霊的成長のための課題

2014年05月18日 16:30


★ 霊的成長のための課題 ★



4月が過ぎ、5月も後半となってきましたが、今現在のあなたの心境はいかがでしょうか?

今感じていることを率直に申し上げますと、皆さん5月病に罹ったかのように、精気がありませんね。なんだか鬱々としています。
「気づきのコース」に参加なさっている方々のなかで、お写真をいただいている場合は、それぞれ波動の様子を感じ、そのことがとてもよくわかります。

憑依現象も度々あるので、「波動リーディングコース」を受けていらっしゃる方については、メール交換を頻繁におこなっておりますが、「数秘」や「課題」の個人レッスンの参加者さんの場合は、個々に状態が芳しくないために、逆にレポートが滞り、メール交換さえできない状態となっております。
霊的成長のために自己を真剣に見つめようと意欲をもって参加した人たちでさえ、そのような状態なのです。

物事にはタイミングというものがあります。
今その実践が必要だと感じる時期に、怠惰のためにそれをしないでチャンスを逃すことは、人生のなかでとても大きな損失です。何かの流れにうまく乗れないのは、乗れないだけの理由があるからですが、それが何であるかを考えることが大切です。
勇気がないからか、まだ準備ができていないからなのか、それとも、何かの執着を未だに手放すことができないからなのか……。

意識レベルを上げるのは大変ですが、下がるのは滝壺に落ちるがごとく一瞬です。
タイミングが悪く、流れに乗れなかった人、怠惰のために乗る気がなかった人は、そこから下流へと落ちていかないよう目覚めていただきたいと思います。

要らないものを手放すことが必要なのはわかっているけれども、やっぱり手放せないという人はたくさんいます。みな握りしめて放そうとしないのです。手の中で、すでに腐り果てているものなのに……。

役に立たなくなった物(物質)をゴミ箱に捨てるのと同様に、もはや役に立たない思いや考え方、怒りや悲しみ、罪悪感、あるいは執着している状況、執着している人を手放す勇気をもってください。
それらが去っていくのを祝福してください。
そして、新しくやってくるものを、ハートを開いて迎え入れてください。
それが、霊的成長への道を進むために必要不可欠な課題のひとつだということを、お伝えしておきたいと思います。



5月のばら2
          5月のばら 撮影 光の仕事人


★ 「期待」は課題のうちのひとつ ★



これまでの「課題の個人レッスン」で、その時期最もその人に必要な「課題」、あるいは「キーワード」として「期待」という言葉が与えられた方々がいらっしゃいます。
最近立て続けにその課題が出てきているので、少しそのことについてお話をしておきたいと思います。
期待」が課題だった人は、再度ふりかえって気づきを深めていただきたいと思います。

期待」というのは、一般的に「あることが実現するだろうと望みをかけて待ち受けること。当てにして心待ちにすること」という意味で使われています。

待ち受ける」とか、「心待ちにする」というのは、主体的な行為ではありませんね。すこぶる受け身の姿勢です。
待っているあいだはまだよいとしても、いくら待っても望みが適わなければ、しだいにイライラしてくるでしょう。
期待すること」はそんなによくないものなのかとあなたは思うかもしれませんが、「課題」として登場してくる理由を考えてみてください。
期待することはストレスの大きな原因」ともなるのです。


★ちょっと考えてみてください。

あなたが「期待」するのは、どんなときでしょうか?
あなたがどんなことにも自信をもって楽しく生き生きと行動しているとき、何かに期待を持ったりするでしょうか?


期待」は、今現在あなたが不満足、不十分だという状態のときに表れてきます。
自分の満たされていない望みが満たされるべきだと要求すること、それが「期待」なのです。

期待しているとき」には、ものごとは「こうあるべきだ」とか、「こうするべきだ」とか、「こうしなければならない」とか、「そうなるのが当然だ」と思うことが多いようです。
もしあなたがそういう思いでいることが多いなら、あるいは、「完璧でないものはすべて失敗」だと判断するようになっているなら、あなたはまちがいなく「完璧主義」に陥っているのです。

★「期待」という名のあらゆる願望、欲求の根底には、何が潜んでいると思いますか?


そこには、今生での過去、あるいは過去生で、重要な時期に満たされなかったものがいっぱい潜んでいるのです。そして、「期待」を持つことで、なんとかその欲求の埋め合わせをしようとしているのです。
しかし、今それが仮に満たされたとしても、過去の欲求が満たされることはないのですが。

★あなたは「期待」が外れると、自分や他者を責めてしまうことはありませんか?


完璧主義」の人は、自分だけでなく、他者にも「完璧」を望みますね。
「私がしているのだから、あなたもちゃんとしなさい。いや、しなければならない。するのが当然だ」というように。
他者に対しても自分に対しても同様に「期待」することは、ストレスを引き起こすことにもなり、決して他者のためにも、自分自身のためにもなりません。

これはエゴの罠であることに気づいてください。
エゴは、あなたに「自分は十分ではない」、「何をしても完璧にはできない」と感じさせ、大いに自信をなくさせ、自分の至らなさを強く感じるように仕向けるのです。
そういう思いで悩んでいる人がいたら、「そうか、エゴの罠にはまったんだ」と思ってください。

★あなたがある人から愛されたいと期待しているとき、あなたはその人を愛しているかどうかを自問自答してみてください。


あなたは相手に何も与えず、自分の欲求が適うことばかりを願い、待ちの姿勢なのですから、相手を愛しているとは言えませんね。
常に受け身の姿勢の人は、愛されたいばかりで、自ら愛するという主体性が欠けています。

「課題」で「期待」が出た人ばかりではなく、「気づきのコース」の参加者さんは、多かれ少なかれ光の仕事人に対する「期待」や「依存心」が大いにあるように感じられます。しかし、わたしは皆さんの期待には沿いませんから、きっとがっかりされている人もおられることでしょう。
考えがすこぶる甘いと思われる人に対しては、厳しい指摘もするよう心がけておりますが、それですっかりめげてしまわれるようでは、自己探究はできませんよと再度申し上げておきます。
自己の「霊的成長への道」を選び、参加されたのなら、初心を忘れず、それだけの器量をもち、覚悟して臨んでいただきたいと思います。

なんでもかんでも質問するような三歳児からは卒業してください。そのために392回も記事を出しているのですから。
そして、「気づきのコース」の内容とはまったく関係のない相談事をついでにされるのはご遠慮ください。
お願いされるとつい相談に乗ってしまうので、いつもハイアーセルフから「お人よしはやめなさい。なんでもかんでもその人の要求を適えることが親切ではないし、愛ではない」ということを言われています。
皆さんにそのことをわかっていただきたくて、その旨の記事や、セミナーやセッションで差し上げたカードなどで、繰り返しお伝えしていますね。
言われていることを理解し、把握していただけますと嬉しいです。


5月のばら1
         5月のばら 撮影 光の仕事人


★ 愛は執着することではない ★



★あなたは、今だれか特定の人に執着していますか?


世の中には、「愛することは執着すること」だと思っている人がけっこうおられるように思いますが、あなたはいかがでしょうか?

相手に執着したり、心理的にしがみついたりすることは、ほんとうは自分の欲求を満たすことを重視しているだけなのだということに気づいてください。

執着とは「人々の面倒を見て、彼らの問題を自分が代わりに解決してあげようとすること」で、執着しないとは、「どれだけの援助を与えたらいいか、それを相手がどのくらい使うことができるか、いつ援助をやめたらいいかが明確に見えている状態であり、ときにはただ彼らを愛し、彼らが問題を抱えたままにしておくしかない場合もある」とオリンは言っています。

また「執着しないことは、無関心になることではなく、高いレベルで気にかけることだ」とも言っています。
その意味がおわかりになるでしょうか?


自分に責任を感じすぎる人のために、オリンのことばをつづけましょう。

あなた方のなかには、自分が成長するにつれて、思いやりがなくなってしまうのではないかと心配している人がいます。
苦しんでいる人を見ているとき、その人がすすんで苦しみを捨てようとしたり、違う決定をしたら、その苦しみはすぐに終わってしまうのに、と思うかもしれません。
初めのうちは、あなたは相手をかわいそうに感じ、そう感じることが思いやりなのだ、と思っていたかもしれません。
しかし、思いやりとは、自分の中心にとどまりながら、人を観察し、感情的にはその人の問題から離れていることです。
それは、自分が相手にやってあげることのできる、最も高いことを見ることであって、相手の人格がして欲しいと言っていることに、目を向けることではありません。



区切りのライン


高いやり方で人を助けるには、自分では正しいと思っていても、相手の人格にとっては、不愉快に感じることをしなくてはならないときもあるということです。
執着を手放すためには、「人を高いレベルで助けられるように、自分の価値を知り、自分の真実を尊重し、自分の誠実さから行動しなくてはいけない」とオリンは言っているのです。

また、不幸な人々や失敗をした人を救わなければならないと思うのは、執着であり、とどのつまりは愛の押し売りです。それについては、過去記事『支援する人、される人』に書いていますが、再度ここで申し上げておきたいと思います。

たとえば、あなたがだれかに相談をもちかけられたときなどは、その人に真剣に関わりたいかどうかをよく考えることです。
彼や彼女がただ不平不満をあなたに聞いてもらいたいだけなのか、あるいは、真剣に解決したいと考えて意見を求められているのかをよく見極めてください。

基本的に自分がつくった問題は自分で解決しなければなりません。
そのつど他人が助けていたら、その人はいつまで経っても自分で解決することができなくなります。
それは相手のためではなく、逆に相手の成長を妨げてしまう行為をすることになります。

相手の人生にまで責任を負う必要はないのです。
そんな暇があれば、自分自身の問題に取り組むことですね。


ふたつのハート

「執着」は過去の出来事にしがみつき、
いつまでもそれにこだわり、
自分を前に進ませないようにすることにほかなりません。

「執着を手放す」ことは、
しがみついていたものに終わりを告げて、
つぎの一歩を踏み出し、新しい一歩を迎える選択をすることです。

いつまでも手放せないのは、
そこにまだ許せない何かがあるのです。

手放すことは許すことであるということを
忘れないでください。

2014年5月18日  カヴィーシャ・光の仕事人




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