あなたはどこからやってきた?  

2010年11月17日 00:45


★ 自分がどこからやって来たのかを知りたがる子供は、
    人間となる第一歩を踏み出している ★




            われら何処より来たるや?
             われら何者なるや?
              われら何処へ行くや? 

 

これは、フランスの画家ポール・ゴーギャンの作品(下記の絵の左上方)に書かれた画題です。
彼は病苦と生活苦と孤独の絶望状態でその絵を描き上げ、署名した後大量のヒ素を飲みました。
結局自殺未遂に終わりましたが、そのとき決死の思いで描いた傑作のテーマが、
われわれは何処から来たのか、われわれは何者か、われわれは何処に行くのか」だったのです。


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自分の生がどこから来て、どこへ帰っていくのか、自分とは一体何なのだという彼の問いかけは、地球人類全体の問いでもあります。
ゴーギャンほどに切羽詰まっていないにしても、その問いは深遠なる普遍性を持ち、だれの心にも響いてくるものがあります。

まさにシェルドン・S・ヘンドラーのことばのごとく、「自分がどこからやって来たのかを知りたがる子供は、人間となる第一歩を踏み出している」といえるでしょう。


★ あなたはなぜ地球に生まれたの? ★



さて、あなたは毎朝目覚めたときに、今日も一日無事過ごすことができるようにと祈ったり、夜眠りにつくときに、無事に過ごせたことを感謝したりすることがあるでしょうか? 
そういう気持ちを持っている人は、何か目に見えない高次元の存在によって、自分は生かされているのだという自覚があるからだと思います。

自分が何のために生まれてきて、何のために生きているのかと、これまでに一度も考えたことのない人はいないのではないでしょうか。
なぜなら、ここにこうして生きている意味がほんとうにわかっている人間など、稀だからです。皆、わけがわからず生きていると言っても過言ではありません。

★あなたはどうでしょうか?


あなたはなぜ地球に生まれたのですか?

あなたは何をしにここに生まれてきたのですか?

あなたはいったい何者ですか?

あなたはどこから来たのですか?


今一度じっくりと考えてみてください。


ほとんどの人は、朝目覚めたら顔を洗い、ご飯を食べ、仕事や学校に出かけ、夕方家に帰ってきて、またご飯を食べ、お風呂に入って寝るという繰り返しです。
もちろん昼間にその人なりの有意義な出来事を体験して、人生を楽しんでいる人もいるでしょう。
でも、起きて、寝て、食べて、働いて……というパターンは、どこの国の人もさほど変わりはないはずです。

★人は生きるために毎回食べ物を食し、その食べ物を買う貨幣を得るために働かなければなりません。

貨幣制度の導入は、人類に多大な不幸をもたらしました。
地球には、すべての人が生きるために必要な食べ物や資源が豊富にあるにもかかわらず、全く行き届いていないのが実情です。
ポール・ゴーギャンのように、今日食べる物がなく、明日に希望を持つことができないほどの飢餓に直面している人々は、現在も世界中に数多存在するのです。

けれども、それとは逆に、驚くほどの広大な土地と多くの労働者を所有する富める人々がいます。
彼らはだれの許しを得て、大地を独り占めしたのでしょうか? 
いったい地球はだれのものなのでしょうか? 
真の所有者はだれなのか…。 

だれの許可もなく手に入れた大地なら、土地を持たない人々に無償で分け与えるべきですが、彼らは高い代価を要求して私腹を肥やすことに専念しています。
お金を増やすためなら、他の人々の不利益など一切考えない。自分以外の人間を動物としてしか見ていない支配階級も、存在するのです。

何者かによって意図的につくられた世界経済の仕組みは、完全に「分離の考え方」に基づいています。国々の現状を見ればわかりますね。
支配する側とされる側。貧富の差は歴然としています。

貧しい多くの人々は、貨幣の奴隷となって一生を終えます。
昔からそのようにしてきたからなのか、先人の敷いたレールに乗って、ひたすら走りつづけているのです。
目指す真の目的地もわからないままに、毎日同じことを何十年と繰り返し、やがては死んでいきます。

死ぬ前に、「私の人生って、いったい何だったのだろう? 今までやってきたことが、果たして私の一番やりたかったことだったのだろうか?」と振り返ったとき、たいていは「?」なのではないでしょうか。
「ああ、わたしにとっては、何もかもが思い通りになったすばらしい人生だった! 思い残すことなんて何もない!」と思える人は、ほんとうに幸せ者ですね。

そう簡単に自分の思い通りにはならないのが、この三次元の世界です。(自分勝手な制限を設けているからなのですが…)
物が欲しくても、お金がないと手には入らないし、鳥さながらに空を飛びたいと思っても飛べない。病気になりたくなくてもなることはあるし、死にたくなくてもいつかは死ななければならない。(人間は生まれたら死ぬと思い込んでいるから、死ぬわけですね)

究極的には、自分の現実は自分で創っているのですが、自分の思い通りにならないと思っている現実があるわけです。
さまざまなものを創り出してきたわたしたちでも、不可能だと思えることは山ほどあります。(これも制限しているのです)
「わたしたちは決して万能の神ではない。よって、人間がその万能の神に何か理由があって生かされている存在だ」と考えるのは、自然な発想なのかもしれません。(現在の地球人の集合意識がそうなのであって、集合意識を変えることが現在の課題です

もし、目的もなく地上に自然発生した動物であるとするのなら、なぜこれほどまでに自然界から遠のいてしまったのでしょうか。いまや他の動物たちと同様に、自然のなかで、自然と共に生きていくことなど、とうていできない状態となってしまっています。

人間が他の動物と異なっているのは火を使うことですが、さらに違う点は金銭を使うことですね。
お金を欲しがり、物質欲があるのは、人間だけです。
その物質欲が、貨幣を生み出し、その貨幣の奴隷となって一生を終えるような、つまらない人生のレールを作ったのです。


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二千年という長きにわたって多くの人々が信じ、敬ってきたイエス・キリストは、当時の人々に次のように語っていました。


あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。
それだから、あなたがたに言っておく。
何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。
命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。

空の鳥を見るがよい。
蒔くことも、刈ることもせず、倉に取り入れることもしない。
それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていてくださる。
あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。

あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。
また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。
野の花がどうして育っているか、考えてみるがよい。
働きもせず、紡ぎもしない。

しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめたときのソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。  

ああ、信仰の薄い者たちよ。
だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。
これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。
あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存知である。

まず神の国と神の義とを求めなさい。
そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。
だから、明日のことを思いわずらうな。
あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう
一日の苦労は、その日一日だけで十分である。
 
(新約聖書 マタイによる福音書 6章24―34)
 


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金銭は「この世」でしか通用しないものです。
多くの人間が追い求めている金銭は、「あの世」や「アセンション後の地球」には必要ないものです。

「豊かさ」は必要です。
わたしたちが欲しているその「豊かさ」が、「物質的な豊かさ」なのか、「精神的な豊かさ」なのか、そこが分かれ道となるのです。
だからこそ、イエスはこう言っていたのです。


「あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に宝をたくわえてはならない。
むしろ、自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが、押し入って、盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。
あなたの宝のある所には、心もあるからである」と。
(マタイによる福音書 第6章19-21)

 


ハート
先祖から受け継がれてきた、金銭による金銭のための生活。
果たして、それは「人間の魂の成長と進化に必要なもの」だったのでしょうか?

あなたは、いかがですか? 
これからも、やはり金銭を含め、物質を追い求めていきたいでしょうか?
ここに生きている理由を、今一度考えてみてほしいと思います。




人類を創成した神の正体 

2010年11月18日 16:20


★ 人類の先祖はだれ? ★



人間というのは、地球に誕生した数多の生物のなかで、ほかに類を見ない特殊な生物ですね。
このホモ・サピエンスという名のわたしたちの祖先は、突如としてこの地上に姿を現し、驚異の知的生命体として生き始め、幸か不幸かわからないような物質文明を今日まで築いてきました。

21世紀の現在、わたしたち人類が猿から自然に進化していったのだというダーウィンの進化論は、今では通用しなくなっています。
猿から進化したのなら、いつだって人間になりかけている猿が必ず存在するはずだからです。でも、そんな進化途中の猿人を未だかつて見たことはありません。人間は、どう考えても突然変異したとしか考えられないのです。
また、現代人が太古の人たちよりも智恵があり、技術が優れているとは、とても思えません。手作りを機械化しただけで、むしろ退化しているようにさえ思えるのは、わたしだけでしょうか?

★さて、この優れた生き物である人間は、だれに似せて造られたのでしょうか?
人類を生み出したのは、いったい何者なのでしょうか。

旧約聖書の「創世記第1章」には、こう記されています。
神は言われた、『われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り…』と。



★約二千年前に、竹内真鳥(たけうちのまとり)という人が神代文字から漢字カナ混じりに書き改めたとされる「竹内文書」が、今も残されています。

そこには、人類の先祖は「天空浮船(あめのうきふね)」という名の宇宙船に乗って、他の天体から来たということが記されており、天から下りてきた異星人のことを「神人」とか、「神星人」と呼んでいたと語られています。

人間には赤人、黒人、黄人、青人、白人の五種類があって、総称五色人と呼ばれていたようです。
(ちなみに赤人はユダヤ人、アメリカインディアン、アラビアやエジプトの民を指し、黄人とは日本人、中国人、朝鮮人などのアジアモンゴロイド系民族を指します。
青人は北欧人やスラブ人、白人は欧州のコーカソイド、黒人はインド、アフリカ、パプアニューギニア圏やメラネシアの民を総称しているといわれています)


★ 幣立神宮の五色人祭について ★


熊本県阿蘇郡蘇陽町にある元伊勢神社日の宮「幣立神宮」には、「五色人の面」が神宝として伝わっており、「住古、世界の五色の民の代表が参拝に訪れていた」という社伝が残っているのだそうです。

随分前のことですが、知人が「五色人祭」に参加したとき、そこである霊能者に「元は黒人だった」と言われたと聞いたことがありました。(まあ、人類の発祥の地はアフリカ東部であると言われていますから、黒人というのはまちがいないのでしょうが…)
そのとき、「五色人祭」に参加すると、自分がもとは何色の人として生まれていたのか、自分のルーツがわかるかもしれないなーと思ったのです。
それで幣立神宮にお参りしたいと考え、毎年「五色人祭」がおこなわれる8月になると、九州行きの計画を立てていました。でも、不思議なことにいつも途中で気が変わり、結局行かなかったのです。

今まで行きたいと思っていた場所には、つぎつぎと案内人が現われて、望みを果たすことができたのですが、(過去記事 「心の量子力学 その3 ほんとうに必要なことは成就する」 参照)この幣立神宮だけは未だに叶わないままです。

それを不思議に思って、あるとき、ハイアーセルフに尋ねてみました。
そうしたら、わたしは「五色人祭」に参加する必要がないのだというのです。
なぜなら、わたしは人類として創られた側ではなく、創った側だからというわけです。
要するにわたしは「五色人」のなかに、自分の魂のルーツがないということだったのです。


人類を生み出したのは、天から下りてきた異星人


★宇宙考古学者の高坂数導氏は、「原始地球人に天孫降臨した神人が遺伝子を与え、変化させることによって生み出したのが、五色人、つまり人類だったのではないだろうか」と述べています。
つまり、人類を生み出したのは、天から下りてきた異星人だということです。
人類の祖アダムも、この神人と呼ばれた異星人たちのうちのだれかに創成されたといえるでしょう。

近年は「異星人による地球人類創成説」が前面に出てきており、しだいに真実が明かされ始めていますね。
地球人が異星人の手によって生み出され、奴隷として所有されていたというのは、けっして新しい考察などではありません。
それは、人類最古のシュメール文明によって表明されており、その記憶は円筒印章に刻まれ、今日まで残されてきているのです。
シュメールの古文書は、天から来た神々が自分たちの仕事をやらせるために人類を造ったのだと語っているのです。
 
★言語学者で考古学者のゼカリア・シッチン氏は、旧約聖書や近東の歴史と考古学を学び、シュメール語を解読できる世界でも数少ない学者として有名です。

彼は著書(『人類を創成した宇宙人』『神々との遭遇 上下』 徳間書店)のなかで、人類を創成したのは太陽系の十二番目の惑星ニビルから来たネフィリム=アヌンナキ(天から地球にやってきた者たち)だと述べ、その証明となるシュメールの古き物語をベースに、詳細な説明を展開しています。

ただし、異星人に関する種々の文献からすると、地球に来ていたE・T(地球外生命)は一種族だけではなく、さまざまな星からやってきていて、その数も大変多かったことがうかがえます。

地球人種を造ったのは異星人である」と説く数々の書のうち、リサ・ロイヤル氏とキース・プリースト氏共書の「プリズム・オブ・リラ」が、今のところはもっとも説得力があると思われます。

1993年にヴォイスが主催したリサ・ロイヤル氏のチャネリングセッション「プリズム・オブ・リラ」の内容を聞いたわたしは、彼女がチャネリングするジャーメインの話に大変興味を覚えました。
チャネリングされた内容は膨大にあり、その大部分はカセットテープとして販売されているので、それらを繰り返し聞いてきました。これまで入手できた書籍などで調べたことと照らし合わせてみると、やはりジャーメイン説がもっとも信憑性があるように感じられます。
 

★ 地球人種の創造にかかわった異星人 ★



★「プリズム・オブ・リラ」には、つぎのような内容が書かれています。

すべての魂は、〈大いなるすべて=宇宙創造者〉の一部であるということ
分裂を生んだ〈大いなるすべて〉の思念の力が、銀河系宇宙創造の原動力となったこと
多様な宇宙文明の発生
この銀河系宇宙における人間型生命体発祥の地はリラ、すなわち琴座であったこと

ジャーメイン説」では、地球人種の創造にかかわったのは、つぎの存在たちです。

☆〈大いなるすべて〉の一部から発生した肉体のない意識集団「創造の礎たち
☆肉体をもった「琴座系グループ
☆肉体をもった「シリウス系グループ
☆肉体を持った「プレアデス系グループ

それぞれのグループが異なる動機を持ちながら、「地球における人間型生命体の創造」にかかわったのだとしています。



★ 人間型生命体が初めて誕生した領域 ★
 



★頭と胴体と二本の手足を持つ「人間型生命体が初めて誕生した領域」は、「琴座」です。そこから派生したのが「ベガ」、「シリウス」、「オリオン」などの種族だとされています。 

やがて、思考(志向・指向)が「ネガティブとポジティブ」、あるいは「男性原理と女性原理」に分かれ、そのために闘争が起こり、爆発的な両極の分裂を生みました。 
なかでもオリオンの気が遠くなるような陰陽闘争の歴史は、ジャーメインによって克明に語られています。

★地球を自分たちの楽園にし、自分たちが後に転生するための理想的な種族を創造しようと目論んだのは「琴座星人」で、肉体労働者となる種族の創造に関心があって、地球人種創造のプロジェクトに参与し、琴座星人を援助したのが「シリウス星人」、ほかに地球土着の霊長類に組み込む遺伝子を提供したのは「プレアデス星人」、その結果として、ホモ・サピエンス(クロマニヨン人)であるアダムが造られたのだと、ジャーメインは語っています。



★どのような目的でつくられたのかは、異星人グループによってさまざまですが、地球を自分たちの楽園にしようと考えたのも、自分たちが後に転生するための理想的な種族を創造しようとしたことも真実です。
当時、地球では、彼らがそのままの肉体をもって生きられない状態であったため、元々地球に生息していた霊長類(猿類)と自分たちのDNAを組み込んだのです。それは何世代にもわたっておこなわれました。
ですから、異星人が人間を創成したというのは事実であり、それを受け入れることが人類には必要です。


と、自信をもって言えるのは、わたし自身がそのプロジェクトに関わっていた種族のひとりだったからです。
それは、わたしのハイアーセルフや母神からインスピレーションで伝えられた真実であり、また、わたし自身(魂)がそのことを知っているからなのです。(つづく)

次回は赤色人種アダムについてお話しする予定です。



「男女両性具有なるもの」への探究

2010年11月21日 01:00


わたしたちが生きているこの「地球」という名の惑星には、男性と女性という異なった二種類の人間が存在しています。

昔から男性と女性は、一対となってはじめてひとつの完成された人格をなし、ふたりで一人前だと考えられてきました。そして、お互いに自分にないものを求め、それが互いをひきつけるのだと。

しかし、両者の心理構造が異なっているために、男は女を理解することができないと言い、女は男の心理がわからないと言い、互いに互いを理解できないことからくるもどかしさを味わい、そのために生じた愛憎の葛藤に両者共々苦しんでいるというのが実情です。

愛によって求め合い、結合し、憎悪によって反発し、離散する。
すなわち「分離と結合」です。
これは、地球上に男と女の性に分かれて生まれたときから始まった人類最大の課題なのではないでしょうか。

この地球上では、「男」と「女」は切り離されて存在していますが、「男女両性具有 Androgyny」は存在しなかったのでしょうか? 
そんな疑問が、わたしを「男女両性具有なるもの」への探究へといざなったのです。


★ 「男女両性具有なるもの」への探究 ★



今から10年ほど前、「男女両性具有なるもの」について興味津々で調べ始めたわたしは、早々とその存在の可能性を探し当てました。

★オルフェス・ファイロス氏がチャネルした「大天使ミカエル」は、*「初代レムリア人は完全に両性具有であり、霊的で〈一なる法〉のなかにいて、二元的な現実の痛みとはまったく無縁だった。それは歴史が幕を開けて早々のころで、仲間うちで戦争を始め、いまや進化のすべてのレベルで見られるネガティブな思考形式をつくりあげるより以前のことだった」と語っていました。

*ヴァージニア・エッセン編著『アセンションするDNA』《2章 大天使ミカエル……channeled by オルフェウス・ファイロス―P48》出版社ナチュラルスピリット 参照)

★また、エドガー・ケイシー氏は、*「約20万年前にアトランティスに降り立った神の子たち(第三根源人種)は、男女ふたつの魂がある両性具有であった」とリーディングで語っていたのです。

*W・H・チャーチ著 石原佳代子訳『エドガー・ケイシーの魂の進化』中央アート出版 参照)

プラトンの著「饗宴」にも、形態や名称から見ても男女の両性を結合した「男女(おめ)」という一つの性があったことが書かれていますが、大天使ミカエルやエドガー・ケイシーに比べると、その信憑性は10%くらいです。

また、世界には、男女両性具有なる神々が存在していたという伝説が残っており、少なくとも男女両性具有なるものが存在した可能性が濃いことをうかがい知ることができたのです。

最初地球にやってきた次元の異なった人たちのあいだでは、「性の分化」はまだ始まっていなかったようです。
彼らは創造の力を持っていて、ふたつの魂と両性の身体を持つ子孫を生み出すことができたので、男女間の生殖行為は必要なかったのだといいます。


旧約聖書の「創世記」には、
神は自分のかたちに創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された
われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り……」とあります。

その後地球にやってきて、直接地球人類の創成に関与した「神」という名をつけられた異星人は、どうやら別々の性を持った存在で、彼らは男女両性具有ではなかったことがうかがわれます。

しかし、彼らが造り上げた「アダム」という名のわたしたちの祖先は、初めは「男にして女」、すなわち「男女両性具有」だったのです。

最初からアダムが男であったと思い込んでいた人は、衝撃的かもしれませんね。
でも、原初のアダムが男女両性具有であったことは、さまざまな文献からうかがい知ることができます。
(アダムについての詳細は、次回お伝えします)

★では、なぜ異星人たちは「男女両性具有の人間」を造ったのでしょうか? 

そして、なぜその後、両性具有の人間が存在しなくなった
のでしょうか? 

その理由は、次回の記事で明らかになっていくでしょう。



★ 精神の男女両性具有とは? ★ 



★わたしは、「精神の男女両性具有」を人類の理想と考える人間のひとりです。
それは、男性性と女性性、陰陽のエネルギーが調和された人格を指しています。
肉体ではなく、そのような「精神的な統合の状態」を言っているのです。
あくまでも形而上での意味です。

古くからよく言われてきた「半人前の男(アンドロ)と半人前の女(ジニー)が夫婦になって、ようやく一人前になる」という考えは、もはや時代遅れです。
今や、もともと一個人の心に内在する男性性と女性性を統合し、ひとりで完全な一人前の人間になることに目覚め、それを志すときが来ているのです。

統合された一個人と一個人であれば、相互理解は可能となり、調和されたすばらしい関係が生まれるはずであるからです。

男性と女性は、根本的に正反対の性質を持っています。
ふたつの正反対のものというのは、必ず対等です。
その対等なふたつの質とはどのようなものなのか、
それらはどこから来たのか、
また、相反するふたつの質をどのように自分自身の内側でひとつに統合していくのか……。
自らが「精神の男女両性具有」となっていく術をお話ししていければと思います。
そのなかで、読者は自分自身を深く見つめ、自分がどのような人間であるのかに気づいていかれることでしょう。

そして、過去記事「宇宙創造主のもくろみ あなたはどこからやってきた?」に書きましたように、「自分はどこから来たのか?」「自分はいったいだれであるのか?」と、自分自身の魂のルーツを想起し、「この地球に生まれ、生きている理由と目的」を思い起こし、「では、今どう生きていくのがベストなのか?」と考え、「個々の魂が目指している方向性」へと発展させていってもらえれば、うれしく思います。

ここに記す内容は、けっして現実離れした机上の空論ではなく、今後あなたが生きていく上で必要不可欠な「意識」の目覚めを促すためのものです。
よって、何かひとつでも興味が湧いた箇所に出会ったら、それをもっともっと深めていっていただきたいし、そのためにできるだけ裏づけとなり、参考となる文献も紹介したいと思っています。


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★ このブログを読む上でのお願い ★



わたしのブログを最初から読んでくださっている方々はすでに御承知のことであり、何度も繰り返しているので十分理解されていると思いますが、初めてこのカテゴリを見つけて訪問された方もいらっしゃると思うので、今一度お伝えしておきたいと思います。

まずは、頭を柔軟にして読んでいただきたいということです。

たとえば、UFO(Unidentified Flying Object)こと未確認飛行物体や、地球大気圏の外に生息する生命の総称であるE・T(Extraterrestrial Life)の存在を信じない人にとっては、受け容れがたいものとなるであろうことが予想されるからです。

神秘を直感で素直に受容し、認識していく能力が何よりも必要です。
つまり、意識の焦点を、従来の「頭からハートに切り替える」ことが必要なのです。


★初めて訪問された方は、このブログの趣旨を知っていただきたいので、まず下記の過去記事をお読みくださるとうれしいです。

★はじめに
★プロローグ「真実」はその人の「意識レベル」によって異なる
★「目に見えない世界」を信じる人&信じない人



真理を探究することは、精神世界を探究することです。
精神世界は、視覚不可能な周波数(多次元)が存在する未知なる領域です。
神秘を受容することなしには、不可能な領域なのです。
よって、「目に見えないものを感じることができるかどうか」、あるいは「信じることができるかどうか」が鍵となるわけです。

本来「精神世界と科学はイコール」であったはずなのですが、近代の科学は目に見えるものが対象の物質科学に留まっていました。21世紀になった現在、ようやく量子力学の分野において、「不可視の世界」がひらかれるようになりましたが…。

しかし、科学で解明されなくても、自己の内奥ですでに知っていることはあるのです。
その内奥に刻み込まれたあなたの記憶を甦らせていただくのが、このブログの目的でもあります。

よって、ここで述べる内容を、「頭」ではなく、あなたのハートを全開にして「フィーリング」で受け取り、理解していただければ幸いに思います。



sea


★ 大切なのは、自分にとって有益な情報であるかどうかということ ★



地球上に存在するどの書についても言えることですが、そこに書かれている内容が真実かどうかを確かめる術はありません。
信じるか信じないかは、個々の自由意志に任す以外にはないのです。
そして、その内容が信じられるからと言って、真に正しいかといえば、そうでない場合もあります。
また、信じられないからと言って、それが正しくないとかまちがっているとか、断定することはできません。

大切なのは、それが自分にとって有益な情報であるかどうかです。 
あなたの魂の目覚めや成長に何か役立つのであれば、それはあなたにとって生きた内容となるでしょう。


銀河系宇宙の長い眠りの時節から目覚め、アセンション(次元上昇)しつつある地球。
世界中に起きている急激な異変は、地球が成長するためのプロセスです。
そのなかで、わたしたちはどう生きるのか……。
人類にはさまざまな選択肢が残されていますが、あなたはどの道を選ぶでしょうか? 

このブログを読み進めていかれるあなたの魂が、真に希求する「明確な方向性」が必ず見出されることと信じて、わたしはハートを全開にして書き進めていきたいと考えています。


ハート
自分自身を知ることは、地球を知り、宇宙を知るということです。
自分と宇宙は決して切り離された存在ではありません。
耳を澄ませば、宇宙の声は聞こえてくるのです。



「原初のアダム」に出会う旅

2010年11月22日 22:00



アダム」を語ると言っても、奥が深すぎて、何から話そうかと、この数日間思案していました。

アダムを語るためには、宇宙創世期から、つまり万物を生み出した「宇宙創造意識の意図」から説明しなければならないし、最初のアダムである「天上の霊的なアダム」から「肉体をもったアダム」へと光を落としていったプロセスを語らなければならなくなるからです。
それは「とてつもなくややこしい」ということばで表現できます。
そして、それを語るには、膨大な紙面が必要となるでしょう。
ですから、ここでは「人間アダム」に限定して書きたいと思います。

★まず「人間アダム」が正式に登場したのは、紀元前1万2000年頃のことで、アトランティス最後の崩壊以前のことでした。
これは、わたしの守護神のひとりに確認したことであり、エドガー・ケイシー氏がアカシックレコードから得た情報でもあります。

「アダム」という名の人類の祖先は、一人だけではありませんでした。
このプロジェクトは世界の各地でおこなわれており、「アダム」とつけられた人間は、大量生産されていたのです。


彼らが創造されたとき、神は彼らを祝福して、その名をアダムと名づけられた
という文面から、アダムという名前が個人的なものではなく、地球上にたくさん存在していた原型の総称であったことがうかがえます。
そのとき、イヴはまだ誕生していませんでした。

★最初の人間につけられたアダムという名は、ヘブライ語のアダマに由来する「大地から造られし者」を意味することばです。
また、古代シュメール語では「人の雛形」を意味するアダパと呼ばれていたようです。
アダムは赤、つまり赤色人種の原型であることを表しているのです。


★ イヴがアダムの中にあったとき、死は無かった ★



地球にやってきた異星人たちは、自分たちに似た人間を造りました。
ただし、最初彼らは「男にして女」、つまり「男女両性具有の人間」を造り、それらを「アダム」と呼んだのです。   

《創世記第1章―27》や《第5章―2》には、「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された」また、「神が人を創造されたとき、神にかたどって造り、彼らを男と女とに創造された」とあります。

これは、同時に男女を創造したというふうにとれますが、それでは《創世記第2章―18~23》の内容、神は「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」とアダムのあばら骨から女性なるものを造ったという文面とに矛盾が生じてしまいます。

★この「男と女とに」というのは、アダムが男女(おめ)であったことを語っていると、わたしは考えます。
最初、アダムのなかには女性性なる〈イヴ〉が存在しており、イヴはまだ創造されてはいませんでした。
イヴをアダムから分離し、引き出したことで、未分化だったアダムは初めて男性の片割れとなったのです。
そして、アダムに死が訪れたのです。

イヴがアダムの中にあったとき、死は無かった。彼女が〔彼から〕離れたとき、死が生じた」という『フィリポによる福音書』に記されたことばが、そのことを語っています。(旧約聖書には、アダムは930歳で死んだと書かれています。イヴと分離しなければ、アダムは永遠に生きたのかもしれません。)
(*荒井献訳「ナグ・ハマディ文書Ⅱ 福音書『フィリポによる福音書』」参照)

アダムのなかにイヴが存在していたとき、つまり男女両性具有の原人だったときは「正のアダム」であり、このアダムは「男と女が統合された単独者の原型」だったということです。


これは蛇足ですが、1945年、エジプトで見つかった「ナグ・ハマディ文書」と呼ばれる写本のなかに、『トマスによる福音書』があります。
そこに残されているイエスが語った『単独者』という表現。
これは、「トマスの福音書」のキーワードのひとつにもなっている重要なことばです。
「単独者」つまり、「一人で立つ者」、「自立者」に成ることはわたしたち人間がいつか成し遂げなければならないことなので、また別の機会に書きたいと思います。


★ 異星人が最初に男女両性具有を創った理由 ★



★では、異星人たちは、なぜ最初に「男女両性具有の人間」を造ったのでしょうか? 

それは、彼ら(異星人たち)が、もともと男女両性を具有しない生命体であり、「両性具有が彼らの理想」であったからです。
彼らが誕生した星は、相反するもの同士が争う二極性の世界でした。
それが苦悩の種だったのです。

長い年月、陰陽両極の分裂に悩まされてきた彼らは、地球を両極の分裂のない惑星にしたいという願望を抱いていました。
肉体を持っていながら「分裂されていない意識」、すなわち「統合された意識」をつくりたい。というのが、目的だったのです。

全く別の惑星で、彼らは新たに生まれ変わろうとしていたわけですね。
だからこそ、彼らは自分たちがやがて転生するための、より進化した理想的な種族の肉体を創成することに長い年月を費やしたのです。

ところが、両性を具有した人間はいくら長生きしたとしても一代限りで終わる運命にあります。
子はクローンでしか造れないし、どうやって生殖して子孫を造るのか、彼ら(異星人たち)にもわからなかったのです。
というわけで、別に子宮を持つ女性なるものを造らなければならなくなったのです。
それがイヴの誕生の理由です。


★アダムたちは地球環境に適応するかどうかを調べるために各地に送られ、適応したことを確認すると召集されました。
後世イヴと呼ばれるようになった女性のプロトタイプ(原型)も、クローン技術と遺伝子工学によって造られました。
そして、アダムと共に自然環境に戻され、入念に観察されたのです。

当時の地球では、さまざまな遺伝子実験が同時進行的に行われており、その地域は主にアフリカとアジアだったようです。
そこでは白人、黒人、アメリカインディアンのような赤い人種が造られていたようですが、アジア人はまだ誕生してはいませんでした。
彼らが日本人を含むアジア人種の創造に踏み切ったのには、それなりのわけがあったのです。

★では、なぜまた新たな人種が造られることになったのでしょうか?
これはわたしたち日本人にとっては大変重要なことであると思われます。
アジア人種を造ったわけは、次回で取り上げたいと思います。(つづく)


異星人がアジア人種を造った理由 

2010年11月23日 19:25


 
古代の地球上で、琴座星人をはじめとして、シリウス星人、プレアデス星人たちがさまざまな遺伝子実験をしていたとき、同時に彼らはお互いに葛藤を抱え、闘争のさなかにありました。
だからこそ、彼らは新しい種族を造る目的のひとつとして、最初から統合が可能な人種にして、自分たちの葛藤を収拾したいと考えていたのです。(そのことは、前回述べましたね)

ところが、その遺伝子実験が成功しないことを、見通していた存在がいたというのです。
遥か未来に生きるゼータ・レチクル星人メタ・ヒューマンと呼ばれる存在です。
(メタ・ヒューマンというのは、主に琴座系、プレアデス系、地球系の流れを汲む人間型宇宙人で、現在の人類より意識的に進化した種族のことを指すようです)

★彼らが「自分たちの目的が果たせない」と確信した理由は、いったい何だったのでしょうか?

それは、創造された種族があまりにも多様性に富んでいた、というのが理由です。
バラエティに富んだ連中は、そのバラエティゆえに、やがては互いに争うようになるからです。
よって彼らの念願の「平和」と「統一」という試みは、残念ながら実現しないということ。
未来のE・Tたちは、そのことに気づいたのです。

未来のE・Tからの忠告を受けた遺伝子工学者たちは、非常に統一感のあるゼータ・レチクル星人のDNAを使うことに決めました。
すでに造られた人間の原型のDNA、つまりシリウス星人・プレアデス星人のDNAが組み込まれたものを掛け合わせたのです。
その結果できた原型が、アジア人種だったというわけです。


★ ゼータ・レチクル星人はどんな種族なのか? ★



彼らの元の故郷はアペックス星で、琴座のなかで最初に発展した惑星のひとつでした。
しかし、核戦争のために惑星全体が次元を跳んで、別の時空間に移動したと伝えられています。(アペックスは崩壊し、視界から消えたが、アペックス星人自体は存在していて、放射線の影響とクローン化によって、さまざまな肉体的変化が起こったとされる。詳細は、「プリズム・オブ・リラ」を参照してください)

レチクル座に出現したアペックス星人は、その後ゼータ・レチクル星人となったといわれています。
彼らは地球に来て、地球人を誘拐し、遺伝子実験をおこなっているいわゆるグレイで知られている者たちです。


★では、ゼータ・レチクル星人とは、どのような特徴をもっていたのでしょうか。

リサ・ロイヤル氏&キース・プリース共著の[宇宙人 内なる訪問者]によりますと、彼らは、精神面でも人格的なレベルでも、あまり個性を持っておらず、集合意識として活動していて、肉体レベルでもほとんど全員同じ姿に見える種族だったようです。
また、彼らは神と結びついているという意識を強く持っていて、自分たちの精神性、霊性を表すために儀式を行うことが多い種族だったというのです。

☆確かに、アジア人は皮膚の色や髪の毛の色、目の色などが同じで、他の人種に見られるような肉体的な特徴の開きは、あまりありません。
そのような特徴は、これまで創成してきた人種にはなかったため、将来地球を統合していく種族として、最も適していると考えたのです。

調和と平和の意識に欠けていて、二極性の闘争から逃れられない異星人たちの遺伝子を与えられた人間たちは、やはり二極性で悩まなければならない宿命を持っていたのです。
皮肉にも、調和のできない親の遺伝子を受け継いだ子どもには、やはり統合は困難だったということですね。
だから、全く別の意識を持った他の種族の遺伝子が必要となったのだというわけです。
それが、異星人がアジア人種を造った理由です。



★ジャーメインは、つぎのように語っています。

アジア人には、自分をひとつの意識の一部であると見なす考え方があります。一人の人間は独立した存在というより、むしろ集団の一部と見なされます。こうした考え方は彼らの強い集団指向を反映するものです。
つまり、個人は全体の一部であり、仮に全体の利益のために犠牲になったとしても、それは仕方がないことだという考え方です

(リサ・ロイヤル+キース・プリースト著 星名一美訳「[宇宙人]内なる訪問者」より)


☆わたしがこの文面から感じた正直な感想ですが、
個人は全体の一部であり、仮に全体の利益のために犠牲になったとしても、それは仕方がないことだという考え方です」というのは、一見納得できそうな内容ですが、ほんとうのところは「どうなのかな?」と思います。

たとえば、「日本の歴史は、戦争で綴られてきた」と言っても過言ではありません。
日本が戦さをしなかった平和な時代は、鎖国をしていた江戸時代だけです。
そのほかは、たいてい戦さだらけでした。

いつの世でも、皆「上に立つものからの命令」で戦いに参加していただけで、だれも「全体の利益のための犠牲者」などにはなりたくなかったのではないかと思うのです。
それはマインドコントロールされた者たちが、たとえば「国のために」とか「殿様のために」とか、「天皇陛下のために」とか、そのためには犠牲は厭わないと思い込まされていたからで、目覚めている人たちにとっては、まったくちがう真実があったはずだと考えます。

だいたい「戦争という名の集団人殺し」に参加することが、正しいことか否かぐらい、だれにもわかりそうなものです。
特にピラミッド式に構成された共産国などは最悪です。
頂点に立つ者だけが甘い汁をすすり、底辺にいる大部分の人たちはそのための敷石になっていて、一生その状況から開放されず、コントロールされていかねばならないからです。

中国や韓国、北朝鮮などは、日本とは親密な兄弟国のはずですが、昔から激しい乗っ取り合戦をしていました。
未だに日本とは仲があまりよろしくないです。
歴史がその悲惨さを語っています。
それでいて、アジア人種のどこが平和なのでしょうか?
隣の人のやることを見てから、自分も同様の選択をするというような「まるで自分の意志と意見をもたない人たち」であれば、確かに統一はしやすいかもしれません。
でも、それが真の平和につながるのかどうか、疑問はふくらむばかりです。

未来のE.Tの先見の明というのは、果たして正解だったのかどうか…。
わたしには???です。
あなたは、どう思われるでしょうか?


★ 親(異星人)に見捨てられた子どもたち(地球人) ★


 
アジア人種創造の実験場所として選ばれたのは、日本と、もうすでに海底に没してしまった島々でした。 
アジア人種が創造された後、そのアジア人種の面倒を見るようになった中心的な存在は、プレアデス星人だったようです。
ゼータ・レチクル星人は遺伝子を提供しただけで、教育には携わらなかったというのが真相です。

地球上に存在するすべての人種の中で、肉体的な特徴がプレアデス星人と似ているのは、日本人なのだそうです。
背の高さや体毛が少く、アーモンド型の目が似ているらしいのです。
わたしたち日本人にとって、彼らは母親さながらの存在だったようですが、そうであったにもかかわらず、プレアデス星人はわたしたちの祖先を残したまま、地球を去っていったのです。
去らなければならない理由があったのでしょうが、その真相はわからないままです。
自分たちに必要性があって生んで(つくって)おきながら、置き去りにするじつに無責任な連中です。

今、地球上に生きている人類は、親に見捨てられた子どもさながらです。
今日まで真の意味での生みの親に出会うこともなく、親がどんな人かも知らされないまま育ってきたからです。
親を知らないまま、進む方向性もわからず、混乱状態のなかで育ってきたわたしたちは、「大変な問題児」だとジャーメインは言っていますが、同感です。
まったくかわいそうな子どもたちです。

自分たちの生命がどこから来て、どこへ行くのか、何のためにここに生きているのか、自分の魂の起源や人生の目的について教えてもらえず、全く無知のままであるため、基本的に真の心の平安を得ることができないのです。

たまに聖人なる者が現れることがあっても、自力で究明することを勧めたり、神仏の他力による信仰を説いたりするだけで、三歳児にもわかるような明確でわかりやすい答えを与えてはきませんでした。
神仏の真の正体は、隠されたままだったのです。

ゼータ・レチクル星人は、「神と結びついているという意識を強く持っていて、自分たちの精神性、霊性を表すために儀式を行うことが多い種族だった」ということですが、現在神と結びついているという意識を強く持っている日本人はどれくらいいるでしょうか?


今こそ、わたしたちは真の親を思い出すときです。
真の親を超えるために、必要なのです。
今までだれも教えてくれなかったわたしたちの両親を真に知りたければ、それはけっして不可能ではありません。
わたしたちの親についての多くのヒントが、地球の至る所に残されているからです。
あまたの「神々の伝説」や、数々の「オーパツ」と呼ばれる古代の品々。
それらが何らかの気づきを与えてくれます。
自分の魂のルーツを知る手がかりは、確かにあるのです。
 

男性優越思想はどこから来た? 

2010年11月24日 19:30



今回は、人類を創成したそれぞれの異星人たちが、良きにつけ悪しきにつけ、「地球人にもたらしたもの」についてお話ししたいと思います。


人はみな母の子宮から生まれ、お乳をもらい、慈愛のもとに育まれてきました。
女性のみが子どもを受胎することが可能であるという事実があるにもかかわらず、「男性優越の思想」が地球にはびこってしまい、未だにそこから抜けきれていないのは、どういうわけなのでしょうか?

もうあなたはお気づきのことでしょう。

それは、地球人の祖先となったアダムが、父なる神に似せて造られたという旧約聖書の記述によるのです。
聖書によれば、「全能の神」は父であって、母ではありませんね。
その父神が造った最初の人間アダムを「男性だった」としてしまったのが、その理由です。

旧約聖書には、神は「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」とアダムのあばら骨から女性なるものを造ったとあります。
このように、女性は男性を補助するものとして造られたと聖書は語っています。
男性の絶対的な優位と、女性の絶対的な従属は、ここからできあがったというのが、多くの学者たちの見解です。


★ 女神なくして人類の誕生はなかった ★



★最初男女両性具有だったアダムは生殖が不可能だったため、子宮を持つ女性が別に必要となったと、前回で述べましたね。

イヴはアダムのあばら骨からクローン技術を駆使して造られた肉親であり、本来対等な双子の兄妹だったのです。
けれども、その後そのような捉え方はされず、単なる夫婦とみなされてきました。  

また、アダムを創成する際、父なる神が単独で創造したように書かれていますが、男神のみで誕生させることは不可能だったのです。
実際のところ、アダムは女神の子宮を借りて、生み出されたのですから。

シュメールの円筒印章には、ニンマフ(生命の淑女)によって創られた人間の子の誕生の瞬間が描かれています。
これは、女性(女神)が大いに関与していたことがわかる証拠となる作品ですが、女性の子宮から生まれるのではなくして、いったいどのようにして人間を誕生させることができるのでしょうか。
旧約聖書ではその辺のことを一切削除してしまいましたが、女神の存在なくして人類の誕生はなかったのです。

旧約聖書に登場する「神」を示す名称「エロヒム」は、もともとは女性単数形エロ(Eloh)に男性複数形の語尾のイム(Im) をつけ加えたものらしいです。
女性名詞に男性複数形がつけられたエロヒムは、実際は男神と女神の両者を示唆することばだったのかもしれません。



★ 不平等をもたらした異星人たち ★



★旧約聖書が、女よりも男のほうが、母よりも父のほうが優秀だという概念を人間の頭に植えつけ、世界に父権制を確立させる原本となったことは確かでしょう。

男女差別だけではありません。
人種差別=選民意識を煽り、限られた種族だけが優秀だと思い込ませたのも、そこに書かれた神なる存在の影響が大です。

地球にはびこった「男女間の不平等」、「宗教間の不平等」、「人種間の不平等」をもたらしたその起源は「地球人類を創成した異星人にあった」と、はっきりとジャーメイン(リサ・ロイヤルがチャネリングする銀河系の歴史に詳しい存在)は断言しています。
そのことばは、これからその根拠を説明する上での強力な裏づけとなるものです。

前回の記事で「人が地球に生まれた理由」について述べましたが、「地球における人間型生命体の創造」に関与したのは、琴座系グループとシリウス系グループだったことを思い出してください。

地球人たちの「唯一神」でいたかった琴座系グループは、人間たちから見ると「父親的存在」で、何かと面倒見のよいシリウス系グループは母親的存在」だったことがわかります。
プレアデスグループも、どちらかといえば「母親的存在」だったと言えるでしょう。

それらのグループのあり方をよく観察していた人間たちは、時間が経つにつれて、彼らE・Tたちの構造を模倣するようになったのです。
つまり、家族の父親的存在が権威を持つようになり、母親的存在が子どもたちを保護するようになったということです。
家族間の不平等はこうして生まれ、人類の初期につくられたこのパターンが、今日まで連綿としてつづいているというわけです。 


★ E・Tを神と思い込んだ地球人 ★



天国が天空のかなたにある」という概念が生まれたのも、同時期ではないかと思われます。
当時の人間たちは、E・Tが宇宙船に乗って地上を離れ、天に昇っていくのを日常見ることができたようです。
旧約聖書の「エゼキエル書の第1章」に、宇宙船について詳細に記されている箇所があるので、興味のある人は読んでみてください。

エゼキエルの表現方法は象徴的ですが、まさしく宇宙船の様子が語られているのがわかります。
いつでも天空に上っていき、また天空から地上に降りてくるのを見ていた人間たちが、神々(E・T)が天に存在していると思うようになったのは当然のことかもしれません。

E・Tも実際は人間と同じ肉体と心を持った(彼らにも家族があり、愛憎があり、悲喜があった)存在に過ぎなかったのですが、自分たちとはかけ離れた存在だと畏れを感じた人間たちは、彼らがいつも去っていく天に向かって祈るようになっていたのです。
E・Tを神と思い込んだわけですね。

ジャーメインは、「当時のE・Tは、現在の地球の人間とさほど変わらない精神状態だったが、原始的な人間はそうは思わず、上に上がっていくものは何であれ平和的なものであり、理想的なものだと思い込んでしまったのだ」と語っています。
これは、宗教的に意図したことではなく、自然に生まれた誤解だったというのです。
その誤解は何千年もつづき、現在に至っているというわけなのです。

大きな誤解は、それだけではありませんでした。
人種間の不平等をもたらしたのも、琴座系グループに起因していると、ジャーメインは言っています。

当時、地球上にはシリウス星人やプレアデス星人など多くの神々がいました。
その中でもっとも高い神として見られていたのが、琴座星人だったというのです。
彼らは色が白く、髪や目の色が薄く、背が高い人種で、地球人種の白人とよく似ていたといわれています。

当時の人々は、そのような体型をしたE・Tをもっとも高い神と思っていたので、同時にその様相をした白人が、人間のなかで一番進歩していると思い込んでしまったというのです。(だから、地球上でもっとも優秀な人種は、白人となってしまったのだそうです)
あらゆる人種間の闘いは、この大きな誤解によるものだったのです。
人間は原初からほんとうに思い込みが激しかったようですね。


★子どものときから、わたしは旧約聖書に登場する「父神・エホバ」がどうしても好きになれませんでした。 
エホバはつぎのように言っています。

「あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。」

「あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものには、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。」

「あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないではおかないであろう。」
(出エジプト記 第20章 3~7)

「わたしは、すべての人を絶やそうと決心した。彼らは地を暴虐で満たしたから、私は彼らを地とともに滅ぼそう」 
(「創世記」第6章 13)


神がこのように嫉妬深いなんて、わたしには不思議でした。
自分の言うことを聞く者は可愛がるが、自分を憎む者や従わない者は罪深いとして排斥し、みな殺しでさえもする。
自己中心的で、性格が偏っていて、おとなげないその存在は、一体ナニサマのつもりなのだろう?
自分で人類をつくっておきながら、失敗だったからといって洪水で全滅させようとするなど、あまりにも愛がなく、理不尽だ…と。

彼(エホバ)は人類にとって唯一のカミサマのつもりだったのでしょうが、わたしは非常に納得がいかないものを感じていたのです。

このエホバについては、次回もう少し詳しく述べてみたいと思っています。(つづく)



解脱願望のブッダたち その1

2010年12月10日 15:00


前回は、この惑星での生活をつづけながら、自分の魂を発達進化させること。それがわたしたちの目的であるということをお話ししました。

ところが、人類のなかには、独自に何かをやっていくことに素晴らしさを見出せず、「この世の苦」から逃れたいという激しい切望から解脱を試みようとする人たちもいます。
紀元前に生まれたインドのゴータマ・シッダールタをはじめ、多くの魂たちが、この世からの解脱を切望して、修行に励んできました。
こういう人たちは、世間から離れ、ひとり深い山の奥で瞑想をしているだけです。
もちろん、それもOKです。

でも、そんなに「この世」が嫌ならば、生まれてこなくてもいいのにと、つい思ってしまいます。
この世界に生まれ出たのは、自分自身の願望だったはずなのになぁ…と。
なぜって、わたしたち自身が、「意識」と「意志」をもった大いなる宇宙エネルギーなのですから。

逆に、ひとりでは寂しいから、「他の断片たちとつながりたい」、「合一したい」と願う人たちもいます。
それは、実際に「命の根源」まで戻らなくても、この地上の人間関係を通じて達成することができます。
分離した個々の断片同士、すなわち人間同士の関係を通して、その合一は可能となるからです。

現に断片のひとつひとつが出会うと、「一体となりたい」、「合一の状態になりたい」という意識が自然に芽生えてくるようです。
それがこの世界に生まれてきたわたしたちの基本的な魂の欲求であるからです。


★ ブッダは無神論者? ★


ブッダはほんとうに霊魂の存在を否定したのか


ゴータマ・ブッダは、この地上に生まれたことや、生きていること自体が「」であるとし、インドの伝統的なバラモン思想が信じていた「アートマン」、つまり人間の内奥に存在する「死んだあとも永遠に残る本質」だとされる「霊魂の存在」を否定したといわれています。



ゴータマ・ブッダは、弟子のひとりのソーナにこんな質問をしています。

ブッダ  ソーナよ、なんじはいかに思うか? 
     色(物質)は常(変化なきもの)であろうか?
     無常(変化するもの)であろうか。

ソーナ  大徳よ、それは無常(変化するもの)であります。

ブッダ  もし、無常ならば、苦であろうか、楽であろうか。
     (変わるものは快くないものだろうか、それとも快いものだろうか?

ソーナ  大徳よ、それは苦であります。

ブッダ  もし、(肉体が)無常にして、苦であって、変わるものであるならば、
     それを観察して、これは我所(わがもの)である、
     これは我(われ)である、
     これは我体(わが本質)であると言えるだろうか。

ソーナ  大徳よ、それは否(NO)です。
    
    
     (「相応部経典、22、49、輪屢那」より)


★ブッダは、常に変化し、苦である「自分」というものを、これが「自分」で、これが「自分の本質」で、これが「永遠に不滅の魂」だというのは、おかしいと主張したのです。


へーっ、ソーナんだ! って、思われたでしょうか?
ソ-ナんです。

★「一切が無常である世界」においては、「自分」などというものは「ない」と言ったのです。
(ここの解釈が重要ですよ!) 

ブッダが「この世に一定不変のものは存在しない」と説いているため、以前からあったバラモン教の「魂の輪廻転生説」や「永遠の魂」、「神の存在」などを、徹底して否定した人だと思いこんでいる人はたくさんいます。
ブッダは無神論者」というふうに、学者さんたちは思いこんでしまったのです。

でも、実際はそうではなかったと、わたしは思います。
彼はもともとバラモン教を信じていたがゆえに、「輪廻転生の輪から脱出したい」と思い、修行に励んだのですから。

それに、彼は悪魔や善神、神の子たちと話をしています。
原始仏教の聖典のひとつ『サンユッタ・ニカーヤ』には、「詩句をともなった集」があり、その第一集には『神々とブッダとの対話』、『悪魔とブッダの対話』などが載せられていますから、興味のある人は読んでみてください。(岩波文庫から『ブッダ 神々との対話』『ブッダ 悪魔との対話』が出ていますよ)

仏教においては、ありとあらゆるものは、「因縁」、つまり「無数の因果関係によって形成される」と説き、宇宙創造主としての神(GOD)は認めていません。
しかし、人間よりも優れた存在として、天にも地にも至るところに多くの神々(gods)が存在することは、認めていたのです。
(神の言語はdevaで、本来「輝く」という意味の語源に由来するようです。
神を意味するギリシア語のtheos、ラテン語のdeusと語源的にも同一起源だといわれています)


★ 無常なきものを通して永遠なるものを見る ★



ここで、「バッカリ」という年老いた修行僧の話をしましょう。

バッカリは、自分が死ぬ前に一度ブッダに会いたいと願っていました。
ブッダが彼の臨終の床に見舞ったとき、彼は涙を流してこう言ったのです。

「尊いお方様、私はあなたにお目にかかりたいと長い間希望しておりました。
しかし、私はもうあなたにお目にかかりに行くだけの体力がありません。
ここに来てくださって、ほんとうに有り難い」

ブッダはつぎのように返しました。
「バッカリよ、もうそのようなことは言いなさるな。
やがては朽ちていく私のこの肉身を見たところで、何になるでしょう。
物事の理法(ダルマ)を見る人は、私を見ているのです。
また、私を見る人は、物事の理法を見ているのです」

★「無常なきものを通して、永遠なるものを見る」ということを、ブッダは言っているのです。
ここには、「肉体のブッダ」に依存するのではなく、永遠なる「法(宇宙の理)」を見極めることが最も重要であることが語られているのです。
法(宇宙の理)」によって自己を確立するとき、人は初めて真に依るべきものを見出すことができるのであると。


法句経の名で知られる「ダンマパダ=真理のことば」には、
つぎのようなブッダの句があります。

   
   自己のよりどころは自己のみである。
   自己のほかにいかなるよりどころがあろうか
   自己のよく調御せられたるとき
   人は得がたいよりどころを得るのである
   
  (「ダンマパダ」 第12章 160より)



★「自分」などというものは「ない」と言いながら、ここでは、その「自分」のよりどころは「自分」しかないと言っていますね。

我思う。ゆえに我あり」とは、デカルトのことばですが、
「我」の目があるからこそ、目の前の風景を美しいと感じ、
「我」の口があるからこそ、目の前の食べ物をおいしいと感じ、
「我」の耳があるからこそ、風にゆれる木の葉の音にここちよさを感じるのですから、
「我」がなければ、すべてが「ない」に等しいということになってしまいますね。



★ 輪廻転生している存在はだれ? ★



以前に「色即是空・空即是色」の話をしました。
自分という存在」は、不可視の何にでもなりうる「」から生まれ来たものです。
「宇宙エネルギー」のひとつの表現体としての「自分」となって、この世界に現れたということですね。

しかし、自分の肉体は「無常」で、いつかは朽ちていき、消滅します。
このような「無常なるもの」は「主体」ではありません。

でも、「意識」は、肉体を離れても存在します。
この「意識」を「霊魂」と同義とするなら、これらを「主体」と言ってもよいのではないでしょうか。 「主体」は連綿として生きつづけます。
もしこの「主体」さえ「ない」と言うのであれば、いったい「だれ」が、いったい「何」が、輪廻転生しているというのでしょうか? 


霊魂の存在に対して「無記」としたため、ブッダはそれを否定したことになっていますが、彼は「有る」とも「無い」とも言っていないのです。
むしろ、有ることを表現している句が、けっこうあります。
ただ、言うと「ややこしい」ことになるから、言わなかっただけです。


★ ブッダはどこへ行った? ★



ブッダが真に解脱して、浄土に入ったかどうかはわかりません。
なにしろ西方浄土というところは、多々ある宇宙の外側にある世界だという人もいるからです。

前回ご紹介した山下弘道氏によると、「浄土とは宇宙を入れることのできる空間―容れ物としての空間で、その空間は24次元」なのだそうです。
わたしには、ブッダがそんなところにまで行ったとは思えないのですが…。

ゴ―タマ・ブッダは、くやしかったのではないでしょうか?
たとえ「輪廻転生」という枠組みから外れられたとしても、〈大宇宙の意識&意志エネルギー〉が生んだ「マトリックス」からは、逃れることができないからです。
いくら「悟った人」であっても、それは「宇宙の法則」に気づいただけのことであって、結局のところは宇宙創造者の被造物にしかすぎないからです。

孫悟空がきんとん雲に乗って、得意げに飛び回っていても、所詮はお釈迦さまの立てた一本の指のまわりをまわっていたというようなものです。

大宇宙の意識&意志エネルギー〉の前では、お釈迦さまも孫悟空と、さほど変わらないということです。
そんなことを言ったら、「罰当たりめ!」なんて、お釈迦さまに叱られるでしょうか? 

わたしたちの生の目的は両極を学び、体験し、統合すること 

2011年05月07日 10:45


★ わたしたちはなぜ両極を体験しているのか? ★ 



同じブログの内容を読んで、それを肯定的にとる人と否定的にとる人がいますね。
また、同じ人であっても、その日の気分で肯定的に感じたり、否定的に感じたりします。
内容がどうであろうと、読み手の意識状態によって異なってくるのです。
ですから、相手の受け取り方で、その人の中心軸がどこにあるかがわかります。

わたしたちは、なぜポジティブ(肯定的)とネガティブ(否定的)というふたつの極、すなわちポラリティ(ふたつの対立した特性または傾向の関係)を体験しているのでしょうか? 
今回はそのことについてお話ししたいと思います。



★まずポラリティをつくった張本人は、だれでしょうか?
このブログを初めから読んでこられた人ならもうお解りですね。

そうです。宇宙の創造主です。
宇宙の創造主というのは、あらゆる意識が統合された存在です。
すべてを知っている統一された状態です。
形にたとえてみれば、まんまるの円ですね。
この統一された存在が、「分裂(分離)してみたらどうなるだろう?」と思い、実際に分裂し、分離を試みた結果、この物理的な宇宙が生まれたわけですね。


銀河系宇宙
           わたしたちの銀河系

欧州宇宙機関(European Space Agency、ESA)が公開した宇宙望遠鏡「プランク(Planck)」の銀河系全天画像

(ESA http://www.esa.int/esaCP/SEMF2FRZ5BG_index_1.html )


創造主は、物理的な現実に入ったとき(分裂したとき)に、どんなふうにしたいかという青写真とテンプレート(型)をつくりました。
つまり、分裂したことによって経験される現実の枠組みをつくったわけですね。
それが肯定的と否定的、あるいはプラスとマイナスというような「対立した特性」だったのです。
(過去記事「宇宙創造主のもくろみ その1」参照)

この「肯定的」というのが必ずしも「よい」とか「望ましい」という意味ではありませんし、「否定的」というのが必ずしも「悪い」とか「望ましくない」という意味ではありません。
電池のプラスとマイナス、あるいは男性(オス)と女姓(メス)と同様、どちらが良いとか悪いとかは基本的にはないということです。
それは、それぞれの特性を表わしているのにすぎないからです。

ここで、創造主はあることを意図しました。
それは、「分裂した現実」にいると、とても「速い成長を遂げられる」ということです。
わたしたちのように両極化した領域で生きている者たちが、もとの統一した状態(根源)に戻ろうとするとき、非常に大きなチャレンジを経験しますが、チャレンジすることがとても大きな成長を生み出すのだということです。

創造主は、分裂したものが再び統合(統一)していくときに、さらなる成長を遂げられるようにと、こっそり仕組んでおいたということですね。
わたしたちは分裂した物理次元の現実で、それを学び、体験している最中であるのです。




★ オリオン文明に起きた葛藤のドラマ ★



わたしたちの銀河系宇宙の中には、肯定的なポラリティを選んでいる文明も、否定的なポラリティを選んでいる文明もあります。
遠い過去のオリオン星座は、その両極の葛藤を嫌というほど経験した文明でした。

過去のオリオンには非常に専制的で支配的な帝国が存在していた歴史があり、そこには「支配する者」と「支配される者」との二極の構図が見られました。

支配する側は、自分たちのために従属する者たちが必要であったし、従属する者たちは自分たちが存在するために支配者が必要だったのです。
お互いに依存し合っていて、見かけは調和がとれているようでしたが、実際は最悪の状態でした。

帝国側は、「自分自身を存続させること」や「自分たちの存在自体が拡大していくこと」を望んでいました。「自らの成長は、他者を支配することによって適う」と信じていたのです。
しかし、これは外側に拡大していく考え方ではなく、内側に凝縮していく考え方でした。
従属する民たちの価値や重要性を否定し、自分へのサービスのみを重視した実に利己的な考えだったのです。
こういう人たちを「自己奉仕者」と呼んでもよいでしょう。

もう一方の従属的な人たちは、自分へのサービスは一切考えず、他者へのサービスを重視する考え方を信奉していました。彼らは自分の意志をもつことさえ自分自身に許してはいなかったのです。
この他者への奉仕は、自分自身を犠牲にして行なわれていたものだったのです。
まさに暴君(コントロールする側)と犠牲者(コントロールされる側)の構図ですね。

自分たちを犠牲にして帝国に奉仕していた彼らの心のなかに、果たして怒りや復讐心、憎悪や非難がなかったかというと、それは大いに疑問です。
結局、従属的な人たちのなかで、この関係が不健全だと気づいた人たちが「自由と解放」を求めて帝国に闘いを挑んだのです。
この二つの葛藤、闘いは何千年もつづいたと伝えられています。

オリオンの人々は、「支配者(迫害者)側」と「従属者(被害者)側」の役割を、転生するごとに交代し、そのゲームを何度も繰り返してきたのでしょう。
くたくたになるまで、嫌というほど綱引きゲームをやってきたということですね。
そうやって、お互いにお互いを理解し、愛せるようになるまで成長していったのではないかと思います。

その後、オリオンに奇跡をもたらす魂が現れます。
この存在は「否定的な行動を通して肯定的な状況を生み出すことはできない」ことを人々に知らせたのです。
真に自由と平和を求めるなら、「闘う」という行為自体を捨てなければいけないということですね。
帝国に闘いを挑むことそのものが、憎悪を生みだし、平和の実現を遠のかせていたことに人々は気づいたのです。

オリオン文明がたどった歴史については、ポラリティのもっとも顕著な例として、よくジャーメイン(リサ・ロイヤル氏がチャネリングする)によって語られている内容なので、ご存じの方も多くおられたかと思います。


オリオン星座 オリオン星座


★かつてのオリオン人は、新たなドラマの舞台として地球を選び、そこに多く生まれるようになりました。
地球に生じている二極間の葛藤の多くは、オリオン文明からもたらされたものです。

妙にオリオン星座が好きだったり、気になる人は、かつての故郷かもしれません。

わたしは今生で、オリオンから来た魂ともよく出会いますし、身近にもいます。
過去のオリオンはすでに変容を遂げ、今は平和な領域となっているようですが、まだまだその頃のネガティブな思考が染みついているようにも思えます。
自己中心的(自己奉仕型)で支配的な(他者を苦しめる)人に限って、オリオンからやってきた魂が非常に多いからです。
そういう人たちは転生後、犠牲者としての苦難を体験し、他者を思いやる心を学んでいくこととなります。
地球に来て、過去のカルマを開放するために努力している人も、すっかり忘れてしまって同じ過ちを繰り返している人もいるようですが、クセ(魂の傾向)というのは、なかなか変えられないようですね。


★ ポジティブを選んだ種族に起こった災い ★



銀河系には、ポジティブ系異星人が存在する領域とネガティブ系異星人が存在する領域があります。
たとえば、肯定的なことだけを選ぶことにした種族にプレアデスの人たちがいます。

プレアデスというのは、またの名をスバルともいい、冬の空におうし座の首のあたりで淡い光を放っている6~7個の星団ですね。
そこには地球人類の姿とほとんど変わらない人間型生命体が住んでいます。
彼らは地球人創造の際に関わっていた異星人でした。
(詳細は過去記事「宇宙創造主のもくろみ 人類を創成した神の正体」に記載)

これからお話しするのは、今から20年ほど前にリサ・ロイヤルさんがチャネリングされた内容で、わたしの記憶のなかに久しくしまわれていたプレアデスについての大切な情報です。


プレアデス星団 プレアデス星団


★過去のプレアデス人たちはネガティブ指向から逃避する傾向にあったようです。
常に否定性に直面するのを避け、直面せざるをえなくなると、その領域から逃げるというパターンをつづけていました。

彼らは自分の中にも当然あるはずの否定的な部分、自分が嫌悪する悪の部分を見つめようとはせず、それが自分の心の中にあることを、ずっと否定しつづけてきたのです。
否定的なもの、嫌な部分、悪の部分は、内側ではなく、外側にばかり見いだそうとしてきたわけです。


プレアデス文明が数千年の間発展した後、彼らはとても不快な症状を感じ始めたといいます。
不思議な伝染病が蔓延(まんえん)しはじめたのです。
この伝染病は免疫機能に影響を与える恐ろしい(エイズのような)病気でした。
医師たちが研究しても治す方法が見つけられず、人々は生命を維持するための力がなくなり、次々と死んでいく一方でした。

どの宇宙種族であっても、医師というのは人の心の中を診るのではなく、いつも心の外側ばかりを診て解決策を見いだそうとする存在のようです。
それで、もうお手上げ状態となり、最後に「精神的な治療が必要だ」という結論に至りました。
そこで彼らは精神を癒す人たち(シャーマン的存在)に助けを求めました。
そして、シャーマン的存在たちはなぜそんな伝染病が起こったのかを彼らに教えたのでした。

伝染病の原因は、いったい何だったと思いますか?

プレアデス人が、自分の内面にある否定性をあまりにも長い間拒否、あるいは抑圧してきたというのが、その理由です。
それが積もり積もって肉体に症状となって表れたのです。

つまり「自分の内側に宿っている暗黒、悪の部分に向き合い、ちゃんとそれらを認めれば治りますよ」ということだったのです。
それで、プレアデスの人たちは自分の内面を見つめ、心の中を点検するという作業を各自やり始めました。
自分たちの心の中にあるネガティブな部分に勇気を持って直面しようとしたわけですね。

病気はすぐには治りませんでした。
しかし、彼らが真剣に自分の中の問題に気づいて、「ポジティブな面」と「ネガティブな面」を統合し始めると、だんだんと病気はよくなってきて、病気になる人が減少してきたのです。そして、やがて伝染病にかかる人はいなくなってしまいました。

この現象でプレアデス人たちが学んだことが何だったのか、あなたにはもうお解りですね。
常に自分の心の中にある〈暗黒〉の部分と〈光〉の部分、すなわち内面の〈陰と陽のバランスをとる〉ということです。


★ プレアデスの教訓を生かそう ★



★地球の人たちも、やはり明るいポジティブな面にばかり意識を集中して、暗いネガティブな面を見ないようにするという傾向がありますね。
「臭いものにはふたをしろ」という感じです。
それをやりすぎてしまうと、プレアデス人が体験したような恐い病気にかかる可能性が大だということです。
何かから逃げていても、いつかは必ず直面しなければならないということを、彼らから学ぶことができます。

地球人はこのプレアデス人の教訓を心に留め、「自分の〈影〉の部分をしっかりと認める作業が必要」だということを、今ここで声を大にしてお伝えしておきたいと思います。

ネガティブな要素が存在するにもかかわらず、それを抑圧して出さないようにしているのでは、真のポジティブ指向ではありませんね。
ポジティブ指向でプラス思考ばかりする人が、必ずしも優れているとはいえないということが、これでよくお解りになることと思います。

根っから性格が明るい「ネアカ」さんも、根っから性格が暗い「ネクラ」さんも、一通り経験することは大切です。
ネガティブを知ってこそ、ポジティブが生かされるのです。

あなたがもしだれかを陥れるような悪いことをして死んだとしましょう。
そして、その後転生して、あなたがだれかに陥れられるような悪いことをされたとしましょう。
それはあなたが過去生でおこなったことに対して、宇宙がそれに応じたものを返しただけのことなのです。
播いた種は必ず刈り取る」という〈ルール〉に基づいて現れた結果です。
それは悪いことをしたことへの罰というよりは、あなたに「気づきをもたらすチャンス」として与えられたと考えたほうがよいでしょう。
偏りに対して、バランスがとられるということです。

生まれてから死ぬまで一貫して善人や悪人だという人はいないはずです。
みんな善いことをしたり、悪いことをしたりします。
一生涯の内に、それらを交互に繰り返しているのです。
両方体験した人でなければ、きっと「悟り」を得ることはできないでしょう。


わたしたちは光なくしても存在できないし、闇なくしても存在できません。
光は闇とともにあり、闇は光とともにあります。
光が強ければ、そこにできる影はさらに濃く深くなり、弱ければ薄くなります。
光と影の綾なす世界はこの上なく美しく、それはみごとに調和しています。
分離しているように見えても、それらは同じ創造主からきた特性です。 

わたしたちは肯定的なほうにフォーカスすることを選ぶこともできます。
また、否定的なほうにフォーカスすることを選ぶこともできます。
そして、両方の統合に向かって取り組んでいくことを選ぶこともできます。
選択はどれでも自由です。
ただし、ここで大切なことを皆さんにお伝えしておきましょう。


肯定的な傾向か、否定的な傾向か、どちらかだけを見ていけばよいという観念は〈幻想〉だということです。
なぜなら、〈幻想〉を作りだした張本人は創造主であり、この存在以外はすべて〈幻想の産物〉だからです。わかりますか?


純粋な陰極点があり、純粋な陽極点があるとしたら、それらがをお互いへと向かう統合点があります。

陰 → 統合点 ← 陽

銀河系に花開いたさまざまな文明は、究極的にはこの統合点を目指して成長していくのです。
地球も同様です。
ふたつのポラリティの統合を目指すこと。
それが、創造主の元へ戻る道なのです。





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