わたしがブログを書く理由

2010年08月06日 16:55


わたしがブログを書く理由



2010年6月12日から始めたブログも、今日で50回目を迎えました。
今ちょっと振り返って、わたしの初心を再確認してみたいと思います。

長い年月、本を書くことばかりに熱中していたわたしは、インターネットの世界にはなかなか馴染めず、ブログを書くことにも大きなためらいがありました。

しかし、近年の出版業界の諸事情から、出版することの難しさを知ったわたしは、インターネットを通して自分の思いを伝えるのが最も手短な方法であると確信するようになったのです。

決めたらやるしかないので、ブログ制作の方法を毎日インターネットで調べまくり、数日後にブログを開設し、発表できるまでに至りました。まだまだ試行錯誤の状態ですが。



だれのために書くのか



わたしは自分のブログを三者に向けて書いています。

★まずは自分自身に対してです。
自分の考えをその時々に書き留め、その文章を通して自分自身を見つめるためです。
あとから読み返せば、当時の自分がどんな心持ちでいたかがうかがえるし、当時と比べて今現在の自分がどのように変化しているかを知ることができます。

★つぎに今回の人生でアセンションをしてほしいと心から願う特定の人たち(縁あって親しくなった知人、過去生からの友人)に向けてです。
その人たちが読んでくれているかどうかはわかりませんが、いつかは気づいてくれるかな…と願いながら書いています。

★そして、最後は奇跡的にこのサイトを見つけてくれた人、何らかの検索でたどりついた人に向けてです。
だれの紹介もなくこのブログを見つけ、その後も訪問してくださる人たちは最高の読者です。
このブログを見つけることでさえ稀少なのに、さらにその後も読みつづけることは、魂の共鳴がなければ難しいと感じるからです。

わたしがあえてブログランキングに参加していないのは、真に純粋に自分のブログを愛してくれる読者を保ちたいからです。
ランキングで上位になってアクセス数を増やすことは、自分の主張を知ってもらうための必要な要素のひとつかもしれません。
しかし、アクセス数ばかり増えても、真にそのブログを読んで心に留め置かれないならば、読んでもらってもあまり意味を感じないのです。

書き手の趣向が高かったり、変わっていたりすればするほど、波長、周波数の合う人がいなくなり、人数は減少してきます。
当然のことながら、お目に書かれる人は限られてくるわけです。
かと言って、多人数を狙って大衆向きにすると、読者の質も落ちてきて、伝えたいことを真に理解してもらえる内容にすることが困難となります。
結局「共鳴・非共鳴の法則」が働くので、その内容に合った意識レベルの読者が引き寄せられてくるということです。
本のほうが読者を選ぶ」といわれる所以(ゆえん)ですね。

わたしは自分のブログの読者数を知りたいため、とりあえず「拍手」を設置していますが、クリックしてくださる人は毎日数名です。たった一人のときもあります。
7月の20日以降にカウンターも貼りつけてみましたが、アクセス数はどんどん増えていくのに、「拍手」はごく少人数に限られています。
文章の描写、表現の仕方によって、書き手の真の意図がご理解いただけていない内容が多々あるのかもしれません。(★すべての記事を読まれて、疑問が晴れないときは、御遠慮なくアンケートやコメントをください)

「拍手」というのは、たいていブログを書いた人に向けて送るものですが、わたしは読者が自分自身の魂に響いたり、気づきがもたらされたりしたときに、その「しるし」として、クリックをしていただけたらいいなと思っています。
つまり、書き手に称賛の「拍手」を送るのではなく、読み手の自分自身が、「気づきが生まれてよかった」という意味でクリックしてほしいということです。
このブログに限ってですが。
(★意図することがわかってもらえたでしょうか?)


以前さらりと読んでしまったカテゴリでも、再度読んでみたときに何か別の気づきが生じてくることもあるかと思います。
そんなときに、「気づいたよ」という意味でクリックしてくださると、書き手のほうは「よかったね」とその喜びを分かち合うことができるからです。



インディゴ・チルドレンへのメッセージ



話は変わりますが、わたしの第1の読者は、このブログを毎日欠かさずに読んでくれている次女です。

次女は1980年代に生まれたインディゴ・チルドレンで、インディゴ・ブルー(藍色)のオーラを持つ、一般人とは異なった新しいタイプの子どもたちのうちのひとりです。
インディゴは透視能力を司る眉間にある「第6チャクラ」の色ですが、その色にちなんでアメリカの超心理学者などから「インディゴ・チルドレン」と呼ばれるようになっています。


   オーラ写真2         インディゴ・チルドレンのオーラ
   (次女の2枚のオーラ写真 ソウルカラーはインディゴ)


次女は目に見えないものや見えない世界を見たり、過去生を思い出したり、人の心を見抜いたり、感性が豊かです。
他人の気持ちがわかるだけに、この世界の生きづらさを感じていて、なかなか自分の思い通りの人生を歩むことができません。

わたしはそんな次女からの多様な情報を得て、それをひとつひとつ検証、確認しながら「目に見えない世界」についての話を書き留めてきました。その一部を今発表しているのです。
ですから、このブログの内容は、次女やわたし自身の体験と守護の神霊たちに尋ねて認識できたことがベースとなっています。


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ところで、今ブログを読んでくださっているあなたは、インディゴ・チルドレンでしょうか? 

インディゴは若い世代であるとは限らないのです。
1940年代の後半に生まれた熟年のインディゴもいらっしゃいます。

せっかくインディゴとしてのすばらしい能力があるのに、生きづらさに挫けてしまい、自分を発揮できていない人たちが、今現在もたくさん存在しているように思われます。 

そんなインディゴたちに、わたしは「ほんとうに今のままでいいの? そんなに自分に制限を設けないで、もっと自由で喜びに満ちた生き方があるのでは?」と問いかけているのです。

これまで長きにわたって受け継がれてきた人類のまちがった観念に気づいてもらうため、この世界を変えていくために、「あなたがたの本来の使命を思い出してください」と呼びかけているのです。
(インディゴについては、これから追々お話ししますネ)



★これからのブログの内容★



伝えたいことが多すぎて、何から投稿すればよいかと思い悩む日もあります。
そんなとき、読者から「こんなことを知りたいから書いてほしい」というメッセージが届けば、それを考慮して書き進めることができます。

最近は「神秘の世界」を探り当てた「量子力学」についてお伝えしようと書き始めたのですが、わたしの守護神から「病気」や「癒し」について知りたい人がいるため、「癒し」に関する内容を書いた方がよいというメッセージをいただきました。

それで、急遽(きゅうきょ)そちらのほうの情報を伝えていくことにしました。
ですので、「科学が証明した『不可視の世界』」はしばらくお休みすることにします。

明日からは「あなたが癒す心とからだ」というカテゴリで、「自分の心とからだは自分で癒す」ことを目的として種々様々思ったことを書き綴っていきたいと思っています。



ハート
何度も繰り返しますが、
人間の進化の旅とは、意識が目覚めていく旅です。

不可視の世界の実態に気づき、
あなたの内なる次元をひらくきっかけとなり、
自己探究を始める決心へと誘(いざな)うお手伝いができれば幸いです。




わたしがブログを書く理由 その2

2010年11月08日 19:30



★2010年6月12日に始めたこのブログの記事も、おかげさまで113回目を迎えました。
わたしが皆さんに知っていただきたかった内容は十分とは言えないかもしれませんが、基本的な部分はお伝えできたのではないかと思っています。



★ わたしがブログを書く理由 ★



★じつは先月(10月に入って)、わたしのハイアーセルフと守護神は、「もうそろそろブログは終了してもいい」と伝えており、他の書き物に専念することを勧めていました。
わたし自身も先月で終了する予定でした。
ところが、ここで止めてしまうのは、大変寂しい気がしてきて、もう少し書きつづけようかと考え直したのです。

じつはこのブログは、同じ訪問者が毎日定期的に訪れて読まれるというよりも、グーグル検索などで初めて訪れた人が、いっぺんに数十回クリックして読んでいかれるケースが断然多いのです。
1日のクリック数が60回以上という訪問者もおられます。(すごいなと感心します)

訪問者のなかには、たくさんの気づきが得られたという感謝の気持ちを「アンケートのお便り」などを通して表してくださる方もいらっしゃいます。
そういう殊勝な人は、数百人にひとりぐらいなのですが、それでも「気づいていただけて、よかった!」と、大変うれしくなります。

わたし自身も、これまでにいろんな方々の記事から多くの気づきを得てきています。
情報を与えてくださった方にはとても感謝しているのですが、たいていは一方通行となっていて、何か情報泥棒みたいで悪いなーと思ったこともしばしばあります。

ホームページやブログを通して「自分の真実」を伝えようとしている方々の多くは、無償の愛で情報提供をされています。
その厚意に対して感謝し、その愛のエネルギーを、わたし自身もまた多くの方々に放射することで、これまでいただいた恩恵をお返ししていけたら幸いであると考えます。
これが、わたしがブログを書くもうひとつの理由です。(過去記事「わたしがブログを書く理由」参照)


★ ブログのメリット デメリット ★


★書籍よりもブログにしてよかったと思う点は、海外の方々にもすぐに読んでいただけるという点です。

デメリットは、わたしの伝えたいことが適切な表現方法で翻訳されないと、おおいに誤解を生じる可能性があるという点です。
過去記事「神秘の世界を究明する―『空』の正体」を書いた際も、そのむずかしさを実感しました。

海外の作品を、自分の国の言語にする場合、十人十色の訳し方があります。
その文章は、それぞれ訳す人たちの意識レベルによってさまざまに変容します。

たとえば、わたしの手元には3人の日本人が訳した「ジェームズ・アレン」の作品がありますが、読み比べてみれば、一目瞭然です。
あまりに3人の訳者さんの表現方法が異なっているために、まったくちがう内容を読んでいるかのように感じられるのです。

訳者の意識レベルによって受け取り方が異なるため、訳して伝えることばのニュアンスもそれぞれ異なってきます。3人3様のジェームズ・アレンができあがるわけですね。

ですから、どの訳が自分にもっともフィットするか、または、心に響くかということで、訳者選びをすることは非常に大切です。
訳者によって、原作者の意図することや、原作者のかもしだしている雰囲気までまったく変わってしまうからです。

一番まちがいないのは原語で、しかもジェームズ・アレンと同じ意識レベルになって読むことでしょう。
そうすれば、アレンがどんな気持ちでその文章を書いていたのか、当時の彼の心情が伝わってくることでしょう。


★ 自分をインディゴ・チルドレンだと思うあなたへ ★


わたしの次女がインディゴであることは、過去記事でお伝えしておりますが、今のところわたしが知っている1980年代に生まれたインディゴは、次女だけです。
それ以降の子どもたちとは出会う機会もなく、なかなかインディゴ・チルドレンの実態が把握できません。
これからの時代は、インディゴたちがおおいに活躍するようになってほしいと心から願っているのですが、実情はどうなのでしょうか?
彼らは今何を考え、何をしているのでしょう?

さまざまなインディゴの悩み、実態を知りたいと思っています。
もし、あなたがインディゴなら、ぜひあなたの率直な心情を聞かせてください。

インディゴ・チルドレン」についての本はアメリカ人によって書かれていますが、日本人には当てはまらないところもあるとして、胎話士の南山みどりさんがつぎのようにまとめておられます。
もし、あなたがインディゴかどうか自分ではわからない場合は、つぎの特性を参考にしてみてください。


★ 自尊心が高く、自己評価に重きをおく。
★ ウソを見抜く能力があり、ごまかしがきかない。
★ 根拠はないのに、「知っている」「わかっている」という感覚がある。
★ 命、生きること、または死に対して、特別な思いがある。
★ すべてを理解しているかのような、さめた、または思慮深い目をしている。
★ 世間一般には、我が強いと思われがちな言動をする。
★ 人生の先が見えているような言動をする。
★ 戦士のように激しい気性の半面、かぎりなく優しいという二面性がある。
★ 羞恥心が強く、自分の存在そのものを恥と思いがち。
★ 何事も挑戦したがるが、すぐにあきてしまう。(見極める力がある)
★ 直観力が強く、他人の心の変化に繊細に反応する。


(南山みどり著『宇宙チルドレン』ビジネス社 P17参照)

インディゴといっても、人によってさまざまだと思います。
あくまでも上記の特性は参考です。
自分がインディゴだと思う人で、ここにはない性質があれば、ぜひ教えてください。
お待ちしています。


★ コメントに対するお答えについて ★


★各記事のコメント欄から非公開での感想や質問をされる場合、それに対するお返事はとてもむずかしいのです。

当然のことながら、非公開文を他の読者が読むことはできません。
ところが、管理人がそれに答えようとしたとき、管理人の回答のみがコメント欄に表示されてしまうので、他の読者には何のことか、わけがわからなくなるからです。

コメントは公開してもよい内容、質問は不特定多数の読者にとっても有益で、参考となるような内容にしてくださるとありがたいです。
そうすると、その回答を記事にも掲載しやすくなるからです。
どうしても非公開にしたい場合は、アンケートの「お便り」のほうをご利用ください。


★ アンケートをご利用ください ★


できれば、ブログの左側に設置した「アンケート」に答えてくださって、感想や今後のご要望などをお知らせくださると、うれしいです。

ご自分のメールアドレスを記入してくださると、fc2ブログを通さずとも、管理人から差出人に返信することが可能となり、ご質問などにも、直にお答えすることができます。
ただし、個人の詳細な調査を必要とするような内容については、安易に回答することは避けたいと考えます。どうかご了承ください。

★また、質問される前には、今あなたがしようとしている質問に答えているような過去記事がないかどうか、このブログの「全記事一覧」をクリックして探してみてください。

まだ読まれていない記事があったり、読んでいても忘れてしまっていたりして、もしかしたらどこかの記事にあなたの質問に対する答えが記されているかもしれないからです。
(結局全部読んでいただくことになりますね。笑)
それでも、答えが見つからないのであれば、ご遠慮なくお尋ねください。



★蛇足ですが、ネット検索をしていると、よくご自分のブログに「毎回他人のブログ記事を全て掲載して公開している人たち」をみかけます。
たとえがよくないかもしれませんが、「人の褌で相撲をとる(To wrestle in other's outfit.)」ようなことはしないで、自分は自分にしか書けない記事を書いてほしいと切に願います。
常に自分のオリジナルを表現することが、この世に生をもった目的でもあるのですから。

ご自分のホームページやブログをお持ちの方で、もし自分のブログ読者にも「思いの制限をひらく」を紹介したいと思われましたなら、ぜひリンクを張ってください。
よろしくお願いします。


ハート
今後はどのような記事になっていくのか、わたしにもわかりません。
読者の皆さんの思いの制限をひらくお手伝いができるよう、
わたし自身の思いの制限も、さらに大きくひらいていきたいと思っています。

これからは週に1~2回のペースになるかもしれませんが、
楽しみながら書いていく予定です。
書くからには、さらに充実した内容を皆さんにお届けしたいと思います。

これからもよろしくお願いいたします。





インディゴへのメッセージ 自由と責任

2010年11月11日 03:00



先日インディゴ・チルドレンについて次女と話していたとき、わたしの脳裏に思い浮かんだ人がいました。それは、かつてのシンガーソングライターで、若者たちのカリスマ的存在となった尾崎豊さんでした。

その尾崎さんのライブの映像が、たまたま夜につけたBSのテレビ画面に突然現われたため、「これは何かの縁かな?」と思ったのです。
それで、今回彼について、わたしなりの感想を書いてみることにしました。


★尾崎豊さんはインディゴ・チルドレンだったのか?★


彼は1965年に生まれ、1992年に26歳でこの世を去った人です。
絶対的な権威を受け容れない」という意味で、まさしくインディゴ・チルドレンの先駆者ともいうべき青年であったと感じます。

尾崎さんを思い浮かべるとき、いつも言い知れぬ悲哀が伝わってきて、とても淋しい気持ちになります。

彼は一生懸命に生きようとしていました。
けれども、彼にとっては、何でも自分の思い通りになる人生ではありませんでした。
10代後半に全盛期をむかえ、早くも20代で燃え尽きてしまった彼は、おそらくこれ以上生きることに何の意味も見いだせなかったのでしょう。
この世を去る時期は自分で決めるわけですから、本人はそれでよいと了解していたのでしょう。

死因は「肺水腫」で、致死量の覚せい剤を飲んでいたことが影響したと伝えられています。
肺水腫」が生じたのは、彼が「自分の考え方、生き方を変える必要があった」ことを教えてくれています。

★「肺」というのは「生命力」、「生きる意欲」、「生きる欲求」に関係しているところです。
心臓と同様、生命にかかわるもっとも重要な器官なのです。
そこにトラブルが生じるのは、生きることに困難を覚えて苦しんでいることを表していると考えることができます。
悲しみ、失望、絶望感……。

息がつまって思うように呼吸ができない状態、息苦しい思いは、当時の彼の生活そのものであったはずです。
彼はそういう生き方しかできない自分を、自分で攻撃していたのかもしれません。自虐的行為がそれを物語っています。

「肺」は、粘膜や液体に関係することから、「深い悲しみ」をあらわすとされています。
確かに彼の瞳はいつも深い悲しみをたたえていて、はるか彼方を見つめているように見えました。
自分の人生と世の中に嫌気がさし、足早にこの世を去ってしまったという感じがして、残念です。



★ 自由と責任 ★


尾崎豊さんの歌には、「自由とは何なのか」、「正しいものは何なのか」を追求し、「愛の大切さ」を謳う半面、「世の中」や「学校」がつくった規則に対して、また「先生」という名の権力者に対しての熾烈な非難が表現されています。

高校在学中、喫煙で停学になった彼は、その日同級生と飲酒したあげくに乱闘騒ぎを起こし、警察沙汰となって無期限の停学処分を受けたといいます。
それらの事件は自らが引き起こしたもので、だれのせいでもなかったはずです。
喫煙したのが見つかって、停学処分になったことに腹を立て、自分の仲間と酒を飲み、大学生たちとの喧嘩を引き起こしたのだとしたら、彼はただの「きかん坊」にすぎなかったということです。

歌にある「夜の校舎の窓ガラスを壊してまわった」ところで、教師は痛くもかゆくもないだろうし、ガラス業者が繁盛するだけのことだと、わたしなんかはつい思ってしまいます。
どうせガラスを壊すなら、なぜ堂々と昼間壊さなかったの? って、思うわけです。
(これはただの歌詞なのか、願望なのか、実際におこなった行為なのかはわかりませんが)

★反逆するのなら、それをする自分自身に対して、責任を引き受けなければなりません。
責任を取りたくなければ、自由を得ることもできません。
そして、自由を獲得することなしに、自らの成長はないのです。


毎日学校でいつもの席に座り、「何に従い 従うべきか考えていた」という彼は、
「とにかくもう学校や家には帰りたくない」、「誰にもしばられたくない」
と、盗んだバイクで、暗い夜のとばりのなかへと走り出します。

闇のなかで「自由になれた気がした」と歌っていた彼は、光のなかではどうだったのでしょうか?

ここでは、バイクを盗まれた人の気もちなどは、一切考えていませんよね。そんな余裕は、この歌詞からは一切感じられません。頭の中は、自分のフラストレーションをいかに解消するかということでいっぱいです。

盗んだバイクで走るよりも、一生懸命バイトして、自分が稼いだお金で買ったバイクで走るほうが、ずっと爽快で自由な気がしたにちがいないと思うのですが。


★「卒業」という歌詞のなかに、
「逆らい続け あがき続けた 早く自由になりたかった」、
「うんざりしながら それでも過ごした ひとつだけ 解ってたこと この支配からの卒業」とあります。

つまらない授業に、わかり合えない教師たち。
そんなに嫌でたまらなかった高校に、なぜ停学になるまで、彼は通いつづけていたのでしょうか? 義務教育でもないのに。
これは、じつに不思議な現象ではないでしょうか。

わたしの次女は、小学校5年生くらいからほとんど学校には行っていません。
中学校に行っても保健室にいて、教室に入ることはほぼありませんでした。学校に行くのは、好きな部活をするためで、勉強をするためではなかったという変わり者です。

それをわたしは認め、校長をはじめ、その時々の担任教師たちをいつも説得してきました。
学校で新しい教科書をもらってきても、そのすべてをわたしの部屋に置き去りにして、いつまで経っても取りに来ないほど、学校と教師と勉強が嫌いな次女でした。

義務教育といっても、問題のある学校、問題のある生徒たちのなかで、問題のある教師によって、学ばされる義務などはありません。児童生徒には、健全な環境の下で、楽しく学ぶ権利があるだけです。

次女とは異なり、尾崎豊さんが学校に行くことをやめなかったのは、おそらくそこで勉強以外の何か大事なことを学び、もっとも倦厭(けんえん)する現場で自分をいかに表現するのかという課題があったからなのでしょう。


★ 6と7の数字がもつエネルギーの狭間で ★


あらゆる制限から自由になることを望んでいた尾崎さんに、果たして真の自由は訪れたのでしょうか?

人を愛することの大切さを主張しながら、けっしておとなたちを愛せなかった尾崎さんの相反する心情は、どこから生まれたのでしょうか?

彼の誕生日と名前を数秘術で調べると、その謎をある程度は解明できます。
彼の〈軌道数〉は7で、〈表現数〉は6でした。

★〈軌道数〉は、その人がこれから明らかになっていく人生の地図、その人が人生を通して学んでいくものをあらわします。

7の本質は、自分自身の内側に入っていって、自分自身とともにあり、自分自身の道、自分自身の理解というものを見ていくことのできる能力です。
智恵、瞑想、独りであること、知性、観察、識別力、眼識、尊厳、気高さ、洗練された、頭とハートを併せ持つという質をもっています。

7の人の学びというのは、意識とハートが組み合わさって、ほんとうに起こっていることを経験していくことにあります。

7の人にとっては、「愛というものが何なのか」、人との「関係性というものが何なのか」を、ただ頭でわかっただけではだめなのです。
自分が愛や関係性を通して、その経験から学ばなければ、真にわかったことにはならないからです。


ですから、彼はいろんな体験をして、自分の思い通りにならない人生について、いやというほど思い知らされていったのだと思います。


★〈表現数〉は、その人が世の中でどんなふうに自分を表現しているのかを示す数です。その人が出生時につけられた名前が、その人の人生を動かしていて、その人の仕事やしていることに影響を与えていくと考えます。

尾崎さんの表現数は6でした。
6は、無条件の愛、ハートの真実、責任、調和、世話、配慮、真実、家庭と家族、奉仕、信念などをあらわすエネルギーです。


子どものころ、母親はよく子どもに言います。
「これをしたら、あなたはいい子ね。でも、これをしたら、あなたは悪い子」と。
子どもは「これがやってはいけないこと、悪いことなんだ」ということを学びます。
学校に行ったら行ったで、厳しい校則のなかで、教師から「していいこと、悪いこと」を学びます。
子どもたちはおとなになるまでに「正しい、まちがっている、するべき、するべきでない」ことを、すべて学ばされるわけです。

だから、子どもたちは「何をするべきか」、「何をするべきでないか」ということは知っていますが、「ほんとうに自分が何をしたいのか」ということは知らない、わからないのです。

いつでも「こうすべき」とか「これが正しい」という状況に入っていくと、ことばにならない契約で、相手がどうふるまうかを期待するようになります。

「私はあなたにこのようにしているのだから、あなたも同じようにちゃんとしてね」と望むようになっていくのです。
そして、その期待が満たされないと、「あなたはあなたのするべきことをしていないじゃないの。だったら、私だって、そうしないわ」と、とても恨みを感じてしまうのです。
自分が相手を愛したり、与えたり、シェアするのは、自分がそうしたいからであって、他人から認められたいからするのではありませんね。

ところが、6の人というのは、「何が私にとって正しいか、私にはわかっている」だから、「わたしは~すべきだ」というところで動くので、つい無理をして「いい人であるふり」をしてしまうのです。


尾崎さんが「正しいことは何なのか?」を探求しつづけたのは、軌道数が7で、表現数が6だったことが大きく影響しているように思います。
彼は6と7のエネルギーの狭間で葛藤し、苦悶していたのです。

彼は学校の先生やおとなたちから与えられた「正しさ」に対しては、つよい反発心をもっていました。
おとなたちを否定し、批難したのは、自分のなかにある「正しさ」という「ものさし」で測っていたからこそです。そうでなければ、やみくもに反発することなんてできません。
彼の心の中に、彼が一番嫌っていたはずの「学校の先生」が存在していたことを、彼自身気づいていたでしょうか?

それでは、お互いに攻撃し合うだけですね。
この「自分だけの正しさを主張する者同士が戦争をつくる」のです。
ですから、ほんとうは平和を求めていたはずの彼の心は、苦悶だらけだったにちがいありません。

歌のなかに、「愛」ということばをふんだんに使ってはいても、真の愛がいかなるものであるかを、彼は知らなかったのかもしれません。

少年のころから煙草を吸い、酒を飲み、覚せい剤におぼれていた彼は、完全な「中毒者」でした。
「中毒者」が求めているのは、「躁的状態」の連続です。
「耽溺」という一瞬の快楽に生きるようになるのは、苦痛から逃れるための手段なのではないでしょうか。

苦悶と恍惚に交互にひたっていて、そこから抜け出せない人の結末は、悲惨です。
破壊的な結婚生活や人間関係から一生を棒に振ってしまうのは、このような中毒者に多いのです。

彼はまるでクモの巣にからめとられた蝶々のように、苦しみ、もがいていたのではないでしょうか。
自分の苦しみの脱出口を見つけようとして、狂乱の状態で身をひねったりよじったりして「おれは自由になりたいんだ!」と叫んでいたのです。

彼は冷静になって脱出口を見つけるかわりに、あくまでももがきつづけたために、事態をさらに悪化させてしまい、二度と自由な空へと舞い上がることはできませんでした。

制限されるのをもっとも嫌った彼は、「自分でつくった制限」の網にからめとられたまま、この世を去ってしまったのです。
彼はこの世で「真の自由」を味わうことはできなかったのです。


★尾崎さんの〈魂の衝動数〉は3でした。
喜び、表現、創造性、熱情…。

喜びがあまりにも強くなると躁状態になり、それが反対になるとウツ状態になり、意気消沈してしまいます。
アップダウンが激しくなると、躁ウツ病になってしまいます。

もし創造的なエネルギーを表現していかなかったなら、ファンタジーの世界に入り込んでしまい、大地とのつながりを失ってしまうのです。
憂愁に閉ざされながらも、彼は夢を見ている少年だったのです。

初めてギターを抱いて、ちょっと恥ずかしそうに微笑んでいた彼の顔が印象的でした。



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インドの神秘家OSHOは、つぎのように語っています。


「反逆者」が意味するのは、絶対的な自由、絶対的な愛、絶対的な創造性だ。

彼は過去においてほんのわずかの人々、ほんのわずかの詩人たち、ほんのわずかの哲学者たち、ほんのわずかの神秘家たちによって夢みられてきた、まったく新しい種類の人間だ。

が、それはいつまでも夢にとどまったままだった―
ゆえに人々は、それらの詩人や神秘家たちを夢想家(ユートピアン)と呼ぶようになった。
  
ユートピアということばは、語源からすると「けっして来ないもの」という意味だ。
それを夢見ることはできるが、その夢はまったくむなしい努力に終わる。
それは夢想であり、けっして実現することはない。
それはまったく望みのない希望だ。
それは人々に現在の苦しみやみじめさを忘れさせ、夢を見させ、幻想を与えておくための阿片にすぎない。

反逆者は、夢ではない。
反逆者は、現実だ。彼はユートピアではない。
彼は、人間の潜在的可能性の具体的な実現であり、
果たされた約束、具現化した夢だ。

当然、彼は既存のいかなるカテゴリーにも属していない。
反逆者は自らのカテゴリーを創造しなければならない。
きわめて多くの知性的な、若々しい、生き生きとした人々に
未知なる未来の挑戦を受けて立つ用意ができるとき、
まさにその事実が新たなカテゴリーを創り出す……。



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ハート
反逆者は何よりも自由を愛するけれども、道に迷うようなことはありません。
自分を制限するものなど、ほんとうは何もないことを初めから知っているのです。
尾崎豊さんは反逆児ではなく、夢想家だったのだと思います。

クリスタル・チルドレンと呼ばれる現在の子どもたちは、インディゴの激しさを求めることはありません。
彼らは穏やかで、暴力や不調和を嫌い、自分の身体に悪いものや動物を食べない菜食主義者が多いといいます。
生きとし生けるものを愛する霊性が備わっていると言ってもよいでしょう。
インディゴとクリスタルの気質は異なってはいますが、どちらも感性豊かで心やさしいニュー・チルドレンです。



インディゴは、母の愛を求めている 

2010年11月15日 19:00


★ 母さん子と夢想家 ★



先日、あるインディゴさんからつぎのようなメッセージをいただきました。

尾崎豊さんについて、「ガラスを割ったり、タバコを吸ったりなどの幼い反逆行為は、『愛されたい!』と絶叫する程の思いを素直に口で言えないがゆえの精いっぱいの表現ではないかと思う。なぜなら自分がそうだったから…」という内容でした。
(自分の心の真実を伝えてくださったことに感謝しています。ありがとうございます!)

また、「これは勝手な私の憶測ですが、インディゴは母親の惜しみない愛が必要です。HOMEがあるという実感が必要です」とインディゴさんは記しておられました。

尾崎さんが「お母さんの愛を心から欲していたのではないか?」というご指摘は、大変貴重だと思いました。わたしも同感であったからです。
前回わたしは「尾崎さんは反逆児ではなく、夢想家だったのだと思います」と書きましたね。
「母親との関わり」はあえて述べなかったのですが、彼を「夢想家」だと感じたのは、彼のウツ状態の影に隠されているものが、「母という存在」なのではないかという直観があったからです。

★「夢想家」というのは、「男性心理の元型」から分類すると「未成熟な男性の元型」のなかの「少年心理」に該当します。
少年心理」にもいくつかの分類がありますが、彼はそのなかの「エディプス児」に相当するのではないかと思うのです。

エディプス児」はさらに「母さん子」と「夢想家」のふたつに分けられています。
夢想家」というのは、「エディプス児の逆機能である『影』のもうひとつの極」なのです。

母さん子」にとりつかれた少年は受け身だけれど、少なくとも「」を能動的に求めます。
でも、「夢想家」にとりつかれた少年は孤立して、あらゆる人間から切り離されているのだと感じるのです。
少年が関わる人間関係は雲をつかむように漠然としたものであったり、自分の内にあるイマジネーションの世界だったりするわけです。いつもひとり夢見ている孤独な少年であるわけですね。

尾崎さんはお母さんが亡くなったあと、そのあとを追うように亡くなられたようですから、母の死は痛手だったのでしょう。

人はみなたいてい母の愛を求めますが、特にインディゴはそれが強いのかもしれません。
そして、ほんとうに求めているのは、肉体を持つ限界のある母ではなく、無条件の愛のなかで抱いてくれる霊的な母なる神、永遠に自分を愛しつづけてくれる女神なのではないでしょうか。



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★ インディゴとシジジィ ★



インディゴを思うとき、わたしは20年ほど前に読んだ詩人 山越龍美(やまお たつみ)氏の記事「現代のミュータントたち」を思い出します。
(別冊宝島 『性格の本』に記載)

そこに「シジジィ」ということばが頻繁に出てくるのです。
(「シジジィ」というのはギリシャ語で、正確にはSYZYGYと発音します)
本格的な「シジジィ」についての詳細は、分析心理学者C.G・ユングの「アニマ、アニムス」や「転移の心理学」などに譲り、今回はほんの少しだけ「シジジィ」の性質について触れておきたいと思います。

★山越氏は、「シジジィ」を「愛情乞食」と比較しながら綴っています。

愛情乞食」というのは、一人の指導者のもとに集まり、集団的に行動することを好み、仲間うちでは非常に情に厚く、外に対しては攻撃的であって、家父長的な世界に生きている人たちを指すのだそうです。
社会性はあるけれども、集合的で自立していない人たちというわけですね。

それに比べ、「シジジィ」は自分の身ひとつで行動するアウトサイダーの一匹狼です。
孤独で傷つきやすく、頼りとするところは、現実に存在するしないにかかわらず、おそらく母の胸しかないであろうというものです。

シジジィは、淋しさに堪えかねて、愛情乞食の群れと行動を共にすることはあるが、長続きはしない」と山越氏は言います。
なぜなら、両者は対極的な存在であり、本来は絶対に合わない種類の人間であるからです。

生まれながらにして自己完結型である「シジジィ」は、完全主義者であり、自己充足的です。
彼らは共感能力を持っていて、相手のことがよくわかり、シジジィは他のシジジィを見分けることができるのだといいます。

シジジィは詩人や芸術家に多く、非常に繊細で傷つきやすい心を持っているので、防衛上自閉的にならざるを得ないし、神経質で気難しいのだそうです。
彼らはやさしいけれども、そこに秘められた激しさもあります。
山越氏はつぎのように記しています。

やさしいというのは、弱いということでも、能力がないということでもない。
彼らは憎しみは持たないが、正義の怒り、
あるいはやさしさを引き裂くものに対しては殺しもあえて辞さない。


★シジジィって、どこかインディゴに似ていませんか?

もちろんシジジィといっても、いろんなタイプのシジジィが存在するのでしょうが、インディゴと共通しているところがあるのではないかと思います。

若い頃、わたしは自分のことを「シジジィ」だと思っていたことがありました。
わたしの夢は、スカイダイビングと自由自在に操縦できるUFOに乗ることでした。
空を飛びまわること、上昇することへの憧れは、シジジィの特徴でもあります。
山越氏の文を読むと、なおさらそうだと確信するようになりました。
まあ、SF作家のシオドア・スタージョンに言わせれば、シジジィは地球外からやってきた宇宙人なのだそうですから、「さもありなん」という感じですね。

地球外から来た者は、多かれ少なかれそういうところがあると思います。
故郷がなつかしいんですね。
地球で生きているのがいやになると、早く還りたいと思うのです。
E.T うちに帰る!」って言いたくなるわけですね。
そんな気持ちがわかるというのなら、きっとあなたもE.Tなのでしょう。



天の川



★ 教えることと学ぶこと ★
 



★次回より、「宇宙創造主のもくろみ」というテーマで「人が地球に生まれた理由」や「人類を創成した神の正体」「宇宙創造主の意識と意思」について、お話ししたいと思っています。

これらは、わたしが5年ほど前に『分離から統合へ』というテーマで、将来本にする予定でまとめた内容の一部です。
その内容を再度吟味し、新たに編集しながら、今回からブログとして発表していこうと考えています。
そのあいだに、皆さんからの要望などがあれば、とりあげたいと思います。

若い人たちから、もっといろんなメッセージをいただけると、うれしいです。

★「教えることと学ぶこと」は一貫しています。

若い頃、わたしは子どもたちに学びを提供する教師だったことがありました。
その間、教え子から与えられた学びもたくさんありました。
自分が学んだことを、人に教えれば教えるほど、自分自身のなかでの学びもさらに増え、深まっていきます。

わたしは自分の知っていることを皆さんに提供しています。
今度は、わたしの知らないことを皆さんが教えてください。
そして、学びあいましょう。

Teaching and Leaning.
これが、わたしの人生の目的なのです。

わたしがブログを書く理由 3

2011年05月12日 02:00


★ わたしが今現在ブログを書く理由 ★



わたしがブログを書く理由」は、当初(2010.8.6)に比べますと、随分心境の変化が生じています。
今現在わたしがブログを書いているのは、当時一番目に記していた「自分のため」にではありません。
真に自分のためであるのなら、好きな小説やエッセイを書いて、自ら楽しんでいることでしょう。できることなら、そうしたいです。

しかし、今そんな状況ではないのです。
最近の地球の様子を思うと大変つらくなります。
あまりにも気づきのない人類に向けて、過去記事「打てば響く人&響かない人」で檄を飛ばしました。
また、インディゴチルドレンに対しても厳しい真実を書きました。
未だに危機感も覚えず、安眠している多くの魂を揺り動かして、目覚めてもらわなければ、「どえらいこと」になるのが目に見えていたからです。

★今現在のわたしは、ささやかながらも自分なりに「地球に貢献するため」に、このブログを書いております。
人間が地球に甘え過ぎていて、あまりにも地球が労(いたわ)しいからです。
厳しいことを指摘されるのがお嫌いな人たちは、甘い愛の言葉に満ちた安心感を得られるようなサイトに行ってください。もっとご自分の周波数に見合ったところはたくさんあるはずですから。

過去記事「わたしがブログを書く理由」に、「アクセス数ばかり増えても、真にそのブログを読んで心に留め置かれないならば、読んでもらってもあまり意味がない」というようなことを書きましたが、今まさにその通りだと感じています。


★気づきの拍手は「自分のなかの神」に対して★



わたしの「ブログ記事」や「気づきの拍手」に対する受け取り方、感じ方は、「その人の意識レベルによって違う」ので、どのような感じ方をされようが基本的に自由です。
わたしの「拍手設置」についての真意は、過去記事「わたしがブログを書く理由」に書いておりますので、まだ読まれていない人はぜひご覧になってください。
初回訪問者さんのために、その文面の一部を抜粋しておきます。

★「拍手」というのは、たいていブログを書いた人に向けて送るものですが、わたしは読者が自分自身の魂に響いたり、気づきがもたらされたりしたときに、その「しるし」として、クリックをしていただけたらいいなと思っています。
つまり、書き手に称賛の「拍手」を送るのではなく、読み手の自分自身が、「気づきが生まれてよかった」という意味でクリックしてほしいということです。このブログに限ってですが。
(★意図することがわかってもらえたでしょうか?)

以前さらりと読んでしまったカテゴリでも、再度読んでみたときに何か別の気づきが生じてくることもあるかと思います。そんなときに、「気づいたよ」という意味でクリックして
くださると、書き手のほうは「よかったね」とその喜びを分かち合うことができるからです。
(過去記事 「わたしがブログを書く理由」より)



わたしが望む「拍手に対する視点」は、一般のブロガーさんとは異なっていると思います。
このブログでの「拍手」は、読者の皆さまの「気づきのしるし」として設置しています。
あなたの気づきに対して拍手してくださいね」と言っているのです。
あなたが拍手する相手は『光の仕事人』ではなく、『あなた自身』なのです。
ご理解いただけますでしょうか?

★「気づき」に対する「感謝」は、「自分のなかの神」に対してなさってください。
「わたしの内なる神さま、気づかせてくださってありがとうございます!」
あなたの内なる神に感謝することで歓びが湧きあがり、とても幸せな気持ちになれます。

「あなたのなかの神」と「わたしのなかの神」は必ずつながっていますから、「気づきの感謝」をされると、「あなたのなかの神」の喜びが「わたしのなかの神」に伝わり、「よかったね、わたしもうれしいわ」と共鳴し、喜びが倍になるのです。
響き合う関係」というのは、そこから生まれます。


ブログを立ち上げた当初、「拍手などはいらないかな?」 と思ったのですが、娘が「それはあったほうがいいよ」と助言してくれたため、そのまま残し、どれだけ「気づき」を得た人がおられるかを知るための目安として、設置しておくことにしたのです。
わたしのなかで「相手が気づこうが気づくまいが、そんなの、どうでもいいよ。お好きなように」と、読者の気づきに対する関心がなくなってしまったとき、「拍手」の欄は消えていることでしょう。それはコメント欄も同様です。

★コメント欄からのご質問で、大勢の読者に参考となるような内容は、できるだけお答えするようにしてきました。しかし、「それを答えたところで、その人の魂の成長にとって何の役にも立たない質問」、「その人にはまだ答えないほうがよい質問」、「人間では答えられないような、とてつもなく難解な質問」、「フォーカスの仕様がない質問」には、お応えができません。
どうかご了承いただきたいと思います。

★当初より、コメントや質問をされる前には、「必ず全記事を読んでからにしてください」と繰り返し申し上げてきました。また、「あなたの真実とわたしの真実は違いますよ」ということも最初から申し上げております。
それでも、自己を主張したいがために否定的な波動がこもった文面を送ってくる方がたまにおられます。
それはご自身にとって有益とはならないので、お気に召さなければ、速やかに立ち去っていただきたいと願います。どうかその点よろしくお願い致します。



★ 視点を変えると納得できることがある ★



わたしたちがさまざまなブログを読むとき、そのブログがどの視点から書かれているかを見極めることが大切です。
ブロガーの立場からなのか、読者側の立場からなのか、第3者的立場からなのかということです。
たとえば、人類側の立場から書く場合と、地球側の立場から書く場合では、随分内容が異なってくるということです。

最近は、わたし自身が地球意識に同化したようなときも多くあったため、人類に対する風当たりが大変きつくなっておりました。
現在世界で起こっていること、たとえば政治的闘争のような人類の所業の数々を見ると、正直言って、もっと浄化を強めてもいいんじゃないかと思ってしまいます。
もちろん、天変地変が起こるのは、人類にとっては困ることなのですが、それも仕方がないと思えるほど状態はひどいです。
(今人間同士が銃を持って戦っている場合ではないということは、毎日世界情勢のニュースを観ている人はお解りになっているはずですね)

「勘(カン)違いをしている人」というのは、どんなことに対しても、カン違いが多いものです。
たとえば、今回の大震災の規模が大きかったため、人工的に起こされたものだと騒いでいる人たちがけっこう大勢いますね。千年ほど前にも、同じほどの津波が来ていたと学者さんたちは言っていますが、そのときも人工地震だったのでしょうか?
そういう陰謀論の記事ばかりを漁って読んでいる人は、興味が闇(暗黒)の連中のほうにばかりに向いていて、意識も偏り、地球の心中を忖度(そんたく)するようなことはありません。

自分の感性をもっと研ぎ澄まし、地球の声を聞いてください。
そうしたら、それが的外れであることがわかるでしょう。
カン違いを起こしている人というのは、心の目が曇っているので、いつまで経ってもそのカン違いに気づかないのです。

「カン違い」とは、勝手な「思い込み」のことです。
「思い込みの制限を外す」のが、このブログの目的です。
書き手の意図することを真に理解していただければ幸いです。




★ 曇りを取れば、真実が見えてくる ★



曇りを取って、きれいな瞳で見つめてください。
清らかな瞳で地球を、自然を、見つめてください。
そうすれば、人間が自然界に対して、どんなにひどいことをしているかがわかります。

生きている樹木の幹に板を張りつけようと、釘で打ちつけている人をテレビで見ました。
むやみやたらに枝を切り落とし、幹の周りを別の板でとり囲んでいました。
何をしているのか、わたしには理解ができませんでした。
木の幹は成長するということ、幹がどんどん太くなっていくということがわからない愚かな人間(大人)がいるのです。
樹木の叫びが激しく伝わってきて、いたたまれなくなり、わたしはテレビを消しました。

樹木は人間のように血も出ないし、声も出ません。
もし、木を切り倒すたびに、彼らから血が噴き出したなら、
木が「痛い!」と叫んだなら、人間たちはどうするでしょうか? 

これまで切り倒された地球上にある膨大な木々は、人間たちの手によって殺されたのです。感謝の気持ちもなく、斧で、電動のこぎりで、つぎつぎと倒されていきました。
人間の住まいを作るために。日本を含む先進国に売るために。
(飲食店で使っている割り箸も、ティッシュペーパーも、みな木から出来ているのです)

曇りを取って、きれいな瞳で見つめてください。
そうすれば、樹木の声が聞こえてきます。
小さな生き物の声が聞こえてきます。
「むやみに切り倒さないで!」
「踏みつぶさないで!」

地球が嘆いているのがわかりますか?
地球が怒っているのは原発に対してだけではないのです。
地球の資源を使い尽くし、ありとあらゆる生命体たちを、いとも簡単に殺してきた人間たちへの怒りです。



★ 生き物が絶滅の危機に瀕している ★



カンボジアでは、蛇が絶滅しかけています。
「蛇なんて、絶滅したっていいじゃないの」とあなたは思うでしょうか?

絶滅の理由は人間にありました。
飼育しているワニに食べさせるために、毎日膨大な数の蛇を殺しているのです。
ワニたちは、毎日エサとして蛇(1日に1頭当たり3kg)を与えられています。
ワニの数も多く、蛇の量は半端ではありません。
個人が持っている小型の船にいっぱいになるほどの量が必要です。
気持ちが悪くなるほどです。

何のためにそんなに多くのワニを飼っているのだと思いますか?
ワニの皮をとるためです。
その地域の人たちはそれを生業(なりわい)にしているのです。
ワニ革のハンドバッグは、必要でしょうか?
そんなものを喜んで買う愚か者がいるから、貧しい人たちはそれでお金を得ようとするのです。
牛や豚を飼うのも、それを毎日のように食べずにはいられない人間たちがいるからです。
ため息が出ますね。

原発だって、電気を大量に使う人がいるからです。
それでお金儲けができるから、発電所がつぎつぎと建つのです。

彼らの瞳には、紙幣が、四六時中映っているのです。
ワニをお金と見ているのです。
牛をお金と見ているのです。
豚をお金と見ているのです。
鶏をお金と見ているのです。
樹木をお金と見ているのです。
すべて、お金のためです。

人間は、動物や植物や鉱物を「友だち」とは見ていません。
それらは、自分たちの欲望を満たす「道具」にしか過ぎないのです。
人間のよき友だちは「お金」です。


そんな愚かな連中に対して怒りを感じるのは、いけないことでしょうか?
怒りには、「愚かな怒り」と「正当な怒り」があるのです。
地球の怒りが、正当でないと言える人がいるでしょうか?

海水は放射線物質によって汚染されつづけています。
海の生物たちが生きられないようにしているのは人間です。
工場や原発の人たちだけが海を汚しているわけではありません。
わたしたち自身も合成洗剤などで、マチガイなく海や川を汚しています。

そして、わたしたちはマチガイなく工場や原発の恩恵を受けています。
恩恵を受けているということは、それを認めているということです。
原発に反対しながらも、夜には電気をつけています。
ロウソクで夜を過ごすようなことはしていませんね。


猫2

夜行性動物にゃ電気はいらないニャン!


このブログを皆さんに読んでもらうには、インターネットにつなげなければなりません。
読む人たちも当然パソコンの電源をオンにしなければ見ることができません。
電気の恩恵が大きいことは認めなければなりませんね。
だからこそ、政府にも、原発ではない他のエネルギーを増やす努力をしてもらわなければならないのです。
浜岡原発だけではなく、全国にある原発すべてを無くす方向で考えてもらうことが今一番必要です。



★ グローバルな視点で見ること ★



*先月わたしはオンライン署名「枝野さん、安全な電気がほしいです」と「浜岡原発運転停止」の署名活動に参加しました。
5月6日に日本政府は浜岡原発の運転停止を要請し、5月10日、菅直人内閣総理大臣は、「エネルギー基本計画の見直し」を表明しましたね。

「国際環境NGOグリーンピース」は、1万8千以上のオンライン署名を4月26日に政府に提出した際に、5月11日までにエネルギー基本計画の白紙撤回を閣議決定するよう求める要請書を一緒に提出されました。
このオンライン署名が菅首相の意識を変え、このような画期的な発表につながったわけですね。強い意志のこもった署名の力はすごいと思います。

これからもさまざまな要請をする予定があるようですので、関心のある人は下記サイトへどうぞ。

国際環境NGOグリーンピース・ジャパン
http://www.greenpeace.org/japan/ja/



ニュースを見ると、店の経営者がよく言っていますね。
「電力不足になったとき、仕事ができなくなるから困る」と。
原発関連で儲けていた中小企業などは、「原発がなくなると経営できなくなる。どうしたらいいんだ」と言っています。
頭にあるのは、自分のお店が困るということだけです。

そう言いたい気持ちはわからなくもありません。
しかし、彼らは自分たちの利益、目先のことしか考えていません。
彼らには、今、日本が危ないとか、世界が危ないとか、地球が危ないとか、そんな意識はどこにも見当たらないのです。頭のなかは経済のことばかりです。
今までのシステムがもう機能しなくなっているというのに、まだ過去にしがみついているのです。捨てられないのです。
自分たちが追い求めているものが「がらくた」であることに気づかずに、未だに「お宝」だと思い込んで、大事に大事にしているのです。

すべてのことを「グローバルな視点で見ること」すなわち、物事を「地球規模で考えること」が彼らにはできないようですね。視点が「小我」のみに注がれており、きっと「大我」に気づくこともないのでしょう。



猫3


日本や世界が沈没した
とき、人間たちは儲けたお金をもって死ぬのかしら?



そうねぇ。
あの世に行ったら、閻魔さんにお金を差し出そうと思っているのかも。
「これで、何とか極楽へ行かせてもらえませんか」って。




欲の重みで下に落ちることはマチガイないニャ。
重ければ重いほど、落下速度は速いんだよネッ。


(撮影 光の仕事人)
 猫2匹
      










それにしても、いい眺めね~。  

そうね~。わたしたち、うちにいるのが最高ね。         


 ハート幸せな猫たち




人類が「自分たちの行為に気づく」ように、繰り返し、繰り返し、ブログを通して皆さんにお伝えしております。

あなたの意識を変えることが、地球に貢献することになるのです。

ひとりひとり霊的な爆発を起こしましょう。
大好きな地球のために。






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