魂の青写真 ― デジャヴの体験からわかったこと

2011年02月24日 09:50


あなたは、一度も行ったことがないのに、その場所に見覚えがあったり、そこをすでに知っていると感じたりしたことはありませんか?
実際は一度も体験したことがないのに、すでにどこかで体験したことのように感じることを「既視感」といいます。
仏語からの音訳では「デジャヴ」、英語読みでは「デジャヴ」「デジャブ」などとも呼ばれていますね。

その「デジャヴ」を、わたしは頻繁に体験してきています。
立ちもどってくる記憶の鮮明さに驚き、この記憶はいったいどこからやってくるのだろう? という疑問が、いつも脳裏をかすめていました。
そのメカニズムを調べてみたのですが、どうやら学問上では解明ができない未知なる分野のようです。

★わたしは初めて訪れた旅先で、たいてい以前にもそこを訪れていたことを思い出します。まったく同じ場所で、同じ人と、同じことを語っている場面をはっきりと記憶しているのです。
「あ、ここに来たことがあるな。ここも、あそこも」、「この景色覚えているよ」、「これも知っているよ」、「なつかしいな」という具合です。
あたりの光景が懐かしくて、そこにフォーカスしているときは、だれと一緒にいたかは定かでない場合もありますが、だれとどんなことを話したかを明確に覚えている場合もあります。
そういうときは、たいてい話をしている最中に思い出すのです。
そして、まだ知らないはずのことを、以前から知っていたかのように話している自分に気づくことがあります。


★ デジャヴの体験例 その1 ★



もう随分前のことですが、奈良県の吉野山に登ったとき、〈デジャヴ〉が起こりつづけていました。
もともと、後醍醐天皇に強い関心をもっていたわたしは、この後醍醐天皇ゆかりの地を訪れることが念願だったのです。

以前のブログ(心の量子力学 その3 ほんとうに必要なことは成就する)にも触れましたが、強く望んでいると必ずそこへ連れて行ってくれる案内人が登場するのです。
これは、わたしの人生のテーマの探究の方向性にぴったりと一致しているときに限って起こる現象です。
そのときも、現地や歴史に詳しい案内人が現われて、わたしを当地へといざなってくれたのでした。

記憶は頻繁に甦ってきました。
たとえば、如意輪寺の宝物殿では、何千体もの仏たちが描かれた絵画を見ながら、案内人に、その絵画の説明をしている自分がいました。
そうしたら、「同じことが、ここに書いてある」と言って、案内人が説明文を指さしたのです。そこで、それを読むと、確かにわたしが言ったことと同じことが書かれていて、自分でも「どうして、知っていたのだろう?」と思いました。

事前の知識などは全くないのです。とにかく生まれて初めて訪れた場所でしたから。
でも、記憶にはちゃんとあって、知っている自分がいるわけですから、驚いてしまいます。
そういうことがつぎつぎと起こって、わたしはこの体験を、以前にしてきていることに気づいたのです。おそらく夢の中で体験したのだと思います。

★夢はすなわち、「あの世」、「あちらの次元」のことで、「あちらの次元」で先にやったものが、後に現実として現われてくるわけです。
つまり、「人生計画の青写真」といいますか、前もって予定しているプランの予行演習を夢でやっているわけですね。


後に、わたしの分霊が後醍醐天皇の息子の一人として生まれていることがわかり、その分霊の記憶が導いたということもあります。


★ デジャヴの体験例 その2 ★



オーストラリアに行ったとき、そこで訪れたほとんどの場所を覚えていました。(もちろん、生まれて初めて行った場所です)
ケアンズで世界遺産のキュランダ観光を楽しみ、翌日はアボリジニの森へ行きました。
三日目にはグリーン島とグレートバリアリーフのクルーズ観光を予定していたのですが、グリーン島に行く途中でひどい船酔いが生じてしまったのです
船に乗る前から、とてもいやな予感がしていたのですが、まさにそれだったのです。

水しぶきを浴び、激しく揺れる船の先端でうずくまり、その周囲を見ながら、わたしはその場面を以前に体験していたことを思い出していました。

ようやくグリーン島に到着したとき、わたしは体力を消耗してしばらく動けなくなり、つぎに予定されていたアウターリーフポンツーン行きの船に乗ることができませんでした。
その日は天候が悪く、とても楽しみにしていたシーウォーカー(酸素ボンベがついたヘルメットをしたまま、海の中を歩く)ができないという放送があり、二重にがっかりしたのです。

それで、グリーン島でゆっくりと半日を過ごすことに決め、マリンパークで長女とクロコダイルショーなどを見て過ごしていました。
そのうちに晴れ間が出てきて、グリーン島でもシーウォーカーができることになり、念願の海中散歩を体験することができたのです。

シーウォーカーができる地点まで、小さなボートに乗って行ったのですが、そのボートから見た辺りの光景が、わたしの脳裏に甦ってきたのです。「この光景、確か見たよ」と。

ということは、始めからアウターリーフポンツーンには行かないことになっていたということです。
そのことに気づいたわたしは、グリーン島でシーウォーカーができる手はずになっていたことを、心から喜びました。もともとこのシーウォーカーを体験したくて、グリーン島に行ったのですから。

アウターリーフポンツーンには結局行ってはいないので、ポンツーン行きは、わたしのブループリント(青写真)〉には最初からなかったということになりますね。
こちらの世界で予定していても、あちらの世界の予行演習ではやっていないことだったので、取り消されたということでしょう。


グリーン島
                          グリーン島


★初めて行くにもかかわらず、何かいやな感じがしたり、不安になったりするのは、すでに体験して知っているからです。
肉体に戻ると忘れてしまいますが、どこかおぼろにその記憶があるからなのです。
クルーズ観光の当日、船に乗る前から何か気分がすぐれなかったのは、そういう出来事に遭遇することを予知していたからですね。
このように、自分がすでに見ていた〈夢の現実〉が、いつか自分の肉体が存在しているこの世界に現象として現われてきていることがわかります。


とにかく行った先々で記憶が戻ってきて、(野鳥たちがわたしのサンドイッチをつつくところまで)わたしが夢で見た通りのことを実現していることを知ったのでした。


★わたしと次女が同時に〈デジャヴ〉を体験したことも何度かあります。
つまり、ふたりが同時に夢で体験しているわけですね。
こういう場合は、まちがいなく同じ夢を共有しているということです。面白いですね。

★「魂の青写真」というのは、「あちらの世界」ですでにつくられているものです。
それをこちらの世界でもう一度やってみているのです。
ですから、ある程度のシナリオは決まっているということですね。


そのシナリオでどう自分を表現するか、その自己表現方法は自由です。
同じシナリオでも、ネガティブにとらえて演じるか、ポジティブにとらえて演じるかは、あなたしだいなのです。
どうせそれを実現しなければならないのなら、楽しんで演じたほうが断然いいですよね。




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