明日では遅い!先延ばしをしない人生

2010年08月12日 08:00


★ 明日では遅い!先延ばしをしない人生 ★



よく頼みごとをお願いしても、いつまで経ってもその頼みごとを実行してくれない人っていますね。
ビジネス界では、品物を約束した納期に納めなければ、もう二度と取引はしてもらえません。
たとえば、お誕生日のケーキを前もって注文していたのに、お誕生日に間に合わなかったら、そのケーキ屋さんの信用はゼロになります。
ところが、一般人のあいだでは、こういうことは日常茶飯事として行なわれているように思います。

あなたは、自分が相手に頼んだことを1カ月先になっても、半年先になっても、まったくやってもらえず、結局あきらめたということはないでしょうか?

そういう人に、なぜしてもらえなかったのかと尋ねると、たいてい「だって、いっぱいすることがあって、なかなかやる機会がないのよ。わたしは忙しいんだから!」という内容の答えが返ってきます。

しつこく言ったりしたら、逆ギレする人もいます。
自分を正当化する言いわけをたくさんつくる人もいます。

それなら、最初から「できない」と断ってくれればよいのですが、そのときは本人もやる気満々で請けているのです。
ところが、日が経つにつれてしだいに面倒くさくなったり、イヤになってきたりして、その頼まれごとは放置したままになってしまうのです。ひどいときには、すっかり忘れ去られていることもあります。

そういう人は、結局のところ自分が引き受けた頼まれごとをしないままで終わってしまうのです。
頼み人に多大な迷惑をかけているにもかかわらず、「悪かったなぁ」という罪悪感のようなものも、さほど感じてはいないようすで、頼み人のほうはあっけにとられることがあります。

こういうタイプの人は、自分の趣味やしたいことを最優先しているので、相手のことは断然二の次なのです。
相手に対して責任を感じるということはないようです。(責任感のある人なら、遠の昔に実行していますヨ)

また、相手のことだけでなく、自分のことも、どんなことに対してでもグズグズして、一向に実行しない人たちも存在します。
とりあえず、今日はする気が起こらないから、明日気分がよければしよう…とか、
まあ、そんなに急ぐこともないし、いつかしよう…とか、
たとえその日時間の余裕があっても、実行しないのです。



なぜ、今すぐに実行できないのでしょうか?

なぜ今日ではなくて「明日」なのでしょうか。

あるいは「いつか…」なのでしょうか。 

なぜ「今」ではいけないのでしょうか。



もしかしたら、明日はもうこの世に生きていないかもしれないのです。
自分の生命がいつ肉体から去っていくかわからないのです。
さっき笑っていた人が突然倒れて亡くなってしまうこともあります。
年老いた人だけではありません。若い人も、幼子(おさなご)でも年齢は関係ありません。
だれでも、明日も生きていられるという保証はないのです。

あの世に旅立ったあと、
「あ~、しまった! あれをするのをすっかり忘れてたわぁ!」 
「そうだ! あれも、これも、それも、やらずに来てしまった。みんな怒っているだろうなぁ。何しろ、突然だったものだから、死ぬ用意もしていなかったし、困ったなぁ…」
「もう一度戻れないものかしら? ねえ、守護霊さ~ん、もう一度生き返らせてよ~」
と叫んでも、あとの祭りです。

★だからこそ、今できることを、今この瞬間から、自分の生命エネルギーを存分に注いで、実行する必要があるのです。

この世でやっておいたほうがよいことは、この世にいるうちにやっておくべきです。
いろんなことを放置したままでためておくのは、とても心地悪いですから。
「飛ぶ鳥 あとを濁さず」で、きれいな状態で「あの世」へと旅立ちたいですよね。




★先人たちはつぎのように言っています。


  ○+●+○+●+○+●+○+●+○+●+○+●+○



  今日できることを明日に延ばすな
  いつかという言葉で考えては失敗する。
  今という言葉を使って考えれば成功する。

            ベンジャミン・フランクリン(政治家)    


  ぐずぐずしている間に、
  人生は一気に過ぎ去っていく。
           
            セネカ(哲学者)


  ○+●+○+●+○+●+○+●+○+●+○+●+○ 
           


明日は来るかもしれないし、来ないかもしれません。
もし何か決めなければならないことがあるのなら、今、決めなければなりません。

いや~、まだ無理だわ。もっとしっかり勉強してからにしよう。
今はまだ準備が整っていないし、もう少し、自信ができたらしよう。
今はお金がないから、お金がたまったら、実行しよう。
とりあえず、今日は気が進まないから、やめよう。

こんなふうに、今日できることを先に引き延ばしている限り、
目的はいつまで経っても実現しない
のです。
先延ばし」をささやくのは、ロウア―セルフ低次の自己)のなせる戦略であって、
自分の夢の実現を未来へと延ばしつづけます。

ハイアーセルフ高次の自己)は「今実行しなさい。あなたはできる! 成功する!
と励ましてくれます。
わたしの場合、他人のことばかり優先して実行しているときには、
たまには休憩して、あなた自身のことをやりなさい。人生を楽しみなさい
と言ってくることもあります。


それで、お言葉に甘えて、自分のしたいことを実行するわけですが……。  

「おかあさ~ん、さっき頼んだこと、調べてくれた?」
「え? まだよ。今ブログ書いてるんだから」

はてさて、どちらを優先したらよいのか、むずかしいときもありますが、
今のこの一瞬を悔いなく、有意義に、大切に生きたいものです。


今というこの瞬間のなかに生きる    

2010年11月06日 01:25



前回『マイヤースの類魂説』をお伝えしたのは、「自分の前世というものが、必ずしも自分自身のものではない」ということ、「その多くは類魂の生涯である」ということを、皆さんに知っておいてほしかったからです。

但し、マイヤースをはじめ、霊的世界を伝えるあらゆる通信、霊能者やチャネラーが語る内容を、参考にはしても、けっして妄信しないでいただきたいということを、重ねてお願いしておきたいと思います。


\ピンクの玉


あなたは思うかもしれません。
みんながみんないろんなことを言っていて、何が何だかわからなくなってきたよ。
共通している内容もあるけれど、違っている内容もいっぱいあるし、全く逆のこと、正反対のことを主張している人たちもいる。
いったい何が真実で、何を信じたらいいのか? 

世界中にこれだけいろんな情報が氾濫していると、混乱してくるのはあたりまえです。

思いが現実をつくる」ことは、科学が証明していることです。
わたしたちが想像したり、空想したりしていることも、現実です。
それらは、はっきりとした目的をもった思考によって築かれたものだからです。

たとえば、「この世」の刑法では、みだらな思いを思っただけでは罪とはなりません。
でも、「内なる世界」では、実際にはその行為をしていなくても、思っただけでその行為をしたのと同様で、罪になるのです。
つまり、わたしたちの意識のなかにあるものは、物質化(現実化)しているか否かにかかわらず、すべてが真実であり、現実であるということです。
イエス・キリストは「思いの罪も罪である」と、はっきり言っていますね。

わたしたちの世界(外の世界)で起こることは、すべて想像(内なる世界)によってつくられたものです。
「あの世」では、思ったことがすぐに叶うため、「思いが現実をつくる」のはたやすいことです。
ですから、さまざまな思いが現実をつくり、思いでつくられた世界が無数に存在しているのです。
それらは無限に広がっていると言ってもよいでしょう。
そのような世界は、すべて幻想の世界なのですが…。


「真実」とは、個々の人にとって「真実と見える」こと


★「真実」というのは、それぞれ個々の人にとって、「真実と見える」ことでしかありません。

Aさんの真実とBさんの真実が同じではなく、Bさんの真実がCさんの真実と同じではないのは、各自の魂に刻んできたこれまでの体験や理解度が異なっているからです。
その体験や理解のなかには、さまざまな誤解に基づいたものもあるでしょう。
誤解で成り立った真実も、たくさんあるということです。

このように、霊人の真実もひとりずつ異なっているため、霊界通信の内容や主張が違っていて当然といえます。
独自の真実」は、霊界に存在する霊人の数だけあるのです。
もちろん、神々と呼ばれる存在も同様です。
そして、「この世」のわたしたちも、わたしたちの頭数だけの真実を持っているということです。

あらゆるものが真実」であり、「あらゆるものは現実」であるけれども、「唯一の真実というものはない」ということを認識しておかなければなりません。

★「自分の真実だけが唯一正しい」と主張することは、「自分が制限された真実しか持っていない」と主張していることと同じで、「わたしは無知です」と言っているのと同じことなのです。

宗教でも同様のことが言えますね。特に一神教は他の神を絶対に認めません。
ところが、同じ一神教を主張するユダヤ教・キリスト教・イスラム教がお互いに酷い不調和を起こしています。
同じ神を崇めながらも、敵として長い歴史のなかで闘いつづけてきていますね。
人類の不和と戦争の原因となっているのは、同じ神を信仰する者同士なのです。
なんのこっちゃ!と言いたくなりますね。
信仰者は、ほんとうに自分の信じている神の言葉だけが唯一正しいのかどうかをしっかりと吟味してみることが必要です。

以上のことは、「ごあいさつ」や「プロローグ」でもお話ししていますが、わたしがこのブログを立ち上げたときの中心テーマでもあります。



★ 今というこの瞬間のなかに生きる ★



★わたしたちが誕生する前には、多くの人生コースから自由に選択できる機会が設けられています。

ランナーとしてわたしが走るコースは、自分自身で決めたものです。
初級コース、中級コース、上級コースと、障害の設定もさまざまですが、自分で選んだ以上、何があっても文句は言えません。あとは全力で走るのみです。

次女曰く、わたしが地上に誕生する前、かなり多くの選択肢がありながら、もっとも困難だと思われる人生のうちの2番目を選んだのだそうです。(1番困難なコースは遠慮したようです。苦笑)

「えーっ、こんなに高いハードルのあるコースだったの?」
「なんでまた、こんなにハードルを高くしたのよー!」と悔やんでも、あとの祭りです。
そのとき志を高く掲げて、「困難を乗り越えて、これを成し遂げるんだ!」と意気込み強く、自分が選んだのですから、他者のせいにはできません。

ということで、わたしの場合は、分霊の過去生を知ったところで何の足しにもならず、ただひたすら自分が選んだコースを走るのみです。
結局何も知らないほうが走りやすいのです。
だから、たいていの場合は、生まれた途端に忘れるようになっているんですね。
過去生を知ったとしても、どうってことないんです。
「だから、どうなの?」って感じです。

自分が過去を振り返っているときには、今この瞬間を体験することはできません。
自分が過去生でだれであったかを知ることよりも、
今の自分がだれであるのかを知ることのほうが重要であると思うのです。

そして、今というこの瞬間のなかに生きること
今この瞬間瞬間を、自分の望む通りの現実にしていくことのほうが大切だと思うのです。
アセンションのこともあるし、もう時間がないのです。

何とか、当時(地上に誕生する前)抱いていた情熱を忘れることなく、
この人生を全うできればよいのですが……。


ハート
今というこの瞬間のなかで全力を尽くしたい。
つくづくそう思う今日この頃です。




創造者として自覚し、自分自身を表現しよう!

2011年03月24日 18:05


★ このブログを訪問された皆さまへ ★

 

はじめに、このブログの訪問者さんにお伝えしておきたいことがあります。
このブログはトラックバックや無断転載をお断りしております。
訪問者さんのなかには、自分のブログを書いている人たちも多く、ネタ探しにやって来られる方々もいらっしゃるようです。

以前にも少し触れましたが(「わたしがブログを書く理由 その2」参照)、だれかが書いたブログ内容(全文、あるいは一部)を、そのブログ提供者の名前を紹介しないで、そっくりそのまま自分のブログ内容として載せている人がけっこう存在しています。

「この記事どこかで読んだなぁ」と思って調べると、全然違った人のブログ記事だったりするのです。
どっちが最初に書いた当の本人なのかは、更新の日付を確かめるしかないですね。
同一人物が別のブログを作って掲載しているのならともかく、別人が「だれかさん」のブログ内容を毎回記載する必要などあるのでしょうか? 
そこまでしてブログを出す意図が、わたしにはほとんど理解ができません。

今現在のような特別な時期、考えていること、思っていること、感じていることが同じなら、記事も似たような内容で、似たような言葉を使って書かれる場合は確かにあります。
意識レベルや周波数やフォーカスしている部分が同じところにある人なら、可能性は非常に大です。
公的な内容や、さまざまな説明文などは、全く同じものを掲載したとしても問題はないでしょう。
しかし、同じものを採用したとしても、その人なりの文章の書き方やリズムがあって、そこには必ず個性があるはずです。その個性が人を引きつけるのです。



★ 他者の記事を転載するときのマナー ★



★昨日「タグ検索」をしていたとき、最近更新したわたしのブログテーマと似かよったテーマが載っていたので、ひらいてみました。
すると、わたしの記事の一部と書籍の引用箇所が、そっくりそのまま載せてあったのです。
そのブログ名や管理者名については、その人の名誉のために、ここに載せるのは控えたいと思います。
ただし、この管理者が一般人ではなく、「児童放送作家として活躍中」とプロフィールにあったので、この場を借りて、わたしの感じたことをお伝えさせていただくことにしました。


★あなたは児童放送作家としてご活躍中だそうですが、他人のブログ内容を無断転載し、公開されることについて、お考え直しいただければと思います。

あなたご自身の文章はほとんどなかったので、もしかしたら、あなたの場合は「覚書」のような感じで自分のブログを公開されているのかもしれません。
しかし、不特定多数の人が自由に閲覧できるわけですから、使用された文章のブログ提供者名やURLを記載すべきではないでしょうか? 
そうでなければ、自分しか見ることができないようカギをかけておかれることです。
他者の記事を転載するときのマナー」を守るのは、あなたのお名前(管理人名)からすると、当然の作業だと思われるのですが。

同じことを伝えるにも、表現方法は無限にあります。
もし読者に何かを提供したいのであれば、あなたがあなたなりに考え、脳裏にひらめいた内容を提供してください。プロの作家であるのなら、なおさらですね。
以上ですが、よろしくお願いいたします。


ということで、この方に限らず、多くの皆さんに自分にしか書けない表現方法で記事を書いていただきたいと、心から願うしだいです。



★ 盗作は自分の力をさらに弱めている ★



★わたしはなぜか子どものころから、自分の書いたものがそのまま他人に使用されるという体験を多くもっています。

たとえば小学生のとき、こんなことがありました。
習字の時間にわたしの書いた字をほしいと言う子がいたのです。
「お手本にしたいから、1枚ちょうだい」というわけです。
わたしは気前よく自分の書いたものをあげたのですが、その子はわたしが書いた字をそのまま清書として提出したのです。
どうやら、最初からそのつもりだったようです。

その後、集めた子どもたちの清書を先生が丸つけするのを、数人の子どもたちに混じってわたしも見ていたのですが、「あ、わたしのだ!」と思ったら、なぜかそこにはわたしとは違う名前が書かれておりました。
つまり、「お手本にしたい」とわたしの書をもらっていった子の名前が書かれていたわけです。

その子の清書を見た担任は、「上手に書けたね」と言って、珍しくたくさんのマルをつけていました。
わたしは唖然としました。
「それって、わたしが書いた字なのに…」と。

教師はその子にだまされていることに気づきませんでした。
教師なんてその程度なのだと、すこぶる失望しました。
まったく同じ字体の清書が2枚出てくれば、「おかしい!」ということくらい、子どもにだってわかりますよね。
書いた当の本人がどんなにショックだったか、想像がつきますか?

わたしはそのことを担任に黙っていました。
その子本人にも言いませんでした。
言う気すらしなかったのです。

また、あるとき、先輩の家で中学校の卒業文集を読ませてもらったとき、愕然(がくぜん)としたことがありました。
ある女の子の文章の一部が、わたしが小学校の卒業文集に載せたのとまるで写し取ったようにそっくりだったからです。
それは、わたしの気持ち(情緒的なもの)を最大に表現したものだっただけに、ショックが大きかったのです。
小学生が書いた内容を、中学生が盗作するなんて、ほんとうに情けないなと、子ども心に思ったものです。

盗作をする人に対しては、「怒り」よりも「気の毒」だという気がします。

あなたは、だれですか?
あなたは、わたしですか?

わたしが、ふたりも必要ないでしょう。
わたしがわたしであるように、あなたはあなたであるのです。

あなたは、だれかの表現方法をマネることしかできないのですか?
あなたなりの表現ができないのですか?
もっと自信をもって、自己表現をしたらどうですか?

うまく書きたいとか、丸をたくさんもらいたいからとか、
そんな理由はすべてあなたの自信のなさから来ているのです。

盗作は、「自分の力や表現力をさらに弱めるもの」だということに気づいてください。 
それは相手の尊厳だけでなく、自分というものの尊厳を否定することであり、創造者である自分自身に対して恥ずかしい行為です。




どんな記事も鵜呑みにせずに吟味することが重要



「多くの人がそう書いているから、わたしもそう書いておこう」とか、
「この人の言っていることはマチガイないだろうから、自分もそれを書いておけばマチガイはないだろう」とか、何となく他者に合わせて書いている人も少なくないように感じます。
しかし、それが大マチガイなのです。

真実は人の数だけあるのです。
そして、その人の意識レベルによって、まったく異なった世界が展開しているのです。
このことは、「思いの制限をひらく」の最初の記事から繰り返しお伝えしてきていることですが、新しい訪問者がつぎつぎと来られているので、再度申し上げておきたいと思います。

その人が語っていることが正しいかどうかなど、正直言ってだれにもわからないのです。
ウソかホントかわからない都市伝説」みたいなものです。(笑)

当の本人はそれを真実だと信じて書いていますから、マチガイなく自信もあるでしょう。
(スピリチュアル系のブログは、すべて自信がなければ書けない内容ばかりです)

ネガティブ系異星人がその人の身体を借りて書いていると感じられる記事が実際にあり、マインドコントロールされる危険性が多分にあって、恐ろしいといつも思います。
何者かに操られていることなんて、本人にはわからないでしょうが、客観的に調べる方法はあります。
それで調べると、危険信号が強烈に点滅して回りつづけていることがあります。

ですから、表面的にはその人の文章となっていても、ほんとうのところは、異質の者の意図する内容にすり代わっている可能性があるということを、いつも頭の片隅に置いて読むように心がけてほしいと思います。
「あれ? 今日のこの人の文章、何かおかしいゾ!」と。

★特にスピリチュアル系のブログを読む人は、その信憑性をしっかりとご自分の直観で見極めてほしいと切に願います。
とにかく何でもかんでも鵜呑みにしないで、自分の直観力、判断力を大切にし、きちんと吟味してくださいということです。


当然のことながら、政府やマスメディアが言っていることを真に受けてはいけません。
こちらは「都市伝説」よりも、信憑性が低いと思ったほうがよいかもしれません。


★ あなたが最高の権威者 ★
 



★あるブログ読者がつぎのような質問をしてこられたことがありました。

「最近おっしゃられる通り、食べ物、飲み物には細心の注意をしていますが、その中にカフェインもとあります。
日本茶や紅茶、ウーロン茶もそれに含まれるんでしょうか?
個人的にはお茶が大好きでよく飲むものですから(笑)」

わたしは下記のようにお答えしました。

「あまりそこにばかりこだわりすぎないほうがよいと思いますよ。
わたしが引用したその著者たちの書いていることは、万人に当てはまるとは限りません。
あくまでも、参考として書いているだけです。
飲みたければ、コーヒーや紅茶など、飲まれたらよいと思います。

わたしは自分の身体に聞いて『OK』なら、コーヒーだって飲みます。
わたしのハイアーセルフは、わたしがコーヒーを飲むことは禁止していません。
自分が最高の権威者です。現実は自分自身で創っていくものですよ


★「本にこのように書いてあるから、そうしなければならない」というような強迫観念は解放することが大切です。

とにかくこのブログは「思いの制限をひらく」ために書いているのですから、そのことをけっして忘れないでください。

あなたが最高の権威者にならなくて、いったいだれがなるのですか?」 ということです。
自分の直観や判断力に自信がないなら、自信が生まれるよう、最高権威者となるよう、日々自分の意識を高めつづけてください。

大宇宙の源からやってきたわたしたちひとつひとつの魂は、千差万別です。
だれかと同じような魂の傾向(ソウルカラー)があっても、まったく同一ではありません。
皆ユニークなのです。
その個性をさまざまに表現するために地上にやってきています。

わたしたちは「創造者としての自覚」をもっと持つべきです。
「創造者」にできないことがあるでしょうか?

創造したら、当然その責任は自分が負うべきです。
他者に責任転嫁するくらいなら、最初から実行しないことです。

多くの人たちが通った大道を行くのは、たやすいことです。
それは整備されていて安全かもしれません。
でも、そんな道は、未知なる遭遇もなく、冒険もなく、面白くも何ともありませんね。

(二番煎じは美味しくないヨ)


インドの神秘家OSHOは、このように語っています。

知識は確実なものだ。
個人的な〈知〉の探求は、危険をともなう非常に、非常に不確かなものだ。
それを保証することは誰にもできない。
もし、保証できることがなにかあるのかと聞かれたら、
私はなにひとつ保証できないと言うしかない。
私には危険しか保証できない。
それだけは確かだ。

道に迷ってしまい、けっしてゴールには行きつかないかもしれないという、
そのあらゆる可能性をともなった長い冒険しか保証できない。
だが、ひとつのことは確かだ。

探求そのものが、あなたの成長を助けてくれる。
私には、成長しか保証できない。
そこには危険があるだろう、犠牲があるだろう。

あなたは毎日、未知なるもののなかへと、
地図に描かれていないもののなかへと進んでいくことになる。
辿る地図もなく、従うガイドもいない。
その通りだ、数限りない危険があり、あなたは道に迷い、
自分を見失ってしまうこともありうる。
だが、人はそうやって成長するしかないのだ。

不確実だということが、成長するための唯一の道だ。
危険に直面することが、成長するための唯一の道だ。
未知なるものの挑戦を受け入れることが、成長するための唯一の道なのだ。 

( Dang Dang Doko Dang, Ch.7より )



自分が表現したことに責任をもちながら、新しいあなたの道を切り拓いていっていただきたいと思います。




最新記事