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孤独から「独り立つ者」へ

2014年04月20日 19:00

ちょうちょ2


★ 4月の課題の個人レッスンから ★



今回は、東京にお住まいの医学生、R.Sさんのレポートをご紹介します。
彼女はすでに数秘リーディングで自己探究を始められ、セミナーにも参加され、医学を学びながら、自己探究の真最中といいますか、奮闘努力中の心やさしいがんばりやさんです。

今回の課題は「個人の神話」という興味深い内容でした。
個人の神話」というのは、世界中にある神々の物語やおとぎ話、あるいは伝説、漫画の主人公などの生き方に沿ったその人の人生の「主なストーリー」あるいは「シナリオ」を表します。
たいていカッコいいヒーローやとてもポジティブな人物をイメージする場合が多いかと思います。そして、それは深い無意識層に潜んでいるもので、その人の人生の重要なトラウマと重なっていることが多いのです。

皆さんの心のなかにも、そういう「神話」が存在していないかどうかを確かめていただきたいと考え、彼女のレポートを掲載させていただくことにしました。
(レポートがいつも長文のため、重要な箇所だけをピックアップしております)

                   


◆「個人の神話のもとの人物」について


                       R.S 22歳 女性 東京


まずは、課題レポートに挑戦出来るOKサインが出て、とても嬉しく思います。22歳にして早くも課題が多いらしいことに笑ってしまいましたが、これは学びがいがあるな!とワクワクしています。時間はかかるかもしれませんが、一皮むけた自分に出会えることが楽しみです。お付き合い、よろしくお願いいたします!


     チューリップの妖精1


私の人生における重要なストーリーというのが、自分の中でピンと来ていないのですが、おとぎ話のもとになる人物は、心あたりがあります。

私は小さい頃から戦う女の子の話、特にアニメのセーラームーンが大好きでした。
セーラームーンだけではないのですが、好きな話に共通していたのが、純粋で真っ直ぐな主人公が、周りを変えていって、仲間との絆を深め、権力や悪と懸命に闘う所です。しかも、最後は悪さえも愛で包み込むんです。小さい子は憧れる子が多いと思うのですが、私は今見ても心躍ります。活力をもらえるのです。
そんな姿にいつも勇気をもらっていました。

多感だった小中学時代、熱心に物語を書いていた頃があったのですが、どの話を思い返してみても、大きな軸は、トラウマ(心の傷)を抱えた登場人物Bを、真っ直ぐでひたむきな主人公Aが様々な経験をしながら癒していくうちに、強い絆で結ばれるというものでした。(これは正直カヴィーシャ様に言うのも少し恥ずかしいのですが・・笑)

Bは、初めは暗く、悲観的で、自信がなく、自分には何かが欠けている、自分を愛してくれる人などいないと思っています。明るくふるまっていたとしても、どこか影のある人物です。
Bには、傷ついた自分自身を重ね合わせていたと思います。物語を通して、だれかに「そのままでいいんだよ」「そのままのあなたが大好きだよ」と言って欲しかったんだと思います。
無条件に受け入れてくれる人を、求めていました。

★カヴィーシャ:あくまでも他者にそれを求めていたのですね?

★R.S:はい、そうです。自分で自分を完全に受け入れるという発想がなかったというか、そういう相手がいてくれて初めて完成するものだと思っていました。
「自分こそが自分を完全に受け入れること、愛す事ができる」ということ、ハートでは感じていたと思いますが、マインドではその意味が理解できない感じでした。それでは、自分で慰めているだけじゃないか、と思っていたんです。そこに寂しさと言うか、虚しさを感じていました。

本当は、自分でそう心から言えることが、一番嬉しいことですよね。誰よりも自分自身に心から「そのままの私が大好きだよ」と言ってほしかったんですね。今ならそれが虚しいことではないということが分かります。とても満たされることなのだと。もっともっと、自分自身に語りかけるように、ハイアーからロウワ―な自分に言い聞かせてあげるように、愛の言葉をかけてあげたいと思います。
物語だったり、アニメだったりの場面に自分を投影しすぎて、肝心の自分自身にそう言った言葉をほとんどかけていなかった事に気付きました。


Aは明るく、少し強引な所がありますが、ひたむきで一生懸命です。間違った時には反省する素直もあり、Bのようなタイプにもとにかく正面から向き合います。
Aには、私のなりたい自分、理想の自分の一部分を投影していたと思います。傷ついた人を癒す、光のような存在に憧れていたので。そして、自分にもそういう部分が眠っていると信じていたかったと言う面もあります。そして、Aのような人に、無条件に受け入れて欲しかったという部分があったと思います。

実際の生活でも、理想の自分なら、どう考えるだろう?どう行動するだろう?と考えて動いていた時期もありました。そうすると、自分が物語の主人公になれたようでワクワクしたのです。
ですがそれは、私の人生ではなく、空想のAの人生を生きていたということなのでしょうか。そうだとしたら、少し悲しいです。

★カヴィーシャ: そうですね。 
さきほど「大きな軸は、トラウマ(心の傷)を抱えた登場人物Bを、真っ直ぐでひたむきな主人公Aが様々な経験をしながら癒していくうちに、強い絆で結ばれるというものでした」と書いておられましたね。
物語のなかで、AはBを癒していたのですよね? そうすることで、バランスをとっていたのではないでしょうか? それは、あなたの内側でも真に起こってほしかったことですね。

AとBは、ポジティブなあなたとネガティブなあなた。光と影。
あなたは二極に分裂したあなたを統合しようという試みをしたかったわけですね。

ただ、それがどんなにポジティブな内容であっても、補償行為であるのなら、物語に登場させる理想の人物にいくら才能やパワーを与えたとしても、それに対する承認や賞賛をあなた自身が受け取ることができません。
なぜなら、単に役割として演じ、あなたのネガティブな観念を否定して、埋め合わせをしているだけだからです。


★R.S: その通りだと思います。これからは、物語で演じていた役割ではなく、自分自身でやってみようと思います。調子のいい時は出来るのですが、調子の悪い時こそ忘れてしまうので、そんな時こそ丁寧に、自分に愛をあげたいと思います。「ずっと気付いてほしかったんだね、ごめんね」「大好きだよ」と言ってあげると、なんだかとても嬉しい気持ちになりました。


     ねずみ3


紫の泡・ライン


★このレポートが届いたあと、わたしのハイアーセルフから、今回の課題である「個人の神話」をさらに深める新しいキーワードが出されました。それは「観念」でした。

観念」は「過去からの固定した考え方」、つまり「凝り固まって柔軟性を失い、停止している思考」のことであり、「自分の世界を形作り、行動に影響を与えるもの」です。
たとえば、親から拒絶されたという「解釈」「判断」を経験すると、「自分は人から拒絶する人間だ」という「観念」ができます。そのせいで、その後も家族や友人から拒絶されるのではないかという怖れをもったり、いろんなかたちでそのことが行動として現われるようになるのです。


今、古い観念を解放し、自由になることを求められている彼女に対して、「あなたが持っているネガティブな観念はきっとたくさんあるでしょう。どんな観念があるでしょうか? 愛や人間関係に対して、また人生について、どんな観念を持っているのか、まずは書き出してみましょう」ということで、第2回目のレポートを書いていただくようお願いしました。
下記は、つぎに届いたレポートの一部です。



ちょうとつくし


*キーワード「観念」*
 ~私のもつ「ネガティブな観念」~



まずはカヴィーシャ様のコメントを受け、私の持つネガティブな観念を書き出してみました。自分が気付いていないもの含め、細かいことを挙げるときりがないほどある気がするので、まずは今私が一番違和感を感じていて、辛いのにやめられない行動のもとになっている観念を考えてみることにしました。

今、私が一番気になっているのに思わずしてしまう行動、「自分の主張を弱めに、他の人を立ててしまう癖」「周りに気を遣いすぎる癖」です。

★カヴィーシャ: わかりますよ。こういう人は傍から見ると、いわゆる「心優しい いい子ちゃん」ですが、本人は損ばかりする憂き目に遭いがちですね。

他にも「楽しくもないのに思わず笑ってしまう癖」がありましたが、これは最近なくなってきたように思います。
これをすると、自分でも本当に居心地が悪くなって、心臓が締め付けられるようになります。そう何度もある訳ではないですが、付き合いが浅い人、タイプが違う人と関わる時によく起こります。特に年が近い人達に対してです。

私の経験上、この癖が出た時事態がよくなったことはなく、それこそ、一般的にいうオーラがない人になる感じです。いてもいなくても気付かれない、変わりがない存在です。
「無視は最大の嫌い」と同じく、その場に存在がなくてもいいように感じるのは、私にとっては人間関係においてとても辛いことです。
自分に対しての自信もなくなって閉鎖的になっていきます。
このあたり、感情表現の3と協調性の2が上手くいっていない時の5の質がでているのかなと感じました。

そのもとになっている観念を考えてみました。
主張のつよい、気の強い自分を出すと、誰も周りに残ってくれないのではないか」という漠然とした不安もあるように思います。
また、しなければならない観念の中に、「人の痛みが分かる人間でなければならない」というものがあると思います。自分は我慢しても、相手を立てなければというような。
(中略)
それから、同年代の人間関係においては「自分のためより人のため」ということをずっと意識してきたように思います。「自分のために動くことは自分勝手な行為」だと思ってきました。

★カヴィーシャ: 奉仕の役割を担った人はたいていそうですよね。だからといって、あなたの魂の役割が「奉仕者」というわけではありませんが。

★R.S: 自分でも役割は「奉仕者」ではないような気がします。今のところ、自分の全てを他の人のために捧げることに最大限の喜びは感じられないからです。

★カヴィーシャ: では、「自分のために動くことは自分勝手な行為」と、なぜそんなふうに思うようになったのでしょうか?

★R.S: 道徳でいういい子を演じようとしていたのでしょうか・・。「自分勝手な子は嫌われる、直すべきもの」という刷り込みがあったのかもしれません。自分が自由にする分、他の人は自由に出来なくなると思っていたのだと思います。

自分はいくらでも我慢が出来るけど、他の人に我慢をさせるのはかわいそうだと。

★カヴィーシャ: 我慢をさせることが大切なこともありますよ。
獅子は子を産んで三日経つと,その子を千仞(せんじん)の谷に蹴落とし、生き残った子を育てるという言い伝えがありますが、あなたはこのままでいくと、きっと過保護なママになるのでしょうね。


★R.S: 自分自身が割と過保護に育てられてきたと思っているので、自分は過保護な母親にはならないぞ!と思っていましたが、しっかりその素質はあったのですね・・。傷ついたり、我慢したりすることが相手の成長になることもありますよね。長い目で見て、相手のためになるように行動できるようになりたいものです。

それは私の勝手な思い込みで、相手がどう思っているのかなんて実際は分からないのですが、少し勘違いをして捉えていたというか、過度の思い込みをしていました。
よくよく考えてみると、自分の事をおざなりにしてきたというか、自分の事を大切にしてなかったなと思いました。これからは、本当の自分勝手にならない程度に、自分を甘えさせてあげてもいいんじゃないかと思います。

お互いの主張をして、共に納得いく落とし所を見つけるというのと、一方が我慢をして一見平和的解決をするというのは、全く意味が違います。自分より相手を立てることで悲しい気持ちになったのは、他の人をいじめないかわりに、自分をいじめていたからなんだと気付きました。

★カヴィーシャ: すばらしい気づきに拍手を送ります!


カヴィーシャ様が、私のオーラに輝きがなく、「もっと自分に愛を与えてあげてください」とおっしゃっていたことを思い出します。自分には、本当に最低限しか愛を送っていなかったと思います。どんなに頑張っても、「まだまだ!」と過度に要求(期待)していたような気がします。私はずっと自分に甘いと思っていましたが、ある意味スパルタだったのかもしれません・・。

★カヴィーシャ: そうですね。人にやさしい分、自分に厳しかったわけですね。

       
他にも、
男は基本的に信用できない」と言う観念もありました。

★カヴィーシャ: 信用できる男性は今も見つからないのですか?

★R.S: いえ、しっかり考えている男性もいるのは見てきていますし、信用できる人柄の人もいました。ただ、男女関係のもろもろにゆるいというか、適当な人をみると少し呆れてしまいますが・・。それでも、昔のような激しい怒りに近い感情はあまり湧かないようになったと思います。男の人というだけで必要以上に拒否するということはなくなりました。 

女の人を軽蔑視する男の人に、強い反感を覚えるのです。もしかすると過去生で自分がそうだったのかもしれませんね。汗
これは自分の中にも、男女差別の気持ちがあるからなのだと思います。

また、理由はよく分からないのですが
「例え自分が自分を愛しており、また、どんなに相手を愛しく思っていても、相手がありのままの自分を同じように愛してくれる自信がない。たとえ相手が自分を同じように愛してくれなくても、相手を恨んだりはしないし、愛するよう強要するつもりもない。ただ、やっぱりそれは寂しいことで、虚しいこと」という観念もあるように思います。これは、男女愛に限らず、友情などもそうです。

上に書いた事と矛盾する気もしますが、これは、自分が自分を愛している仮定からくる観念です。ただこれは、まだ完全に自分を愛しきれた所に達していないために出てくる観念のような気もします。もっと自分を愛せるようになれば、この観念は変わるかもしれません。★その通りです!!

私の場合、どんなに自分で自分を愛していたとしても、一人(独身)で生きていくことは今のところ考えられないのです。どこかで「誰かと共に生きてゆきたい」という思いがあるのです。★正常な願望だと思いますよ。

カヴィーシャ様自身結婚されて、お子様もいらっしゃるということで、自立する=独身で生きるということではない事に非常に安心し、勇気をもらいましたが、開き直った私はわがままな部分や気の強い部分も多々あると思います。そんな私を前面に出した時、皆自分の周りから離れていってしまうのではないか、誰がそんな私の周りにいてくれるのかという観念もあります。★実験してみられてはいかがでしょうか?

★R.S: そうですね・・!意外と自分を臆せず出せた時の方が、仲良くなれた気はしています。頑張って実践してみます!
       
        ねずみ1


独立と自由は心から渇望しています。反面、孤独を恐れているのです。
真に自由と独立をすれば、孤独を感じることがまずなくなるだろうとも思いますが・・。


孤独が嫌だから誰かと共にいたいわけではないのですが、将来、喜びを分かち合う人がいたら幸せだろうなーという空想です。
ですが、自分の世界は自分で作っているわけですから、自分で自分を愛せば、周りの世界におのずと反映されてくるものなのかも、とも思います。「スピリチュアル系の人は独身が多い」というのは、少し気になる話ではありますが・・笑 

★カヴィーシャ: 嫌われオーラが出ている人が多いからかもしれませんね。


★R.S: 自分で「今嫌われオーラだしちゃったな~」と思う時はあるので、気をつけておきます! 人を下に見るような気持ちや、自分への変なプライドがあったりすると、嫌われオーラが出てしまうような気がします。あくまで自分の感覚ですが・・。

話が前後しましたが、第2回目のレポートを通して、自分をもっと可愛がってあげよう!という気持ちになれました。やっぱり、私にとって一人しかいない私は、とても愛おしくて、大好きな存在です!そこに気づけたことで、周りに対しても前向きになれそうな気がしています。
自分への愛が足りていないから、周りの人や世界にも愛が足りないような気がしていたのですね。やっと、自分のものとして腑に落ちたように思います。

★カヴィーシャ: 何度も何度も「自分を愛しているか?」ということを自分自身に問うてみることです。
すぐにまた「愛していない自分」に戻ってしまわないよう、意識をしておくことですね。 
あなたが解放したい観念を、どんどん解き放ちましょう。
「わたしはもう○○という観念は要りません。今わたしが選ぶのは、○○です」と宣言してください。
次回は実践体験談を書いてください。楽しみにしています。





ちょうちょ1


*実践体験記からの考察*
(体験談は長文のため、省きます)



私は今まで、「自分を愛さなければ、他人を愛す事はできない」という意味が全く分かりませんでした。自分自身を愛していなくても、他人を愛す事は出来るだろうと、本気で疑問に思っていました。そもそも他人に愛してもらうことで、自分も愛せるようになるもので、それは相手もおなじだろうと思っていました。
うまく言い表せませんが、今なら心から「そうだな」と納得出来ます。自分を大事に出来て初めて、相手も無条件に大事に出来るのだろうなと思います。

★カヴィーシャ: その通りです! 思うだけでなく、体験してくださいね。


自分に愛を注げるのは究極的には自分しかいないので、それがない状態で人を愛するというのは、相手に何か求めた結果の愛になってしまうかもしれません。
自分を愛で満たして初めて、他の人も愛する余裕が出来るというか、何も相手に求めない愛になるのかな、と今は思っています。 

自分で自分を愛す事、認めることの幸せに少しでも気付けたことがとても嬉しいです。
ここから、私自身で進む人生のスタートラインに立ったような気がしています。
自分の足で歩むことで生じる責任に、時に逃げたしたくなることもあるかもしれません。
ですが、自分で決めたことに対して取る責任は、とてもポジティブなことのように思えます。


★カヴィーシャ: すばらしいですね!


これからは自分を手放さないように、うっかり手放しそうになった時はまた引き寄せられるように、わたしの人生を歩んでいきたいです。
カヴィーシャ様にはいつも本当に温かく見守っていただいて、感謝の思いでいっぱいです。
本当に人生うまくできているなというか、私は運がいいです!

カヴィーシャ様が見守って下さっているからこそ、今まで考えてもいなかった方向へ臆せずに踏み出すことが出来ているのだと思います。いつも、本当にありがたいです。

ここでカヴィーシャ様に頼り切ることなく、いつかは自分自身で自分を導いていけるようになりたいです!巣立ちまでは時間がかかるかもしれませんが、これからも頑張っていきます! 



虹


★ 孤独から「独り立つ者」へ ★



◆ 軌道数5について ◆
  ~今回のレポートに取り組んで感じたこと~  R.S



2回目のレポートを書いた後カヴィーシャ様のブログを読み直していたところ、「独り立つ者」というワードが目に留まりました。一度は読んでいたと思うのですが、あまり気に留めていなかったようです。

2回目のレポートで、私は孤独について気にしていました。それは、他者を権威者にすることで湧いてくる恐れであったと思います。そんな中、「独り立つ者」に関する記事を読み、ハッとしました。やっぱり、自分はここを目指しているんだろうなと思ったのです。

愛が可能になるのは孤独な時ではなく、独りあるときのみ」「自分が持っていないものを人に与えることはできない」この言葉を見た時、そうだったのか~と思わずため息が漏れました。

また、カヴィーシャ様の「自分で満ち足りている(独りあること)事こそ自由」、「独り立つ者は、統合されていた時の自分を選んだ者」という言葉を見て、なにかスッと繋がって腑に落ちたような気がしたのです。
今までの経験で体験した自分自身の分離した気持ちも統合をするための前準備であったし、精神的な男性性と女性性の統合に強く惹かれ憧れたのも、すべては独り立つ者として生きる道を選び、真の自由を体感するために生まれてきたからだったのか!と。

★カヴィーシャ: そうですよ。すばらしい気づきです。


そう思うと、この5という軌道数はなんて素晴らしいんだろう!と、この軌道数を選んだ自分に感謝の気持ちでいっぱいになりました。

独り立つ者こそ、私が一生かかってでもなりたい、憧れのように感じるのです。
そして是非とも、自分も独り立つ者になり、独り立つ者である相手や子供と共に歩んで行けたら、これ以上ないくらいの幸せです。

独りある者へのスタートラインとしても、自分を愛す事は本当に大事なことだったんだ、と実感しています。何一つ、無駄なことはないんだな、と嬉しくなりました。


私としてはまとめも兼ねたレポートとなりましたが、これを第3回目のレポートとさせていただきたいと思います。


          ねずみ大


★カヴィーシャのコメント: まだハイアーセルフから課題終了のサインは来ていませんが、とても大切なことを短期間で学ばれ、気づかれたと思います。

彼女は将来喜びを分かち合う人がいたら幸せだし、自己確立ができたパートナーがほしいと思っておられますが、現在独身者で彼女と同様のことを考えている人はけっこう多いのではないかと思います。

昔は男女半人前同士で夫婦になって、一人前になると考えられていましたが、そうではなくて、「自己確立ができた独り立つ者」同士が夫婦になってこそ、真に愛しあい、人生の喜びを分かち合える存在となれるのだということを、再度繰り返して皆さんに伝えておきたいと思います。
そして、そういう夫婦であってこそ、子どもを過保護や過干渉、あるいは放置する(放任とは意味が異なります)ことなく、適切に育てることができるのです。

まだ責任をとりたくなくて、真のおとな、真の親になれない魂の未熟な人は、準備ができていないので、なかなか子どもを持つことができません。持てば、持ったで、親子共々苦しい学びの体験をせざるをえなくなるでしょう。しかし、そういう段階を繰り返し体験していくことが、この世界での学びなのです。
「過去生の縁」というのもあるので、カルマの解消のために再度夫婦になる人は大勢います。さまざまな辛苦を臆せず体験し、それを来世に持ち越さないようにクリアしていくことが必要です。

まずはR.Sさんには自己探究を重ね、「独り立つ者」になられることを心から願います。

自分を全面的に愛することができるようになったなら、「自分の全てを他の人のために捧げることに最大限の喜び」を感じることができる「真の奉仕者」となることができるでしょう。

今はもっとも近い目標である医学の学びを極めてください。
そして、高い見地から心身の全体を把握し、病気の原因を見通せる霊性の高い医師を目指していただきたいと思います。がんばってくださいね!



ふたつのハート

★さて、あなたのなかに「個人の神話」は存在しているでしょうか?
あるいは、「ネガティブな観念」は存在していないでしょうか?

自分自身を見つめること。
自分自身を知ること。

これが、あなたがこの世界に誕生した大きな理由のひとつです。
毎日の忙しさに埋没していくのではなく、
静かな時間をもって自己を探究してください。




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生まれることの意味

2015年10月24日 17:00


◆課題の個人レッスンから
  ~「観念」について~



今回は「課題の個人レッスン」で、ひとつの「観念」を解放できたR.Iさんのレポートを掲載させていただきます。

この世界はまちがいなく「観念」で出来上がっています。ですから、「観念」はどんな人にもあるのです。ただ、「否定的な観念をもつ」か、「肯定的な観念をもつ」かで人生は大きく違ってきます。

自分が勝手に創り上げた「観念」にがんじがらめになっている人たちは、ほんとうに沢山いらっしゃいます。もうどうしようもなくネガティブになっている「観念」を手放して、ポジティブな「観念」を選択してみてはいかがでしょうか?
ご自分に照らし合わせ、参考にしてくだされば幸いです。
(青字はカヴィーシャで、緑字はR.Iさんのコメントです)



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カヴィーシャ様

見えない身体が頻繁に壊れる原因となっている課題があれば、そちらを先にクリアしたいと思うとお伝えしたところ、既にクリアできたはずの「観念」という課題がまたやってきて、正直なところ、課題が増えたこと、そして同じ課題と向き合う必要のあることにややげんなりしました。
しかし、薄々自分でも感じていたネガティブな観念と向き合う必要があるのだと感じてもいたので、そのことについてレポートを書かせて頂きます。

【★あなたが持っているネガティブな『 観念 』はきっとたくさんあるでしょう。どんな『 観念 』があるでしょうか?
愛や人間関係、健康やお金などに対して、また人生について、あなたがどんな『 観念 』を持っているのか、まずは書き出してみましょう。】


生きることは苦しいことであり、苦痛に満ちているという観念がありました。

★かつてのゴータマ・シッダールタと同じ観念ですね。(彼は生きることの苦しみ・老いることの苦しみ・病気になることの苦しみ・死ぬことの苦しみから逃れるために出家した人です)


あるとき、家の中に入って来た小さな虫を無意識のままに殺していました。生きとし生けるものすべての命は平等に尊いものであると頭では考えているのに、偽善でしかなく、虫を殺すという行為を一体どのように正当化するのだろうと自分に問うたところ、「虫として生きることの苦しさから解放してあげたのだ」という何ともおこがましい考えが頭をよぎり、私は一体何様のつもりなのだろうと落ち込みました。その考えには虫の生を軽んじていることと同時に、生きることそのものが苦しいことであるという考えが自分の中にあることに気がつきました。

★それは貴重な気づきでしたね。
しかし、虫はあなたのように生を苦だとは思っていないのではないかと思います。虫は短い一生を、ただその瞬間を一生懸命生きているだけです。


自分が今生で経験していないことは、すべて苦しいことであるという観念があり、遠ざけている結果、未経験のままでいる(または経験していても再度挑戦したくない)のかもしれないと思います。
恋愛も楽しいのは最初のうちだけで、そのうち相手や自分と向き合う必要が生じて、面倒なことばかりやってくるように思えます。楽しそうな結婚生活を送っている人は周りには少ないですし、子育ても誕生の瞬間は喜ばしいのに、その後は「こんなに大変だとは思わなかった」と文句を言う親ばかりです。わざわざ大変で苦しいことを選択していても放り出したくなるのだから、あえて苦痛を選択しない生き方をしても良いのかと思っていました。
苦悩や苦難にばかり目が向いており、苦しさが成長のための通過点であるという風に考えづらかったのです。

★苦難に耐えること、それを克服することは、まちがいなく魂の成長と進化に大きな影響を与えています。


そして私にはその苦しさや困難を乗り越えることができないのではないかという思いがありました。自己不信です…。
そしてその苦難は立ち向かうに値する結果をもたらすものなのだろうかという損得勘定も働いていました。

一方で、楽しいことを追及しているハート全開な人たちを、やるべきことをやらずに苦しい現実と向き合わない人たちだと心の中で批判していたことに気づきました。自分のしたいことが何かを分かっていて、それをしている彼らをうらやましく思う気持ちと、本当の意味での困難に立ち向かえていない自分自身に対する批判がまざった複雑な感情であったと思います。そして楽しそうにしている人たちの陰の努力を見ようとしなかったのです。
そして人生は苦しいものであるという思い込みから、私は苦しまなくてはならないと思っており、しかし苦しみたくはなくて、苦難に立ち向かえない自分は人生から逃げているのではないかと自己批判をして苦しんでいました。(なんと面倒くさいこんがらがった考えなのでしょう!)

★すべて自分がつくった勝手な思い込み(観念)が原因ですね。


先日、ハワイで初めてサーフィンをしました。
波に乗る前に沖に向かうためのパドリングが非常に疲れるものでしたが、うまく波に乗れたときの楽しさは何物にもかえられない喜びでした。地球とつながっている、地球と遊んでいる感覚というのでしょうか、自分の身体の細胞のすべてが喜んでいるのを感じたのです。
そしてまた次の波に乗るためにパドリングをするわけですが、これが大変疲れるもので、腕の筋力が弱い私にはかなりキツい運動でした。でもまた波に乗りたくて頑張れるのです。疲れたら波の上で休憩し、元気が出たらまたパドリングして波に乗ることの繰り返しでした。
サーフィンは人生を象徴しているのだと思いました。

★そうですね。とても象徴的です。
海や山や森林には、目に見える生命のほかにアストラル体やエーテル生命などの独特の生命があって、これらがお互いに繋がって望ましい影響をおよぼします。ハワイの海に直接触れることができて、ラッキーでしたね。


苦しさは一過性のもので通過点であること、苦しさを超えると楽しさがやってくること、いつもいい波があるわけではないけれど、波に乗れたときの歓喜は何にもかえがたいこと。波にうまく乗れず海に落ちることもありますし、波を待つ必要もあるのですが、そのすべてが楽しさにつながっていること。
そして苦しさを通過することで手に入る喜びがあることに気づいている必要があると感じました。その楽しさを知ると、苦しみは苦しみですらない、楽しい時間のための準備であると感じられるのだと思いました。

★それを知ったなら、今後つらい思いがやってきても、乗り越えられますね。


サーフィンの最中は無我夢中でここまで感じることはできませんでしたが、あとになってとても学びの多い時間を過ごせたのだと分かって、ありがたい時間だったと思っています。

また、サーフィンを通して感じたことですが、何かを得ることを目的として行動するのではなく、ただ楽しいからやりたいと思うことを自らに許可していく必要を感じました。数秘リーディングにおいて第4ピークでそれをする必要があると教えて頂きました。リーディング結果を頂いたときは理解できなかったのですが、楽しさを追及していく感覚、そして自分自身が喜ぶことをしていく必要があるということがどういうことなのか少し理解できました。

★よい体験ができましたね。


★はい!波乗りの合間、サーフガイドの方に、こんなにも楽しいのならもっと早くに経験すれば良かったと話したところ、「待つ必要のあるものも存在するし、待つに値したでしょ?」と言われました。深い言葉だと感じました。若いうちに経験できていたらそれはそれで良かったのでしょうが、今だからこそ気づけたこともあったと思います。良いタイミングで良い経験ができたのだと感謝しています。


私の身体に入り込んでくる別人の魂に対して、他人の身体に入らずに自分の肉体を持つ勇気を持ってほしい、人生は楽しいのだから頑張ってと説得していましたが、私自身が人生は楽しいと思っていなかったのですから、矛盾しており、まったく説得力がなかったのだと思いました。そして人生は苦しいものであるという凝り固まったネガティブな観念がネガティブな存在を呼び寄せていたのではないかと思います。

★その通りだと思いますよ。


自分のフォーカスをどこにおくか、どちらの感情を選ぶかで未来は決まるものであると思います。人生が苦痛に満ちているといえばそうなのだろうと思います。しかし同時に人生は歓喜に満ちている。苦楽はコインの表と裏のような関係であって、どちらかのみというものではないのではないかと思います。
ネガティブだけの「生きることは苦しいことであり、苦痛に満ちている」という観念は私にはもはや不要なものであるので、手放しました。

★手放せています。もっともネガティブな観念を、真っ先に手放すことができましたね。おめでとうございます!


★ありがとうございます!とても嬉しいです。


観念を手放しても、苦しさを感じないというわけではなく、これまでそうであったように、きっとこれからも苦しいと感じるときもあるのだと思います。(特にネガティブな存在に影響されているときは本当に苦しいので…)しかし苦しいと感じることに蓋をするものではなく、苦しさを感じていることを認めたうえで、その困難を避けず、苦しみを通過すれば歓喜があることを腹に落として、これからもめげずに課題に挑戦し、人生を全うします。

★すばらしい心構えです。垢ぬけした感じがします。
これからはチャレンジすることにも喜びをもってください。
今回クリアできた観念以外にまだあるかどうかを考え、あればまたレポートしてください。
カヴィーシャ


★ありがとうございます!課題をお休みすることで、課題のありがたさに気づけたことが私を変えたのかもしれません。お休みすることをお勧めいただきありがとうございました。
昨日、課題をすべてクリアしたら見える景色が変わるのだろうなと思い、それがとても楽しみだとお腹の底から感じました。マインドで考えたのではなく、ハートで感じたのです。そう感じることができたことがとても嬉しかったです。
(頭で『「課題がクリアできた後が楽しみだ」と考えるべきだ』とずっと思っていたのです。これも思いの制限であったのだと今になって分かりました 笑)
観念、思い当たるものがありますので、次回はそちらについてレポートさせていただきます。
引き続きどうぞよろしくお願いいたします。


お読みいただきありがとうございました。

愛と感謝を込めて!
2015年10月21日
R.I



紅葉



◆生まれ変わることの意味と原因



このブログを長年読んでこられた皆さんは、ご自分が多くの過去生を持っていること、すなわち数えきれないほど、さまざまなものに生まれ変わってきたことを知っておられると思います。
そして、「自分がなぜここに生まれてきたのか?」を考えたこともおありでしょう。

人の生まれ変わりの原因は、いったい何だと思いますか?

根本的な原因は、それが「宇宙の意志」であるということです。
宇宙の意志」が個々の魂に刻印されて、自らを現象化したいという欲望となって現れているということです。各々の魂は、「宇宙意識&意志の行為」を真似て、さまざまな下位の界層に自分自身を表出し、注ごうとするのです。

ですから、人がこの地上に生まれてくる原因のひとつは、それぞれの魂が自分自身を思う存分表現したいということです。いつも言っていることですね。
ふたつめは、自分が生きているということを意識させ、感じさせることのできる、すなわち外部からの印象や衝撃を受けることのできる場所を見いだそうとする「渇望」があるということです。
これは、一般的に言うところの「生存欲」なのではなく、さらに自分が宇宙意識のように完全なる現れ方をしたいという欲望、もっと生き生きと活動していることを実感したいという欲望、あらゆる可能な行動をし、あらゆる界層で感応したいという欲望なのです。
それを体験することによって、その結果、魂は完全なる同情や共感に達することができるということです。

あなたは、この世に出て来たいから出てきたのです。
もう二度と出て来たくない人は、この世界に戻ってはこないはずです。
この地上に何かあなたに与えるものがあるとき、その欲望が少しでもあなたに残っているとき、あなたは戻ることを欲し、戻る決意をするのです。
このようにして、魂は自分の意志に反してこの苦悩の世界に押し戻されるのではなく、この世界に対する自分自身の激しい渇望によって戻ってくるということです。
あなたが不完全である限り、あるいは、もうこの世に望むものは何もないという地点に到達していない限り、あなたはこの世界に戻ってきては、生まれ変わるのです。

宇宙には「進化」という目的があります。宇宙は常に進化しつつあり、完成されたものというのはどこにも存在しません。「完成は無限の営み」なのです。
シルバーバーチは言っています。
あなたは永遠に達成されることのない完全性へ向けての無限の進化の道を歩みつつあるのです」と。

ウパニシャッド』には「人間は欲望に導かれてこの世に生まれる。従って、この世のもの一切に対する欲望を抹殺してしまえば、彼はこの世から去って二度と生まれ変わることはない」というような箇所がありますが、ゴータマ・ブッダが説いたのも、結局のところ、これと同じことですね。彼は自分のなかにあるすべての欲望を消失させろと言っていますから。

しかしながら、欲がまだあるにもかかわらず、それを無理やり消滅させようとする方法はどうなのかな? と思うのです。それは抑圧にしかすぎず、真に解放されたものではないし、本心ではないからです。
魂は生き生きとこの世界で表現し、活動したいのに、なぜそんなに自分を否定するのかしら?と疑問に思うばかりです。

ゴータマ・ブッダは、四苦八苦(しくはっく)について語っていますが、このとは、「苦しみ」というよりは「思うようにならない」ことを意味するようです。
根本的な苦は、生・老・病・死の四苦ですが、 この四つの「思うがままにならないこと」に加えて「愛別離苦(あいべつりく) - 愛する者と別離すること」「怨憎会苦(おんぞうえく) - 怨み憎んでいる者に会うこと」「求不得苦(ぐふとくく) - 求める物が得られないこと」「五蘊盛苦(ごうんじょうく) - 五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならないこと)の四つの苦を合わせて八苦と言っています。

つまり、皆さんは、いろんなことをしたいのだけれど、思うようにならないから「苦しい」と感じるのであって、すべてが思うようになっていたら、この世は楽園のような気がするにちがいありませんね。

なぜ、思うように事が運ばないのか、それはすべてあなたがそうしているだけで、勝手に思い込んだ「観念」によって、がんじがらめになっているだけではないのですか? 
制限をかけて足を引っ張っているのは、他の誰でもない結局のところあなた本人なのではありませんか? 
思い方を変えれば、あなたはいくらでもハッピーな道を選択できるのです。とにかくすべての原因は自分にあるのですから、嫌ならその「観念」を手放せばよいだけのことなのです。何も難しいことはありません。道理がわかれば、簡単なことなのです。執着さえしなければ、いまこの瞬間でも手放せることなのです。そこに気づいてほしいと思います。



紅葉1



◆悪霊が増えています!



今現在、悪霊で悩んでいる人は決して少なくはないと感じるので、少しお話をしておきたいと思います。
10月に入って、急激に人間の足を引っ張るような悪霊が多くなったのは事実です。門下生準備コースを選択している人は、特に自分自身の体験として強く感じておられることと思います。

ある闇のグループに所属する霊たちが人間界に「悪霊」として多く出始めたのは、闇の役割を担当しているそのグループの長が交替したのが原因でした。その長の手下たちが各々自分勝手に動いて人間界に悪影響を及ぼしていることがわかったのです。人間の肉体に入り込んで、100%乗っとるケースも多々あります。世界の最悪のニュースからも非常に陰湿なやり方で人類の力を弱めていこうとする動きが感じられるかと思います。

わたしは地球を守るためにも、これ以上人間の意識レベルを下げたくないので、以前のグループ長に再度復帰してもらい、きちんと責任を持って闇の役割を統括するようお願いしました。そして、一般的に悪霊と呼ばれるような者たちは「新たに創った意識レベルの低い領域」に行ってもらうこととなりました。(この領域については、あくまでも個人の観念によるものなので、感知できるかどうかはそれぞれ異なるということを付け加えておきます)
ところが、その領域が創られてまもなく、なぜかそこへ行くことを拒む悪霊たちが、わたしのところへどんどん来るようになったのです。つまり光の領域に行きたいから浄化してほしいというわけです。そこで、どっとわたしの仕事が増えてしまいました。

10月15日にはその噂が広がったようで、わたしのところに来た悪霊だけでもおよそ9,000体いましたし、人霊はおよそ14,000体、妖精は3200体、17日には再び悪霊1677体を浄化しています。
毎回少しずつ来られると、一日中浄化していなくてはならなくなるので、光の領域に行く船をつくり、乗っていってもらいました。その浄化作業は、その後も続いています。

このように改心して浄化されて、光のサイドに行きたい者だけなら、すぐに行ってくれるので楽なのですが、自分でもどうしていいかわからない悪霊たちもたくさんいて、「意識レベルの低い新しい領域」にも行きたくないし、「光の領域」にも行きたくないし、「ブラックホール」にも行きたくないと、どの選択もできない者たちが来はじめるようになりました。
説得すれば、たいてい浄化箱に入ってくれるのですが、人によっては悪霊を説得できない場合が多々あり、困りかねて毎日のように相談してくる人たちがいらっしゃいます。

いつまでも「浄化されたくない」と言ってそこに居座っている連中は、来ている意味が不明なのですから、さっさと追い出してしまえばよいのですが、追い出せないまま影響されて、プラーナを奪われ、見えない身体が壊されている人も現にいらっしゃるのです。

要するに、悪霊を説得できないし、追い出すこともできないからそんなことになっているわけなのです。
わたしがいくらその時々に見えない身体を修復して、プラーナを補充したところで、本人が悪霊たちを説得する力量を身につけない限り、同じ繰り返しなのです。悪霊もちゃんと相手を見ているのです。怒鳴ろうが何をしようが、ちっとも出て行かないのはなぜなのか? をちゃんと考えてくださいねと申し上げておきます。

前回の記事にも書きましたが、悪霊も愛がほしいのです。どんなに強がっていても、認めてほしいし愛してもらいたいと思っているのです。たいていはそれが得られなかったことで歪んでしまったのですから。
悪霊と言っても、あなたがたと少しも変わりはないのですよ。共通点はいろんなところで見出せるはずです。あなただって、まるで悪霊と変わらない心情をお持ちかもしれないでしょう? そして、このままでは死後、悪霊と呼ばれてもしかたがない存在になる可能性はないとは言えないはずです。ですから、そんな人たちを邪険に扱わないことです。

人間の足を引っ張るということばかりではなく、あなたと共通するところがあるから来ている場合もあるのだということを知っておいてください。
また、どうしていいかわからないから、あなたに判断を下してほしいのかもしれません。
自分でもどうしていいかわからない人がこの世には一杯いますが、あの世にもどうしていいかわからなくて浮遊している者たちが沢山いるということです。

悪霊は、たいてい元は人間です。人霊の最悪のネガティブサイドから来た者たちということです。そういう人たちが来たら、話してみることです。そして、変容する機会を与えてあげることです。
要は、あなたにどれほどの愛があるかということです。厳しく突き放すことが必要な場合はそうすればよいし、優しく説得することが必要な場合はそうしてください。
ケースバイケースで、悪霊と対峙するのです。その結果、悪霊をどれだけ感化することができたか、それは悪霊たちがはっきりと証明してくれるでしょう。



鉄輪



◆低級霊に悩まされるわけ



どうしてわたしのところにこんなにネガティブな存在ばかりが来るの? と思って嘆いている人は多いと思います。

それは、あなたが過去生で「悪」を働いたからだと申し上げておきます。
悪の結果はアストラル恒久原子とメンタル恒久原子とに蓄えられ、それが種子となって、つぎに生まれ変わったときのアストラル体、メンタル体の質を決めるのです。従って人は過去生からの悪の結果に対して、繰り返し繰り返し対面しなければならないのです。それはその人がついにその悪を克服し、各媒体から悪への傾向を一切根絶し尽くすまでつづくのです。このことは古き偉大な智恵をもった人たちが言っていることです。

神智学大要 コーザル体』のあるところにつぎのようなことが書かれています。

魂の前世のかずかずの罪が罰されるのは実にこの再誕、この神秘的な、呵責なき、しかしその命令の公正かつ英智において決して誤ることのない法則が選びかつ備えた再誕においてである。魂が投げ込まれるのはあの芝居じみた火焔や、滑稽な尻尾と角を生やした魔性たちのいる、創造の産物である地獄ではなく、彼が罪を犯した界層や地域である実にこの地上なのであり、そこで彼は自分の犯したあらゆる思いと行ないとを償わなければならないのである。

蒔いた通りに彼は刈り入れなければならない。生まれ変わりは彼の廻りに過去の彼(低我)の手によって、直接または間接に、あるいは彼(低我)自身はたとえ意識はしなかったにせよ彼(低我)のために苦しめられた他の魂たちが集められる。
彼らは古い、永遠の魂を隠しているこの新しい人間に出会うようにネメシス(ギリシア神話、因果応報の女神)によって投げ入れられる。……新しい「低我」は特定の特徴、色、形、質を持った新しい洋服のようなものである。しかしそれを着ている本物の人間は過去と同じ罪びとである。(『神智学の鍵』141-142頁)


カルマは、魂が新しく転生する道となる線を引くものです。人はみな蒔いた種を刈り入れるのに適した肉体を選んで産まれてくるのです。どんな低我のための条件であっても、魂はその明晰なヴィジョンでもって直ちに受け容れることが賢明です。
低我の限られた知識からすれば、地上の体験には不必要なほど苦痛であり、不公平であることも多いようです。
しかし、魂は、肉体という忘却の河に飛び込む前に、わが魂の成長のために与えられるチャンスをもたらす複数の原因を見ているのです。ですから、過ぎ行く悲しみや苦しみもすべて秤にかけてみれば、結局はいかに軽いものであるか、地上の喜びも悲しみも遠くまで見透す凝視(まなこ)にとっては、いかに些細なものであるかがわかるでしょう。 (『神智学の鍵』155頁参照)

アストラル体は想念に対してすぐに反応します。
それが他者からの想念であろうと、自分自身からの想念であろうと、アストラル体に当たる想念波すべてに応えることを喜びとするのです。ですから、習慣的に悪しき想念に応えるようになったアストラル体は、その近くにあるさまざまな想念形態や欲望形態のうち悪しきもののほうを引き寄せる磁石のようになるのです。
但し、清浄なアストラル体はそのような悪しきものには反発します。そして、同調する質料と波動とを有する想念と感情だけを引き寄せるのです。

神智学大要』には、つぎのように記されています。

アストラル界には低級な自然霊たちがたむろし、彼らは怒りと憎しみとの粗い波動を歓び、その類の流れの中に蝟集(いしゅう)するために、その波動を強め、それがまた彼らの生命力をますます強める。低級な感情の虜(とりこ)になりやすい人は、そのような感情の爆発を今か今かと押し合いへし合いして待ち構えているこのアストラル界の「死肉喰い鳥(くろはげたか)」たちによっていつも取り巻かれていることに間違いない。

ふさぎ」は自然霊の影響による場合が多く、「怒り狂い」は一時的にアストラル体の支配を失い、欲望エレメンタルに支配権を取って代わられてしまったのであり、そういう状態の人は同じような死霊に憑依されているといってもよいでしょう。
ふさぐことは、進歩への障壁です。ふさぎがちな人は要注意です。



ふたつのハート

あなたの器をもっともっと大きく、深くして、豊かになってください。
豊かでない人は豊かさを相手に与えることはできません。
あなたがここに生まれてきた原因のひとつに、豊かになって、それを分かち合いたいということがあるはずです。

豊かさとは、感謝と賞賛。
そして、受け取り、与え、前に進む意欲です。
あなたに受け取る意志さえあれば、ありとあらゆる良いものが与えられるのです。
あなたがハートを開いて、心から感謝して受け取れば、さらに高いレベルで与えることができます。
そうすると、さらにもっと高いレベルで受け取ることができるのです。
そうなると、あなたはあらゆる面で、前に進むことができるのです。

この地上の生活は、魂が進歩する目的のために与えられているのです。
魂の進歩と発達こそが目的なのです。
自分自身の魂としての力をどのように発揮していくかということが目的なのです。

今、あなたに与えられようとしているものを、感謝して受け取りましょう。


2015年10月24日 カヴィーシャ・光の仕事人





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