日本人の集合意識を上昇させましょう

2012年05月11日 07:30



4月28日の「見える世界と見えない世界のギャップを垣間見る」の記事で、「父の葬儀から見えてきたこと」について書きましたところ、父の怒りや葬儀の在り方に関して「とても考えさせられた」、「心の準備をするということが いかに大切かが解り、とても勉強になった」など、数々のメールを読者さんからいただきました。

特に家族の死を体験している人たちにとっては、他人事ではなかったのだとつくづく感じたしだいです。
今回は、皆さまのお気持ちに感謝し、父のその後をお伝えしておきたいと思います。



たんぽぽの綿毛


〜父のその後〜


父の意識体は、葬式が終わってから自分の家に戻りましたが、何かしら落ち着かず、自分の故郷に戻ってみたり、また自宅へ戻ったり、行ったり来たりを繰り返しておりました。おそらく自分の持ち物などが整理されていったりして、生前のままの生活がもうできないということがわかったのでしょう。
また、どこへ行っても、自分のことをさほど偲んでくれる人もおらず、早くも忘れ去られていることを知れば、そこに居続けてもむなしいと言いますか、自分が思っていたほど面白くないことに気づいたのではないかと思うのです。
「もうそろそろあの世へ行きたい」というメッセージを毎日伝えてくるようになりました。
(故人があの世へ旅立つまでは、すぐに故人の物を整理したり、処分したりしないで、生前のままにしておいてあげることが大切だと感じました)

「この世にいたって、しょうがない」という気持ちが、こんなに早くに来るとは思っていなかったので、それでもしばらく様子をみていたのですが、わたしの守護神からも同様のメッセージがあり、父の決心がほんとうであることを知りました。
そのときの父の霊的な状態からすると、霊界の中程くらいには行けるということでしたので、「お父さんの行きたいときに行けばいいよ」とわたしは父に伝えていたのですが、やっぱり見送ってほしかったのでしょう。8日の午前中にわたしのところに来て、わたしが唱える「波動上昇の祈り」と「神の光の祈り」を聞きながら、死者が癒される場所であるアルクトゥルスへと旅立って行きました。(死後16日目のことでした)

そこで癒された後、自分に見合った世界へと赴くのでしょう。
先に亡くなった母とは波動の階層が異なるので、残念ながら父と母が出会うことはありませんが、それでも父としては思ってもみないよき結果であったと思います。
よほど坊主には会いたくなかったのでしょう。法要の前日に去って行った父に、わたしは拍手を送りたい気持ちでした。


〜喜んであの世へ旅立った父〜


わたしはいつも祈りの際には、香を焚き、ろうそくに火を灯すのですが、終わった後に何度吹き消そうとしても、灯明が消えないことがしばしばあります。そういうときは、たいてい守護神から伝言があるときなのです。
今回も、光かがやく灯明を吹き消そうとしても、まったく消えないので、何かメッセージがあるのかと尋ねたら、「父から」だということでした。
父がわたしに「ありがとう」と感謝の意を表してくれているとのことでした。
最期に、お互いに「ありがとう」と言い合うことができて、とても嬉しく感慨無量でした。

そのメッセージを聞いたあと、再度灯明に向かって息を吹きかけると、灯はフッと気持ちよく消えました。
ああ、もう終わったのだなと思いました。
とても気持ちがさわやかで、その日一日中心身が軽かったのを覚えています。


父に対し、「心おきなく、穏やかに光の世界へ旅立たれる日が訪れる事をお祈りしております」と、父の心の平和を願ってくださった読者さんに心から感謝いたします。

ありがとうございました。  光の仕事人 拝



ミルクティー



★ 読者の皆さまへ お願い ★



見えない世界を身近に感じている方々のリアルな体験談や、それを伝えて理解してもらえたなどの成功例をお寄せください。「皆さまからの体験談」として、記事にさせていただきたいと思っております。
アンケートの「お便り・ご感想」の箇所に書いて送ってくださるとうれしいです。長文で書き切れない場合は、ブログのコメント欄をご利用ください。

★見えない世界(精神世界)に目覚め、直観から行動できる人たちの使命は、自分の波動(ヴァイブレーション)をどうしたら高められるかについて話を聞こうとするできるだけ多くの魂を育成することにあります。
人に教えたり、相手に力を与えたりすることで、わたしたちの波動はさらに高められ、光は強められ、霊的に大きく成長できるのです。

地球上にいるすべての魂は、地球と同じ旅をたどるかどうか、つまり地球とともにアセンションするかどうかを選択する自由意志をもっています。ですから、自分の波動を高めることを選択しない人は、遅かれ早かれ地球を出て行くことになるでしょう。
もし何も真相を知らないがためにアセンションしないことを選択しているのだとしたら、教えてあげる必要があります。無知であるということ、無意識であるということは、魂にとっては最悪の状態だからです。

★日本は、「見えない世界」のことや「不思議な現象」に対する理解度が低く、情報提供が非常に少ない国だと思います。そういう類のことが海外で大きなニュースとなっていても、日本のマスメディアではなぜか取り上げないのです。
たとえば、UFOが東京の空を頻繁に飛び交っているのを多くの人が目撃していたとしても、大きな記事として新聞紙上に出ることはないでしょう。目に見える現象であってもそうなのですから、目に見えない現象などを扱うことは今のところ難しいであろうと感じます。

日本人の見えない世界に対する関心や理解を深めるために、日本人の集合意識をもっと高めるために、目覚めた方々のご協力をお願いします。
                    
2012年5月11日 光の仕事人より


映画「アバター」からのメッセージ 

2012年05月05日 13:20


★ 映画「アバター」からのメッセージ ★



皆さんは、2009年に公開されたジェームズ・キャメロン監督の3D映像によって有名となったアメリカ映画「アバター」をご存じのことと思います。
わたしはこの映画が気になって、この連休にDVDを再度観賞しました。
3D映像では見たことがありませんから、その臨場感は味わえませんでしたが、わたしが感じたかったのは3D映像ではなく、そこに描かれ、うったえようとしているその作品の目的でした。

先月にこの映画を見た読者さんから、つぎのような感想をいただいておりましたので、遅ればせながら紹介させていただきたいと思います。


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〜読者さんからの感想〜


昨日は家事をそこそこにし、2月にTVで放映された映画「アバター」を録画したままになっていたので見ることにしました。
日頃、TVを何時間も見て過ごすなんて時間がもったいないと思うのですが、どんな内容の映画か知らなかったけれどなんとなく気になって録画していました。
見てギョっとしました。
本の「ヴィジョン」に描かれているシーンの再現か?!と思いました。
ブルドーザーが森を破壊するシーン、先住民が追いやられるシーン。
ジェームズ・キャメロン監督が「ヴィジョン」を読んだのか、それとも世の現実を知っているのか、と思いました。
映画を見ている最中「ヴィジョン」の様々なシーンや冒頭のメッセージが頭に浮かんでいました。
なんて人間は愚かなのだろうか・・・
相当ヒットしたであろうこの映画、人間の愚かさにどれだけの観客、視聴者が気づき、その後、自然を大切に、動植物を慈しむ心を育んだか?
映画について見終わってから調べたら、がっくしです。
3D映画として脚光をあびたのですね。
幸いに?我が家は普通のTVなので3Dとしての映像に気をとられることなく見られました。
まったく環境問題、人間の傍若無人ぶりに、焦点があたり論評された様子はなさそうです。
映画を作った監督やスタッフ、出演者は環境問題に目覚めたのかしら?

光の仕事人さんによって私は「ヴィジョン」を知ることになったのですが、どういうわけか私は、すっかりはまっているというか、縁があるというか、ことあるごとに、「ヴィジョン」の内容と私の実生活と結びつくというか、思い出します。
今も蘇ります。
グランドファザーが水を飲む、美しい光景。
自然に対する尊敬、そして水の存在に感謝し、水を作った神に感謝し、水を飲むということに全意識を集中し、 その中(自分)から溢れ出る思いによって
美しい所作が生まれ、ありがたく水をいただく。
なんだか私もトムとともに、その光景を見ていた気分になってきました。
(うふふ、とても今、暖かい気持ちで満たされています)


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この読者さんは、以前に「ヴィジョン」の感想をくださった方なのですが、「アバター」を観て、「ヴィジョン」を思い出してくださったことを、本当にうれしく思いました。
ただ「まったく環境問題、人間の傍若無人ぶりに、焦点があたり論評された様子はなさそうです。映画を作った監督やスタッフ、出演者は環境問題に目覚めたのかしら?」とありましたが、それは大きな誤解ではないかと思います。

ジェームズ・キャメロン監督は、あるインタビューで「人類の歴史は侵略の歴史でもある。植民地時代では、列強が北米や南米を侵略していた。“現地人から欲しいものを勝手に取る”というのが侵略。映画では、侵略される側はどういう気持ちになるかという“被害を受ける人”の側から描いている」と語っています。

襲われた側がどういう気持ちになるかを自問させたいんです。この今の地球を見なさい、政治家たちがやっていることを見なさい、目を開きなさい、ということをこの映画は明確なメッセージとして教えてくれています」と。
(「驚愕映像『アバター』あの“重要シーン”の裏側を読む」より一部抜粋)

上記のような気持ちがキャメロン監督にあったからこそ、豊かな大自然のなかに未知なる動植物が生息し、背丈が3メートルほどもある青い皮膚をした知的生命体ナヴィが住む「パンドラ」という惑星に、地球からやって来た軍隊が容赦なく踏み込んでいく、という構想になったのではないでしょうか?

Amazon.co.jp: アバター エクステンデッド・エディション」 に下記のような項目がありましたので、記載しておきますので参考になさってください。 
  ↓
■パンドラからのメッセージ

ジェームズ・キャメロン監督が映画の公開後、ブラジルで水力発電のダム工事計画に反対するメッセージを伝える映像。高校生の時、油まみれの鳥を見てから、環境問題に関心を持ったキャメロン監督は、授業で「絶滅症候群」という戯曲まで書いたことを語る。ブラジルのマナウスで行われた環境保全会議で講演する様子や、現地を訪問し、部族の人々と交流する様子まで収められている。
環境破壊に反対するキャメロン監督からの強いメッセージを受け止めてほしい。


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この映画は「地球の環境問題」を元に制作されているわけですが、今カナダで、オイルサンド採掘による環境破壊、現地の人々の健康と暮らしへの悪影響、先住民族の権利侵害が問題となっていることとも大いに関係がありそうです。

「資源採掘が引き起こす環境破壊」と「住民の強制移住の問題」などは、そのまま現実で行なわれていることです。
映画「アバター」では、地球から来た軍隊が、ナヴィ族が生活の拠点としている神聖な巨木「ホームツリー」を倒し、彼らを立ち退かせます。情け容赦のない攻撃によって。
ホームツリーの地下には「アンオブタニウム」という貴重な鉱石が大量に埋まっていて、これを使うと地球のエネルギー問題の解決ができ、採掘すれば大金儲けができるという設定でした。

よって、この作品は、世界の発展途上国で起きているさまざまなリアリティに基づいたフィクションであると言ってもよいのではないでしょうか?
「アバター エクステンデッド・エディション」のDVDを観れば、さらに監督の深い意図がわかるのではないかと思います。わたしもぜひ観たいと思いました。

★『ジェームズ・キャメロン監督が「ヴィジョン」を読んだのか、それとも世の現実を知っているのか、と思いました』と書いておられた読者さん、ジェームズ・キャメロン監督は「ヴィジョン」も読まれていると思うし、しっかりと「世の現実を知っている」人だと思いますよ。
少しは誤解が晴れましたでしょうか?


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★ アバターに観るアニミズムの世界 ★



パンドラに登場する「ナヴィ族」は、巨人型の有尾人種で、青い縞模様の肌と、細い手足と腰がとても印象的でした。彼らは大きな目と動く耳、そして、ネコを思わせる鼻と鋭い犬歯、そして、「フィーラー」と呼ばれる尾を持っていました。
フィーラーは、後頭部から伸びたしっぽのようなもので、その長い巻き毛部分の先端を動物につなげることによって、心を通わせて呼びよせたり乗ったりできるわけです。アバターとなった主人公のジェイク・サリーは鳥にも繋げていましたね。

さまざまな不思議な存在のなかに「エイワ 」というのがありました。ナヴィ族にとっては、神のような存在です。
エイワ 」というのは、ウィキぺディアによりますと、「惑星全体に張り巡らされた植物による神経線維ネットワークの総称」らしいのですが、ナヴィたちは自らのフィーラーを繋げることで、この「偉大なる魂の木」にアクセスできるのです。生体電流による情報交感能力を持っているということなんですね。アバターとなったジェイクが、その巻き毛部分の先端を「偉大なる魂の木」と繋げて祈っているシーンがありました。

クラゲさながらのとても美しい精霊のような存在が飛びまわっていましたが、ナヴィではこの木の精霊の出現が、エイワからの「サイン」だと信じられていたようです。
聖なる木の精」や「エイワ」を観て思ったのですが、樹木に宿る精霊を、日本では木霊(こだま)と呼んでいますね。また、それが宿った樹木を「木霊」と呼ぶこともあるようです。実際に木霊が写真に写ることもあるようです。
下の写真は、わたしが過去に知人からもらった木霊の姿です。写っている木霊さんたちが公表することを許してくれたので、ここに載せたいと思います。
(木霊さんたち、とても貴重なものをありがとう。感謝します)


     木霊
          屋久島の木霊さん


日本では太古の昔からアニミズム、すなわち万物に精霊、あるいは神が宿っているという考え方がありましたが、キリスト教などの一神教を信じる国々では、受け容れにくいことかもしれません。
この「自然の中に神が宿る」というナヴィ族の信仰に対して、保守派コラムニストのロス・ドーサットは、ニューヨーク・タイムズ紙で、「映画は、神と世界が同一という汎神論的な考えに共鳴するキャメロン監督の長い弁明」と指摘しており、「カトリック教会の一部からも汎神論の思想が広まることへの懸念の声が出ている」と「ウィキぺディア」には書かれていました。
何と心の狭い人たちでしょうか。

肌の白い人(白色人種)たちは、DNAに「平和」というものが欠落していると言った人がいます。彼女は肌の黒い人でしたが、わたしは彼女の言うことに大きな同感を覚えた記憶があります。
特にインディアンたちを大虐殺してきた白人たちは、「侵略をすること」に対する罪悪感などはまるでなく、「自分たちの平和は武力で得なければならない」と思い込んでいるようですし、常に「武力には武力で対抗する」、「平和は武力で勝ち取る」という発想であり、「無暴力こそが平和の源」という基本的な理念が理解できていないように思われます。

この映画は、いろんな意味で刺激的だったと思います。
今回再度映画を観た感想ですが、3Dにばかりに気をとられていないで、この作品が意図していることをもっと感じ、深めてほしいと思いました。
すべての生命が宇宙の源に繋がっていることに気づけば、一神教などという狭い見識は外れていくであろうと思います。
そういうことを、もっともっと映画を通して、全世界の人に伝えていってほしいと、つよく感じたしだいです。

この映画をすでに観られた人は、再度意識して観賞してみてくださればと思います。
そして、感想などをお寄せ下さるとうれしいです。
読者の皆さまが、ご自分のハートで受け止められた内容を、お待ちしております。



★ 最近感じること ★



人類を選別したくはないのですが、地球のアセンションを目の前にして、天国行きと地獄行きが以前よりも増してはっきりとしてきたことを感じている今日この頃です。
人間はだれでも、善なる部分も悪なる部分も持ち合わせている存在ですが、他者に対する愛を全くもたない自己奉仕型の人たちや、闇の部分に支配されていて光の部分がほとんどない人たちというのは、自滅していくのが自然なのだろうなと思うようになりました。
因果応報です。
(関連記事 光の花束〈不滅の詩〉★善を為すなら急げ!
一つひとつの行為を大切にしよう!を参照してください)

そういう人たちが身内にいる場合はとても心が痛みますが、言っても耳を傾けない人、理解ができない人は、どうしようもありません。
人類の意識を上昇させるには、わからない人たちを必死で説得するよりも、直観で聞いてわかる人たちをどんどん増やすことのほうが簡単で、手っ取り早いのです。だからこそ、わたしは世界に向けて自分の思いを発信し、光のネットワークづくりに専念しているのです。

この仕事に「エゴ」の欲望は不必要です。ただ世界人類のため、地球のために光を放射し、伝播していくことが必要です。
日々の生活の中には、さまざまな多くの葛藤があるでしょう。わたしも毎日、そのなかで暮らしているひとりです。ただ、皆さんと少し異なるのは、自分が何のために地球に来たのかを知っているということでしょうか。
きっと読者さんのなかにも、自分の使命や、決めてきたことを思い出した人もいらっしゃるかと思います。
今はその自分で決めてきた仕事をクリアするのみです。

2012年12月にアセンションは起こるでしょうが、それがわかる人にはわかり、わからない人にはわからないという現象が生じるのではないかと思っています。
「何だ? 何も変わってはいないじゃないか」というのであれば、きっとアセンションができなかったのだと思います。

今日は2012年の5月5日です。もう7カ月余りです。
この期間に、どうぞ光の源泉となって自分のワークを完成してください。

                               〜光の仕事人より〜



見える世界と見えない世界のギャップを垣間見る

2012年04月28日 00:35


★ 父の葬儀から見えてきたこと ★



今週は、わたしの父の告別式のため、実家のある京都のほうへ行っておりました。
もし何か読者の皆さまの参考になることがあればと思い、
そこで、感じたこと、知ったことを、お話ししたいと思います。


華



このブログを以前から読まれている方々は、父が脳腫瘍で入院し、手術をして絶好調で帰宅したという記事を覚えていらっしゃるかと思います。
(2011年9月の記事「未来は決定していない―未来は変えられる!」参照)

記事に書いていましたように、父がこの病気によって亡くなることを前もって知っておりましたので、手術をしても少し延命するだけで、さほど意味がないと考えておりました。しかし、父にはまだまだこの世界に生きていたいという願いが非常に強くあったので、あくまでも手術をしたいという父の希望を尊重し、手術をすることに同意したのです。

腫瘍はすべて摘出され、術後の経過は大変よかったのですが、予想通り1ヶ月後に再発して、また入院することになりました。
本人は頭を切り開いているので、腫瘍は完治したものと思いこんでおり、以前のような生活がまたできると思っていたようですが、それが適うことはありませんでした。
腫瘍でも癌でも、あらゆる病気が再発するということは、それを生じさせる状態が身体全体にあるということで、幾度取り除いても、また生じてくるのです。
根幹の部分が変わらなければ、枝葉の部分は変わりようがないということです。

父が誤解したままだったのは、医師をはじめ、主に父を世話していた長男が、本人にきちんと本当のことを言わなかったからだと思います。
わたしは父がこの世で生き長らえることばかりを考えるよりも、自分の死への準備(主に自己の人生の浄化)をするように幾度となく促してきたのですが、本人がそれを意識して実行することはなかったように思います。(できていないことは明白です)


納得がいかない限りあの世へ旅立つことはできない



通夜の際に棺に入れられた父の顔を見たのですが、まだ生々しく、意識がまだ肉体から出ていないことがわかりました。祭壇に自分の写真が飾られて、僧侶の読経が行なわれても、本人はまだ死んだことに気づいていませんでした。
昏睡状態で亡くなった場合、本人の意識が「今ここ」にないわけですから、本人はまだ眠っているのだとカン違いするのです。シルバーコードは切れているのですが、本人の意識が納得していないので、肉体から幽体部分が離れないわけです。

それで、わたしは「お父さん、あなたはもう死んだのですよ」と繰り返し伝え、このまま肉体から離れないと、明日火葬されるときにパニック状態になるから、早く出るようにと何度も説得しました。それで、ようやく肉体から離れてくれたのです。
(親族の皆さんが別室で食事をし、談話している間に、わたしはひとりでそういうことをしていたのです)

父は自分の死に対して、全然納得がいっていませんでした。どうして、こんなことになったのか、さっぱりわからなかったのです。そして、そのことに怒りさえ感じていました。
父が納得していないこと、怒りがあることは、波動センサー(ペンジュラム)でも確認したのですが、父が亡くなる数日前に長女が「おじいちゃんが怒っている夢を見た」と言っていたことと、次女は次女で「おじいちゃんには怒りがある。自分が死んだことに納得していない」と言っていたので、まちがいないと確信しました。

父の最初の怒りはまだ漠然としたものでしたが、しだいにそれがフォーカスされて、明確になっていきました。

肉体を脱いだ意識は、周りの人たちがどんな思いでそれをしゃべっているのか、本心が丸見えなので、何もかもわかってしまいます。(但し、個人差があり、わからない人もいます)
ですから、そういう体験は、父のためにはとても学びになるのではないかと思いました。
なぜなら、生前の父は世間体や体裁を重んじ、表面的な言動だけで人を判断し、相手の真意などはあまり考えない人であったからです。要するに、表面的な善に非常に騙されやすい人だったということです。そういう人が相手の本当の気持ちを知ったりすると、まちがいなく愕然とするのです。

故人を偲ぶ僧侶の話のいい加減さも、父は初めて知ったのではないかと思います。
坊さんの読経に何の功徳もないことや、坊さんの話がいかに上っ面な内容であるかをわかってもらうよい機会だったと、わたしは思っています。

火葬場でお別れをした際、わたしの長女と次女は、おぼろに父の姿が見えたとわたしに語りました。
父は皆の後ろで、自分の肉体が焼かれる様子を見ていたのです。
焼いた骨を骨壷に入れるとき、係の人は骨に対して何度も合掌をするよう指示をされていましたが、意識が抜けたあとの肉体や骨はただの物質ですから、拝む意味などないのです。そんな基本的なことも、多くの人は知らないのです。


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4年前にわたしの実母が亡くなった際、母の意識はすぐにわたしの元へ飛んできました。
「今息を引き取ったと病院から連絡があったから、これから行く」という父の連絡を受けたとき、母はすでにわたしのところにやってきていたのです。
それで波動を高め、上昇する祈りをして、光の世界へと母を送ることができました。

母は生前認知症で、この世の物質的なものに執着のつよい人でした。毎回わたしのところに母の意識が飛んでくるたび、物質的な執着を断ち、あの世へと旅立つ意識を持つよう話をしてきたのですが、その準備ができるまでには随分長い年月がかかりました。
しかし、母が肉体の死を迎えた日、母はわたしの祈りとともに上昇し、死者の癒しの場とされる「アルクトゥルス」へと旅立っていきました。
ですから、通夜の場や葬儀場などに、母はいなかったのです。
そのことは、超感覚知覚力がある長女や次女も同様に感じていて、「おばあちゃんはもうどこにもいないね。まったく気配がない」と語っていたことからも明白です。

巷の葬儀のプログラムとして、たいてい火葬場から戻ったあと、初七日という法事をして、そのあと食事をすることになっているようです。まだ七日経ってもいないのに、また皆に集まってもらうのが面倒くさいので、ついでに法事をしてしまおうという「生きている者本意の行事」です。
母は通夜以前にすでに別次元に旅立っているわけですから、わたしたち家族はその法事には参加せずに帰りました。
「世間体」とか、「〜せねばならない」「〜すべき」という「思いの制限」にがんじがらめになっている人たちからすれば、甚だ非道に思えたことでしょう。
しかし、それは本当のことを知らないことによる勝手な思い込みなのですから、全然気にはなりませんでした。
意外にも、父はその辺のことを理解してくれていたようで、とても有り難かったですが。


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しかし、今回の父の死には問題が残りました。
母の場合とは違い、肉体にしがみついて離れない状態で、死んだことに全く納得していないわけですから、通夜のときも、告別式のときも、繰り返し繰り返し、説得しなければならず、最後の最後までわたしたち家族が居残ることになりました。
それでも本人は納得ができないようなので、しばらくは父が生前住んでいた家に留まって、普段のような生活をすることになるだろうと感じました。
まあ、納得がいくまでこの世に留まるのもよいのではないかと思い、父に対しては、母のときのような対応はまだしておりません。
本人が心から浄化をしてほしいと言って来れば喜んで浄化しますが、本人がそれを望まず、頼まない限りは、するつもりはありません。すべて本人の自由選択ですから。

僧侶は「大往生を遂げられた」などと相変わらず自分勝手な希望的観測を並べ立てておりましたが、本当はそれどころではなかったということです。

幽体となって自宅に戻った父の怒りは、さらに強くなっていったようです。
父の家にしばらく滞在して家の中を整理することにしていた長男の家族に対して、父は「早く帰ってほしい」と思っているようでした。自分の部屋を勝手に触られたくはないし、父は今まで通り愛犬と静かに暮したいのです。

父の怒りのひとつに「遺影写真」がありました。
実は、父が「自分の葬式にはこれを飾ってほしい」と皆に言っていた写真があったのです。愛犬と一緒に撮ったもので、父はその写真を大きく引き伸ばして額に入れ、いつも見えるところに掛けていたのです。
ところが、葬儀場で見た遺影写真は全く別の写真でした。(写真の父はにこやかに笑ってはいましたが)
「なぜ?」という思いはわたしだけでなく、長女も同様でした。

故人の生前の意思や意向が尊重されないということは、その人の人権が無視されたのと同じことです。
父の怒る気持ちは非常にわかる気がしました。
そこで、「そんなに嫌なら、みんなの前に自ら姿を現して、自分の気持ちを伝えたらどうか?」と提案してみたのです。父のメッセージをわたしから彼らに伝えたとしても、死者の霊を信じない人たちはただ感情を害するばかりで、聞く耳を持たないことは端からわかっていたからです。

ハート 小
過去記事で「ゴースト ニューヨークの幻」という映画の内容を書いたことがありましたね。
そこで説明したように、まだ肉体を脱いだばかりの霊は、どうしたら相手に自分の想いを知らせることができるのかがわからないのです。たとえ叫んでみても、相手には何も聞こえないのです。
だから、意識してさまざまな練習をする必要があるわけですね。

その提案に父は乗ったようですが、翌日になって、やはり不可能であると言ってきました。
相手に感知能力がない限り、全く伝わらないことがわかったようなのです。
結局のところ、わかる人(感知できる人)だけしかわからないということなのです。

しかし、実際に位牌を動かしてみたり、倒してみたりすることは訓練すればできるはずで、そういう現象を起こして自分の存在や気持ちを知らせていくしかないように思うのです。
ほんとうに伝えたいのであれば、なんだってできるはずなのです。
肉体を脱いだ後も、やはり学びです。学ぶための実験は、まだまだ続いていくのです。

★今回、父の葬儀に参加して、「目に見える世界」と「見えない世界」で起こっていることのギャップの大きさを再確認することができました。
見えない世界を感知できない人の誤解や思い込みは甚だしく、あまりにも実態がわかっていないのだということを改めて認識したしだいです。


ブルコーニュ -



★ 父への想い ★



父と書いてはおりますが、実は血のつながりが全くない養父です。
実父でないことを母に確かめたときは、もう20歳になっていましたが、幼い頃からそのことは感じとっていて、真の父親でないことは知っていたのです。
父との関係がはっきりしたからこそ、育ててもらったことに対する感謝の気持ちが生まれたのだと思っています。

今から数年前に三重県の伊勢神宮に参拝した折、京都に立ち寄り、珍しく実家に泊めてもらったことがあったのです。母が亡くなって以来、初めてのことでした。
実家に着いた夕刻には、もう部屋には布団が敷いてあり、部屋も布団も温めてありました。とても寒い日でしたので、何と気が利く人だろうと驚き、その心遣いをとても有り難く思ったものです。
父は母が長い間認知症だったこともあり、食事を作るのは得意になっていました。母の死後も独り暮らしで、ずっと自炊をしていたのです。父が作ってくれた夕飯はけっこうおいしかったのを覚えています。

翌日京都では珍しく一日中雪が降り、お土産に買ってきた赤福餅を食べ、お茶を飲みながら、どこにも行かずに一日中父と話をしました。そのときに、初めて詳細に「霊の話」をしたのです。
父は以外にもその話を真剣に受け止めてくれました。そういうことを素直に信じる人だったので、とてもうれしく思ったものです。
たったニ日間だけでしたが、父と親交を深めた貴重な時間でした。幼い頃からの父への確執はすべて消え失せ、その思い出だけが今も懐かしさを帯びて心に残っているのです。

血のつながりはなくても、霊的なつながりがあったからこそ、親子の関係になったのです。
顔も知らない実父は、わたしが誕生する際に肉体を提供してくれた人というだけで、霊的なつながりはありません。ですから、会いたいと思ったこともないのです。

子ども時代にほんとうの父的な役割を果たしてくれた存在は、母方の祖父でした。
祖父は、若い頃に華道の教授をしていた人で、茶道にも長け、趣味の謡曲をよく謡って聞かせてくれました。
わたしが華道や茶道や謡曲に興味をもち、自らその稽古に勤しむきっかけを与えてくれたのは祖父であり、禅の思想に関心をもつことに大きな貢献をしてくれたのも祖父でした。

幼いわたしをよく動物園に連れて行ってくれたのも祖父でした。
「野生の王国」というテレビ番組を、いつも祖父とふたりで見ていたのを思い出します。
わたしと祖父は趣味や趣向がとても似通っていたのです。
祖父のもっていた宝物を、わたしがすべて受け継いだような気がします。
ですから、真の父親は祖父だと、今も思っているのです。
その祖父は、遠の昔にこの世を去り、わたしを可愛がってくれた祖母も母もこの世を去りました。
そして、「わしは死なん」とよく言っていた養父も、とうとう肉体から離れざるを得なくなりました。


     アネモネ

        
だれにも必ず訪れるもの。それが肉体の死です。
早い遅いはあっても、まちがいなくそれは訪れるのです。
ですから、その準備をしっかりとしておくことが大切です。
一期一会と思い、悔いがないように、毎日を生きるのです。
老人であっても、子どもであっても。

伝えておきたいことは、必ず書き遺しておくこと。
そして、書き遺された故人の意思は尊重することです。



    〜父へ〜


赤子の頃から我が娘として接していただいたこと、
心から感謝します。
誠にありがとうございました。

あなたからいただいた霧島つつじが
今たくさんのつぼみをつけ、
真っ赤な可憐な花を咲かせ始めています。


霧島つつじ
父からもらった霧島つつじ 2012年4月27日撮影 光の仕事人


もし、まだわたしの家を覚えていて
移動することが可能ならば
今すぐ飛んで見に来てください。

不自由だった肉体を脱いで
自由の身になったのですから、
意志さえあれば可能です。

可能性は無限にひろがっています。
それに気づいてください。

そして、あなたのなかの執着や怒りが消え、
この世界に別れを告げたくなったら、
またわたしにメッセージをください。

あなたが光の世界へと旅立たれる際に
今度こそ、真の意味での
お見送りをしたいと思います。

わたしがあなたに望むこと。
それは、世俗を忘れること、肉体を忘れること、
自分が神の分身であることを悟ること、
そして、あなたが霊であるということに気づくことです。

今回の死は、だれのせいでもない
自分が播いた種の結果なのです。

怒りを鎮め、神の大いなるはからいを信じて、
すべてを神に委ねてください。

現世などでは及びもつかない深い平和で
あなたが満たされますよう祈ります。

合掌





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