マインドで考えることVSハートで感じること 

2011年04月09日 13:37


★ 読者さんからのご質問 ★



★頭で考えることと、心で感じることは明確に区別できることですか?

私は頭で考えたことと、心で感じたことの区別がうまくつけられないです。
どちらも「イメージ」のような感じで…

そのイメージを言葉で認識・確認するのが私の習性のような気がします。
想ったことを言語化する癖が子供の頃からあり、私の頭では常に、私の発した日本語の音が流れている状態です。
雑念だらけという感じかもしれないですが、その雑念を外に出すのが、目の前の人に伝えたい自分の感情表現だったりおしゃべりだったり、文章を書くことだったり…いろいろです。
(頭の中であろうと、書くこと話すこと歌うことであろうと言葉の音を出すのが好きなのはハッキリしているのですが)



ハート1



★ マインドとハートのお話 ★



★まずここでは、頭で考えること、思い巡らせることマインド
心で感じること、感覚的なものハート
ということばに置き変えてお話をさせていただきたいと思います。

英語では、マインドハートはどちらも「」という意味がありますが、
マインドは「頭で考える心」で、ハートは「本能で感じる心」というふうにとらえることができます。

そして、マインドが「自分でコントロールできる心の働き」であるのに対して、
ハートは「自分でコントロールできない心の働き」であると言えるでしょう。 

基本的にマインド(頭)とハート(胸)は平行線上にあるもので、もともと質がちがうものなのです。
ですから、マインドとハートは、はっきりと区別することができます。
では、両者がどのようにちがうかをお話ししましょう。


★まず「マインド」についてです。

たとえば、あなたがメガネを使用しているとしましょう。
それをつけているとき、あなたは常に「それがなければ見えない」ということをすっかり忘れていますね。
メガネを長年使用している人は、それが自分の目、自分の一部となってしまっています。

もしそれが色メガネならどうでしょう。
「見る対象」がすべてその色となりますね。
ブルーならブルーの色がついた世界を、パープルならパープルの色がついた世界を毎日見るわけです。
世界には、そんな色合いなどはないのですが、あなたは色メガネと同化してしまっているので、世界がブルーやパープルに見えるわけですね。でも、レンズ自体は何も見ることはできません。

人のマインドもまた、メガネ同様ひとつの道具にすぎないのです。
ですから、あなたが色メガネで見ている世界が現実だと思うのと同じように、
マインドが見るものはすべて現実だとみなしてしまうのです。

マインドが現実を見ることはできない」と、OSHOは言います。
マインドは「自分がつくり出している偏見」や、「世界というスクリーンの上に映し出された自らの投影」しか見ることができないのです。

★マインドはわたしたちが生まれてから両親や社会から与えられた「条件付け」以外の何ものでもありません。
わたしたちは条件付けられた考えを基本にして、ものを見るように訓練されてきたのです。
さまざまな「思いの制限」はそこから生まれ出ているわけですね。 
このことは、ブログ上のあちこちで語ってきたことです。


★ マインドの機能は分割すること ★



マインドのすべての機能は、分割しつづけます。
二元性のなかで、マインドはいつもどちらかを選ぼうとするのです。

好きか嫌いか。損か得か。
善か悪か。光か闇か。
ポジティブかネガティブか。愛か憎しみか。
正義のための戦争は、正しいか否か…。

マインドにとっては、「ふたつが同時に正しいこと」などはありえません。
「これが正しい」か、「その反対が正しいか」、「あれかこれか」のどちらかです。
マインドはひとつのものをふたつに分離し、対極の現実に分けるだけです。

また、マインドは「予期できること」や、「すでに知っているもの」に対してしか機能できません。
何か「予想以外のもの」、「未知なるもの」、「ことばでは言い表せないもの」、「ことばを越えているもの」が、理解できないのです。
たとえば、「ひらめき」や「直観」というのは、ことばにならないものですが、マインドにはそれがわかりません。
論理的に正しいこと(証明できたもの)しか理解できないのです


頭中心の人には、見えないものや感覚的なものがわかりません。
頭痛がして、寒気がしたら、「風邪かな?」と思うだけです。
すぐ近くに未浄化霊がいるから身体が反応していることなど、思ってもみません。
そういう発想すら生まれ出ることはなく、理解もできません。
感覚的なものがとても鈍ってしまっているからです。

頭(マインド)はいつも過去のことや、まだ来ていない明日のこと、将来のことを際限なく考えつづけます。
瞑想をしていても、マインドはずっと落ち着かず、べらべらとおしゃべりをつづけます。
また、自分がつくった映像のなかに、いつのまにかひたっていたりします。
マインドは過去と未来を考えることは好きですが、「今この一瞬」にいることはできません。
マインドはつねに緊張し、不安で、病んでいるのです。


★今度は「ハート」についてお話ししましょう。


ハートうさぎ



★ ハートの機能は統合すること ★



★ハートは、マインドの二元性というものを超越しています。
「あれかこれか」ではなく、「あれもこれも」です。
ハートは「ふたつがいっしょである」ということ、「同時に存在する」ということ、「正反対のものがほんとうはひとつのもの」だということを、みごとに見抜くことができます。

ですから、愛と憎しみは分割できるものではないということ。
光と闇、善と悪、ポジティブとネガティブが同じ線上にあるということを全体としてちゃんと把握し、理解できるのです。

ハートには、論理はないけれども、感性と知覚力があります。
マインドには「愛」は理解できません。
愛は第4チャクラの「ハートの領域」だからです。
愛を語ることは不可能です。
それは感じるものだからです。


ハートは「今ここ」、「今この一瞬」にいることができます。
本能で感じるハート」は、「あっ!」と瞬間的にわかります。
感覚ですべてが理解できるのです。
今まで未知だった事柄が、一瞬にしてわかる」というのは、
頭ではなく、ハートで感じたことです。

ハートは目の前にある花の優美さを感じ、
夕陽のうつくしさを感じ、
そよ風の心地よさを感じます。

明日のことなど考えません。
あるのは今だけです。
瞬間瞬間の感覚で生きている人は「ハートの人」です。



★マインドは計算高く、つねに細かく分析し、損得を考え、脳の左半球を使いますが、ハートは損得を越えた大いなる至福を感じることに喜びを見いだします。

マインドにとってはお金や仕事がゴールですが、
ハートにとっては楽しみやくつろぎがゴールなのです。
お金を稼ぐのは、自分の生を楽しむためであり、真の平安を得るためにしかすぎません。


★質問者さんは、
私は頭で考えたことと、心で感じたことの区別がうまくつけられないです。どちらも「イメージ」のような感じで…そのイメージを言葉で認識・確認するのが私の習性のような気がします
と書いておられましたね。

質問者さんの場合は、心(ハート)で受け取って感じたイメージを頭(マインド)で「言葉に変換」されていて、マインドとハートが統合されている感じがしますね。

ハートが感じたものを言葉にするのは難しいです。
「竜宮城は絵にも描けない美しさ」だと言いますし、「言葉にしたら、それは真実ではない」とも言いますから。

★さて、あなたはこれまでの人生の中で、何かの選択を迫られたとき、マインドで考えたことを選んできたでしょうか? 
それとも、ハートで感じたことを選んできたでしょうか?

ハートが一杯


マインドは人間や社会によってつくりあげられたものですが、
ハートは宇宙の存在から直に与えられるものです。
だから、ハートを選んだほうがまちがいはないのです。
あなたの直観を信じてください」と繰り返し言っているのは、そういう意味なのです。

健全な感情は、自然に流れる川さながらです。
ブロックなんかしてしまうと、いずれ氾濫(反乱?)します。
決してせき止めたりしないことです。

あなたのエネルギーを抑圧しないこと。
感情を常に流れさせること。
その瞬間瞬間の感情を表出すること。

これが、「ハートを通して生きる」ということであり、
アセンションに必要不可欠なカギなのです。 

皆さん、ハートを中心に生きる準備は、もうできていますか?





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