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十一月の散策 ―奈良の旅①

2011年11月14日 10:20


★ 山の辺の道へ ★ 



まわりの景色が、あざやかな晩秋の色へと変化する季節となりました。
先週は、石上(いそのかみ)神宮と三輪山の裾にある桧原(ひばら)神社に赴きたいと思い立ち、京都から奈良への旅を実行しました。
今回はそのとき感じた旅のお話をしたいと思います。

石上神宮は奈良県天理市にあります。
京都駅から出発する近鉄急行で、天理まで約1時間ほどです。
この「天理」駅から石上神社に行くバスは12時頃に1台しかなく、あとはタクシーか、歩くしか術がありません。(徒歩で30~40分かかる)
わたしが天理に着いたのは10時25分だったので、まずはタクシーで行くことにしました。
運転手さんの話では「天理教の信徒たちが集まってくる26日頃しかバスが出ない」ということでした。
ご親切に徒歩での戻り方を教えてくださったのですが、けっこうわかりにくくて、結局はわたしの足が自然と向かう道を通って、駅に戻ることになりました。


★ 親しみを感じた石上神宮 ★



石上神宮(いそのかみじんぐう)は『日本書紀』に記される伊勢神宮などと並ぶ日本最古の由緒ある神社の一つで、飛鳥時代の豪族、物部氏の総氏神として知られています。
古代大和朝廷から武器庫である神庫(ほくら)の管理を任され、神宮の神庫には歴代天皇や諸氏族から奉献された楯・鉾・太刀・玉・装身具など、多くの神宝が収められているそうです。

ご祭神は以下の通りです。

祭神  布都御霊(フツノミタマ)大神
布留御魂(フルノミタマ)大神
布都斯魂(フツシミタマ)大神

配祀神 五十瓊敷(イニシキ)命 
宇摩志麻治(ウマシマジ)命
白河(シラカワ)天皇
市川臣(イチカワオミ)命



石上神宮の鳥居
       石上神宮の鳥居  撮影 光の仕事人


最初に鳥居の前で頭を下げたとき、何かしら嬉しい波動に包まれて、つい涙ぐんでしまいました。
わたし自身は、物部氏や石上神宮のご祭神とは関わりはないように思うのですが、「日本建国のルーツ」を探っている者としては絶対に避けられない神社でもあったので、感動が大きかったのだと思います。

参道を歩いて行くうちに鶏が盛んに鳴いて出迎えてくれました。
境内にはたくさん鶏がいて、心がとても和みました。

うこっけい
        うこっけい  撮影 光の仕事人 


人が多かったので、拝殿の左側から出た場所にある杉の木のところにたたずんでおりました。
杉の木に手で触れると、やはり鳥居の前で頭を下げたときに感じたような何かしら嬉しい波動が伝わってきました。
「わたしはここに来たことがある」というデジャヴがまた起こっていました。


ご神木
     ご神木  撮影 光の仕事人 


楼門
     楼門   撮影 光の仕事人  

                        
楼門前の石段を上がると、左側の奥に石上神宮の摂社の一つ「出雲建雄神社」が建っていました。
ご祭神は「天叢雲剣の霊威」であり、「出雲建雄神」と称して祀られているようです。神宮のご祭神と同様、この摂社のご祭神も剣の霊威です。

摂社1 
摂社2
 出雲建雄神社 撮影 光の仕事人   


「本殿」は「拝殿」の奥に建てられているようでしたが、その姿は拝殿から見ることはできませんでした。
「本殿」は1913年に建てられたものといわれており、それ以前は「本殿」というものがありませんでした。
「拝殿」の奥側に祭神である「平国之剣」を埋め、土を盛り「高庭之地」と呼び、立入禁止にして祀っていたようです。

石上神宮の拝殿 石上神宮拝殿
      石上神宮拝殿  撮影 光の仕事人


わたしは二度拝殿の前に立ち、波動を確かめましたが、手にしたペンジュラムは右まわりに回っていて、大変良い波動であることを告げていました。
出雲建雄神」の場所も同様で、ご神木の杉が立っていた場所もよかったです。
どこも、掃き清められており、すがすがしさを感じました。

騒がしい団体客がいなければ、最高だったかもしれません。
団体のマナーの悪さが目立ち、真剣に神社にお参りする人以外は遠慮してもらいたいと思うほどでした。参拝するのに、大きな声でしゃべりながら歩く必要はありませんね。

木の上にとまっている鶏たちに別れを告げて石上神宮をあとにし、徒歩で天理駅へと向かいました。


木の上の鶏
         木の上の鶏  撮影 光の仕事人


道すがら見える天理教の信徒たちの宿泊場には圧倒されました。こんなに広大な敷地が必要なほどの信者が集まってくるのだということが、歩いて初めて実感できました。

辺りは車が通るだけで、歩いている人も少なく、静かで、秋色に染まった街路樹がひたすら歩くわたしの目を楽しませてくれました。

天理駅まで36分かかり、くたびれましたが、それなりの収穫はあったと思います。
計画通り、天理駅12時23分発のJRに乗り、三輪まで行きました。
天理から三輪までは15分ほどです。
三輪駅から大神神社までは徒歩5分ほどでした。わたしは先に桧原金神社に行く予定でしたので、そのまま山の辺の道へと入りました。

山の辺の道は石だらけのとても細い山道でした。
底の厚い運動シューズを履いてくるべきだったと歩き始めてから気がついたのですが、足裏の皮がむけるのではないかと思うほど、ハードでした。
次回は、桧原神社と大神神社についてお話ししたいと思います。



★ 「気づきのコース」についてのお問い合わせ ★



最近新しい読者さんで、また「気づきのコースを希望したい」というお問い合わせが来るようになりました。
気づきのコース」はすでに終了しておりますので、原則として各種リーディングは行いません
但し、自己探究への熱意が十分に感じられ、わたしのハイアーセルフがOKサインを出した人については「数秘リーディング」のみ受けつけてもよいと考えております。

★お申し込みの前に、必ずカテゴリ「光の仕事人の『気づきのコース』」をよくお読みください。

★アンケートのメールフォームに住所・現在の氏名・生まれたときの本名(ふりがなをつけたもの)・生年月日・希望の動機をご記入の上、送信してください。


★11月21日の記事 カテゴリ『光の仕事人からのメッセージ』の「自らの鏡を清めなさい」をお読みください。変更事項を記載しております。(11月21日更新)


つい最近、「個人情報なしで、どの程度のリーディングが可能なのか知りたい」という男性からメールをもらいました。
「守護霊とのコンタクトは可能であるかどうかや、自分の人生に起こった出来事を具体的に挙げることができるのかどうかをまず知りたい」と言うのです。

その人は光の仕事人を試したくて仕方がなかったようですが、リーディングをおこなう相手を信じ、「自らをゆだねる勇気」が持てない、「全面的な明け渡し」ができていない、つまり「自己探究の準備」ができていないわけですから、お断りするしかありませんでした。

過去記事にも書いておりますが、「明け渡す」ということは、もはや「自分自身はいない」ということです。「エゴが落とされている」ということです。
エゴが落ちていれば、自己防衛の必要などはなくなります。

その人は「純粋な探求心からの願いであり、決して悪意はない」と書いておられましたが、「何の探求心なのかな?」と思います。
もっとも重要なことは、その人自身の「自己探究」であって、相手の超能力の探求などではないはずです。
OKサインが出ないのは当然のことだったと言えるでしょう。

神社で神さまにお祈りするときは、自分の住所と名前をまず申し上げるのが礼儀であり、常識です。
自分がどこの何某かを名乗りもせずにお願い事をしても、神さまは決して聞く耳を持ちません。
どんな神さまだって、本人の情報を語らない者のことはわからないでしょう。何しろ地球には70億もの人間がいるのですから。(笑)
波動だけで「私がどんな人間なのか当ててみてください」なんて言っている人を相手にはしないと思います。

そのあと、その人の守護霊と感じられる存在がお詫びに来られましたが、やっぱりねと思いました。その人の方向性がちがっていて、残念に思ったしだいです。

すでに終わっている自分の人生に起こった出来事を当ててもらって、それがいったい何になるのでしょうか?
超能力への好奇心がきっかけで、スピリチュアルへの道に入ろうとするのは邪道です。
 
大切なことは、まだ気がついていないところの自分、まだ知らない自分自身を知ることなのではないでしょうか?
究極的には、「自分の存在が何なのか」を知ることなのです。わたしは、それを知るきっかけづくりを提供しているだけなのです。
その人の観点とわたしの観点のちがいが、おわかりになるでしょうか?



★ 霊道は必要であれば開かれる ★



これまでこのブログを訪問された読者のなかには、霊能力や超能力に惹かれる人たちも多くおられたと思います。また、自ら「霊能がある」と言う人たちも少なからずおられました。
しかし、そうであるならば、「なぜ自分のことがわからないのか?」と思います。

以前にも言ったかと思いますが、霊能者は自分の霊眼で視えたものしか信じず、幅広く深く自己について探究しようとはしないので、自分のことをほとんど知りません。(精神世界を深く学び、探究しないので、結局は知らない)
自分の意識レベルに応じたものしか視えない(自分より次元が高いものは視えない)にもかかわらず、それのみを正しいと信じ込んでしまう危険性がおおいにあるということを知らなければなりません。
そして、人それぞれ観点がちがっている(同じものでも角度がちがうとちがって見える)ので、霊能者が言うことは皆まちまちです。

霊能力は異常波動、超能力は正常波動から生じるものだということを念頭に置き、そういうものにあまり興味を持たないようにすることが大切です。
そういう能力は、今生でその人に必要であれば自然に備わりますし、必要でないなら、閉じたままになっています。たいていは霊道を開くこと自体危険性が伴い、通常は発揮できないようにしてあるのです。


わたしは過去に、浄化を求めてやってくる者たちを霊視したいと思い、守護の神霊に「視えるようになりたい」と真剣にお願いしたことがありました。「百聞は一見にしかず」と考えたわけです。
すると、目を閉じた途端にいろんなもの(浄化を求めてやって来た者たちのプロセス)が見え始めたのです。

それは合戦で馬に乗り、刀を振りかざした武士であったり、木にぶらさがって死んだ人であったり、敵に追いかけられて山道を逃げている親子だったりしましたが、あまりにネガティブで悲惨な姿に「わかりました。もう視たくないです。元に戻してください!」とお願いし、即刻視えない状態に戻してもらったという体験をしています。
そんな人たちの姿がはっきりと視えたところで、気持ちが悪くなるだけで、わたしにとっては有益なことではないということを、まざまざと知ったからです。

それからは、霊視や霊聴などは必要でなく、これまで通り自分の直観と感覚だけで判断するようになりました。それで十分です。

ということですので、霊能や超能力に興味がある人は、どうぞ霊能者や超能力者のところで相談してくださいと申し上げておきます。

また、霊能者は霊媒体質であるので、非常に霊に影響されやすいのです。
つまり、コントロールされやすいということです。高次の存在になればなるほど、人をコントロールするようなことはしません。コントロールされているようなら、それは邪神や邪霊の類と知ることが大切です。
自分のオーラやチャクラをやたら開いておかないで、しっかりと閉じておくことが肝要であることを再度お伝えしておきたいと思います。
(過去記事 「サイキック・バンパイア」と「サイキック・スポンジ」参照)

わたしは自らの浄化自己探究に真剣にいそしみたい人にしか関心がありません。
今の時期、もう既にそれを済ませていなければならない時期となっていることは、もう皆さんご承知のことと思います。
どうか日々そのことを意識し、いつ肉体を去ってもOKであるよう、悔いのない人生を送っていただきたいと願うしだいです。


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十一月の散策 ―奈良の旅②

2011年11月17日 10:50


★ 三輪~山の辺の道~桧原神社まで ★



山の辺の道」を歩く人は大変多いのですが、石上神宮方面からやってくる人たちのほうが圧倒的に多く、わたしのように三輪方面から向かう人は、その日はわずかでした。
すれ違いざまに「こんにちは!」と声をかけながら、それでも予定よりも早く桧原神社に到着し、ホッとしました。

桧原神社は、大和国中が一望できる絶好の場所に位置し、二上山の姿を眺められるとても波動のよいところでした。光の仕事人はそこが大変気に入ってしまいました。

かつてこの付近は「大和の笠縫邑(かさぬいのむら)」と呼ばれており、境内には「皇大神宮倭笠縫邑(やまとのかさぬいのむら)」と書いた大きな石碑が立っていました。
天照大神をお祀りする「元伊勢」とも呼ばれるこの神社は、本殿や拝殿はありません。三ツ鳥居が山を背にして建っているだけです。この三ツ鳥居奥の神籬(ひもろぎ)と般石座がご神体なのです。



桧原神社三つ鳥居
       桧原神社三つ鳥居  撮影 光の仕事人



古代の歴史やご祭神のルーツを研究している人たちにとっては、よく知られていることですが、ここで少し、桧原神社の謂れをお話ししておきたいと思います。


★宮中にいたアマテラスが大和の笠縫邑に来た理由★



日本書紀』の「崇神記」によりますと、第十代崇神天皇は、皇女の豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に託して、それまで宮中で祀り、共殿同床していた天照大神を宮中から出し、「大和の笠縫邑」に遷(うつ)して、その場所に堅固な石の神籬(ひもろぎ)を造って祀ったとされています。

神籬は神道用語で「上古、神祭の時、清浄の地を選んで周囲に常磐木を植えて神座としたもの。現在の形は榊に麻と紙垂を取りつけ、神の降神時の依代として使用する」とあります。
つまり「神霊の天下る木」のことですね。

神籬は木だけではありません。古代日本の神道は、社殿の中に神をお祀りせずに、巨石や巨木、あるいは美しいピラミッド形の山などの自然の造形物に神が宿るとして、それらを礼拝の対象としてきたのです。
社殿や神棚のない場所で祀りをおこなうとき、神を臨時にお迎えするわけですが、そのとき神の依り代(神を迎える際に宿る場所)となるものが神籬(ひもろぎ)なのです。

第十一代垂仁天皇の御代になって、天照大神を今度は豊鍬入姫命から倭姫命(やまとひめのみこと)に託すことになったといいます。
倭姫命(やまとひめのみこと)は天照大神を鎮座させる場所をあちこち探しましたが、最終的に大神の希望を聞き入れて、伊勢国の度会宮に遷したということです。


この「天照大神の遷宮に関する伝承」について、疑問を持っている人もいらっしゃるのではないでしょうか?
いったいなぜアマテラスは宮中を出され、転々と遷らなければならなかったのでしょうか? 遷ること25回です。

天照大神というのは皇祖神です。(建前上ではそういうことになっていますね)
その皇祖神を天皇が皇居から追い出すとはどういうことなのか? 
誰でも不思議に思いますよね。
つまり、それは天皇家の皇祖神が実は「アマテラス」ではないことを明確に物語っている証拠となる内容です。
実際に天皇守護の神として最も重んじられてきた八柱の神々のなかにも「アマテラス」という名は存在しないのです。



★ アマテラスを追い出した崇神天皇 ★



崇神天皇について調べると、興味深いことがわかります。
崇神天皇5年(紀元前93年)に日本国中に疫病が大流行し、多くの人民が死に絶えたとあるのです。
事態を重く見た天皇は、朝夕に天神地祇に祈りを捧げたのですが、それにもかかわらず、その勢いは一向に止まりませんでした。
その翌年、疫病を鎮めるべく、従来宮中に祀られていた「天照大神」と「倭大国魂神」を皇居の外に移したというのです。

「天照大神(あまてらすおおかみ)」は天津神です。
「倭大国魂(やまとおおくにたまのかみ)」は大国主命のことで、国津神です。


日本書紀』にはつぎのように記されています。

これより先に、天照大神・倭大国魂、二の神を天皇の大殿の内に並祭る。
然うして其の神の勢いを畏りて、共に住みたまふに安からず。
故、天照大神を以ては、豊鍬入姫命に託けまつりて、倭の笠縫邑に祭る。



豊鍬入姫命
 豊鍬入姫命宮  撮影 光の仕事人

豊鍬入姫命由緒書


宮中で祭祀している天照大神と倭大國魂神の不仲によるものと、天皇は考えたのでしょうか? 
それまで二神を宮中に祀っていたけれども、二神の霊威が強力で畏れ多いので、天皇はこれらの神と共に住むのは精神的に落ち着かなくなり、不安になったというのです。
「畏れ多いから」と言うと聞こえは良いのですが、実際のところはその神たちを排除したい気持ちがあったように感じます。

これは、どう考えても「神やらい」ですね。
「神やらい」の対象とされたのは、天照大神だけではありませんでした。
天皇は倭大国魂神(やまとのおおくにたまのかみ、大己貴神の荒魂)も同時に宮中から追い出したのです。

崇神天皇は、天照大神を皇女の豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に託して祀らせます。
倭大国魂を託した渟名城入姫命(ぬなきのいりひめのみこと)は髪が抜け落ち身も痩せてその任に耐えなかったので、市磯長尾市宿禰(いちしのながおちのすくね)に託して祀らせることにしました。

天皇が占うと、三代前の孝霊天皇皇女の神明倭迹迹日百襲姫命(かみやまとととびももそひめのみこと)が神懸りして「我を敬い祭れば必ず治まる。我は大物主神」と名乗ります。
天皇はその言葉のままに丁重に祀りますが、効果がありませんでした。さらに沐浴斎戒して祈り、その夜の夢に大物主が現われて告げるには、「国が治まらないのは、吾が意思である。もし吾が子の太田田根子(おおたたねこ)を以って、吾を祭れば、国は平和となり、海外の国も帰伏する」と告げるのです。
結局祟りをなしているのが大物主であることがわかり、太田田根子命(おおたたねこのみこと)に託して祀らせたところ、ようやく疫病は収まったということです。

疫病流行は、大物主神のしわざであったということですね。
祟って、お祀りしてもらったら、途端にご機嫌になって、疫病は終息したということですが、大物主って、その程度の神さまなんでしょうかね?
大物主のことをとても誉めている人たちもいるようですが、祟り神の意識が高いとは、わたしにはとても思えません。

それ以来、倭大國魂神倭国(やまとのくに)の大和(おおやまと)神社に、大物主神大神(おおみわ)神社にて祭祀されることになります。

倭国の笠縫邑に祀られた天照大神は、それ以後約六十年の歳月のなかで二十五回も遷宮を繰り返し 、最終的に伊勢国の五十鈴川のほとりに鎮座することになったのです。
この天照大神は、記紀に記されているような女神などではありません。
ほんとうはどんな存在なのか、それはまたいつか機会があればお話ししたいと思います。


桧原神社
 


アマテラスが最初にやって来た笠縫邑の桧原神社。
境内に立ち寄る人は少なく、森閑とした空気のなかに清らかな波動を感じました。
わたしの打った柏手が非常に大きく美しく鳴り響いたのが、その証拠です。

いつまでもそこにいたい気持ちでしたが、まだ三輪山の昇り口がある狭井神社と大神神社に立ち寄る予定があったため、また「山の辺の道」を三輪の方向へと戻りました。
(次回につづく)




十一月の散策 ―奈良の旅③

2011年11月19日 00:00


★ 山の辺の道~狭井神社 ★



前回はアマテラスが最初に来た笠縫邑の桧原神社について、お伝えしました。
その桧原神社から再び山の辺の道を狭井神社の方向へと戻る途中、靴底が薄いために非常に足の裏が痛くなり、何とかならないものかと思い、「視えない山の助け人」を呼びました。
わたしも地球の人間としては半世紀以上生きており、けっして肉体的に若くはありません。田舎の生活が長くなると、車ばかりで移動するため、自ずと歩かなくなり、足が弱ってくるのです。だったら、歩けばいいのですが、それがなかなかできないんですね。それで、急に山道を歩いたりすると足が痛くなるわけです。困ったものです。(笑)

この「視えない山の助け人」というのは、たいてい天狗さんです。
天狗さんには、特に京都の鞍馬山を登るときにいつもに助けられていました。長い石段がつづき、体力的に厳しくて、しかたなく休憩をとっていると、サーッとさわやかな風が吹いてきて、元気づけてくれるのです。
そうすると、驚くことに身体が軽やかになって、足がどんどん前に進み、石段を飛ぶように登って行けるのです。
そんな様子を見た中年の男性が「元気やなぁ」と、驚いて声をかけるほどです。(笑)
これまでにわたしと一緒に鞍馬山に登った人たちも、そのエネルギーを感じたのでしょう。どの人もわたしのことを「まるで天狗そのものだ」と言っていました。

確かに自分でも明確に実感できる不思議な現象です。
鞍馬山ばかりではなく、どこの山に登っても同様なのです。心の中でお願いすると、急に身体が軽くなるので、来てくれたのだとわかるんですね。
きっと天狗が身体を持ち上げてくれているのでしょう。山に行くと俄然元気が出てくるので、山歩きはわたしを癒してくれる最適の場所です。

天狗さんは、今回もやっぱり来てくれました。急な下り道などはスピードが出過ぎて、ほとんど走っているような状態でした。ブレーキをかけても、足が止まらないんですよ。(笑)
最後まで一緒にいてくれるようお願いしていたのですが、なぜか龍神のお宮があるところ辺りで戻って行ってしまいました。お陰さまで、予定よりもかなり速く到着しました。



もみじ2



狭井神社大神神社の摂社で、正式名は「狭井坐大神荒魂(さいにいますおおみわあらみたま)神社」です。
社伝によれば、創祀は垂仁天皇の時代とされており、大神荒魂神(おおみわのあらみたまのかみ)を主神として祀り、大物主神(おおものぬしのかみ)、媛蹈鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)、勢夜多々良姫命(せやたたらひめのみこと)、事代主神(ことしろぬしのかみ)をお祀りしています。

荒魂(あらみたま)というのは、荒ぶるような猛々しい働きをもって現れる霊魂のことです。

三輪山の山頂には高宮神社があり、信仰者の登山が認められています。登拝口は拝殿の右側にありました。社務所に願い出て、住所・氏名・入山時間・性別を記入し、登拝口で祓いをすませれば、木綿のタスキを肩にかけて誰でも登頂できるそうです。(登頂は有料で、厳しい制約もあるらしい)

山に登る人が多すぎるのか、狭井神社のいずこにもよい波動を感じることはありませんでした。なぜ三輪山全体を禁則地域にしないのか、わたしにはよくわかりませんが、山の清浄さを保つためには、人間を入れないほうがよいですね。
わたしはこの山に登る必要性を感じてはいましたが、今回はあえて登りませんでした。いつか日を改めて登ることになっているからです。

昔から三輪山の神は大物主神で、出雲の大国主神とイコールだとされていますね。
古事記』によりますと、大国主神とともに国造りを行っていた少彦名神が常世の国へ去り、大国主神がこれからどうやってこの国を造って行けば良いのかと思い悩んでいた時に、海の向こうから光輝いてやってくる神様が表れ、大和国の三輪山に自分を祀るよう希望した神ということになっています。
大国主神が「誰か?」と尋ねると「我は汝の幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)なり」と答えたということです。

日本書紀』の一書では、大国主神の別名としており、大神神社の由緒では、大国主神が自らの和魂を大物主神として祀ったとあります。
その神の正体は「ニギハヤヒ天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてる くにてる ひこ あめのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)だという説が一般的ですが、「大物主神」も「大国主神」も「ニギハヤヒ」も人間が勝手に想像し、つけた名前であって、実在の信憑性もありません。

余談ですが、『古事記』は日本最古の歴史書などと言われていますが、ほぼ天武天皇のフィクションですから、『歴史小説』と言ったほうが正解ではないかと思います。
古事記』が献上されてから1300年を迎えるということで、最近は古事記関係の本のコーナーが設けられている書店もありますね。
まだ読まれていない人は、一度読んでみられてはいかがでしょうか? 
きっとさまざまな疑問が生まれてくるでしょう。
自分自身を探究するにあたって、「日本人って、なんぞや?」と考えてみることも必要です。
古代の日本列島には、どんな人間がいたのでしょうか?
渡来人ばかりが目立って存在していたことはまちがいありませんね。



柿の木



★ 狭井神社~大神神社 ★



狭井神社の拝殿の左後ろに、この神社の由来となっている神水の井戸・狭井がありました。
ここから湧き出る水は「薬水」と呼ばれ、昔からその水を飲むといろいろな病気が治るといわれているようです。
薬水を汲みにくる参拝者も多く、常にそこにはペットボトルに薬水を入れる光景が見られました。わたしも備え付けのコップで2杯ほど飲み、持参していたペットボトルに薬水を入れ、京都の父へのお土産に持って帰りました。
この「薬水」がほんとうに効くかどうかは謎ですね~。プラシーボ効果は期待できそうですが。(笑)

狭井神社から大神神社まではさほどの距離はなく、10分ほどで着きました。
大神神社から受けた印象は、7年ほど前に来たときとあまり変わりませんでした。

拝殿までの途中に「祓戸社」がありました。
祭神の祓戸大神(祓戸神・ハラエト)とは、心身についた罪穢を祓い浄める神のことです。そこには、瀬織津比(セオリツヒメ)・速開津比(ハヤアキツヒメ)・気吹戸主(イブキドヌシ)・速佐須良比(ハヤサスラヒメ)の4柱の祓戸大神と称される神々が祀られていました。

瀬織津姫神はその名を見たときになつかしさを感じましたが、罪汚れをお祓いするところであるからなのか、周囲の波動は残念ながら大変悪かったです。
「祓戸社」とは言っても、そこには人々の汚れを払うようなエネルギーは全くないと感じました。
拝殿の中では七五三の祈祷などで大勢の人がいて、やはりよくなかったです。ペンジュラムでも各所確認してみましたが、左まわりに回るだけでした。
とにかく境内に神聖な気が感じられないので、そこにたたずんでいる気にもなれず、早々に立ち去りました。よって、今回は残念ながら写真を載せることができませんでした。


紅葉
    十一月の紅葉  撮影 光の仕事人 

        
予定よりも1時間も早くすべてのコースが終了したので、近くの風変わりなコーヒーやさんで休憩し、オーガニックコーヒーとこだわりのシフォンケーキをいただくことにしました。
若いご夫婦ふたりで経営されているようで、家庭的な雰囲気がとても心地よく感じられました。
先客がいなくなると、広い室内にわたし一人だけとなりました。
ケーキに添えてあった生クリームには洋酒が入っていて、とても口当たりがよく、ゆっくりと飲むコーヒーのぬくもりが疲れを癒してくれました。
心休まる静かな時間。この時間を取るために予定が早く終わったのかもしれません。
その日、無事計画が終了したことを感謝し、帰路に着きました。

今回の急な旅で立ち寄ったのは、わたしのハイア―セルフが勧めてくれた場所のみであって、「必要ない」と知らされた神社には、道すがら頭を下げただけで、通り過ぎています。
山の辺の道には、たくさんの神社や天皇陵、遺跡があるので、次回行く機会があれば、ひとつずつ寄ってみたい気がしました。と言っても、自分に関わりがなかったり、行かないほうがよい場所は、結局のところ行けないのであろうと思いますが…。



ハート
もし、あなたがいつもここにいると気持ちが落ち着き、
気分がよくなるよという場所や神社があるなら、
そこがあなたの魂のルーツに何らかの関わりがあるところだといってもよいでしょう。
人によって、感じ方は千差万別です。
神々にはそれぞれ系統があり、人にも霊統がありますから、
その神社が気に入ったからといって、他の人も気に入るとは限らないということです。
自分の親神の系統を知っておくことは、神社めぐりをする上でおおいに役に立つことでしょう。

「記紀」をお読みになれば、ある程度おわかりになると思いますが、
「天つ神」と呼ばれた存在、あるいは古代の「大王(おおきみ)」と呼ばれた人たちは、
自分が気に入った土地を治めたいばかりに、元からそこで平和に暮らしていた人々を立ち退かせ、山や僻地へと追いやり、倦厭し、彼らの身分を貶めてきました。
あるいは、政治や統治者に不満があれば、乱を起こし、我が親族をも平気で暗殺してきたのです。

いつの世も、自分にとって都合の悪い神々や人物はすべて封じ込めたり、抹殺するというのが、国を治めてきた者たちのやり方です。

皆さんも、偽りの歴史ではなく、真の歴史を探求(探究)していただき、
なぜ自分がこの日本に生まれたのかを考えてみていただきたいと思うしだいです。





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