべての原子力発電所の稼働停止を想定し、原発にも化石燃料にも頼らない未来へのエネルギー政策を提案するレポートです。
読んでみられる価値はあると思いますよ。



ハート
「5次元世界」は、真実を隠すことができない領域です。
「あなたウソを言ってるわね」とすぐにわかってしまうのです。
テレパシーの世界です。
すべてお見通し、思ったそのままが伝わってしまいます。

ですから、「この世にいるときから本音で語りましょう」ということを
過去記事「自分自身でいること」や「本音で話すことの大切さ」などで、
繰り返してお伝えしているのです。 

自分自身の尊厳を無視して、あなたが上っ面だけ善人であろうとすればするほど、
内側には多くのシャドーが蓄積していくのです。

人に批難されることを恐れないで、自分の真実を語ること。
これができなければ、つぎの段階の世界で生きることは難しいでしょう。

今から練習してください。
むずかしいことなんてありません。
正直な自分の気持ちを表現すること。
本音で語ることを。 

(但し、これは本音(自分の真実)をなかなか言えない人へのメッセージです。
言いたいことをずけずけと言うこと(他者に対する誹謗中傷など)を助長しているのではありません。
当然のことながら、自分の真実に対して常に責任を持つことが前提です)




運命のタイムラインを変えるのは誰?

2013年02月20日 22:00


★ ロシアの隕石落下について ★



皆さん、いかがお過ごしでしょうか?

先週の金曜日、2月15日のことですが、ロシアのチェリャビンスクに隕石が落ちたというニュースが報道されましたね。
2013年からは隕石落下が多くなるかも…と思っていたので、そんなに驚かなかったのですが、テレビ画面に映し出された輝く光の球のながれていく様子を見ながら、「あれは、ほんとうに隕石?」という疑問が残りました。
皆さんはどのように感じられましたか?

下記は「2013年チェリャビンスク州の隕石落下」についてのウィキぺディアに記された文面です。

2013年2月15日、直径17mの小惑星がアメリカ合衆国アラスカ州の上空で地球の大気圏に突入した。
現地時間9時15分(協定世界時3時15分・日本時間12時15分)、強い閃光を放ち、煙の尾を曵きながら落下する火球がチェリャビンスク州などウラル山脈中南部一帯で観測された。隕石の落下の痕跡で見られる煙のようなものは、隕石の表面が大気との断熱圧縮で高温となり蒸発し、それらが冷却凝固した細かい粒子が見えている隕石雲と考えられている。隕石雲は、低空では大気中の水蒸気が微粒子に結露して水滴化し、まるで雲のように見える。火球はその後9時20分26秒[1]に、上空15kmから50kmで爆発し、複数の破片に分裂して落下した。

隕石は主にチェリャビンスク州から、スヴェルドロフスク州、オレンブルク州の上空で目撃されている。また、ウラル中南部と国境を接するカザフスタン北部でも目撃されている。

隕石衝突が発生して程なく数多くの動画がインターネットにアップロードされ、その一部は当時路上を走っていた車両のダッシュボード上のカメラが捉えたものであった。撮影された動画では、火球が光を曵きながら空を横切り、その後に大きな爆音が残されている。物体は一時的に太陽より明るくなり、朝の地上に影を作り出すほどに輝いていた。



青い玉


NASAは、ロシアのウラル地方に落下したチェバルクル隕石の重さが1万トンであると修正しましたね。
NASAの計算では、爆発の際に発散されたエネルギーは500キロトン相当で、ヒロシマ型爆弾の30倍にあたるらしいです。また、チェバルクル隕石がツングースカに次ぐ大きさであるとしており、このような現象は100年に1度ほどの頻度で発生すると報道していたようですが、果たして隕石なのでしょうか?

テレビに映った物体について、わたしのハイアーセルフは「あれはUFOだよ」と告げていましたが、確かにUFOが関わっていることを確信したしだいです。

その後、その隕石落下事件について、世界の報道がどう変わるかを見ていようと思っていたところ、しだいに真相が明らかになってきていることを今日(2月20日)知りました。
隕石関係のニュースを探しているうち、「隕石が空中で爆発する直前にUFOと衝突した可能性が浮上した」という見出しを見つけたのです。ロシア本国でも「UFOが撃墜か!」と、大きく報じられているそうで、「やはりUFOが出たね!」と思い、動画を見て「なるほど」と思いました。

この動画を見た人たちの多くは、隕石が空中で爆発する直前に、UFOとみられる物体が隕石に接近し、その後隕石を貫通し、複数のUFOが分散した次の瞬間、大爆発が起きたと考えているようです。

動画では、確かに小さな葉巻型UFOがいくつも分散しているのがはっきりと見えていました。また、爆発寸前にも、火球の上空に飛行している物体が2つ見えます。関心のある方は動画を探して見てください。

ロシアには多数のUFO墜落事件が報告されている基地があるようですが、もしかしたらUFO自体が墜落した可能性もあるのでは? と思いました。そうであるなら、きっと真相は藪の中となるでしょうね。


海のライン



★ このままでいくと地球はどうなる? ★



隕石騒動で、わたしはまたニビルのことを思い出しました。
ニビルの存在については、『今何が起こっているのかをしっかりと認識しよう!』など、過去記事でたびたびお伝えしてきましたが、未だにそんなものは存在しないと思い込んでいる人がほとんどのようですね。でも、太陽の後ろに隠れたり、出たりしているニビルは確かに発見されているのです。


最近大変興味深い話を聞きました。
それは、「エハン・デラヴィ VS はせくら みゆき」氏の対談(DVD)で語られていた内容です。
はせくらさんは画家・作家・アートセラピストです。彼女が語っておられる内容には、信憑性があると感じましたので、皆さんにもお伝えしたいと思います。

はせくらさんは日本の巨石群のある場所に行かれ、石からの情報を受け取られています。彼女が石に触った瞬間に、宇宙の記憶の部分、特に縄文人の「わたしたち子孫への近未来に関するメッセージ」がポンと入って来たというのです。

その内容は、「この人類が、集合意識として今このタイムラインを選ぶのであれば、そう遠くない未来にニビルがテレポートして現われ、この地球の重力場を大きく乱す」というものでした。
「このタイムライン」というのは、今現在の地球人の平均的な意識レベルに合ったもので、「三次元のタイムライン」というふうに受け取ってよいかと思います。

また、「ニビルの持っている巨大な重力場によって、コズミックダスト及び隕石というものが、まず太陽磁場をつかまえて、太陽がどんどん黒点化していく、スーパーフレアが起こりやすくなると同時に、ニビル経由で来た隕石が地球にも降ってくる可能性が高くなるということ、それと同時にそこからたくさんの宇宙線が降り注ぐので、火山爆発や地震が多くなるということ、よって人類として大変な難局を体験することになりますよ」ということを、石が伝えてくれたということでした。

石には宇宙や地球の情報が刻み込まれているのです。古代の人たちが、石やクリスタルに情報を託し、メッセージを残した理由が、これからもわかりますね。

破壊者はある日突然やってくる」とエハン氏は言っておられましたが、ニビルは前触れもなく、ある日突然テレポーションしてくるということです。あたかも隕石のようにです。
(ニビルがやってくるとどうなるかは、以前に渡辺氏の説を書いていますので、参照してください)


こういうことをまったく知らないで、毎日仕事や家庭や日常の生活に追われている人がほとんどなのです。
わたしたちは目先のことしか見えておらず、考えることも自分のことや家族のことばかりであるため、宇宙的な計画というものがどこにあるのか全然わからない状態なのだということです。


2月の花


★ 運命のタイムラインを変えるのは誰? ★



あなたは、「可能性として同時に存在している数々の自分の運命」というものがあることに気づいておられるでしょうか?
あなたの目の前には、いつもたくさんのタイムラインが同時多発的に存在しているのです。


たとえば、あなたが仕事に出かけるとき、毎回地下鉄を利用しているとします。
それはあなたが地下鉄を利用して仕事場に向かうというひとつのタイムラインです。
しかし、あなたは地下鉄ではなく、バスを利用することもできますし、自家用車を利用することもできますし、自転車を利用することもできるのです。
いくつもの選択肢が、常に同時に存在するということですね。その選択によって、それぞれ生じる運命が異なってくるというわけです。

地下鉄を利用したために、事故に巻き込まれ、ひどい怪我を負ってしまったということもあるでしょうし、その日自家用車を利用したために事故には遭わなかったけれども、渋滞に巻き込まれて遅刻してしまったということもあるでしょう。あるいは、自転車を利用したために事故にも渋滞にも巻き込まれずに、スムーズに仕事場に到着できたという場合もあるでしょう。
どれを選択したかで、このように結果が異なってくるのです。


もうひとつわかりやすいたとえ話をしましょう。

あなたは今1万円という自由に使えるお金をもっているとします。
それを何に使いますか?

その1万円で、つぎのデートに着ていく素敵な洋服を買うこともできますし、美容院に行って髪をカットし、髪を好みの色に染めることもできます。カットとシャンプーと染毛で、軽く1万円は飛ぶでしょう。
もしあなたがとてもおなかがすいていたら、それでゴージャスなフランス料理を食べるかもしれません。
多くの人は、自分の肉体を満足させるためにお金を使いますが、それに飽きた人はもっと精神的なものを求めて本を探したり、セミナーに参加したりするかもしれません。

何に使うか、選択肢は豊富にあります。
そして、あなたが何を選んだかで、あなたのその後の運命が変わっていくのです。
これは至極当たり前のことなのですが、今という瞬間には、「可能性として存在している運命が多々ある」のだということを知っていただきたいのです。 

あなたはいつでも、別のタイムラインに変移することができるのです。
洋服を買うよりも、美味しい料理を食べるよりも、やっぱり本を買おうとか、この1万円を旅行のために貯金しておこうとか、瞬時に思いなおすことができるということです。
この選択・決断が、運命のタイムラインを変え、別の運命へと転移するわけです。

つまり、わたしたちは自分の決意ひとつで人生を書き換えることができるということです。
何度もお伝えしておりますが、「決心が必要」だということですね。




この地球人類のひとりひとりが、自己の魂の進化と成長を選ぶならば、わたしたちのタイムラインはまちがいなくシフトするということです。
しかしながら、3次元のなかにどっぷりと浸かって、「死んだらおしまい」という観念に縛られ、そのために肉体やお金や物質を重視する人のほうが多ければ、残念ながら3次元に取り残されたままのタイムラインで突き進むでしょう。


ハート
「わたしには仕事も家事も育児もあり、大変なんです。だから、瞑想をする時間もないんです」

そんな愚痴を言っているあなた、誰がその状態になることを選んだのですか?
あなたには自分のしたいことをする権利があるのです。
「要はあなたしだい」、「すべて自分しだい」だと、いつも申し上げております。


あなたの運命は誰が決めるのですか?

究極の選択をするのは誰ですか?

観念を変えるのは誰ですか?



今の自分、今の自分の仕事、今の生活が嫌なら、別のラインを思い描いてみることです。
その能力が自分にあることに気づいてください。
そして、別のラインを選び、このラインを生きることを決意し、宣言してください。

あなたは、運命はけっして変えられないと思っていませんでしたか?
あなたの意識が変われば、変わるのです。
過去だって変わると申し上げております。

いつもと違うコースを歩きたいと思えばよいのです。
パラレルワールドはいつだってあなたのそばにあるのです。

実験してください。
決断してください。

新しい人生がそこにあります。





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