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男性性と女性性を統合する ― トマスによる福音書より―
2010/12/15 01:00


トマスによる福音書」をご存知でしょうか?

えっ、トマス? 
トマスって、だれ?
そんな人の福音書は「新約聖書」には載っていないけど…。
と思われたでしょうか?

そうです。
キリスト教公認の新約聖書に「トマス伝」は削除されています。
ですから、聖書に「トマスによる福音書」はありません。
それは、エジプトの洞窟で発見された「ナグ・ハマディ文書」のなかにあった内容なのです。

★「ナグ・ハマディ文書」をご存じない方のために、少し説明をしておきましょう。

ナグ・ハマディ文書」は、1945年12月、エジプト南部に位置するナイル河畔の町ナグ・ハマディ付近で、アラブ人の一農夫によって発見された、13冊のコーデックス(古写本)に含まれる52のパピルス文書のことです。
すべてコプト語(古代末期のエジプト語)で記されていて、そのほとんどがギリシア語からコプト語への翻訳と想定されているということです。
そして、文書の大半は、4世紀以降「正典」としての新約聖書から差別(排除)されていった「外典」に属するものだということです。

文書のなかで、「これは、生けるイエスが語った、隠された言葉である。そして、これをディディモ・ユダ・トマスが書き記した」で始まる「トマスの福音書」は世界中で最も有名でしょう。
今回はその「トマスによる福音書」から感じたことを書きたいと思います。


★ 女性を蔑視したペテロ ★



★「トマスによる福音書」には、次のような一節があります。


シモン・ペテロ彼らに言う。
マリアを我らより離れしめよ。
女は生命の価値なかりければ。
  

                     
★原始キリスト教を創設したペテロは、マリアを自分たちのところ(イエスの弟子たちによる集団)から出ていかせようとしました。
「女性は悪の根本原因」だとして、拒絶したのです。
生命の価値がないという理由で…。

女たちは命に値しない」というのは、ユダヤ教、ユダヤ人キリスト教、初期のカトリシズムに見られる女性蔑視が極端な形で表現されたものです。
現在のカトリック教会においても、女性は聖職位階制から排除されているようで、女性の法王は存在したことがありませんね。
「男性優越主義」が21世紀になっても、相変わらず存在しつづけているというのが、宗教界の実情なのです。


シモン・ペテロが彼らに言ったのです。
マリハムは私たちのもとから去った方がよい。
女たちは命に値しないからである
」と。



マリハムとは、マリアのことです。
そして、このマリアはイエスの生母ではなく、彼の妻のマリア(マグダラのマリア)のことです。
マグダラのマリアは、イエスが初めて心のうちを打ち明けて癒された女性であり、彼が初めて愛した女性でした。

イエスが結婚していたことは、最近(2006年)「ダ・ヴィンチ・コード」が映画化され、ようやく世界中に知らされることとなりましたが、これが事実だと都合が悪いと考える人たちによって、ひた隠しにされてきました。

わたしは、小説「ダ・ヴィンチ・コード」で話題になる20年ほど前から、マグダラのマリアがイエスの伴侶であったことは知っていました。
何の疑問もなく、受容していたのです。
でも、世界中のクリスチャンはどうだったのでしょうか?

ペテロが発した「マリアを我らより離れしめよ。女は生命の価値なかりければ」ということばは、女性蔑視の骨頂とも言うべき暴言ですが、彼がいかにマリアに嫉妬し、嫌厭していたかがうかがえる箇所です。

宗教を創ったのがみな男性だということは大変興味深いところですが、ペテロは別として、世の男性たちが女性を恐れる理由は面白いと思います。
それは何かというと、女性がそばにいると、神や仏の探求よりも、女性の探求のほうが魅力的になるということです。
それでは修行の妨げになるばかりか、面倒なことが発生しかねません。
それゆえに彼らは女性を拒み続けなければならなかったということです。

釈迦(ゴータマ・ブッダ)にしても同様です。
ゴータマ・ブッダは悟りを開いた後に釈迦教団を創りましたが、男性の修行者のなかに女性の修行者を入れることはなかったようです。
彼は最初、女性の修行者自体も受け入れていなかったのですが、志願者が増えたため、しかたなく比丘尼(びくに)となることを認めたのです。
でも、男性修行者とは隔離しなければなりませんでした。
なぜか、もうおわかりでしょう。

ところが、イエス・キリストはちがっていました。
彼はゴータマ・ブッダのように男性指向の人ではなかったのです。
なぜなら、女性を認めたくなくて、まずイエスの妻マリアを離れしめよと言ったペテロに対して、次のように言っているからです。

イエス言いたもう。
見よ。我マリアを導きて、マリアを男となさん。
マリアまた、汝ら男たちのごとく命ある霊となりぬべし。
おのれを男とせし女らみな、天国に入ることを得たればなり。



イエスは毅然として言いました。
見ていなさい。私がマリアを導いて彼女を男性にしよう。
彼女もまたあなたがた男性と同様に生ける精霊となることができるように。
なぜなら、自らを男となす女性はみな天国に入ることができるからである
」と。

これは、ペテロに対する挑戦的ともいうべきことばですね。
イエスが言うこの「自らを男となす女性」とは、いったいどういう意味なのでしょうか?

ちょっと皆さんにも考えていただきたいので、その意味の解明は次回にしたいと思います。(つづく)

カテゴリ:★ 男性性と女性性を統合する―天国に入るための条件

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