困ったちゃんの心理①~天邪鬼になる心理とは?~

2016年10月07日 00:00


困ったちゃんの心理① 
~天邪鬼になる心理とは?~


光のコースの「課題の個人レッスン」や「波動調査」の受講者さんたちに対して、毎日のようにさまざまな問題提起をして気づきを得ていただいておりますが、これまで一筋縄ではいかないと感じてきた人たちに共通したパターンがあることがわかってきました。
誰もが何かしら困った悪癖を持っておられて、事あるごとにそれを繰り返していること、ロウアーセルフと悪霊との関係、過去生とネガティブ霊との関わりなど、皆さんに共通した「ある心理状態の傾向」が異常波動を強く引き寄せていることを知ることができました。

不可解だと感じながらも、それらはすべて霊的な悪影響のために起こっていることであるため、それを外し、その時々の問題を解決していけば正常波動に戻るという楽観的で前向きな考え方がカヴィーシャにはあったようですが、それだけではすまされないもっと深い心理的な病理があることを、わたし(ROM )は強く感じるようになっていました。

たとえば、カヴィーシャの頃から関わっていたある人物について回想してみますと、頻繁に起こる霊障害がどこから生じているのかを見極めるのに時間を要しました。
人格がコロコロと変化する多重人格、ひとつの意識に統合できない「解離性同一性障害」が甚だしく見られたので、初めのうちは戸惑うことが多かったのです。その人格の解離状態が、霊的なもの(別の霊体が肉体に憑依したり、入ったりする)から生じているのか、それとも霊的なもの以外の幼少時のトラウマが原因で起こっているのか、その両方があるのか、他の障害もあり、複雑化しているのか、不可解な面が多かったため、なかなか理解ができにくかったのですが、実験と観察を続けていくうちにようやくそれが「境界性パーソナリティ(人格)障害」の症状とピタリと当てはまることで、解明の道が開け、納得できたしだいです。
つまり、霊的な障害(ネガティブ霊の影響)は甚大であるが、「境界性パーソナリティ(人格)障害」を抱えているからこそ、異常波動を強く呼び寄せていたということです。

その後、「境界性パーソナリティ(人格)障害」の心理状態について考察を続けるうちに、それにまちがいなくピッタリと当てはまる人、その気(け)のある人たちが沢山出てきました。

今回は、「境界性パーソナリティ障害と悪霊との関係」について語る前段階として、「天邪鬼(あまのじゃく)」の心理について、お話をしてみたいと思います。




秋の実


◆相反する気持ちを同時に併せ持つ不可解な人たち



この世界がすべて二元性で成り立っていることは、すでに皆さんはご存じであると思いますが、「相反するふたつの気持ち」が人間の心に共存することについて、少し考えてみたいと思います。

自分が好意を持っている人から「会いたい」というメールが来たとしましょう。
あなたは、本心ではその人に会いたくて、話したくてしょうがないのに、なぜか「絶対に会いたくない。顔も見たくないわ」と、本音とは逆の拒否のメールを返信したことはなかったでしょうか?

ほんとうは好意を抱いていて、相手に甘えたり、やさしくしてもらいたいのに、逆に相手を困らせるようなことや嫌がらせをしてみたり、相手に悪態をついたり、攻撃したりしてしまったことはないでしょうか?

もしあなたにそれがないのであれば、そんな友人や恋人と関わったことはないでしょうか? 
ほんとうは好きなのに、ついその相手を否定し、虐めてしまうといういじめっ子が、クラスにひとりくらいはいたのではありませんか?

ある時には相手を愛し、求めているけれども、別の時には嫌いになったり、拒否したりすることというのは、誰にだって一度くらいはあるはずです。
しかしながら、「大好き」という気持ちと「大嫌い」という相反する気持ちを同時に併せ持つことが多くある場合などは、心理学的には※アンビバレンス(両価性)と呼ばれている「ある種の病理の特性」として扱われることがあるのです。

※アンビバレンスとは、ひとつのものに対して、相反する感情が存在すること。何らかの抵抗や禁止を受けたとき、反抗しようとする感情をもつことはよくあるが、両価性の強い人では特に起こりやすい。思春期に反抗的になりやすいのも両価的な矛盾を抱えていることが多い。
一方で、ものごとに相反する側面があるということを受け入れられず、ひとつの視点でしかものごとを見られない場合も、問題が起きやすい。自分の視点でしかものごとが考えられないので、ある種の頑固さをもっており、他人の意見を受け入れられないことがある。

人間というのは、「本心とはまったく異なった言動ができる」というだけではなく、さらに「正反対の気持ちを同時に併せ持つことができる」不可解極まる生き物であると言えますね。

ふーっ!


◆「天邪鬼になる心理」とは?



天邪鬼(あまのじゃく)というのは、わざと人に逆らう言動をする人。つむじまがり。ひねくれ者のことを言いますね。民間説話に出てくる物まねがうまく、他人の心を探るのに長じる悪い鬼のことです。
とにかく、わざわざ相手が望んでいることと正反対のことをする人のことを「天邪鬼」と言います。

わたしがとても共感を得ている精神科医である岡田尊司氏(京都大学医学部卒、同大学院高次脳科学講座神経生物学教室、脳病態生物学講座精神医学教室にて研究に従事)が、その著「あなたの中の異常心理」の「強情や意地っ張りとは何か」の箇所で、つぎのように述べられていました。
今回皆さんにお伝えしたいことがすべてそこに網羅されていると思いましたので、岡田氏の文面を記載させていただきます。

素直に振る舞える人と、つい意地を張ってしまう人がいる。同じ人でも、場合によって素直に振る舞えるときと、張らないでもいい意地を張ってしまうときがある。
意地を張っても明らかに損だとわかっているときでも、盾を突いたり、自分の言い分に固執しようとする。それで余計に攻撃や非難を受け、散々な思いをするのだが、そうしないではいられないのだ。その人自身も、なぜそうした衝動に駆り立てられるのかはわからない。
だが、「これをしなさい」と言われると、余計に「するもんか」という気持ちになってしまう。正反対のことをして、相手を苛立たせようとすることもある。相手の言っていることがもっともだとわかっているときでも、唯々諾々(いいだくだく)と受け入れるのが腹立たしい。

素直な心の状態というのは、自分だけでなく相手の気持ちを汲んだり、それに配慮できる状態である。その意味では、共感的な心の状態だと言えるだろう。
それに対して、意地を張ってしまう状態というのは、相手の気持ちよりも、自分の気持ちにとらわれており、相手の気持ちを汲みとったり、配慮したりすることができなくなっている。 (岡田尊司著 あなたの中の異常心理 幻冬舎新書)


岡田氏は、多くの異常心理は、自分の気持ちや考えにだけ固執した「我執=自己への執着」に由来する部分が大きいとし、脳機能レベルの理解から言えば、前頭前野によるコントロール低下により、偏桃体などから生じるネガティブな情動を抑えきれなくなった状態を反映したものだと考えておられるようです。
以下にまとめてみました。



◆「我を張った状態=我執」とはどういう状態のことか?



我を張りやすい状態
前頭前野によるコントロールが弱い
偏桃体などから沸き起こってくる情動が激しすぎる
脳がうまく機能していない状態 機能不全に陥った状態 
低次の状態に転落した状態
もっとも低次元の本能的な自己愛、未熟な自己愛に振り回された状態

未熟な自己にとらわれる状態になる原因

幼い頃の不安定な愛着や心の傷
特に母親との愛着に対する問題 幼少時における愛情の欠如
                    
「素直になれない人」にみられやすい行動パターン
自分の本心とは反対のことを言ったり、したりする
ほんとうは甘えたり、愛されたいのに、それを素直には表現できずに相手を非難し、困らせるような仕方で表現してしまう

天邪鬼反応をする原因
自分が愛されていないと感じている
愛情不足の中で育った人
重度の愛着障害を抱えた人
母親に甘えたかったのに素直に甘えられなかった人
母親を求める気持ちと母親を拒否する気持ちがある状態

その心理の背景
要素Ⅰ
自分のほうが心理的優位に立とうとする気持ちがある
愛されていることに確信がもてない
こちらから愛を求め、相手の思惑に従属することは、相手の優位を認めることであり、受け容れられない
自分の優位にこだわろうとすると、素直に本心を吐露することは弱みを見せることであり、危険だと考える
攻撃したり、無関心に徹したほうが、自分の心理的優位を維持しやすい

要素Ⅱ
相手に愛を求めたりしたら、拒絶されるのではないか、裏切られるのではないかという疑心暗鬼の念があり、そこから生じる先回りの心理がある
自分は愛される価値がないと思い込んでしまっているため、どうせ嫌われるなら、こちらから先に嫌われることをしてやろうと考える
たとえ今まで愛情をくれた人であっても、最終的には自分を見捨てると考え、先を見越して問題を起こしてしまう
原因と結果が入れ替わる「因果律の逆転」を引き起こす

要素Ⅲ
自分が愛されていないという思いや、自分の気持ちをわかってくれないという苛立ちから生じる怒りや攻撃的な気分がからみ、冷静にそのときの状況や相手の気持ちを推し量ることが困難となる
その瞬間の自分の傷ついた思いに支配されるがままとなり、相手の期待に反したことを、あえてやろうという半共感的な行動に向かう


~まとめ~

★アンビバレント(両価性)の強まっている相手に何かを強要すると、正反対の行動を行うことがある。
★子供が親に勉強しなさいと言われてやる気が無くなる場合などはよくあるが、これが大人になっても頻繁に現れる場合は、社会生活を営む上で障害となる。
★逆説的な反応を示す人は何らかの不安を抱えていることが多く、そのなかでも「愛されていないことに対する不安」がある。
★自分に興味を持って欲しい、自分だけを見て欲しいという欲求から正反対の行動を取ってしまう。
★愛されたいがゆえに心理的に優位に立とうとする。
★「愛されないなら、こちらから嫌われよう」という心理が働くこともある。
★相手が期待していることとは正反対の行動を取ることで嫌われようとする。
★愛着に傷を持つ人は、過去に受けた否定的な体験のため、ネガティブな情動に関わる偏桃体の活動が活発になりやすい。
★疲労やストレスによって、前頭前野のコントロールが低下したとき、偏桃体に刻まれた否定的体験から生じるネガティブな情動を抑えきれなくなり、思いがけない攻撃性や感情の爆発が起きやすい。
★逆接的反応(天邪鬼)は、嗜虐性や解離と結びつきやすい。



カリオプチリ


◆ROMの伝言



「見て、見て、わたしを見て!」と自分に対して愛情や関心がほしいにもかかわらず、なぜかその相手に背を向けたり、攻撃したり、逆説的な反応を起こすあまのじゃく。
素直になれずに心を閉ざすあまのじゃく。
意地っぱりで頑固にふるまうあまのじゃく。
相手の意に背き、信頼を裏切るような行動をとってしまうあまのじゃく。
気分や感情のコントロールがうまくできず、気分の上がり下がりが激しいあまのじゃく。
些細なことでも傷つきやすく、傷つけられたと感じると、ネガティブな感情にとらわれて爆発し、攻撃する。あるいは、逃避してしまうあまのじゃく。
依存したい相手に助けを求めるくせに、手を差し伸べられると拒否を示し、その手を振り払うあまのじゃく。

そのように本心とは逆の反応をするあまのじゃくは、真に愛情に飢えていたのだろう。
幼い時に思う存分甘えられず、母子の信頼関係を持てなかった子どもが、「あまのじゃく病」にかかるということを知ってほしい。

そして、自分が「あまのじゃく病」にかかっていることに気づいた人は、自らその病を乗り越えようという意欲をもってほしい。

おとなになったあなたなら、もうその原因をつくったお母ちゃんのせいにはしないこと。
そもそもそのお母ちゃんを選んだのは、あなた自身なのだから。
あとは自分の問題として受け止めること。

真に自分自身の問題だと気づいたとき、その問題は半ばクリアできている。
要は気づくこと。思い込みや思い違いではなく、真実に気づくこと。
目に張り付いた鱗を取り払うこと。
澄んだ瞳で自分を見つめ直し、相手を見つめること。
そうすれば、異常波動の天邪鬼は、正常波動の素直な天の娘、天の息子になるだろう。



次回は『困ったちゃんの心理②~異なるタイプの境界性パーソナリティ障害~』について考えてみたいと思います。

2016年10月7日 ROM光のお母さん


困ったちゃんの心理② ~愛をむさぼる人たちの特徴~

2016年10月15日 17:15


前回の記事「困ったちゃんの心理②~天邪鬼の心理~」が反響を呼びました。
光のコースの受講者さんのうち、8名にも及ぶ人が「自分のことが書かれている」と思われたり、「少なからずその傾向がある」と思われて、メールやレポートにそのことが書かれていました。あまりにも自覚されていることに、逆に驚いたしだいです。
今回は、「パーソナリティ障害の定義」を簡単に挙げ、「愛をむさぼる人たちの特徴」についてフォーカスしたいと思います。



    ハートが一杯


◆パーソナリティ障害の定義とタイプ 



パーソナリティ障害」とは、「性格の偏りのために、自分で苦しんだり、周囲を苦しめたりするもの」とあります。(ドイツ精神病理学者クルト・シュナイダーの定義)

前回ご紹介した精神科医の岡田尊司氏は、
パーソナリティ障害かどうかのポイントは、本人、あるいは周囲が、そうした偏った考え方や行動でかなり困っているかどうかということ。(ただし、本人は案外困っていないことも少なくないため、周囲は一層困る)
その傾向が青年期、もしくは成人早期には始まっていること。
薬物や他の精神疾患の影響で生じたものでないことも診断の要件となる、
と述べておられます。

この病気の症状が現れるのは、かなり個人差があり、小学校中学年から中学校にかけて問題が出て来る「思春期発症タイプ」、十代後半で始まる「青年期発症タイプ」、二十歳以降に始まる「成人期発症タイプ」に分けられています。時期が早いほど、養育関係の問題が深刻だということです。
自己診断したい場合は、「パーソナリティ障害の全般的診断基準」などを、ネットや書籍などで、ご自身でお調べくださればと思います。

パーソナリティ障害は、大きくA群、B群、C群の3つに種類別されています。
いろんな書籍から得た情報を簡単にまとめましたので、参考のため記載しておきます。


◆A群:奇妙で風変わりなタイプ/統合失調症的な気質があるパーソナリティ障害

(独特の思考法、生活様式のために、対人関係がうまくいかなくなってしまう。風変わりな人と思われることが多い疾患)

・妄想性パーソナリティ障害:広範な不信感や猜疑心が特徴
・スキゾイド(シゾイド)パーソナリティ障害 :非社交的で他者への関心が乏しいことが特徴 とにかく1人で行動し、友人を持たず1人で暮らすことを望む
・統合失調型パーソナリティ障害:会話が風変わりで感情の幅が狭く、しばしば適切さを欠くことが特徴

◆B群:感情的で移り気なタイプ/感情が不安定なパーソナリティ障害

(ストレスに弱く、情緒が激しいため、周りの人を振り回してしまうことがある)

・反社会性パーソナリティ障害:反社会的で衝動的、向こうみずの行動が特徴
・境界性パーソナリティ障害:感情や対人関係の不安定さ、衝動行為が特徴
・演技性パーソナリティ障害:他者の注目を集める派手な外見や演技的行動が特徴
・自己愛性パーソナリティ障害:傲慢・尊大な態度を見せ自己評価に強くこだわるのが特徴


◆C群……不安や恐怖心が強いパーソナリティ障害

(周りの目や自分に対する評価が強いストレスになってしまう)

・回避性パーソナリティ障害:自己にまつわる不安や緊張が生じやすいことが特徴
・依存性パーソナリティ障害:他者への過度の依存、孤独に耐えられないことが特徴
・強迫性パーソナリティ障害:融通性がなく、一定の秩序を保つことへの固執が特徴



     母猫と子猫


◆「子どもの自分」と「おとなの自分」



あなたの心の中には「子どもの自分」と「おとなの自分」が同居していますか?

「見捨てられたくない」「もっと愛情を注いでほしい」「自分と同じ道を歩いてほしい」「すべて思い通りにしたい」「抱きしめてほしい」「ちやほやされたい」というのは、「子どもの自分」です。

「こんなことで見捨てられないということをちゃんと知っている」「我慢できる」「自分と相手(他者)は違うということを理解している」のは、「おとなの自分」です。

幼少時より「自分を愛し、大切にできる」能力がうまく育っていないと、ありのままの自分を愛することができず、ちょっとしたことで自己否定に陥り、自分自身を傷つけ、命を絶ってしまうことさえあります。

岡田氏は次のように述べられています。

パーソナリティ障害の人は、たいていどこか子供っぽい印象を与えることが多い。それは、彼らが子供時代の課題を乗り越えておらず、大人になっても、子供のような行動をとってしまうためである。人はそれぞれの段階の欲求を十分に満たし、成し遂げるべき課題を達成して、はじめて次の段階に進めるのである。パーソナリティ障害の人は、その意味で、いまだに子供時代を終えていないともいえるだろう。

この文面通り、少なくとも「パーソナリティ障害」だと判断できる人たちは、確かに子どもっぽく、理解においても、行動においても、まだ母親離れしていない赤ちゃんか幼児のような印象を強く受けます。と同時に、そのような人たちは「魂の年代」がとても若いのが特徴です。よって、今生だけではないその人の「魂の年代」や「段階」が大きく影響していることがわかるのです。

おとなになってからも、いつまでも親を求め続けたり、こだわり続けたりして、親を卒業できないのは、子ども時代に何らかの事情で適切な愛情や養育、保護を与えてもらえなかったことがあるからだということです。逆に、適切な時期に親から切り離されないと、卒業のプロセスが損なわれてしまい、やはり問題が起こってきます。どちらにしても、ほどよい時期に必要な課題を行なうことが大切であることがわかりますね。




    ハートブレイク

◆「パーソナリティ障害」の特徴



では、「パーソナリティ障害」の人の特徴を簡単に挙げてみましょう。

★自分に強いこだわりがある:素晴らしい理想的な自分であれ、みすぼらしく劣等感にまみれた自分であれ、「自分」という強迫観念から逃れられない。

★とても傷つきやすい:何でもない一言や些細な素振りでさえ、深く傷つき、急に不機嫌になったり、落ち込んだり、過剰反応する。

★根本的な安心感が欠如している:母子分離の段階でのつまずきが影響し、深い愛情飢餓と依存する相手に見捨てられまいとする気持ちが隠れている。自己確立することに強い不安と恐れがある。人を心から信じ、受け容れることができにくい。

★満たされない承認の欲求がある:自己愛性パーソナリティ障害に見られる。自己の重要性に関する誇大な感覚がある。十分な業績がないにもかかわらず、優れていると認められることを期待する。

★最高と最低の気分を往復する/二分法的認知/両極端にしか考えられない:昨日は最高でハッピーだったのに、今日は世界の終わりのようなどん底の気分になる。

★激しい自己破壊衝動を秘めている:深い自己否定感がある。薬物乱用、浪費、命知らずな行動などに見られる。

★見捨てられることに対する強い不安がある:現実に、または想像のなかで見捨てられることを避けようとし、なりふりかまわない努力をする。親密さが増して、頼るようになればなるほど、自分にとって大切な存在になればなるほど、その不安感が強まる。まだ裏切られていないのに先読みして、思い込みの過剰な反応を起こす。

★対人関係が両極端で不安定/理想化とこき下ろしの両極端を揺れ動く:最初は「この人こそ、自分が求めていた人」と理想化するが、期待外れのことが起きたり、自分の思い通りにならないことがあったりすると、急に裏切られたような気持ちになり、すべてが耐えがたいものに思えてくる。些細なことでも要求が満たされないと、罵詈雑言を浴びせ、相手をこき下ろし、全否定する言い方に豹変することがある。両価的(アンビバレント)な感情を抱きやすい。

★めまぐるしく気分が変わる:気分や感情の面でも両極端で変動しやすい。良い気分で、何事も楽観的に前向きに考えられるときと、最悪の気分で、すべてがダメと思えるときの差が激しい。(二つの極端な自分を「私」と「僕」として表現することもある)

★不適切で激しい怒り/感情のブレーキが利かない:とても傷つきやすく、傷つけられたことに対して腹を立てたり、癇癪を起したり、激しい怒りに囚われやすく、過剰反応する。親しい相手、依存している相手、甘えられる相手に対してだけ、それが起きやすいというのが特徴。

★自殺企画や自傷行為を繰り返す/自己を傷つける行為に耽溺する:自殺の行動や素振り、脅し、自傷行為を繰り返す。過食や薬物乱用、性的行動、アルコールなどと同様に嗜癖性がある。繰り返される中でその行為自体に依存する。(万引きや買い物依存症なども)
自我のコントロールが弱まった軽度の解離状態も見られることがある。

★心に絶えず空虚感を抱いている:幸せを感じ続けることが苦手。これまで積み重ねてきたことや大切にしてきたことも、些細な行き違いや不満から、すべて無意味なことに思え、もうどうでもよくなったり、生きることに無意味感を覚えたりする。
心の空虚感は、親にあまり褒めてもらえず、否定的に養育された人だけでなく、過保護に甘やかされて育った人にも多く見られる傾向がある。
(厳しさと優しさ、叱ることと、褒めることは、どちらも必要で大切だということ)

★自分が何者であるかわからない:居場所がない。自分が何をしたいのかわからない。自分がこの仕事を本当にしたいのかわからない。自分がどうしたいのかわからない。自分が何のために生きているのかわからない。といった気持ちを抱きやすい。
「自分は誰にも愛されない」「自分は愛される価値がない」というコンプレックスがある。

★一時的に記憶が飛んだり、一過性精神病状態を示す:記憶が飛んだり、脱落してしまう。気がついたら、どこか遠くに来てしまっている。人格が別人に入れ替わってしまう。
強いストレスを受けたとき、解離状態を起こしやすい。過去に強い心的外傷を被っている人に強く現れる。

★自分と他者の境界が曖昧で、十分に区別ができない:自分が好きなものは相手も気に入るに違いない、嫌いなものは相手も嫌いなはずだと思い込む。相手は自分とは別の存在で、感じ方も違うのだと頭でわかっていても、自分の視点と他者の視点を混同してしまい、本人は気づかない。自分の基準でしか、相手を見ることができない。相手の気分に巻き込まれやすい。自分が劣等感を感じていると、相手が自分のことを馬鹿にしているように感じてしまう。

★部分対象関係がある:その場その場の欲求を満たしてくれるかどうかが「よい」「悪い」の基準となる。自分の思い通りにならないとき、すべての非を「悪い」対象のせいにして、これまで満たされていたことなど関係なく、その瞬間の不満や不快さにすべて心を奪われ、怒りを爆発させ、攻撃し、泣きわめく。例として、赤ちゃんにとって、よくお乳が出るオッパイは「よいオッパイ」で、出ないオッパイは「悪いオッパイ」でしかない。同じ母親の同じオッパイであるということは考えない。

★本心とは逆のことをする:天邪鬼の箇所で詳しく説明しているので、そちらをお読みください。



       鳥からのメッセージ
◆ROMの伝言


黒か白か、善か悪か、敵か味方か、全か無か。
自分を受け入れてくれる存在か、それとも、自分を拒否する存在か…。
現実認識を単純な二分法で捉えるのが、境界性パーソナリティの認知の特徴だといわれている。

自分のことを愛してくれていると思えるあいだは大好きで理想化しているが、少しでも言葉や態度で否定されたりすると、大好きが大嫌いになり、全面的な信頼が疑いとなり、憎しみに満ちた口調でこき下ろしてしまう。
同じ相手に対する評価が、驚くほど真逆に裏返ってしまう。一番親身になって支えてくれた人に対して、最悪のひどい仕打ちをしてしまうのがこの病であり、支えた者は疲れた分に見合ったものが得られないのが特徴だ。

彼らは底なしの愛情飢餓を抱えている。
健康な人なら1個の飴玉で満足するところを、10個もらっても20個もらっても満足できず、もっともっと欲しいと言う。だから、支援者はせっせと愛情という名の飴玉を与え続ける。ところが、余るほどの飴玉をもらっていながら、何が気に入らないのか、突如その飴玉をドブに投げ捨ててしまうようなことを平気でするのだ。

天使が悪魔になったほどの態度の違いに驚愕した支援者が、悲しみと落胆で打ちひしがれてしまうことに関しては、「境界性パーソナリティ障害」の人たちは無頓着だ。相手の気持ちや欲求を認識しようとしない「共感の欠如」と、相手の期待にわざと沿わない天邪鬼が同居している。
言葉の上っ面だけをとらえて反応し、表面的なことしか理解できない人たちには、支援者の深い慈悲心が伝わることはない。


著書「パーソナリティ障害」で岡田氏がこんなことを書いておられた。

それまで、何十回も、時には何百回も、自分のために時間を割き、援助してくれていても、たった一度拒否されただけで、すべての献身が見せかけのものに思えて、相手が信じられなくなってしまうのだ。その挙句に、激しい怒りで反応してしまう。
今まで積み上げられてきた何百回ではなく、今この瞬間の一回がすべてを左右するという気持ちの不連続性が、境界性パーソナリティ障害の対人関係を極めて不安定なものにしてしまう。過去の積み重ねの上に現在の自分は存在し、過去を、責任を持って引き受けることが、一貫性のある自分を保つことになるのだが、それが非常に難しいのだ。


ふたつのハート

この文面を読んだとき、「確かに」という深く強い共感を得た。
意識レベルが落ち着いてきて、ようやく良い状態になったと思いきや、一気にレベルダウンして最悪の状態に陥り、何度も何度も「光の積木崩し」を繰り返していたある青年のことが思い起こされる。

愛や奉仕にも限りがある。サポートに使った膨大な時間やエネルギー、物質的な提供、それらを際限なく援助し続けることは、本人の自己確立をかえって妨げてしまう。
自分の悪癖を誰かに変えてもらったり、不幸を幸福に変えてもらったりはできない。自分の問題を他者に全面的に委ねてしまっていては、いつまで経っても自分で自分を、責任を持って支えることはできないし、自分自身が強い意志と努力を持って、変わることによってしか道は開かれない。

肉体の母親との愛着問題だけではなく、肉体の父親が全く不在だった場合は、欠落していた愛情をただ与えるだけでは事足りない。ダメなことはダメ、無理なことは無理、おかしいことはおかしいとはっきりと伝えなければならない。思い違いや妄想から生じた異常な発言を認めない厳しさや、毅然とした父親的な態度も必要なのだ。

全面的な受容と許容が土台にあるからこそ、枝葉のことを否定することもできうる。しかし、境界性パーソナリティ障害の人は、往々にしてすぐに自分を否定され、全面的に真に拒否されたと思い込んでしまう。そして、自分勝手に理想化した支援者に対し、今度は自分勝手に幻滅を感じ、最高から最低に貶めてしまう。

こうした理想化と価値下げについて、精神科医の小羽俊士氏が「もともとは境界性パーソナリティの人自身が持っている極端に理想化された自己像と極端に価値下げた自己像が投影されたものでしかない。私たちがそれをあたかも自分自身の性質であるかのように引き受けてしまうと、悲劇が展開される」と書いておられたが、いくらこき下ろされても、それを真に受けて落ち込まないこと。そのことを胆に銘じておくことだ。

       
「パーソナリティ障害」の傾向がある人たちに、岡田尊司氏の言葉を伝えたい。

うまくいかないことがあったとき、他人のせいにするのをやめてみるといい。
うまくいかないことがあったときこそ、自分を強くするチャンスなのだ。
失敗と挫折のストレスに耐えることが、その人を強くする。
寂しいからといって、すぐに他人で紛らわすのをやめてみるといい。
孤独に耐える力が、その人を強くする。
何か欲求不満が生じたとき、それをすぐに解消しようとするのをやめてみるといい。
その人は、そう決断できた自分の力を手に入れて、みるみる自分が変わっていくことを実感するはずだ。

結局、自分を変えるのは自分にしかできない。
その人自身が、自分のつらさを自分で引き受けて、どうにかしようと思ったとき、その人は変わり始めるのだ。
本当は、その人の中にはそうする力が眠っていることに気づくだろう。

もちろん苦しいときは、助けを求めたらいい。
だが、相手がうまく助けてくれなかったから自分が苦しいのだと思わないほうがいい。
相手も、疲れて気持ちに余裕がなかったのかもしれないし、何か苦しいことを抱えていたのかもしれない。
でも、きっとうまく助けられなかったことを、相手も気にしているはずだ。

もし、相手が、気分をうまく変えられるアドバイスをしてくれたら、その心地よさに甘えるのではなく、そのアドバイスを心に刻みつけることだ。
その場その場で、人との関係を消費してしまうのではなく、絶やさない灯火にしていくことで、その人の人生はつながっていく。
そして、その人が、周囲の人に素直に感謝することができるようになれば、その人は、もう癒され始めているだろう。



ハート

岡田尊司様には「パーソナリティ障害 PHP新書」より引用させていただきましたことを心から感謝いたします。

次回は、パーソナリティ障害の問題解決に向けて、その策を考えてみたいと思います。

2016年10月15日 ROM 光のお母さん



困ったちゃんの心理③~なぜあなたは理解されず、愛されないのか?~

2016年12月20日 18:05


◆なぜあなたは理解されず、愛されないのか?



10月に「困ったちゃんの心理①&②」を書きましたが、その後そこでご紹介した岡田尊司氏の著書を、皆さんけっこう買われていることを知り、ブログの効果ってすごいんだなと思ったしだいです。

今回は「愛着問題を抱えている人」に向けて、心理学的立場を超えたROMからのメッセージを送りたいと思います。


少女1

◆愛の欠如は過去生からの課題であったことが多い


愛着問題を抱えている人に共通して言えることは、自分のことを「わかってもらえない」「認めてもらえない」「大切にしてもらえない=愛されていない」「嫌われている」などと感じていること、そして、「わかってほしい、認めてほしい、愛されたい」と思いながら、なぜか人間関係がうまくいかない。どうしたら愛されるのかわからない。そのもどかしさを日夜感じているといったことではないかと思います。
自分が子どもの頃に母親から愛されなかったという記憶を持つ人は、母親像を誰かに投影して、ことあるごとに過去を思い起こして怒りを感じたり、反抗的になったりしがちのようです。

心理学的見地からすると、そのような症状を起こすのは「幼少期の家庭環境が大きく影響していて、幼少期に無条件には愛されず、親の望む自分しか愛されなかった」からということになりますが、「愛されていない」と感じたのはあくまでもその子たちの主観であり、母親の心をつゆ知らず、自分勝手にそのように感じていただけだったかもしれないということ。その場合も大いにありうるということをここでお伝えしておきたいと思います。

つまり、その子の受け取り方がマイナス思考傾向にあると、母親が「善かれ」と思って言ったり、やったりしたことでも、非常に悪く受け取ってしまうということなのです。
同じ母親を持った兄弟姉妹の性格によって、母親に対する受け取り方は異なっていて、母親のことを好きだと思う子と嫌いだと思う子がいるはずです。
母親のほうも、「この子はいつも悪いほうに受け取るから嫌な子」と思っていたかもしれません。その子の性格や母子の相性というのも大いに関係しますね。そして、何よりも過去生からのつながりで、「課題」として現れている場合が圧倒的に多いのです。


青い光


◆愛されないという悪循環を繰り返す



「母親に愛されなかったと思い込んでいる人」あるいは「実際に愛されなかった人」というのは、大きくなって成人となっても、他者に愛されないケースが多いです。学校でも職場でも嫌われたり、相手にされなかったり、愛されない悪循環が続くのです。

先ほども書きましたが、今生だけならまだしも、過去生から同じ課題を繰り返していることがあります。それはその人の根本的な問題なので、気づいたときに解放しないとまた次の生に宿題としてくり越すことになります。

子どもが「愛着障害」であるなら、その母親も「愛着障害」だったというケースも多く見受けられます。
子どもの頃に愛されないままおとなになって母親となった人は、自分が産んだ子どもをどう愛してよいかわからないのです。そして、その母親に育てられた子どもは、当然のことながら愛されないので、おとなになって親になっても、「自分が愛されたいという願望」があるばかりで、子どもを愛せない母親や父親となってしまいます。これが「先祖代々つづく問題」となっているのです。

「ハートブレイク」や「分離感」や「孤独感」「愛してもらえないこと・認めてもらえないことの不安と不満」の上に、さらに「自分には愛される価値や魅力がない」という「無価値感」が生じ、ますます自分に対する怒りや悲しみが増大していきます。

「無価値感」があると、「見捨てられる不安と恐れ」から、相手にすがりつくようになります。そして、素直に自分の気持ちを表現できない天邪鬼になったりもします。そうすればそうするほど、その人は嫌な人になっていき、魅力的ではなくなります。そうなると、誰しも嫌な人とはつき合いたくはないし、関わりたくはないですから、分離をせざるを得なくなります。
実際に「愛してもらいたいのに愛されない」のは、自ら愛されないようなことを言ったり、したりしているからなのです。当然の結果なのです。

愛着障害を抱えた人は、相手に見捨てられないように、相手に気に入られ、愛されたいという欲望から、時には自分の意に反したような言動をする場合もあります。すなわち、その人好みの男や女になろうと努力するということです。

しかしながら、その結果相手から愛されたとしても、「相手の気に入ることをしたからこそ愛されたんだ」「自分が犠牲的にふるまったから愛してもらえたんだ」いう釈然としない気持ちが残ります。そして、「では、そうしなければ自分は愛されないんだ」という逆の思いが湧いてきます。
ありのままの自分を愛されていることが感じられず、「ありのままでは愛されない」「自分には価値がないから愛されない」という思いが増幅していき、ほんとうに愛されているのではないという不信感が芽生えてくるのです。




少女2


◆なぜ「ありのままのあなた」では愛されないのか?



「愛されない」には「愛されない」だけの何らかの理由があるのです。
「嫌われキャラ」や「相手にされないキャラ」には、それなりの原因があるということを知らなければなりません。あなたのことを嫌ったり、相手にしない人たちが悪いわけではないということです。
しかしながら、そういう人に限って、自分の問題は棚に上げて、「どうしてわかってくれないのよ!」「どうして認めてくれないのよ!」と自分を受け入れてくれない相手に怒りを向け、責めるのです。なかには、「相手が自分を認めたら、自分も相手を認めてやる」「愛してくれたら、愛してやる」といった高飛車な考えを持っている人もいます。そんな考えだから、認めてもらえないし、愛されないのです。

こういう種類の人たちは、「自分自身のことが全然わかっていない。身の程を知らない。自分のしたことを反省することがない。自分が悪いと思っていないから、謝ることもない。自分のことばかりに囚われている。自己中心ゆえに相手の気持ちを真に考えたことがない」という共通したクセを持っています。

人間というのは、素直で可愛げのある人を好ましく思うようにできているのです。
犬でも尻尾を振って懐いてくると可愛いと思いますよね。攻撃的で人を見たら、吠えてばかりいる犬を可愛いとは思いません。
人の言うことを素直に受け取り、可愛げがある言動をしていれば愛されるのに、必要以上のプライドや我(エゴ)を出し、見境もなく偉そうな言動をして相手に不快感を与えるから、嫌われ、相手にされなくなるのです。
何かと人が言ったことを悪く受け取ってしまい、勝手にくよくよ悩んで、ネガティブ霊を呼び寄せたり、悪霊に入られたりするような面倒くさい人は、誰からも愛されることはありません。自分が愛されない原因にしっかりと気づくことが大切ですね。


二つのハート


過日、NHKの「知恵泉」という番組で、「野口英世はなぜ愛されるか?」という内容をやっていました。野口英世は「愛されキャラ」だったようです。
人の言うことは真に受けろ!」「夢を共有しよう!」「恩は倍にして返せ!」「究極の大返し作戦-愛する人への恩返し」という項目が挙げられていましたが、それらのことを信念をもって実行したため、多くの人に愛されたということです。
野口英世は、相手が愛したくて仕方がなくなるような魅力のある人だったのですね。




◆もともとの中心軸が歪んでいる

愛着障害がある人は、まちがいなく異常波動になりやすいです。
悪霊がたくさん寄ってくるのは、「愛着障害」というところでしっかりと共鳴しているからです。
愛着障害がある人は基本的に「歪んでいる」と言ってもよいでしょう。
歪んでいるからカン違いを起こすのです。
歪みが大きければ大きいほどカン違いは甚だしくなります。
カン違い、とんでもない思い違いをして、まちがった捉え方をしているから、ますます歪むのです。
そういう人が死んだら悪霊となります。
人霊の歪みが大きい人が悪霊となるのです。
悪霊が超面倒くさいのは、歪みがあまりにも大きいからなのです。



◆カン違いは妄想癖と繋がっている



妄想とは、「根拠もなくあれこれと想像すること」です。

仏教用語としては、「とらわれの心によって、真実でないものを真実であると誤って考えること。また、その誤った考え。妄念。邪念」となっています。

さらに意味を調べると、「根拠のないありえない内容であるにもかかわらず確信をもち、事実や論理によって訂正することができない主観的な信念」とあり、「現実検討能力の障害による精神病の症状として生じるが、気分障害や薬物中毒等でもみられる。内容により誇大妄想・被害妄想などがある」と書かれていました。

統合失調症という病気がありますが、その病は妄想を現実と思いがちで、「自分は嫌われている」という被害妄想や不信感が激しく生じるので、人間関係がうまくいかないのです。自分は愛されていないと妄想して、ひとりで苦しんでいるわけなのです。

歪みが少ない人からすると、歪みの大きい人のことは理解できません。
理解しようと思っても、素地・土台がまったくちがうからです。すでに土台が斜めになっている、中心軸がずれているわけですから、同じように斜めになって軸がずれていて、同じような歪みを持っている人同士しか理解できないわけです。

「以心伝心」は同じ波動・波長をもった人同士で起こることです。
弟子が師と同じ周波数となったとき、はじめて師の思いが伝わるということを過去記事で書きましたが、すべての人は自分の波長と合うものだけを受け取り、異なるものは受け取ることができないのです。
いくらお釈迦さまが深遠な真理を説かれても、波長が異なれば「馬の耳に念仏」です。真に理解ができ、心に響くことはありません。そこに「共鳴の法則」が働いているのです。
ですから、歪みの少ない正常波動の人が、根本的に歪んでいる異常波動の人の発想を理解することは困難であり、不可能なのです。だから、理解はされないのです。




雪うさぎ


◆素直になる


では、どうしたら、歪みを少なくできるかということですが、斜めになっているものを水平にするしか手立てはありません。
わざと自分の思っていることの逆を言ったりしたりする天邪鬼なら、意識してそのまた逆をすればよいのです。そうしたら、自分の思いの通りに素直な自分を表すことができます。
愛されたいのに、いつも天邪鬼を実行しているから、ますます相手からは理解されなくなるし、愛されなくなるのです。

愛されたいなら、まずは素直になりなさい。
そして、自らを愛しなさい。

自分に失望し、自分を信頼せず、自分を愛してもいないくせに、人から愛されたいと思うこと自体が無理難題であるのです。
そう言うと、必ず自分自身に対して罪悪感を持つ人が出てきますね。
「自分が悪い性格だから愛されないんだ」「愛されるに値しない人間なんだ」と。
そう思い込んでしまうと、意識が自分の欠点・駄目なところにばかり向いてしまいます。そして、その駄目なところを強く責めてしまうのです。
また、そんな自分を悪・有害だとみなして、「自分と関わると相手の人を傷つけるし、関わらない方がよい」と、相手との距離を取ろうとしたり、自ら去っていくケースもあります。
確かに悪霊ばかりを連れているような人は、他者に迷惑をかけますから、関わりを断とうとする気持ちはわかります。しかし、それを怖れて関わりを断つのではなく、有害な自分ではなく、無害な自分になる。悪霊と共通することのない、異常波動を呼び寄せない自分になっていく決意と努力をしてほしいと思うわけです。それには、波動修正をしてみることや自分の課題をクリアしてみるといった積極的な姿勢が必要です。

自分自身に対して、諦めてしまわないこと。
これが必要不可欠です。



◆自分の弱さを認めること


パーソナリティ障害や統合失調症の傾向があるだけではなく、悪霊やネガティブ霊に日夜悩まされている人の多くは、過去生から来ているものが多いということをお伝えしましたが、その根底にあるもののひとつとして「弱さ」があります。

好きな相手に嫌われるのを怖れるがために、相手から「NO」を言い渡される前に、自ら嫌われるようなことをわざと相手に言って、それで嫌われたのだと思うと幾分かは救われるので、そういう意味で悪態をついてしまう人がいます。自分がこれ以上傷つかないための防衛策ですね。本当に気質が弱い人です。そこまでして自分を守ろうとするほど弱いわけですから、可哀想になってきますね。

分離を選択してしまうと、もうその相手とは関わることがなくなるので、その相手に愛される機会は永久になくなってしまいます。たとえまた新しい相手を見つけたとしても、同じことが繰り返されます。その課題がちっともクリアされないからです。その課題から逃げている限り、いつまで経っても卒業はできません。

「幸せになりたい」と願っているのに幸せになれないのは、「こんな自分が幸せになれるはずがない」と、幸せが訪れる前に自ら拒否しているからです。本人は気づいていないようなのですが、わたしにはそれがはっきりと見えます。
自ら蒔いた種(原因)が、自分に戻ってきている(結果)だけなのです。
誰のせいでもない。すべて自分がそのストーリーを作ったのです。自分がそうなるように設定し、仕向けたのです。
自分の思い通りになって、さぞかし満足でしょうと言ってさしあげたいですね。

弱い人が虚勢を張って生きていても、弱さは至る所で現れて来るし、弱いがゆえにしていることが、わかる人にはすぐに覚られ、正体を知られてしまいます。
まずは自分の弱さをきちんと認めること。そして、表面的に強く見せるのではなく、内面を強くすることにフォーカスしていただきたいと思います。

人に認められない・愛されない・理解されない「困ったちゃん」の特徴としては「困ったちゃんの心理①&②」を再度ご覧いただきたいのですが、そこには書いていない特徴として「基本的に弱い」「頭が正常に機能していない」ということを挙げておきます。
人に理解されにくいケースとして、「※おとなの発達障害」という可能性もありますので、その傾向がある人は、「おとなの発達障害」について探究してください。

※おとなの発達障害:事務的、技術的な仕事や勉強はできるのに、対人関係にはまるでセンスがなく、空気が読めず、自分勝手な理解のしかたや行動をしているような状態を指し、多くの人から「困った人」として見られ、理解されない。




ハート・ラヴ


◆ROMの伝言


愛される人は、
人を愛することができるがゆえに、人にますます愛される。

愛されない人は、
人を愛することができないがゆえに、人に愛されないままである。

他者のために何かを与えられる人は、
他者のために与えられるほどに豊かですばらしい存在であり、
豊かですばらしいがゆえに誰からも愛される。

他者のために何も与えない人、自分にばかり投資をしている人は
自己中心的であるがゆえに誰からも愛されない。

あなたは人から真に愛されたいのか?
だったら、人を本気で愛しなさい。

人を愛せないのは、あなたがあなた自身を愛していないから。
気になる相手のことさえも全然愛してはいない。
求めるばかりで、感謝すら忘れている。
相手を愛していない自分に気づきなさい。

あなたが相手から愛されていると実感したいのなら、
あなた自身が相手を愛さなければならない。
そうすれば、相手が自分を愛してくれていることに気づくだろう。

愛されるための努力はいらない。
いつもハートを全開して、素直さをもって人の気持ちを受け取りさえすれば、
あなたは愛される。

相手からの愛を待っているのではなく、自ら愛を与えなさい。
認めてもらおうとか、愛してもらおうとか思わずに、
ただただ相手が喜んでくれることを、見返りを求めず無心にやりなさい。

光への献身を目標としている魂は、
光に従い、光に心を捧げなさい。
無償の愛を捧げなさい。
そうすれば、やがてあなたは光に認められ、愛される。
光は愛と信頼を含んだ温かな優しい微笑みをもって、
あなたを包み、抱きしめてくれるだろう。

2016年 12月20日 
ROM&光のお母さんより




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