自分の死に気づいているゴーストのお話

2010年08月27日 13:30


★ 自分の死に気づいているゴーストのお話 ★



あなたは、肉体の死を迎えても行くべきところに行かずに、「この世」にとどまっているゴーストたちと遭遇したことがありますか? 
このゴーストたちは、果たして自分の死に気づいているのでしょうか? 

自分の死に気づいているゴースト」であれば、「救ってほしい」とか、何か思惑があってわざと姿を見せているということがあるかもしれません。

しかし、「自分の死に気づいていないゴースト」となると、まだ「この世」にとどまって、これまで通りの生活をつづけている状態であるわけです。

また、自分の死に気づいていて、わざと人間に憑依して影響を与えたり、コントロールしたりという「厄介(やっかい)なゴースト」も存在します。


ここでは、ゴーストを見たことがない人にイメージをしていただくために、1990年のアメリカ映画「ゴースト ニューヨークの幻」を例としてお話ししたいと思います。


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★ 「ゴースト ニューヨークの幻」に登場するゴースト ★
 



この映画はコメディとオカルト、そしてロマンスがほどよくミックスされていて、なかなか興味深い見どころがあります。
ある秘密を探っていて殺されてしまった銀行員サム・ウィートが、ゴーストとなって恋人のモリ―を必死で守ろうとする物語で、挿入歌のライチャス・ブラザーズの「アンチェインド・メロディ」が情感にあふれ、とてもステキです。

サムは、モリ―と観劇した帰宅途中に暴漢に襲われます。
もみあいになって暴漢のピストルが発射されたあと、サムは逃げる暴漢を追いかけます。
そして、あきらめて戻ろうとしたとき、サムは不思議な光景を目の当たりにするのです。
モリ―が血だらけになった自分を抱えて泣いて叫んでいたからです。

そのとき、天上から光が降りてきます。
それを見て、サムは自分が死んだことを知るのです。

彼は自分の体が救急車で運ばれ、病院で死亡が確認されたことや、自分のお葬式のようすをすべて見ていました。
サムは自分の死に気づいているゴースト」となったのです。
(★人によっては、他の場所にいて、自分の葬式を一切見ていないし、知らない人もいます)

その後、彼はモリ―のアパートで彼女と一緒にいましたが、彼女にはサムが見えません。
いくら話しかけても、モリ―には何も聞こえないのです。
(★基本的に霊体が直接人間に話しかけても、人間のほうでは感知できないのが普通です。そのことがこの映画でよくわかります)

ある日、アパートを訪ねてきたサムの同僚のカールが、モリ―を散歩に誘います。
その隙にアパートに侵入した男を見て、サムは驚くのです。男は自分を襲った暴漢だったからです。
サムは男に殴りかかりますが、空振りばかりです。
ゴーストになりたてのサムは、なかなか思うように相手に影響を与えることができません。
ドアノブにも触れることができず、ドアをつき抜けることもままなりません。
(★肉体がないことに気づいているサムでさえ、物質を通り抜けることには勇気がいるのです。よって、死んだことに気づいていないゴーストの場合は、ドア抜けができることなど思いもしませんから、人が開けたときに一緒に入ることしかできないのです)

サムはモリ―が帰ってきても危険を知らせることができず、結局彼女が飼っている猫をけしかけて男を追いだし、そのあとを追います。
(★猫は、完璧にゴーストのサムが見えています)

アパートを出たサムは、「霊媒師の看板」を見つけてなかへ入ります。
ウーピー・ゴールドバーグが扮する霊媒師オダ・メイ・ブラウンが、客に何やらインチキくさい応対をしているのを見て、サムはあきれます。
でも、彼が声を出すと彼女は反応したのです。
「これはいける!」そう思ったサムは、オダ・メイを説得し、モリ―に会わせます。
でも、モリ―は、サムのゴーストが自分の近くにいることを信じようとはしません。
オダ・メイはサムとモリ―だけの秘密の事柄をいろいろ話してみるのですが、モリ―はまだ半信半疑です。
(★「自分の目に見えないものは信じない」というモリ―は、ごく一般的な女性ですね)

サムはカールのあとをつけて、すべての真相を知ります。
銀行で不正を働いていたカールはサムに知られたと思い、暴漢の男と組んでサムを殺したのです。
サムはいつも地下鉄にいるゴーストのところへ行き、物体に触り、動かす方法を教えてもらいます。
繰り返し練習をして、ようやくサムは物を自分の思いで動かすことをマスターするのです。
「念力で物を動かすんだ。ただ、集中あるのみだ」と先輩のゴーストは言います。
(★これは、物質的な身体がなくても、「思念だけで物を動かすことができる」ということを証明している箇所ですね)

サムはオダ・メイに頼み、銀行でカールの架空口座から400万ドルを引き出させます。
そして、そのお金をそっくりそのまま慈善団体に寄付させるのですが、金銭に執着があるオダ・メイはなかなか400万ドルの小切手をシスターに手渡すことができません。
(★「天国よりもお金がいい」というオダ・メイの葛藤シーンがじつにおもしろいですね)

口座からすべて引き出されているのを知ったカールは、暴漢の男とともに金を取り返そうと、オダ・メイのアパートに行き、彼女をさがします。
サムはすでに物体を動かすことができるし、ドアも抜けられるし、パンチも食わせられる力強い存在となっており、ゴーストだからこそできる特権を利用します。
恐怖を感じた暴漢の男はひたすら逃げ、車道に飛び出して車に挟まれて死に、暗黒の輩に連れ去られます。

危険が迫っていることをアパートにいるモリ―に知らせにいくサムとオダ・メイ。
しかし、モリ―はやはり信じられないのです。
そこで、サムは床上のコインを目に見えない指で押し上げ、「お守りだ」と言ってモリ―に差し出します。
コインは宙を浮き、モリ―のてのひらへと移動します。
コインを受け取ったモリ―は、ようやくサムが自分の眼前にいることを信じ、涙を流すのです。

そこへカールがやってきます。
逃げるオダ・メイとモリ―を追い詰めるカール。
最終的には、見えないサムに追い詰められ、自分が投げつけたワイヤーでガラスを割り、それが胸に突き刺さって死亡します。

自分の肉体からすぐに幽体離脱したカールは、ようやくサムの存在に気づき、驚くのです。
まもなく暗黒からいくつもの手が伸びてきて、一瞬のうちに悪霊たちがカールを連れ去っていきます。
(★このあたりは、悪の結末をうまく表現していて、見ているほうも納得ができますネ)

「無事かい?」サムの声が*モリ―にも聞こえます。
(★ゴーストのサムの存在を信じたからこそ、モリ―は彼の声を聞くことができたのです)

やがて、サムのところに天から光がふり注いできます。
彼はふたりに別れを告げ、やがて光のなかへと消えていきます。
(★最後には、モリ―にも彼の姿が見えたようです。信じることは見ること……これですね。モリーはようやくサムの愛に守られていたこと、彼の魂の存在を信じることができたのです)



ハート
★この作品では、「自分の死をしっかりと知った者」が、
どうやって自分の存在を相手にわからせるか」ということを
一生懸命試みているようすが描かれていたように思います。
 
サムのようなゴーストは、「愛する者を守る」という役目を果たしたあとは、
行くべきところにちゃんと帰っていきます。
全然問題がないステキなゴーストです。

ところが、実際は「自分の死に気づいていないゴースト」のほうが断然多いのです。
未だに数千年前の恰好をしたままで「この世」で生活している人たちがいるのです。
霊視者たちはこういう人たちを数多目撃しています。

次回はこの「自分の死に気づいていないゴースト」についてお話ししたいと思います。




自分の死に気づいていないゴーストのお話

2010年08月28日 10:00


★ 自分の死に気づいていないゴーストのお話 ★



昨日は映画「ゴースト ニューヨークの幻」を通して「自分の死に気づいているゴースト」をご紹介しました。
今日は「自分の死に気づいていないゴースト」についてお話ししたいと思います。

シックス・センス」というホラー映画がありましたね。1999年のアメリカの作品です。

「この映画にはある秘密があります。まだ映画を見ていない人には、決して話さないでください」というブルース・ウィリスの前置きがあって、「まだ見ていない人にはどうかな?」と思うのですが、もう10年以上経っているので、この際種明かしをさせてもらいたいと思います。

自分の死に気づいていない小児精神科医マルコムが、死者を見ることができる少年コールとの交流によって、最後は自分の死の真実を知るというストーリーです。 



★ 映画「シックス・センス」に登場したゴースト ★ 



実際に死んでも「意識がある」し、〈肉体=食物鞘〉とそっくりな〈生気鞘〉というエネルギー体が存在しているので、マルコム本人は死んだという感覚がありません。
ところが、自分がここにいるのに、なぜか妻は自分を見てくれないし、全く気づいてくれません。それどころか、別の男と仲良くしている始末。それを見て、彼はひどく腹を立てます。

他人には決して言えない秘密をもっていて、悩んでいる少年コールは、すでに霊となった小児精神科医マルコムと親しくなり、やがて自分の秘密を打ち明けます。
「ぼくの秘密を聞いてくれる? 死んだ人が見えるんだ」
マルコムは最初この少年を幻覚症状のある精神病扱いにしてしまいます。


世間には、自分には見えないものが見えたり、感じないものが感じたりするという人に対して、「おかしい」とか、「精神病院へ行ったらどう?」といった暴言を吐く思い込みの激しい輩がいることは確かです。
不可視の存在に対して感知能力がない自分を正常だと思って判断しているのですから、世の中のあらゆることがまちがって捉えられてしまっているのも無理はありません。
マルコムも、ここでは無知ゆえの判断をしてしまいます。



少年はマルコムに死霊たちのことを語ります。
「あの人たちは死んだとは思っていない」
「よく出てくるかい?」とマルコムが訊くと、
「しょっちゅうだ」「どこにでもいる」「あれがいると寒気がする」
と少年は答えるのです。


少年には至るところに死霊が見えるのですが、マルコムにはまったく見えません。
自分が死んでいるのなら、同じ死者の霊が見えるのではないかと思われるでしょうが、そうではないのです。
マルコムが生前「死んだらどうなるか」ということや「死後の世界」をまるで知らなかった人だということが、これでわかりますね。
つまり、自分の思いが現実を創っているために、死んだのちも、彼には死者の存在が見えず、自分の見たいものだけが見えている状態だということです。
彼は少年がいつも自分と普通に話してくれているために、周囲に対して全然違和感をもっていなかったのです。
しかし、ある日、彼は眠っている妻のつぶやきを聞きます。



「マルコム、なぜわたしを置き去りに……」
「ぼくはここにいる」
マルコムがそう言ったとき、妻の近くから指輪が転げ落ちます。
妻の指には指輪がはめられていました。
彼は自分の指を見て驚きます。
その指に結婚指輪がはめられていなかったからです。
床に落ちたのは、マルコム自身の結婚指輪だったのです。

驚愕のなかでマルコムはすべてを理解します。
死の直前を思い出し、ようやく「自分の死」を悟ったのです。


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この「シックス・センス」は「自分の死に気づいていないゴースト」をうまく表現した作品であると思います。

種は明かしましたが、「自分の死に気づいていないゴースト」に視点を合わせて見ると、また面白い発見があると思いますので、ぜひご覧いただきたいと思います。

ふたつの映画に登場する「ゴースト」についてお話ししましたが、あなたはどのような感想をお持ちになったでしょうか? 
次回は「偉大なるゴースト」をご紹介しましょう。



死後姿をあらわした聖者たちとアセンションのお話

2010年08月29日 13:30


死後姿をあらわした聖者たちとアセンションのお話



あなたは、「死後、人前に自分の姿をあらわした偉大なる聖者たち」をご存知でしょうか?

イエス・キリストは死んだあと、「自分の肉体の姿を弟子たちの前に現わした」と聖書には記されています。
人間は死によって消滅はしない」ということを、実証して見せたのです。

ここで、聖書をあまり知らない人のために、イエスがなぜ十字架にかけられて処刑されたのかをお話ししておきたいと思います。


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「ユダヤ教保守派」の司祭たちは、当時「ユダヤ教の革命家」であったイエスが、自分をキリスト(救世主=ユダヤの王)だと言ったことに対して、まったく気に入らず、腹を立てていました。
しかし、同じユダヤ人を殺すことはできないという掟があるので、なんだかんだと言いがかりをつけて、イエスを「ローマ帝国」の手によって処刑されるように仕向けたのです。

結局イエスは不届き者として、ふたりの犯罪者たちとともに十字架につけられました。
そのときにイエスが残したとされる有名なことばがあります。

聖書に書かれた「イエスのことば」の解釈というのは、人それぞれです。
神父や牧師と呼ばれる人の解釈もさまざまでしょう。

わたしはクリスチャンではありませんが、「イエスのことばの意味」について、たまに考えることがあります。
明瞭で簡潔な上、非常に奥深いものがあるからです。
ここでその「イエスが残したことば」について考察してみたいと思います。
それは、つぎのことばです。

父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです


さて、これはどういう意味なのでしょうか? 
イエスのように尊い存在を十字架につけて、亡き者にしようとしている愚かな者たちをあわれみ、その悪行さえ許してくださいと言っているイエスの寛大さに感激する人もいるでしょう。

イエスのような意識をクリスチャンが皆持っていたなら、そして、このイエスのことばに従順に従っていたなら、戦争なんかは絶対しないはずなのですが……。

きっとキリストの信者と名乗る人たちが戦いつづけているのを見て、イエスは心からこう言ったことでしょう。
父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」と。

この「彼らは何をしているのか、わからずにいる」というのは、
「イエスを十字架につけた人たち」に対してだけでなく、
気に入らない他者をこの世から消そうともくろむ全世界の人たちに向けて発せられたことばであると、わたしには思えます。



★ イエスの生命は永遠 ★



★イエスを亡き者にしようとしても、彼が死ぬことはけっしてありません。
なぜなら、「イエスの生命は永遠」だからです。
彼らは全く不可能なことをしようとしていたのです。


ですから、イエスはこんなふうに言ったのではないかと思われます。

★「父よ、この愚かな者たちは、わたしを殺しても死なないということを夢にも思っていないのです。肉体を殺しても、わたし自身はけっして消滅しないということを知らないのです。
父よ、このように、わけもわからずにわたしを殺そうとしている愚かな者たちをどうかおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」



★もちろん殺しても死なないのは、イエスばかりではありませんね。
どの人も皆同様です。
いくら肉体を殺しても、その人自身(意識)は生き残り、決して死ぬことはありません。
姿かたちがなくなったとしても、その人の本質が消滅することはないのです。

「肉体」が消滅しても「意識」が消滅することはないのですから、本人がそうしようと意識すれば、物質化して姿を現すこともできるし、写真にも写ることができるのです。


この復活物語は創作だと言う人たちがいるかもしれません。
しかし、イエスが「復活」したとしても、まったく不思議はないのです。
物質化現象とは、幽霊現象のこと」なのですから。

★物質化現象は、イエスでなくても、してみせた人はいます。
パラマハンサ・ヨガナンダは、彼の先生だったスリ・ユクテスワ復活を「実際にこの目で見、このからだで体験した」と記していますし、
ラヒリ・マハサヤも、*マハサマディーの翌日肉体をもって復活した」とあります。

(*完成したヨギがこの地上を去るとき、意識を保持したまま肉体を捨てて神の霊の中に融合する最後の瞑想をマハ(偉大な)サマディーといいます) 

このような人々は肉体を捨てて「あの世」へ行っていますが、肉体をそのまま持っていく人もいます。
いわゆるアセンションですね。



ハート
アセンションは、
自分の肉体を自分自身(霊)と一緒に持っていくこと。
自分の全存在を別の次元に持っていくということです。
ですから、アセンションした人間に「肉体の死」はありません。


アセンションしたマスターは
思考を使って身体の分子構造の振動数を
光の世界と同じ振動数に上昇させたり、
物質世界と同じ振動数に下降させたりして、
意のままに行き来することができるのです。
そうなれば、もうどこへも(どの次元でも)自由自在に現れることができ、
自分を生んでくれる母の子宮を探す必要はなくなくなります。
つまり、輪廻転生する必要はなくなったということなのです。
 
過去から現在に至るまで、
そんなふうに自由自在になりたい人たちは、
アセンションしたマスターたちにあやかって、
さまざまな修行を試みてきたわけですね。

あなたはいかがでしょうか?
肉体をもったまま、アセンションがしたいでしょうか?
 



「肉体」が死んでも、永遠に「あなた」は死なない―自殺することの無意味さ

2010年08月31日 07:00


「肉体」が死んでも、永遠に「あなた」は死なない
     ~自殺することの無意味さ




「肉体」は消滅しても、「あなた=意識」が消滅することはない
」ということを先日お伝えしました。
その人の残留思念というものは、何世紀も何十世紀も残るのです。
このことから、楽になりたくて自殺をしたとしても、まったく意味がないことがわかりますね。

肉体がなくなっただけで意識そのものは残るわけですから、その人の意識を変えない限りは、永遠に楽にはなれません。
むしろ自分にとって有害なだけです。


すでに死んでいるにもかかわらず、何度も自殺を試みている哀れな死霊もいるようですが、「シックス・センス」に登場した精神科医のように、自分の肉体がなくなったことに少しも気づいていない人たちは大勢います。

たとえばガンで死んだ人が、肉体の死の自覚がないままでガンの苦しみを持ちつづけていると、肉体はすでにないのに〈微細身〉に想念でガンを創りだし、生前のように苦しんでいる場合があります。

肉体の死の自覚」をしないかぎり、自分の想念が創った世界に閉じこもったままで、そこから抜け出すことはできないのです。

そして、ガンで死んだ人が家族の近くにいると、家族の人に同様のガンの症状が生じ、家族が苦しむことになる場合も少なくありません。
自覚がないと、他者に害を及ぼすことにもなるのです。

意識的に死んだ人」は、自分の行くべきところに行きますが、突発的な事故などで「意識のうちに死んでしまった人」は、自分の肉体の死に気づかないまま、ゴーストとなって「この世」に浮遊することになります。
本人たちは相変わらずこれまで通りの生活をしていると思っていますが……。


このように、「肉体の死の自覚」が持てない人は、持てるようになるまで、何年、何十年、何百年と、自縛霊として留まりつづけることになるのです。



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ひかり


父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです

前回お伝えしたこのイエスが残されたことばは、真実を知らない人へのメッセージとして、大変貴重です。

肉体(食物鞘)を失くした意識は、〈生気鞘〉をまとってゴーストや精霊として生き残ります。
氷が水になり、水が気体へと変容するように、人間という生命体は、形態を変えて生きつづけるのです。
そして、意識が高次になればなるほど、より軽く精妙な身体へと変化していくのです。




「死ぬ前の意識レベル」が「あの世」の行き先を決める

2010年09月03日 09:30



―生まれ出る嬰児が先天的に備えているアストラル体とメンタル体は、その嬰児の前生が終わった時のアストラル体とメンタル体のそっくりそのままである―

神智学大要』のどこかに、このように記されていたのをわたしは記憶しています。

前回お伝えした次女の「赤あざの例のように、わたしたちは死んだときと同じ状態で生まれてくる ということが、このことからもわかります。

ここで知らなければならないことは、誕生の際にわたしたちが自らできることは何もないということです。
ただし、「赤あざ」のような過去生の意味ある印の場合は、その印をつけて生まれるか、つけないで生まれるかを自ら選択することができるようです。
次女の場合は、過去生を思い起こすために役立つと考えての結果だと語っています。


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「死ぬ前の意識レベル」が「あの世」の行き先を決める



★大切なのは、死ぬ前です。

その人の「人生の終わりの部分」が、「つぎの生での最初の自分になる」ということですから、死の直前の様相が、いかにその後に影響するかということを念頭に置いておくことが大切でしょう。

人が肉体の死を迎えたとき、つぎにどこへ行くかは、その人の態度がいかなるものかによって決まると言われています。
だれかがあなたのために選んでくれるのではありません。
手助けしてくれる存在は現れるかもしれませんが、行き場所はすべて自分で選ぶのです。
それは、死ぬときのその人のものの考え方、意識レベルによります。 

また、死ぬときにしっかりと意識をもちつづけ、守護のガイドの声に耳を傾けることや、静かな落ち着いた心の状態で臨むことが必要不可欠となります。



しかし、これはとても難しいことです。
わたしたちは眠るときでさえ、意識を失っています。
「今、眠りに入ったゾ」、「今、幽体離脱したゾ」と自覚しながら「夢の世界」に行く人はなかなかいないでしょう。

映画「シックス・センス」に登場する精神科医のように、一般の人たちは死を迎えたあと無意識状態となるために、自分が肉体のない霊の世界に入っても、依然として肉体があると思っている場合が少なくありません。
それゆえ、自分の想像でつくりあげた食べ物を食べたり、住む家を建てたりしている人も多いのです。

また、映画「ゴースト ニューヨークの幻」に登場するサムのように、ゴーストになりたてのときには自分の精妙となった身体が浮遊できたり、壁を突き抜けられるようになっていることに気づかずに、生前のようにドアから出入りしたり、地面を歩いたりしている人もいます。(過去ブログ 自分の死に気づいているゴーストのお話 参照)

よくだれもトイレにいないのにトイレの水を流す音がしたり、水道から水が流れている音が聞こえたりすることがあるといわれていますね。(実際は水など流れてはいないのですが…)
それは霊たちが同じ場所(あの世とこの世は重なって存在する)で生活をしているからなのです。


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長女や次女は、わたしの実家でこのような現象に何度も遭遇しています。
また、当時そこに住んでいた霊的に大変敏感であった母も、深夜にだれもいない台所で水が流れる音を毎日のように聞いていたと語っていました。

わたしも自分が住んでいる家の同じ空間に、「あの世の霊人」が生活をしていることを実体験したことがあります。
そのとき、おそらく居眠りをしていて、変性意識状態だったのでしょう。
突然居間のドアが開いて、だれかが入ってきた気配を感じたのです。
もちろんドアは実際には開いてはいないのですが。
鼻歌なんかを歌いながら、足音が近づいてきたかと思うと、横になっていたわたしの上にいきなりドカッと腰を落としたのです。
かなり重量感のある大きな女性のように感じられました。
彼女は全くわたしに気づいていないようでした。
驚いてわたしは目覚めましたが、霊体には重みが感じられるということを、実感したのでした。

★要するに、「あちら」では「あちらの生活がある」ということなのです。
「目に見える世界」と「目に見えない世界」は、同一空間に重なって存在しているわけですね。



★「あの世」の学習はあちらへ行ってから断然有利★



あなたは、外国などの見知らぬ土地へ旅行するとき、事前にガイドブックを読んで、いろんな知識を入手し、万全に備えようとする人ですか? 
それとも、行き当たりばったりで、そこへ行ってみれば何とかなると、全く事前学習をしない人ですか?

この世には、見えない世界の内容を詳細に伝えている書物がたくさんあります。

古くから一般的によく知られている書として『シルバーバーチの霊言』や岡本天明著の『ひふみ神示』、A ・E・パウエル編著の『神智学大要』、スウェデンボルグの『霊界からの手記』、パラマハンサ・ヨガナンダの『あるヨギの自叙伝』、『人間の永遠の探求』などがあります。

それらの書の内容の信憑性がすべてパーフェクトであると断言はしませんが、それぞれの意識レベルでの真実が語られていて、ある程度の参考になると思われます。

最近は異星人や天使などからのチャネリングの書が多いですね。
これらはピンからキリまであるので、かなり意識レベルの高いチャネラーの書を選ぶことが大切です。
なかには異常波動を発している書もありますから、そういう本を引き寄せないように自分の意識を高くもっていることが必要です。

旅行者によって、旅行先の情景に対する目のつけどころや感動がちがうのと同じように、霊界の内容といっても、見た人の意識レベルで描写も随分異なってきます。
その点をしっかりとふまえて読み、死後の世界がどのようなものであるかの大要をつかんでおくことは、「あの世」に行ってから大変有利となることと思います。


★参考過去ブログ 
 自分の死に気づいているゴーストのお話  
 自分の死に気づいていないゴーストのお話



「成仏」は死ぬ前にしておくもの―この世で悟っておくことが大切

2010年09月04日 15:20


「成仏」は死ぬ前にしておくものこの世で悟っておくことが大切 




前回まで、その人の「死に方」や「死ぬ前の意識レベル」が、その人のつぎの行き先を自ら決めるので、「いかに死ぬときの意識が重要であるか」ということを、わたしの次女の「生まれ変わりの体験談」を交えながらお話ししてきました。
今回もそのつづきとして、さらに突っ込んで「この世で悟っておくことが大切」だということをお伝えしたいと思います。

(過去ブログ カテゴリ―過去生と転生の記憶 &「死ぬ前の意識レベル」が「あの世」の行き先を決める 参照)



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死に方というものが霊界へ行ってから影響するのでしょうか?」 
「自然な死に方のほうが霊界に溶け込みやすいのでしょうか?」
という問いに、シルバーバーチは次のように答えています。


もちろんです。大いに影響します。
すべての人間が霊的知識を持ち自然な生き方をすれば、いわゆる死ぬということが、らくで苦痛のないものになります。
また、肉体が死滅した後、霊体になじむための調整をしなくてすみます。

ですが、残念ながら、そういうケースは、めったにありません。
地上を去って、私たちの世界へやってくる人間の大半は、自分の霊的宿命や構成、霊的実在の本質について極端に無知です。
それに加えて、死ぬべき時期が熟さないうちにこちらへやってくる人があまりに多すぎます。
そういう人は、私がよくたとえているように、熟さないうちにもぎとられた果物がおいしくないのと同じで、未熟です。
果物は熟せば自然に落ちます。
同じように肉体に宿っている霊が熟せば、肉体は自然に朽ちて霊体から離れるものです。

今、こちらの世界には、すっぱい果物やしぶい果物がどんどん送られてきています。
そういう霊を霊的環境へ適応させるために、私たちはいろいろと手を尽くし、監視し、世話をやかねばなりません。
あらかじめ霊的知識をたずさえていれば、私がたずさわっているような仕事はずっと楽になるのですが……。



シルバーバーチは、人の死後目覚めるのが早いか遅いかは、新参者の霊的意識の程度によって異なるということ、
死後の生命の存続について全く無知である場合や、まちがった死後の概念を吹き込まれて正しい理解に時間を要する場合は、肉体の睡眠に相当する霊的休息というプロセスが必要となること、その過程は自覚が芽生えるまでつづくのだと語っています。


つまり、人は死後困ることがないように、この世に生きているあいだに自分自身を探究し、自分の本質が何であるのか、自分とは何者であるかを見極められるような学びをしておかなければならないということです。
そうでないと、死んでからパニック状態となり、霊界との調整が難しくなるのです。


★この世にいるうちに成仏する  



★悟るのであれば、「この世」で悟るのが近道です。
「あの世」に行ってからでは、なかなか悟ることは難しいからです。


わたしたちは一般的に「あの世」のクリーンゾーンに行った人を「仏さんになった」とか、「成仏した」とかと言っていますが、その言い方は基本的にまちがっているのです。
この世にいるうちに成仏」しておかなければ、「あの世での成仏は困難」だからです。
となると、仏陀やイエスのような「この世で悟った人」以外は、みな「不成仏霊」ということになります。

成仏した人」は、もう地球に生まれて修行する必要がありませんから、輪廻転生から外れることができますが、そうでない人たちはまだ修行が足りないので、また地上に戻って再誕生することになるわけです。

もう「輪廻転生はたくさんだぁ!」という人は、「この世にいるうちに成仏」できるよう研鑽することが必要だということです。



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さて、今のあなたはどんな状態でしょうか?

もし今あなたが肉体の死を迎えたら、今のあなたの心の状態がそのまま「あの世」へと持ちこされます。
「あの世」での生活が、今と同じだったらイヤだと思うのであれば、今の生活を今すぐ変えるしかありません。

明日では遅いのです。

今思ったときに変えなければ、いつまで経っても変わることはありません。
明日になったら、変えよう」、「明日こそ変えるゾ!」と先延ばしするのは、本気で変えようとしていない証拠です。
そのうち、何も変わらないまま「あの世」へ行くことになるでしょう。

明日のほうが今よりも断然死に近づいているのです。



ハート
物事に対してすぐに対処しない傾向がある人は、
なぜ、それは「明日」なのか、
なぜ「今」ではだめなのか、
それらをよく考えてみてください。

「今の瞬間」のなかに「過去」も「未来」も同時存在しているのです。

いつでも「今」しかなく、「今」だけが貴重なのです。


毎瞬間「一期一会(いちごいちえ)」と思って人と接し、
悔いのない今を生きる」ことが大切です。



参照過去ブログ 明日では遅い! 先延ばしをしない人生





死者に対する意識改革―葬儀のあり方を考える

2010年09月06日 10:00


★ 死者に対する意識改革
           ―葬儀のあり方を考える ★



死者を弔う際、わたしたちはこれまで寺や神社、教会などに依存してきました。
しかし、これからは弔いや葬儀のあり方を考え直し、自分たちの手で死者を送る時期に来ているのではないかと感じます。
宗教などの信仰の対象をもっていない一般の人たちは、形式だけの葬儀をおこなっているので、世間的な形式から脱却していく必要があると思うのです。
わたしは自分の母が亡くなった際の葬儀の様子を見て、そのことをつくづくと感じました。

最近、宗教学者の島田裕巳著「葬式は、要らない」が流行っているそうですね。
わたしは読んでいないので内容は把握していませんが、もしかしたら重複していることがあるかもしれません。
ともかく、これから書くことは、わたし個人の真実から生まれた発想であるので、ひとつの意見、考え方と思って読んでいただきたいと思います。


・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★


★まず日本の葬式の多くは仏教式であると言ってもよいのではないかと思います。
そこで、僧侶と呼ばれている人々に対して心から願うことは、「自分は本当に死者の霊を浄化し、昇天(仏教でいう成仏)させているのだろうか?」という正直な問いを、自分自身に投げかけてみてほしいということです。

その力不足のために、まっすぐに「あの世」へと旅立てない人たちが増えつづけたのだと言っても過言ではないからです。
これは、クリーンゾーンに行けないままでこの世に留まっていた霊人たちの浄化を、毎日のようにおこなっていたわたしの体験からもはっきりと言えることです。

僧侶が読み上げる経文に、霊を説得する力はないように思われます。
もし、お経そのものにパワーがあるのであれば、みなすでにクリーンな場所に行っているはずで、その後の供養の必要はないからです。
「○○回忌」と言って、何十年経っても同じ形式で追善供養をしつづけているのは、効果がないことを証明しているようなものではないでしょうか。
一体いつになったら供養は終了(成仏?)するのでしょうか。

供養」というのは「死者の霊に物を供えて冥福を祈る」ことですから、すでにクリーンな光の次元に往っている人に対しては逆に失礼な行為であるといってもよいかと思います。

もうすでに生まれ変わっているのに、まだ供養をつづけている場合もあります。

亡くなった人がその後どうなっているのかわからないでいる家族に対して、「もう大丈夫ですよ。ちゃんとクリーンな領域に行っておられますから、今後の供養は必要ありません」ときちんと教えてあげるのが、僧侶の役割であると思います。

家族の人たちも、その後ご先祖たちがどうなっているのか、まだ供養の必要性があるのかどうかを真剣に尋ねてみてもよいのではないでしょうか? 

僧侶がどのように答えられるか、確かめてみることも大切です。
もし、返答に困っているようであれば、詐欺師とさほど変わらないですから、供養はお断りしたほうが賢明です。
そのような人に、迷っている死者を浄化する力はないからです。

すべて納得できないことは、ひとつずつ検証していく必要があります。
けっして盲信はしないことです。

また、経文というものは、書かれている内容を深く理解し、覚醒するためのものですから、何が書かれているかよくわからないのに単に写経をしたり、読経したりしてみても、効力がないことを知っておいてほしいと思います。



★ どれだけ意識してそれをおこなうかが重要 ★ 



★大切なのは、「どれだけ意識してそれをおこなうか」ということです。
単に記憶した経文を無意識で唱えているのと、一言一句意識して読むのとでは、まるでちがうということですね。


また、仏教では死者に「戒名(かいみょう)」という新しい名前(法号)をつけますが、それも考え直してみる必要はあるでしょう。
なぜなら、死者がその名前を自ら希望したわけでもなく、仏弟子になったわけでもないのに、名前を改める意味がわからないからです。
(★「戒名」とは、本来は「僧としての名前」で、「仏弟子とされた名前」のことです。生前に本人が希望していた名前であれば、よいと思われます)

ただでさえ「ここはどこ? わたしは死んだの?」と困惑している霊人が、意味のわからない戒名で呼ばれたとしても、本人にはだれのことだかさっぱりわからないからです。(実際にそうなのです)

親しみをこめて、本名のままで呼んであげるのが一番よいのです。
生きている者の自己満足のためではなくて、真に故人の立場に立って考えてあげることが大切だと思います。


わたしがまだ若い頃は、僧侶が葬儀に立ち会うことは、自分の死に気づいていない死者に「あなたは死んだのですよ。ですから、あなたに見合った世界にちゃんと行くのですよ」という気づきを与えるために必要なのだと思っていました。

ところがあるとき、放映された某テレビ局の統計で、「死後の世界を信じていない日本の仏教界の僧は九十%以上である」という結果を見て、死者に引導(最後通告)を渡す立場の人たちが「あの世」の存在をまったく信じていないという、実に不思議な実態があることを知ったのでした。

現在の僧侶たちは、この矛盾をどう説明されるのでしょうか。
自分が肉体の死を迎えたときに、やっぱり僧侶に読経してもらうのでしょうか。
それとも、死後の世界は信じていないので、読経や供養など必要ないと考えているのでしょうか。

このように書くと、随分僧侶を非難していると思われるかもしれませんが、さまざまな実態を知ればおそらく納得できることではないかと思います。

しかし、これは僧侶だけの問題ではありません。
死後の世界を信じているわけでもなく、霊の存在を信じてもいない無宗教の人たちが、家族のだれかが亡くなったら、なぜ坊さんを呼んで経をあげてもらうのでしょうか?
それがとても不思議です。

また、世間体を気にするあまりに、したくもない法事をしつづけている人はたくさんおられますが、意味がないばかりでなく、無駄な奉仕です。

★亡くなった人を真に思う気持ちがあるのなら、個々に真心をこめて祈ればよいのです。 
とにかく、古くから受け継がれてきた行事だからというだけで、死者の供養や先祖供養を宗教関係者に任せ、それで一安心してしまっているわたしたちの意識を変えることが、緊急に必要なのではないかと思います。



★この書を読まれた皆さんには、これまでの常識を手放し、新たに「死」というものを真剣に見つめなおし、意識改革をしていただきたいと思うのです。
前回のブログに書いた「シルバーバーチの霊言」を読まれた人なら、もうおわかりでしょう。

告別式」は、大切な人とのお別れのときです。
その際、亡くなった人に対して悲しむのではなく、肉体に縛られて不自由だった世界から本来の自由自在の世界に戻っていかれることを、喜んであげることです。
心から「おめでとう」と祝ってあげることです。
そして、故人を偲んで、家族の人たちがささやかなパーティを開き、故人の好きだった品物や、純白のバラなどの波動の高い花々を飾り、清々しい音楽をながして、明るく笑顔で見送ってあげることです。

命日というのは、ほんとうの意味のお誕生日なのですから。
そして、死者にもそのことを伝え、死後の行き先があることをしっかりと教えてあげることが必要です。
また、こちらの世界に残っている人たちが、いつまでも悲しんでいると、故人は後ろ髪を引かれて往くべきところに往けません。執着せずに解放してあげることが大切です。

人はこの世で生きているあいだに、「自分が肉体を去るときに親しい人とどのようにお別れをしたいか」ということを常々考え、家族にも伝えておくことが必要です。
また、死生観というものは、宗教によっても異なるし、その地域によっても異なりますが、それらに左右されるのではなく、個々にしっかりとした死生観を持つことが必要です。



ハート
あなたが何よりも知っておくべきこと。
それは、あなたという生命体はけっして消滅しない「永遠の生命」であるということ。
その自覚です。
それさえ知っていれば、どのように「この世」を去りたいのか、
どのように「この世」の人たちとお別れしたいのか、
おのずとわかってくることでしょう。



「あの世」の階層のお話

2010年09月15日 12:00


★ 「あの世」の階層のお話 ★



一般的に「死後の世界」と呼ばれている世界、すなわち「あちらにある異次元の世界」には、昔からさまざまな階層があると伝えられてきました。
宗教によっても階層の区分や名称はそれぞれで、霊視者によっても千差万別であることがわかります。
人の意識が現実を創造する」ということですから、階層も人の数だけあるといってもよいでしょう。

ここでは、とりあえず参考として、波動療法家の宮坂平八郎氏が「超波動療法と輪廻転生」(たま出版)に記載しておられる「波動センサーでとらえたあの世の階層」を紹介しておきましょう。


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宮坂氏は「ダストゾーン」には「十三段階」、「クリーンゾーン」には「九段階」があるとして、つぎのように大別されています。


ダストゾーン異常波動に属する階層★ 

「幽界」→「地獄界」→「煉獄(れんごく)地獄界」→「無限地獄界」→「魔界」→「餓鬼(がき)界」→「畜生(ちくしょう)界」→「下外(げげ)界」→「ブラックホール」→「デッドホール」→「摩訶(まか)不思議」→「究極の人間喪失」→「究極の本体喪失=化け物の本体=究極の転生不可」


クリーンゾーン正常波動に属する階層

「霊界」→「仙界」→「天使界」→「天界」→「シンシ(神使界)」→「上外界(かみげかい)」→「シン界(神界)」→「太陽系宇宙外」→「究極の転生(解脱界)」



この「霊界」や「地獄界」という名称は、日本人には馴染(なじ)みがあってわかりやすいので、わたしもその名称を一時使用していた時期がありました。
宮坂氏が分類される「下外界」や「上外界」などは、ちょっとイメージしにくいかもしれませんね。
下外界」は「太陽系宇宙外の低次元異常波動領域」を指し、「ブラックホール」→「デッドホール」→「摩訶不思議」→「究極の人間喪失」→「究極の本体喪失」とつづいています。

★わたしの次女は、2008年以前に守護神に連れられて霊界探訪をした記憶をもっています。
クリーンゾーンからダストゾーンまで、いろいろな階層を見せてもらったそうです。
次女の話では、当時は宮坂氏のとらえられた階層にほぼ近い状態であったといいます。
では、次女の見た各階層の状態を簡単に説明しておきましょう。


ダストゾーン

地獄界」から「ブラックホール」までの階層の人たちは、修行することもなく、自由気ままに暮らしていたということです。
昔から伝えられてきたような恐ろしい形相(ぎょうそう)をした閻魔(えんま)大王もいないし、生前犯した罪を償うための罰を与えられることもないので、怠け者の霊にとっては格好の場所だということでした。
スウェデンボルグも『霊界からの手記』に書いていますが、「地獄界」は悪業に対する刑罰の場などではないようです。

地獄にいる霊たちは、その波動が自分に最も合っているために、自分で選んでそこへ行っているだけなのです。
しかし、「煉獄(れんごく)地獄」と、「デッドホール」から「究極の本体喪失」までの最下位の階層では、かなり苦しい修行のようなものがあったといいます。
もとは「自分が光であった」ことを思い起こさせる修行が必要であったのだろうと推測できます。
さすがのスウェデンボルグも、こんな下層にまでは行っていないと思われます。


クリーンゾーン

一般的に呼ばれてきた狭義の「霊界」は「物質世界の延長」で、「この世」とさほど変わらない領域です。

仙界」は、主に「自己の訓練をおこなっている領域」で、各々が単独で厳しい修行に取り組んでいるところでした。

天使界」は、羽が生えた天使がいるわけではありません。
そういうイメージの存在は全くいないというのが、霊界探訪をした次女の見解です。

ここでいう「天使界」は、物質世界の延長の領域で、「霊界の上位層」と考えてよいかと思います。

天界」は、まぶしい光につつまれた「善人たちの世界」だったといいます。
たまたま次女が行った際には、お祭りのようなイベントが催されており、着飾った人がごちそうを食べたり、舞踏会で踊っていたりしていたようで、まだ物質欲が残っている世界であったということです。

シンシ界」は「奉仕の手伝いをする人たちの世界」です。

上外界(かみげかい)」は「人類への奉仕をしている領域」で、神の使いだとされる「天使」なる存在は、「上外界(かみげかい)」にいるエネルギーであると思われます。
この辺りから光がつよく、光景がうすく、しだいに透明になっていくようだったと次女は言っておりました。

シン界」は「神々のいる領域」です。

解脱(げだつ)界」は悟りを得て、「輪廻転生から解放された魂のいる領域」で、「アセンディッド・マスターのいる世界」です。

太陽系宇宙外」に次女は行っておりませんが、文字通り「太陽系の惑星以外の領域」を指します。つまり、「銀河系の星々の領域」ということになります。

「太陽系宇宙外」には「下外界」と呼ばれる「低次元異常波動領域」が存在しますが、ここでいう「太陽系宇宙外」は「高次元正常波動領域」であり、「クリーンゾーン」を指します。


★これらの領域の名称は、意識の段階、あるいは階層を区分するために、「とりあえず使用した仮の名称」というふうに考えていただきたいと思います。

また、これはあくまでも1997年発行の『超波動療法と輪廻転生』(たま出版)に宮坂氏が記載された分類による名称で、当時宮坂氏がご自分の波動センサーで確認された階層、波動の実態です。
なぜこんなに念を押すのかといいますと、じつは2008年に大規模な変革が起き、「クリーンゾーン」にあった階層がどんどん「ダストゾーン」へと移行したり、消滅してしまったりした階層もあるからなのです。

(2010年現在では様相は随分変化しています)

これらのことに関しては、次回より順を追ってお話しする予定です。




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