ひまわりさん&光のお母さんとの対話  ~第7弾 映画「いまを生きる」から考えたこと、気づいたこと~

2017年04月05日 15:20

ひまわりさん&光のお母さんとの対話 
~第7弾 映画「いまを生きる」から考えたこと、気づいたこと~


ひまわり:光のお母様、こんにちは。
私が好きな映画『いまを生きる』をご覧になったと伺いましたので、私も久しぶりに観てみました。何度も観た映画ですが、今も昔も涙する場面は変わりません。キーティング先生はまるで光のお母様のようで、既成概念を次々と覆してくれる存在です。教科書の一部を下らないから破り捨ててしまえというシーンは何度観ても気分爽快になります。
映画の中の話とはいえ、自由であるよう、自分の頭で考えて行動するように指導する教師と思春期に出会えるなんて、とても幸運なことだとうらやましく思います。



いまを生きる


<映画のタイトル>
ひまわり:邦題は『いまを生きる』ですが、原題は“Dead Poets Society”(死せる詩人の会)で、『いまを生きる』はおそらくキーティング先生の授業に出て来たラテン語のCarpe diemを訳したものだと思いますが、Carpe diemはどちらかというと『いまをつかめ』という方が近いのだと思います。『いまを生きる』というタイトルのほうが映画としては売りやすかったのかもしれません。
しかし、今回映画を観直したら、映画全編を通してキーティング先生に『自分を生きろ』と言われたように思いました。

葉っぱのライン

<胸に響く言葉や心に残る場面>
ひまわり:『死せる詩人の会』の冒頭部はソローの『森の生活』にある文章の朗読から始まりますが、『私は生きることの真髄を心ゆくまで味わいたい』という言葉のポジティブな力に感銘を受けました。
様々な詩やハッとするような台詞がたくさん出てくる映画だと思いますが光のお母様の胸に響いた言葉がありましたら教えて頂けませんでしょうか。

光のお母さん:そうですね。やはり『バラは摘める時に摘め』というキーティング先生が最初の授業で語った言葉でしょうね。
『時間は飛ぶように去る。今日君に微笑んだ同じ花が明日は朽ち果てる』
だから、「青春を謳歌せよ、今を楽しめ、今を生きなさい!」と彼は生徒に伝えたのですね。『Carpe diem』はそこから来ていますね。すてきなメッセージだと思います。

もうひとつ心に残っている言葉があります。少し長いのですが、キーティング先生が「秘密を教えよう」と『詩』について語る場面がありますね。
彼はこう言いました。『詩を読み、書くのはカッコいいからではない。人間だからこそ、僕らは詩を読んだり、書いたりするわけだ。そして、人間というやつは情熱にあふれているものだ。医学や法律や経営、工学を学ぶことも確かに大切だ。必要なことだ。しかし、詩や美しさ、ロマンス、愛(恋)こそはわれわれの生きる理由ではないのか』と。

わたしの青春時代というのは、まさにこれでした。詩を書き、詩集を作り、そしてつぎつぎと相手が現れては恋をし、とにかく勉強よりも恋愛に明け暮れていましたね。おとなになってもずっとその連続でしたよ。(笑)
ですから、この『詩や美しさ、ロマンス、愛(恋)こそはわれわれの生きる理由ではないのか』というところは同感です。そこには悲しみや喜びがつきまといますが、若い頃に思いっきり愛や恋の何たるかを知ることは、とても大切です。


ひまわり:私の学生の頃は、主に片思い専門でした…実らない恋が多かったですが、勇気を出してぶつかって玉砕していました(苦笑)失恋でティッシュの箱を空にするほど泣いたりもしましたが、しっかりと悲しみに浸ったので失恋のなんたるかを味わえたと思います。
映画の中でもクリスに恋をしたノックスが詩人になっていくのが微笑ましかったです。

光のお母さん:『詩』について、キーティング先生は続けますね。
『ホイットマンは言った。人生は幾度となく繰り返される問いかけの連続だ。信仰心薄き者の終わりなき列や愚か者に満ちた町々の、そんなものの中に人生があるのだろうか。答えよ、君がここに存在し、命と個性がここに存在することで、力強い人生が成り立ち、君は詩が書けるのだ』
とても含蓄のある内容であると思いますが、ひまわりさんはどう感じますか?
また、ひまわりさんの好きな、印象に残っている場面はどこですか?


ひまわり:ホイットマンに、生きることは詩を書くことだと、自分の人生を生きて、自分の詩を書きなさいと言われているように思いました。
心に残る場面は多々ありますが、キーティング先生がいつも自信なさそうにしているトッドをひっぱりだして、彼の中の詩人を引き出すところや生徒を教壇の机の上に立たせ、視点を変えて物を観るよう促すところがとても好きです。キーティング先生は英語の先生ですが、教科としての英語の枠から大きくはみ出した真の教育者だと思います。光のお母様はどの場面がお好きですか?

光のお母さん:最後ですね。キーティング先生が学校を去っていくとき、生徒たちが机の上に立って見送る場面です。トッドをはじめとして、キーティング先生を敬愛していた生徒たちは、校長の制止も聞かずに※机の上に立って先生を見送りますね。そこには、彼らが自分たちの身勝手によってキーティング先生を悪者にしてしまったことや、自分たちの勇気のなさに対するお詫びの気持ちが含まれていたと思うし、そのとき彼らにとって唯一できる校長に対する抵抗の証しでもあったのだと思います。

※映画の中で、キーティング先生は授業中に突然机の上に立って宣言する。「私はこの机の上に立ち、思い出す。常に物事は別の視点で見なければならないことを! ほら、ここからは世界が全く違って見える」と教える場面がある。

ひまわり:私も最後の場面は何度観ても号泣してしまいます。あの引っ込み思案のトッドが殻を破って自己表現をしたことにも感動しました。


自殺


自殺について>

ひまわり:今回映画を観直して、自分の視点が変わったことに気づきました。これまでは、学生たちの視点でばかり映画を観ており、大人になっても『大人は判ってくれない』と思っていましたが、今回はニールの自殺が及ぼした影響の大きさ、遺された人にとって自殺はエゴに満ちた暴力であると思うようになりました。

光のお母さん:なぜそう思うようになったのですか? 

ひまわり:学校生活においては明るく楽しく中心的な存在であるニールは、父親には逆らえない『良い子ちゃん』を演じており、鬱屈した思いを溜め込んでいるシャドーの濃さを感じました。確かにニールの父親はかなり高圧的で押し付けがましくて、その父親に自分の意見を伝えることは大変なことであったろうとは思いますが、自殺するくらいなら自分の思いのたけをぶつけても良かったのではないかと思いました。

光のお母さん:自分の思いのたけをぶつけられないからこそ、自殺したのではないのですか? あなたはニールの思いや行動にまったく共感できないようですね。
では、ひまわりさんは、言っても無駄な相手に自分の思いのたけをぶつけたいと思いますか? あるいは、実際にぶつけますか?

ひまわり:言っても無駄だと思うと、なかなか言えなくなってしまいます…。

光のお母さん:「何か言うことはないのか?」と※父親が息子に何度も尋ねていましたが、彼は最後まで父親に口答えはしない道を選びましたね。
あそこで思う存分自己主張をしたかったのでしょうが、彼はしかけてやめました。無駄だと思ったからではないでしょうか。
しかし、そのあとで自殺することは、父親に口答えするよりも、もっと大きな打撃を与えました。彼にとってはそれが最大の抵抗だったのです。

※ニールの父親は、自分の思い通りに息子を扱う厳格で典型的な頑固親父。ニールを医学の道に行かせようとしていて、ニールが芝居で主役を演じたことが発覚した際、強引に家に連れて帰り、陸軍士官学校に転校させようとする。ニールの役者になりたいという願望や主張や意思を否定する。

ひまわり:ニールはキーティング先生のことを尊敬していたのだと思うのですが、キーティング先生の教えがどのようにニールの自殺に関連したのかが私には分かりませんでした。光のお母様はどのように思われましたか?

光のお母さん:キーティング先生が若い時につくったクラブ『死せる詩人の会』の書の冒頭に、『私は静かに生きるため森に入った 人生の真髄を吸収するため 命ならざるものは拒んだ 死ぬときに悔いのないように生きるため…』と書かれていましたね。
『命ならざるものは拒んだ』とありますが、この『命ならざるもの』というのは、何を意味していると思いますか?

ひまわり: 『命ならざるもの』は、エゴでしょうか。真髄ではないもの、本質から離れたもの、魂が欲していないものかと思います。

光のお母さん:そうですね、では、ニールの「魂が欲していないもの」とは何ですか? 父親の望み通りに陸軍士官学校に転校し、医者になることですね。それは自分の夢とは全く異なり、その通りにすることは、死に値することだったわけです。独断で父親に退学させられたニールは、もうキーティング先生のいる学校には行けなくなってしまったし、明日からは絶望的な毎日が待っているのです。

命ならざるものは拒んだ 死ぬときに悔いのないように生きるため…
バラは摘める時に摘め』『今を生きろ!』とキーティング先生は教えました。ニールは自分の内なる声に忠実に従いたかったのです。

自殺という行為は、ニールにとって、それが彼にできる唯一の自己表現であったのです。今自分の心に悔いのないようにするには、死ぬしか選択肢がなかったということです。若さゆえの行為ですが、彼の気持ちはよくわかりますよ。実に詩的であると思いました。
ひまわりさんは「キーティング先生の教えがどのようにニールの自殺に関連したのかが私には分かりませんでした。」と言われましたが、まだお解りになりませんか?

ひまわり:ご説明いただき、ようやく腑に落ちました。ありがとうございます。
ニールの机の引き出しからその本を取り出し、まさにその冒頭部分を読んで泣いているキーティング先生の無念さを感じ、やるせない気持ちになります。ニールの気持ちも理解できるのですが、それでも生きていてほしかったです。

光のお母さん:それはどういう意味で、でしょうか? 
ニールはもはや自分の心が満たされず、100パーセント喜びの中にいられないことを知ったのです。それでも生きてほしいというのは、酷だと思いませんか?
未来に絶望し、怖れに満ちている状態、そこに自分への愛が持てない状態では、生きることは不可能なのではないでしょうか? 

先程ひまわりさんは「今回はニールの自殺が及ぼした影響の大きさ、遺された人にとって自殺はエゴに満ちた暴力であると思うようになりました」と言われましたね。そして、ニールには「それでも生きてほしかった」と。
ニールの側からすれば、ひまわりさんの思いは父親同然であり、それこそ「エゴに満ちた暴力」なのではないでしょうか?
なぜキーティング先生が泣いていたのか、その真の意味がわかりますか?

ひまわり: ずっとキーティング先生は、ニールの死の無念さを感じて泣いていたのかと思っていましたが、ニールが魂の求めていることに気づき、『命ならざるものは拒んだ』ことで自殺をしたということに気づいて泣いたのでしょうか。『死せる詩人の会』の冒頭の言葉の真意をニールが理解していたことで、死を超えて通じ合ったからこそ泣いたのでしょうか。

光のお母さん:『命ならざるものは拒んだ 死ぬときに悔いのないように生きるため…』を読んで涙を流していたキーティング先生の気持ちは、容易に言葉では言い表せないと思いますが、キーティング先生が泣いた真意を、ひまわりさんに少しはわかっていただけたようで、よかったかなと思います。

ひまわり:短絡的に自殺は良くないことだと思う気持ちが強くあり、だから生きてほしいとつい余計なお節介で思ってしまいました…

光のお母さん:それでも生きていてほしいというのは、あなたの気持ちがかなり優先しているように感じます。
ひまわりさんは過去生でもいろいろなネガティブな体験をしてこられたと思いますが、ニールの気持ちを真に理解できたなら「それもあり」と思えるのでは?と思いますよ。
彼が選んだ道は彼が責任を取るのです。「自殺はよくない」という思いの制限があると拒否反応を示してしまいがちですが、「自殺して死んでも意識は残る」「意識は続いて行くのだ」ということを知るうえでは、必要なのかもしれません。
人にはいろんな魂の年代があり、考え方や生き方は異なります。自殺したニールは今回の人生ゲームから降りただけです。ひまわりさんは、「それも良し」とすることはできませんか?

ひまわり:私の過去生には自殺を良しとしないキリスト教徒が多数おりましたので、自殺についてひっかかりが強いのだろうと思います。ニールの自殺を受けて、その気持ちが出て来てしまい、自分の考えを押し付けてしまいそうになったのではないかと思います。
しかし今は、自殺をするというのも学びの一つだと思えます。自殺を良しとしないキリスト教徒が多かった一方で、つい先日、自殺をした複数の過去生を解放することができました。自殺では彼らの問題は解決しませんでしたし、むしろ他者に恨まれる結果となったケースもありました。私の過去生の自殺の理由とニールの自殺の理由は異なりますが、自殺を通じて学びがあったと思っております。
改めてニールの視点に立ってみると、私もニールと同じ選択をしたかもしれないと思いました。反対に、行動する勇気が持てずに安易な方向に流れ、親の言いなりになって主体性のない人生を送ることになり、自分のことを棚に上げて親を恨んでしまったかもしれません。キーティング先生が提案したように、卒業してから演技の道に進むという選択もありました。どのような選択をするにしても、それは本人の選択であって本人の責任ですね。どのような選択であっても「それもあり」で「それも良し」とできます。
自分のことを棚に上げて、他者のことをどうにかしたいと思うお節介と押し付けがましさを反省しました…。

光のお母さん:そうですか。あなたの悪癖がまた顔を出しましたが、気づいていただけてよかったです。

ひまわり:映画を観直したことをきっかけとして、自殺に関して色々と考えていたら自殺をした過去生が出て来たのもとても興味深く、やはりひっかかりを感じることには何らかの過去生の影響がある可能性が高いと思います。

光のお母さん:その通りです。ひまわりさんは「自殺」したニールに対して、とても否定的でしたが、なぜかしらひっかかって、ものすごく拒否反応を示してしまったり、執拗にこだわったりするところなどは、過去生のあなたの生きざまに何か問題があったのでは? ということを示してくれているのです。今のあなたが過去生とは逆のことを思ったり、したりするのは、反対のことをして補おうとしているわけですね。そこに気づくことが必要です。


葉っぱのライン

<教育について>
ひまわり:映画の舞台となったウェルトン・アカデミーは全寮制の学校です。私は大学を卒業し、社会人になってもしばらくは親元におりましたが、映画のように中学校から親元から離れて全寮制の学校に入った友人に「親から離れることが大変辛かった、ずっと親元にいた君にその気持ちがわかる?」と言われたことがありました。個人差はあるのでしょうが、自立心のかなり強い子どもでないと全寮制の学校に子どもをいれるのは、子どもの愛着問題を深めてしまうのではないかという気がしておりますが光のお母様はどう思われますか?

光のお母さん:子どもによると思います。親元から離れたくないという子どもを無理やり引き離すのはあまり良い結果を生まないでしょう。しかし、親から離れたがっている子どもや早く自立したがっている子どもには良い結果を生む可能性が高いでしょう。要はその子のニーズです。親は子のニーズを受け容れ、出来る限り子が望むことを叶えてあげることがベストです。もちろんその子の性質や全体像をきちん把握し理解した上でのことですが。

赤ちゃんのときから幼少時のときに、いかに母親に受容され愛されたかが重要なので、その時期にきちんと愛着ができていれば、大きくなってからは自然に離れていくものです。中高生であれば、親から自立したいと思うのは、正常だと考えますし、いつまでも親にしがみつこうとすること自体が異常なのですよ。

近頃の母親は子育てを放棄したり、すぐに保育園に入れたり、別の人(自分の親)に世話を頼んだり、母親として子どもの教育を怠る無責任な女性が多いですね。そんな女性はその人自身に愛着問題があるのです。「愛し方がわからない人たち」のことを以前の記事に書きましたが、たいてい先祖代々の問題であったりすることが多いです。

嘗て『愛を乞う人』という映画がありましたが、愛着障害の最たるものですね。こういう人は安易に母親になってはいけません。子どもがあまりにも悲惨で可哀想だからです。自分が母親となって、子どもに無条件の愛を与えることができるかどうかを、まずは自問自答することです。

ひまわり:無条件の愛を与え、子どものニーズにあわせた教育をするというのはなかなか大変なことだと思いました。
私が今生では独身で子を持たずにいるのは、自分が親になる準備が足りていないと気づいているからかもしれません。現世の私に愛着問題があるのは、現世の両親の私に対する教育に問題があったからだと思っていました。この条件を選んで来たのは自分なのに、外側のせいにしてしまいたいと思っていたのだと思います。しかし、過去生回帰をしていただいたら、過去生でかなりひどい母親だったことがでてきましたし、そもそも最初に愛着問題を引き起こした問題のある過去生はまだ出て来てはおりません。いずれにしても、過去から連綿と続いている「私」に問題があることが痛いほど良くわかりましたので、現世でも過去生でも愛着問題をクリアして、負の連鎖を止めたいと思っております。

葉っぱのライン

<良い子の弊害>
光のお母さん:ニールの場合は、親の言うことを聞き、口答えをしない、いわゆる「良い子」でしたね。彼はなぜそのような「良い子」になっていたのでしょうか?
「良い子」がもたらす弊害について、ひまわりさんはどう思いますか?

ひまわり:ニールの父親はかなり高圧的な存在だったので、おそらく怖くて反抗しにくかったということ、親に愛されるために親の期待に応える必要があるとニールが思っていたことなどが「良い子」になっていった原因かと思います。
「こうあるべき」という理想と本当の自分である現実が乖離していくとシャドーが溜まっていくのだと思います。親は「良い子」である子どもが本来の姿であると思い、子は親のせい(と子どもは思っているのではないでしょうか)で「良い子」を演じるようになっていき、本当の子どもはどこにもいなくなってしまうのではないかと思います。「良い子」は親にも、本人にも真の幸せをもたらさないのだと思いますが、私の思い違いがあればご指摘いただけるとありがたいです。

光のお母さん:親に対して、子どもが「いい子ちゃん」を演じるのは、親に認められ、愛され、しっかりと保護してもらうためですね。親の言うことを聞き、親に気に入られることが、子が生きるための唯一の方法だからです。
光のコースの受講者さんで、「子どもの頃、親を神のように思っていた」と言った人がいましたが、親は自分の命を育んでくれる存在ですが、また自分の命を支配する畏れる存在でもあるわけです。ですから、その親に逆らうことは「死ぬこと」を意味するわけですね。「良い子」だったニールが最後に選んだ道は、神の如き父親に逆らうことでした。ここに「主導権争い」が生まれているわけですが、子の主体性を奪い続ける父親に対して、ニールは自らの命を絶つことで抵抗し、自らの願望や主張を守ったと言えるでしょう。
ニールが死んでからも、それを自分のせいではなく、キーティング先生のせいにしているような愚かな父親であったことが、実に残念ですが。


ひまわり:光のお母様、このたびも対話をさせて頂きありがとうございました。
映画を観て登場人物に感情移入すると、自分の現世・過去生の問題が浮き彫りになってくることを痛感しました。また何かおすすめの映画がありましたら是非教えてください。

光のお母さん:『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』も愛着問題を扱った映画ですね。先生役として、やはりロビン・ウィリアムズ氏が登場します。『今を生きる』の先生も素敵でしたが、『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』に出てくる心理学者もなかなかユニークで、わたしは好きです。
天才的な頭脳を持ちながら幼い頃に負ったトラウマから逃れられない一人の青年ウィルと、最愛の妻に先立たれ失意に喘ぐ心理学者との心の交流を描いたヒューマンドラマです。ぜひまた対話をしたいです。今回も、ありがとうございました。

ひまわり:お礼を申し上げるのは私です、本当にありがとうございました。
何度も繰り返し見た映画だったのに、全く汲み取れていませんでした…今回先生と対話をさせて頂いたことで、ようやく真意に触れられたと思います。本当にありがとうございました。なかなか深いところに行けなかった私を導いてくださりありがとうございました。この映画を何度も繰り返して観たのは、私がキーティング先生のような師を、光のお母様を欲していたからではないかと思っています。今、幸せです。


sakura


光のお母さんからの伝言


今回取り上げた映画『いまを生きる』はとても考えさせられる映画だったと思います。今まで有名な映画であることを知りつつも、なぜか鑑賞までは及びませんでした。ちょうど4月のセミナー前で、『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』と同時期に観たのですが、両者とも思いのほか気に入ってしまいました。
「愛着問題」を扱うセミナーの前だっただけに、いろんな意味でタイミングが良かったと思います。

4月のセミナーで、皆さんのレポートやお話を聞いて知ったことですが、多かれ少なかれ母親がヒステリックでひどく怒られるのを避けるために「いい子ちゃん」を装っていたということ、否定的な言葉を言われ続けてきたことなどが共通しています。
両親、特に母親が「自己愛性人格障害」であったりすると、自分のことしか考えない、頭にないので、子どもに共感ができないのです。自のほうが認められたい、愛されたいばかりなのですから、子どもを認めたり、愛したりすることができないわけです。だいたいにおいて、人格障害のある人には「共感能力」が欠如している場合が多いです。
対話の中で触れました『愛を乞う人』などはその際たるものですね。
愛着問題を抱えている人はあまりにも多いので、すでに観た人も、まだ観ていない人も、この機会に『愛を乞う人』や『いまを生きる』や『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』を鑑賞してみてください。きっと、他人ごとではないことに気づかれることでしょう。

わたしはどれも一度ずつしか観ていないので、また記憶が薄れた頃に再度鑑賞してみたいと思っています。セミナーに参加された人は、ご感想などをお寄せくださるとうれしいです。


最後に
あなたは今を生きていますか?

悲しみや苦痛を感じるとき、「こうである必要はない」と思ってください。
不安を覚えるときも、怖れを抱くときも、臆病であるときも、
それらはエゴの気まぐれからきているということに気づいてください。

あなたがネガティブ思考で一杯のとき、
どん底から這い上がれないとき、
そこにいるのが正当だとは思わないでください。

そんなに泥沼に浸かっていたいですか?
そこが好きなら、永遠にそこにいることもできます。
でも、そんな自分に愛想が尽きているのなら、
そうである必要はない」のです。

思いの制限をひらきなさい。
さあ、泥沼から足を洗って、光のシャワーを浴びましょう。

2017年4月5日
光のお母さんより




最新記事