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本人の準備ができていないときは癒すことができない

2010年07月02日 10:30


★本人の準備ができていないときは
         癒すことができない★



★本人に自分を変えようという意識がなく、その準備ができていないときは、癒すことができません。

たとえば、その人に霊が憑いて異常波動になっている場合は、その人に自分の生き方がまちがっているということを明確に知らせてくれているのです。周囲の人たちは、とばっちりを受けて大変迷惑でしょうが、それも彼らのスタディ(学び)のひとつなのです。

先日記した知人の上司のような人は、どこの職場にもひとりやふたりはいそうですから、そういうタイプの人にどのように接していくかが、周りの人たちのスタディやレッスンとなっているわけですね。

★人を助けたほうがよいときと、助けないほうがよいときを見極めることは、とても大切です。

なぜなら、自分の精魂と愛をこめてエネルギーを注いだにもかかわらず、相手の意識は一向に変わらず、相手は同じ問題(過ち)を繰り返すばかりで、非常に虚しさを感じたという経験がこれまでに多々あったからです。

相手の意識を変化する方向へと導いたり、高い次元へと移行させたりするには、多くのエネルギーが必要です。
相手が自分の魂の成長に対して、まったく関心がなかったり、意欲がなかったり、聞く耳を持っていなかったり、ハートを閉ざしているときには、いくらエネルギーを注いでも受容されることはありません。
「祈り」などによって、相手の意識レベルが一時的に上昇しても、見る間に堕ちていくのがわかります。

よって、自分のエネルギーをムダにしないためにも、相手が自分の持っている問題を、今すぐに手放す準備が整っているかどうかを見極めることが必要となってくるのです。


ある末期ガンの患者さんのカウンセリングをしていたとき、わたしは彼女のガンを癒したくて、癒しのパワーを何度か送ったことがありました。
ところが、80パーセント癒した時点で、わたしのハイアーセルフからストップがかかったのです。それ以上癒してはいけないというのです。あとの20パーセントは彼女自身に任せなさいということでした。
彼女は非常に依存心が強く、自分の病気を全面的にわたしに預けていたところがあり、自分に対する責任と自助努力が感じられなかったのです。

彼女のガンの原因は霊的なものであり、ガンという病気を通して自分自身を深く掘り下げ、学ぶという目的をもって生まれてきているのだと、彼女の守護霊が伝えていたので、肉体の治癒よりも魂の目覚めに重点を置き、彼女の霊性を高めることに最善を尽くしました。 
結局彼女は途中からセッションに来られなくなり、20パーセントをクリアできないままで亡くなってしまわれました。あまりにもネガティブな思いが彼女自身を死に追いやったのです。

シルバーバーチ魂に受け入れる用意ができていれば、精神も正常となり、身体も正常になるとして、つぎのように語っています。

患者の魂に受け入れ態勢が整ったときに摂理が働いて、霊的な治癒エネルギーが注入されます。
魂に受け入れる用意ができていなければ、反応は生じないことになります。
魂の霊的意識が開かれるまでは、磁気的なつながりはできません。
閉じられたままであれば、何の接触も生じません。


シルバーバーチは1920年から60年間、イギリス人のモーリス・バーバネルの肉体を借りて、人生の奥義を語ったスピリット。


★相手に準備ができていないときは距離をおいて待つ★



★相手に変化を起こせないときは、相手のハイアーセルフ守護霊が、その人の成長を促すために、わざと困難な状況においていることもあるようです。
まだまだその状況でのレッスンが必要だということなのです。


わたしでは判断しかねるときは、相手の守護霊の意向を尋ねてみます。そうすれば、その人を助けるべきかどうかを明確に知ることができるからです。
たいてい守護霊のほうでは、早く本人に気づきと変化を与えたいため、援助をしてくれそうな縁者にコンタクトしてきています。
しかし、守護霊があれこれ策を弄しているにもかかわらず、当の本人は無意識のうちに心を閉ざして助けを拒否している場合が多いのです。
そんなときは必ず分離が生じ、うまく事が進まなくなります。

最近は相手の守護霊と相談して「やむをえない」という結論になれば、問題を全面的に相手に任せ、愛と光の波動のみを送り、距離をとって待つことを心がけるようにしています。


★相手に変化を起こすためのお手伝いは、相手の準備ができてはじめて可能となるのです




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「成仏」は死ぬ前にしておくもの―この世で悟っておくことが大切

2010年09月04日 15:20


「成仏」は死ぬ前にしておくものこの世で悟っておくことが大切 




前回まで、その人の「死に方」や「死ぬ前の意識レベル」が、その人のつぎの行き先を自ら決めるので、「いかに死ぬときの意識が重要であるか」ということを、わたしの次女の「生まれ変わりの体験談」を交えながらお話ししてきました。
今回もそのつづきとして、さらに突っ込んで「この世で悟っておくことが大切」だということをお伝えしたいと思います。

(過去ブログ カテゴリ―過去生と転生の記憶 &「死ぬ前の意識レベル」が「あの世」の行き先を決める 参照)



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死に方というものが霊界へ行ってから影響するのでしょうか?」 
「自然な死に方のほうが霊界に溶け込みやすいのでしょうか?」
という問いに、シルバーバーチは次のように答えています。


もちろんです。大いに影響します。
すべての人間が霊的知識を持ち自然な生き方をすれば、いわゆる死ぬということが、らくで苦痛のないものになります。
また、肉体が死滅した後、霊体になじむための調整をしなくてすみます。

ですが、残念ながら、そういうケースは、めったにありません。
地上を去って、私たちの世界へやってくる人間の大半は、自分の霊的宿命や構成、霊的実在の本質について極端に無知です。
それに加えて、死ぬべき時期が熟さないうちにこちらへやってくる人があまりに多すぎます。
そういう人は、私がよくたとえているように、熟さないうちにもぎとられた果物がおいしくないのと同じで、未熟です。
果物は熟せば自然に落ちます。
同じように肉体に宿っている霊が熟せば、肉体は自然に朽ちて霊体から離れるものです。

今、こちらの世界には、すっぱい果物やしぶい果物がどんどん送られてきています。
そういう霊を霊的環境へ適応させるために、私たちはいろいろと手を尽くし、監視し、世話をやかねばなりません。
あらかじめ霊的知識をたずさえていれば、私がたずさわっているような仕事はずっと楽になるのですが……。



シルバーバーチは、人の死後目覚めるのが早いか遅いかは、新参者の霊的意識の程度によって異なるということ、
死後の生命の存続について全く無知である場合や、まちがった死後の概念を吹き込まれて正しい理解に時間を要する場合は、肉体の睡眠に相当する霊的休息というプロセスが必要となること、その過程は自覚が芽生えるまでつづくのだと語っています。


つまり、人は死後困ることがないように、この世に生きているあいだに自分自身を探究し、自分の本質が何であるのか、自分とは何者であるかを見極められるような学びをしておかなければならないということです。
そうでないと、死んでからパニック状態となり、霊界との調整が難しくなるのです。


★この世にいるうちに成仏する  



★悟るのであれば、「この世」で悟るのが近道です。
「あの世」に行ってからでは、なかなか悟ることは難しいからです。


わたしたちは一般的に「あの世」のクリーンゾーンに行った人を「仏さんになった」とか、「成仏した」とかと言っていますが、その言い方は基本的にまちがっているのです。
この世にいるうちに成仏」しておかなければ、「あの世での成仏は困難」だからです。
となると、仏陀やイエスのような「この世で悟った人」以外は、みな「不成仏霊」ということになります。

成仏した人」は、もう地球に生まれて修行する必要がありませんから、輪廻転生から外れることができますが、そうでない人たちはまだ修行が足りないので、また地上に戻って再誕生することになるわけです。

もう「輪廻転生はたくさんだぁ!」という人は、「この世にいるうちに成仏」できるよう研鑽することが必要だということです。



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さて、今のあなたはどんな状態でしょうか?

もし今あなたが肉体の死を迎えたら、今のあなたの心の状態がそのまま「あの世」へと持ちこされます。
「あの世」での生活が、今と同じだったらイヤだと思うのであれば、今の生活を今すぐ変えるしかありません。

明日では遅いのです。

今思ったときに変えなければ、いつまで経っても変わることはありません。
明日になったら、変えよう」、「明日こそ変えるゾ!」と先延ばしするのは、本気で変えようとしていない証拠です。
そのうち、何も変わらないまま「あの世」へ行くことになるでしょう。

明日のほうが今よりも断然死に近づいているのです。



ハート
物事に対してすぐに対処しない傾向がある人は、
なぜ、それは「明日」なのか、
なぜ「今」ではだめなのか、
それらをよく考えてみてください。

「今の瞬間」のなかに「過去」も「未来」も同時存在しているのです。

いつでも「今」しかなく、「今」だけが貴重なのです。


毎瞬間「一期一会(いちごいちえ)」と思って人と接し、
悔いのない今を生きる」ことが大切です。



参照過去ブログ 明日では遅い! 先延ばしをしない人生





「セルフカルマ」を受け容れること

2012年07月09日 03:00


★ あなたが生まれる前に交わした契約とは? ★



わたしたちはひとつひとつの転生において、新しい物理的な肉体と、新しいパーソナリティを選んで生まれてきます。あるひとつの目的に向かって、自分の人生をデザインして誕生するのです。
新しい人生でまとう身体も、自分にふさわしいものを選びます。
そして、ひとつの転生において、ひとつの契約を決めて生まれてくるのです。

このブログの読者さんのなかには、お子さんをもっておられる方々もいらっしゃると思いますが、あなたにお子さんがいるのは偶然ではありませんね。またお子さんのほうも、あなたのもとに生まれてきたのは偶然ではありません。夫婦、友人、兄弟姉妹も同様です。
わたしたちは他者としっかりと契約を結んで、お互いの仕事を一緒にしようとか、こういうレッスンを学び合おうとか、いろんなことを決めて生まれてきているのです。

契約というのは、ともすると失敗することがあります。生まれる前は、人生はもう少し楽なものだと思っていたわけですが、実際に生まれてみると、「えっ? 何これ?」「こんなはずじゃなかった、随分大変だ!」と感じるわけです。
生まれてきた人生の状況において、契約を成し遂げるのが難しいときがあるんですね。
でも、わたしたちはできるだけこの契約を遂行しようと思ってがんばっているのです。
あなたも、おそらくそうですよね?


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★この世に偶然というのはありません。すべて起こるべくして起こっています。
今このような結果として表れているのは、そうなる原因があったからこそです。
そして、それは必要があるから表出してくるわけですね。
よいことでも悪いことでも、すべて学びのための現象なのです。

このことだけでもしっかりとマスターしていれば、たいていの問題は解き明かすことができます。

このブログの全記事を読んでいても、応用がまったく利かない人というのは多々存在します。
ひとつひとつのことは何となく理解できたように思っていても、新しい問題にぶち当たると、忽ちわからなくなるのです。
つまり、ひとつひとつの事柄は記憶されてはいても、それらを全体として統合して物を見たり考えたりすることができないんですね。ですから、応用問題となると苦手で解明できない人がたくさんいるわけです。

★新しく生じた枝葉を問題として見るのではなく、土の中に隠れた木の根っこの部分と全体を見てください。
ひとつひとつの回路をつなげて、大きな高い見地から見てほしいのです。
そして、問題は目に見えない部分にこそあるのだということ。そこに気づいていただきたいと思います。




    オーキッド



★ セルフカルマを受け容れること ★



★さて、あなたには、自分の肉体のなかで好きでないところ、気に入らないところがあるでしょうか?

カルマには、自分と他者とのあいだにあるカルマのほかに、自分が自分に与える『セルフカルマ』というものがあります。わたしたちはそれを決めて生まれてきます。

たとえば、背が高すぎるとか、低すぎるとか、太りすぎているとか、痩せすぎているとか、容貌が気に入らないとか…。もしそういうところがあるのなら、それがセルフカルマのひとつであると言えるわけです。

★それで、あなたは、その自分が気に入らない部分を、受け容れることができているでしょうか? 

たとえば、あなたが今生で太った肉体を選んだとします。そうすると、その太った肉体をどうやって使って動かしていくかということを学ばなければなりません。そして、その肉体を愛するということも学ばなければならないのです。

また、自分の顔が気に入らなかったり、さらに美しくなりたかったりして、整形手術をする人がいますね。
それは持って生まれた素の顔を受け容れることを拒絶している一例です。
ほんとうは、その顔で生きていく必要があるのに、それでは嫌だと言って、別の顔で生きようとしているわけですから。
実際に自分の容貌は、自分でちゃんと選択しているのです。参考のために、その証言となる内容をお伝えしておきましょう。

「次女の転生の記憶」の箇所で少し触れましたが、誕生する前に、次女が少ない選択肢の中から選んだのは、もっともスピリチュアルな学びができること以外に、じつは容貌が一番よかったことだと本人は言っております。お金持ちの家に生まれることを選択することもできたようですが、その代わりに両親の容貌が気に入らなかったりして、結局トータル的に満足できそうな肉体と人生が過ごせる両親を選んだのだというわけです。
ですから、本人はそれを承知で生まれたのですから、後になってから文句は言えませんね。(笑)

★もし自分自身のなかのものを受け容れられないとしたら、そして、受け容れないままでその人生を終わってしまったら、もう一度つぎの人生でそれを繰り返すことになるのです。
受け容れられるまで、何度も何度もトライすることになるのです。
そしてそれが終わったら、さらにつぎの課題へと向かっていくわけです。


★ 病気とカルマについて ★


★前回の記事で、読者さんから「生まれながらにして病気だったり、身体に障害がある場合は、その病気や障害が過去生と関係するのでしょうか? これもカルマなのでしょうか?」というご質問がありました。
生まれながらの病気の場合はカルマによるものが多いと思います。その人の体質というものも、その人のカルマによって決められるようです。

障害児の場合は、カルマのせいだけとは一概には言えません。自分が自分の学びのためにそういう肉体を自ら選んできている場合もあるからです。障害をもった肉体でどんなふうに生きるか、チャレンジしてみようというわけです。それは個々によって異なり、ケースバイケースです。
シルバーバーチはつぎのように言っています。

地上的観点から見れば、つまり物的見地からのみ人生を見つめれば、病弱な身体で生まれてきた人のほうが、健康な身体で生まれてきた人より辛い思いをすることでしょうが、それは宿っている霊については当てはまりません。身体が病弱だからといって霊も貧弱ということはなく、身体が健康だからといって、霊も健全というわけではありません。それどころか、霊的進化にとってかけがえのない体験である痛みと苦しみを数多く味わっただけ、それだけ霊的に豊かになっているとも言えるのです。

また、シルバーバーチは「病気の治療とカルマとの関係」について、つぎのように言っています。

患者のなかには、前世でこしらえたカルマをもち越している人がいます。そのカルマ、つまり因果律が成就されずに残っている場合は、治療効果が出ないでしょう。
霊的進化の過程で因果律が成就している場合、つまり、原因に対する結果が出切って、カルマが清算されている場合は、治療は成功するでしょう。魂に霊的治癒エネルギーを受け入れる準備ができているからです。


シルバーバーチは「治るためにはそれだけの霊的な資格がなければならない」と言い、「魂が真の自我に目覚めれば治る資格ができたことになり、そうなったときに、治療が効を奏するのだ」と言っています。

要するに、その人の魂の霊的意識がひらかれるまでは、ヒーリングをしても効果はありませんよと言っているのです。ヒーリングは患者の魂を目覚めさせることが本来の目的なのです。ですから、魂に受け入れる準備ができていれば、治癒は可能となるということなのです。

カルマと過去生と病気や障害の関係性」についての説明は、非常に難解です。人それぞれ千差万別で、その説明が適切であるかどうかもわからないからです。ですから、これ以上の詳細な説明はあえてしませんが、これまでお伝えした内容から判断していただければ幸いに思います。


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わたしたち自身が自分のためにさまざまな問題を創り出しているのです。
肉体のことだけに限らず、自分は虚栄心が強いとか、頑固であるとか、自分には価値がないとか思い悩むのも、自分自身のカルマで、個人のレッスンなのです。
これらの課題を乗り越えることができればできるほど、人生において、より大きな成功を収めることができます。そうすると、つぎの転生では、そうした分だけ自由になることができるのです。

★あなたが気に入らないところ、それを好きになることができますか?
あるいは、今、しっかりとそれを認め、受け容れられますか?


前回紹介したマイケルかつて地上でいくつもの人生を生きたことのある非物質的な存在で、千以上の魂のグループソウルの仮の名称)は言っています。
魂がおとなになればなるほど、自分が交わしてきた契約を深く感じることができるようになるけれども、魂の若い者には自分の契約というのが理解できない」と。

ですから、いわゆるひとつの人生で子どもがおとなになっていくのと同じように、魂がおとなになればなるほど、いろんな経験が積まれていろんなことがわかるようになるということなのです。



エクローサ リラ紫


ハート
最後に、もっともつらい最大の苦痛と苦悶を受けたイエス・キリストについて、お話ししましょう。

イエスは『セルフカルマ』によって、十字架にかかったのだということができます。

しかし、最初からそうなることがわかっていたのだとしても、「何もまちがったことをしてきていないのに、なぜこんなひどい目に遭わなければならないのか?」という葛藤はあったことと思います。

父なる神に、イエスは問うています。
「なぜです? なぜこんなことが私に起こるのです?」
「私は見放されたのですか? 私は見捨てられたのですか?」と。

イエスが自分に与えたカルマは、「その受難を受け容れられるかどうか」というカルマであったのです。
彼は最初それを拒否しました。
「なぜ?」という問いは、拒否の反応ですね。

しかし、この問いのあと、彼は言いました。
「あなたの御心のとおりになさいますように」

その瞬間、彼は受け容れたのです。
彼は自分が誰であったのかを理解したのです。
永遠なる魂が、自分を通して現れることを許したのです。
彼は全面的にレットゴーし、明け渡したのです。

受け容れたことで、彼は自由になり、永遠の生となることができたのです。

イエスは言っています。
苦しんできた人は幸いである。その人は〈生〉を見いだした」と。

苦しみを受け容れるということ。
自分が与えたカルマを受け容れるということ。
全面的に受け容れるということ。
これが、わたしたちの『セルフカルマ』へのチャレンジなのです。

★参考過去記事「光の花束〈不滅の詩〉― 苦しんできた人は幸いである」





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