「鉄輪」に登場する悲劇の女主人公のお話

2010年07月24日 14:40


★あなたは、自分が他人に対して抱く肯定的な思いや否定的な思いが、相手にどのように影響するのか考えてみたことがありますか? 

もし、自分が激しい怒りに襲われていたり、憎しみのために相手を陥(おとしい)れようとしていたり、相手の不幸を望んでいたりして、深い敵意をこめた低い波動(振動数)をだれかに投射したとしたら、相手の人はどうなるでしょうか? 

ここでは、個人が発する「ネガティブな想念」について考えてみましょう。



「鉄輪」に登場する悲劇の女主人公のお話



昔から憎む相手を呪(のろ)い殺す方法として、「丑の刻参り(うしのこくまいり)」がありました。

丑の刻(午前二時頃)にひそかに参籠(さんろう)して祈願することで、呪う相手の人形(ひとがた)を釘で刺し、神木に打ちつけながら、自分の想念を集中して相手に送りつける行為です。

能楽の世界でも*「鉄輪(かなわ)」という物語で取り上げられています。

(*能の曲目。四番目物、また五番目物にも扱う。作者不明。出典は、男を恨んで鬼となった貴族の女、『平家物語』「剣巻」に登場する「宇治の橋姫」によるものとされている)


それは現在でも通用する女性の心理を描いた作品です。
暑い夏の夜にこの物語を聞くと、ちょっと涼しくなるかもしれませんよ。
   

★鉄輪は火鉢(ひばち)に入った灰に立てて、やかんや鉄瓶(てつびん)などを乗せる輪型の三脚のことで、「五徳(ごとく)」とも呼ばれていました。
若い人はご存じないと思うので、理科の実験で、フラスコに入った液体をアルコールランプで熱するときに使う丸型の三脚を思い浮かべてみてください。

★「能楽―鉄輪」では、自分を捨てて後妻を迎えた前の夫をうらみ、毎夜丑の刻参りに通っている都の女が登場します。

こんな浮気な男と夫婦になったのは、結局自分の心の至らなさの報いとは思うけれども、それではあまりに口惜しい。来世とはいわず、今この世で罰が当たるように貴船(きぶね)神社に願をかけよう

そう言って、女がうらみと嫉妬に駆られて「呪いの願かけ」をした場所は、京都の鞍馬(くらま)にある貴船神社の奥の宮でした。

ある夜、女がいつも通りに神社に行くと、貴船明神からご神託(お告げ)を受けた社人(神主)に出会います。

赤い衣を着て、顔には赤い*丹(に)を塗り、髪には鉄輪を乗せ、三つの足に火をともし、怒りの心を持てば、願いどおり鬼になれるであろう」 
(*丹は赤色の顔料のこと)

社人がそんなご神託を伝えると、女はそれを実行しようと決心して家に帰ります。


★さて、女の前夫のほうですが、最近どうも夢見が悪いので、原因を占ってもらおうと、陰陽師(おんみょうじ)の安部清明(あべのせいめい)のところへでかけます。

すると、前妻の深いうらみで、命が今晩限りであると告げられるのです。

驚いた男は、呪いを除き、悪行に打ち勝つための祈祷(きとう)を依頼します。
清明は男と後妻の身代わりになる人形=形代(かたしろ)を作って供物を整え、あらゆる神仏を呼び出して祈祷を始めます。

雨が降り、稲妻が走り、雷鳴がとどろくと、そこへ先妻が鬼(生霊)となってあらわれるのです。(★とても恐いシーンですよネ!)



あなたと夫婦になったときはいつまでも変わらないと思っていたのに、捨てられてうらめしい。でも恋しいとも思ってしまう。こんな苦しい思いをさせたあなたの命も、今宵(こよい)限り。お気の毒なこと

女には祈祷の祭壇が夫妻の寝床として見えていて、男の形代(かたしろ)の烏帽子(えぼし)に向かってうらみ事を口走ると、後妻の形代の髪を手にからめとり、「思い知れ!」と一撃のうちに打ち殺してしまいます。


鉄輪


憎むべきは断然男のほうなのですが、鬼となった女はまず後妻に対して怒りをぶつけ、殺してしまうのです。
そして、今度は男の命をも奪おうとして男の形代につめ寄ります。

そこで女の心に葛藤が生じます。

この憎い男の命をとっていこうか……。
それとも男を連れ去ろうか……。 
もしかしたら、また男の気持ちが自分のほうに向いてくれるのではないだろうか……。


そんな微かな期待感と未練。憎いけれども殺せないでいる悲しい女心が見え隠れします。

結局、清明の祈祷で守護の神々が守りを固めていたため、女は男を殺すことも、連れ去ることもできませんでした。
最後にこんな捨てせりふを残し、女は退散します。

時節を待つべしや、まずこのたびは帰るべし
今日のところはひとまず帰りますが、またうらみを晴らしにいつか来ますよ」ということですね。

この複雑怪奇な女の本音はどこにあるのでしょうか?

(★この続きはまた明日…) 


人を呪わば穴ふたつ―因果応報の法則

2010年07月25日 08:00


★ 人を呪わば穴ふたつ―因果応報の法則 ★



人を呪わば穴ふたつ」ということばがあります。

平安時代、加持祈祷をおこなっていた陰陽師は、人を呪い殺すこともあったようです。
そのとき、呪い返しに遭うことを覚悟して、相手と自分のふたつ分の墓穴を用意させたというのです。
他人を呪って殺そうとすれば、自分もその報いで殺されることになるので、墓穴が二つ必要になるというわけです。

人を陥(おとしい)れ、不幸にするような悪い思いがその人の内にあるということは、その人は自分に対して悪い感情を持っている人たちからの攻撃に自らを明け渡しているということになります。

つまり、「同種のものを引き寄せる」ということですね。
ですから、自分にも悪いことが起こるということで、「人を呪うにはそれなりの覚悟が必要」だというわけです。

「憎しみの上に憎しみを重ねたり、憎しみに対して憎しみで応えたりすることは、相手の敵意を増大させるばかりでなく、自分自身の悪意によって、自分の心や体を害することになります」
と、パラマハンサ・ヨガナンダも言っています。 

(『人間の永遠の探求』(森北出版)に記載)
 


★仏教では悪行の報いを「自業自得(じごうじとく)」といいます。
また、過去の行為の報いとして、それなりの結果がもたらされることを「因果応報(いんがおうほう)」といいます。


因果応報には「善いこと」と「悪いこと」の両方があります。

悪いことをすれば悪い結果が生じる。これを「悪因悪果」といいます。
善いことをすれば善い結果が生じる。これを「善因善果」といいます。

だから昔の人は「善いことをして、悪いことはするな」と教えたわけです。
世の中には、何が善いことで、何が悪いことなのかがわからない場合も多く、この教えは簡単なことのようで、なかなか難しいですね。

ほかにも「自分で播いた種は、自分で刈り取らねばならない」ということばがあります。
すべて「自分が創ったものや発したものは自分が受け取る」という意味です。


とてもシンプルでわかりやすい法則です。
その法則を信じる人には、そのような結果が必ず現れてくることを知るでしょう。



ハート
人を呪わば穴ふたつ……。

これは、「陰陽師」であろうが、
「鉄輪の女」であろうが、
人をうらんで、相手に悪影響を及ぼすことを戒めたことばだということです。



「汝の敵」はだれ?

2010年07月26日 07:30


★ 「汝の敵」はだれ? ★



皆さんはイエス・キリストの「汝の敵を愛せよ」ということばをご存じでしょう。
この「汝の敵」というのは、いったいだれのことを指していると思いますか?

子どもの頃、わたしは思ったものです。
「相手をだとみなすこと自体がおかしいのではないか。相手をだと思っている以上、愛することなど不可能ではないか」と。
でも、「敵といえども同じ命の源からやってきた魂の兄弟姉妹なのだから、相手の命を自分と同様に無条件で愛さなければならないのだろう」と、考え直しました。
ところが、それから数十年経って、ようやく「汝の敵を愛せよ」という真の意味が理解できたような気がするのです。

★人はお互いに自分の意にそぐわない者、自分が認めたくない者、無礼であったり、不快であったり、有害であったりする相手をとして憎み、嫌い、闘おうとします。

悪魔にとっては、神や天使が敵となります。
悪霊たちのほうからすると、天使が悪魔に見えるのです。
周波数のちがいが大きければ大きいほど、相容れられなくなるのです。


太古の昔より、「天使と悪魔の戦い」がつづいているといわれるのも、納得ができますね。


★異常波動を帯びた悪魔でなくても、わたしたちは往々にして自分の非を素直に認めることをせず、相手のせいにしがちです。
ともかく自分自身のものの見方や受け取り方の悪さを棚にあげて、そのときに生じる怒りにまかせて錯乱し、相手を攻撃するのです。

けれども、落ち着いて考えてみたとき、ほんとうは自分のほうにも原因や非があったことに気づくことがあるはずです。
敵だと思っていたのは相手ではなく、ほんとうは自分の心のうちにあったのだと。

敵が自分自身であったことに気づいたなら、その自分自身を第一に愛し、赦(ゆる)してあげなければなりません。
自分を赦して、イヤな自分を解放してあげれば、敵は存在しなくなります。

よって、「汝の敵を愛しなさい」というのは、結局「自分自身のなかに存在する敵(あなた)を愛しなさい」ということだったのではないかと思うのです。




★ 鉄輪の女主人公は復讐タイプ ★



これまで語ってきた「鉄輪」の女主人公は、夫と後妻を呪い殺すことで、うらみを晴らす典型的な「復讐タイプ」の女性でした。

こんな浮気な男と夫婦になったのは、結局自分の心の至らなさの報いとは思うけれども…」と言いながらも、「それではあまりに口惜しい。来世とはいわず、今この世で罰が当たるように」と願うのですから、自分の至らなさを反省するよりも、自分をみじめにした相手を「裁(さば)こう」とする欲求のほうが強いわけですね。

もしかしたら、心やさしいあなたがたには、理解できにくいタイプかもしれませんが、こういう女性は、今も昔も相変わらず存在するのではないでしょうか? 
だから、そういうドラマがやたら多くて、共感を得ているのです。


★「裁き」は、本来なら自分が悪かったと罪悪感を覚えるところを、その罪悪感を包み隠して逆に相手を非難してしまうことです。

ほんとうに責めているのは自分自身であって、相手ではないのです。
けれども、自分の罪悪感を相手に投影することで、自分のほうが正しいのだと優位に立とうとします。
自分をこんな不幸な目に合わせた者には罰を与えるのが当然だと思い込んでしまうのです。
このような「思い込み」は恐ろしいですね。




ハート
復讐」は、両刃の剣(もろはのつるぎ)さながらです。
相手だけでなく、自分をも傷つけ、
苦痛を味わうことになってしまいます。

夫を裁き、復讐することで、
ほんとうは自分自身を裁き、復讐していることに、
女は気づいていないのです。

では、この女主人公は、どうしたら「復讐」から解放され、
自由になれるのでしょう?
彼女のほんとうの敵は、だれなのでしょう? 
あなたには、もうおわかりですね。



貴船神社にまつわる不思議なお話

2010年07月30日 13:20


★ 貴船神社にまつわる不思議なお話 ★



今回は「鉄輪の女主人公のお話」の総まとめとして、能楽「鉄輪」の背景となった貴船神社について少し触れておきたいと思います。


京都に住んでいた頃、わたしはよく鞍馬寺に詣(もう)でることがあり、鞍馬の奥の院からの帰りに貴船神社の奥の宮に何度か立ち寄ったことがありました。

奥の宮に祀(まつ)られている神はクラオカミノカミと、タカオカミノカミと記されています。
オカミは水の神、または雨雪を司る竜神で、タカオカミノカミは山上を司る竜神です。
もとは山の神だった貴船は、平安京以来、都の水源に当たるとして水の神としても尊ばれたのです。

丑の刻参り」というのは、この貴船神社の祭神タカオカミノカミが、国土豊潤のため、丑年丑月丑日丑刻に降臨されたと伝える古事によるものです。
また、人々のあらゆる心願成就に霊験あらたかであることを示すもので、単に「呪い」にのみとどまるものではないのですが、やはりそこには、「神的なもの」と「魔的なもの」が同時に存在しているように感じられました。

その暗く陰湿な空気のなかで、わたしは「鉄輪の物語」を思い起こし、早々に奥の宮から貴船神社の本殿に赴いた記憶があります。

あるとき、貴船神社の本殿で祈ったあと、大きな神木(樹齢四百年の桂)の前にたたずんでいると、不思議な現象が起こりました。
足元にポトンポトンと雨のしずくが落ちてくるのです。
思わず空を見上げましたが、快晴で雨を降らす雲もありません。
不思議に思って石段を少し降りたところに移動すると、またそこでもしずくが落ちてくるのです。
他の場所にしずくの形跡はなく、わたしの立っているところだけが濡れて、いくつものしずくの跡が残っていたのです。

それは、その神木から落ちてきているようでした。
そのしずくが「鉄輪の女主人公」や、彼女によって殺された女と同様、実際に人を呪ったり、呪われたりして不幸になっていった多くの女性たちの悲しみの涙だったと知ったのは、それから随分あとになってからでした。

その重苦しい苦悩と悲哀を味わった女たちの心情を、神木が伝えたかったのでしょうか。
つくづくと考えさせられる深いメッセージであったと、今になって思います。


★ 自分を害する者に向けて、愛の波動を送る ★



★もし、「鉄輪の女主人公」さながらに、だれかがあなたに対して強い否定的な波動を送ってきた場合、あるいは実際に言動で害を与えてきた場合、あなたならどうしますか?

★あなたが相手に対して嫌悪や脅威を感じることなく、愛を持って、常に肯定的な波動を送り続けるのであれば、相手の心はいつしか落ち着き、やわらぎ、あなたに対して誤解をしていたことや、悪意をもったことを反省するようになるでしょう。

自分を害する者に向けて、愛の波動を送ることは、とても難しいかもしれません。
けれども「相手のなかに自分を見ること」ができれば、慈悲のエネルギーを送ることはたやすくなります。
そして、これを成し遂げたなら、自分がよりパワフルになったのを感じられるはずです。



鉄輪の女主人公」のような人が幸福になれる方法や、そのキーワードはたくさんあることでしょう。
この物語を読まれた人によっても、感じ方や考え方、対処法は千差万別であるはずです。
いつも述べている通り、真実はその人の意識レベルによって異なるからです。

★わたしが特に大切な要素と考えてお伝えしたのは「」と「赦し」です。
能楽「鉄輪」をひとつの例え話として、七回にわたってお話をしてきましたが、そこでもたらされた気づきを大切にしていただけましたら、幸いです。



ハート
愛されるために愛するのが人間であり、
愛するために愛するのが天使である。

(アルフォンス・ドゥ・ラマルティーンヌ) 

人間のあいだで広がる感情は恐れであり、
天使たちのあいだで広がる感情は神の愛であるといわれます。
人間から天使の感情になりたいものですね。






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