「完結できていないこと」は「完結できていること」よりも記憶に残る ➀執着

2017年05月22日 00:00


皆さん、こんにちは。
5月も20日を過ぎました。次第に気温が上昇して、真夏のような陽光を感じるようになりましたね。お元気でいらっしゃいますか?

毎日私用で外に出る日が多く、電話相談や過去生回帰なども増えてきて、なかなかブログが書けなかったのですが、ようやく本日パソコンに向かうことができました。

これまでに多くの魂の過去生回帰をさせていただいており、その時々でブログ上にてお話をしてきていますが、再度皆さんにお伝えしておきたいと思うことがあり、ROMの分身でもあるMasakoとしての見解を書かせていただきたいと思います。
(今現在は肉体にMasakoのエネルギーが常住しており、肉体意識の「光のお母さん」とは少し異なります)


          鳥からのメッセージ

◇課題を残したままの過去生を解放することの必要性



過去生の「執着」や「依存心」、「ハートブレイク」、「復讐」などが課題となったままで残されていると、現在生きている肉体意識に大きな影響を与えるようになります。そのような課題が残されている過去生があったことがわかると、本当に今の自分に起きていることが納得できてくるのです。過去生たちは、まちがいなくそれを解決しないと先には進めないということを教え、証明してくれているからです。

過去、現在、未来は、今この瞬間に同時に存在し、同時多発的に起こっている」ということは、このブログを読んでこられた人なら、すでにご承知のことでしょう。

今現在の自分自身に何か問題を感じて、それを自分自身で変えることができる人であるなら、過去生回帰は必要ありません。でも、皆さん、過去のしがらみにがんじがらめになっていて、そこから脱却することがなかなかできないのです。

「こうなった原因が何であったのか」を知るということは、ほんとうに大事なことです。

過去生回帰をすると、「原因と結果の法則」がそこにしっかりと働いていることがわかります。「今生じている問題はどこに起因していたのか?」を、実感としてわかっていただけること、その問題を認識し、解放したことによって、どんどん気持ちが、波動が軽くなっていかれること。それが過去生を回帰し、課題をクリアすることの意味であり、すばらしい恩恵でもあるのです。

光のコースで学んでおられ、過去生回帰をたくさんしてこられた方々のなかには、瞑想状態に入らなくても、そのとき登場した「過去生さん」を入れて、その「過去生さん」のもっとも問題となった場面を思い浮かべて、状況を克明に語れるようになった方がけっこういらっしゃいます。
たいてい目を閉じて、イメージやそのときの「過去生さん」の思いや感情を感じていただくのですが、目を閉じなくても、普通の会話のように「過去生さん」が勝手に話し出すこともあります。

つぎつぎと過去生が解放されていくのを垣間見て、自分も解放してほしいと突如登場してくる「過去生さん」もいるのですが、セッションが時間切れとなった時、その日中に次回の予約をしてしまう「過去生さん」もいて、驚いたことがあります。「必ずその日に来るから、回帰して解放してね」という感じです。

こっそりセッションの様子を見聞きしていた魂たちがわたしのファンになってしまうこともあるようで、おそらく目には見えない人たちは、いつもチャンスがあれば、コンタクトしたいと思っているようです。最近はテレパシーがやたら多くなって、毎日大変です。

今回は、自分の過去生ではない別人の過去生を肉体に入れて、課題をクリアすることに成功した例をお伝えします。



春の天使


他者のチャネリングによる他者のための過去生回帰


自分の過去生の課題をクリアしたいと思い続けてきたある個体(T君)がいました。
その個体とわたしは過去生で4回ほど出会い、関わりをもったことがあります。
今生では、ほんの短期間でしたが、わたしのブログを読んだり、セミナーを受講したり、自己探究に対して熱心な青年でした。彼の課題はいろいろありましたが、最も強いのが「執着」でした。

ところが、あるときからT君の過去生と別の個体(全くの別人格)の過去生との契約で、約束された年齢になった時点で別の個体がその肉体を占領し、T君(個体)を追い出してしまったのです。T君は自分の課題を抱えたまま肉体を去らねばならなくなり、中途半端な状態で、幽界を彷徨っていました。
その肉体を乗っ取ってしまった別人格の個体は、結局ダークサイドにいた自分の過去生をほとんどクリアできないままで肉体を去りました。その後本人の肉体には入れ替わり立ち代わりいろんな存在たちが宿っていましたが、現在は肉体意識だけとなっていたので、T君は再度その肉体に入って、自分の目的を遂げたいと思うようになったのです。

昨年末頃から復帰したいという思いが強くなったようで、T君からのテレパシーが頻繁にわたしのところに届くようになっていました。彼はかつて(今生で)入っていたことがある肉体に何度か入ろうと試みましたが、結局入っていられないことがわかり、その肉体にはもう入りたくないし、どうしたらいいの? というテレパシーがずっと来ていたのです。
最近「本人の肉体意識」のほうに、そのことを伝えてみる機会を得たのですが、肉体意識はその個体を入れたがらず、過去生回帰をすることにも否定的だったため、わたしも諦めて別の肉体を探すことにしたのでした。

ちょうどその頃、T君とは顔見知りで、過去生でも彼の分霊とは知り合いだったという事実があったニックネーム「ポノ」さんが、彼のことを今でも大変心配しておられたことを知りました。さらにT君の個体を自分の肉体に入れて過去生回帰をしてもよいという希望まで伺うことができたのです。T君が承諾してくれさえれば過去生回帰は可能なので、あるときポノさんと電話中にその場で彼を呼びました。彼はポノさんの肉体を使って回帰をすることに同意してくれたので、ようやくT君の過去生回帰を始めることができたのです。
下記はそのときのT君の情報を受け取り、彼の感情をも含め、彼が語ってくれたことをレポートしてくださった内容です。




◇過去生回帰で「人生の課題/執着」をクリアする試み


2017年5月14日 ポノ

MASAKO先生

今回、素晴らしい過去生回帰を経験させて頂いた事を心からお礼申し上げます。
本当にありがとうございました。
自分の過去生ではない人物の過去生回帰でしたが、自分の過去生回帰同様、歓びと感動に満ちた過去生回帰でした。多分私がT君と今生でも過去生でも知りあいだったという事も大きかったと思います。

今回、初めての他者の過去生回帰であり、チャネリングでしたが、自分の個体の過去生回帰も自分以外の個体が入った過去生回帰も肉体の感じ方はほとんど変わりありませんでした。(自分・他者問わず)個体の感情と、個体を受け入れる肉体の思考は別で存在し、個体が号泣しても苦しくても、それを客観的に見ている肉体の思考が常に存在していた、という感じでした。T君という別の魂が肉体にいたものの、肉体である私の意思も別で存在し、T君の感情の動きを客観的に感じ取り、記憶していました。

T君が、MASAKO先生に自分の気持ちを伝える事が出来た事や、先生への執着を手放すことが出来て究極の転生に行ったと知り、自分の事のように嬉しかったです。
今回の過去生回帰で、人に自分の思いを伝える事の大切さを改めて学ばせて頂きました。
T君が私の身体を通じて、先生に過去生から伝える事の出来なかった想いを伝える事が出来た事、そして先生に対する彼の心からの言葉を私は一生忘れない気がしています。あの過去生回帰の終盤、T君の先生に対する愛と、先生のT君に対する愛が私の肉体に流れ込んできたような気がして、うまく表現できないのですが自分の中に愛が行き交っていて、心を揺さぶられるような体験でした。彼が思いを伝えて解放されていくまでのやり取りを思い出すと今でも涙が溢れます。T君の過去生回帰をやらせて頂いて本当に良かったです。

なかなか過去生を話したがらないT君がようやく見せてくれた過去生は、14歳の少年の過去生でした。
自分の気持ちがうまく伝えられない、表現できない彼を学校の女性教師(過去生のMASAKO先生)が教室で、個別で話を聞いてあげている場面でした。人前だとうまく話せないのだろうと思った先生が、T君と二人だけになり、自分の想いを表現するよう優しく促してくれたのですが、T君は色んなことを思っているにも関わらず、それでも自分の気持ちを先生に話すことが出来ませんでした。そして、個別で話す機会を設けてくれた事に対し、先生は自分の事を好きでいてくれるのだと思い込んでしまいました。彼は先生の事がとても好きだったのですが、結局何も言えないまま卒業してしまいます。その後も独身で先生の事を想ったまま生涯を終えていました。

T君の二人目の過去生は19歳の青年でした。MASAKO先生の過去生である女性の講演会に聴衆の一人として出席し、熱心に女性の話を聞いていました。そして、深くT君を感じてみると、T君の過去生は講演内容よりも女性自身に関心を持っている事が分かりました。T君の過去生は自分の関心のあるテーマの講演会を通じてその女性を知ったのですが、いつのまにかその女性を好きになっていて、その女性に会う事を目的に何度も講演に通い詰めていました。そして、彼は女性に対し自分の事を知って欲しい、自分を好きになってほしいという願望があったのですが、講演会の席で質問をするとか話しかけるなどの行為は一切やらず、ひたすら講演会に通って自分を知ってほしいと思っているだけでした。

その過去生の男性はMASAKO先生の過去生の女性のことがずっと好きで、色んなことを妄想していました。例えばMASAKO先生の過去生の女性がT君の過去生を毎回自分の講演会に来てくれている男性だと気づいて声をかけてくれる場面や、仲良く一緒にデートしたりしている場面を想像していたのですが、思いを伝えることがないまま、寝室で寝たまま亡くなっており、孤独死していました。友人も殆どおらず、孤独な人生でしたが、彼の中には先生の過去生への強い思いがあり、その思いが彼の孤独感を打ち消していたように思いました。

3人目の過去生は、スピリチュアルな事を学び、修行している男性でした。MASAKO先生は大勢の人々に教えを説いている女性の精神的指導者であり、T君は先生の弟子として先生のそばで一生懸命学んでいました。女性指導者の周りを多くの弟子達が取り囲み、教えを聞いている場面が見えました。T君は先生の後ろ姿しか見えないような先生から離れた斜め後ろに座り、熱心に話を聞いていました。自分が先生の近くに座り、先生の姿を正面から見るなどと、畏れ多い事だと思っていたようでした。
そして修行を続ける中でT君は女性指導者から日頃の修行への努力を認められ、声をかけられます。頑張っていますね、という趣旨の声を掛けられ、握手する機会に恵まれたのですが、彼は感激で涙を流し、ひざまずいて女性指導者と握手していました。そして、生涯をこの女性指導者の下での修行に捧げるのだと決意していました。
しかし、その指導者がしばらくして一部の弟子だけを連れて、その地を去る事になりました。女性指導者は指導者がなくとも自分で修行は出来ると残された弟子達に語っていましたが、彼にとってその言葉は何の意味もなく、慕っていた指導者が一部の弟子を連れて去る姿を彼は泣きながら見ていました。彼は指導者に自分も連れて行って欲しいという思いを伝える事が出来ず、一緒に行けないことに絶望し、無意味感に苛まれ修行を続ける気持ちが失せ、自殺してしまいました。

T君が先生や私に自分の過去生を見せる事をためらっていた理由はよくわかりました。私に過去生を知られたくなかったのではなく、先生に知られたくなかったのです。
大好きな先生の前で、自分の気持ちも伝えられないカッコ悪い自分、悶々としている自分、勘違いしている自分、絶望して自殺してしまった自分をどうしても見せたくなかったのです。
先生がT君の過去生の出来事を知り、自分の気持ちを相手に伝えなければ相手に伝わらないでしょう、とおっしゃり、何でもいいから自分の気持ちを言ってごらん、とT君を促したとき、T君は14歳の時の過去生と同じように黙りこくってしまいました。しかし先生から何度か促された時、不意に泣きそうになる感覚があり、T君がなんとか自分の気持ちを言おうとしているのだと気づきました。

僕は話すのが下手だったから…うまく自分の気持ちを伝える事ができなくて…とポツリポツリと話し始めました。
話すのが下手で…どもってしまったり、話の内容が急に飛んでしまったり、表現が下手だったりして、恥ずかしくて伝えることが出来ませんでした、と先生に伝えると、彼は思い切って、僕は先生の事を想っていました、と言いました。
ここで電話がいったん中断し、私はT君の伝えようという気持ちが失せてしまわないか心配になったのですが、彼はくじけませんでした。再びお話が始まってから、彼が僕はずっと先生の事を想ってきました。先生の事が、好きでした、とふり絞るように、必死に自分の正直な気持ちを伝えました。
そして、MASAKO先生がそんなT君に対し、ありがとう。あなたの気持ちを受け取ったよ。ありがとう、と仰ってくださいました。

それを聞いた瞬間、その言葉がT君のハートに突き刺さった感じがし、涙がせきを切ったように流れました。これまで吐き出されることのなかった思いが心臓の辺りから一度に吐き出されてくるように思え、激しい嗚咽が漏れました。声にならない声が何度も喉を通り過ぎるような感じがして、涙がひたすら流れました。
そして、号泣しながら、もう同じ過ちは絶対に繰り返しません。僕は絶対に繰り返さない、と自分に言い聞かせるように何度も繰り返し言いました。私はこれを聞きながら、ああ、この人は絶対に同じことを繰り返さない。もし同じことをやりそうになったらこの人は全力でそれをしない努力をするに違いない、と感じました。また、この過ちとは、自分の気持ちを相手に伝えられなかった事の他に、自分の執着も含まれていました。
また、迷惑を掛けてしまってすみませんでした、と彼が言っていましたが、これはT君の先生に対する執着や自分の想いに対する執着が肉体意識に記憶として残ったために、肉体が先生に念を飛ばしてしまったことを言っていると思いました。

誕生の時の肉体が必要かと先生から聞かれたT君はきっぱりと、もう肉体は要りません、と答えました。もう自分の想いを遂げたからだと思いました。
そしてT君が、先生は僕の太陽でした。その光のおかげで僕は生きていられたと言いました。実はこの言葉は、電話が中断した時に彼が言おうとしていた言葉だったのですが、会話が再開した時に彼が言おうとしなかったので、後で先生に伝えてくれるといいなと思っていた言葉でした。
先生はT君に、またどこかで会いたいね。会えるといいね、と仰ってくださいました。
それを聞いたT君は、そう言ってもらえた事が、僕は一番うれしい、といってまた号泣しました。
しばらくずっと泣きじゃくったあと、先生に、じゃあもうさよならって言えるね?と聞かれ、彼は小さくハイ、と言ったのですが、本当は先生にサヨナラとは絶対に言いたくないと思っていた事を私は感じ取りました。
そして最期に、T君はサヨナラははっきり言わず、先生に「また、いつか」と言って満ち足りた様子で清々しい感じで旅立って行きました。

彼が素晴らしい状態で私の肉体から去った事は、はっきりと感じました。
T君が私の肉体に入った時、意識レベルが非常に高いにもかかわらず幽界にいたから非常に重く、不快感があったのですが、彼が先生に自分の想いを伝えれば伝えるほど彼の魂は軽くなり清められ、私の中にあった不快感や重さがなくなっていきました。重い想いを抱えた魂とは物質的な重さがあるのもなのだとその時に気づきました。
先生が、T君が去った後の彼の状態を調べたところ意識レベルは飛躍的に高まり、「究極の転生」にまで行った事が分かりました。本当に素晴らしい結末だったと思います。

T君が、先生は僕の太陽でした。その光のおかげで僕は生きていられたと言っていました。彼は愛着問題からくる無価値感や空虚感を先生の存在で埋めていたのではないかと思いました。彼の人生は過去生から総じて孤独であり、先生の存在が彼にとっての生きる意味であり、光であり、希望であったのだと思います。そう考えると彼の先生に対する想いの重さや執着の理由が分かる気がしました。

また、彼は最初、執着を手放したくないと言っていました。理由は執着を手放したら、先生から忘れられてしまうのではないかという不安があったからでしたが、自分の想いを先生に伝え、先生がT君の気持ちを受け取ってくださった事で、彼は先生に迷惑を掛けてはいけないと心から思えるようになり、先生への執着を手放しました。先生がT君に愛を与え、彼が愛を受け取ったことで、執着が手放せたのではないかと思います。

この過去生回帰を通じて、私は自分の想いを表現する事の大切さを学びました。
ずっと自分の気持ちを先生に伝えられなかったT君の魂が、先生に想いを伝える事でどんどん軽くなっていったという事実がその重要性を語っているように思います。
私もT君と同じように自分の想いを表現することが出来ない事がよくあります。それは自分が傷つきたくないからであったり、相手を傷付けるのではないかと思ったりするからなのですが、振り返ると自分の正直な想いを表現しない結果もたらされるものはフラストレーションであったと思います。そしてそのフラストレーションが積み重なる事で自分の波動や魂もどんどん重くなっていくのだと今回の過去生回帰で気づきました。また、傷つくことや傷つけることを怖れて自分の気持ちを正直に表現しないことは、小善に似ているとも思いました。
いつも正直に自分の想いを表現できる自分でありたい。T君の過去生回帰でそう思いました。

今回、過去生回帰をさせて頂いた事、レポートを書かせてくださった事、先生とT君の大切な思い出をブログ記事にしてくださること。感謝の気持ちでいっぱいです。
心からお礼申し上げます。
またいつか、私もMASAKO先生とT君と再会できる日が来ることを心から祈っています。
本当にありがとうございました。

ポノ



二本のバラ


◇Masako からのメッセージ



ポノさんが「T君が私の肉体に入った時、意識レベルが非常に高いにもかかわらず幽界にいたから非常に重く、不快感があったのですが、彼が先生に自分の想いを伝えれば伝えるほど彼の魂は軽くなり清められ、私の中にあった不快感や重さがなくなっていきました。重い想いを抱えた魂とは物質的な重さがあるのもなのだとその時に気づきました。」と書いておられましたが、過去生の重いエネルギーを解き放つことは、憑依霊を浄化するようなものです。
その重たい想念を解放すれば、T君のように軽くなり清々しくなるはずです。

何回も転生していながら同じ課題をクリアできずにいる魂がどれほど多いことかを、わたしはまざまざと見せられ、知るに至りました。特に「愛着」という課題を抱えている人の過去生は、どの魂もほんとうに似ています。

7月のセミナー「愛って、何?」というテーマで「異星人」についても取り上げますが、異星人であったことが多い魂ほど「愛着」問題を起こしやすくなっています。
現在の光のコースの受講者さんたちは、みな異星人だった過去生がけっこう多いのですが、特にレプティリアンやドラコニアンだった人生には、誰にも共通点があるのです。彼らの思考形態や感情などは、その星独自のものですが、人間/地球人とは随分異なっていることがわかります。自分の異星人だったときの過去生を思い起こされて、セミナーで一層深めていただけましたら幸いです。


~過去生回帰をしたくない理由~



人によっては問題のある過去生を解放したくない人もいます。過去生回帰を信じないとか、苦手だとかいうのではなく、その人がその問題を解決することを心から望んでいないからなのです。
つまり、その課題や問題を抱えていること自体が、その人の存在する理由となってからです。もしその過去生を解放してしまったら、自分がまったく違う人間になってしまうのではないかとか、自分に影響を与えてきたその過去生を解放し、いなくなってしまったら、これまでとは全く違う生き方をしていくことになるため、それに対する「不安」や「恐れ」を感じてしまうからです。だから現状に「執着」してしまうのです。

執着を手放したくない」「執着していたい」という「思い込みによる確信」というやっかいなものもあります。
「執着を手放したら、先生から忘れられてしまうのではないかという不安があったから」とT君は言っていましたが、「執着すること」と「忘れられる」ということはまったく関係がありません。それは勝手な思い込みに過ぎないのです。

そのことが曖昧であったり、思い違いや思い込みによる正しくない記憶が、独断と偏見で「確信」となってしまう場合があります。
記憶というものは、今自分が置かれている状況に合わせて都合よく書き換えられてしまうという危険性をともなっているのです。

それを意識しているか、無意識であるのかは個々に違いますが、古いエネルギーを纏ったまま、いつまでも同じ関係性を執拗に追い求めるのはもう卒業して、全く違う新しい関係性を築いていくことが必要です。過去はもう過ぎ去ったものであり、けっして戻っては来ないからです。

固体の過去生回帰に協力しない肉体意識には、そういう無意識の「恐れ」が存在していることに気づいていただきたいと思います。

今回は『「完結できていないこと」は「完結できていること」よりも記憶に残る』というタイトルをつけましたが、言い換えれば「実った恋」よりも「実らぬ恋」ほど「永遠に残る」ということなのです。

自分の想いを表現する事の大切さを学んだ」とポノさんは書いておられましたが、皆さんはそれを実行するために生まれてきているのです。
ですから、すべてにおいて、伝えたいことは、伝えたい人に、素直に勇気をもって伝え、出来る限り今生で完結/クリアしていただき、死ぬときに重たい「執着」を残さないように生きていただきたいと切に願うしだいです。

「完結できていないこと」は「完結できていること」よりも記憶に残る』については、次回でも別の人の過去生回帰(愛着問題)から取り上げたいと思っていますので、関心がある方はぜひお読みになってください。

Masako



小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり ~真実の愛とは何か?~

2017年05月01日 23:00


皆さん、こんにちは。
ゴールデンウィークに入りましたね。
せっかくのお休みに、誰かとどこかに出かけなければ生きている意味がないと、遊ぶことばかり考えている人もいらっしゃるかもしれませんが、多くの人が動くときは、必ず見えない存在も動きますから、要注意です。人が大勢いるところに、必ずネガティブなエネルギーがありますので、どうかくれぐれも無防備のままでいろんなものを引き寄せないよう意識的であってください。
こういう大型連休こそ家にいて、自分自身をじっくりと顧みることが必要かもしれません。
日頃の人間関係から解き放たれて、自分の心も身体も霊体も癒し、充電し、リフレッシュしてください。

Golden Week…その名の通り、あなたにとって黄金のように価値のある最高の休暇となりますように!




菜の花と大山
      4月22日大根島の菜の花畑から大山を見る



小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり



小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり」という言葉があります。
ある電話相談の際、ひまわりさんに上記の言葉をお伝えしましたら、「その言葉が心に響いたので、ぜひ記事にしてほしい」と言われました。それで今回は少しそれについて皆さんにお伝えしようと思います。


八重桜


◆甘やかすのは小善


ごく表面的な共感や迎合、過剰な賞賛や保護、甘やかしは、結果として相手を不幸にしてしまう可能性があります。
たとえば、子どもがわがままを言っても厳しく叱らないで甘やかしてばかりいる過保護の母親は、見かけは良い親のように見えても、子どもはそのわがままがいつも許されているので、それでよいと思い込み、大人になっても自己中心的で善悪の判断もつかない良識のない人間となり、社会に出ても人間関係がうまくいかないようになってしまいます。

逆に厳しく指導をすれば、その厳しさ(非情)故に子どもはその時は大いに反発するかもしれません。でも、結果的にはそれがその子の健全な成長を促すことになるのです。それが「大善」というものです。

先日、ある方の過去生回帰をした際、他者に無視されたり、相手にされなかったりした男の子の過去生が出てきました。彼(過去生)は生まれつき心臓が悪かったため、家族、特に母親は彼に対して献身的に尽くしていました。自分がそのような障害を持った子どもを産んだことで、その子が一生心臓病と付き合っていかなければならないことに罪悪感を覚えていたからでした。

彼はそれをいいことに、母親に対してわがままの言い放題で、何かにつけて母親が世話をしてくれることを当然だと思い込んでいました。そして彼の兄弟も同じようにしてくれたので、自分はわがままを言っても誰もが聞いてくれると勘違いをしてしまったのです。「してもらって当たり前」であり、彼には「感謝する」という発想が欠落してしまっていたのです。

彼は内向的で依頼心や甘えが強く、自立心が欠如していた上、意気地なしで神経質、感情的で頑固、不平不満が強く、人の不幸や失敗を喜ぶという異常波動を引きつける要因をもっていました。よって、彼は他の子どもたちには無視され、相手にはされませんでした。自信はなく、ひとりでもがいていたのです。

あるとき、彼は学校の先生に「自分が病気であることに甘えている。依存して周囲に何かをしてもらうのを当たり前と思うな。人が与えてくれるのを当然だと思ってはいけない」ということを厳しく諭されます。

しかし、彼はその言葉を不快(マイナス)に受け取り、その先生に逆恨みをしたのです。そして母親に言いつけ、母親は「弱者を苛める教師」として学校に抗議をし、その先生は学校から追放されるはめになったのです。

彼も母親も、完全に勘違いをしていました。生まれつき心臓が悪かったのは、母親のせいではなく、彼自身が原因でした。前の過去生でそのようになる原因を自らつくったからなのです。「それに気づきなさい」ということで、心臓が悪かったのですが、彼も母親もそのことに気づくことはありませんでした。

そこで、わたしは「原因は自分自身にあるのだ」ということを説明しました。ようやく彼はそのことを知り、理解し、学校の先生を逆恨みしたことに対して、悪かったと反省し、泣いて謝罪をしました。

「厳しく自分を諭してくれたことに対しては、まずは感謝でしょう」と言うと、彼はわたしに対して「そのことを説明してくれて、今感謝の気持ちが初めて湧き上がってきた」と言いました。彼は「大善は非情に似たり」ということを理解したのです。そして、ようやく光の領域に行く心の準備ができた彼は、喜んでダークサイドから光サイドへと解放されていきました。


hana


小善」、すなわち自己満足のために行う小さな善行は、たとえそれが善意から発したものであったとしても、結果として相手の成長を止めてしまったり、深く傷つけたりする(大悪)場合があるということ。それに対して「大善」、すなわち本気で相手の幸せを考えて行う善行は、時として厳しい言葉や突き放した行動を伴うため、情け容赦のない態度(非情)と誤解されてしまうことがあるということ。それが、「小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり」という言葉の意味です。

多くの人は「小善」しか行いません。
大善」は相手に誤解され、嫌われる恐れがあるがゆえに、ほとんどの人はそこまでして相手のために行う勇気がないのです。相手に恨まれてまで、その人のために本当のことをありのままに正しく伝えるようなことはやらないということです。

真の愛は、どうあることが相手にとって本当に良いことなのか、自分がこれからやろうとしていることが本当に相手のためになるのかどうかを厳しく見極めるということなのです。
何でもかんでも許すことが愛なのではありません。愛しているからこそ許さないということもあるのです。「小善」は結果として「偽善」となりえますが、「大善」には「大いなる愛」が内包されているということです。そのことを覚えておいていただければと思います。




ハス


◆誕生時の個体が戻ってきました



今年に入ってから、わたしの肉体に、最初この肉体が誕生した時に入った個体がまた戻ってくるようになりました。たまに昔のことがとても懐かしくなっていたのですが、4月半ばからROMのエネルギーのほかに、この個体のエネルギーが随時入るようになりました。
この個体はROMの娘(分霊)であり、ROMから分離したものと言ってもよいでしょう。両者とも、ほぼ同様の波動と意識レベルとエネルギーの質を持っています。ですから、ROMが入っていても、娘が入っていても、あまりパワーは変わらないように思います。

最近のわたしを見て、そのエネルギーを感じた人が、今までの「光のお母さん」より若くなっていて、パワーが前よりも強くて、もう「お母さん」という感じがしないと言っておられました。確かに個体が入ってからは、気持ちが随分若返っている気がします。ですから、今後「光のお母さん」と呼んでいただくことに違和感さえ覚えているしだいです。また新しい名前が必要となりましたら、お伝えしたいと思います。

ROMには32体の龍の子どもたち(化身が龍形)がおりますが、わたしの個体のアバターは龍ではなく、人間型です。
今、7頭の龍の子どもたちが、大好きなROMお母さんを訪ねてこの銀河系に来ていて、わたしのところに集まってきております。そのお話は、また7月の誕生日交流会でお伝えしたいと思っています。

今日、自分にもたらされるギフトは何かと考えていたら、「真実の愛」というメッセージがきました。確認のためにカードを引いてみたのですが、指し示されたカードを表に向けたとき、そこにあった文字は「TRUE LOVE」でした。やはり「真実の愛」だったのです。
このギフトを受け取ることで、新たな誕生と宇宙創造主とのハネムーンがやってきそうです。


かがやき

◆7月のスペシャルセミナーのお知らせ

7月は毎年恒例となっているスペシャルセミナーを開催します。
自分のニーズに合うテーマであれば、ぜひご参加ください。


◆誕生日交流会

~ROM&個体からのメッセージ~

◆開催日:7月9日(日曜日)
◆場所:仕事場にて
◆時間:12:00~17:00
◆料金:無料(持ち寄り:ご自分の手作りの食べ物など)
◆条件:光のコースの有志

◆主なメッセージ内容:
ROMとわたし(個体)と龍の子どもたちとの関係性 
これからのこと
その他さまざまな質疑応答



ピンクの花


◆7月のスペシャルセミナー

~ 愛とはどんなもの?~

  
2014年の7月に「自分を愛すること」というテーマでセミナーを行ないました。
ご参加くださった方々は内容を憶えていらっしゃるでしょうか?

そこでは「自分を愛する瞑想」をし、「自分を愛せているかどうかを自分自身で見極める」ために「自分を愛するということの真の意味」「自分を愛すると、どういうことが起こるか」「真の自己愛とエゴとの違いを見極める」「自己への愛から他者への愛へ」という内容で講義をしました。
しかしながら、そのときの参加者であっても、未だに「自分を愛するということがわからない」、「どうやって愛せばいいのかわからない」、「そもそも愛という言葉の意味がわからない」という人たちがおられます。

あなたは愛とは何(どんなもの)と思いますか? 
「愛」の何たるかを知らないのに、「愛しなさい」と言っても、それは無理難題というものです。特に過去生で「愛着問題」をずっと抱えて繰り返し転生してきた魂は、「愛されてこなかった」ために自分や他者への「愛し方」がわからないのです。
ハートブレイクしてしまった魂は、愛の欠如とカン違い/思い違いによってダークサイドに行ってしまうことが多いです。そして「隠れた自己」となって、足を引っ張り続けます。「境界性パーソナリティ障害」「自己愛性パーソナリティ障害」を持っている人は、愛情飢餓の歪んだ結果なのです。

真実の愛とは?


「真の愛」とは、「宇宙創造主の愛」とは、いったいどのようなものなのでしょうか?
地球は「愛の星」ゆえに「愛」が欠如すると、肉体的・精神的・霊的に健康ではなくなり、生き辛くなるようにできているように思います。「愛」は頭ではなく、体験しなければわからないものです。

過去生回帰で出てきた愛を知らない子どもたちや、光の世界がどういうものかわからない魂たちには、すでに肉体を失った霊体ではありますが、今生の肉体に入ってもらって、ハグをしてあげるのです。電話相談の場合はそれができないので、光の放射をします。そうすると、愛を感じて「光の領域へ行きたい」とみんな言います。言葉では理解ができなくても、感覚ではわかるのです。
あなたにも肉体を通して愛や光がどういうものであるのかを知っていただきたいと思っています。ぜひご参加ください。


ピンクの花2


◆開催日:7月10日(月曜日)
◆場所:夢みなとタワー 第1会議室
http://www.yumeminatotower.gr.jp/
◆時間:11:00~18:30
◆料金:32,500円
◆事前学習あり
◆セミナーの内容:「愛とは何か?」をディスカッションや参加者の交流で深める

◆主な講義予定
◇人間(地球人)が考えるさまざまな愛の概念/観念
◇ゴータマ・ブッダとイエスの愛の概念の違い
◇男性と女性の愛の観念の違い
◇過去生で爬虫類系異星人だった魂は、愛というものがわからない
◇愛を知らない異星人たち(ドラコニアン・レプティリアン・爬虫類系異星人)
◇欲望に従い己を律することのできない者の愛や自己犠牲は愛と言えるか?
◇究極の己を知れば、宇宙創造主がわかる
◇創造主の愛とは何か?

あくまでも予定なので、そのときの参加者によって、講義内容が変容することをご了承ください。



グリーン


◆過去生回帰個人セッション(120分)

◆開催日:7月11日(火曜日)
◆場所:夢みなとタワー 第1会議室
◆料金:25,000円
◆時間帯:
1 11:20~13:20 予約済
2 13:30~15:30 予約済
3 15:50~17:50 予約済

今、わたしができることをサポートしたいと思います。
「またの機会に」ではなく、今やりたいと思ったときに実行することです。
いつ肉体を脱いでも悔いのないように。

◆募集:5月3日~14日まで fc2メールフォームからお申し込みください。


ひまわりさんと光のお母さんとの対話 ~第8弾 光/愛を受け取れる人、受け取れない人~

2017年04月16日 17:30


桜が葉桜に変わりつつ、日に日に気温が高くなっていますが、皆さま、お元気でしょうか? 

4月のセミナー後のお花見は、まだつぼみで花を見ることが適わず、とても残念でした。今年は全国的に開花時期が遅かったようで、大根島の桜も一週間ほど遅れました。お花見の10日後の13日にひとりで再度大根島に行ってみたのですが、そのときは満開で、芝生にはすでに散った花びらでピンク色に染まっていました。それでもまだまだ美しくて、有志の皆さんに見せてあげたかったと切に思った次第です。桜に「ありがとう」を言いながら、大塚山公園で写真を撮ってきましたので、どうぞ見てください。


大塚山の桜1
   2017年4月13日大根島大塚山公園にて



ひまわりさんと光のお母さんとの対話
~第8弾 光/愛を受け取れる人、受け取れない人~


<飴玉を受け取ることについて>

ひまわり:「困ったちゃんの心理」のシリーズで、ROM先生、光のお母様からいただく愛と光を飴玉と表現されていた箇所がありました。その表現がとても的確だと思いましたし、なんだかとても好きな表現なので光のお母様とのメールのやり取りなどでよく使わせて頂いています。
さて、つい先日でしたがネガティブな存在を引き寄せてしまった際に、ROM先生、光のお母様から今まで頂いた飴玉を私が受け取れていないとお知らせいただき、あまりのショックに呆然としました。飴玉をたくさん頂いていたことは理解しているのですが、それらを受け取れていなかったことは頭では全く理解できずにおり、ただただ涙が出るばかりでしたので、頭よりも身体の細胞のほうがそうだ、そのとおりだと言っていたように思いました。
初めての対話で「光のお母様からはすでに山のように飴玉をいただいていたことに気づいたら、もっと欲しいとは思わなくなりました。」とお伝えしていたにもかかわらず、ここしばらくの間、すっかり調子を崩してしまって何度も光のお母様のお手を煩わせてしまいました。今まで本当にたくさんの飴玉を頂いていたので、「それが身に付いていたらこんなに調子を崩すことにはならないでしょう」と指摘されて、おっしゃるとおり飴玉を受け取ることが出来ていなかったのだと思いました。ただ、受け取らないと拒絶したつもりはなく、ましてや捨てたりなどしていないのに、受け取れないということがどういうことなのかが頭では分かりにくいので、どういうことなのか教えて頂けませんでしょうか?



大塚公園の桜2
   2017年4月13日大根島大塚山公園にて


<飴玉を受け取るという意味>

光のお母さん:飴玉は本来舐めるものですね。舐めてその美味しさを感じなければ、いくら持っていても意味がないものです。飴玉をしっかりと味わい、自分の胃の中、腸の中に吸収されたなら、それに満足感を覚え、身につくのです。
わたしが皆さんに差し上げている飴玉は、その人に応じて内容が違うので、味もさまざまに異なっていると思いますが、愛がいっぱいつまった光でできた飴玉です。その効果は細胞レベルにまで及びます。それを食べたら、一個で満腹感を覚えるはずなのです。ところが、一個では足らずに、何個も何個もほしがる人がいます。過去生を含め、幼少時からずっと愛に飢えていた人は、ほしくてしかたがないし、もともと欲張りの人は何十個も何百個も限りなくほしがります。ほしがるからその都度あげるのですが、その飴は一体どこにいったと思いますか? ひまわりさんの場合は、どうでしたか?

ひまわり:飴玉はもったいなくて、その場ではすぐに頂かずにとっておいていたような気がします…。また、ときどき自分には飴玉を頂く資格がないような気がしてしまって受け取れなかったのかもしれません。

光のお母さん:「受け取る」と言うよりも「受け容れる」と言ったほうが、わかりやすいかもしれませんね。わたしが言う「受け取る/受け容れる」というのは、飴玉をもらったらすぐに口の中に入れて、しっかりと味わいながら幸福感で満たされ、それを腹にまで落とすことです。その滋養あふれる光/愛が細胞レベルまで浸透して、細胞が喜んではじめて「受け取れた」と言えるわけです。そうなったら、本当に満足できるので、またすぐに飴玉を欲するようなことはありません。細胞がちゃんと記憶しているからです。
あげても、あげても欲しがるような人は、うまく消化吸収できていないか、もらったけれども籠に入れて積んであるだけで実際に口に入れてとことん味わっていないということになります。

さきほどひまわりさんは「ときどき自分には飴玉を頂く資格がないような気がしてしまって受け取れなかったのかもしれない」と言われました。「資格がない」というのは、「自分には価値がない」という観念から来ていますね。「自分には価値がない」と思うと、当然のことながら自分を愛せなくなります。「自分は愛するに値する人間ではない」と思うと、人からは何も受け取ろうとしなくなるのです。
毎回プラーナを補充しても、すぐにエネルギー/プラーナ不足になる人は、真に受け取っていない、受け取れていないからなのではありませんか?
もしあなたがそうだとしたら、わたしがあげた飴玉はもらったふりをしていただけで、真に受け取って、食べてはいなかったということになります。
どうですか? 真の意味で飴玉を一個一個喜んで受け取り、とくと味わってこられたでしょうか?

ひまわり:ものすごくショックなのですが、おっしゃる通りだと思います。受け取る資格がないと思うのは私の課題と直結していると思いますし、飴玉を味わえていなかったのだと思います。最近は毎日のように見えない身体が壊れてしまい、先日光のお母様が「細胞が見えない身体を保護しようという協力体制になっていない」とおっしゃられたことが本当にショックでした。もったいないから飴玉を取っておこうと思ったのは、大いなる間違いでした。飴玉が必要な細胞のためにも、頂いたらすぐに包みを開けて口に入れる必要があるのですね。

光のお母さん:そうですよ。飴玉は、口に入れて味わうことに意味があるのです。とっておいても何の足しにもなりません。
なかには、飴玉をもらっても、その飴玉の価値が全くわからなくて、感謝の気持ちがなく、「なんだ、これだけ?」としか思わないような人もいます。その愛を無下にしてしまっているわけですね。そういう人は、「受け取る能力がない」ということです。そういう人にいくら飴玉をあげても、ほとんど意味がありません。滋養になっていないのですから。だから、同じ過ちを何度も何度もくり返すのです。飴玉を今までたくさんもらっているはずなのに、その人がその後どうなったか、その結果を見れば一目瞭然ですね。

ひまわり:もう本当に耳が痛いです…。今まで頂いた飴玉をかき集めて今すぐ食べて、細胞に喜んでもらい、愛を感じてもらわなくてはと思いますし、受け取る能力を身につけなくてはと思いますが、受け取る能力はどうすれば身につくのでしょうか?



紫モクレン
     紫モクレン  撮影 光のお母さん


<「愛/光を受け取れる能力」は、「自分を愛する能力=他者を愛する能力」>

光のお母さん:そもそも「受け取れる」「受け容れられる」という行為は、自分を愛していないとできないものなのです。自分を真に愛していれば、素直に受け取り、受け容れることができます。ですから、あなたが自分自身をほんとうの意味で愛していれば、飴玉を喜んで受け取り、受け容れられるはずなのです。「愛/光を受け取れる能力」は、「自分を愛する能力=他者を愛する能力」と言ってもよいでしょう。そのことがわかりますか?

ひまわり:今まで飴玉を受け取っていたつもりだったのにできていなかった理由が良くわかりました。自分を愛することを止めてしまっていたと反省しています。辛くて自分の問題を直視できずにいたので、問題と向き合えずに自分を責め続けて時間とエネルギーを無駄にしてしまいました。申し訳ありませんでした。
これからはもっと素直になって、必要なときは光のお母様に「飴玉をください!」と手をあげます。そして頂いたら間髪を入れずに飴玉を口の中に入れて味わいます。

光のお母さん:わたしが差し上げた飴玉を、心から喜んで受け取ることができるのはたいてい個体です。但し、個体の霊格にもよるので、すべてが受け取れる能力があるとは言い難いですが、本体の場合は、まちがいなく愛と感謝の気持ちで受け取り、受け容れて、そして愛と感謝を返してくれます。高次元の存在ほど、受け取る能力は高いということです。
残念ながら、肉体意識でそれができるのは、現在わたしの知る限りではいらっしゃいません。つまり、高次の存在ほど、自分自身を愛し、他者を同じだけ愛することができるということです。
「愛/光を受け取れる能力」は、「自分を愛する能力=他者を愛する能力」であるということを、覚えておいていただきたいと思います。
 
       
白い花
        撮影 光のお母さん


<光の積木崩しについて>

光のお母さん:くり返し「光の積木崩し」をしている人が多々おられますが、そういう人は飴玉を味わうことなくドブに捨てているのです。その人のために費やした労力と時間が無駄になったことを知ると、「その人の選択の自由だから仕方がない」と思いながらも、やはりがっかりしますね。

ひまわり:受け取っていたつもりが受け取れていなかった私は五十歩百歩だと思うのですが、ドブに捨てるということが私には理解しにくいです。ドブに捨てるということは自己探究の大変さや苦しさから、光に向かうことを諦めてしまったということでしょうか?

光のお母さん:して差し上げたこと(飴玉)の価値や意味、その効果がわからなくて、厚意を無下/だいなしにしてしまうということです。わたしのほうからすると、したことが全く無駄となってしまっていて、やった甲斐がないということです。

たとえば、過去にお金に困っている人がけっこうおられたので、電話相談料を無料にしたり、経済的な余裕ができるまで何か月も待ったり、その人がお金の心配をせずに光に向かえるよういろいろと便宜を図ったりしたことがありました。しかし、結果を見ると意味がなかったことがわかるのです。悪霊の力に負けてしまったのか、三次元的思考に堕ちてしまったのか、何の報告もなしに光のコースを止めてしまった人が何人もいらっしゃいます。もらった飴玉をしっかりと味わっていれば、決してそういう結果にはならないのです。
そういう人は、飴玉をいくらもらっても「受け取っていない」「受け取れない」のです。欲しいくせに受け取れない。だからいつまで経っても、光/愛の何たるかがわからないのです。
「天邪鬼」を演じている人や恩を仇で返すような人は、光や愛に満たされることはありませんから、決して幸福にはなれません。自業自得なのですよ。

ひまわり:私も「天邪鬼」の傾向があり、ブログの「困ったちゃんの心理①」を読ませて頂いた後、光のお母様に「あれは私のことだと思いました」とメールさせて頂いたのを覚えています。しかし、何度もブログを読ませて頂き、課題等を進めて行くうちに、「天邪鬼」でいると相手を傷つけるだけではなく、自分の首を絞めるだけだと思いましたので、もう卒業しようと決めて素直であるよう心がけています。むしろ「天邪鬼」よりも「良い子」を演じる方が卒業しにくいように思っております。どちらも本来の自分ではなく仮面をつけて演じているという点でコインの表裏で同じことのようにも思えるのですが、光のお母様はどう思われますか?「天邪鬼」は明らかに損をするけれど、表面的には得になりそうな「良い子」や「善人」を演じることをやめられない人が多いような気がしますし、自分もその傾向が強いのでこのあたりを掘り下げたいです。

光のお母さん:わたしからすると、「天邪鬼」も「良い子」も自己欺瞞なので、本人が苦しいだけで、何の得にもならないと思います。
「良い子」や「善人」を演じても、わかる人にはすぐにわかるものですよ。世の中には、「偽善者」にすっかり騙されてしまっている人たちも多々おられるようですが、人を見る目を養うこと、その人の本質を見抜く力が必要ですね。特にカウンセラーのような仕事を目指しているような人は、透徹した目がないと、できません。自分自身のことをよく知らず、自分自身を欺いているような人、つまり自己欺瞞に陥っているような人は、相手が偽善者かどうかを見極める目を持つことはできないのです。
非難中傷して人を裁いてばかりいるような人がけっこういますが、そういう人というのは、相手の外面、それもほんのわずかな部分だけしか見えていないということです。

ひまわり:私は長い間、自己欺瞞に陥っていたことに気づいていませんでした…。ただただ苦しかったのは確かです。自己欺瞞に陥っている人は他者を見極める目がないというのが理解しにくいのですが、教えて頂けますでしょうか?

光のお母さん:「欺瞞」とは、「だます、あざむく」という意味ですから「自己欺瞞」とは、「自分をだましている状態」です。自分の良心/本心に反しているのをどこかで気づいていながらもそれを正当化している状態、あるいは、自分に問題があることに全く気づいていない状態のことを指しています。
自分自身のことを正しく見て、判断することができない人間が、どうして他人のことを正しく見て、判断することができるのでしょうか? また、自分の良否や真偽、正常か異常かを見極められないような人間が、他人の良否や真偽、正常か異常かを見極めることができるのでしょうか? 
どうですか? これでご理解いただけましたでしょうか?

ひまわり:ご説明いただきありがとうございました。理解できました。もっと内側に向かう必要性を強く感じました。



桜
    大塚山公園の桜  撮影 光のお母さん


<おせっかいについて>

光のお母さん:イエスが言っていますね。「なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう」
(マタイによる福音書7章3節~5節:日本聖書協会 聖書より)

イエスは、「裁いている人の目の中には梁が存在していますよ」と言っているのです。裁いている人自身は、相手のことをよくわかっていると思い込んでいるのですが、目に「梁」があるために、ほんとうのことが隠れてしまって見えなくなっているわけです。こういう人に限って、他人の目にある小さなちりが気にかかって仕方がないんですよね。そして、相手の目にあるちりの存在を指摘して批判や非難中傷をしたり、「そのちりは邪魔だから、私が代わりに取り除いてあげよう」と、自分では善意だと思って、その人のためにおせっかいなことをやろうとしてしまうわけです。そういう人、周囲にいませんでしたか?

ひまわり:はい、たくさんいました。そして自分もその傾向がとても強くあります。善意のつもりでやっていることなのでおせっかいではなくて思いやりのつもりなのです。こちらの善意のつもりで行ったことが、結果として相手にとって良い結果をもたらさなかったとき、自分がしたことはおせっかいだったのではと思ったのですが、それを認めたくない自分がいました。「私の善意に応えない相手が悪いのだ、私は悪くない」と思いましたが、どのような反応をするかは相手の自由ですし、相手が期待通りの行動をしないからといって怒るのは私の主張を押しつけているだけだと気がついたら、今度は相手に申し訳なくなって執拗に自分を責めました。
誰も幸福にならないことに時間とエネルギーを費やしてしまい、つくづくバカバカしいことをしていたと思います。
そして冷静に考えると、相手に対するおせっかいはほんとうは自分自身の問題を相手に投影していただけなのではないかと思っています。
この数ヶ月、おせっかいな自分のせいでかなり愛から遠ざかってしまいました。おせっかいはもう卒業したいと思います。もっと自分の内側に向かって行く必要を感じます。

光のお母さん:そうですね。自分のことを棚に上げて「おせっかい」という「愛の押し売り」をしないことですね。

「なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう」
このイエスの言葉を、ぜひ覚えておいてほしいのですが、ひまわりさんは、この「梁」とは何のことだと思いますか?
「梁」が象徴しているものは、何でしょうか?



モクレン
     紫モクレン  撮影 光のお母さん


<目の中の梁とは何か?>

ひまわり:「梁」は家の屋台骨でもありますので、自分の根幹となるもの、思い込みも含めた信念を象徴しているのではないかと思います。また、「梁」は「チリ」と比較するととてつもなく大きなものだと思うので、その大きな「梁」、信念、思い込みによって目が塞がれている、視界が遮られて狭くなっているということなのかなと思ったのですが、如何でしょうか?

光のお母さん:そうですね、イエスがどんな内容を想定して「梁」と言われたのか、その真相は定かではありませんが、わたしの見解では、『目に梁が入った人』というのは、『間違った思い・勘違い・ズレた受け取り方をしている人』『異常波動を引きつける原因をたくさん持っていて、物事を自己中心的に受け取る人』つまり、『勘違いをしているくせに、自分は間違っていないと思い、自分の間違いを認めたくない人』すなわち『歪みがひどい人』ということになりましょうか。
そういう人は自分の都合のよいものだけを見たり聞いたりしますが、都合の悪いことは見ようとも聞こうともしません。「悪霊に影響されている人は、聞く耳を持たない」と以前から伝えておりますが、「あなた、勘違いしていませんか? その受け取り方は間違っていますよ」と言うと、「間違っているのはおまえのほうだ、正当化しているのはおまえのほうだ」と逆上して悪態をついてくるような人です。『自己愛性人格障害』のある人に多い症状です。すべて『歪んだ自己愛』から生じていることですね。

ひまわり:そのような人と話をしていても堂々巡りとなってしまい、話が通じなくて嫌になって離れたくなってしまいます。ある人物がすごく嫌になってしまい、理由を告げずに離れていったらその人物に執拗に追いかけてこられたという過去生が出てきましたので、「それはおかしい」と伝える必要があると思っていますが、逆恨みされるような気がしてなかなか難しいです。異常波動になって悪霊等のネガティブな存在をたくさん憑けてしまっている人に、おかしいと指摘する際のアドバイスを頂けませんでしょうか?

光のお母さん:逆恨みされるのが嫌なら、言わないことです。相手を大切にしたいのか、自分を大切にしたいのか、どちらも大切にしたいのか、あなたが何を選択したいかです。
相手に悪く思われて、嫌な思いをしたくないのは、自分を大切にしたいだけですから、そこに相手への愛はありません。怖れ自体が愛の欠如です。何かを怖れているとき、そこに愛はないと覚えておいてください。
もし愛をもって、相手に「あなたの状態、言動おかしいよ」と伝えたいなら、相手がどのような反応をしようが、その結果を気にしないことです。毅然として伝えることです。それができないなら、あなた自身にまだ準備ができていないということになります。
あなたに説得する能力があれば、憑いている悪霊だって改心させることができますし、彼らを浄化してあげることも可能となるでしょう。「逆恨み」を懸念しているようなら、最初から近づかないこと。関わりを持たないことです。以前に悪霊の対処法をブログに書いていたと思いますが、思い出していただきたいと思います。

ひまわり:ああ、耳が痛いです…。伝える努力はしているつもりなのですが、相手の反応や結果を気にしすぎるのだと思いました。結果が伴わないと自分の言い方が悪かったのではないかと落ち込んで自分の行動を後悔してしまい、ネガティブ霊の影響を受けてしまうなど、明らかに準備不足でした。説得する能力を身につけて伝える際も、その後も毅然とした対応ができるようになりたいです。私の「梁」は弱い上に歪んでいるようです…。

光のお母さん:実は、このイエスの言葉を思い出したとき、「梁」について調べてみたのですよ。その文字の語源は、「向こうへ渡る」という意味が変化したものだそうです。飛び越えられるくらいの川幅ではないとき、川に丸太や何か渡れそうな「横に掛かる」物を置いたりしますが、そのように「向こうへ渡る」行為によって生まれた「横方向に掛かる部材」が「梁」なのだそうです。建築的に言えば、「梁」は屋根を支えるため両側の支柱に架け渡す横木のことです。建物は、「柱」と「梁」の両方あってこそ成り立つものですから、この横木となる「梁」が弱すぎたり、歪んだりしていると、柱が倒れてしまいますね。そういう重要な役目を担っているものです。

ひまわり:土台、梁、柱、あらゆる部位を歪みなく強固にしていきたいです。そのためにも、まずは自分へ愛を向けます。
愛を受け取ること、受け取れないことについて色々な視点からご説明くださりありがとうございました。このたびの対話で自分自身が如何に自分を愛せていなかったかが良くわかりました。自分を愛せるようになるためにアファメーションをたくさん唱えようかと思ったのですが、光のお母様が「意識が変われば細胞は変化する」とおっしゃったのが心にとても響きました。今まで学んで来て知っていたはずのことが頭でばかり考えていたらするりと抜けてしまったようで、自分を愛することは難しいと思っていましたが、シンプルに無条件にただ自分を愛することに意識を向けて細胞が変化するよう促します。そして、他者の愛を受け容れられる器になっていきたいです。ROM先生、光のお母様からの飴玉以外にも、受け容れることの出来なかった愛が多々あったのではないかと思いました。愛はそこにあったのに、自分が受け容れることができなかった、受け容れることができずに自分は愛されていないと思っていた。これも負の連鎖だと思いますので、今、断ち切ろうと思っています。
このたびも対話をさせていただきありがとうございました。

光のお母さん:どういたしまして。気づきが得られ、内容が深まったのであれば幸いです。




花の贈り物
      贈り物 撮影 光のお母さん


◆光のお母さんからのメッセージ



ひまわりさんと光のお母さんとの対話も第8回目を迎えました。記事に掲載するのは、とりあえず今回で終了したいと思うのですが、対話はまだまだいろんなテーマで続けていきたいので、たくさんできましたら、今度は別のかたちで皆さんにご覧いただけるようにしたいと思っています。

ROMからのメッセージは3記事だけを残し、あとの14記事は削除させていただきました。ROMがもう必要ないと言った(皆さんに本体が入らなくなり、個体すら入っているケースがごく少なくなった)からですが、大切な話も網羅されていましたので、重要な箇所のみピックアップして、またまとめて記載したいと思っています。
これからも、過去記事で必要性を感じなくなった内容はどんどん削除していき、整理していきたいと考えておりますので、どうかご了承ください。




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