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過去生の記憶―ツタンカーメンのミイラを作った次女の過去生

2010年09月14日 11:15


★ 過去生の記憶
   ―ツタンカーメンミイラを作った次女の過去生 ★



次女の過去生を調べますと、地球のいろんな国に転生していることがわかります。
そのうち、エジプトには七回生まれていることがわかりました。
七回のうち本人が出生したのは二回で、あとの五回は次女の分霊たちでした。

そのうちのひとつの過去生を詳しくみていくと、大変興味深い真実がわかってきました。
なぜ、次女が幼い頃からミイラツタンカーメンに興味を示していたか、(過去記事 過去生の記憶―次女のエジプト時代の過去生 に書いています)納得できる理由が確実にそこにあったからです。

次女がエジプトに生まれ、生きていたのは、ちょうどアメンヘテプ4世~ツタンカーメン王が生きていた時代で、分霊のアンケセナーメンが生きていた時代とも重なります。
(ここでは、王家の人々の誕生~死亡の年代決定法の誤差や異説が多く、実際と比較すると混乱が生じるため、あえて記載しません)

次女の過去生での名前を、とりあえずバルとしておきましょう。
バルは男性で、職業はミイラ職人でした。
彼はツタンカーメン王の父、アクエンアテンのミイラだけではなく、何と、ツタンカーメン王のミイラを作った人物だったのです。
今生で次女がミイラに関心があったのも当然のことです。
特に若い男のミイラに次女は強い反応を示していたのです。

本職はミイラ作りでしたが、壁画も手がけていたようでした。
次女は、自分のほかに若い男がいて、共に壁画を描いた覚えがあり、その若い男は超能力があって絵も上手だったが、自分は下手で超能力もなかったとわたしに語っていました。

その若い男のことが気になったので、調べてみると、彼とは兄弟であったことがわかりました。
バルは彼より七歳年上の兄だったのです。
そして、驚くことに、その弟というのが、今生では次女の姉となって生まれていたのです。
つまり、今生ではわたしの長女です。
その長女のエジプト時代の過去生の名前をセシュとしておきましょう。

セシュは絵が上手だったため、王墓や神殿の壁画を描く職人として活躍していたようです。
今でも彼の描いた壁画が残っているのですから、すばらしいと思います。
兄のバルはミイラ職人でしたが、弟の手伝いもしていました。
ツタンカーメンの墓の壁画も彼らが描いたのです。
当時バルが三十六歳で、セシュが二十九歳でした。

次女は、自分があまりに絵を描くのが下手だったので、弟になぐられて半殺しにされた記憶があると言っておりました。
そのときなぐられたのがきっかけで目覚め、その後絵が上手になったというのです。
おそらく第三の目が開いたのでしょう。
何か可笑しさがあって、つい笑ってしまいました。



★ 次女本人と分霊アンケセナーメンとのかかわり ★
 


バルは当時、分霊であるアンケセナーメンとも関わっています。
分霊がすぐ近くに生まれていることはよくあるようです。

ツタンカーメンの墓から発見された副葬品のなかに「黄金の玉座」がありますね。
あまりにも有名になっているので、皆さんも一度くらいはテレビや写真で見られた覚えがあるのではないかと思います。

黄金の玉座」は木製張りで、足はライオンの四肢をかたどってあり、背もたれにはアテン神と、王妃アンケセナーメンがツタンカーメン王に香油を塗る仲むつまじい姿が描かれています。(写真参照)



     ツタンカーメンの椅子
            ツタンカーメンの椅子―黄金の玉座



★この玉座はアンケセナーメンが作らせたものだと、次女はいいます。
椅子に描かれたこの王妃の顔を見たアンケセナーメンは、「わたしはこんな顔じゃないわ!」と怒ったのを、次女は覚えているそうです。(写真参照)

次女に言わせると、アンケセナーメンの顔は結構きつくて、性格も勝気な女性だったそうです。
よって、あの玉座の絵は、次女の過去生であったバルが描いたものだということです。



     アンケセナーメン 顔
            アンケセナーメンの顔


現在のわたしの長女と次女は、エジプトでまた異なったファラオの時代に兄弟となって生まれ、壁画を描いています。
わたしの分霊が生んだ息子たちであったこともあり、今現在のわたしの夫が当時の彼らの父親であったときもありました。
「地球に生まれたわたしの分霊たち」と「現在のわたしの娘たち(長女と次女)」との関わりの多くは、エジプト時代にあったのです。


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アンケセナーメンの記憶より―ツタンカーメンの死と黒魔術

2010年09月11日 18:15


★ アンケセナーメンの記憶より
         ―ツタンカーメンの死と黒魔術 ★




今回もひきつづき次女の「アンケセナーメンの記憶」から、「ツタンカーメンの死」の前後と、その死にまつわる「黒魔術」についてピックアップしたいと思います。


★*゚*☆*゚*★*゚*☆*゚*★ ★*゚*☆*゚*★*゚*☆*゚*★ ★*゚*☆*゚*★*゚*☆*゚*★


アンケセナーメンは超能力者であったと次女はいいます。
王になるのを狙っていた神官アイに夫が毒殺されることを前もって透視していた彼女は、ツタンカーメンにそのことを告げましたが、彼は信じませんでした。
ツタンカーメンは長年王家に仕えてきた神官アイを信頼していたのです。

アイはアイで彼にはアンケセナーメンを信じないように言い聞かせていました。
ツタンカーメンアンケセナーメンは、それまでは仲のよい夫婦でした。
しかし、それ以降ツタンカーメンの精神状態はおかしくなり、ふたりの関係性は悪化していきました。

これはアンケセナーメンの記憶を共有している次女から聞いた話ですが、アンケセナーメンの父親のアクエンアテンも母親のネフェルティティも、そして夫のツタンカーメンも、みんな亡くなる前に精神状態が異常となっています。


★これはよく言われているような血族のDNAの問題ではなく、たとえば黒魔術的な呪いのような外側からの何らかの働きかけがあって生じた症状だとわたしは思っています。
アイが高度な魔術の知識があった神官だったということもわかっています。
アテン神を熱烈なまでに信奉していたアクエンアテンとネフェルティティ、そして、その子どもたちに対して、アメン神を信奉する神官アイがよく思っていなかったことは当然です。(黒魔術に関する詳細は、またの機会にお話ししたいと思います)



★残された調度品に描かれた絵を見ると、ふたりが大変仲の良い夫婦であったことを感じさせられますが、それがどこまで真実であったかは謎です。
なぜなら、絵画や壁画というものは、そのときの描かせた人の願望が込められているからです。
黄金の玉座」はアンケセナーメンが職人に作らせたものですが、そこに描き出された光景は彼女の願望そのものであったともいえます。



  アンケセナーメンとツタンカーメン1
    パピルスに描かれた絵 ツタンカーメンと王妃アンケセナーメン



       黄金の玉座のツタンカーメンとアンケセナーメン
       黄金の玉座に描かれた絵 ツタンカーメンとアンケセナーメン



妻のアンケセナーメンを信じず、神官アイを信じたツタンカーメンは、そのアイによって毒殺されました。
毒が入れられていたのは飲み物ですが、どのような飲み物であったかは定かではありません。おそらく黒魔術が内包された飲み物だったのでしょう。

当時、ツタンカーメンは熱を出して病に伏せっており、ほとんど起きられない状態であったと次女はいいます。それはマラリアに感染したための熱だったのかもしれません。

アンケセナーメンはその毒入りの飲み物をすり替えようとしていたらしいのですが、間に合わず、寝所に行ったときにはツタンカーメンはすでに飲んでしまった後だったというのです。

彼がもがき苦しんでいるとき、そこには神官アイと、毒入り飲み物を持ってきたアイの従者がいました。
アンケセナーメンは、従者ふたりに両腕をつかまれてその場から退場させられたといいます。結局、毒を入れたということで、数日後その従者は殺されましたが、指示したのはアイでした。

夫を助けられなかったアンケセナーメンが、悲嘆にくれて泣いていたのを、次女は明確に覚えているといいます。


★ その後のアンケセナーメン ★


ツタンカーメンが亡くなったのち、アンケセナーメンは婚姻を迫られていた神官アイを嫌い、ヒッタイトの王子との婚姻を結ぼうとしました。しかし、王子がエジプトに入る途中で何者か(アイの手先)によって殺害されてしまいます。

ところが、実はアンケセナーメンはもうひとり別の王子と結婚しているのです。
ツタンカーメンを殺したアイとは絶対に結婚したくなかったアンケセナーメンの気持ちがよくわかりますね。
彼は無事にエジプトに入りましたが、やはり神官アイに暗殺されています。
この事実は、今のところはアンケセナーメンの過去を知っている次女にしか知らない事柄ではないかと思います。

結局アンケセナーメンはアイの后にならざるを得なくなりました。
アイはアンケセナーメンの祖母ティイの兄だったようですから、随分老齢です。
在位が四年で終わっているのは、老齢だったからではなく、殺害されたからです。
アイを暗殺したのは、当然のことながら、つぎに王座を狙っているだれかですね。

アンケセナーメンがその後どうなったかは歴史上定かではありません。
そして、その後彼女は一年に一度冥界よりこの世へ戻ってくるツタンカーメンを待ちつづける日々であったと、次女はいいます。

彼女の墓も、ミイラも、未だ発見されていません。
王権争いに巻き込まれた王女の悲惨な生涯でした。

アクエンアテン、ツタンカーメン、アイの名前はファラオの座から抹消され、ホレムヘブ(ホルエムへプ)によって十八王朝は崩壊します。
そして、ラムセスの十九王朝の幕開けとなるのです。


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結局ツタンカーメン暗殺に関わっていたのは、
次女が最初に言っていた年寄と中年と若い男の三人、
すなわち神官アイと将軍ホレムヘブと、
のちにラムセス一世となるホレムヘブの従者だったわけですね。
王の椅子をめぐって、こんな汚れた策謀が繰り返されていたということです。

次女にとっても、あまり思い出したくない暗く嫌な時代であったと思います。




過去生の記憶―アンケセナーメンだった次女の分霊

2010年09月09日 15:00


★ 過去生の記憶
     ―アンケセナーメンだった次女の分霊 ★



アンケセナーメンは、アメンヘテプ四世、のちにアクエンアテン(アテン神に有用な者)と改名したファラオと、その正妻ネフェルティティのあいだに生まれた王女のうちのひとり(三女)です。幼名はアンケセパーテンでした。

今回はアンケセナーメンとその家族についてのお話です。




★ アンケセナーメンの父
     アメンヘテプ四世=アクエンアテンについて ★



      アクエンアテン1 アクエンアテン


アメンヘテプ四世は、力をつけすぎて政治にまで口をだすようになったアメン・ラー神官に嫌気がさしたため、太陽神アテンの信仰に切り替え、アテン神を唯一神とする宗教改革を断行した人で知られています。
彼はアクエンアテン(イクナートン)と改名し、アメン神官を排除し、都をアケトアテン(現テル・エル・アマルナ)へ移した画期的なファラオでした。

このかなり風変りなアクエンアテンは、アメンホテプ三世の子どもです。
アメンホテプ三世はアイとタイアが老いてからもうけた男子で、高次レベルの染色体を持つ人だとドランヴァロ・メルキゼデクは「フラワー・オブ・ライフ」に記しています。
これは、わたしがペンジュラムを媒体にして得た答えと一致していることから、その可能性が高いことがわかります。

この高次レベルの染色体は、息子アクエンアテンに受け継がれます。
アメンホテプ三世と息子アクエンアテンはともに国を統治しました。
ふたりの王が同時に国を統治するのはルール違反だったようですが…。
アメンホテプ三世は死ぬまで王座に就いたまま、息子のアクエンアテンに国を託しました。
ファラオ」とは「そうなるであろうもの」という意味だそうですが、そのときアクエンアテンはエジプト初代のファラオとなったのです。

アクエンアテンは正妃ネフェルティティのほかに、ツタンカーメンの実母にあたるといわれているキヤ、アクエンアテン実の娘である長女のメリトアテン 、同じく実の娘である三女のアンケセンパーテンと結婚しています。

次女の記憶では、アクエンアテンはロリコンで、かなり頭がおかしいと思わせる人だったといいます。
アンケセナーメンは父親をとても嫌っていたのです。



アクエンアテン4      アクエンアテン2  
アクエンアテンとネフェルティティ  アクエンアテンとネフェルティティと子どもたち



★ ネフェルティティ ★



ドランブァロ・メルキゼデクはアクエンアテンの妻ネフェルティティは、アイとタイアの子どもだと述べていますが、どうやらその可能性は高いようです。

アクエンアテンからすると、アイとタイアはおじいさんとおばあさんにあたります。
その祖父母が一世代待ってもうけた女子とアクエンアテンは一緒に育ち、のちに結婚したというわけです。
ふたりは同血族であり、実際の兄妹でした。
えっ?と思われたでしょうか?

アクエンアテンとネフェルティティが生んだ娘たちははみな頭蓋骨が巨大で、腰の位置が高く、細いすねと巨大な耳を持っていました。身長も相当高かったと思われます。
アクエンアテンの家族はシリウス人の血を受け継いでいるといってもよいでしょう。
(詳細写真などは、ドランヴァロ・メルキゼデク著「フラワー・オブ・ライフ」に記載



★ アンケセナーメンツタンカーメンの関係 ★


アクエンアテンの妻のネフェルティティには六人の女児がいましたが、男児は生まれませんでした。
ツタンカーメンは、アンケセパーテンの父でもあるアクエンアテンと、第二婦人のあいだに生まれた子どもです。よってアンケセパーテンとは異母姉弟という関係になります。

(最新のDNA調査の結果、ツタンカーメンは幾度もマラリアに感染し、骨障害のある虚弱体質の男子だったことが判明しました。また、近親姦でできた子どもであったことがわかり、それが虚弱体質の一因だった可能性があるといわれています)

ツタンカーメンの幼少の頃は「ツゥト・アンク・アテン」、つまり「アテン神の似姿」と呼ばれ、アンケセパーテンの母ネフェルティティに育てられました。
ペンジュラム・センサーによりますと、彼の実母は病死、あるいは殺されて死亡したと出るので、毒で病死した可能性が大きいです。

アクエンアテンの死後、ツゥト・アンク・アテンは王位継承権を持つ十二歳のアンケセパーテンと婚姻して即位しました。わずか九歳の頃でした。
(次女の記憶では、アンケセナーメンのほうが少し年上だったというので、エジプトに詳しい次女の守護神に尋ねてみると、三歳年上だと答えていることから、彼らの年の差が三歳であったことは正しいと思われます)


      アンケセナーメンとツタンカーメン2 アンケセナーメンとツタンカーメン


アンケセパーテンにとっては、ツタンカーメンは二度目の夫です。
一度目の夫は、父のアクエンアテンでした。
古代エジプトでは、兄妹、姉弟、父娘の結婚はめずらしくはなかったようです。

日本の神話で有名な夫婦神イザナギとイザナミは兄妹だったし、中国の夫婦神である伏羲(ふっき)と女媧(じょか)も兄妹でした。
王家の血統を大切にするためには、どこの国でもそうせざるを得なかったのでしょう。

育ての親であるネフェルティティが亡くなった頃、アメン神官の力が戻って、勢力が強まっていたため、アテンアメンに変更し、彼らはそれぞれツゥト・アンク・アメン(ツタンカーメン)、アンケセンアメン(アンケセナーメン)と改名せざるを得なくなります。

アテンとアメンはたった一文字の違いです。
けれども、そのその奥に隠された意味には、大きな違いがあったのです。
ツタンカーメンはまだ幼い王であったため、実際の政務は後見人のアイと将軍ホレムヘブがおこなったようです。


★ アンケセナーメンは次女の分霊だった ★


断片的ではありましたが、次女のツタンカーメンの妻としての記憶があまりにも鮮明であるため、わたしは最初次女本人の過去生がアンケセナーメンだと思っていました。
ところが、調べていくうちに、次女本人ではなく分霊であることがわかったのです。
分霊は自分の側面でもあるわけですから、記憶を持っていたとしても不思議ではありません。

驚いたのは、次女本人がアンケセナーメンと同時代の同エジプトで生まれ、王家と関わりをもっていたということです。
これについての詳細は今後のブログでお伝えする予定です。



★ ツタンカーメンの死因 ★


☆さて、2005年の1月に古代医学のスペシャリストたちが、エジプト政府の許可を得てツタンカーメンのミイラを墓から持ち出し、CTスキャンによる徹底調査をしたことは、マスコミにも取り上げられたので、みなさんの記憶にもあることと思います。

その結果、頭骸骨の骨折は見られず、従来の撲殺説は否定されました。
そこで新たにわかったことは、左膝の骨折でした。
事故死の可能性があると診断されたのです。
古代医学のスペシャリストたちは、事故の結果起こった傷に菌が入り、合併症を起こしたのではないかと推測しました。しかも、死ぬ一日前に事故は起こったというのです。

しかし、その説には少し無理があるように思われます。
たとえ合併症を起こしたにしても、骨折だけで次の日に死亡するとは考えにくいからです。

まだ十九歳であったツタンカーメンは、いったい何が原因で死んだのでしょうか。
その真相を知っていたのは、妻のアンケセナーメンだったのです。(次回につづく)


過去生の記憶―次女のエジプト時代の過去生

2010年09月08日 12:00


★ 過去生の記憶 ★



過去記事「転生の記憶―誕生までのプロセスⅠ&Ⅱ 」で、わたしの次女の過去生に触れました。
このブログの読者さんのなかにも、あるとき突然自分の過去生がよみがえってきたという人がいらっしゃるかもしれませんね。これはじつに興味深い現象です。

次女は子どものころから自分の過去生だと思われる映像を断片的に見ていたといいます。
当時は「夢で見たストーリー」だと思いこんでいて、それがただの夢なのか、真実なのか、他人のことなのか、自分のことなのか、よくわからなかったようです。

その映像の断片が、過去生きていた「ひとりの人間の生涯」として結びつき、「ひとつのドラマ」として明確に理解できるようになったのは、この数年のあいだのことです。

次女の記憶が鮮明に甦ってくるのは、特にわたしとスピリチュアルな会話をしている際でした。
何かきっかけ(過去生に関するキーワード)があると、思い出しやすいようでした。
そんなときは、泉のごとくつぎつぎとあふれ出てくる感じでした。

次女が語ったいくつかの過去生のなかで、特に古代エジプトの記憶が鮮明でした。
次女本体だけでなく、分霊エジプトという地に何度も生まれていたため、分霊と共有している記憶が重なり、情報量も多かったのです。
また、わたし自身の魂も、太古のエジプトと深く関わっているため、過去を知る必要性があったのです。

次女の過去生にフォーカスして不特定多数のみなさんにお話をすることに意義があるかどうかは、読者の個々人が判断されることです。
ですから、過去生を信じない人や、他人の過去生になどまったく興味がないと思われる人にとっては、この記事は何の役にも立たないでしょう。

しかし、「古代エジプトの出来事」や「ツタンカーメン」に関心のある人にとっては、もしかしたら新しい気づきが生まれるかもしれませんし、改めて「過去生」というものについて考えてみる機会が得られるかもしれません。
ともかく、思いの制限をひらいて、お読みくだされば幸いです。


★ 次女のエジプト時代の過去生 ★



次女は、幼い頃からエジプトに大変興味を持っていたようです。図書館で初めて手に取って見たのは、エジプトのミイラの写真が載った本だったといいます。
そして、ツタンカーメンのマスクや人型棺を見て、同じような格好をして、杖を持った手をクロスさせてみたりしていたのだそうです。
また、墓の中に描かれた壁画にも関心を持ち、もしエジプトに行くなら絶対に壁画を見たいと、わたしに言っていたのです。


     ツタンカーメン


2008年に入ってから、エジプトに関するテレビ番組が急激に増えました。
いろんな放送局で放映されているのを見るようになったからです。
常日頃あまりテレビを見ないわたしが、たまたまチャンネルを変えると、やたらエジプトのピラミッド王家の谷などが目に飛び込んでくるようになり、ひどく不思議に思っていました。
これは偶然なのだろうか? 今エジプトにいったい何が起こっているのだろうかと。

次女がエジプト時代の過去生の話をし始めたのは、2007年の後半になってからでした。
2008年の2月にハイビジョンテレビで「エジプト特集」の再放送を一緒に見て以来、過去生の詳細がつぎつぎと判明し、巷で騒がれていた「ツタンカーメンの呪いの謎」までも解明するに到ったのです。実に驚愕すべき内容でした。

まず、ツタンカーメン王の墓を見つけたイギリスのハワード・カーター氏がテレビの画面に現れたとき、初めて見たにも関わらず、次女は「わたしはこの人を知っている」と言い出したのです。
それを契機として、いろんなことを思い出し始めました。

ツタンカーメンはまちがいなく殺害されたのであり、死亡した直接の原因は毒だということ。彼を殺すために手を結んでいた人は三人いて、それは年取った男と中年の男と若い男だったということなどです。

なぜそんなことがわかったのかというと、次女の脳裏にツタンカーメンの妻であった記憶があったからです。
ツタンカーメンは世界的に大変有名ですが、彼の妻に関しては、さほど知られてはいなかったように思います。

ツタンカーメンの妻というのは、みなさんもご存じのようにアンケセナーメンのことです。
彼女については最近になってようやく焦点が当てられてき始めたと思いますが、まだまだ謎が多い女性ですね。
次回より次女から聞いた「アンケセナーメンの真実」をお話ししたいと思います。





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